「延暦寺奏状」の版間の差分
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天裁を蒙り一向専修の濫行を停止せられることを請う子細の状 | 天裁を蒙り一向専修の濫行を停止せられることを請う子細の状 | ||
===弥陀念仏を以て別に宗を建てるべからずの事=== | ===弥陀念仏を以て別に宗を建てるべからずの事=== | ||
− | + | 一、不可以弥陀念仏別建宗事。 | |
+ | :一、弥陀念仏を以て別に宗を建てるべからずの事。 | ||
+ | 右謹検旧典建教建宗 有法式。 | ||
+ | :右、謹しんで旧典を検するに、教を建て宗を建つるに法式あり。 | ||
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+ | 或外国真僧帰化而来朝。或吾朝高僧奉勅而往諮。 | ||
+ | :あるいは外国の真僧、化に帰して来朝し、あるいは吾が朝の高僧、勅を奉り往いて諮る。 | ||
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+ | 予知一朝之根機 已張八宗教綱。 | ||
+ | :かねて一朝の根機を知り、すでに八宗の教綱を張るところなり。 | ||
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+ | 諭其祖宗 無非賢聖。尋其濫觴 皆待勅定 相承有次第 依憑無忤誤。 | ||
+ | :其の祖宗を諭ずるに、賢聖に非らざるは無し。其の濫觴を尋ぬれば、皆勅定を待ちて相承の次第有り、依憑するところ忤誤無し。 | ||
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+ | 爰頂年 有源空法師 卜居於黒谷之初 未有博学之実。移棲於東山之後 頻吐 誑惑之言 猥以愚鈍之性 欲追賢招之蹤。 | ||
+ | :ここに頂年、源空法師有り、黒谷に卜居の初、未だ博学の実有らず。棲を東山に移しての後、頻に誑惑の言(ことば)を吐く、猥に愚鈍の性を以つて賢招の蹤を追わんと欲す。 | ||
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+ | 私建一宗 還謗三宝 思生衿袖 敢無師説之稟承。 | ||
+ | :私に一宗を建て、還りて三宝を謗る、思い衿袖<ref>衿はエリ、袖はソデのことで、衣服の襟と袖は特に目立つ部分であることから、集団を率いる重要なポストを「領袖」と言うようになった。領は衣のえりのこと。</ref>を生じ、敢えて師説の稟承無し。 | ||
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+ | 言任干胸憶 不依経論の誠説。 | ||
+ | :言、胸憶に任せ、経論の誠説に依らず。 | ||
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+ | 遂煽邪風 於都鄙 殆払恵雲於天下。 | ||
+ | :ついに邪風を都鄙に煽ぎ、殆んど恵雲の天下を払ふ。 | ||
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+ | 自爾以来源空 雖没 未学興流。 | ||
+ | :これより以来、源空、没すといえども、未学の流を興こす。 | ||
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+ | 更分一念多念之門徒 各招誹法破法之罪業。 | ||
+ | :更に一念多念之門徒を分け、おのおの誹法破法の罪業を招く。 | ||
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+ | 貴賎趣其教 男女随彼言 衆人如狂 万民似酔 善者難慣干心 悪者易染干神之故也。 | ||
+ | :貴賎その教えに趣き、男女彼の言に随い、衆人狂うがごとし万民酔ふに似たり、善は心に慣れ難く、悪は易く神(たましい)に染むの故なり。 | ||
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+ | 或称之念仏宗 或号之浄土宗。 | ||
+ | :或いはこれ念仏宗と称し、或はこれを浄土宗と号す。 | ||
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+ | 夫浄土者万善之所期 念仏者 諸宗通規。 | ||
+ | :それ浄土は万善の所期、念仏は諸宗の通規なり。 | ||
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+ | 何以此両事 別立為一宗哉。 | ||
+ | :何んぞ、此の両事を以つて別立して一宗となすか。 | ||
+ | 抑件輩謗鎮国之諸宗 呼曰雑行 立放逸之一法名正行 奇恠之至。 | ||
+ | :そもそも件の輩、鎮国の諸宗を謗り、呼びて雑行といふ、放逸の一法を立て正行と名づく奇恠の至りなり。 | ||
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+ | 禁遏有余 何況不蒙公家処分 恣建新儀之邪宗 早被下厳重之紫泥 欲伏訴訟之丹地矣。 | ||
+ | :禁遏するに余りあり、いかにいわんや公家の処分蒙むらざれば、恣に新儀の邪宗を建てん、早く厳重の紫泥を下さるべく、訴訟の丹地を伏して欲せんとなり。 | ||
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===一向専修の党類、神明に向背す不当の事=== | ===一向専修の党類、神明に向背す不当の事=== | ||
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右双観経 説念仏法門之文云 当来之世経道滅尽 我以慈悲哀愍 特留此経 止住百歳 云々。 | 右双観経 説念仏法門之文云 当来之世経道滅尽 我以慈悲哀愍 特留此経 止住百歳 云々。 | ||
− | : | + | :右、双観経<ref>『無量寿経』のこと。</ref>に念仏法門を説くの文に云く、「当来の世に経道滅尽せんに、われ慈悲をもつて哀愍して、特にこの経を留めて止住すること百歳せん」と。云々 |
慈恩西方要訣 釈此文云。 | 慈恩西方要訣 釈此文云。 |
2014年2月2日 (日) 00:27時点における版
三時の教を案ずれば、如来般涅槃の時代を勘ふるに、周の第五の主穆王五十三年壬申に当れり。その壬申よりわが元仁元年[元仁とは後堀川院諱茂仁の聖代なり]甲申に至るまで、二千一百七十三歳なり。また『賢劫経』・『仁王経』・『涅槃』等の説によるに、すでにもつて末法に入りて六百七十三歳なり。
延暦寺三千大衆法師等誠惶誠恐謹言
天裁を蒙り一向専修の濫行を停止せられることを請う子細の状
目次
弥陀念仏を以て別に宗を建てるべからずの事
一、不可以弥陀念仏別建宗事。
- 一、弥陀念仏を以て別に宗を建てるべからずの事。
右謹検旧典建教建宗 有法式。
- 右、謹しんで旧典を検するに、教を建て宗を建つるに法式あり。
或外国真僧帰化而来朝。或吾朝高僧奉勅而往諮。
- あるいは外国の真僧、化に帰して来朝し、あるいは吾が朝の高僧、勅を奉り往いて諮る。
予知一朝之根機 已張八宗教綱。
- かねて一朝の根機を知り、すでに八宗の教綱を張るところなり。
諭其祖宗 無非賢聖。尋其濫觴 皆待勅定 相承有次第 依憑無忤誤。
- 其の祖宗を諭ずるに、賢聖に非らざるは無し。其の濫觴を尋ぬれば、皆勅定を待ちて相承の次第有り、依憑するところ忤誤無し。
爰頂年 有源空法師 卜居於黒谷之初 未有博学之実。移棲於東山之後 頻吐 誑惑之言 猥以愚鈍之性 欲追賢招之蹤。
- ここに頂年、源空法師有り、黒谷に卜居の初、未だ博学の実有らず。棲を東山に移しての後、頻に誑惑の言(ことば)を吐く、猥に愚鈍の性を以つて賢招の蹤を追わんと欲す。
私建一宗 還謗三宝 思生衿袖 敢無師説之稟承。
- 私に一宗を建て、還りて三宝を謗る、思い衿袖[1]を生じ、敢えて師説の稟承無し。
言任干胸憶 不依経論の誠説。
- 言、胸憶に任せ、経論の誠説に依らず。
遂煽邪風 於都鄙 殆払恵雲於天下。
- ついに邪風を都鄙に煽ぎ、殆んど恵雲の天下を払ふ。
自爾以来源空 雖没 未学興流。
- これより以来、源空、没すといえども、未学の流を興こす。
更分一念多念之門徒 各招誹法破法之罪業。
- 更に一念多念之門徒を分け、おのおの誹法破法の罪業を招く。
貴賎趣其教 男女随彼言 衆人如狂 万民似酔 善者難慣干心 悪者易染干神之故也。
- 貴賎その教えに趣き、男女彼の言に随い、衆人狂うがごとし万民酔ふに似たり、善は心に慣れ難く、悪は易く神(たましい)に染むの故なり。
或称之念仏宗 或号之浄土宗。
- 或いはこれ念仏宗と称し、或はこれを浄土宗と号す。
夫浄土者万善之所期 念仏者 諸宗通規。
- それ浄土は万善の所期、念仏は諸宗の通規なり。
何以此両事 別立為一宗哉。
- 何んぞ、此の両事を以つて別立して一宗となすか。
抑件輩謗鎮国之諸宗 呼曰雑行 立放逸之一法名正行 奇恠之至。
- そもそも件の輩、鎮国の諸宗を謗り、呼びて雑行といふ、放逸の一法を立て正行と名づく奇恠の至りなり。
禁遏有余 何況不蒙公家処分 恣建新儀之邪宗 早被下厳重之紫泥 欲伏訴訟之丹地矣。
- 禁遏するに余りあり、いかにいわんや公家の処分蒙むらざれば、恣に新儀の邪宗を建てん、早く厳重の紫泥を下さるべく、訴訟の丹地を伏して欲せんとなり。
一向専修の党類、神明に向背す不当の事
{未定}
一向専修、倭漢の礼に快からざる事
{未定}
諸教修行を捨てて専念弥陀仏が廣行流布す時節の未だ至らざる事
一、捨諸教修行 而専念弥陀仏広行流布時玆未至事。
- 一つには、諸教の修行を捨て、専ら弥陀仏を念じて広行流布の時は、ここに未だ至らざるの事。
右双観経 説念仏法門之文云 当来之世経道滅尽 我以慈悲哀愍 特留此経 止住百歳 云々。
- 右、双観経[2]に念仏法門を説くの文に云く、「当来の世に経道滅尽せんに、われ慈悲をもつて哀愍して、特にこの経を留めて止住すること百歳せん」と。云々
慈恩西方要訣 釈此文云。
- 慈恩、『西方要訣』に、この文を釈して云く。
如来説教 潤益有時。末法万年余経悉滅。弥陀一教 利物偏増時 経末法満一万年。一切諸経。並従滅没。釈迦恩重。留教百年云々。
- 「如来の説教、潤益に時あり。末法万年に余経悉く滅す。弥陀の一教、物を利すること偏えに増す時、末法の満一万年を経て、一切の諸経、並びに滅没するにより、釈迦の恩重くして教を留むること百年せん」と。云々
余経悉滅者 即指末法万年後也。
- 余経ことごとく滅すとは、すなわち末法万年の後を指す也。
既云 時経末法満一万年 一切諸経等 従滅没。
- すでに時、末法を経て一万年を満てて、一切の諸経等、滅没に従ふと云へり。
是以末法万年内 更為経道滅尽期乎。
- これ末法万年の内なるを以って、更に経道滅尽の期となすや。
就中 慈恩釈者 依善見律。彼律文云 如来滅後一万年中 前五千年 名為証法。後五千年 名為学法。
- なかんずく慈恩の釈は『善見律』による。かの律の文に云く、如来滅後一万年のうち、前の五千年を名づけて証法となし、後の五千年を名づけて学法となす。
一万年後経書滅没 唯有剃刀頭 着袈裟僧。{取意}
- 一万年の後、経書滅没し、ただ頭を剃刀し袈裟を着す僧あり。
慈恩 正指此時 而謂余経悉滅也。
- 慈恩、正しくこの時を指して余経ことごとく滅すと謂ふなり。
当知 於正像末法之間 非念仏偏増之時矣
- まさに知るべし、正像末法の間において、念仏ひとへに増の時に非ざるなり。
而彼等云 釈尊滅後 星霜眇焉 設致帰命 有何之験。去聖而遠之故也。
- しかるに彼等の云く、釈尊の滅後、星霜はるかなり。もし帰命を致すに何ぞこの験あらん、聖を去ること遠きのゆえなり。
又時、入末法 余経已滅 弥陀念仏之他 更法無。而可信是以人師釈云。
- また時、末法に入りて余経すでに滅す。弥陀念仏の他に更に法無し、しかれば信ずべし。これを以て人師の釈に云く。
末法万年 余経悉滅 弥陀一教 利物偏増 云々。
- 「末法万年に、余経ことごとく滅して、弥陀の一教、物を利することひとえに増せらん」[3]と、云々。
魯愚之至 晋未度 彼人師 釈是意如右 穏時経末法 満一万年之文。
- 魯愚の至り、すすむに未だ度せず、彼の人師の、その意を釈すに右のごときに、時、末法を経るは満一万年の文を隠す。
称末法万年 余経悉滅之言。惟其意 越欲朦時人也。
- 末法万年、余経ことごとく滅すの言をはかるに、ただその意、時の人の朦(おぼろ)なるを欲し越えんとする也。
何況 如来出世 有更異説 如天台浄名疏等。
- いかにいわんや、如来の出世に更に異説あり、天台『浄名疏』等のごとし。
以周荘王 他之代 為釈尊出世之時。
- 周の荘王、他の代をもって、釈尊出世の時となす。
自其代以来 未満二千年 像法最中也。
- その代より以来、未だ二千年に満たず、像法の最中なり
不可言末法 設雖末法中 尚是証法時也。
- 末法と言うべからず、たとひ末法中といえども、なおこれ証法の時なり。
若立修行 蓋得利 加之法花 有於像法中之説。
- もし修行を立つるに、なんぞ利を得ざる、加えてこの法花に像法中の説あり。
般若 有八千年中之文。大教之流行 豈非是時乎。
- 般若に八千年中の文あり。大教の流行、あにこれ時にあらずや。
而一向専修之輩 於説教繁昌之時 立衆経滅蓋之行事 之反覆可謂時変。
- しかるに一向専修の輩、説教繁昌の時において、衆経滅蓋の行を立する事、これ反覆して時を変ずと謂ふべし。
抑大師釈尊者 聖容満月之影 雖隠鶴林之雲 法身 照日光盛耀馬台之闇。
- そもそも、大師釈尊は聖容満月の影、鶴林の雲に隠るといえども、法身、日光盛耀して馬台の闇を照らす。
若不遇釈迦之遺教者 何得知弥陀之悲願乎。
- もし釈迦の遺教に遇わざれば、何んぞ弥陀の悲願を知ることを得んや。
不知此重恩 還生其驕慢 永不顧恩儀 何是異木石。
- この重恩を知らざるは、還ってその驕慢を生じ、永く恩儀を顧りみず、何んぞこれ木石に異らんや。
孔子云 不敬其親 而敬他人 謂之悖礼。
- 孔子云く、その親を敬せずして他人を敬するは、これを悖礼と謂う。
深忽緒 教主等閑 敬他仏 狐不反其塚 葉不敞其根者 蓋此謂歟乎。
- 深く教主を忽緒し等閑にして他仏を敬するは、狐その塚にかえらざる、葉その根をひろげざるとは、けだしこの謂なるか。
滅謗法之罪 被加禁遏之制矣。
- 謗法の罪を滅し、禁遏の制を加えらるべしや。
一向専修の輩、経に背き師に逆う事
{未定}
一向専修の濫悪を停止して護国の諸宗を興隆せらるべき事
{未定}
脚注