「法然教学の研究 /第二篇/第三章 法然聖人の信心論/第三節 深心の意義」の版間の差分
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第三章 法然聖人の信心論
第三節 深心の意義
一、二種深心について
深心とは「深信之心」であると法然は規定されているが、言うまでもなく『散善義』の深心釈の冒頭の文に依られたのである。そこには、
- 二者深心、言二深心一者即是深信之心也、亦有二二種一、一者決定深信自身現是罪悪生死凡夫、曠劫已来常没常流転、無一レ有二出離之縁一。二者決定深信下彼阿弥陀仏四十八願摂二受衆生一、無レ疑無レ慮乗二彼願力一定得中往生上。[1]
といわれている。
この「深く信ずる心」というときの「深」とは、「決定」を意味していることは、疏文に「決定深信」とあることによって知られるが、法然も「決定心をすなわち深心となづく」といわれている。[2]「信心」とは「無疑心」であり「疑慮なき心」であって、法然が「深心といふは疑慮なき心也」といわれたものがその意をあらわしている。「十八条法語」(『指南抄』中本・真聖全四・一三三頁) また信を「たのむ」という和語で表現されることもある。たとえば『浄土宗略抄』に、
- 詮じては、仏のちかひをたのみて、いかなるところをもきらはず、一定むかへ給ふぞと信じて、うたがふ心のなきを深心とは申候也。[3]
といわれたように「仏のちかひをたのむ」ことと「一定むかへ給ふぞと信ずる」ことと、「うたがふ心なき」ことは、いずれも深心、すなわち信心の義をあらわしているのである。あるいは又「ふた心なく念仏するを深心具足といふなり」[4]といい、「無二心」の意味とされたり、善導の二河譬の文によって「二尊の心に信順して水火二河をかへりみず」と「信順」の義とされる場合もある。[5] さらにこの無疑信順のこころを「わたくしのはからひをまじえない」ことであるともいわれている。[6] 要するに深心とは、決定の信心のことであって、無疑、信順、無二心(一心)、はからいをはなれた心をいい「たのむ」という和語でいいあらわされるような心をいう。[7]
なお「往生大要抄」の深心釈によると、法然は、世間の人々の信心に対する誤解を指摘して次の如くいわれている。
- おほかたこの信心の様を、人の心えわかぬとおぼゆる也。心のぞみくと身のけもいよだち、なみだもおつるをのみ信のおこると申すはひが事にてある也。それは歓喜、随喜、悲喜とぞ申べき、信といはうたがひに対する心にて、うたがひをのぞくを信とは申すべき也。みる事につけても、きく事につけても、その事一定さぞとおもひとりつる事は、人いかに申せども、不定におもひなす事はなきぞかし、これをこそ物を信ずるとは申せ。[8]
すなわち信とは、見聞することについて、疑いをさしはさまず、さぞと決定的に思いとって、不定におもいなすことのない無疑決定心をいうのであって、歓喜、随喜、悲喜というような感情的な心情とは性格が異っていると注意されている。
こうして深心とは、はからいなく仏語に信順し、阿弥陀仏の本願をふたごころなくたのむ無疑決定の信心のことであった。その信心の相をくわしくのべたものが、善導の『散善義』の深心釈であった。初めに深く信ずる相を機法の二種に開いて示し、さらに法の深信について、『大経』、『観経』、『小経』の法門を信ずべきことを説き、三遺三随順を明かし、仏語を信じて不了義を信じてはならないことを誡め、さらに自心の建立を明かすといった六相を開き、親鸞のいわゆる七深信、六決定の広釈が施されている。[9]しかしそれは要するに第一の機の深信と、第二の『大経』によって乗彼願力を信ずる法の深信に結帰していくから、『礼讃』の深心釈は、この二種の深信のみをあげられたのである。
- 二者深心、即是真実信心。信知自身現是具足煩悩凡夫、善根薄少流転三界、不出火宅。今信H知弥陀本弘誓願、及称名号下至十声一声、定得往生乃至一念無有疑心、故名深心。[10]
法然はこれを『選択集』「三心章」の私釈において「今建立二種信心、決定九品往生者也」といい、「二種信心」と名づけ、上々品から下々品に至るまで、すべての機は、この二種の信心によって往生を決定するのであるといわれている。[11]「三心章」では、この二種信心(二種深信)についての詳釈はないが、「往生大要抄」には次のように述べられている。
- わたくしに此二つの釈を見るに、文に広略あり、言ばに同異ありといへども、まづ二種の信心をたつる事は、そのおもむきこれひとつなり。すなはち二の信心といは、はじめにわが身は煩悩罪悪の凡夫也、火宅をいでず、出離の縁なしと信ぜよといひ、つぎには決定往生すべき身なりと信じて一念もうたがふべからず、人にもいひさまたげらるべからずなんどいへる、前後のことば相違して、心えがたきににたれども、心をとゞめてこれを案ずるに、はじめにはわが身のほどを信じ、のちにはほとけの願を信ずる也。たゞしのちの信心を決定せしめんがために、はじめの信心をばあぐる也。……所詮は深信といは、かのほとけの本願は、いかなる罪人をもすてず、たゞ名号をとなふる事一声までに、決定して往生すとふかくたのみて、すこしのうたがひもなきを申す也。[12]
すなわち第一深信は、自身は罪悪生死の凡夫であって、出離の縁なき身であると信ずることであり、第二深信は、かかる身が本願力に乗じて念仏往生せしめられると信ずることであって、前者を機の深信、あるいは信機、後者を法の深信、あるいは信法といいならわしている。なお「往生大要抄」には、法の深信についての疏釈を、所信に約して二種に分類し「二つの心あり、すなはちほとけについてふかく信じ、経についてふかく信ずべきむねを釈したまへるにやと心えらるゝなり」[13]といわれている。仏について信ずるというのは、一、弥陀の本願、二、釈迦の所説、三、諸仏の議勧をいい、経について信ずとは、一『無量寿経』、二『観経』、三『阿弥陀経』を疑いなく信受せよと明かされたものをいう。
ところで前掲の「往生大要抄」の文に「のちの信心を決定せしめんがために、はじめの信心をばあぐる也」とあることによって、二種深信は、二心が前後次第して起こるという説を立てる人がいる。[14] すなわち機の深信は、法の深信が成立するための前段階としての意味をもっているに過ぎないといい、究竟の深信とは法の深信、すなわち阿弥陀仏の本願に対する信だけであるとするのであって、江戸時代に出た能登の頓成の信機自力説、信機方便説はその典型である。
しかしここで「はじめ」「のち」といわれたのは、疏文の「一者」「二者」のことで、直前には「はじめに」「つぎに」といわれているように、説かれている順序を示したものであって、信心そのものが成立していく時間的、段階的前後をあらわしたものではない。また「のちの信心を決定せしめんがために……」といわれたものも、まず機の真実を知らしめ、次いで法の真実を知らしめるという説筆の次第をあらわしているのであって、信は機法の二実を如実に領解した一念に成立するのである。故に信機、信法の成就に時間的な前後はないとせねばならない。次下に示された文を見ればわかるように、二種深信の教語は我々をして断疑生信せしめていくありさまをあらわしている。
- もしはじめのわが身を信ずる様をあげずして、たゞちにのちのほとけのちかひばかりを信ずべきむねをいだしたらましかば、もろくの往生をねがはん人……弥陀の本願に十声一声にいたるまで往生すといふ事は、おぼろげの人にてはあらじ、妄念をもおこさず、つみをもつくらぬ人の甚深のさとりをおこし、強盛の心をもちて申したる念仏にてぞあるらん。われらごときのえせものどもの一念十声にてはよもあらじとこそおぼえんもにくからぬ事也。これは善導和尚は、未来の衆生のこのうたがひをおこさん事をかへりみて、この二種の信心をあげて、われらがごとき煩悩をも断ぜず罪悪をもつくれる凡夫なりとも、ふかく弥陀の本願を信じて念仏すれば、十声一声にいたるまで決定して往生するむねをば釈し給へる也。かくだに釈し給はざらましかば、われらが往生は不定にぞおぼへまし。[15]
善導が信心の相を信機信法の二種に開いて教示されたから、われらは煩悩具足の凡夫のまま、十声一声の念仏によって願力に乗じて往生を得しめられると深信することができるのである。従って深信そのものは、この教示を聞き開くところに成就するのであって、信機と信法は時間的に前後起するのでも、段階的に実現していくのでもなく、いわゆる二種一具というあり方であったといわねばならない。「十二箇条問答」に「深心といふは、仏の本願を信ずる心也」といわれているから、法然にとって深心とは法の深信だけであって、機の深信は前段階的な意味しかなかったという人もいる。しかしこの文は「われは悪業煩悩の身なれども(信機)ほとけの願力にてかならず往生するなり(信法)といふ道理をきゝて、ふかく信じてつゆちりばかりもうたがはぬ心也」とつづく文章であって、「本願を信ずる」ことの内容として、信機信法の二種がそなわっていることは明らかである。[16] 法然には逆に機の深信だけで安心を表現される場合もある。「聖道門の修行は、智慧をきわめて生死をはなれ、浄土門の修行は、愚癡にかへりて極楽にむまる」[17]といわれたものや「浄土宗の人は愚者になりて往生す」[18]といわれたものがそれである。
これは『一枚起請文』に「念仏を信せん人は、たとひ一代の御のりをよくく学すとも、一文不知の愚鈍の身になして、尼入道の無智のともからにおなしくして、智者のふるまひをせすして、たゝ一向に念仏すへし」[19]といわれたものと同意であることはいうまでもない。すなわちたとえ信法だけで語っても、信機を離しておらず、信機だけで信心を語っても、決して信法を離していないのである。
要するに二種深信(二種信心)とは、煩悩具足の凡夫を願力不思議をもって必ず救うとおおせられる釈迦、弥陀二尊の発遺、招喚に信順する一信心の二相であって、「二種の信心」といっても、信心の体が二つあるわけではない。機の深信とは、自身が現に生死出離の手がかりさえもない無有出縁の凡夫であることを信知したことであり、そこにおのずからわが身をたのみ、わが心の善悪、罪の軽重をはかって本願を疑うような自力心をはなれていく。法の深信とは、かかる身に念仏を選択し、教示し救いたまう阿弥陀仏の本願他力をたのむことである。「要義問答」に「念仏の行者は、みをば罪悪生死の凡夫とおもへば、自力をたのむ事のなくして、たゞ弥陀の願力にのりて往生せむとねがふ」[20]といわれた所以である。
後に存覚は『六要鈔』三に二種深信を釈して次のようにいわれている。
- 正明不論有善無善、不仮自功、出離偏在他力。聖道諸教、盛談生仏一如之理、今教依知自力無功、偏帰仏力、依之此信殊最要也。[21]
たしかに二種深信は、生仏一如の理を観念的にあげつらう聖道門、ことに天台本覚法門の如き、煩悩の現実を忘れて「我即仏」と語る理談に対して、痛むべき自身の罪障の現実をはっきりとみすえながら、そこに如来の大悲本願を仰いで念仏するという浄土教の特質を明確に顕わしていた。そして又信機によって自力がすたり、信法によって他力に乗托する捨自帰他の他力信心の信相をあざやかに示した妙釈だったのである。しかも罪悪深重の凡夫が救われることを知るがゆえに、下三品の機の悪も障りにならず、往生は偏えに如来の本願力によることを知るが故に、上六品の諸善も往生の助けにならぬことが明らかに知らしめられる。かくて善悪を超え、賢愚をへだてず九品の諸機を平等に救いたまうことを信知して、九品平等の信心を確立せしめていくのが二種深信の教説である。法然が「建立二種信心、決定九品往生」といわれた所以である。
二、信疑決判について
『散善義』の深心釈下に「又深心深信者、決定建立自心、順教修行、永除疑錯、不為一切別解別行異学異見異執之所退失傾動也」[22]といい、外邪異見の論難によって退失、傾動されることのない信心を確立すべきことを明かされている。[23] そして信心を建立する方法としてここには「順教修行」といわれているが、その順教、すなわち仏の教語に随順することによって信が確立することを善導は就人立信といい、修行、すなわち仏所説の行法を信ずることによって信が確立することを就行立信とよんで以下に広く釈顕されていく。
良忠の『散善義記』一によれば、就人立信の人について、①就解行不同人立不退信、②就満足大悲人立決定往生信、③就罪悪生死人立往生機信という三説をあげ、第一説は弁長の説でもあり、文に親しいといっている。[24] それに対して深励は「能説ノ人ニ付テ信心ヲ成立スルコト、今信ズル所ノ弥陀ノ本願ハ大聖釈尊ノ解説ニシテ其上ニ十方諸仏ノ証誠アリ、是ニハモフ間違ナイゾト信ジテオルノハ能説ノ人ニ付テ信ヲ立ル也」[25]といっているから、良忠の第二義を採っていることがわかる。また柔遠は「就人立信之人、即是満足大悲人、然四重破人、亦其一分」といって、能説の人たる釈迦(諸仏)を主とするが、四重の破人もその一分であるといっている。[26]今はしばらく深励の説によって就人の人は釈迦、諸仏と領解する。
就人立信釈下にあげられた四重の破人とは、①凡夫、②地前の菩薩と阿羅漢、辟支仏、③地上の菩薩、④化仏報仏をさす。もっとも現実に存在するのは凡夫の謗難であって、後の三は仮想の難であるが、たといそれらが現われて念仏往生を否認したとしても、信心を退失してはならないというのであって、浄土三部経によって、釈迦、諸仏の仏語に信順する信心の金剛堅固なることを顕示されているのである。法然や親鸞は、この文をしばしば法語や御消息のなかに引用し、さまざまな謗難にさらされていた専修念仏者の信心を守議し、指導していかれたのであった。[27]
次の就行立信とは、浄土三部経等に説かれているあらゆる往生行を、雑行と正行に分判し、さらに正行のなか、読誦、観察、礼拝、讃嘆供養の四行は非本願の行であるから助業とみなさるべきであり、第四の称名のみが仏願に順ずる正定業であると決択し、決定往生の行業として深信すべきものは称名一行であると勧められたものがそれである。
こうして煩悩具足の凡夫(信機)が、釈迦、諸仏の勧めに随順して(就人)、本願の念仏を専修すれば(就行)、仏願力に乗じて決定して往生を得ると信知する(信法)ことを深心、すなわち真実信心というのである。これによって信心とは、念仏往生と深信する心であり、念仏とは二種深信を実践している深信の行相であることがわかる。
「往生大要抄」に上来の二種深信の釈を結んで、
- たゞ心の善悪をもかへりみず、罪の軽重をもわきまへず、心に往生せんとおもひて、口に南無阿弥陀仏ととなえば、こゑについて決定往生のおもひをなすべし。その決定によりて、すなはち往生の業はさだまる也。[28]
といわれたものは、このような信行のありさまをあざやかに示されたものである。すなわち二種深信を成立せしめるような発遺、招喚の教説を聞いて、決定摂取の本願を領解すれば、「心に決定往生せん」という決定心が生ずる。その決定心をもって、正定業たる念仏を行ずれば、そこに響いている南無阿弥陀仏において決定往生の想いをなせといわれるのである。それは、一つには名号に表現されている決定摂取の仏願を聞いて、いよいよ決定往生のおもいを増上していくことであり[29]、二つには念仏するものを救うといわれた誓願に随順していることを、念仏している自身の上に確認し、往生すべき身であるという信を増上していくという意味があったと考えられる。[30]この決定の信心の成就が、すなわち往生の業因の成就なのである。
醍醐本『法然上人伝記』所収の「三心料簡事」のなかに「五決定を以て往生す」という法然の法語が収められている。五決定とは「一弥陀本願決定也、二釈迦所説決定也、三諸仏証誠決定也、四善導教釈決定也、五吾等信心決定也。以此義故往生決定也云云」といわれたものがそれである。[31] 第一の本願決定とは、正定業たる念仏を選択して、決定摂取を誓われたことをいうのだから就行立信にあたり、釈迦、諸仏、善導教釈決定は就人立信にあたる。
すなわち所説所讃と能説能讃を開いたもので、全うじて所信の法の決定をあらわしている。第五の信心決定は、それを領解した機受の信で、二種深信のことである。要するに能説の人も所説の法も決定的であるから、それを信受した能信も決定的であり、必然的に往生は決定であるといわれるのである。前述のように「往生大要抄」に「その決定の心によりてすなはち往生の業はさだまるなり」といわれた所以である。
正定の業因として如来が選択し成就された本願の名号を、はからいなく信受して称えていくとき、名号は正しく自身往生の業因として主体化されていく。逆にいえば、たとえ念仏という万人の救われる正定業が成就されていても、疑惑し領受しないならば、自身の往生の業因とはならないのである。選択本願念仏という、万人を平等に救う普遍の行法は、すでに成就されているが、私という個人の救いが成就するか否かは、選択本願を信ずるか疑うかによって決定する。『選択集』「三心章」に信と疑をもって、生死と涅槃の得失を決定されたのはその故である。すなわち曰く、
- 当知生死之家、以疑為所止、涅槃之城、以信為能入、故今建立二種信心、決定九品往生者也。[32]
信心が菩提涅槃の因であるということは、すでに『涅槃経』[33]に説かれ、源信は『往生要集』「第五助念方法」の修行相貌釈下に『礼讃』の三心釈とならんで引用されていた。『往生要集』大門第五「助念方法」(真聖全一・八一六頁) ところで信疑決判は先哲もすでにそろって指摘されているように『大経』の胎化段の信疑得失の教誡から重要な示唆を受けられたことは充分考えられる。[34]もっとも胎化段は、往生人の胎生と化生という果相について、それをあらしめた因の疑惑仏智と、明信仏智とを明確に的示して、真仮廃立を行われたものである。それに対して今は生死輪廻と、涅槃とを相対して、迷いと悟りの分れ目は、本願を疑うか信ずるかによって決定すると、信疑をもって、迷悟の決判を行われるわけであるから、胎化得失とはいささか所顕が異っている。むしろ信と疑をわって、生死と涅槃とを分判する例は、善導の三心釈等にあったとすべきであろう。『散善義』の三心釈のはじめに「弁定三心以為正因」と標し、深心釈において就人就行の立信を明かして疑慮を誡め、信順を勧め、四重の破人をあげて金剛不壊の信心を説き、回願心釈に金剛の如き決定深信をあげ、異学異見に惑わされて進退心(疑心)を生じて回顧すれば道より落ちて往生の大益を失うと信疑を対望されたものなど、いずれも信疑をもって迷悟を分けるものである。また『法事讃』下に「衆生邪見甚難信、専々指授帰西路、為他破壊還如故、曠劫已来常如此」という如きは、疑いによって生死に止まる相を明らかにされている。[35]
本願を信じ念仏すれば、善悪を簡ばず往生するという選択本願念仏の法門がすでに成就しているのであるから、本願を信ずるものは必定して涅槃に入る。それゆえ「涅槃之城、以信為能入」といわれたのである。信心が正しく涅槃に至る因となるからである。しかし本願を信じない、疑惑の行者は生死界にとどまらねばならない。もちろん生死界にあって六道を輪廻する親因縁は、各自の善悪業であることはいうまでもないが、生死界を超脱できないのは、本願を疑惑するからである。それを「生死之家、以疑為所止」といわれたのである。親鸞は『尊号真像銘文』にこの文を釈して、
- 当知生死之家といふは、当知はまさにしるべしと也。生死之家は生死のいゑといふ也。以疑為所止といふは、大願業力の不思議をうたがふこころをもて六道四生二十五有十二類生にとゞまると也。いまにひさしく世にまよふとしるべしと也。涅槃之城とまふすは安養浄刹をいふ也。これを涅槃のみやことはまふすなり。以信為能入といふは、真実信心をえたる人の如来の本願の実報土によくいるとしるべしとのたまへるみことなり。信心は菩提のたねなり。无上涅槃をさとるたねなりとしるべしとなり。[36]
といわれている。親鸞が「涅槃真因、唯以信心」といい、信心をもって「証大涅槃之真因」といわれた、いわゆる信心正因説は、まさしく法然のこの信疑決判をうけて展開されたものといえよう。[37]
ともあれ信と疑をもって、迷悟を分判するということは、従来の仏教の迷悟の因果論を超越した、新しい仏道領解の枠組みを提供されているとしなければならない。生死の苦果は、無明煩悩に縁って起こっている。それゆえ、生死の苦を滅して、涅槃の果をうるためには、八正道(あるいは六波羅蜜等)の行を実修して無明煩悩を断じなければならないというのが、苦集滅道の四諦の教説が示す迷悟の因果論であった。それはたしかに迷悟の事実を示していた。従来の仏道体系はこの四諦の因果を座標軸として成立していたのである。それを法然は自力断証の聖道門と名づけられたのであった。
しかし阿弥陀仏の本願力によって一毫未断の凡夫が報土に往生し涅槃を証せしめられるという本願力の救済体系が成就している以上、凡夫が生死海にとどまっているのは、必ずしも煩悩があるからではなくて、本願を信じないからであるといわねばならない。それは自力断証の四諦の因果を認めながらも、それを包んで越えるような思議を絶した救済の因果であった。法然によれば阿弥陀仏の成仏の因果の徳は、すべて名号に摂在せしめられ、それを称える衆生の往生成仏の因となっていくように選択されており、それが本願の念仏であった。いいかえれば本願の不思議力によって如来の成仏の因果が、衆生の往生の因果を成就していくのであって、このような法門を法然は浄土門と名づけられたのであった。
「浄土宗大意」において「自力断惑出離生死の教」である聖道門に対してそれを「他力断惑往生浄土門」とよび、後者を「二超の中には横超也」といい、「思不思のなかには不思議なり」といって、不可思議の法門とされたのであった。[38] けだし自力による断証の法門が、行によって自証していくのに対して、他力不思議の法門は釈迦弥陀二尊の発遺招喚に、はからいなく信順することによってのみ開かれていく信中心の法門なのである。こうして自力の断証という自行の因果を座標軸として構築されていた聖道門に対して、本願他力の不思議を信じて念仏するという本願他力の信を座標軸の原点とする新しい宗教的世界観を樹立していかれたのであった。
聖道門的世界観にあっては、自己の行為の善悪によって宗教的世界が形成されていくのであるから、善悪が価値の基準となっていたが、浄土教的世界観においては、不可思議なる本願を信ずるか疑うかという信疑が価値観の基準となっていた。法然が病床にあった正(聖)如房に与えられた法語に、
- われらが往生は、ゆめくわがみのよき、あしきにはより候まじ、ひとへに仏の御ちからばかりにて候べきなり。わがちからばかりにては、いかにめでたくたうとき人と申とも、末法のこのごろ、たゞちに浄土にむまるるほどの事はありがたくぞ候べき。また仏の御ちからにて候はむに、いかにつみふかくおろかにつたなきみなりとも、それにはより候まじ。たゞ仏の願力を信じ信ぜぬにぞより候べき。[39]
といわれたものは、善悪のはからいを超えて、絶対的な仏の救済力、本願力を信ずべきことをひとへに勧励されている。後に聖覚が「たゞ信心を要とす、そのほかおばかへりみざるなり」[40]といい、親鸞が「弥陀の本願には、老少善悪のひとをえらばれず、たゞ信心を要とすとしるべし。そのゆへは罪悪深重、煩悩熾盛の衆生をたすけんがための願にまします。しかれば本願を信ぜんには、他の善も要にあらず、念仏にまさるべき善なきゆへに、悪をもおそるべからず、弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきゆへに」[41]といわれたのはこの法然を伝承されたのである。
かくて法然、聖覚、親鸞等によって確立し展開せしめられた浄土教においては、行為の善悪よりも、本願への信疑が最大の問題となっていたことがわかる。如来に対する最大の反逆は、仏智の不思議をうたがうことであった。
親鸞が「誡疑讃」において「仏智うたがふつみふかし、この心おもひしるならば、くゆるこゝろをむねとして、仏智の不思議をたのむべし」といわれた所以である。[42]
- ↑ 『散善義』(真聖全一・五三四頁)◇「二には深心」と。 「深心」といふはすなはちこれ深く信ずる心なり。 また二種あり。
一には決定して深く、自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかたつねに没しつねに流転して、出離の縁あることなしと信ず。
二には決定して深く、かの阿弥陀仏の、四十八願は衆生を摂受したまふこと、疑なく慮りなくかの願力に乗じてさだめて往生を得と信ず。 七祖p.457 観経疏 散善義_(七祖)#no5 - ↑ 「大胡太郎実秀への御返事」(『指南抄」下本・真聖全四・一九一頁)
- ↑ 「九条殿北政所への御返事」(『指南抄』下末・真聖全四・二三三頁)、「往生大要抄」(『和語灯』一・真聖全四・五八〇頁)
- ↑ 「七箇条の起請文」(『和語灯』二・真聖全四・六〇三頁)
- ↑ 「要義問答」(『指南抄』下末・真聖全四・二四七頁)
- ↑ 「九条殿北政所への御返事」(『指南抄』下末・真聖全四・二三三頁)、「往生大要抄」(『和語灯』一・真聖全四・五八〇頁)
- ↑ 「黒谷上人御法語」(二枚起請文)(真聖全四・四五頁)には、「阿弥陀仏の悲願をあふぎ、他力をたのみて、名号を憚りなく唱べきなり。是を本願を憑とはいふなり。すべて仏たすけたまへと思て名号をとなふるに過たる事はなき也」といい、信心を本願他力をたのむこととし、その内容を「仏たすけたまへと思」うこととされている。しかしこの御法語は、石井教道編「昭和新修法然上人全集」では「伝法然書篇」(一一二九頁)に収め、真偽未詳とされている。但し越中勝興寺には蓮如の写本があり、蓮如の「たすけたまへと弥陀をたのむ」という教語の一つの依り処とはなったと考えられる。
- ↑ 「往生大要抄」(『和語灯』一・真聖全四・五八六頁)
- ↑ 『愚禿鈔』下(真聖全二・四六七頁)に「按文意就深信有七深信有六決定」といわれたものがそれである。
- ↑ 『往生礼讃』(真聖全一・六四九頁)
- ↑ 『選択集』「三心章」(真聖全一・九六七頁)、「観経釈」(古本『漢語灯』二・真聖全四・三五三頁)
- ↑ 「往生大要抄」(『和語灯』一・真聖全四・五七七頁)
- ↑ 「往生大要抄」(『和語灯』一・真聖全四・五八二頁)
- ↑ 頓成の信機自力説については、『能登頓成御教誡』(続真大系一八・三三一頁以下)や、藤沢教声『選択集壁底録』(一八九頁)等に出ている。最近においては浄土宗の坪井俊映氏が「法然浄土教における三心具足の過程について」(『法然上人研究』一四四頁)において、二種深信は、前後次第して起るもので信機は前段階であると見られている。
- ↑ 「往生大要抄」(『和語灯』一・真聖全四・五七八頁)、同意の文は、「浄土宗略抄」(『和語灯』二・真聖全四・六一四頁)、「御消息」一(『拾遺語灯』下・真聖全四・七五三頁)にも出ている。
- ↑ 「十二箇条問答」第六条(『和語灯』四・真聖全四・六三八頁)
- ↑ 「浄土宗の大意」(『指南抄』下本・真聖全四・二一九頁)、同じ文が「諸人伝説の詞」(『和語灯』五・真聖全四・六七七頁)、醍醐本『法然上人伝記』三心料簡事(法然伝全・七八四頁)等各所に記されている。
- ↑ 『末灯鈔』(真聖全二・六六五頁)に親鸞は「故法然聖人は、浄土宗の人は愚者になりて往生すと候しことをたしかにうけたまはり候し……」といわれている。
- ↑ 『一枚起請文』(法然全・四一六頁)
- ↑ 「要義問答」(『指南抄』下末・真聖全四・二五三頁)
- ↑ 『六要抄』三(真聖全二・二八一頁)
- ↑ 『散善義』(真聖全一・五三五頁)
- ↑ 親鸞は『散善義』のこの文を第七深信とよび、要門自力の深心を明かしたものとみなされていたことは、この文を「化身土文類」要門章(真聖全二・一五〇頁)に引用されたことからも窺われる。けだし「建立自心」という語感から自力とみなされたのであろう。しかし疏文の当分は法然が「往生大要抄」(『和語灯』一・真聖全四・五八三頁)に釈されたように、別解別行のものに破られない信心を建立する為に就人、就行の立信を明かされたものとみるべきである。もっとも親鸞も、就人就行立信を明かすところは真実とみて「信文類」(真聖全二・五四頁)に引用されている。
- ↑ 『散善義記』一(浄全二・三八六頁)
- ↑ 深励『選択集講義』(一一一頁)
- ↑ 柔遠『選択集錐指録』(真全一九・一一三頁)
- ↑ 法然は「往生大要抄」(『和語灯』一・真聖全四・五八四頁)、「浄土宗略抄」(『和語灯』二・真聖全四・六一八頁)、「御消息」第一(『拾遺語灯』下・真聖全四・七五四頁)、「大胡太郎実秀への御返事」(『指南抄』下本・真聖全四・一九〇頁)、「正如房へ遺わす書」(『指南抄』下本・真聖全四・二〇三頁)等にしばしばこの文意を引用されており、親鸞も「血脈文集」所収の五月二十九日付、善鸞義絶状(真聖全二・七一七頁)にこの文意をのべておられる。
- ↑ 「往生大要抄」(真聖全四・五八〇頁)
- ↑ 法然が「声について決定往生のおもひをなすべし」といわれたのを、名号に表現されている決定摂取の本願を聞くことだと理解し、それを継承されたのが親鸞の「行文類」(真聖全二・二二頁)の六字釈の「帰命者本願招喚之勅命也」という妙釈だったとみることができよう。
- ↑ 「諸人伝説の詞」(『和語灯』五・真聖全四・六八二頁)に「念仏だにもひまなく申されば、往生は決定としれ」といわれたものと同意である。
- ↑ 『一枚起請文』(法然全・四一六頁)
- ↑ 『選択集』「三心章」私釈(真聖全一・九六七頁)、「観経釈」(『漢語灯』二・真聖全四・三五三頁)
- ↑ 『大般涅槃経』第三十五(大正蔵一二・五七三頁)
- ↑ 『大経』下(真聖全一・四三頁)
- ↑ 『散善義』(真聖全一・五三二頁、五三五頁、五三七頁、五三八頁)、『法事讃』下(真聖全一・六一一頁)
- ↑ 『尊号真像銘文』広本(真聖全二・五九六頁)
- ↑ 『教行証文類』「信文類」(真聖全二・五九頁、四八頁)
- ↑ 「浄土宗の大意」(『指南抄』下本・真聖全四・二一九頁)
- ↑ 「正如房へ遺す書」(『指南抄』下本・真聖全四・二〇一頁)
- ↑ 『唯信抄』(真聖全二・七五〇頁)
- ↑ 『歎異抄』第一条(真聖全二・七七三頁)
- ↑ 「誡疑讃」(真聖全二・五二五頁)