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対食の偈

提供: 本願力

本願寺第4代の能化となられたのが日溪法霖(にっけいほうりん/1693~1741)師の作成された「対食偈」。 私が戴く、お米の一粒一粒は、ご門徒のご信心の賜物、汁椀の一滴一滴は、ご門徒の御恩報謝の汗の膏血である。どうして苦海の津筏を越える、なんまんだぶのご法義を説いて、安楽浄土の道を指めさんやであろう。→トーク:対食の偈 ‎

粒粒皆是檀信 (粒々みなこれ檀信)
滴滴悉是檀波 (滴滴悉くこれ檀波)
非士農非工商 (士農に非ず工商に非ず)
無勢力無産業 (勢力なく産業なし)
自非福田衣力 (福田衣〔袈裟〕の力に非るよりんば)
安有得此飯食 (安〔いずく〕んぞこの飯食〔ぼんじき〕を得ることあらんや)
慎莫問味濃淡 (慎んで味の濃淡を問うことなかれ)
慎莫論品多少 (慎んで品の多少を論ずることなかれ)
此是保命薬餅 (此はこれ保命の薬餅〔やくぢ〕なり)
療飢与渇則足 (飢と渇とを療すれば則ち足る)
若起不足想念 (若〔も〕し不足の想念を起さば)
化為鉄丸鋼汁 (化して鉄丸鋼汁とならん)
若不知食来由 (若し食の来由を知らずんば)
如堕負重牛馬 (重きを負える牛馬に堕す如し)
寄語勧諸行者 (語を寄せて諸の行者に勧む)
食時須作此言 (食するときすべからく此の言をなすべし)
願以此飯食力 (願わくば此の飯食の力を以て)
長養我色相身 (我が色相〔しきそう〕の身を長養し)
上為法門干城 (上は法門の干城〔かんじょう〕となり)
下為苦海津筏 (下は苦海の津筏〔しんばつ〕となって)
普教化諸衆生 (普く諸の衆生を教化し)
共往生安楽国 (共に安楽国に往生せん)

粒粒(一粒一粒のすべてが百姓の苦労の結晶であること)といふ語は以下の唐李紳(780~846)の、農を(あはれ)むの句からであろう。法霖師は、百姓の耕作の苦労をご存じであったのだろう。

憫農二首
農を憫(あはれ)む
       唐 李紳
春種一粒粟,
春に種(ま)く一粒の粟、
秋成萬顆子。
秋に成る萬顆の子(み)。
四海無閒田、
四海 閒田 無けれど、
農夫猶餓死。
農夫 猶(な) ほ 餓死するがごとし。
鋤禾日當午、
禾(か)を鋤(す)きて 日 午に當たり、
汗滴禾下土。
汗は禾(か)の下の土に滴(したた) る。
誰知盤中餐、
誰(たれ) か知らん 盤中の餐、
粒粒皆辛苦。
粒粒(りゅうりゅう) 皆な 辛苦。
憫農