「阿弥陀經義疏」の版間の差分
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嗟乎 識昏障厚信寡疑多。貶淨業爲權乘。嗤誦持爲麁行。豈非耽湎朽宅 自甘永劫之沈迷。悖戻慈親 深痛一生之虚喪。須信非憑他力 截業惑以無期。不遇此門脱生死而無路。<br> | 嗟乎 識昏障厚信寡疑多。貶淨業爲權乘。嗤誦持爲麁行。豈非耽湎朽宅 自甘永劫之沈迷。悖戻慈親 深痛一生之虚喪。須信非憑他力 截業惑以無期。不遇此門脱生死而無路。<br> | ||
− | + | :ああ、識昏く障り厚く信寡く疑多きは、淨業を貶しめて權乘となし。誦持を嗤いて麁行となす。あに朽宅に耽湎し自から永劫の沈迷に甘んずること非らんや。慈親に戻り悖(そむ)き深く痛むこと一生の虚喪なり。信ずべし、他力を憑みて、業惑を截(き)るに非ざれば以って期すること無し。この門に遇わざれば生死を脱するに路無し。 | |
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+ | 聞持頗衆正恊於時縁。著述雖多鮮窮於要旨。 | ||
+ | :聞持すること頗ぶる衆なれば時縁に正しく恊(かな)うなり。著述多しといえども要旨を鮮らかに窮む。 | ||
+ | |||
+ | 盡毫端而申釋敢㩭前修。舒舌相以讃揚誓同諸佛。太虚可際。鄙志奚窮。敬勉同舟深崇此道矣 | ||
將釋此經。先以義門括其綱要。始可入文 釋其義趣。初中大覺世尊一代名教。大小雖殊 不出教理行果。因教顯理。依理起行。由行克果。四法收之鮮無不盡。<br> | 將釋此經。先以義門括其綱要。始可入文 釋其義趣。初中大覺世尊一代名教。大小雖殊 不出教理行果。因教顯理。依理起行。由行克果。四法收之鮮無不盡。<br> | ||
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如是者指前所列三乘聖衆。皆是善人。欲明此界三惡充滿皆不善聚是可厭耳。<br> | 如是者指前所列三乘聖衆。皆是善人。欲明此界三惡充滿皆不善聚是可厭耳。<br> | ||
第二正示行法分三段。初至彼國簡餘善不生。若有下二正示修法。我見下三結顯勸意。 | 第二正示行法分三段。初至彼國簡餘善不生。若有下二正示修法。我見下三結顯勸意。 | ||
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===化巻(55)=== | ===化巻(55)=== | ||
初中 | 初中 | ||
{{Inmon| | {{Inmon| | ||
如來欲明 持名功勝。先貶 餘善爲少善根。所謂 布施・持戒・立寺・造像・禮誦・坐禪・懺念・苦行 一切福業 若無正信 迴向願求皆爲少善。非往生因。<br> | 如來欲明 持名功勝。先貶 餘善爲少善根。所謂 布施・持戒・立寺・造像・禮誦・坐禪・懺念・苦行 一切福業 若無正信 迴向願求皆爲少善。非往生因。<br> | ||
− | + | 若依此經 執持名號 決定往生。即知稱名 是多善根・多福徳也。昔作此解人 尚遲疑。近得襄陽石碑 經本文 理冥符。始懷深信。彼云。善男子・善女人 聞説阿彌陀佛 一心不亂 專持(称)名號。以稱名故 諸罪消滅。即是多功徳・多善根・多福徳因縁。 | |
:如来、持名の功勝れたることを明かさんと欲す。まづ余善を貶して少善根とす。いはゆる布施・持戒・立寺・造像・礼誦・座禅・懺念・苦行、一切福業、もし正信なければ、回向願求するにみな少善とす。往生の因にあらず。もしこの経によりて名号を執持せば、決定して往生せん。すなはち知んぬ、称名はこれ多善根・多福徳なりと。むかしこの解をなしし、人なほ遅疑しき。近く襄陽の石碑の経の本文を得て、理冥符せり。はじめて深信を懐く。かれにいはく、〈善男子・善女人、阿弥陀仏を説くを聞きて、一心にして乱れず、名号を専称せよ。称名をもつてのゆゑに、諸罪消滅す。すなはちこれ多功徳・多善根・多福徳因縁なり〉 | :如来、持名の功勝れたることを明かさんと欲す。まづ余善を貶して少善根とす。いはゆる布施・持戒・立寺・造像・礼誦・座禅・懺念・苦行、一切福業、もし正信なければ、回向願求するにみな少善とす。往生の因にあらず。もしこの経によりて名号を執持せば、決定して往生せん。すなはち知んぬ、称名はこれ多善根・多福徳なりと。むかしこの解をなしし、人なほ遅疑しき。近く襄陽の石碑の経の本文を得て、理冥符せり。はじめて深信を懐く。かれにいはく、〈善男子・善女人、阿弥陀仏を説くを聞きて、一心にして乱れず、名号を専称せよ。称名をもつてのゆゑに、諸罪消滅す。すなはちこれ多功徳・多善根・多福徳因縁なり〉 | ||
}} | }} | ||
彼石經本梁陳人書。至今六百餘載。竊疑今本相傳訛脱。<br> | 彼石經本梁陳人書。至今六百餘載。竊疑今本相傳訛脱。<br> | ||
+ | :彼の石經は本(もと)梁の陳人の書なり。今に至るに六百餘載なり。竊に疑うに今の本は相傳して訛(あやま)りて脱するか。 | ||
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二中分三。初至不亂專念持名。其人下二臨終感聖。是人下三正念往生。初二句索持機不簡男女次二句勸信受。或披經典。或遇知識聞必生信。信故持名。次七句示期限。一日七日隨人要約。 | 二中分三。初至不亂專念持名。其人下二臨終感聖。是人下三正念往生。初二句索持機不簡男女次二句勸信受。或披經典。或遇知識聞必生信。信故持名。次七句示期限。一日七日隨人要約。 | ||
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故十疑論云。智者熾然求生淨土。達生體不可得。此乃眞無生。非謂生法外別有無生也。淨名云。雖知諸佛國及與衆生空。而常修淨土教化諸群生。即斯謂也。 | 故十疑論云。智者熾然求生淨土。達生體不可得。此乃眞無生。非謂生法外別有無生也。淨名云。雖知諸佛國及與衆生空。而常修淨土教化諸群生。即斯謂也。 | ||
− | 問『觀經』云。是心作佛是心是佛。何須念他佛耶。 | + | 問『觀經』云。是心作佛是心是佛。何須念他佛耶。 |
− | + | :問ふ、『觀經』に云く。是の心、作佛す、是の心は是れ佛なり。何ぞ須く他佛を念ぜんや。 | |
− | + | 答祇由心本是佛故。令專念彼佛。梵網戒云。常須自知我是未成之佛諸佛是已成之佛。汝心佛者未成佛也。彌陀佛者已成佛也。 | |
+ | :答ふ、ただ心は本是れ佛に由るが故に、彼の佛を專念せしむ。梵網戒に云く。常に須く自から知るべし、我是れ未成の佛なり、諸佛は是れ已成の佛なり。汝の心の佛は未だ成佛せざるなり。彌陀佛は已(すで)に成佛したまえり。 | ||
+ | 未成之佛久沈欲海。具足煩惱杳無出期。已成之佛久證菩提。具足威神能爲物護。是故諸經勸令念佛。 | ||
+ | :未成の佛は久しく欲海に沈む。煩惱を具足し杳(くらく)して出ずる期無し。已成の佛は久しく菩提を證し、威神を具足して能く物を護ると爲し。是の故に諸經に念佛を勸めしむ。 | ||
+ | 即是以己未成佛。求他已成佛而爲救護耳。是故衆生若不念佛聖凡永隔。父子乖離長處輪迴。去佛遠矣。 | ||
+ | :即ち是れ己未成佛なるを以つて、他の已成佛をして、爲に救護を求むるみ。是の故に、衆生の若は念佛せざれば聖と凡永く隔つ。父子乖離して長く輪迴に處す。佛を去ること遠きなると。 | ||
問四字名號 凡下常聞。有何勝能 超過衆善。<br> | 問四字名號 凡下常聞。有何勝能 超過衆善。<br> | ||
:問ふ、四字の名號は凡下の常に聞くところなり。何ぞ勝能ありて衆善に超過せん。 | :問ふ、四字の名號は凡下の常に聞くところなり。何ぞ勝能ありて衆善に超過せん。 | ||
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<!--http://www.archive.org/stream/shwashinshkokuya09tokyuoft#page/239/mode/2up--> | <!--http://www.archive.org/stream/shwashinshkokuya09tokyuoft#page/239/mode/2up--> | ||
『華嚴』云 寧。受地獄苦 得聞諸佛名。不受無量樂 而不聞佛名。 | 『華嚴』云 寧。受地獄苦 得聞諸佛名。不受無量樂 而不聞佛名。 | ||
− | : | + | :『華嚴』に云く、むしろ地獄の苦を受くるとも、諸佛の名を聞くことを得よ、无量の樂を受くるとも佛の名を聞かざることなかれ<ref> |
+ | 大方廣佛華嚴經 須彌頂上偈讃品 第十四<br> | ||
+ | 爾時眞實慧菩薩。承佛威力。普觀十方。而説 | ||
+ | 頌言<br> | ||
+ | 寧受地獄苦 得聞諸佛名 | ||
+ | 不受無量樂 而不聞佛名 | ||
+ | 所以於往昔 無數劫受苦 | ||
+ | 流轉生死中 不聞佛名故 | ||
+ | 於法不顛倒 如實而現證 | ||
+ | 離諸和合相 是名無上覺 | ||
+ | 現在非和合 去來亦復然 | ||
+ | 一切法無相 是則佛眞體 | ||
+ | 若能如是觀 諸法甚深義 | ||
+ | 則見一切佛 法身眞實相 | ||
+ | 於實見眞實 非實見不實 | ||
+ | 如是究竟解 是故名爲佛 | ||
+ | 佛法不可覺 了此名覺法 | ||
+ | 諸佛如是修 一法不可得 | ||
+ | 知以一故衆 知以衆故一 | ||
+ | 諸法無所依 但從和合起 | ||
+ | 無能作所作 唯從業想生 | ||
+ | 云何知如是 異此無有故 | ||
+ | 一切法無住 定處不可得 | ||
+ | 諸佛住於此 究竟不動搖 | ||
+ | 爾時無上慧菩薩。承佛威力。普觀十方。而説 | ||
+ | 頌言 | ||
+ | </ref> | ||
『藥師經』云。若彼佛名 入其耳中 墮惡道者。無有是處。阿難諸佛境界誠爲難信。皆是如來威力。非聲聞支佛所能信受。唯除補處菩薩耳。<br> | 『藥師經』云。若彼佛名 入其耳中 墮惡道者。無有是處。阿難諸佛境界誠爲難信。皆是如來威力。非聲聞支佛所能信受。唯除補處菩薩耳。<br> | ||
− | : | + | :『藥師經』に云く。もし彼の佛名をその耳中に入れるに惡道に墮するはこの處あること無し。阿難、諸佛の境界は誠に難信なり。みなこれ如來の威力なり。聲聞・支佛のよく信受するところに非ず、ただ補處の菩薩を除くのみ。<br> |
『瞻察經』{占察善惡業報經?}云。欲生他方現在淨土者。應當隨彼世界佛名專意念誦一心不亂。決定得生彼佛淨土。善根増長 速獲不退。當知一切善根中 其業最勝等。餘諸佛名 聞持尚爾。<br> | 『瞻察經』{占察善惡業報經?}云。欲生他方現在淨土者。應當隨彼世界佛名專意念誦一心不亂。決定得生彼佛淨土。善根増長 速獲不退。當知一切善根中 其業最勝等。餘諸佛名 聞持尚爾。<br> | ||
:瞻察經に云く。他方の淨土に現在生まれんと欲する者はまさに彼の世界の佛に隨い、名を專らに意念して一心不亂に誦して、決定して彼の佛の淨土に生ずることを得て、善根増長して、速に不退を獲ん。まさに知るべし、一切の善根の中にその業は最勝等なり。諸佛の名餘き聞持すること、なお爾なり。<br> | :瞻察經に云く。他方の淨土に現在生まれんと欲する者はまさに彼の世界の佛に隨い、名を專らに意念して一心不亂に誦して、決定して彼の佛の淨土に生ずることを得て、善根増長して、速に不退を獲ん。まさに知るべし、一切の善根の中にその業は最勝等なり。諸佛の名餘き聞持すること、なお爾なり。<br> | ||
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二感聖中。其人下是人并指上文執持名者。臨終攝引彌陀本願。<br> | 二感聖中。其人下是人并指上文執持名者。臨終攝引彌陀本願。<br> | ||
+ | :二に聖を感ずる中に、「其人」より下、「是人」は并(あわ)せて上の文は「執持名」しての、臨終の彌陀の本願の攝引を指す。<ref>経文の「《其人》臨命終時 阿弥陀仏与諸聖衆 現在其前《是人》終時心不顛倒 即得往生 阿弥陀仏極楽国土」の一段は「執持名」によるということ。</ref> | ||
『大經』云。十方衆生 至心發願欲生我國。臨壽終時 假令不與大衆圍繞 現其人前者。不取正覺。<br> | 『大經』云。十方衆生 至心發願欲生我國。臨壽終時 假令不與大衆圍繞 現其人前者。不取正覺。<br> | ||
− | + | ||
+ | :『大經』に云く。十方の衆生、至心に發願して我國に生れんと欲せん。壽終の時に臨みて假令(たとひ)大衆と圍繞して其人の前に現ぜずば正覺を取らじ。<ref>『無量寿経』の第十九願の文</ref> | ||
+ | |||
+ | 聖衆現前亦有多別。或眞佛化佛觀音勢至隨其品位。委在『觀經』。<br> | ||
+ | 或謂臨終見佛以爲魔者。或云自心業現。實無他佛來者。斯蓋不知 生佛一體感應道交。自障障他爲過不淺。如別所明。 | ||
+ | :聖衆の現前するに、また多くの別あり。あるいは眞佛・化佛・觀音・勢至その品位に隨う。くわしくは『觀經』にあり。 | ||
+ | :あるいは臨終に佛を見ることはもって魔となすと謂い、あるいは自心の業が現ずと云いて實には他佛の來たること無しとす。これ、けだし生佛一體の感應道交を知らざるなり。自ら障し他を障する過(あやまち)、淺からずなり。別に明かすところのごとし。 | ||
===行巻(52)=== | ===行巻(52)=== | ||
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舍利下二示義。又二。先叙聞持。是諸下次明得益。初中聞經受持者。牒上二報莊嚴。正明行法二大章也。及諸佛名者。牒上引佛勸信。第三一章 初科所引六方名也。次得益中。諸佛護念直<br> | 舍利下二示義。又二。先叙聞持。是諸下次明得益。初中聞經受持者。牒上二報莊嚴。正明行法二大章也。及諸佛名者。牒上引佛勸信。第三一章 初科所引六方名也。次得益中。諸佛護念直<br> | ||
至菩提。護謂覆護。不使魔嬈。念謂記念。不令退失。 | 至菩提。護謂覆護。不使魔嬈。念謂記念。不令退失。 | ||
− | + | ===愚禿鈔(43)=== | |
− | 勢至章云。十方如來憐念衆生。如母憶子。 | + | {{Inmon|勢至章云。十方如來憐念衆生。如母憶子。 |
− | + | :〈勢至章〉にいはく、〈十方の如来、衆生を憐念したまふこと、母の子を憶ふがごとし〉と。 | |
− | 信我語者。謂信教也。如不信我。十方諸佛豈虚妄乎。 | + | 大論云。譬如魚母若不念子。子即壞爛等。阿耨多羅 此翻無上。三藐云正等。三菩提云正覺。即佛果號。 |
+ | :『大論』(大智度論)にいはく、〈たとへば魚母のもし子を念はざれば、子すなはち壊爛する等のごとし〉と。阿耨多羅、ここには無上と翻ず、三藐は正等といふ、三菩提は正覚といふ。すなはち仏果の号なり。 | ||
+ | 薄地凡夫業惑纒縛。流轉五道百千萬劫。忽聞淨土 志願求生。一日稱名即超彼國。 | ||
+ | :薄地の凡夫、業惑に纏縛せられて五道に流転せること百千万劫なり。たちまちに浄土を聞きて、志願して生を求む。一日名を称すればすなはちかの国に超ゆ。 | ||
+ | 諸佛護念直趣菩提。可謂 萬劫難逢。千生一遇誓 從今日終盡未來。在處稱揚。多方勸誘。所感身土所化機縁。與阿彌陀等 無有異。此心罔極。唯佛證知 是故下三勸信。 | ||
+ | :諸仏護念してただちに菩提に趣かしむ。謂ふべし、万劫にも逢ひがたし。千生に一たび誓に遇へり。今日より未来を終尽すとも、在処にして讃揚し、多方にして勧誘せん。所感の身土・所化の機縁、阿弥陀と等しくして異あることなけん。この心極まりなし、ただ仏、証知したまへ。このゆゑに下に三たび信を勧む。 | ||
+ | 信我語者。謂信教也。如不信我。十方諸佛豈虚妄乎。 | ||
+ | :わが語を信ずるものは、教を信ずといふなり。もしわれを信ぜざらんには、十方諸仏、あに虚妄ならんや。}} | ||
次三時因果中。初正示。是故下二結勸。初中已即過去。今即現在。當即未來。發願是因。生即是果。三因三果別對可知。欲顯淨土。唯恐無願。有願必生定無漏失。 | 次三時因果中。初正示。是故下二結勸。初中已即過去。今即現在。當即未來。發願是因。生即是果。三因三果別對可知。欲顯淨土。唯恐無願。有願必生定無漏失。 | ||
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三諸佛互讃中二段。初我讃諸佛。彼下諸佛賛我。初文如我今者等。即指前科六方勸信。<br> | 三諸佛互讃中二段。初我讃諸佛。彼下諸佛賛我。初文如我今者等。即指前科六方勸信。<br> | ||
二中又二。初出彼讃詞。當知下二顯示誠實。初中釋迦翻能仁。即大慈垂應。牟尼翻寂默。即妙智冥眞。合此爲佛。則三身備矣。 | 二中又二。初出彼讃詞。當知下二顯示誠實。初中釋迦翻能仁。即大慈垂應。牟尼翻寂默。即妙智冥眞。合此爲佛。則三身備矣。 | ||
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===信巻(54)=== | ===信巻(54)=== | ||
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初中娑婆亦云索訶。此翻堪忍。<br> | 初中娑婆亦云索訶。此翻堪忍。<br> | ||
+ | :初中に「娑婆」とはまた索訶と云ふ。此には翻じて堪忍とす。 | ||
『悲華經』云。是諸衆生忍受三毒及諸煩惱故。<br> | 『悲華經』云。是諸衆生忍受三毒及諸煩惱故。<br> | ||
+ | :『悲華經』に云く。この諸の衆生、三毒および諸の煩惱を忍受するが故なり。 | ||
準『佛刹經』有二義。初義同上。二云彼有行菩薩乘者。成就忍辱。將護有情。善自調伏。若人加害。悉能含忍終不放逸。故云堪忍。五濁亦云五滓。<br> | 準『佛刹經』有二義。初義同上。二云彼有行菩薩乘者。成就忍辱。將護有情。善自調伏。若人加害。悉能含忍終不放逸。故云堪忍。五濁亦云五滓。<br> | ||
+ | :『佛刹經』に準ずるに二義あり。初の義は同上なり。二に彼の菩薩乘を行ずる者有りと云は、忍辱を成就し、將に有情を護るなり。善く自ら調伏して、若し人、加害せば、悉く能く忍を含みて終に放逸ならず、故に堪忍と云ふ。「五濁」はまた五滓と云ふ。 | ||
又言惡者。謂能具造十惡業故。劫者梵云劫波。此翻時分。下四濁聚在此時。從減劫人壽二萬歳時即入劫濁。<br> | 又言惡者。謂能具造十惡業故。劫者梵云劫波。此翻時分。下四濁聚在此時。從減劫人壽二萬歳時即入劫濁。<br> | ||
+ | :また「惡」と言は、謂わく能く十惡業を造りて具すが故なり。劫は梵に劫波(カルパ)と云ふ。此には翻じて時分とす。下の四濁は此時に在る聚なり。劫減じてより人壽二萬歳の時、即ち劫濁に入るなり。 | ||
見者。身見邊見邪見戒取見取五利使也。<br> | 見者。身見邊見邪見戒取見取五利使也。<br> | ||
+ | :「見」とは、身見・邊見・邪見・戒取・見取<ref>身見(我見と我所見)、実体的自我があるとする我見と一切のものが我に属するとする我所見とを合わせた有身見。邊見(辺執見)、自我は断絶するあるいは死後も常住であると一方の極端に偏る見。邪見、因果の道理を否定する見。戒取(戒取見)誤った戒律や誓いを守ることで解脱が得られるとする見。見取(見取見)、自らの見解だけを最高とし他の見解を誤りとする見の五つ。</ref>の五利の使なり。 | ||
煩惱者。貪嗔癡慢疑五鈍使也。衆生者。攬陰爲人。假名衆生。命者。刹那生滅。催年促壽。<br> | 煩惱者。貪嗔癡慢疑五鈍使也。衆生者。攬陰爲人。假名衆生。命者。刹那生滅。催年促壽。<br> | ||
+ | :「煩惱」とは、貪・嗔・癡・慢・疑の五鈍の使也。「衆生」とは、陰を攬(と)りて人となす。假名の衆生なり。「命」とは、刹那に生滅する、年を催おし壽を促すなり。 | ||
第二難中。 | 第二難中。 | ||
+ | :第二の難の中に、 | ||
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===信巻(55)=== | ===信巻(55)=== | ||
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;阿彌陀經義疏 | ;阿彌陀經義疏 | ||
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2017年7月14日 (金) 14:40時点における最新版
- 佛説阿彌陀經義疏 并序
西湖靈芝崇福寺 釋元照述
行巻(50)
一乘極唱 終歸咸指於樂邦。萬行圓修 最勝獨 推於果號。良以從因建願 秉志躬行。歴塵點劫 懷濟衆之仁。無芥子地非捨身之處。悲智六度攝化 以無遺。内外兩財 隨求而必應。機興縁熟 行滿功成。一時圓證於三身 萬徳總 彰於四字。
- 一乗の極唱、終帰をことごとく楽邦を指す。万行の円修、最勝を独り果号に推る。まことにもつて因より願を建つ。志を秉り行を窮め、塵点劫を歴て済衆の仁を懐けり。芥子の地も捨身のところにあらざることなし。悲智六度摂化してもつて遺すことなし。内外の両財、求むるに随うてかならず応ず。機と縁と熟し、行満じ功成り、一時に円かに三身を証す。万徳すべて四字に彰る。
是以知識 廣讃 感獄火化爲涼風。
善友教稱 見金蓮状同杲日。八十億劫之重罪 廓爾煙消。十萬億刹之遐方倏如羽化。
- 是を以って知識 廣く讃ずるに獄火は化して涼風と爲るを感ず。
- 善友の教えて稱せむに金蓮を見るに状(かたち)杲日に同じなり。八十億劫の重罪も廓爾として煙消す。十萬億刹の遐方(かなた)へ、倏(たちまち)に羽化せるが如し。
嗟乎 識昏障厚信寡疑多。貶淨業爲權乘。嗤誦持爲麁行。豈非耽湎朽宅 自甘永劫之沈迷。悖戻慈親 深痛一生之虚喪。須信非憑他力 截業惑以無期。不遇此門脱生死而無路。
- ああ、識昏く障り厚く信寡く疑多きは、淨業を貶しめて權乘となし。誦持を嗤いて麁行となす。あに朽宅に耽湎し自から永劫の沈迷に甘んずること非らんや。慈親に戻り悖(そむ)き深く痛むこと一生の虚喪なり。信ずべし、他力を憑みて、業惑を截(き)るに非ざれば以って期すること無し。この門に遇わざれば生死を脱するに路無し。
聞持頗衆正恊於時縁。著述雖多鮮窮於要旨。
- 聞持すること頗ぶる衆なれば時縁に正しく恊(かな)うなり。著述多しといえども要旨を鮮らかに窮む。
盡毫端而申釋敢㩭前修。舒舌相以讃揚誓同諸佛。太虚可際。鄙志奚窮。敬勉同舟深崇此道矣
將釋此經。先以義門括其綱要。始可入文 釋其義趣。初中大覺世尊一代名教。大小雖殊 不出教理行果。因教顯理。依理起行。由行克果。四法收之鮮無不盡。
初中言教大略有二。
初明教興二辨教相。初中『大本經』云。佛言如來以無量大悲 矜哀三界。所以出興於世。光闡道教普令群萌獲其法利。開示五趣 度未度者。決正生死 泥洹之道。此明出世大意。該於衆典。是謂通明教興也。
次據今經略言五意。
一欲令衆生 知娑婆苦求出離。故經云。彼國衆生無有衆苦。
二令知佛境界 生忻慕。故下明依正莊嚴勸生彼國。
三令攝心安住念佛三昧。故下云。聞説阿彌陀佛執持名號一心不亂等。
四令破障脱苦 得清淨樂。故下云。是人終時心不顛倒 即得往生等。
五令生彼國成就菩提。故下云。是諸人等 皆得不退轉等。
此明説經正意 局在今文。所謂別叙教興也。
次辨教相。淨土教觀通明現在十方諸佛。即如下引六方恒沙諸佛 出廣長舌勸信是經。即其證也。
又準下文。善男善女聞經受持。不歴階漸皆不退轉阿耨菩提。故知一切淨土教門 皆是大乘圓頓成佛之法。定非偏小。如別委論。
二明理者。理即教體。亦分爲二。初通二別。初中一切大乘皆以方等實相爲體。
方謂方廣。等即平等。實相妙理横遍諸法故名方廣。竪該凡聖故言平等。故知横竪一切諸法悉自縁生。皆不思議無非實相。此通一代大乘所詮之理。
二言別者。今經即以彌陀修因感果 依正莊嚴不思議功徳爲所詮理。
良以因中 發無相大願。修無住妙行 感無得聖果。點事如理相即非相。故所感身土無非實相。
即下經云。如我今者讃歎阿彌陀佛不可思議功徳。若非妙理。那稱不思議乎。
三明行者。行即教宗。亦有通別。初通明大行。不出發無上道心修六度萬行。備在衆經。不復具擧。
二別論者。修行淨業感生淨土。別是一門出離徑術。就淨業中復有多種。諸經所示行法各殊。『觀經』三福妙觀。大本一日一夜懸繒幡蓋。十日十夜奉持齋戒。『大悲經』中一日稱名展轉相勸。
『般舟經』中一日若過繋念現前。九十日中恒不坐臥。『鼓音聲經』十日十夜六時禮念。陀羅尼集誦諸神呪。『大法鼓經』但作生意知有彼佛。權巧赴機行法不一。教門雖異無不往生。
今經專示持名之法。正是經宗。於今爲要。故當委示。不可籠通。括束經文且爲五例。
一心起忻厭厭苦忻樂。
二身須西向正立合掌。
三克期日限。一日七日。
四繋心佛境專一不亂。
五期死無退 決誓求脱。若此稱名下至十念尚得往生。況一日七日乎。四明果者。果即教用。
亦有二別。一者近果經云。是人終時心不顛倒。即得往生極樂世界。由前稱佛結業成因。捨此穢苦 感彼淨樂。即獲法性淨身 住同居淨土也
二者遠果下云。衆生生者皆得不退阿耨菩提。此謂生彼國已聞法得忍。修菩提道斷惑。證眞究竟成佛。即證清淨法身 居法性土也。
上列四章略提梗概。餘如後釋。仍委他文。
次釋文中。此經凡有兩譯。一姚秦羅什法師譯。即今本也。二大唐玄奘法師譯。今見藏中立題各異。如下所明。自古解釋凡有三家 唐慈恩法師通讃一卷。今朝孤山法師 霅溪法師皆有疏記見行于世。
今之所出 各從其志時有異同。臨文目見。
次正釋文相又二。初釋經題二釋經文。初中此經本名稱讃不可思議功徳一切諸佛所護念經。總十六字。經字爲通題。上十五字爲別題。上八字屬教。即經所説依正莊嚴 稱名往生皆是彌陀修因感果威神願力不思議功徳也。下七字屬機。即依教起行。專修成業 衆聖冥加攝持。不退直至菩提也。奘師唐譯 即用本題云『稱讃淨土佛攝受經』。語雖少異義意大同。對文可見。今經秦譯隱略本題在六方佛後。即下云汝等衆生當信是等。據宗取要別建此題略有五意。
一則上符經旨。經中唯示持名方法。故取佛名用標題首。
二則下適機宜。彌陀名號衆所樂聞。故用標題。人多信受故。
三理自包含。但標佛名。稱讃護念任運自攝故。
四義存便易。梵號兼含耳聞淳熟故。
五語從簡要。後世受持稱道不繁故。且如唐譯。從本立題而未聞流布。
又如大本。從華標目。而罕見誦持。乃知秦本深體聖心。故得四海同遵百代無古。感通傳説。羅什法師七佛以來翻經。信非虚矣。今釋此題。上五字爲別。局今經故。下一字爲通。同衆典故。就別題中。上二字標能説教主。定是釋迦。但擧通號。下三字示所説人。簡非他佛故標別號。通別互擧譯人之巧。傾出我口暢悦彼心。以教合機故稱佛説。
阿彌陀此翻無量。經自釋云。彼佛光明無量。照十方國無所障礙。是故號爲阿彌陀。此謂無邊量也。
又云。彼佛壽命及其人民無量無邊阿僧祇劫。故名阿彌陀。此謂無數量也 光表佛智。壽表佛福。以此福智嚴本法身。三徳圓備以立嘉號。餘如下文。通題中。梵云修多羅此翻爲線。線能貫攝。即喩教詮。文理連貫包攝群機。訓法訓常義如常説。
次釋經文。大分三分。初至大衆倶爲序分。二爾時佛告下至是爲甚難爲正宗分。三佛説此經下至末文爲流通分。
初中諸經 皆有證信發起二序。此經但列證信 獨無發起。往生傳序云。此乃十二分教 無問自説之經。其猶母之拊嬰兒。不俟其請。但欲顧其手足 乳而哺之耳。
今以義求略爲二意。一表他方淨刹 非二乘偏小境界。縱有權行。示同不知。不假因縁。孤然自説。彰其特異。即下諸佛歎釋迦云。
能爲甚難希有之事。説此世間難信之法。是也。
二表我佛世尊大慈憫物。如母愛子憐其小騃。不能請問。召以誨之。彰其深切。故下如來囑云。汝等皆當信受我語及諸佛所説。是也。
就證信中。此即阿難結集奉教安列。六事爲證明非虚謬。令物信故。六縁不具教則不興。名六成就。諸經之首。解釋極繁。此但略提大要。餘廣如彼。
初如是者。如云指法之辭。即指正宗所説法門。契理曰如。離非曰是。信故聞持名信成就。
二我聞者。阿難自言親從佛聞非他傳告。即聞成就
三一時者。主伴會集説聽始終。簡非餘時。即時成就。
四佛者。釋迦教主。金口親宜非餘所説 即主成就。具云佛陀。翻云覺者。覺名乃通 此局妙覺究竟極果。十號之一也。是爲通號。
五在舍衞等者。説經有處。擧舍衞乃遊化之境。擧祇園即依住之處。即處成就。舍衞翻聞物。言人物富庶遠聞諸國故。祇陀施樹。給孤買園。共成佛刹故以爲名。
六與大比丘下。道俗四部大衆同會。非我獨聞。即衆成就。衆有三類。初聲聞衆。二並諸下即菩薩衆。三及釋提下人天衆。聲聞常時侍佛。威儀復勝。故在前列。菩薩隱顯無定。形服不拘。故以次之。人天俗衆形服全乖。故列于後。
初中有四。初示數。二皆是下歎徳。三長老下列名。四如是下總結。初中。大比丘者。上首弟子。如下列者。千二百等眷屬弟子並不列。比丘或云苾芻。此翻乞士。乞食資身。乞法練心。又翻怖魔。志怖彼魔徳令魔怖。又云破惡。禀戒破業。定慧破惑。此三因名。果號如後。僧者具云僧伽。此翻爲衆。四人已上秉御 一切滅惡生善羯磨。總該凡聖通收理事。故云衆也。
佛初成道度三迦葉。共有弟子千人。次度舍利弗目連。共有弟子二百五十人。此皆本是外道。遇佛得度。荷佛恩深故常隨侍。或云重其最初歸佛。故多列之。未必常預會也。
歎徳中。阿羅漢亦有三翻 初云應供。堪爲物養。即乞士果也。
次云殺賊。摧伏魔怨。即怖魔果也。三云無生。結盡苦亡。即破惡果也。即如下列會中上首。人天大衆知其徳業識其儀貎。故云衆知識也。
列名中。徳重藹高故稱長老。語局初人義該諸位。舍利弗此翻身子亦云珠子。其母好身形。聰明在眼珠。時人以子顯母爲作此號。又云舍標父。利標母。雙顯父母故言舍利弗。弗即子也。
摩訶目犍連。摩訶翻大。同名者衆。加大簡之。下皆類之。
目犍連。『文殊問經』翻莱茯根。 莱茯讀爲蘿蔔 眞諦云。勿伽羅翻胡豆。二物古仙所嗜。因以命族。名尼拘律陀。乃是樹名。父母祷神樹得子。因以名焉。
迦葉此翻大龜氏。其先代學道。靈龜負仙書而應。從徳命族。眞諦翻爲光波。上古仙人身光炎涌。状若波燃。亦云飮光。能映餘光使不現故。名畢鉢羅亦是樹名。由祷樹得故。
迦旃延 翻文飾。亦云肩垂亦云好肩。亦名柯羅。此翻思勝。皆從姓爲名。
拘絺羅 此翻大膝 有云膝蓋大故 舍利弗舅。與姊論義常勝姊。姊孕不勝。知懷智人。遂往南天竺。讀誦衆經 無暇剪爪。時人呼爲長爪梵志。
離波多 亦名離越。此翻星宿。或云室宿。父母從星乞得。因星作名。或云假和合。『文殊問經』稱常作聲。有人引智論。嘗宿空亭證二鬼諍屍。依實判歸小鬼。大鬼怒拔其手足。小鬼取屍補之。因其煩惱不測誰身。故云假和合。又心懷疑惑。逢人即問。見我身否。衆僧語云。汝身本是他之遺體。非已有也。因即得道故以爲名。
周利槃陀伽 此翻蛇奴。或言周利云大路邊。槃陀伽云小路邊。生於道傍故以爲名。
難陀 此云善歡喜。亦翻忻樂。本牧牛人。以牧牛事試。佛爲説法忻樂得道。故有處名牧牛難陀。或云即律中跋難陀也。
阿難陀 此云歡喜。或云無染。淨飯王聞太子成佛。王大歡喜。白飯王奏生兒。擧國忻然。因以爲名。
羅睺羅 此云覆障。佛之嫡子。酬往業故在胎六年。故云覆障。眞諦云。羅睺本言修羅。能手障日月。應言障月。佛言我法如月。此兒障我不即出家。世世能捨故云覆障。
憍梵波提 此翻牛齝 音詩 或云牛王。或云牛迹。昔五百世曾作牛王。餘報未盡。唼唼常嚼。時人稱爲牛齝。亦由此故名是爲牛迹。避人見笑。常居天上。
賓頭盧頗羅墮。上是據姓。賓頭盧此翻不動。 言其所證 頗羅墮眞諦翻捷疾。或利根或廣語。 言其根性 婆羅門中一姓也。
迦留陀夷 此翻黒光。或云麁黒。從形貎爲名。
劫賓那 此翻房宿。 音秀 祷星感子故以爲名。又初出家欲往見佛。夜雨寄陶師家宿。又一比丘隨後而來。前比丘推草與之。在地而坐。後比丘即爲説法。豁然得道。後比丘即是佛。共佛房宿。 音夙 從得道處爲名。
薄呴羅 此翻善容。亦云偉形。而色貌端正故言善容。年一百六十。無病無夭。昔持一不殺戒。九十一劫命不中夭。昔施僧一訶利勒菓故身常無病。感今勝報。故以爲名。
阿樓馱 亦云阿那律。或云阿泥盧頭。皆梵音奢切耳。此翻無貧。亦云如意。或云無竭。昔於飢世施支佛稗飯。九十一劫果報充足。故以爲名總結中。略擧上首一十六人。不可盡列。故云如是等。
南山云。學在我後故爲弟。解從我生故稱子。次菩薩中三。初示數。二文殊下列名。三與如下總結。初中。同聞極多。略擧四名故云諸也。菩薩梵言之略。天台戒疏云。摩訶菩提質帝薩埵 此翻大道心成衆生。或云。菩薩翻覺有情。覺謂上求。即是智也。有情謂下化。即是悲也。列名中。文殊師利亦云曼殊室利。此翻妙吉祥。妙即彰其所證。吉祥美其利物。或云妙徳。義亦同之。紹隆佛種稱法王子。智論云。佛爲法王。菩薩入正法位。乃至十地悉名法王子。乃知此名該下諸位。
阿逸多此云無能勝。言其悲智非偏小所及。
乾陀訶提此翻不休息。衆生無盡修因感果無窮已故。
常精進者。衆生無量。上求下化無暫懈故。總結中。然菩薩名通於初後。如上所列。莫非深位補處。或是權現影響故云 諸大也。
三人天中。釋提桓因具云釋迦因陀羅。此翻能天帝。即三十三天主。今言帝釋即華梵雙擧。大梵四王天主甚多。不復盡擧故云無量也。更兼道俗四衆龍鬼八部。故云大衆倶。
序中從略。文見流通。
第二正宗分大分三段。
從初至倶會一處。先讃二報莊嚴令生忻慕。
二不可以少下。正示專念持名教修行法。
三如我今者下。後引諸佛同讃勸信受持。
科分三節曲盡一經。有智試觀。思過半矣。初中又二。初總標依正。上二句指對告人。衆集即告。故云爾時。
身子大權智慧第一。知言解意 深契佛懷。故諸經便多令對語。
『彌勒下生經』云。大智舍利弗 能隨佛轉法輪。佛法之大將。乃知身子才辨超倫。及至此經 殊無一詞申疑請問。從始至末盡是如來呼以告之。
即向所謂示同不知義見于此。從是已下即所告事。上四句標依報。淨土多種。如別所論。
今此所標同居淨土。如世邦國方向遠近。
二皆是定。對此極苦故名極樂。亦名安樂亦號安養。十萬億刹凡情疑遠。然彈指屈臂刹那可到。一以十方淨穢同一心故。二以心念迅速不思議故。
十疑論云。但使衆生淨業成者。臨終在定之心。即是淨土受生之心。動念即是生淨土時。爲此『觀經』云彌陀淨土去此不遠。又心業力不思議一念即生。不須愁遠等。
下三句標正報。但言化主必兼徒衆。簡非過未故云現在。舍利下二別釋依正。又二。從初至莊嚴釋依報。3舍利弗於汝意下次明正報。
初中又二。初略釋名義。又舍利下廣明勝相。初中上三句徴問。下四句釋通。無衆苦者。對顯娑婆令生忻厭。三界六道總名苦果。於中復有八苦五苦三苦。生・老・病・死・貧困・愛別・怨會・求不得爲八苦也。殺・盜・婬・妄・飮酒五種惡業 並是苦因。必招苦果。名五苦也。
苦苦・壞苦・行苦名三苦也。諸經論中略示名數。諦論忍土。一切皆苦無一可樂。火宅牢獄未足爲喩。彌陀淨土境界殊絶。聖賢同會聞法悟道。壽命永劫不退菩提。更有餘樂不能過此。秖無諸苦。已爲可樂。況具諸勝事。其樂何窮。故云極也。
大本云。設我得佛。國中人天 所受快樂不如漏盡比丘。不取正覺。
善導云。願生彼國。必須勵心克己畢命爲期。上在一形似如小苦。前念命終後念即生。長時永劫受無爲法樂。直至成佛不退生死。豈不快哉。
次廣明中。依報國土耳目所對。不出聲色。據經後結成就莊嚴。止有三處即爲三段。
初欄網樹池唯是妙色莊嚴。
二金地華樂則兼色聲莊嚴。
三鳴禽風樹止是法音莊嚴。
故今科 約與昔全殊。請考經文無宜執舊。就初莊嚴分二。初至香潔即列相。舍利下二結示。列相又二。初至極樂擧欄網行樹以顯名。
又舍利下二引池閣寶蓮以示相。初中上七句示相。下二句結名。言行樹者周迴七重。一一樹高
八千由旬。行行相當不參差故。其樹枝葉上下七層皆垂珠網。状同佛塔。
『觀經』云。妙眞珠網彌覆樹上。一一樹上有七重網。一一網間有五百億妙華宮殿。一重樹下一重欄楯故亦七重網是珠瓔復依樹上。
則知皆是下二句止顯樹欄之體耳。一金二銀三瑠璃四玻璃是爲四寶。初正示若準『觀經』。七寶華葉無不具足。
又大本中根莖枝葉七寶間錯。此中略擧。委在他文。
周匝圍繞。有云凡佛菩薩居處皆然。非謂一國土止有七重耳。結名可解。
下諸莊嚴例順此結。二池閣中分四。初明池水。二池畔階道。三階上樓閣。四池中蓮華。初中七寶池者。彼有八池。七寶所成。池中之水亦七寶色。名八功徳。
一澄清。
二清冷。
三甘美。
四輕軟。
五潤澤。
六安和。
七除飢渇。
八長養諸根。
毎一池心有如意珠王。水從中出流注池中。金沙布地者。『觀經』云。渠下皆以雜色金剛以爲底沙。二中階砌亦即四寶。三明樓閣。
乃列七寶。『觀經』云。衆寶國土一一界上有五百億寶樓。瑠璃梵語。此翻不遠。去波羅奈城不遠有山出此寶故。玻璃亦云頗胝迦。此翻水玉。或云水精。硨磲下並華言。如車之磲。磲謂車輞。赤珠者。
佛地論云。赤蟲所出珠。體赤故。碼碯。應法師云。此寶色赤如馬腦焉。
大本云。設我得佛。自地至空。宮殿樓閣池流華樹皆以無量雜寶百千種香而共合成。嚴飾奇妙超諸天人等。四示蓮華有五。一形量。二顯色。三光焔。四香氣。五潔淨。對文可見。
若準『觀經』。一一池中有六十億七寶蓮華。一一蓮華團圓正等十二由旬。既言七寶。非止四色。十二由旬。非止車輪。然車有大小。難爲定準。此間極大不過數尺。可依輪王車輪爲量。
十住毘婆沙云轉輪聖王千輻金輪種種珍寶莊嚴 其輞。瑠璃爲轂。周圓十五里。準此。未及半由
旬。亦約小者耳。所以二經不同者。慈恩云。華有大小。彼據極大。此約最小。今準大本。池中
蓮華或一由旬乃至百千由旬。則知大小不同。經中但是隨宜趣擧。不必以此較經優劣。
二結示中。如是者。指上多種殊妙之相。皆是彌陀菩提願行從因至果歴劫熏修之所成就。故云功徳莊嚴。
故『觀經』云。如此妙華是本法藏比丘願力所成。自餘皆爾。豈唯華座乎。四十八願結云。彼佛於大衆中建此願已。一向專志莊嚴妙土等。下結諸文並同此釋。第二莊嚴二。初列相。舍利下二結示。初中有三。一天樂。二金地。三天華。
初常作天樂者。準『觀經』。作樂有三。水觀中云。百億華幢無量樂器以爲莊嚴。八種清風鼓此樂器等。又樓觀云。
其樓閣中有無量諸天作天妓樂。又有樂器懸處虚空。不鼓自鳴等。
準下經云。風吹樹網如百千種樂。故知彼土天樂非一。二黄金爲地者。準『觀經』。彼國皆瑠璃地。以黄金繩雜厠問錯。兼以七寶界其分齊。今言黄金。乃地面莊嚴耳。三天華又三。初六時雨華。其土下二盛華供養。即以下三供已還國。初中彼國光明常照。既無日月則無晝夜。順此方機且言
六時。準大本中。彼以蓮開鳥鳴爲曉。蓮合鳥棲爲夜。曼陀羅此翻適意。言其美也。又翻白華。取其色也。
二中其土衆生。通目九品。衣裓眞諦云。外國盛華器也。纔生彼國即獲六通。日往他方爲聞法故。
『觀經』云。應時即能飛行。遍至十方歴事諸佛。又遊歴十方供養諸佛。於諸佛前聞甚深法等。十萬億者趣擧大數。
三中食時謂中前也。大本云。彼國宮殿衣服飮食猶第六天自然之物。若欲食時。七寶鉢器自然在前。百味飮食自然盈滿。雖有此食實無食者。但見色聞香意以爲食。自然飽足。事已化去。時至復現等。寄歸傳云。
五天道俗多作經行。直來直去唯遵一路。如織之經。故曰經行。
四分律云。經行有五益。一堪遠行。二能思惟。三少病。四消食。五得定久住。結示同前。第三莊嚴亦二。初列相。舍利下結示。初列相中復有二種。初至所作衆鳥演聖法。舍利下二風樹出妙音。初中又二。初正示。舍利下釋疑。正示有三。先列衆禽略擧六種。前三易識。舍利此云春鸎或云鶖鷺。迦陵頻伽此翻妙聲。在中鳴已超衆鳥。共命者。兩首一身報同識異。故法華中翻爲命命鳥是也。
準『觀經』。更有百寶色鳧雁鴛鴦等。是諸下次明演法。和雅謂聲音感人。演暢謂説法無滯。五根者。一信。二精進。三念。四定。五慧。能生聖道故總名根。即此五法能排業惑故名爲力。七菩提分即七覺支。
一擇法。
二精進。
三喜。
四除。
五定。
六捨。
七念。
無學實覺七事能到故名爲分。八正道分者。
一正見。
二正思惟。
三正語。
四正業。
五正命。
六正精進。
七正念。
八正定。
前二慧學。中三戒學。後三定學。即是離明三學。初果已去見眞諦理皆名正道。亦名聖道。餘如法界次第委明。
准『觀經』云。常讃念佛念法念僧。或説苦空無常無我諸波羅蜜。故云如是等法。其土下後顯益物。念佛知佛恩重。念法知法功深。念僧知僧徳大又念佛願速證誠。念法願勤修學。念僧願親參預。
又念自心佛體自覺了。念自心法軌生聖道。
念自心僧隨縁和合。三寶多種隨機淺深。當知此界心垢常思五欲。彼方心淨專念三寶。
晨夕所存更無他意。兩土昇沈於茲可見。
次釋疑中二段。初至有實遮其疑情。是諸下二決所疑事。初中三節。先遮疑情。濁世禽畜罪業所招。極樂淨土何縁有此。所以下次伸意。彼國唯有人天兩道。
法藏願云。設我得佛。國有地獄餓鬼畜生者。不取正覺。舍利下三擧況。
大本云。彼國無有三塗苦難之名。但有自然快樂之音。是故其國名曰安樂。
二決疑中彌陀變化者。
準『觀經』。即池水中如意珠王涌出金光。其光化爲百寶色鳥。和鳴哀雅。當知衆鳥即是彌陀化身。欲使法音遍布遠近。顯知非是罪報所生也。
二風樹妙音分二。初示相。即前樹網風動成音。其音美妙如衆樂焉。聞是下顯益同前。結示可解。第二明正報中分二。初至十劫化主名號。舍利下二徒衆莊嚴。初中復二。初徴問。汝意云何。審其解否。既無所對故爲釋通。阿彌陀此翻無量。一者光明二者壽命。無量是通。光壽爲別。初光明無量者。佛光有二。一者常光。二者現起光。今此乃是彌陀常光。
大本云。無量壽佛威神光明最尊第一。諸佛光明所不能及。是故號爲無量光佛。乃至我説彼佛光明。晝夜一劫尚不能盡等。
又佛觀云。身諸毛孔演出光明。如須彌山。彼佛圓光如百億三千大千世界。
又云彼佛有八萬四千相。一一相有八萬四千好。一一好有八萬四千光明。遍照十方世界念佛衆生。攝取不捨。當知我輩處佛光中。都不覺知。佛光常攝。略無厭棄。猶如盲人居日輪下。
又如溷蟲樂在穢處。撫膺自責實可悲痛。二壽命無量又二。初明主伴壽量。舍利下二示果成劫數。初中佛壽有二。法報二佛一向無量。應佛皆具長短二量。今此淨土彌陀應身示其長量。
大本云。彼佛壽命長久不可稱計。假使十方無量衆生皆成聲聞縁覺。都共集會竭其智力。百千萬劫悉共推算計。不能窮盡。
又云聲聞菩薩天人之衆壽命長短亦復如是。故云及人民也。阿僧祇此云無數。
或云阿僧祇耶。翻無央數。二示劫數。言十劫者。準法華。大通智勝佛時。彌陀乃是十六王子之一數。釋迦既經塵劫。彌陀豈得不然。楞嚴勢至章云。我於往昔恒河沙劫。有佛出世名無量光。十二如來相繼一劫。準大本中。即阿彌陀也。今經大本皆言十劫。乃是一期赴機之説。不足疑矣。二徒衆莊嚴分二。初至祇劫説正示聖衆。舍利下二結勸往生。初中又二。初至莊嚴通列兩衆。又舍利下別顯行功。初中又二。初正列。舍利下結示。初中聲聞弟子即中三品。諸菩薩衆即上三品。總攝初心不退補處。 衆總三乘獨無縁覺 應以斷證同聲聞攝
故大本云。彼國聲聞菩薩其數難量。不可稱説。神智洞達威力自在等。
往生論説二乘不生。蓋是定性取涅槃者。今此謂曾發大心求佛菩提。示修小行。
法華獲記眞聲聞。涅槃知常出家菩薩之類也。
次結示中此亦彌陀所化。來生彼國修因證果。威神説法。爲國莊嚴。義同前釋。二別顯中衆生生者。通九品收。阿鞞跋致此云不退轉。下云是諸人等皆得不退阿耨菩提。則知生彼國者下至凡夫直至成佛更無退墮。
十疑論云。彼國有五因縁故不退。
一彌陀願力攝持。
二佛光常照。
三水鳥樹林常説法。
四純諸菩薩爲友無諸惡縁。
五壽命永劫。餘廣如彼。一生補處。即等覺菩薩。如觀音勢至等。衆類既多。非算所及。止可但言阿僧祇耳。問得忍補處祇合垂形五道入三塗處救苦衆生。何以長居淨土。答隨其志願攝化有殊。或遊戲十方。或往來三界。宣揚法化利樂群生。
準大本云。十方恒沙佛國無量菩薩悉生彼國。恭敬供養聽受經法。宣布道化。又云於此世界 有六十七億不退菩薩。往生彼國。又復授記十方菩薩。皆當往生。廣如下卷。二結勸中初 正勸。衆生聞者通指末代聞上所説。勸令發願。願必引行。行必感果。所以下伸意。
如是者指前所列三乘聖衆。皆是善人。欲明此界三惡充滿皆不善聚是可厭耳。
第二正示行法分三段。初至彼國簡餘善不生。若有下二正示修法。我見下三結顯勸意。
化巻(55)
初中
如來欲明 持名功勝。先貶 餘善爲少善根。所謂 布施・持戒・立寺・造像・禮誦・坐禪・懺念・苦行 一切福業 若無正信 迴向願求皆爲少善。非往生因。
若依此經 執持名號 決定往生。即知稱名 是多善根・多福徳也。昔作此解人 尚遲疑。近得襄陽石碑 經本文 理冥符。始懷深信。彼云。善男子・善女人 聞説阿彌陀佛 一心不亂 專持(称)名號。以稱名故 諸罪消滅。即是多功徳・多善根・多福徳因縁。
- 如来、持名の功勝れたることを明かさんと欲す。まづ余善を貶して少善根とす。いはゆる布施・持戒・立寺・造像・礼誦・座禅・懺念・苦行、一切福業、もし正信なければ、回向願求するにみな少善とす。往生の因にあらず。もしこの経によりて名号を執持せば、決定して往生せん。すなはち知んぬ、称名はこれ多善根・多福徳なりと。むかしこの解をなしし、人なほ遅疑しき。近く襄陽の石碑の経の本文を得て、理冥符せり。はじめて深信を懐く。かれにいはく、〈善男子・善女人、阿弥陀仏を説くを聞きて、一心にして乱れず、名号を専称せよ。称名をもつてのゆゑに、諸罪消滅す。すなはちこれ多功徳・多善根・多福徳因縁なり〉
彼石經本梁陳人書。至今六百餘載。竊疑今本相傳訛脱。
- 彼の石經は本(もと)梁の陳人の書なり。今に至るに六百餘載なり。竊に疑うに今の本は相傳して訛(あやま)りて脱するか。
二中分三。初至不亂專念持名。其人下二臨終感聖。是人下三正念往生。初二句索持機不簡男女次二句勸信受。或披經典。或遇知識聞必生信。信故持名。次七句示期限。一日七日隨人要約。
今經制法。理必依承。若準『大本』『觀經』。則無日限。下至十念皆得往生。十念即十聲也。後一句教
繋想。此一句經正明成業。先須斂念面向西方合掌正身。遙想彼佛現坐道場依正莊嚴光明相好。自慨此身久沈苦海。漂流生死孤露無依。譬如嬰兒墮在坑穽叫呼父母急救危忙。一志依投懇求解免。聲聲相續念念不移。雖復理事行殊定散機異。皆成淨業盡得往生。不然則無記妄縁定成虚福耳。
善導問曰。何故不令作觀。直遣專稱名號。有何意耶。
答曰。乃由衆生障重境細心麁識颺神飛觀難成就。是以大聖悲憐直勸專稱名號。正由稱名易故相續即生。
又云彌陀世尊本發深重誓願。以光明名號攝化十方。但使信心求念。上盡一形下至十聲一聲等。以佛願力易得往生
問達法本空心淨土淨。何須念佛求生淨土。
答若眞達理。語默皆如不礙修持。何妨念佛。若貶念佛。未曰達人。何以然者。既達法空則不住於相。既常念佛則不滯於空。超越二邊從容中道。念念契合彌陀法身。聲聲流入薩婆若海。臨終決定上品上生。豈非心淨佛土淨乎。
故十疑論云。智者熾然求生淨土。達生體不可得。此乃眞無生。非謂生法外別有無生也。淨名云。雖知諸佛國及與衆生空。而常修淨土教化諸群生。即斯謂也。
問『觀經』云。是心作佛是心是佛。何須念他佛耶。
- 問ふ、『觀經』に云く。是の心、作佛す、是の心は是れ佛なり。何ぞ須く他佛を念ぜんや。
答祇由心本是佛故。令專念彼佛。梵網戒云。常須自知我是未成之佛諸佛是已成之佛。汝心佛者未成佛也。彌陀佛者已成佛也。
- 答ふ、ただ心は本是れ佛に由るが故に、彼の佛を專念せしむ。梵網戒に云く。常に須く自から知るべし、我是れ未成の佛なり、諸佛は是れ已成の佛なり。汝の心の佛は未だ成佛せざるなり。彌陀佛は已(すで)に成佛したまえり。
未成之佛久沈欲海。具足煩惱杳無出期。已成之佛久證菩提。具足威神能爲物護。是故諸經勸令念佛。
- 未成の佛は久しく欲海に沈む。煩惱を具足し杳(くらく)して出ずる期無し。已成の佛は久しく菩提を證し、威神を具足して能く物を護ると爲し。是の故に諸經に念佛を勸めしむ。
即是以己未成佛。求他已成佛而爲救護耳。是故衆生若不念佛聖凡永隔。父子乖離長處輪迴。去佛遠矣。
- 即ち是れ己未成佛なるを以つて、他の已成佛をして、爲に救護を求むるみ。是の故に、衆生の若は念佛せざれば聖と凡永く隔つ。父子乖離して長く輪迴に處す。佛を去ること遠きなると。
問四字名號 凡下常聞。有何勝能 超過衆善。
- 問ふ、四字の名號は凡下の常に聞くところなり。何ぞ勝能ありて衆善に超過せん。
答佛身非相。果徳深高。不立嘉名 莫彰妙體。
- 答ふ、佛身は相に非ず。果徳深高にして嘉名を立てずして妙體を彰すこと莫し。
行巻(51)
十方三世皆有異名。
- 十方三世(諸仏に)に皆な異名あり。
況我彌陀 以名接物。是以耳聞口誦。無邊聖徳攬入識心。永爲佛種 頓除億劫重罪。獲證無上菩提。信知非少善根。是多功徳也。
- いはんやわが弥陀は名をもつて物を接したまふ。ここをもつて、耳に聞き口に誦するに、無辺の聖徳、識心に攬入す。永く仏種となりて頓に億劫の重罪を除き、無上菩提を獲証す。まことに知んぬ、少善根にあらず、これ多功徳なり。
『華嚴』云 寧。受地獄苦 得聞諸佛名。不受無量樂 而不聞佛名。
- 『華嚴』に云く、むしろ地獄の苦を受くるとも、諸佛の名を聞くことを得よ、无量の樂を受くるとも佛の名を聞かざることなかれ[1]
『藥師經』云。若彼佛名 入其耳中 墮惡道者。無有是處。阿難諸佛境界誠爲難信。皆是如來威力。非聲聞支佛所能信受。唯除補處菩薩耳。
- 『藥師經』に云く。もし彼の佛名をその耳中に入れるに惡道に墮するはこの處あること無し。阿難、諸佛の境界は誠に難信なり。みなこれ如來の威力なり。聲聞・支佛のよく信受するところに非ず、ただ補處の菩薩を除くのみ。
『瞻察經』{占察善惡業報經?}云。欲生他方現在淨土者。應當隨彼世界佛名專意念誦一心不亂。決定得生彼佛淨土。善根増長 速獲不退。當知一切善根中 其業最勝等。餘諸佛名 聞持尚爾。
- 瞻察經に云く。他方の淨土に現在生まれんと欲する者はまさに彼の世界の佛に隨い、名を專らに意念して一心不亂に誦して、決定して彼の佛の淨土に生ずることを得て、善根増長して、速に不退を獲ん。まさに知るべし、一切の善根の中にその業は最勝等なり。諸佛の名餘き聞持すること、なお爾なり。
況我彌陀有本誓乎。末俗障重多忽持名。故委引聖言。想無遲慮也。
- いわんや我が彌陀に本誓あるや。いまだ俗は障り重く名をたもつこと多なからん。ゆえにくわしく聖言を引きて想に遲慮無しなり。
二感聖中。其人下是人并指上文執持名者。臨終攝引彌陀本願。
- 二に聖を感ずる中に、「其人」より下、「是人」は并(あわ)せて上の文は「執持名」しての、臨終の彌陀の本願の攝引を指す。[2]
『大經』云。十方衆生 至心發願欲生我國。臨壽終時 假令不與大衆圍繞 現其人前者。不取正覺。
- 『大經』に云く。十方の衆生、至心に發願して我國に生れんと欲せん。壽終の時に臨みて假令(たとひ)大衆と圍繞して其人の前に現ぜずば正覺を取らじ。[3]
聖衆現前亦有多別。或眞佛化佛觀音勢至隨其品位。委在『觀經』。
或謂臨終見佛以爲魔者。或云自心業現。實無他佛來者。斯蓋不知 生佛一體感應道交。自障障他爲過不淺。如別所明。
- 聖衆の現前するに、また多くの別あり。あるいは眞佛・化佛・觀音・勢至その品位に隨う。くわしくは『觀經』にあり。
- あるいは臨終に佛を見ることはもって魔となすと謂い、あるいは自心の業が現ずと云いて實には他佛の來たること無しとす。これ、けだし生佛一體の感應道交を知らざるなり。自ら障し他を障する過(あやまち)、淺からずなり。別に明かすところのごとし。
行巻(52)
三 正念中。凡人臨終識神無主。善惡業種 無不發現。或起惡念 或起邪見。或生繋戀 或發猖狂。惡相非一。皆名顛倒。因前誦佛 罪滅障除。淨業内熏 慈光外攝 脱苦得樂。一刹那間。下文勸生 其利在此。
- 正念のなかに、凡人の臨終は識神主なし。善悪の業種発現せざることなし。あるいは悪念を起し、あるいは邪見を起し、あるいは繋恋を生じ、あるいは猖狂悪相を発せん。もつぱらみな顛倒の因と名づくるにあらずや。前に仏を誦して罪滅し、障除こり、浄業内に薫じ、慈光外に摂して、苦を脱れ楽を得ること一刹那のあひだなり。下の文に生を勧む、その利ここにあり。
三結顯中。我見是利即躡上科。故説此言。覆示前段。正報中文對文可見。大段第三勸信中三節。初至佛所説引諸佛同讃勸。若有人下二約三時因果勸。如我今者下擧諸佛互讃勸。
初中又二。初至之利指前自讃。東方下次引諸佛讃。初中如前所説 依正殊特持名脱苦。莫非彌陀大悲願行。從因至果功徳利益殆非心思口議所及。
二中又二。初盡六方正列。於汝意云何下釋經名。初中但列六方。
若依唐譯則列十方。今謂但擧六方四維自攝。但言略耳。下諸佛名相承不釋。今以義詳。
或從色相。或取言音 或約行業。或從譬喩。大略不出果徳三身。收無不盡。文或偏擧。義必兼含。
初東方分二。初叙現通。二引讃詞。餘五例此更不重分。初中阿閦鞞。此云不動。法身體寂無遷變故。若就因行。毀譽敬慢同一如故。次列三佛皆從喩名。衆山之中須彌最勝。諸佛法身超過諸法。初言相者其状同也。
次言大者出過喩也。三言光者 光則表智法兼報也。妙音説法稱機即應佛也。
河沙佛土略列五名。故云如是等。
各於其國者。正當釋迦説此經時。十方諸佛同時勸讃令信是經。若據諸佛。言無虚妄。但由衆生障重 信難故。現舌相表示誠言。諸佛常舌上至額際今此現起。長廣量等隨宜大小。何止大千乎。
次引讃詞。當信是句絶稱讃下即經本題。上句指前釋迦所説。下二句如後經文所解。餘見題中。下五並同此釋。
二南方中。日月燈三皆破闇。或次對三身。或單喩智徳。名聞光者。名聞十方。如光遍照。大焔肩者。言相則兩肩光焔。在智則雙照眞俗。須彌燈者。山燈即喩法報二身。無量精進。從行爲名。方便度生未嘗暫懈。衆生無量。悲智亦然。
三西方。前三皆名無量。初即壽命。二即相好。三即所證。法身。無上故喩如幢。大光大明並喩佛智。自行化他 破障除惑。寶相者。應佛相好如寶可貴。
淨光者亦即法報。
問初無量壽即是彌陀。若自勸讃。於義非便。
答同名甚多。必非極樂法藏所成之彌陀。
四北方中。焔肩同前。但無大字。最勝音同上妙音。難殂者。法身堅密不可壞故。殂音叙。又音疽。壞也。日生者。如世晨曦破晦暝故。網明者。法門交映如帝網故。
五下方中。獅子者。衆聖中尊故。以獸王比焉。又獅子一吼獸聞皆死。喩佛説法魔外消亡。名聞
名光。義同前釋。達磨翻法。單云法者。所證法身軌持萬化故。次云幢者。高出物表故。三云
持者。任持常住故。
六上方中。梵音者。梵即淨。法音清朗衆樂聞故。宿王者。宿音秀。星宿中
王。所謂月也。經云。衆星之中月天子爲第一。或可北辰居天中。而衆星拱之。而辰星爲宿
中王。亦喩法身出過諸法也。香上者。衆徳如香。超諸菩薩更兼智徳。故云香光。焔肩須彌
同前故不釋。雜色寶華者。以萬行因華嚴法身果徳。下寶華徳義亦同之。娑羅此翻堅固。
冬夏不凋。即喩法身無變易故。
見一切義者。洞達諸法甚深義趣。諸佛果海徳量何窮。三世道同。理無差異。隨機順物一相爲名。以意裁量。略如上解。後賢披閲更試講磨。次釋名中分三。
初至念經徴前經名。上句已見前文。
故但問下二句。恐未曉故問釋之。
舍利下二示義。又二。先叙聞持。是諸下次明得益。初中聞經受持者。牒上二報莊嚴。正明行法二大章也。及諸佛名者。牒上引佛勸信。第三一章 初科所引六方名也。次得益中。諸佛護念直
至菩提。護謂覆護。不使魔嬈。念謂記念。不令退失。
愚禿鈔(43)
- 〈勢至章〉にいはく、〈十方の如来、衆生を憐念したまふこと、母の子を憶ふがごとし〉と。
大論云。譬如魚母若不念子。子即壞爛等。阿耨多羅 此翻無上。三藐云正等。三菩提云正覺。即佛果號。
- 『大論』(大智度論)にいはく、〈たとへば魚母のもし子を念はざれば、子すなはち壊爛する等のごとし〉と。阿耨多羅、ここには無上と翻ず、三藐は正等といふ、三菩提は正覚といふ。すなはち仏果の号なり。
薄地凡夫業惑纒縛。流轉五道百千萬劫。忽聞淨土 志願求生。一日稱名即超彼國。
- 薄地の凡夫、業惑に纏縛せられて五道に流転せること百千万劫なり。たちまちに浄土を聞きて、志願して生を求む。一日名を称すればすなはちかの国に超ゆ。
諸佛護念直趣菩提。可謂 萬劫難逢。千生一遇誓 從今日終盡未來。在處稱揚。多方勸誘。所感身土所化機縁。與阿彌陀等 無有異。此心罔極。唯佛證知 是故下三勸信。
- 諸仏護念してただちに菩提に趣かしむ。謂ふべし、万劫にも逢ひがたし。千生に一たび誓に遇へり。今日より未来を終尽すとも、在処にして讃揚し、多方にして勧誘せん。所感の身土・所化の機縁、阿弥陀と等しくして異あることなけん。この心極まりなし、ただ仏、証知したまへ。このゆゑに下に三たび信を勧む。
信我語者。謂信教也。如不信我。十方諸佛豈虚妄乎。
- わが語を信ずるものは、教を信ずといふなり。もしわれを信ぜざらんには、十方諸仏、あに虚妄ならんや。
次三時因果中。初正示。是故下二結勸。初中已即過去。今即現在。當即未來。發願是因。生即是果。三因三果別對可知。欲顯淨土。唯恐無願。有願必生定無漏失。
十疑論云。生彼國已悉得無生。未有一人退落三界爲生死業縛等。次結勸中。若有信者。簡彼不信。任不發願自甘塗炭。是誰之咎。
三諸佛互讃中二段。初我讃諸佛。彼下諸佛賛我。初文如我今者等。即指前科六方勸信。
二中又二。初出彼讃詞。當知下二顯示誠實。初中釋迦翻能仁。即大慈垂應。牟尼翻寂默。即妙智冥眞。合此爲佛。則三身備矣。
信巻(54)
他不能爲故甚難。擧世未見故希有。
- 他のなすことあたはざるがゆゑに甚難なり。世挙つていまだ見たてまつらざるがゆゑに希有なり。
下列二難。
信巻(56-1)
於此惡世 修行成佛一難也。
爲諸衆生 説此法門 二難也。
- この悪世にして修行成仏するを難とするなり。もろもろの衆生のために、この法門を説くを二つの難とするなり。
初中娑婆亦云索訶。此翻堪忍。
- 初中に「娑婆」とはまた索訶と云ふ。此には翻じて堪忍とす。
『悲華經』云。是諸衆生忍受三毒及諸煩惱故。
- 『悲華經』に云く。この諸の衆生、三毒および諸の煩惱を忍受するが故なり。
準『佛刹經』有二義。初義同上。二云彼有行菩薩乘者。成就忍辱。將護有情。善自調伏。若人加害。悉能含忍終不放逸。故云堪忍。五濁亦云五滓。
- 『佛刹經』に準ずるに二義あり。初の義は同上なり。二に彼の菩薩乘を行ずる者有りと云は、忍辱を成就し、將に有情を護るなり。善く自ら調伏して、若し人、加害せば、悉く能く忍を含みて終に放逸ならず、故に堪忍と云ふ。「五濁」はまた五滓と云ふ。
又言惡者。謂能具造十惡業故。劫者梵云劫波。此翻時分。下四濁聚在此時。從減劫人壽二萬歳時即入劫濁。
- また「惡」と言は、謂わく能く十惡業を造りて具すが故なり。劫は梵に劫波(カルパ)と云ふ。此には翻じて時分とす。下の四濁は此時に在る聚なり。劫減じてより人壽二萬歳の時、即ち劫濁に入るなり。
見者。身見邊見邪見戒取見取五利使也。
- 「見」とは、身見・邊見・邪見・戒取・見取[4]の五利の使なり。
煩惱者。貪嗔癡慢疑五鈍使也。衆生者。攬陰爲人。假名衆生。命者。刹那生滅。催年促壽。
- 「煩惱」とは、貪・嗔・癡・慢・疑の五鈍の使也。「衆生」とは、陰を攬(と)りて人となす。假名の衆生なり。「命」とは、刹那に生滅する、年を催おし壽を促すなり。
第二難中。
- 第二の難の中に、
信巻(55)
念佛法門 不簡愚智。不擇豪賤。不論久近。不選善惡。唯取決誓猛信 臨終惡相十念往生 此乃具縛凡愚 屠沽下類 刹那超越 成佛之法。可謂一切世間 甚難信也。
- 念仏法門は、愚智を簡ばず、豪賤を擇ばず、久近を論ぜず、善悪を選ばず、ただ決誓猛信を取れば臨終悪相なれども、十念に往生す。これすなはち具縛の凡愚、屠沽の下類、刹那に超越する成仏の法なり。一切世間に甚難の信といふべきなり。
信巻(56-2)
二顯實中。
承前二難 則彰 諸佛所讃不虚。意使衆生聞而信受。
- 前の二難を承けて、すなはち諸仏所讃の虚しからざる意を彰す。衆生聞きて信受せしめよとなり。
第三流通分。正説既終。衆喜受持。展轉傳布遍於四海垂於萬世。故因衆散以爲流通。一切世間總收四部。別擧三趣。以決序文。阿修羅此翻非天。受樂如天。懷諂同鬼。從行爲名。歡喜則出離有門。信受乃憶持修習。得法閧懷。仰恩荷徳。傾誠展敬。志願流通
- 阿彌陀經義疏
- ↑
大方廣佛華嚴經 須彌頂上偈讃品 第十四
爾時眞實慧菩薩。承佛威力。普觀十方。而説 頌言
寧受地獄苦 得聞諸佛名 不受無量樂 而不聞佛名 所以於往昔 無數劫受苦 流轉生死中 不聞佛名故 於法不顛倒 如實而現證 離諸和合相 是名無上覺 現在非和合 去來亦復然 一切法無相 是則佛眞體 若能如是觀 諸法甚深義 則見一切佛 法身眞實相 於實見眞實 非實見不實 如是究竟解 是故名爲佛 佛法不可覺 了此名覺法 諸佛如是修 一法不可得 知以一故衆 知以衆故一 諸法無所依 但從和合起 無能作所作 唯從業想生 云何知如是 異此無有故 一切法無住 定處不可得 諸佛住於此 究竟不動搖 爾時無上慧菩薩。承佛威力。普觀十方。而説 頌言 - ↑ 経文の「《其人》臨命終時 阿弥陀仏与諸聖衆 現在其前《是人》終時心不顛倒 即得往生 阿弥陀仏極楽国土」の一段は「執持名」によるということ。
- ↑ 『無量寿経』の第十九願の文
- ↑ 身見(我見と我所見)、実体的自我があるとする我見と一切のものが我に属するとする我所見とを合わせた有身見。邊見(辺執見)、自我は断絶するあるいは死後も常住であると一方の極端に偏る見。邪見、因果の道理を否定する見。戒取(戒取見)誤った戒律や誓いを守ることで解脱が得られるとする見。見取(見取見)、自らの見解だけを最高とし他の見解を誤りとする見の五つ。