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仏蔵教

提供: 本願力

仏蔵教[佛藏經]──白毫の恩賜の出拠

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舍利弗。我今明了告汝。我此眞法不久住世。何以故。衆生福徳善根已盡濁世在近。求自利善比丘。應生如是厭心。我當云何見法破亂。見此沙門惡世難時。我當勤心精進早得道果。舍利弗。我法無諸難事。不念衣食臥具醫藥。汝等但當勤行佛道。莫貴世間財利供養。

舎利弗よ、我 今明了に汝に告げん、我が此の真法久しく世に住せざるべし。何を以ての故に、衆生の福徳善根(すで)に尽き濁世近きに在り。自利を求むる善比丘は、(まさ)に是の如きの厭心を生ずべし。我(まさ)云何(いかん)が法の破乱するを見ん、此の沙門悪世の難を見る時、我(まさ)に心を勤め精進して早く道果を得べし。舎利弗よ、我が法 (もろもろ)の難事無からんとせば、衣食・臥具・医薬を(おも)はざれ。汝等 但だ当に仏道を勤行すべし。世間の財利・供養を貴ぶ(なか)れ。

舍利弗。汝今善聽。我當語汝。若有一心行道比丘。千億天神皆共同心。以諸樂具欲共供養。舍利弗。諸人供養坐禪比丘。不及天神。 故舍利弗。汝勿憂念不得自供。佛眞教化當隨順行。莫以第一義空出人過惡。何以故。舍利弗。大嶮難者所謂得空。或有比丘。以我法出家受戒。於此法中勤行精進。雖諸天神諸人不念。但能一心勤行道者。終亦不念衣食所須。所以者何。如來福藏無量難盡。念衣食所須。所以者何。如來福藏無量難盡。

舎利弗よ、汝今善く聴け。我当に汝に語るべし。若し一心に行道する比丘あらんに、千億の天神皆共に心を同じうして、諸の楽具を以つて共に供養せんと欲す。舎利弗よ、諸の人の坐禅比丘を供養すること天神に及ばず。是の故に、舎利弗よ、汝自から供を得ざえることを憂念すること(なか)れ。仏の真の教化に当に随順して行ずべし。第一義空を以つて人の過悪を出す莫れ。何を以ての故に、舎利弗よ大嶮難とは所謂(いわゆる)空を得ることなり[1]。或は比丘有り、我法に因つて以て出家受戒す。此の法の中に於いて勤行精進し、諸天神、諸人念ぜずと(いへど)も、但だ能く一心に道を勤行する者は、(つい)()た衣食の(もち)ゆる所を(おも)はざれ。所以は何ん。如来の福蔵は無量にして尽き難ければなり。

舍利弗。如來滅後。白毫相中百千億分。其中〔以〕一分供養舍利及諸弟子。舍利弗。設使一切世間人。皆共出家隨順法行。於白毫相百千億分不盡其一。舍利弗。如來如是無量福徳。若諸比丘所得飮食。及所須物趣得皆足。舍利弗。是諸比丘應如是念。不應於所須物行諸邪命惡法。

舎利弗よ、如来滅後、白毫相の中の百千億分、其の中一分を以って舎利及び諸弟子を供養せんに、舎利弗よ、(たと)ひ一切の世間の人をして皆共に出家せしめ、法に随順して行ぜしむとも、白毫相の百千億分に於いて其の一をも尽さず。舎利弗よ、如来の是の如きの無量の福徳、若し諸の比丘、得る所の飲食及び(もち)ゆる所の物、(すなわ)ち皆な足ることを得ん。舎利弗よ、是の諸の比丘、(まさ)に是の如きを念ずべし。応に(もち)ゆる所の物に於いて諸の邪命、悪法を行ずべからずと。

舍利弗。若納衣比丘。於糞掃中拾取弊故。應生是心。以此障寒及修聖道。我今以此弊故。縫作僧伽梨著。勤行精進。若以凡夫乃至一夜不應著此

舎利弗よ、若し納衣の比丘、糞掃中に於いて弊故を拾ひ取りて、応に是の心を生ずべし。此を以て寒きを()(また)聖道を(おさ)めん。我今此の弊故を以て縫て、僧伽梨(そうぎゃり)[2]と作して著し、勤行精進せん。若し凡夫を以ては乃至一夜も応に此れを著すべからず、と。

国訳


  1. ここでは、仏教の深い道理が理解できないで誤って空を領解して、一切万物の存在を無であるとする虚無思想のこと。
  2. 梵語 saṃghāṭiの音写。三衣(さんえ)の一。僧の正装衣で、9条から25条の布片を縫い合わせた1枚の布からなる袈裟(けさ)。袈裟とは本来は糞掃衣の意。