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「宗祖における信心と念仏〈龍谷教学十三、昭和五十三年六月〉」の版間の差分

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宗祖における信心と念仏
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──念仏を中心として──
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紅楳英顕
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===一===
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 最近 "浄土真宗の信仰とは一体何か”とか、”真宗の信仰をもって生きるとは、具体的にはどのようなことか”ということがよく問われ、それに関連して「平和間題」「神社問題」あるいは「公害問題」等に真宗者として如何にかかわるべきであるかというようなことが問題にされている。この種の問題においても、真宗者として如何に対応するかを考える場合には何といっても、宗義の根本である信心・念仏についての正しい理解と領解がなければならいことは当然である。もしこのことを欠いたままで徒らに真宗者のあるべき姿が論じられるならば、それは反宗教主義者が理想とするような、およそ宗祖の意とは隔った人間像が真宗者のあるべき姿とされるような、極めて不可解な結果が生じることにもなろう。
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 宗学研究者の中にも内部においてこれと全く同様な問題を持つ人達を見ることは遺憾千万である。信心念仏についての正しい体験と認識を持たずして、徒らに自説を主張するならば全く独りよがりの独断外道の類と言っても言い過ぎではないであろう。
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 従来浄土真宗において宗義の根本命題とされた「信心正因、称名報恩」について近年反対の意見がかなり出されているが、その代表的な研究者として龍谷大学真宗学教授である岡亮二、信楽竣麿の両氏が挙げられよう。
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もっとも私も宗祖の上の称名念仏がすべて報恩の意味のみで語られていると主張するものではないが<ref>①称名については、称名報恩の義と称名正定業の義とが語られるのであり、宗祖における称名に、報恩の意味のみでなく、正定業の意味もあることは従来から指摘されている。</ref>、私見によれば岡・信楽両氏の信心・念仏の理解の上に相当重要な問題点があるように思われる。以下、宗祖における信心と念仏について考察しながら、岡・信楽両氏の所論の閲題点を検討したいと思う。
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===二===
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岡氏は「親鸞における行の研究」に<br>
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:私は親鸞思想の定説である「信心正因 称名報恩」の説に疑問を堤(呈?)し、もし「行巻」の思想を重視するならば、単にかかる範疇のなかで親鸞思想を捉えようとすることに問題が残ることを指摘した。行巻の称名には、明らかに「称名報恩」の義とは異なった方向が示されているからで、しかもそれが「衆生の称名」という形態を取っている。さればこの「行巻」の称名をいかに解するかが次の閥題となる。この場合、単なる「称名報恩」の義ではないとするならば、その称名には、称名が正因になる「称名正定業」の義が含まれることになる。(中略)われわれが今述べようとするそれは、行巻の「大行出体釈」の思想のなかにみられる称名を指すものだから、明らかに知られるごとく、そこでは「大行者則称無碍光如来名」と示され、それを「斯行即是摂諸善法具諸徳本」と受けている。さればこの「称名」は諸善本諸徳本を具し、明確に往生の業因となりうる称名といわねばならず、しかもそれは「信巻」に先だって論ぜられている。信巻に先だつとは、この称名は衆生の獲信の有無にかかわらず「正定業」の義が有せられていることを意味している。従来の宗学では、この「称名」を諭ずるに、信の有無を最も重視したのであるが、しかしこの点に関する限り、信を離れた称名、しかもそれが正定業となるべき義が親鸞思想の上にみられといわねばならない。(真宗学第45・46、10頁)
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と述べている。又「親鸞における信と念仏」には、
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:我々にとっての、信(真実心)を生起せしめるカが、仏の大行ということになる。されば大行は常に衆生の信に先だつものであらねばならず、この大行を親鸞は「称名」としておさえるのであるから、称名には衆生の信の有無にかかわらず、大行としての力用が存在することになる。だが現在の宗学の定義では、この大行としての称名を真実信獲得以後の称名だとする。ここに私にとっての一つの疑問があるわけで、例えばこのように定義づけると、親鸞の著述には随処に矛盾が見られることになるのである。その顕著な一例に、行一念と信一念の関係があげられる。『教行信証』を繙けば親鸞は行一念から信一念の方向を取っている。それは行巻と信巻の流れによりみても明らかであるが、宗学の定義に従うかぎり、この関係を逆にして信一念の後に行一念を置く方向を取っているからである。このように見てくると宗義の根本は「信心正因・称名報恩」の思想まで、疑問を波及することになる。親鸞は称名を「正定の業」だという。正定業とは、まさしく往生を決定せしめる業因の意であるから、称名が信心を決定せしめる業力だということであって、決して信心が決定して後の報恩行を「正定業」だというのではない。かくて称名行には信を生起せしめる性格を認めねばならず、単に「信心正因、称名報恩」というのみでは、親鸞の称名義はおさえられなくなるであろう。(龍大論集四0八、25頁)<ref>②『親鸞の信と念仏』所収、二四四頁。</ref>
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と述べている。即ち大行は衆生の信に先立つのであるから、称名には信の有無にかかわらず大行の義や正定業の義があるのであり、決して信後の行のみに大行の義や正定業の義があるのではない、と述べ、その理由として『教行信証』において「行巻」が「信巻」に先立っており、行一念から信一念の方向がとられていることを挙げている。
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又「真宗における行の研究」には「たとえその称名に信がなくとも、あるいは自力の称名であったとしても、称名がひとたび大行と呼ばれる以上は、大行義が成立しなければならないのだ」(真宗学第43号、15頁)ともいうのであり、自力の称名であっても大行であるべきことを主張するのである。しかしながら、果して「行巻」出体駅の「大行者称無碍光如来名」とある「称無磯光如来名」とあるものが信の有無に関係がないと言えるのであろうか。
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宗祖は「総序」に
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:爰に愚禿釈の親鸞慶ばしい哉、西蕃・月氏の聖典、東夏日城の師釈に遇ひ難くして今遇ふことを得たり、聞き難くして巳に聞くことを得たり。(真聖全二の一)
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と述べている。ここにある「遇ふ」とは『一念多念文意』に「遇はまうあふといふ、まうあふとまふすは、本願力を信ずるなり」(真發全二の六一七)とあり「聞」については『信巻』に『聞といふは衆生仏願の生起本末を聞きて疑心有ること無し、これを聞というなり」とあり、又『一念多念文意』に「きくといふは、本願をきゝて、うたがふこころなきを聞といふなり、またきくといふは、信心をあらわす御のりなり」(真聖全二の六0五)とあるように、「遇ふ」も「聞く」も共に信を意味するものである。従って宗祖自身が「已に獲信せられた」立場において『教行信証』は書かれているのであるから、『行巻』出体釈の「称無碍光如来名」が信に無関係のものであるなどとは考えられない。そして『行巻』冒頭には「謹んで往相の回向を按ずるに、大行有り、大信有り」(真聖全二の五)
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とあるように、弥陀の往相回向に大行有り、大信ありと示されているように、弥陀の回向法として大行・大信があるのであり、決して別個のものではないことが示され、又『末灯紗』には岡氏の指摘する行一念・信一念について「信の一念・行の一念ふたつなれども、信をは離れたる行もなし、行の一念をはなれたる信の一念もなし」(真聖全二の六七二)とあるように、行一念と信一念は不離なるものであることが述べられているのである。更に『化土巻』
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には「横超とは本願を憶念して自力之心を離る、是を横超他力と名づくる也。斯れ即ち専の中の専、頓の中の頓、真の中の真、乗の中の一乗なり。斯れ乃ち真宗也。已に真実行之中に顕し畢んぬ」(真聖全一の一五五)とあるように、横超とは本願を憶念して(信じて)自力の信を離れることであるといい、これは已に真実行(行巻)の中に顕したというのであるから、『行巻』に明された行は本願を信じ自力の心を離れたものでなくてはならないのである。
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従って『行巻』出体釈の「称無碍光如来名」も当然信を具足したものでなければならないのであり、信を具足しているからこそ大行なのである。
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以上によって明らかなように『行巻』出体釈に「大行者称無碍光如来名」とある大行は、信の有無にかかわらず成立するのであり、自力の称名も大行であるという岡氏の見解は全く宗祖の意を正解せざる誤謬の失を侵すものであると断ぜざるを得ない。再言すれば他力信心を具足してこそ、大行であり、正定業なのである。岡氏の所論の如きは先ずこの点の理解において、大きな過失を犯しているといわねばならない。<ref>③紙数の都合で信の問題にふれることは出来ないが、岡氏の信についての閥題点は拙稿「親鸞における疑蓋旡雑について」(日本印度学仏教学研究、第二十六の一(51)、二O三頁以下)に少々ふれた。</ref>
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===三===
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次に信楽氏の所論であるが氏は「親鸞における念仏と信心」において
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:「信心正因、称名報恩」という理解、更にはまた「信前称後」という解釈は、親鸞における念仏思想の一面を明かしているとしても、決してその全体をまさしく把捉し解明したものだとはいいえず、真宗教義がひとえに親鸞を基本的立場とする限り、そのことは再検討されねばならないであろう。(真宗学第45.46合併号、80頁)
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と述べ、又『浄土教における信の研究』のはしがきには
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:伝統の真宗学においては、信心を解釈するについて、その行道の構造を示すに「信心正因、称名報恩」と語っているが、このこともまた、親鸞における信の論理に契合する理解かどうかは、はなはだ疑問である。親鸞の主著である『顕浄土真実教行証文類』六巻に明かされた浄土真宗の綱格は、かかる構造とは明確に相違している。このような信心は業因であり称名は報恩であるとする如き解釈は、むしろ親鸞以後に本願寺教団が次第に形成されてゆく過程の中で生みだされたものにほかならない。親鸞が明した浄土真宗とは、教法にみちびかれて念仏もうし、その日々の念仏の営みにおいて信心をえ、すでにここにして救われて生きる道を指示するものであったのである。その意味では、親鸞においては、称名念仏とは、単なる如来から私への受け身の論理に基づく「報恩の行業」のみではなく、それはまた、ただ念仏のみぞまことにておわします、といわれる如き、ひたすらに出世を志向しこの世俗を踏み超えて生きる。自己の人生における厳しい『選びの行道』でもあったのである。
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等と述べている。そして宗祖の称名念仏に二側面があるとして「親鸞における念仏と信心」に
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:即ち、その私から如来への方向における実践論的な側面としての、易行性、易修性についていうならば、親鸞における念仏とは、信心成立のための方便階梯という意味をもつものであり、その如来から私への方向における原理論的な側面としての、善根性、超勝性についていうならば、念仏とは、すでにその一声一声において、名号が宿すあらゆる善根功徳を、つねに完結的に領受するという意味をもつこととなるのである。親鸞における称名念仏について考察する場合、もとよりその両者を明確に区分することは困難であるとしても、その念仏がもっている、かかる二側面についての充分な留意が必要であると思われる。しかしながら、従来の研究において、そのことに対する配慮がまったく欠落していたことは深く再考されるべきであろう。(真宗学45.46、67頁)
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と述べているように、宗祖における念仏に、信心成立のための方便階梯の意味と、一声一声において名号が宿すあらゆる善根功徳を完結的に領受するという意味との二側面のあることを述べ、従来の研究ではこのことに対する配慮が欠落していたと主張しているのである。それから次下に、念仏の実践的側面が、信心成立のためのプロセス方便手段となる理由として『一念多念文意』に「称は御なをとなふるとなり、また称ははかりといふこころなり、はかりといふはもののほどを定むることなり」(真聖全二の六)とある文、『行巻』引用の『往生論註』の称彼如来名とある称の註に「軽重を知るなり」とあるにより、親鸞における称名とは不断相続の実践を通して、名号をその開顕として教法を次第に「はかり」「さだめ」「知る」ことであり、「地獄一定」と「往生一定」のいわれを称知し信知していくのであり、信心成立のためのブロセス階梯の意味をもつことになるのである<ref>④「親鸞における念仏と信心」(真宗学第45・46、六七頁以下)</ref>、と述べている。<br>
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しかし前にもふれたように「行巻」に明されている称名は信を具足したものについてであるから、そこに引用された『論註』の「称彼如来名」も当然信心具足の称名なのであり、又『一念多念文意』の文も、そこには
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:「今信知弥陀本弘誓及称名号」といふは、如来のちかひを信知すとまふすはこゝろなり。「信」といふは金剛心なり、「知」といふはしるといふ、煩悩悪業の衆生をみちびきたまふとしるなり。また「知」といふは観なり、こゝろにうかべおもふ観といふ、こころにうかべしるを知といふなり。「及称名号」といふは、及はおよぶといふは、かねたるこゝろなり、称は御なをとなふるとなり、また称ははかりといふこゝろなり、はかりといふは、ものゝほどをさだむることなり。名号を称すること、とこえひとこゑ、きくひと、うたがふこゝろ一念もなければ実報土へむまるとまふすこゝろなり。(真聖全二の六一九)
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とあるように、ここの称は「信知弥陀本弘誓願及称名号」の称であり、金剛心具足の信後の称名であるので、これによって教法をはかり定めて信心を成立ぜしめる意があるとすることは出来ないのである。これは既に信を具足した称名なのである。ここに、はかりとある意は伝統的にいわれているように「法体のもようしのまますなおに動く」<ref>⑤大江淳誠氏『教行信証講話』一四O頁。</ref>と解釈する方が妥当であろう。更に氏は前引の『一念多念文意』の「名号を称すること、とこゑひとこゑきくひとうたがうこころ一念もなければ……」とある文、『尊号真像銘文』に「下至といふは十声にあまれるもの一念二念聞名のもの」(真聖全二の五六六)とある文により、親鸞においては、仏の名号を称することは、またそのま仏の名号を聞くことに重なるものであって、称名とはその本質においては聞名でなければならないのであり、その称名によってついには信心が成立するのである<ref>⑥「親鸞における念仏と信心」(真宗学第45・46、六九頁以下)</ref>、とも主張するのである。しかし『一念多念文意』の文については既述のように、ここの称名は既に信心が具足された称名なのであり、又『尊号真像銘文』の文についても、この「下至十声」は『観念法門』の本願加減の丈の「下至十声」であり、これも既に信心具足している称名であることは至極当然である。このように、これらの称名は「聞其名号信心歓喜」した後の信後の称名であることは明らかであり、氏のように、これらの文によって自己の称名が聞名となってついには信心が成立するのであるから、大いに称名に励むぺきであると主張することは謬見も甚だしきものである。
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又、氏は「親鸞における念仏と信心」に
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:この称名念仏とは信心への方便階梯であると同時に、またその根底においては、念々の称名念仏それ自身がすでに究竟の意味をもち、この称名念仏のほかに信心はなく、念仏は即ち信心であるともいわねばならない(真宗学45、46、71頁)
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と述べて、信前の方便階梯の念仏と信心具足の念仏とが全く区別のない同一のものであるかの如き見解を示し、次下には
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:その念仏と信心との関係についても、「念仏から信心へ」「念仏即信心」(信心即念仏)「信心から念仏へ」の三種の類型が見られて、親鸞における称名念仏とは、不断の念仏相続の実践を通してこそ信心の成立があり、また念仏のほかに信心はありえず、しかもまた、その生涯を貫く念々声々の念仏は、すべてが仏恩報謝の行業にほかならず、その一声一声の称名念仏に、この三種のパターンが複合的に重層していることが明らかとなった。(同、76頁)
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と述べている。即ち宗祖においては一称名の上に信心成立のための信前の称名と同時に仏恩報謝の称名が存しているというのであるが、果たしてこのようなことがあり得るのであろうか。又宗祖はそのような見解を示していられるのであろうか。『教行信証』総序には
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:真宗の教行証を敬信して、特に如来の恩徳の深きことを知んぬ。(真聖全二の一)
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と述べ、『化巻』三願転入の文には
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:愛に久しく願海に入りて深く仏恩を知れり(真聖全二の一六六)
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と述べ、又『正像末和讃』には
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:釈迦弥陀の慈悲よりぞ 願作仏心はえしめたる 信心の智慧にいりてこそ 仏恩報ずる身とはなれ(真聖全二の五二〇)
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等と述べているように、信心をうることによってはじめて仏恩を知る(報ずる)身となることを述ぺている。このことは『化巻』真門釈に
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:真に知んぬ、専修にして雑心なる者は、大慶喜心を獲ず、故に宗師は彼の仏恩を念報ずること無し……と云へり。(真聖全二の一六五)
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とあるように、未だ弘願(十八願)の信に到達していない真門(二十願)の行者には仏恩報ずる心は決してありえないと述べていることから一層明確に窺えよう。
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このように宗祖においては、仏恩報謝のこころは信後においてのみ生ずるのであり、信前においては、たとえ弘願に最も近接せるとも考えられる真門(二十願)の行者においても仏恩報ずるこころはないと述べられているのであるから、信楽氏の主張するように、一声一声の称名念仏に「念仏から信心へ」、「念仏即信心」、「信心から念仏へ」の三種のバターンが複合的に重層しているとし、一称名の上に信心を成立させる意と仏恩報謝の意が同時に存在するなどということは全くありえないことである。十八願転入の文に「愛に久しく願海に入りて深く仏恩を知れり、至徳を報謝の為に、真宗の簡要を摭ふて、恒常に不可思議の徳海を称念す」(真聖全二の一六六)とあるように、十八願転入後の宗祖の念仏はすべて報謝の念仏であり、そこには今さら信心成立のために励む意など全くあろうはずはないのである。
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===四===
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以上、岡・信楽両氏の念仏論における賛成しかねる点を述べた。両師の理解の根本的な問題点は、岡氏においては『行巻』出体釈の「称無碍光如来名」が信の有無にかかわらず.大行であるべきことが主張され、信楽氏においては、称名には三つのパターンが複合的に重層するとして、信心成立のための念仏と報恩の念仏とが同時に存するという主張がなされているように、両氏共に未だ信心の具足していない信前の称名と信心具足後の称名との分別が極めて不明確であると考えられる点である。そしてこの点は真宗教学引いては真宗安心上の最も重大な点である。
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岡氏は「我々の大半は現在真宗の法に摂するとはいえ、称名をただ有難がっている者ではない。むしろ信の確立が自覚されえず、その一点を厳しく問いつづけているものだといわねばならない」<ref>⑦「親鸞における行の研究」(真宗学45・46、一二一頁)</ref>と自らの信体験のないことを告白しているが、これでは信前の称名と信後の称名との区別もつかないのは当然である。<br>
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又信楽氏は「親鸞における行道、浄土真宗の信心の道とは、教法に対する深い帰依、信認としての信を初門とし、ひたすらなる称名念仏一行を実践奉行することをとおして次第にその帰依信認の心を相続徹底しついには阿弥陀仏と自己とについて主体的に信知の体験としてまことの信心を成就してゆく道であって、それをまた称名の道ともいわれる」<ref>⑧「親鸞における称名の意義」(真宗学55、三二頁)</ref>と、宗祖における信決定(信心成就)はあくまで未来のことであったかのように述べ、又「私は釈尊の教法を通して、更にまた親鸞の教説によって、おのれの人生の姿勢をこのように学んでいる。それは私にとって遥かなる険悪な道であろうが、この道こそが仏道であり、そしてまたここにこそ、親鸞に学ぶ念仏の道があると領解しているものである」<ref>⑨「浄土」(『親鸞思想入門』所収、一二三頁)</ref>と、自分の信仰の立場を述べているが、遥かなる険悪な道に挑むところに念仏の道があるというのであって、あくまでも信決定を未来においているのであり、宗祖の「遇い難くして今遇うことを得たり、聞き難くして已に聞くことを得たり」と述べる信後の立場とは明らかに相違するものであるといわねばならぬ。
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要するに、自らが信体験をもち、本願の救いを慶び、報謝の念仏をする身にならない限り、称名報恩の意味も理解できないであろうし、信前の称名と信後の称名との区別もつかないであろう。ここに岡・信楽両氏の所論の根本的に検討すべき問題点があるように思われる。
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2014年11月13日 (木) 11:39時点における最新版

宗祖における信心と念仏

──念仏を中心として──

紅楳英顕

 最近 "浄土真宗の信仰とは一体何か”とか、”真宗の信仰をもって生きるとは、具体的にはどのようなことか”ということがよく問われ、それに関連して「平和間題」「神社問題」あるいは「公害問題」等に真宗者として如何にかかわるべきであるかというようなことが問題にされている。この種の問題においても、真宗者として如何に対応するかを考える場合には何といっても、宗義の根本である信心・念仏についての正しい理解と領解がなければならいことは当然である。もしこのことを欠いたままで徒らに真宗者のあるべき姿が論じられるならば、それは反宗教主義者が理想とするような、およそ宗祖の意とは隔った人間像が真宗者のあるべき姿とされるような、極めて不可解な結果が生じることにもなろう。

 宗学研究者の中にも内部においてこれと全く同様な問題を持つ人達を見ることは遺憾千万である。信心念仏についての正しい体験と認識を持たずして、徒らに自説を主張するならば全く独りよがりの独断外道の類と言っても言い過ぎではないであろう。

 従来浄土真宗において宗義の根本命題とされた「信心正因、称名報恩」について近年反対の意見がかなり出されているが、その代表的な研究者として龍谷大学真宗学教授である岡亮二、信楽竣麿の両氏が挙げられよう。 もっとも私も宗祖の上の称名念仏がすべて報恩の意味のみで語られていると主張するものではないが[1]、私見によれば岡・信楽両氏の信心・念仏の理解の上に相当重要な問題点があるように思われる。以下、宗祖における信心と念仏について考察しながら、岡・信楽両氏の所論の閲題点を検討したいと思う。

岡氏は「親鸞における行の研究」に

私は親鸞思想の定説である「信心正因 称名報恩」の説に疑問を堤(呈?)し、もし「行巻」の思想を重視するならば、単にかかる範疇のなかで親鸞思想を捉えようとすることに問題が残ることを指摘した。行巻の称名には、明らかに「称名報恩」の義とは異なった方向が示されているからで、しかもそれが「衆生の称名」という形態を取っている。さればこの「行巻」の称名をいかに解するかが次の閥題となる。この場合、単なる「称名報恩」の義ではないとするならば、その称名には、称名が正因になる「称名正定業」の義が含まれることになる。(中略)われわれが今述べようとするそれは、行巻の「大行出体釈」の思想のなかにみられる称名を指すものだから、明らかに知られるごとく、そこでは「大行者則称無碍光如来名」と示され、それを「斯行即是摂諸善法具諸徳本」と受けている。さればこの「称名」は諸善本諸徳本を具し、明確に往生の業因となりうる称名といわねばならず、しかもそれは「信巻」に先だって論ぜられている。信巻に先だつとは、この称名は衆生の獲信の有無にかかわらず「正定業」の義が有せられていることを意味している。従来の宗学では、この「称名」を諭ずるに、信の有無を最も重視したのであるが、しかしこの点に関する限り、信を離れた称名、しかもそれが正定業となるべき義が親鸞思想の上にみられといわねばならない。(真宗学第45・46、10頁)

と述べている。又「親鸞における信と念仏」には、

我々にとっての、信(真実心)を生起せしめるカが、仏の大行ということになる。されば大行は常に衆生の信に先だつものであらねばならず、この大行を親鸞は「称名」としておさえるのであるから、称名には衆生の信の有無にかかわらず、大行としての力用が存在することになる。だが現在の宗学の定義では、この大行としての称名を真実信獲得以後の称名だとする。ここに私にとっての一つの疑問があるわけで、例えばこのように定義づけると、親鸞の著述には随処に矛盾が見られることになるのである。その顕著な一例に、行一念と信一念の関係があげられる。『教行信証』を繙けば親鸞は行一念から信一念の方向を取っている。それは行巻と信巻の流れによりみても明らかであるが、宗学の定義に従うかぎり、この関係を逆にして信一念の後に行一念を置く方向を取っているからである。このように見てくると宗義の根本は「信心正因・称名報恩」の思想まで、疑問を波及することになる。親鸞は称名を「正定の業」だという。正定業とは、まさしく往生を決定せしめる業因の意であるから、称名が信心を決定せしめる業力だということであって、決して信心が決定して後の報恩行を「正定業」だというのではない。かくて称名行には信を生起せしめる性格を認めねばならず、単に「信心正因、称名報恩」というのみでは、親鸞の称名義はおさえられなくなるであろう。(龍大論集四0八、25頁)[2]

と述べている。即ち大行は衆生の信に先立つのであるから、称名には信の有無にかかわらず大行の義や正定業の義があるのであり、決して信後の行のみに大行の義や正定業の義があるのではない、と述べ、その理由として『教行信証』において「行巻」が「信巻」に先立っており、行一念から信一念の方向がとられていることを挙げている。 又「真宗における行の研究」には「たとえその称名に信がなくとも、あるいは自力の称名であったとしても、称名がひとたび大行と呼ばれる以上は、大行義が成立しなければならないのだ」(真宗学第43号、15頁)ともいうのであり、自力の称名であっても大行であるべきことを主張するのである。しかしながら、果して「行巻」出体駅の「大行者称無碍光如来名」とある「称無磯光如来名」とあるものが信の有無に関係がないと言えるのであろうか。

宗祖は「総序」に

爰に愚禿釈の親鸞慶ばしい哉、西蕃・月氏の聖典、東夏日城の師釈に遇ひ難くして今遇ふことを得たり、聞き難くして巳に聞くことを得たり。(真聖全二の一)

と述べている。ここにある「遇ふ」とは『一念多念文意』に「遇はまうあふといふ、まうあふとまふすは、本願力を信ずるなり」(真發全二の六一七)とあり「聞」については『信巻』に『聞といふは衆生仏願の生起本末を聞きて疑心有ること無し、これを聞というなり」とあり、又『一念多念文意』に「きくといふは、本願をきゝて、うたがふこころなきを聞といふなり、またきくといふは、信心をあらわす御のりなり」(真聖全二の六0五)とあるように、「遇ふ」も「聞く」も共に信を意味するものである。従って宗祖自身が「已に獲信せられた」立場において『教行信証』は書かれているのであるから、『行巻』出体釈の「称無碍光如来名」が信に無関係のものであるなどとは考えられない。そして『行巻』冒頭には「謹んで往相の回向を按ずるに、大行有り、大信有り」(真聖全二の五) とあるように、弥陀の往相回向に大行有り、大信ありと示されているように、弥陀の回向法として大行・大信があるのであり、決して別個のものではないことが示され、又『末灯紗』には岡氏の指摘する行一念・信一念について「信の一念・行の一念ふたつなれども、信をは離れたる行もなし、行の一念をはなれたる信の一念もなし」(真聖全二の六七二)とあるように、行一念と信一念は不離なるものであることが述べられているのである。更に『化土巻』 には「横超とは本願を憶念して自力之心を離る、是を横超他力と名づくる也。斯れ即ち専の中の専、頓の中の頓、真の中の真、乗の中の一乗なり。斯れ乃ち真宗也。已に真実行之中に顕し畢んぬ」(真聖全一の一五五)とあるように、横超とは本願を憶念して(信じて)自力の信を離れることであるといい、これは已に真実行(行巻)の中に顕したというのであるから、『行巻』に明された行は本願を信じ自力の心を離れたものでなくてはならないのである。 従って『行巻』出体釈の「称無碍光如来名」も当然信を具足したものでなければならないのであり、信を具足しているからこそ大行なのである。

以上によって明らかなように『行巻』出体釈に「大行者称無碍光如来名」とある大行は、信の有無にかかわらず成立するのであり、自力の称名も大行であるという岡氏の見解は全く宗祖の意を正解せざる誤謬の失を侵すものであると断ぜざるを得ない。再言すれば他力信心を具足してこそ、大行であり、正定業なのである。岡氏の所論の如きは先ずこの点の理解において、大きな過失を犯しているといわねばならない。[3]

次に信楽氏の所論であるが氏は「親鸞における念仏と信心」において

「信心正因、称名報恩」という理解、更にはまた「信前称後」という解釈は、親鸞における念仏思想の一面を明かしているとしても、決してその全体をまさしく把捉し解明したものだとはいいえず、真宗教義がひとえに親鸞を基本的立場とする限り、そのことは再検討されねばならないであろう。(真宗学第45.46合併号、80頁)

と述べ、又『浄土教における信の研究』のはしがきには

伝統の真宗学においては、信心を解釈するについて、その行道の構造を示すに「信心正因、称名報恩」と語っているが、このこともまた、親鸞における信の論理に契合する理解かどうかは、はなはだ疑問である。親鸞の主著である『顕浄土真実教行証文類』六巻に明かされた浄土真宗の綱格は、かかる構造とは明確に相違している。このような信心は業因であり称名は報恩であるとする如き解釈は、むしろ親鸞以後に本願寺教団が次第に形成されてゆく過程の中で生みだされたものにほかならない。親鸞が明した浄土真宗とは、教法にみちびかれて念仏もうし、その日々の念仏の営みにおいて信心をえ、すでにここにして救われて生きる道を指示するものであったのである。その意味では、親鸞においては、称名念仏とは、単なる如来から私への受け身の論理に基づく「報恩の行業」のみではなく、それはまた、ただ念仏のみぞまことにておわします、といわれる如き、ひたすらに出世を志向しこの世俗を踏み超えて生きる。自己の人生における厳しい『選びの行道』でもあったのである。

等と述べている。そして宗祖の称名念仏に二側面があるとして「親鸞における念仏と信心」に

即ち、その私から如来への方向における実践論的な側面としての、易行性、易修性についていうならば、親鸞における念仏とは、信心成立のための方便階梯という意味をもつものであり、その如来から私への方向における原理論的な側面としての、善根性、超勝性についていうならば、念仏とは、すでにその一声一声において、名号が宿すあらゆる善根功徳を、つねに完結的に領受するという意味をもつこととなるのである。親鸞における称名念仏について考察する場合、もとよりその両者を明確に区分することは困難であるとしても、その念仏がもっている、かかる二側面についての充分な留意が必要であると思われる。しかしながら、従来の研究において、そのことに対する配慮がまったく欠落していたことは深く再考されるべきであろう。(真宗学45.46、67頁)

と述べているように、宗祖における念仏に、信心成立のための方便階梯の意味と、一声一声において名号が宿すあらゆる善根功徳を完結的に領受するという意味との二側面のあることを述べ、従来の研究ではこのことに対する配慮が欠落していたと主張しているのである。それから次下に、念仏の実践的側面が、信心成立のためのプロセス方便手段となる理由として『一念多念文意』に「称は御なをとなふるとなり、また称ははかりといふこころなり、はかりといふはもののほどを定むることなり」(真聖全二の六)とある文、『行巻』引用の『往生論註』の称彼如来名とある称の註に「軽重を知るなり」とあるにより、親鸞における称名とは不断相続の実践を通して、名号をその開顕として教法を次第に「はかり」「さだめ」「知る」ことであり、「地獄一定」と「往生一定」のいわれを称知し信知していくのであり、信心成立のためのブロセス階梯の意味をもつことになるのである[4]、と述べている。
しかし前にもふれたように「行巻」に明されている称名は信を具足したものについてであるから、そこに引用された『論註』の「称彼如来名」も当然信心具足の称名なのであり、又『一念多念文意』の文も、そこには

「今信知弥陀本弘誓及称名号」といふは、如来のちかひを信知すとまふすはこゝろなり。「信」といふは金剛心なり、「知」といふはしるといふ、煩悩悪業の衆生をみちびきたまふとしるなり。また「知」といふは観なり、こゝろにうかべおもふ観といふ、こころにうかべしるを知といふなり。「及称名号」といふは、及はおよぶといふは、かねたるこゝろなり、称は御なをとなふるとなり、また称ははかりといふこゝろなり、はかりといふは、ものゝほどをさだむることなり。名号を称すること、とこえひとこゑ、きくひと、うたがふこゝろ一念もなければ実報土へむまるとまふすこゝろなり。(真聖全二の六一九)

とあるように、ここの称は「信知弥陀本弘誓願及称名号」の称であり、金剛心具足の信後の称名であるので、これによって教法をはかり定めて信心を成立ぜしめる意があるとすることは出来ないのである。これは既に信を具足した称名なのである。ここに、はかりとある意は伝統的にいわれているように「法体のもようしのまますなおに動く」[5]と解釈する方が妥当であろう。更に氏は前引の『一念多念文意』の「名号を称すること、とこゑひとこゑきくひとうたがうこころ一念もなければ……」とある文、『尊号真像銘文』に「下至といふは十声にあまれるもの一念二念聞名のもの」(真聖全二の五六六)とある文により、親鸞においては、仏の名号を称することは、またそのま仏の名号を聞くことに重なるものであって、称名とはその本質においては聞名でなければならないのであり、その称名によってついには信心が成立するのである[6]、とも主張するのである。しかし『一念多念文意』の文については既述のように、ここの称名は既に信心が具足された称名なのであり、又『尊号真像銘文』の文についても、この「下至十声」は『観念法門』の本願加減の丈の「下至十声」であり、これも既に信心具足している称名であることは至極当然である。このように、これらの称名は「聞其名号信心歓喜」した後の信後の称名であることは明らかであり、氏のように、これらの文によって自己の称名が聞名となってついには信心が成立するのであるから、大いに称名に励むぺきであると主張することは謬見も甚だしきものである。

又、氏は「親鸞における念仏と信心」に

この称名念仏とは信心への方便階梯であると同時に、またその根底においては、念々の称名念仏それ自身がすでに究竟の意味をもち、この称名念仏のほかに信心はなく、念仏は即ち信心であるともいわねばならない(真宗学45、46、71頁)

と述べて、信前の方便階梯の念仏と信心具足の念仏とが全く区別のない同一のものであるかの如き見解を示し、次下には

その念仏と信心との関係についても、「念仏から信心へ」「念仏即信心」(信心即念仏)「信心から念仏へ」の三種の類型が見られて、親鸞における称名念仏とは、不断の念仏相続の実践を通してこそ信心の成立があり、また念仏のほかに信心はありえず、しかもまた、その生涯を貫く念々声々の念仏は、すべてが仏恩報謝の行業にほかならず、その一声一声の称名念仏に、この三種のパターンが複合的に重層していることが明らかとなった。(同、76頁)

と述べている。即ち宗祖においては一称名の上に信心成立のための信前の称名と同時に仏恩報謝の称名が存しているというのであるが、果たしてこのようなことがあり得るのであろうか。又宗祖はそのような見解を示していられるのであろうか。『教行信証』総序には

真宗の教行証を敬信して、特に如来の恩徳の深きことを知んぬ。(真聖全二の一)

と述べ、『化巻』三願転入の文には

愛に久しく願海に入りて深く仏恩を知れり(真聖全二の一六六)

と述べ、又『正像末和讃』には

釈迦弥陀の慈悲よりぞ 願作仏心はえしめたる 信心の智慧にいりてこそ 仏恩報ずる身とはなれ(真聖全二の五二〇)

等と述べているように、信心をうることによってはじめて仏恩を知る(報ずる)身となることを述ぺている。このことは『化巻』真門釈に

真に知んぬ、専修にして雑心なる者は、大慶喜心を獲ず、故に宗師は彼の仏恩を念報ずること無し……と云へり。(真聖全二の一六五)

とあるように、未だ弘願(十八願)の信に到達していない真門(二十願)の行者には仏恩報ずる心は決してありえないと述べていることから一層明確に窺えよう。

このように宗祖においては、仏恩報謝のこころは信後においてのみ生ずるのであり、信前においては、たとえ弘願に最も近接せるとも考えられる真門(二十願)の行者においても仏恩報ずるこころはないと述べられているのであるから、信楽氏の主張するように、一声一声の称名念仏に「念仏から信心へ」、「念仏即信心」、「信心から念仏へ」の三種のバターンが複合的に重層しているとし、一称名の上に信心を成立させる意と仏恩報謝の意が同時に存在するなどということは全くありえないことである。十八願転入の文に「愛に久しく願海に入りて深く仏恩を知れり、至徳を報謝の為に、真宗の簡要を摭ふて、恒常に不可思議の徳海を称念す」(真聖全二の一六六)とあるように、十八願転入後の宗祖の念仏はすべて報謝の念仏であり、そこには今さら信心成立のために励む意など全くあろうはずはないのである。

以上、岡・信楽両氏の念仏論における賛成しかねる点を述べた。両師の理解の根本的な問題点は、岡氏においては『行巻』出体釈の「称無碍光如来名」が信の有無にかかわらず.大行であるべきことが主張され、信楽氏においては、称名には三つのパターンが複合的に重層するとして、信心成立のための念仏と報恩の念仏とが同時に存するという主張がなされているように、両氏共に未だ信心の具足していない信前の称名と信心具足後の称名との分別が極めて不明確であると考えられる点である。そしてこの点は真宗教学引いては真宗安心上の最も重大な点である。 岡氏は「我々の大半は現在真宗の法に摂するとはいえ、称名をただ有難がっている者ではない。むしろ信の確立が自覚されえず、その一点を厳しく問いつづけているものだといわねばならない」[7]と自らの信体験のないことを告白しているが、これでは信前の称名と信後の称名との区別もつかないのは当然である。
又信楽氏は「親鸞における行道、浄土真宗の信心の道とは、教法に対する深い帰依、信認としての信を初門とし、ひたすらなる称名念仏一行を実践奉行することをとおして次第にその帰依信認の心を相続徹底しついには阿弥陀仏と自己とについて主体的に信知の体験としてまことの信心を成就してゆく道であって、それをまた称名の道ともいわれる」[8]と、宗祖における信決定(信心成就)はあくまで未来のことであったかのように述べ、又「私は釈尊の教法を通して、更にまた親鸞の教説によって、おのれの人生の姿勢をこのように学んでいる。それは私にとって遥かなる険悪な道であろうが、この道こそが仏道であり、そしてまたここにこそ、親鸞に学ぶ念仏の道があると領解しているものである」[9]と、自分の信仰の立場を述べているが、遥かなる険悪な道に挑むところに念仏の道があるというのであって、あくまでも信決定を未来においているのであり、宗祖の「遇い難くして今遇うことを得たり、聞き難くして已に聞くことを得たり」と述べる信後の立場とは明らかに相違するものであるといわねばならぬ。

要するに、自らが信体験をもち、本願の救いを慶び、報謝の念仏をする身にならない限り、称名報恩の意味も理解できないであろうし、信前の称名と信後の称名との区別もつかないであろう。ここに岡・信楽両氏の所論の根本的に検討すべき問題点があるように思われる。


  1. ①称名については、称名報恩の義と称名正定業の義とが語られるのであり、宗祖における称名に、報恩の意味のみでなく、正定業の意味もあることは従来から指摘されている。
  2. ②『親鸞の信と念仏』所収、二四四頁。
  3. ③紙数の都合で信の問題にふれることは出来ないが、岡氏の信についての閥題点は拙稿「親鸞における疑蓋旡雑について」(日本印度学仏教学研究、第二十六の一(51)、二O三頁以下)に少々ふれた。
  4. ④「親鸞における念仏と信心」(真宗学第45・46、六七頁以下)
  5. ⑤大江淳誠氏『教行信証講話』一四O頁。
  6. ⑥「親鸞における念仏と信心」(真宗学第45・46、六九頁以下)
  7. ⑦「親鸞における行の研究」(真宗学45・46、一二一頁)
  8. ⑧「親鸞における称名の意義」(真宗学55、三二頁)
  9. ⑨「浄土」(『親鸞思想入門』所収、一二三頁)