「『教行信証』の思想と内容」の版間の差分
提供: 本願力
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− | < | + | <div style="font-size:x-small;line-height:115%">20年ほど前に読んだ本から、星野元豊師の解説から抜粋。たまたま、なんまんだぶのご法義に出遇って、もっと知らしてもらおうと、慣れない漢文読み下し文と格闘しながら、あちこち『教行証文類』を対校しながら読んでいた頃に読んだ本。この本は坂東本を底本としているので、WikiArcで依用している本願寺派の「聖典」と少々文句の異同がある。参考の頁番号は同書の頁であるが、利便の為に対応するWikiArcの文にリンクした。なお文中のリファレンスは私において付したもので、同書中にはない。</div> |
親鸞 '''教行信証''' 「原典日本仏教の思想」の星野元豊氏の解説より抜粋 | 親鸞 '''教行信証''' 「原典日本仏教の思想」の星野元豊氏の解説より抜粋 |
2012年3月5日 (月) 12:35時点における版
親鸞 教行信証 「原典日本仏教の思想」の星野元豊氏の解説より抜粋
目次
四 救済の現実的構造
往生への具体的過程
浄土と人間
われわれはここで浄土と人間との関係に焦点をあてて考察してみよう。
さきにも述べたように人間は迷倒の凡夫として真如法性に対しては背面的関係にある。普通一般に仏と人間とは対応的関係のごとく考えられている。しかし本来、真の仏と人間との関係は逆対応的関係である[1]、背面的である。人間は仏に面して立つのではなくして、仏に背を向けて反仏的方向に向いているのである。迷倒の凡夫とか、倒見の凡夫とかいわれるのはこのことを指したものである。迷い逆立ちしているとは、言葉を換えれば反仏的方向に向いているということである。人間の人間的方向とは仏に反した方向である。従って人間は人間的方向においては永劫に仏に出逢うことはない。人間的方向とは反仏的方向として地獄への方向である。このような関係が真の仏と人間との現実的関係である。
しかし真の仏はくりかえし述べたごとく、静止している仏ではない。般若は即方便の働きをすることにおいて真の般若である。一切衆生を救う仏にしてはじめて真の仏である。それゆえに真の仏は人間の人間的方向を絶対否定した超絶せる仏であるとともに常に人間に向かって働いて止まない動的な仏である。その仏の動的な働きはいわゆる巧方便廻向の働きとして人間に働きかけ反仏的方向の人間を向仏的方向に向かしめる働きをするものでなければならない。反仏的方向を向仏的方向に逆転せしめる働きをするものこそ巧方便廻向としての浄土の働きである。そのためには浄土は人間の人間的方向、換言すれば反仏的方向線上に立つものでなければならない。すなわち浄土は反真如的に合人間的存在として存在しなければならない。仏の自己否定的存在として迷倒的に存在しなければならない。そうでなければ、迷倒の凡夫は救済しがたいのである。地獄の衆生を救うためには仏自らも地獄に堕ちねばならない。三界雑生の火中に身を投ずることによって方便法身はその方便法身としての役割を果たしうるのである。このようにして浄土は反仏的方向線上に建てられており、阿弥陀仏はこの反仏的方向線上の対象なのである。しかしこの浄土はいつも「法性に随順して法本に乖か」(一七五頁)[2]ざる浄土である。法性を離れて浄土はない。親鸞は善導の『浄土法事讃』の文[2]を引き「阿弥陀仏も涅槃に入る時あり」という「観音授記経」の文について述べ、方便法身が人間の対象として人間的形態をとっていることを示している。大体、阿弥陀仏が死ぬ時があるというのはおかしな話であるが、これは人間的意識に応じて説いたものにすぎない。しかしここで方便といっても、それが偽りとか嘘とかいうのではない、方便が方便としてその役割を果たすのは方便即般若だからである。方便法身即法性法身であるからである。この両者の不一不異の関係こそが方便をして本当に方便たらしめるのである。では浄土がこのようなものであるとき、浄土を願生するとか、往生するとかいうことはどのような意味をもつのであろうか。
往生とか願生とかいうが、もともと生というのは有の根本であって煩悩のおこるもとである。仏教では生死があると執するのを法執といい、この生死を受ける者があると思うのを人執として、この二執が三界を流転する根本であり、いろいろな惑いの元始であるといわれている。とすれば浄土へ生ずるというのは仏教の原理に反するようである。しかしここで往生とか願生とかいうときの「生」はこの三界の虚妄の生とは同じではない。浄土へ生ずるというのは、凡夫の妄情に応じて生といったのであって、この生は無生に却した生である。生といっても即無生である。浄土の働きは、生を生としながら生即無生たらしめるところにあるのである。仏は無為にしてよく為すのであり、智を働かして生死に住せず無為である。大悲を働かして涅槃に住することなくよく為すのである。生の絶対否定のみが涅槃であると考えるのは概念にとらわれているからである。生即無生の原理こそ浄土往生の原理である。
しかしこのような浄土へ誰れが往き、いかにして往くのか。親鸞は天親の「安楽国へ願生せん」[3]の偈をとりあげ、『往生論註』の文を引いて解明している。仏教の立場からすれば、衆生といっても畢竟は無生で虚空の如きものであるといわれている。とすれば、誰れが往き、いかにして往くのか。これに対して次のように答えている。「「衆生無生にして虚空のごとし」と説くに二種あり。一つには、凡夫の実の衆生と謂ふところのごとく、凡夫の所見の実の生死のごとし、この所見の事、卑怯じてあらゆることなけむ、亀毛のごとし、虚空のごとしと。二つには、謂く諸法は因生の故に、即ちこれ不生にして、あらゆることなきこと虚空のごとしと。天親菩薩、願生するところはこれ因縁の義なり。因縁の義なるが故に仮に生と名づく。凡夫の実の衆生、実の生死ありと謂ふがごときにはあらざるなり」[4](三三頁)と。虚空的存在といったぱあい、二種が考えられる。一つは凡夫の倒見を虚空という、凡夫はあだな生死を実の生死と思っているが、それは幻のごときものでしかありえない。これはあだなものであるから虚空という場合である。これに対してすべてのものは因縁によって生じたものであるが、因縁によって生じたものは仮りのもので、それ自身に自性のあるものではない。その体は空である。虚空といってもこの二つは全然異なっている。前者は縄をみて蛇と見誤るのと同じで妄見のゆえに空といわれるのであり、後者は因縁仮名のゆえに空といわれるのである。それは家や林のように因縁によって形成されたものであって、材木等を寄せ集めて形造られたものを家といい、樹木のより集まったものを林と仮りに名づけているのであって、バラバラにしてしまえば、家もなく、林もない。家といい、林といっても因縁仮名のものである。天親が浄土へ往生したいと願う生はこのような因縁生であると説明している。
では往生とはどういうことになるのか。これに対してさらに問答を続けている。
「問ふて曰く、何の義に依りて往生と説くぞや。答へて日く、この間の仮名の人の中において五念門を修せしむ、前念と後念と因と作る。穢土の仮名の人、浄土の仮名の人、決定して一を得ず、決定して異を得ず。前心・後心またかくのごとし。何を以ての故に、もし一ならば則ち因果なけむ、もし異ならば則ち相続にあらず。この義一異を観ずる門なり、論の中に委曲なり」[5](三三頁)。
この世の人間は因縁によって存在しているもので固有の実体のないもので、仮りに人と名づけられたものである。それで浄土へ往生したものを浄土の仮名人と呼ぶならば、穢土の仮名人と浄土の仮名入とは決して同じではない、しかし全然異なったものともいえない。何故なら同一人が往生して、穢土の仮名人が浄土の仮名人になってこそ、救われたということができるのである。これは前心と後心との関係と同様である。もし前心と後心とが全く同じであれぱ、前心が因となって後心が相続するということはありえない。しかし両者が全く異なっていても相続ということはない、相続ということの底には同一ということがなけれぱならない。すなわち前心と後心の不一不異ということがあって相続するということが成立するのである。この関係はいわゆる非連続の連続の関係である。穢土の仮名入が浄土の仮名人となるという往生も同様である。穢土と浄土とは絶対断絶している、裁土の仮名人の死が同時に浄土の仮名入の生であるが、そこには不一不異の関係がなけれぱならない、非連続の連続の関係がなけれぱならない。このようにして浄土への生は非連続の連続の関係において成立する因縁生的生であって、生といっても本来的には無生の生である。それゆえにまた往生といっても、その往は不往の往ということができよう。本来的には往生といっても不往の往、無生の生である。生即無生、往即不往である。
これを土台としてそこに因縁生的な穢土の仮名人と浄土の仮名人との不一不異の往生が成立するのである。そしてその往生の状態は往のまま不往、不往のまま往、生のまま無生、無生のまま生として自然そのものである。むしろ自然のところに往生があるといえよう。それゆえに往生というのは自然虚無の身、無極の体[6]を受けることだといわれるのである。往きついてみれば、往くも往かぬもない、ただ自然そのものである。
ここで一応問題を整理しておきたいと思う。原理的には浄土は無生の浄土であり、従ってそこへ往生するといっても、生即無生、往即不往である。しかし浄土願生にあたって、その往生が論ぜられるのは浄土と人間との関係においてである。
往生は現実的に現象的なものとして論ぜられねばならない。より砕いていえぱ、この穢土から浄土へ往生するというところで諭ぜられるのである。そのとき、この往生を客観的に見ると、その生は因縁生の生であって、穢土の仮名人が浄土の仮名入へと因縁生的に生ずるのである。単なる妄情でとらえられるような生ではないと主張しているのである。
浄土は凡夫の願生の対象として建立されたが、一体、人間はいかにして浄土を願生し、いかにして浄土へ往生するのであろうか。
いま衆生救済のために絶対無たる真如は浄土として、また阿弥陀仏として凡夫に向かって働きかけてくる。しかしその働きの中心として活動するものは名号である。すでに述べたごとく、仏は大衆の中にあって、現に称名を勧めて説法獅子吼しているのである。それは応身のごとく、この世に形をもって現われるのではなくして、摂取の心光として、形而上的な働きとして働きかけるのである。親鸞は名号の父と光明の母の喩をもってこれを示した。
「良に知んぬ、徳号の慈父ましまさずは能生の因闕けなむ。光明の悲母ましまさずは所生の縁乖きなむ。能所の因縁和合すべしといへども、信心の業識にあらずは光明土に到ることなし。真実信の業識これ則ち内因とす。光明名の父母これ則ち外縁とす。内外の因縁和合して報土の真身を得証す。かるがゆへに宗師は、「光明名号を以て十方を摂化したまふ、ただ信心をして求念せしむ」と言へり」[7](五四頁)。
ここに二つの喩がある。第一の喩において光明の母の育みと名号の父のよびかけの働きによって往生するとし、第二の喩においては光明名号の父母は外縁であって、信心の業識が内因であり、これらによって往生することを述べている。二つの喩が重なっているので、古来両重因縁と呼ばれて、論議のあるところである。ここで第一の場合、名号と光明との因縁によって生まれる結果は往生か信心か論議されているが、それはともかくとして、ここで重要なことは、名号が諸仏の称名によって私に呼びかけても、私の方でそれを聞く耳をもたねば畢竟無駄である、従って諸仏称名を聞きうるために光明の母が常に私を温め育ててくれたのである。光明は私をして名号を受けとめるように育む働きをするのである。しかしさらに親鸞が第二の喩で示していることは、たとえ光明と名号とが私を目あてに働きかけていても、私の方に信心の業識がなけれぱ往生できないということである。業識とは過去の業により今生の識を得るから業のことを業識といったのであるが、信心の業識といったばあい、親鸞はどのようなものを意味していたのであろうか。彼は次に善導の『礼讃』の文をひき「光明名号を以て十方を摂化したまふ、ただ信心をして求念せしむ」という。ここで信心の業識は善導の言葉をかれば、「信心をして求念せしむ」にあたるであろう。古来、信心の業識が信心の成立するための業識なのか、信心を業識に喩えて、信心という業識なのかの論がある。
ここで筆者の頭に浮かぶのは、かつてエーミル・ブルンナーがカール・バルトに対して投げかけた信仰可能性の問題すなわち結合点の問題である。バルト神学において、人間はいかにして神の言を聞きうるか、聞きうるためには聞く耳(結合点)をもたねばならないではないかという問いである。いま信心の業識を信心成立のための業識と解すれば、プルンナーの質問は親鸞においては簡単に解決されうるが、そのかわり、その業識とは何かという難問題が残されることになろう。それはともあれ、ここでは信心の業識を往生の内因としているのである。わたくしは信心の業識を信心求念ということであると解したい。もしかく解するならば、信心求念こそ往生の主体的働きであるということである。求念という語はその主体的・能動的な働きを示している。名号が衆生において具体的な働きとなって浄土を願生するところ、換言すれば名号が信ずる者の主体となって主体的に働くことにおいてはじめて生きた信心なのである。その主体化のかまえ、主体化への決断が信心の業識といわれるにふさわしいものではないであろうか。光明の母の育みによって名号を領受せんとの決断、そのかまえができて、そこで名号が受けいれられて衆生の信心として主体化されて、必然的に衆生の行として現われるのである。ここに往相廻向の行信が成立する。このように、かまえだの決断などというと、あるいは他力義を破壊するとの非難が出そうである。しかしそれこそ他力ということを概念化して理解している証拠だとわたくしは思う。私の信のかまえも決断も他力である。それはたしかに私自身が決断するのであるが、その決断それ自身仏の働きである。これを概念的にのみ理解するところに、他力義を損ずるとか、ブルンナー的に人間のどこかに結合点がなければならないとかいう疑問が起こるのである。強いていえば、この決断はバルトの言葉をかりて「新たに創造された」というよりほかないであろう。もともとこれらの疑問は、仏と私の関係を平面的に仏が呼びかけ、それに私が応ずるというような応答的なものと考えるところから起こるのである。信仰の事態は静的平面的ではなくして、動的である。仏の呼びかけと私の決断の二つの働きは事態的には先後関係はない、同一の事態である。仏の呼びかけが私の上に具体化したのが私の信心である。私が決断することが仏が働いていることである。信心の事態においては仏の働き即私の働き、私の働き即仏の働きである。そしてこの「即」を成り立たしめるものこそ光明の悲母の働きである。光明と名号の働きかけは、私がある時、ある機縁によって突如として目覚めることを待っているのである。問題は私がいつ目覚めるかである。その手だてが方便の働き、浄土の働きである。では光明名号の働き、浄土の働きによって、どのようにして私が真実の信を獲て救われてゆくのか。
三願転入
救済についての原理的解明はすでに述べたところであるが、その具体的な過程を示しているものは、古来真宗学で親鸞の三願転入と呼ばれているものである。親鸞はこの三願転入を自己の入信過程として告白している。従って学者の間では三願転入は親鸞独りの体験であって、あえて三願という過程を経ずして直接に十八願の信へ入ることも可能であるという主張もなされている。親鸞は真仮を分かち、仮を廃し真実を立て、要門(十九願)・真門(二十願)・弘願(十八願)に分けて、弘願を勧めているところから見ても、その廃した要門、真門を経なければならない理由はない、直ちに十八願の信心にはいりうるということも否定できない、それでなければ廃立はその意味を失うではないかというのがこれらの論者の主張である。私はこのような主張は親鸞の説明を単に理性的・観念的にのみ解して主体的に理解しないところから生まれた誤り、であると思う。神学(宗学)というものはどこまでも主体的(決して主観的ではない)な学問でなけれぱならない。自らを外において客観的・理性的に観察することは、いかにも『教行信証』そのものに即したようであって、実は主観的・観念的に歪めているのである。宗教の書物は自ら主体的にそのものに成りきることによってのみ、真に事態的に正しく理解しうるのである。このような立場に立つとき、三願転入はひとり親鸞にかぎらず、弘願に至る必然的過程であることをわたくしは以下のべてみたいと思う。
親鸞は「真の言は偽に対し仮に対するなり」[8](一0二頁)として、真に対して偽と仮とを区別したが、仮については「仮と言ふは、即ちこれ聖道の諸機、浄土の定散の機なり」[9](一0八頁)といい、仮を聖道と浄土の定散と規定し、更に「偽と言ふは、則ち六十二見・九十五種の邪道これなり」(一0八頁)と、仏教以外の教えを偽として、とくにト占祭祀をきびしく排斥している。そして聖道の諸教は釈迦の在世正法の時代の教えであって、像法や末法の時代および濁悪の我々には役に立たないからこれを仮とし、浄土門のうちでも定散の教えは仮であるというのである。そしてここで十九願・二十願を仮とし、それ自体真でないと判定している。従って真仮を判断するとなれば、十九願・二十願を仮として廃している。たとえ、念仏を中心としていても、十九願・二十願にとどまるならばそれは誤りであるとして、それ等にとどまることを戒めているのである。これ等の願自体は仮であるが、しかし同時にそれは方便として大きな役割を果たしていると親鸞は評価した。願自体を仮としてこれにとどまることを廃したのと方便としてこれを認めたのとを混同してはならない。三願転入における十九願・二十願は方便としての役割を荷っているのである。このような理解の立場に立つとき、十九願・二十願.十八願の三願の関係構造は、浄土と人間との間において煩悩の凡夫が、その煩悩のまま真実の信を得ることができるように形成されているのである。十九願は弘願の要法へ入る門であるから要門といい、二十願は法は真実であるが、それを修するものが自力である、それで十九願の要門に対して、これを真門という、そして十八願を弘願というのである。従って客観的(自体的)には三願転入の関係構造は仏の側においてみれば、本願の遂行のための必然的要素として形成され、それが人間の側においては、獲信の心的過程として三願転入がなされるのである。すなわち三願の関係構造こそは仏の側にあっては、人間と浄土との間における救済の具体的構造を示したものであり、それに応じて私の側においては獲信のために三願転入の過程をとるのである。もともと三願のみならず、四十八願全体がそのような関連をもって建てられたのであるが、この三願はそのエッセンスである。
親鸞は三願についてその機を分かち、十九願の機を邪定聚の機(必ず悪道に退堕するもの、ここでは自力の機を指す)とし、二十願の機を不定聚の機(悪道に堕するかどうかいまだ不定のもの、ここでは名号を称えるが、その称える名号をおのれが善としてこれを廻向して往生しようとするもので、半自力・半他力などといわれている)として、十八願を正定聚の機といい、またその往生を分類して、十九願の往生は双樹林下往生(釈迦が沙羅双樹の下で往生したので、この現実の娑婆世界で仏の死ぬ姿として、化土往生のすがたを象徴したもの)、十八願の往生を難思議往生(他力によって報土に往生するのは思議しがたいものであるから、これを難思議という)としている。そして、二十願の往生を難思往生(名号は他力の名号であるが、これを称える機に自力の信が雑じるから議の一字をはぶいて難思という)としている。この十九願を主に説いたのが「観無量寿経」であり、二十願を主に説いたのが「阿弥陀経」であり、十八願を説いたのが「無量寿経」である。古来、宗学ではこれら三願・三経・三機・三往生を分類組織して「三三の法門」と呼んで、次のように示している。
三 願 | 三 経 | 三 門 | 三 藏 | 三 機 | 三往生 |
第十八願 | 仏説無量寿経 | 弘願 | 福智蔵 | 正定聚 | 難思議往生 |
第十九願 | 仏説観無量寿経 | 要門 | 福徳蔵 | 邪定聚 | 双樹林下往生 |
第二十願 | 仏説阿弥陀経 | 真門 | 功徳蔵 | 不定聚 | 難思往生 |
これが三願そのものについての親鸞の判定である。われわれは次に三願の組織とそれに応ずるわれわれの側の転入の趣きを見てみよう。
すでに述べたように、背面的悶係にある真如と人間の間において、その仲保者的役割をなするのとして浄土が建立されたのであった。すなわち浄土は人間の反仏的方向線上に、そのはるか彼方に輝いている。しかもその浄土と人間との間には死の一線が引かれているのである。この浄士がわれわれに示すものはいったい何であろうか。
われわれは普通、人間的煩悩に支配されて、背仏的に自己肯定線上に前方のみをみつめ、前方のみを求める。そのわれわれがふとした機縁によって───われわれの周囲にはこの機縁は満ち満ちている。弥陀の呼び声は十力に響流し、摂取の光明はわれわれを照し育む───浄土に面するとき、死後に往くという浄土はわれわれに死を告示する。死線をへだてての浄土の存在は何よりもわれわれに主体的に死を告げるのである。それはわれわれの存在を脚下からゆさぶる。われわれは人間肯定線上において浄土に面することによって逆に自巳の脚下に向かしめられるのである。普通ひとは自己を反省するという、しかしそのばあい、反省される自己は人間肯定線上に対象化されて観察されるにすぎない。このような反省とか自覚とかいうものでは、自己の脚下はみられない。そこでは客観化された自己しかみられない、客観化された自己は生きた自己ではない。現に生きている自已はなんら反省されていないのである。自己肯定線上においては、永遠に真の自己をみることはできない。真に自己をみるということは、自己の脚下をみるということでなければならない。自己の脚下はただ主体的に自己をみるときのみ、はじめてみられるのである。彼岸の浄土は人間をしてはじめて主体的に自己をみせしめるのである。このときはじめて人間は自己存在が絶対的生ではなくして、死を裏にもった生死的存在であることを知るのである。一瞬一瞬われわれは死に面しているのである。われわれの生命は一度的である。しかも生命は非可逆的である。人間存在は一瞬一瞬が絶対危機に立っているのである、その存在の底は無限の暗黒である。そしてこれが人間存在の事実なのである。浄土の彼岸性は人間存在の危機をつきつける。浄土が応土(現実世界)でなく、報土であるという意義の一つはここにあるであろう。このような自己存在の危機に面した者にとって、あくまで浄土はイデア的存在としてその面前にかがやいて、浄土への願生をいざなっているのである。十九願はこのような状況において与えられるのである。
「たとひわれ仏を得たらむに、十方の衆生、菩提心を発し、もろもろの功徳を修し、心を至し発願してわが国に生れむと欲はむ。寿終の時に臨んで、たとひ大衆と囲繞してその人の前に現ぜずは、正覚を取らじ」[10](一八九頁)。
自己の絶対危機に目覚めさせられて、なんとかこの危機を脱却したいと望む者にとって何よりもの願である。しかも独りこの娑婆を旅立つ死の不安におびえている者に、臨終に迎えに来て大勢でとりまいて浄土へつれてゆくことをこの願は約束している。そのためには普通に善といわれているものを積めぱよいというのである。善因善果、悪因悪果という常識的な合理性をもった人間にとって、この願は最も受けいれやすい願であるということができる。この願によって、自己存在の危機におびえたものを至心に発願し往生を願えと引きつけているのである。自力我執の凡夫は至心に発願することだけは可能であると考えよう。しかしいざこれを実践しようとすれば実は不可能なのである。これを十分みこしながら、至心に発願せよと教え、自らこれの不可能をさとらしめようとするのが十九願である。この願の役割は凡夫をして漸次に真実の信に導くところにあるのである。親鸞は化身土巻の初めにこの願をかかげ、現在のような濁世の凡夫ではたとえ仏門に入っても、真なるものは少なく、実なる者は稀れである。偽なる者、虚なる者が多い。このような迷える衆生を誘引せんがためにこの願ができたのだと解している。この十九願の説かれているのは「観無量寿経」であるが、それは一つのドラマティックな物語によって説かれている。
世尊が霊鷲山において弟子たちに「法華経」を説いておられた。その時、霊鷲山にほど近い王舎城に阿闍世という王子がいたが、悪友にそそのかされて父の頻婆娑羅王を囚えて牢獄につないだ。后の韋提希夫入は夫の頻婆娑羅王が餓死するのをおそれて、ひそかに王のもとに食事を運んでいた。これを知った阿闍世は非常に怒り、母をも囚えて獄に入れた。韋提希夫人はなげき悲しみ、救いを世尊に求めたのである。これを知った世尊は弟子目連と阿難をつれて空中から牢獄を訪れた。夫人は世尊に対して「どうぞ私のために憂いのない世界を教えて頂きとう存じます。この世は悪いことに満ち満ちています」と泣きくずれた。その頼みに応じて世尊はいろいろな清らかな世界を眼前に見せられたが、この世界のうち弥陀の浄土をみて夫人は「私はあの阿弥陀仏の極楽世界に生まれたいと思います。どうぞあそこへ往くためにはどのように思惟し、どのように受けとめたらよいか教えて下さい(教我思惟、教我正受)」と願った。そこで世尊は十六の観法の方法をお説きになった。この説法の終わったとき、弟子の阿難がこのお経の名前と要点とを聞いたところが、世尊は次のように答えた。
「この経をば観極楽国土無量寿仏観世音菩薩大勢至菩薩と名づける。また浄除業障生諸仏前と名づける。決して忘れないようにせよ。この三昧を行ずる者は現身に無量寿仏および二大士を見ることができる。仏の名と二菩薩の名を聞くだけで無量劫の生死の罪を除く、だから憶念するということになったらなおさらのことである。もし念仏する入があれぱこれは極めてすぐれた人で、観音・勢至もそのよい友達となるであろう」。[11]
さらに続けてこう付け加えている。
「汝好くこの語を持て、この語を持てとは即ちこれ無量寿仏の名を持てとなり」。
無量寿仏の名を忘れるなよ、阿弥陀仏の名号をたもち伝えよと結んでいるのである。
親鸞は阿難に対する世尊の答え、特に最後の句に深く打たれた。彼は「観経」の表面にあらわれたものとその裏面にひそむ深い意味をこの句から汲みとったのである。それにしても「観経」にとかれた章提の心情こそ、親鸞その人の心にほかならない、否、すべての人間の抱くごく素直な心のすがたではないであろうか。
韋提は悪子阿闍世によって人間の浅間しい心と濁世の起悪造罪のありさまを痛いほど体験した。そしてそこからなんとかして脱却したいと願ったのである。彼女は弥陀の浄土へ往きたいと願い、そこへ往く方法を教えてほしいと世尊に請うたのである。いかに思惟したらよろしいかと問うている。当然の問いではあるが、しかしよく考えてみると思い上がった問いである。そこには人間のあくなき主我性の傲慢がある。これに対して世尊はまず定善の方法を説かれた。ところがこの定善を行なうばあい、われわれの側にこれを修すべき心構えが要求されている。定善には「息慮凝心」が必要である。
しかし凡夫韋提に慮をやめ心を凝らすというようなことはとても不可能であろう。定善が駄目なばあい、散善という方法が説かれている。ところが散善には「廃悪修善」がなされねばならない。そしてそのためには三つの心が必要であるという。親鸞はこれを善導に従って「観経」の三心とよんでいる。
「観経」の三心
「観無量寿経」には、「仏阿難および韋提希に告げたまはく、上品上生とは、若し衆生有りて彼の国に生まれんと願ぜん者は、三種の心を発して即便ち往生す、何等をか三と為す、一には至誠心、二には深心、三には廻向発願心なり、三心を具する者は必ず彼の国に生ず」[12]と説かれている。浄土へ往生するには三心が必要であるというのである。善導はこの三心に注目し、上品の者にかぎらず、すべての機に三心のあるべきであると解した。ではまず至誠心とはどのような心なのであろうか。善導は、「至とは真なり、誠は実なり。一切衆生の身口意業に修するところの解行、必ずすべからく真実心の中に作すべきことを明かさんと欲す。外に賢善精進の相を現じ内に虚仮を懐くことを得ざれ。貪瞋邪偽奸詐百端にして悪性侵め難きこと蛇蜴に同じきは、三業を起こすと難も名づけて雑毒の善と為す。亦虚仮の行と名づく。真実の業と名づけず。若しかくの如き安心起行を作さん者は、たとひ身心を苦励して、日夜十二時に急に走め急に作すこと、頭燃を灸ふが如くする者すべて雑毒の善と名づく。此の雑毒の行を廻して彼の浄土に生ぜんことを求めんと欲はば、これ必ず不可なり。何をもつての故に、正しく彼の阿弥陀仏の因中に菩薩行を行ぜし時、乃至一念一刹那も三業の修したまふところ皆これ真実心の中に作したまふ。凡そ施為趣求したまふところ、皆真実なるに由りてなり」[13](『観経疏』散善義ー意味を変えて七六頁に引く)。
至誠心とは身も心も行ないもすべて真実の心をもってなすとき、これを至誠心というのである。従って外面的にも賢善精進でなけれぱならず、内面も虚仮の心をもってはならない。身も心もすべて真実なのが至誠心である。そうでなければいかに精進努力してもそれは雑毒の善でしかないというのが善導の理解であった。たしかにそうにちがいなかろうが、しかしそうだとすれば、はたして煩悩の凡夫に至誠心は可能であろうか。とても不可能というよりほかない。
三心の第二は深心である。
「深心といふは即ちこれ深く信ずるの心なり。また二種あり。一つには決定して深く自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫已来、常に没し、常に流転して、出離の縁あること無しと信ず。二つには決定して深く、かの阿弥陀仏の四十八願は衆生を摂受したまふ、疑ひ無く慮り無く、彼の願力に乗じて定んで往生を得と信ず」[14](『観経疏』散善義ー望部読みを変えて七六頁に引く)。
前者は機の深信といわれ、後者は法の深信といわれているものである。善導はさらに信仰の内容について、「観無量寿経」に説かれてあることを信ぜよ、仏の言葉を信ぜよと細かく述べており、また浄土往生の行についても、弥陀の名号を称することを正定業といい、三部経を読誦するとか、仏を礼拝したり讃嘆供養したりすることなどを補助的なものとして助業と呼び、その他の諸善万行を雑行となし、雑行を棄てよと教えている。いずれにしろ機・法の二種の深信が中心として要求されているのである。
三心の第三は廻向発願心といわれる。
「廻向発願心と言ふは、過去および今生の身口意業に修するところの世・出世の善根および他の一切の凡聖の身口意業に修するところの世・出世の善根を随喜して、この自他所修の善根を以て、ことごとくみな真実の深信の心のうちに廻向して、かの国に生れむと願ず。かるがゆゑに廻向発願心と名づくるなり。また廻向発願して生ぜんとする者は必ず須らく決定して真実心の中に廻向し、得生の想を作さんと願ふべし」[15](『観経疏』散善義-一部を一九七頁に引く)。
廻向発願心とは過去現在になした一切の善を真実心をもって廻向して浄土に往生しようと願う心である。「決定して真実心の中に廻向して得生の想をなす」ということは当然あって然るべきことだと思うが、しかしはたして可能であろうか。ともあれ「観経」では至誠心・深心・廻向発願心の三心が要求されている。くだいていえば至誠心はまごころであり、深心は深く信ずる心、廻向発願心はなんとかして善を修してそれを廻向して浄土に往生したいと願う心である。この三心は一般に浄土門に共通して求められているものとして代表的なものと見てよかろう。それでこの三心は三願のそれぞれに適応して要求されている。いま十九願には「至心、発願、欲生」が、二十願には「至心、回向、欲生」が、十八願には「至心、信楽、欲生」が要求される。ここで内容的にはどうであれ、とにかく表面は至心と欲生は三願に共通している。異なるのは発願・回向・信楽であるが、親鸞はそれぞれの願の特色を取り出して、十九願には「至心発願の願」、二十願には「至心回向の願」、十八願には「至心信楽の願」と彼独特の名をつけている。この名称はよくその願の本質を示している といえよう。しばらくそれについて述べてみよう。
十九願の機は韋提に代表されるように、この世の苦を悩んだ者であり、それはいつも前方をみつめ、彼方に苦の無い、幸福の理想を追い求める人間である。十九願はこのような者に与えられたのであった。かの浄土をあこがれ彼処へ往きたいと望む心を決断せしめるものこそ十九願の心である。それは浄土往生の決断の心である。いうまでもなくこの決断は煩悩の凡夫が人間肯定線上にあってイデア的浄土を折求する心である。自己の生死的存在におびえ、必死になって折求する心として、それは人間的まごころの溢れたものである。従ってその心はいかに深く思いつめた深心であろうと、親鸞が看破ったごとく、どこまでも人間的なものとして「決定して自心を建立する」[16](『愚禿妙』下)決断である。それはまごころをもって自己の善根を廻向して浄土往生を願う心である。このようにして十九願の三心は日常的な人間の浄土願生の出発点をなすものといえよう。
だが十九願によって自ら実践しようとするとき、一体、誰れがその要求される三心を行なうことができるであろうか。これについてすでに世尊は韋提に対して「汝はこれ凡夫心想羸劣」と厳しくきめつけているが、ひとり韋提のみならず、法然も親鸞も三心の修し難きことを告白せざるをえなかった。親鸞の次の告白をみるがよい。
「しかるに常没の凡愚、定心修し難し、息慮凝心の故に。散心行じ難し、廃悪修善の故に。ここを以て立相住心なを成じ難きが故に、「たとい千年の寿を尽くすとも法眼いまだかつて開けず」と言へり。いかにいはんや無相離念誠に獲難し。かるがゆへに、「如来はるかに末代罪濁の凡夫を知ろしめす。立相住心なを得ることあたはずと。いかにいはんや、相を離れて事を求むるは、術通なき人の空に居て舎を立てんがごときなり」と言へり」[17](二0一頁)。
聖道門に見きりをつけ、浄土門に救いをもとめたが、定善、散善を要求する十九願ではとうてい救われ難いことを思い知らされざるをえなかった。十九願はたしかに誰れでも納得しやすい願であるにもかかわらず、それを実行に移そうとすると、たちまち困惑せざるをえない。ところが「観経」をよくみると、定散に破れた心になお一脈の救いの道が示されている。親鸞は「観経」のうちに含まれたその道こそがむしろ「観経」の本意であるとみた。彼は「無量寿仏観経を按ずれば、顕彰隠密の義あり」[18](一九三頁)として、実は定散二善を説き三心を説いたのは、自力に執着している人間をして浄土を折わしめるための方便であって、本意は他力に入らしめるにあると解した。そしてその論拠をこの経の最後の「汝よくこの語を持て、この語を持てとは即ちこれ無量寿仏の名を持てとなり」という句に求めたのである。そこで親鸞は「観経の定散の諸機は、極重悪入、唯称弥陀と勧励したまへるなり。濁世の道俗、よく自ら己が能を思量せよとなり。知るべし」[19](一九三頁)と。これが親鸞が「観経」において読みとった結論であったのである。表面(顕)には定散二善を説いているが、その内心(隠)では定散二善の不可能なことをさとらしめるためである。「よく自ら己が能を思量せよ」と親鸞はきびしく反省を求めているのである。しかし「観経」はかく突き放しただけで終わっているのではない。むしろ裏面では念仏の功徳の大きいこと、念仏のみが凡夫の辿りうる唯一の道であることを示している。このことを親鸞は自ら体をもって読みとったのである。
十九願に破れても、人間存在の底の矛盾は一厘も解決されない。自己の力に対する自信は微塵に砕かれてしまった。そこには何もなしえない無力な自己が独り残るのみである。かりそめにも見せられた浄土ははるか彼方に遠ざかるのみである。この時この人に残されたただ一つの道、念仏の道とはどのような道なのか。そこに開かれていたのは二十願であった。
「たとひわれ仏を得たらむに、十方の衆生、わが名号を聞きて、念をわが国に係けて、もろもろの徳本を植ゑて、心を至し回向して、わが国に生れむと欲はむ、果遂せずは正覚をとらじ」[20](二0五頁)。
徳本とは如来の徳号なりといわれているから、二十願は名号を聞いて往生したいと願い一心に称名すれば往生できるというのである。諸の善をなし、それを廻向することの不可能な者にとって、名号を聞いて一心に称名すればよいという二十願はたしかによろこばしいおとずれである。「観経」には五逆十悪というような大罪を犯した下品下生の者も十声の念仏で往生することが説かれている。だが一体、名号を聞くとか、称名するとかいうことはどういうことなのであろうか。
念仏と二十願
称名といったばあい、ごく普通にはただ南無阿弥陀仏と称えることであると考えられている。いま「観経」に説かれている下品下生の者の十念の念仏をみても、臨終の苦しみに逼られて仏を念ずる邊さえない状態で息たえだえにようやくにして称えた称名である。とすれば、それはただ口で称えたもののようである。このように解するならば、名号とは呪文であり、称名は呪文を称えるという呪術ではないであろうか。おそらくかく解することも決して無理なことではない。ところが善導はこれについて、「今この観経の中の十声称仏には即ち十願十行ありて具足す」といい、「いかんが具足するや」と問うて、次のように答えている。
「南無と言ふは、即ちこれ帰命なり。またこれ発願回向の義なり。阿弥陀仏と言ふは、即ちこれその行なり。この義を以ての故に必ず往生を得」[21](『観経疏』玄義文-四一頁に引く)と。
善導のこの句は古来、六字釈といわれて有名なものであり、それについて諸宗諸派それぞれに解釈され、また学者によってその理解も異なるが、とにかく今すなおに読んでみよう。南無阿弥陀仏の南無というのは帰命ということである。従って阿弥陀仏の命のままに従いますというのが南無阿弥陀仏の端的な意味である。ところがそれには発願廻向の意味が含まれているというのであるが、これはどういうことであろうか。われわれが阿弥陀仏に帰命するのは、自已の生死の苦から逃れんがためである。救われたいという願いなくしては帰命しないであろう。そのかぎり、帰命ということのうちには発願の意味は含まれていよう。だが廻向とはどういうことか。いま諸善万行に望みを失った考にとって廻向すべきなにものもないとすれば、何をどう廻向するのか。そこではもう帰命するということを廻向するよりほかはない。すなわち私の全身心を捧げて仏の仰せのままになるのであるから、ここで廻向とは私の全身心を捧げるということよりほかには解しようがない。次の阿陀弥仏がその行とは何の行なのか、そのとは何を指すのか、これは南無を指すと解するより外はない。とすれば阿弥陀仏というのは南無の行ということになる。しかし南無の対象である阿弥陀仏が南無の行とは一体どういうことを意味するのであろう。善導は、「ただ念仏の衆生をみそなはして、摂取して捨てざるが故に、阿弥陀と名づく」[22](『往生礼讃偈』ー三九頁に引く)といっている。阿弥陀仏は単に南無の対象ではなくして、むしろ摂取不捨の行である。阿弥陀仏とは単なる対象的存在ではなくして、むしろ救済の働きそのものである。阿弥陀仏とはかかる働きそのものの中にのみ存在する作用人格とでもいうべきものであろう。それでいまこの解釈どおりにとれば、南無と帰命する働きがそのまま阿弥陀仏という摂取の働きであり、南無の働き「即」摂取不捨の行である。極言すれば、南無即阿弥陀仏といえよう。むしろ逆に阿弥陀仏という救いの働きがそのまま現実に全現したのが私の南無の働きである。私の南無が先にあるのではなくして、一切衆生が救われねば自分も仏とならないという仏の誓願があって、その具体的な現われが摂取不捨の働きであり、それの現実的実現が南無の働きである。従ってその順序からいえば、私の発願廻向の前にすでに仏の発願廻向があったといわねばならない。仏の発願廻向なくして私の発願廻向はない。仏の発願廻向が現実に私の発願廻向となったのである。これこそ善導の真意であり、これこそ南無阿弥陀仏の最もザッハリッヒ[3]な理解ではないであろうか。これを大胆率直に披瀝したのは親鸞であった。
「しかれば南無の言は帰命なり。帰の言は(至なり)、また帰説なり、説の字は(悦の音)、また帰説なり、説の字は(税の音、悦税二つの音は告なり、述なり、人の意を宣述なり)。命の言は(業なり、招引なり、使なり、教なり、道なり、信なり、計なり、召なり)。ここを以て帰命は本願招喚の勅命なり。発願回向といふは、如来すでに発願して衆生の行を回施したまふの心なり。即是其行と言ふは、即ち選択本願これなり。必得往生といふは、不退の位に至ることを獲ることを彰はすなり。経には「即得」と言へり、釈には「必定」と云へり。即の言は、願力を聞くに由りて、報土の真因決定する時剋の極促を光閘せるなり。必の言は(審なり、然なり、分極なり)、金剛心成就の貌なり」[23](四二頁)。
ここでは実にはっきりしている。「帰命は本願招喚の勅命なり」といいきっている。私の帰命は裏をみれば、仏の本願の招喚そのものである。そして「発願回向といふは、如来すでに発願して衆生の行を回施したまふの心なり」という。発願廻向は全く如来が発願し、南無の行を衆生に廻向したのである。そして「必得往生といふは、不退の位に至ることを獲ることを彰はすなり」という。信が決定したとき、不退転の位に住するのであり、それはまた往生の決定にほかならない。後に述べるように現生正定聚といわれているものである。私の南無のところにすでに私は救われているのである。救いの出来事は未来に起こるのではない、現実に起こっているのである。何故なら私の南無阿弥陀仏が「即」仏の行であり、仏の救いの大行が「即」私の南無阿弥陀仏であるからである。南無阿弥陀仏は現実における仏の具体的・全面的な救いの働きそのものである。それゆえにそれは真如一実の功徳大宝海といわれるのである。絶対寂滅の真如そのものの現実における最も生きた具体的なすがた、それが南無阿弥陀仏である。そして南無阿弥陀仏こそは信の結晶そのものであり、信の根源的事実である。
いま称名とはいかなるものであるかをみたが、さて二十願はこのような称名を要求しているのである。換言すれば、私の弥陀への絶対帰命が求められているのである。十九願の一切の善根を修することに絶望したものにとって、絶対帰命は残された道として可能なようにもみえる。しかしはたしてそうであろうか。ここで私が帰命するのは、帰命せよという命令に従って自己の一切を捨てんと決意し努力するのである。しかしよく考えてみると、自己を捨てようと努力するのは自己である。それは自己否定しようと自己の全力をふりしぼっているのである。自己を否定しようとする力は自已の力である。これは自己を否定すべく自己の力に頼っていることにほかならない。自己否定の努力の底には依然として自己肯定がある。至心になればなるだけ自力の力は燃えさかる。しかも二十願の機はここで思うであろう。自分は一切を捨てて帰命せよとの命に従って自己放棄に懸命となった。それゆえに仏の救いはあるであろうと。このことは自己放棄をただ一つの回向として自己の救いを期待しているのである。それは親鸞がいみじくもいったように「本願の嘉号を以ておのれが善根とする」[24](二一四頁)ことにほかならない。だから親鸞はこの願を「至心回向の願」と呼んだのである。
顧みれば十九願において自力の限りを尽くして往生すべく努力したが、知らされたるのは自已の無力であった。それゆえにこそ、自己の無力性に徹して自己の一切を捨てるべく努めたにもかかわらず、自己否定の努力の底にはまだ自力の執心が執拗にこびりついている。自己肯定的努力はもちろん、自己否定的努力も駄目なのである。まさに絶対のディレンマ、人間性の悲劇の極であろう。
しかし念仏を勧めている願に十八願がある。法然はこの十八願を王本願と呼んで注目した。十八願とは、
「たとひわれ仏を得たらむに、十方の衆生、心を至し信楽してわが国に生まれむと欲うて乃至十念せむ、もし生まれざれぱ正覚を取らじと。ただ五逆と誹誘正法を除く」[25](七二頁)。
この十八願が二十願と異なっているところは至心信楽ということと乃至十念ということであり、五逆と正法を誹誘する者は除くということである。まず十念ということであるが、善導はこの十という数にとらわれていない、一声でも仏願力で往生できると解している。このことはすでに「無量寿経」の本願成就文といわれているものにも、「諸有衆生、その名号を聞きて信心歓喜せむこと乃至一念せむ、至心に回向せしめたまへり、かの国に生まれむと願ぜば即ち往生を得、不退転に住せむ、ただ五逆と誹誇正法とおば除く」[26](七三貢)となっており、ここでは十念といわず一念といわれている。問題は数ではなくて本当に念仏するか否かである。とすれば二十願との本質的な違いはどこにあるのか。それは至心信楽という句であり、信心歓喜という句である。この点に注意して善導の解釈の文をみると、「弥陀世尊もと深重の誓願を発して、光明・名号を以て十方を摂化したまふ。ただ信心をして求念せしむれば、上一形を尽くし、下十声一声等に至るまで、仏願力を以て往生を得易し」[27](『往生礼讃偈』三八頁に引く)といっている。ここでは仏が十方を摂化すると、仏の願力によって往生するということが中心であり、衆生は仏力によって信心をして求念せしめられることになっている。十声一声の念仏はその必然的な結果にほかならない。このような立場に立つとき、十八願の「至心信楽欲生我国乃至十念」という文の中心は至心信楽である。また成就文の「諸有衆生聞其名号信心歓喜乃至一念」においても、「聞其名号信心歓喜」がその中心であることに気づかざるをえない。二十願に破れたものに至心信楽の句は心を引くものである。十八願の特色はここにあろう。かくして親鸞は引用の異訳「無量寿如来会」の文に彼独特の送り仮名を附した。
他方仏国所有有情 聞無量寿如来名号 能発一念浄信 歓喜愛楽 所有善根回向 願生無量寿国者 随願皆生 得不退転乃至無上正等菩提 除五無間誹謗正法及謗聖者。[4](三0五頁)。
ここでは十念とか称名とかいわず、一念浄信と明確に信が打ち出されている。中心は信楽である。親鸞はここに至心信楽こそ十八願の核心なりとして、十八願を「至心信楽の願」と名づけたのである。
十八願の信
二十願に絶望したものにとってただ信ずるだけで救われるという十八願は、救いの光明であるにちがいない。実行は不可能でも思うことだけはできるであろう。生死巌頭に立ったものにとって至心に信ずること、一心にたのむことは可能ではなかろうか。
しかし至心に信ずるとはどういうことなのか。私たちは普通、信ずるというとき、いまだ未確定なものに対して信ずるという。確実なもの、現実に実現しているものに対しては信ずる必要はない、信ずるということのうちにはどんなに固い信であっても、そこには「万一」ということが含まれている。万一を含まない信はありえない。いま十八願における.信は我々にとって未知なものに対する信である。しかもそこには一厘一毛の疑いがあってはならないという。しかしそのような信が私に可能であろうか。たとい絶体絶命の境地におかれているとはいえ、一厘の疑いをさしはさまない信は不可能にちかい。だから親鸞も十八願の信に対しては「一代諸教の信よりも、弘願の信楽なをかたし 難中之難とときたまひ、無過此難とのべたまふ」[28](『浄土和讃』)といわざるをえなかったのである。「真実の浄信、億劫にも獲がたし」[29](一0頁)といい、「真実の信楽実に獲ること難し」[30](七二頁)という。至心に信じようとしたものの偽らざる告白である。しかし弥陀の本願を信ずることができないということは仏の本願に対する不信である。それはたとい積極的に法を謗らないにしても、本質的には謗法の罪を犯していることではないか。信じきれない私こそ謗法の大罪人である。しかしひるがえって考えてみると、疑うということは理性的存在者としての人間本来の宿命的なものではないであろうか。煩悩熾盛の泥凡夫が本願を信楽することができると思うことじたい、人間の慢心ではなかろうか。かくいえぱ、煩悩の凡夫こそ本願の目あてではないかと反駁するであろう。その通りである、しかしこの反駁は単なる観念的なものである。ここでいっていることはそんなことではなくして、弥陀の本願を人間的に信じようとすることが間違っているというのである。本来、本願は人間的には信ずることはできないのである。それゆえにこそ曠劫已来出離之縁あることなき凡夫なのである。謗法の罪人は他人ではなくしてこの私なのである。だが仏の誓願は十方衆生を救うという。「観経」には五逆十悪を作る下品下生の者も往生できるといわれ、「涅槃経」には五逆・謗法・闡提も往生できると示され、善導は「仏願力を以て五逆と十悪と罪滅し生を得しむ。謗法闡提回心すれば皆往く」[31](『法事讃』上)といっている。それゆえに『教行信証』の総序には「しかれば則ち、浄邦縁熟して調達・闍世をして、逆害を興ぜしむ。浄業機彰はれて、釈迦、章提をして安養を選ばしめたまへり。これ乃ち権化の仁、済しく苦悩の群萠を救済し、世雄の悲、正しく逆謗闡提を恵まむと欲す」[32](一○頁)という。王舎城の逆害こそはまさしく逆謗闡提を救わんがための実証であると親鸞はみたのである。これこそ親鸞が身をもってかちえた事実から迸り出た言葉である。弥陀の誓願を信ずることさえできない謗法闡提の私こそ弥陀悲願の対象にほかならない。
「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずればひとへに親鸞一人がためなりけり」[33](『歎異紗』)という述懐も自然に湧き出るであろう。古来、「悪人正機説」として、『歎異妙』の「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」という有名な言葉に代表されて、親鸞のすぐれた特色とされているものである。たしかにそれは本願の呼び声に接して不信の自已を徹底的に見つめた者の呟かずにはおれなかった述懐であろう。親鸞の罪悪深重、虚仮不実の告白もここから生まれたものである。謗法こそ罪悪の極である。親鸞の罪悪への徹見は多くの人の胸をうち、共感をよび、その罪悪観は彼の特色として高く評価されてきている。たしかに罪悪深重煩悩熾盛の痛烈なる体験は他に比をみない。ところが親鸞のこの罪悪観に共鳴する人たちが、道徳的罪悪の深化したものとして理解しがちであるように思う。より正確にいうと、人間的反省に反省を加えた極、獲られた罪悪観ととりがちであった。例えば「わが身は罪深き悪人なりと思いつめて」というごとき表現によって示されるような罪悪の自覚と同一視されがちであった。しかし親鸞の罪悪はただ如来の本願力に遇うた時にのみ、はじめて知らされる罪悪深重である。仏の光に照らし出されて見せしめられる悪業煩悩である。人間的な罪悪の自覚とは全く質的に異なり、次元を異にしたものなのである。人間的罪悪と親鸞のいう罪悪とは絶対に混同することの許されないものである。もしそれが一厘でも混同されるとき、親鸞の罪悪観はたちまち甘いセンチメンタリズムに堕するか、すべてを深刻ぶって表現する道学者の罪悪観に顛落するであろうからである。わたくしは今までいく度かその例を見ているがゆえに、人間的罪悪観と親鸞の罪悪観との区別を厳しく誠めたいと思う。といってわたくしは血肉なき概念的な罪悪論を正しいとするものではない、罪悪深重煩悩熾盛は体験の事態である、従って体験の事態として理解さるべきものであるが、上に述べたごとく、あくまで摂取の光明の中にあっての自覚であることが忘れられてはならない。わたくしはこのようなことから、あえてこの説明をする以前には罪悪という言葉を使うことを避けた。かくして親鸞にとっては、本願の呼びかけに応じようとしない不信の私こそ罪悪深重というに値するものなのである。
話をもとへもどそう。信ずることさえできない謗法の私が救われる、それはどういうことであろうか。
「親鸞にをきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまひらすべしと、よきひとのおほせをかふりて信ずるほかに別の子細なきなり。念仏はまことに浄土にむまるるたねにてやはんべるらん、また地獄におつべき業にてやはんべるらん。惣じてもて存知せざるなり」[34](『歎異妙』)。
この句をじっと味わってみよう。そこに人間のもつ不信から絶対信への転換がうかがわれないであろうか。「信ずるほかに別の子細なきなり」。この信は普通の信ではない。善導も、「弥陀の摂と不摂とを論ずるなかれ、意専心にして廻すると廻せざるとに在り」[35](『般舟讃』)といっているが、まさにその通りであろう。「廻するか廻せざるか」。信とは廻することにほかならない。それは人間的な心で信ずる信ではない。このような人間的信を捨てて、すべてを弥陀に廻すること、すなわち「まかす」ことである。まかすということと普通の信とは全く質的に異なっている。普通の信は不信に対するものとして相対的である。それに対してまかすということは身心ひっくるめた挙体的な信である。至心信楽の絶対信は私の全身心を根こそぎまかすという実践である。人間的な信・不信とは全く質的に異なった異次元の信である。それは私の身心を挙げて弥陀に投托することである。弥陀の願力の中へ投棄することである。そこには人間的な信も疑もない。それらすべてが投棄されて、そこに働いているものは弥陀の働きのみである。今まで主格的に働いていた人間の主我性は全く投棄されて、絶対転換がなされているのである。絶対信とはこのような絶対的放棄、絶対転換にほかならない。絶対信とは人間的な信ではなくして弥陀の働きそのものである。だから他力の信というのである。「如来苦悩の群生海を悲憐して、無碍広大の浄信を以て諸有海に回施したまへり。これを利他真実の信心と名づく」[36](八八頁)といわれるのである。
以上のべてきたように、十九願から二十願、さらに十八願に到って、ついに煩悩のまま弥陀の願海に投托したのであるが、しかしひるがえって考えるとき、これは凡夫の努力ではなくして、まさしく浄土を中心において構成された三願の構造そのものから生まれたものにほかならない。それゆえに十九願、二十願が方便の願といわれ、二十願は必然的に十八願へ導くがゆえに果遂の願といわれるのである。三願はともに十方衆生をその救済の対象においているが、それとともに三願に共通なことは欲生我国ということ、すなわち浄土へ往生を願わしめるということである。浄土は三願に共通して衆生の目ざす対象として、衆生をして欲生せしめるように建立されている。従って浄土を中心においてこれへの欲生心を絶えずかりたてつつ三願転入の過程を経過さすのである。浄土の彼岸性によって自己の生死的存在を自覚せしめ、たえずこれによって欲生をうながし、はげまして自力的自己否定から絶対的な挙体的な自己投棄へと導くという三願転入の構成はまことに美事である。
十八願の至心信楽はこのようにして、煩悩の凡夫のまま弥陀に投げ出したすがたにほかならない。この投げ出すということが至心信楽である。まかすということが信である。それをのぞいて他力の信などというものはない。この信は凡夫の起こす信ではなくして如来の信である。
本願の三心
親鸞は十八願の三心について全く独特な理解を示した。そこから先輩祖師の文章の破格的な読み方をしたのである。明らかに無茶な送り仮名・返り点をつけているが、それは彼が祖師たちの伝統を尊びながら、しかも彼は彼が達した真実の声に従わざるを得なかったからである。『教行信証』が文類の形をとりながら全く彼独自の文章になっているのは、ひとえに真実そのものに随順するという彼の態度から生まれたものにほかならない。
三心はすでにのべたごとく、至誠心・深心・廻向発願心であるが、まず善導の、「欲明一切衆生身口意業所修解行 必須真実心中作 不得外現賢善精進之相 内懐虚仮」必須真実心中作 不得外現賢善精進之相 内懐二虚仮」[(三0六頁)と読んだ。「須」を「もちゐる」と読み、「真実心中に作すぺし」という句を「真実心の中に作したまへるを須ゐることを明さむと欲ふ」と送り仮名をつけた。さらに「外に賢善精進の相を現じ、内に虚仮を懐くことを得ざれ」というのを「外に賢善精進の相を現ずることを得ざれ、内に虚仮を懐いて」と読みかえた。これではその意味は全く逆転してしまう。すなわち我々の自力の行動を止めて如来の行動、如来のなされた修行そのものをいただけ、如来はすべて真実心をもって修行しておられるのである。だから単に表面だけをいくら飾ってみても、所詮凡夫であれば内心は虚仮不実、煩悩のかたまりである。だからそんな表面だけ賢善精進をよそおうことなんか止めて、自己の一切をほうりだして如来にまかせよ、という意味になってしまった。このおもむきを『唯信抄文意』は明瞭に示している。
「「不得外現賢善精進之相」といふは、浄土をねがふひとは、あらはにかしこきすがた、善人のかたちをふるまはざれ、精進なるすがたをしめすことなかれとなり。そのゆへは「内懐虚仮」なればなりと。内はうちといふ、こころのうちに煩悩を具せるゆへに虚なり、仮なり。虚はむなしくして実ならず、仮はかりにして真ならず。しかればいまこのよを如来のみのりに末法悪世とさだめたまへるゆへは、一切有情まことのこころなくして、師長を軽慢し、父母に孝せず、朋友に信なくして悪をのみこのむゆへに、世間出世みな心口各異、言念無実なりとをしへたまへり。心口各異といふは、こころとくちにいふことみなをのをのことなり、言念無実といふは、ことばとこころのうちと実ならじといふなり。実はまことといふことばなり、この世の人は無実のこころのみにして、浄土をねがふ人はいつはりへつらひのこころのみなりときこえたり。よをすつるも、名のこころ、利のこころをさきとするゆへなり。しかれば善人にもあらず、賢人にもあらず、精進のこころもなし、解怠のこころのみにして、うちはむなしく、いつはり、かざり、へつらふこころのみつねにして、まことなるこころなきみとしるべし」。(*註:この『唯信抄文意』の文は正嘉本を依用している。『浄土真宗聖典全書』二 p711)
凡夫は底の底まで虚仮不実である。とすれば、至誠心とは何なのか。親鸞は至誠心の文に続く「凡所施為趣求亦皆真実」という句もまた読みかえた。もともと「施為、趣求する所、亦皆真実なり」としか読めない、すなわち弥陀が法蔵菩薩の時、真実心をもって修行され、それをまた真実心をもって衆生に施されたのであるという意味であるのに、「おほよそ施したまふところ趣求を為す、またみな真実なり」(七六頁)と読んでいる。如来の施しが私の願生心となって浄土を求めている、だから私の願生心はそのまま如来の真実なのであるという意味に変えてしまった。善導では施為・趣求ともに弥陀の行為であるのに、親鸞では施すのは弥陀の廻向であり、趣求は衆生の願生心になっているのである。これは親鸞の体験であろう。しかしその体験は単なる個人的なものではなくして、十八願のはたらきの真実である。
いま十八願の三心についてしばらく考察してみよう。十八願においては人間的主我性はその根抵からくつがえされ、そこに主導的に働いているものは如来の真実である。従って十八願で要求されている三心はすべて如来の真実に貫かれているのである。この状況をもたらしたものはいうまでもなく私の挙体的な投托である。挙体的なまかすという事態によって私の主我性が根こそぎに棄てられたのである。しかしこの挙体的投托の事態はすでにくりかえし述べたように私の力によっては起こらない。この投托の事態を引き起こしたものは如来の大悲心の働きである。私の主我性が根こそぎに引き抜かれて、如来の働きのうちに包みこまれたのである。そこに主我性の根絶という事態が生まれたのである。この状況を横超断四流といっている。断は主我性の絶対否定である。親鸞は「断と言ふは、往相の一心を発起するが故に、生としてまさに受くべき生なし、趣としてまた到るべき趣なし。すでに六趣・四生、因亡じ果減す、かるがゆへに即ち頓に三有の生死を断絶す。かるがゆへに断と曰ふなり。四流とは則ち四暴流なり、また生・老・病・死なり」[37](一0一頁)といっている。暴流とは煩悩のことであり、獲信のところに煩悩の根は断ち切られているのである。私の力によって私の煩悩を断ち切ることは不可能である。何故なら私の存在の根源ともいうべき煩悩を私の力で断ち切ることは不可能だからである。断はどこまでも他からの否定でなければならない。
かくのごとく信の決定とは断四流の事態であるがゆえに、親鸞はこれを正定聚の位としてとらえ、現生に正定聚に入ることを主張したのである。これは親鸞の最もすぐれた特色であり、彼の偉大さもここにあるといえよう。普通は往生して後に正定聚の位に入るといわれているが、親鸞はこれを獲信の端的にとらえた。一般に宗教は未来の事として理解されがちである。特に浄土教にはその色彩が濃厚である。しかし親鸞にとって、救いは単なる未来の事ではなかった。救いは現実における生々しい事実だったのである。すでに三有の生死の断絶という事実、入正定聚という事態が今、獲信のその時起こっているのである。この親鸞の宗教の現実的性格こそ彼をして不朽ならしめるものである。
しかし横超断四流といわれても、この事態において現実的に煩悩がなくなるというのではない。煩悩は煩悩としてあるが、その煩悩はすでに人間的・主我的な「我」としては働かないのである。そこでは我を働かすものが変わったのである。 我を律するものが人間的自律ではなくして、如来の真実である。
このようにして十八願の三心は至心も欲生も私の至心、私の欲生でありながら、それは如来の真実によって貫かれた如来的至心、如来的欲生である。親鸞の次の和讃は上に述べたおもむきをよく示している。「無慚無愧のこの身にて まことのこころはなけれども 弥陀の廻向の御名なれば 功徳は十方にみちたまふ」[38](『正像末和讃』)。信の世界にては煩悩のまま功徳は十方にみちみちているのである。「五濁悪世の有情の 選択本願信ずれば 不可称不可説不可思議の 功徳は行者の身にみてり」[39](同上)。煩悩の主我性が断ぜられるとき、我がそのまま絶対の弥陀海に包まれていることを知るのである。 それは「久遠よりこのかた、凡聖所修の雑修雑善の川水を転じ、逆謗闡提恒沙無明の海水を転じて、本願大悲智慧真実恒沙万徳の大宝海水となる」[40](六0頁)のである。私がそのまま真如海の中にあるのである。いや煩悩の私そのまま真如海なのである。この一味となったところ、そこには逆謗の私の屍骸もとどまらない。「名号不思議の海水は 逆謗の屍骸もとどまらず 衆悪の万川帰しぬれぱ 功徳のうしほに一味なり」[41](『高僧和讃』)。
これが信の世界である。そこは人間的な信も疑もとどかない、何ものも障碍することのできない金剛心なのである。至心・信楽・欲生という本願の三心はこの金剛の信心に成立しているのである。
如来は清浄の真心をもって円融無碍、不可思議不可称不可説の至徳である名号を成就して、至心をもってこれを一切衆生に回施したもうたのである。これが衆生の至心である。だからその至心に疑いの心などまじりようはない。このようにして至心は名号をその体としているのである。かく南無阿弥陀仏においては如来の救いの至心の働きはそのまま私の南無阿弥陀仏として、私の帰命の至心の働きなのである。
「次に信楽と言ふは、則ちこれ如来の満足大悲、円融無碍の信心海なり。この故に疑蓋間雑あることなし。かるがゆへに信楽と名づく。即ち利他回向の至心を以て信楽の体とするなり」(八七頁)という。すなわち如来の至心の私の上における実現が信楽である。
「次に欲生と言ふは、則ちこれ如来、諸有の群生を招喚したまふの勅命なり」(九二頁)という。私の欲生は如来の本願の招喚したまう命令が私において実現したものだというのである。
ところでこの三心の衆生の側における関係について、至心の体が南無阿弥陀仏の尊号であり、信楽の体が至心、欲生の体が信楽であるという。これを具体的にいえばこういえよう。如来の至心が南無阿弥陀仏を体として衆生の上に現われたとき、まず私の至心として、さらにそれが具体的な相としては信楽となり、そのはたらきの内容が欲生である。本源は南無阿弥陀仏である。南無阿弥陀仏が衆生の上に全現したのが真実信心そのものであり、その凝縮こそ天親が「世尊よ我れ一心に帰命す」と叫んだ一心にほかならない。
このような信仰の世界を親鸞は次のように表現した。
「おほよそ大信海を按ずれば、貴賤・織素を簡ばず、男女老少を謂はず、造罪の多少を問はず、修行の久近を論ぜず、行にあらず善にあらず、頓にあらず漸にあらず、定にあらず散にあらず、正観にあらず邪観にあらず、有念にあらず無念にあらず、尋常にあらず臨終にあらず、多念にあらず一念にあらず、ただこれ不可思議不可説不可称の信楽なり」[42](九五頁)。
さすがに親鸞も絶対信の世界は不可思議不可称不可説として、非をもって示すよりほかなかった。しかしその信の世界のはたらきについては、「大信心は、則ちこれ長生不死の神方、欣浄厭穢の妙術、選択廻向の直心、利他深広の信楽、金剛不壊の真心、易往無人の浄信、心光摂護の一心、希有最勝の大信、世間難信の捷径、証大涅槃の真因、極速円融の白道、真如一実の信海なり」[43](七二頁)と称讃している。
- ↑ 高田派の国宝本『三帖和讃』
十方微塵世界の
念仏の衆生をみそなはし
摂取してすてざれば
阿弥陀となづけたてまつる
の左訓に、「摂(おさ)めとる。ひとたびとりて永く捨てぬなり。摂はものの逃ぐるを追はへ取るなり。摂はをさめとる、取は迎へとる」とある。 - ↑ [玄義分]か? 当該の文は「真仏土」で引文されている。[1]
- ↑ ドイツ語:事象的、事物に即した、実務的な、要を得た、本質的。
- ↑ 他方の仏国の所有の有情、無量寿如来の名号を聞きて、よく一念の浄信を発して歓喜愛楽し、所有の善根回向して、無量寿国に生ぜんと願ぜん。願に随ひてみな生れ、不退転乃至無上正等菩提を得ん。五無間、正法を誹謗し、および聖者を謗らんをば除く。
を、
他方の仏国の所有の有情、無量寿如来の名号を聞きて、よく一念の浄信を発して歓喜せしめ、所有の善根回向したまへるを愛楽して、無量寿国に生ぜんと願ぜば、願に随ひてみな生れ、不退転乃至無上正等菩提を得んと。五無間、正法を誹謗し、および聖者を謗らんをば除く。
と、本願力回向の信であることをあらわそうとされた。