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:  救い取られる  自然の 浄土
 
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:  仏恩報謝の お念仏
 
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:: 南無阿弥陀仏
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====第二段 師の徳を讃える====
 
====第二段 師の徳を讃える====
 
:  これもひとえに
 
:  これもひとえに

2023年3月14日 (火) 14:37時点における版

領解文 (浄土真宗のみ教え)

第一段 お念仏のこころ

  南無阿弥陀仏
  「われにまかせよ そのまま 救う」の  弥陀のよび声
  私の 煩悩と 仏のさとりは  本来一つゆえ
  「そのまま 救う」が 弥陀のよび声
  ありがとう といただいて
  この 愚身をまかす このままで
  救い取られる  自然の 浄土
  仏恩報謝の お念仏
体言どめの表現のため非常に判りにくい文章である。
 南無阿弥陀仏
 「われにまかせよ そのまま 救う」の  弥陀のよび声
は、
 南無阿弥陀仏と称えることは「われにまかせよ そのまま 救う」の阿弥陀如来の()び声です。
という意であろう。なお弥陀といふ表現は略語であり一般的には通じないであろう。




第二段 師の徳を讃える

  これもひとえに
  宗祖聖人と
  法灯を伝承された 歴代宗主の
  尊いお導きに よるものです

第三段 念仏者の生活

  み教えを依りどころに 生きる者 となり
  少しずつ 執われの 心を離れます
  生かされていることに  感謝して
  むさぼり いかりに  流されず
  穏やかな顔と 優しい言葉
  喜びも 悲しみも 分かち合い
  日々 精一杯 つとめます
令和五年
二〇二三年
 一月十六日
  龍谷門主 釋 専如