「観心為清浄円明事」の版間の差分
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解脱上人貞慶は、法相宗の学僧で最初の念仏弾圧事件を引き起こした『[[chu:興福寺奏状|興福寺奏状]]』の起草者といわれる。貞慶は、学徳兼備の名僧として人々から尊敬され戒律の再興に力をそそいでいた。そのような貞慶にとっては、法然聖人の破戒・持戒、有智・無智、善・悪を問わず念仏を専修して浄土へ往生するという教えはとうてい理解できなかったのであろう。<br> | 解脱上人貞慶は、法相宗の学僧で最初の念仏弾圧事件を引き起こした『[[chu:興福寺奏状|興福寺奏状]]』の起草者といわれる。貞慶は、学徳兼備の名僧として人々から尊敬され戒律の再興に力をそそいでいた。そのような貞慶にとっては、法然聖人の破戒・持戒、有智・無智、善・悪を問わず念仏を専修して浄土へ往生するという教えはとうてい理解できなかったのであろう。<br> | ||
− | + | 貞慶は、死の一か月前に口述した「観心為清浄円明事」で貞慶は「出離の道は取(う)ける身の惘然として其の法を聞かざるに非ず、ただ其の心〔清浄円明な菩提心〕の発(おこ)らざるなり。是れ則ち機の教と乖(そむ)き、望みと分と之(これ)に違(たが)ふの故か。心 広大の門に入らんと欲すれば、我が性堪えず、微少の業を修せむと欲すれば、自心頼み難し、賢老に遇(あ)ふ毎に問ふと雖も答へず」と、いっている。<br> | |
− | + | 真摯に仏道を修行している貞慶は、菩提心の発らぬことを歎き、これは機と教が合わないのではないかと「賢老に遇ふ毎に問ふと雖(いえど)も答へず」と述べている。賢い先輩にあう毎にこの意を問うのだが誰も答えてくれる人はいなかった、といっていることから貞慶の信仰は生涯動揺し続けていたのであろう。<br> | |
− | + | 梯實圓和上によれば、この問に答えてくれる人は、たった一人、法然聖人だけだったのである。法然聖人もまた同じような求道上の機と法の乖離の悩みを持っていたからである。貞慶はその問に答えるべき法然聖人を敵にまわしてしまったのであった。→「[[法然教学の研究_/第二篇/第一章_法然聖人における回心の構造/第七節_三学無分の自覚|法然聖人の回心]]」を参照<br> | |
− | + | この、死の半月前に口述された「観心為清浄円明事」では、「予は深く西方を信ずる」としているから、いつしか「但(た)だ予の如き愚人は観念に堪えず」と述懐していた貞慶も浄土教に帰順したのであろう。<br> | |
− | + | しかし、それは選択本願の本願に選択された〔なんまんだぶ〕を称える法然浄土教ではなく、また「学者[[chu:性相|性相]]の疑に同ぜず。世人一向の信に同ぜず」という自己の属する法相宗学にも無い貞慶独自の考える浄土教であった。 | |
そして、「真実の正因正業は〔聖衆の来迎の〕瑞相を見て後に希有の心〔正念〕を発す。或は略法を開き、或は被(こう)むる所に依って、暫時と雖も大乗の心〔清浄円明な心〕に住すべし。然る後に正しく浄土に生ずべきなり。其の瑞相不思議と併(なら)びて是れ仏宝法宝不思議なり。」<br> | そして、「真実の正因正業は〔聖衆の来迎の〕瑞相を見て後に希有の心〔正念〕を発す。或は略法を開き、或は被(こう)むる所に依って、暫時と雖も大乗の心〔清浄円明な心〕に住すべし。然る後に正しく浄土に生ずべきなり。其の瑞相不思議と併(なら)びて是れ仏宝法宝不思議なり。」<br> | ||
と、聖衆の来迎によって正念を発し、そこで大乗の心〔清浄円明な菩提心〕に住して往生すると領解していたようである。その意味では、貞慶は生きているうちに〔清浄円明な菩提心〕を決定(けつじょう)できず、結局は臨終の聖衆の来迎に一縷の望みを懸けていたのであった。<br> | と、聖衆の来迎によって正念を発し、そこで大乗の心〔清浄円明な菩提心〕に住して往生すると領解していたようである。その意味では、貞慶は生きているうちに〔清浄円明な菩提心〕を決定(けつじょう)できず、結局は臨終の聖衆の来迎に一縷の望みを懸けていたのであった。<br> | ||
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2022年3月9日 (水) 01:07時点における最新版
かんじんい-しょうじょう-えんみょうじ
解脱上人貞慶は、法相宗の学僧で最初の念仏弾圧事件を引き起こした『興福寺奏状』の起草者といわれる。貞慶は、学徳兼備の名僧として人々から尊敬され戒律の再興に力をそそいでいた。そのような貞慶にとっては、法然聖人の破戒・持戒、有智・無智、善・悪を問わず念仏を専修して浄土へ往生するという教えはとうてい理解できなかったのであろう。
貞慶は、死の一か月前に口述した「観心為清浄円明事」で貞慶は「出離の道は取(う)ける身の惘然として其の法を聞かざるに非ず、ただ其の心〔清浄円明な菩提心〕の発(おこ)らざるなり。是れ則ち機の教と乖(そむ)き、望みと分と之(これ)に違(たが)ふの故か。心 広大の門に入らんと欲すれば、我が性堪えず、微少の業を修せむと欲すれば、自心頼み難し、賢老に遇(あ)ふ毎に問ふと雖も答へず」と、いっている。
真摯に仏道を修行している貞慶は、菩提心の発らぬことを歎き、これは機と教が合わないのではないかと「賢老に遇ふ毎に問ふと雖(いえど)も答へず」と述べている。賢い先輩にあう毎にこの意を問うのだが誰も答えてくれる人はいなかった、といっていることから貞慶の信仰は生涯動揺し続けていたのであろう。
梯實圓和上によれば、この問に答えてくれる人は、たった一人、法然聖人だけだったのである。法然聖人もまた同じような求道上の機と法の乖離の悩みを持っていたからである。貞慶はその問に答えるべき法然聖人を敵にまわしてしまったのであった。→「法然聖人の回心」を参照
この、死の半月前に口述された「観心為清浄円明事」では、「予は深く西方を信ずる」としているから、いつしか「但(た)だ予の如き愚人は観念に堪えず」と述懐していた貞慶も浄土教に帰順したのであろう。
しかし、それは選択本願の本願に選択された〔なんまんだぶ〕を称える法然浄土教ではなく、また「学者性相の疑に同ぜず。世人一向の信に同ぜず」という自己の属する法相宗学にも無い貞慶独自の考える浄土教であった。
そして、「真実の正因正業は〔聖衆の来迎の〕瑞相を見て後に希有の心〔正念〕を発す。或は略法を開き、或は被(こう)むる所に依って、暫時と雖も大乗の心〔清浄円明な心〕に住すべし。然る後に正しく浄土に生ずべきなり。其の瑞相不思議と併(なら)びて是れ仏宝法宝不思議なり。」
と、聖衆の来迎によって正念を発し、そこで大乗の心〔清浄円明な菩提心〕に住して往生すると領解していたようである。その意味では、貞慶は生きているうちに〔清浄円明な菩提心〕を決定(けつじょう)できず、結局は臨終の聖衆の来迎に一縷の望みを懸けていたのであった。
法然聖人の示された、生前に信と疑を決判し、現に救いの法が〔なんまんだぶ〕と称えられ聞こえている選択本願念仏の信心に到達できなかったのであった。
聖道の菩提心とは、御開山が述懐されたように、
自力聖道の菩提心
こころもことばもおよばれず
常没流転の凡愚は
いかでか発起せしむべき
であったのである。自力の菩提心は、尊いことではあるが、機と教が乖離していては真のさとりへの階梯ではなかったのであった。御開山が「しかるに菩提心について二種あり」(*)として本願力回向の横超の菩提心を別立した所以である。
トーク:観心為清浄円明事に現代語あり。
〔と〕内は林遊の追記。
➡本文参照元 http://echo-lab.ddo.jp
- 観心為清浄円明事(心は清浄にして円明たるを観ずる事)
問ふ。真言教の中に月輪観有り。微妙甚深にして大功徳有りと云々。法相にも亦此の証有りや。
答ふ。未だ正文を見ざれども、義勢は
問ふ。仏果の理智は障を出ずるが故に円明しかるべし。凡夫の妄心は常に煩悩を具す。亦一徳も無し。何ぞ
答ふ。理性の清浄は凡聖の位に通ず。本来自性清浄は涅槃の義なり。依の方に成ず。故に論(『成唯識論』)に云わく。客染有りと
問ふ。無漏の種子は
答ふ。有漏心に寄りて無漏の種子を観ずる。是れ亦、違無し。只未だ現行せずと雖も、因既に微妙なり。諸大乗教に之を名づけて仏性と為し、之を称して如来と為す。因に於て果を談ずるは、聖教の常説也。凡そ因と云ひ果と云ひ、不一不異なり。又現在心の上に過去未来を立つる。現在世を離れて過未有ること無し。大乗の因果は深妙にして言を離る也。仏智の前に凡夫心を照さば、本来清浄にして仏と異ること無し。相性不二にして性を離れて相無し。因果は不異にして因を離れて果無し。
故に『涅槃経』に乳酪の喩を説く。人、乳家に到りて問ひて云はく、酪有るや。答へて云はく。酪有り。是れ即ち乳を指して酪と為す。現れずして既に有り。人、仏性を具す。知るべきこと亦
小島僧都二つの釈を作す。但だ事の浅なるを挙げて其の理性を観じて本義と為すか。仍ち世の満月を以て喩と為す。之を観ずるに過ぎたるは無し。但だ世間の日月は器界の摂する所也。一切の器界は、諸の有情の共業の感ずる所也。我が第八識は恒時に之を変ず。頼耶(阿頼耶識)の相分也。相を摂して心に帰すれば既に心中に在り。観念尤(もと)も応ずるか。
但だ予の如き愚人は観念に堪えず。只心を以て心を繋がむと想ふ。我が心清浄にして猶(なお)し満月の如ければ、分別は漸少し散乱は聊止せむ。心清く身凉きは滅罪の源と為るか。
又真言を誦すべし。功力広大の故也。冐地は菩提也。質多は縁慮心也。縁慮の心は其の性、本より浄なり。即ち是れ菩提大覚の体也。
問ふ。真如は無相也。何ぞ有相の月輪を以て無相の理を観ずるや。
答ふ。凡夫の心行は頓に無相の理に入ること能はず。故に有相中に此の相少しく無相に近し。衆物と衆色無きが故に。此の如く漸漸に遂に無相に入る。譬へば息を数へるが故に定を得るが如し。重ねて意を云ふに、初め息を数へるは猶散心の如し。散心の中の
『菩提心論』に経を引きて云はく、「若し勢力広増無くば宜しく法を信じ
出離の道は
是れ則ち機の教と
顕教の中に正文無しと雖も、義勢大同なり。語は異にして義は一也。心を此の事に繋ぐは至要一に非ざるか。
若し可怖の事を語れば嬰児聞きて
而るに本願を立つるの時は五劫に思惟す。其の思惟はこれを計るに、即ち能く不思議を知る故か。
爾らず、浄か最下の凡夫麁浅の縁を以て忽ちに微妙の浄土に生まれ、永く不退転の利を得むや。是れ則ち不思議中の不思議也。
予は深く西方を信ずるが故に、
病席の雑談は多く観音補陀落の事に在り。初心の同法等云はく、此の事廢妄せんと欲す。粗記せしめては如何。
答へて云はく、何事有りや。仍ち始め少々先の言を思い出だして書き付けらるるの人有り。又云はく。或は失し、或は背く、只此の事口筆を以て之を書くべしと云々。
其の後臥し乍ら詞を出だす。首尾散散なるか。又注付の後は自ら未だ之を見ず。気力の衰へは日に逐ひ、微音の言語分明ならず。定めて其の誤り多きか。此の如きの物、外に在りて流布すれば、人悪気を生ぜむ。其の憚り一に非ず。之れ如何に
建暦三年正月十七日之を記す
同年二月三日辰の初め御入滅
現行年正月廿二日書写しめ了ぬ
興隆仏法の為利益衆生の為
欣求浄土 憲縁