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迎講事

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迎講事

(『沙石集』巻第10本、9、迎講事)➡古典選集本文DB

丹後國普甲寺と云所に。昔上人有けり。極樂の徃生を願て。萬事を捨て。臨終正念のことを思ひ。聖衆來迎の儀を願ひけるあまり。せめても心ざしの切なるヽ。世間の人は。正月の初は思ひ願ふことを祝事にする習なれば我も祝事せんとて。大晦日の夜。一人つかふ小法師に狀を書てとらせけり。

「此狀を以て朝(あした)[1]元日に門をたヽきて物申さんといへ《何(いず)くより》と問ば。《極樂より阿弥陁佛の御使也。御文あり》とて此狀を我にあたへよ」と云て。御堂へやりぬ。教の如に云て門をたヽきて約束の如く問答す。此狀を急きあはてさはぎ。はだしにて出て取て頂戴してよみけり。
「娑婆世界は衆苦充滿の國也。はやく厭離して念佛修善勤行して。我國に來るべし。我聖衆と共に來迎すべし」とよみつヽ。さめほろと。なき/\すること毎年をこたらず。

其國の國司下りて。國の事物語しける次(ついで)に。かヽる上人有よし人申けるを。國司聞て隨善し。上人に對面して。「なに事にても仰を承りて。結縁申さん」と申されけれども。「遁世の身にて侍り。別の所望なし」と返事有りけれども「事こそかはれども。人の身には必ず要なる事侍」と。し井て申ければ。「迎講となづけて聖衆の來迎の莊(厳)をして。こヽろをもなぐさめ臨終のならしにもせばやと。思事侍」と申ければ。佛菩薩の裝束上人の所望に隨て調(ととのえ)て送ける。

さて聖衆來迎の儀式年久くならして思の如く臨終も誠に聖衆の來迎にあづかりて。目出く徃生の本意とげてけり。此を迎講の始といへり。 あまのはしたてに。はしめたりともいへり。又惠心の僧都の脇息の上にて。箸をおりて佛の來迎とて引よせ/\して。案じ始め給へりと云説も侍り。實に物にすき其道をこのまん人は。寤寐に其事に心をそむべし。「習さきよりあらすは。懐念いつくんぞ存ぜん」といへり。能々(よくよく) 思そみ(染)な(慣)らすべきは臨終正念の大事也。返々も思すてうとむべきは無始輪廻の執著也。 然に世の人住生を願ふやうなれども。朝夕にしな(慣)れ思そ(染)む事は。たヾ流轉生死の妄業也。正念分明なる時思そ(染)まずは。病患苦痛の時餘念なく。臨終おたしからん事難(かた)かるべし。彼上人の風情うらやみたうべきをや。

世間の習ひ今生の身命を重くし。榮花富貴のみ心に子(ね)かはしきまヽに。正月は殊によしなきそら事共取集めて。今生の祝ひ事をのみしあへり。去年(こぞ)。をとヽしも祝ひしかども。まさりがほ(顔)なきに。こりずして。年毎に。いはひあへり。さる程に死といふ事をそろ(恐)しく。いまはし(忌)き故に。文字の音のかよへるばかりにて。四ある物をいみて。酒をのむも三度五度のみ。よろづの物の數も。四を いまはしく思ひなれたり。それほどに四の文字の音だにも。いまはしき心に。正月は殊に恐るべき死せる魚鳥を家の内に取入て。きり もり いり やく[2]は。たヾ人畜にことなれども。死の形ち同ければ。葬送の儀なるべし。經には肉を食する口をば。しにかば子を捨る塚也といへり。などかこれをいまざるべき。精進潔齋し。戒を持て佛につかへんこそ。壽命福徳も目出たかるべけれ。

正月には尤(もっとも)此を行ずべし。世間の人の物祝返々道理なく。侍り。ほしからぬ物をば。死人の具足とていとひ。大切なる所領財寶は。死人の跡なれども。此をとらんと論じ争ふ。人をいむも氣色わろき者をば。つ井(い)てに久くいみ。きりもの(切り者)なんどは。さしもいまぬ事也。かくのみ顛倒の心にて。世間のあさき道理をだにしらず。ふかき佛法の義理誠にさとりがたし。をろかなる凡夫の習哉。本覚佛性内に有。世間出世之道理知識の縁に値て。是をさとりしり常住の妙道に歸して。顛倒の邪執をすつべき也


  1. 元の文は「朝夕」だがタは朝の送り仮名とみた。
  2. きり もり いり やく。切り盛り煎り焼く。