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「新領解文/新作領解文への布石」の版間の差分

提供: 本願力

(ページの作成:「:➡[https://www.hongwanji.or.jp/message/m_001492.html 元になった令和三年・二〇二一年の立教開記念法要でのご親教] 上記の「浄土真宗の...」)
 
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:➡[https://www.hongwanji.or.jp/message/m_001492.html 元になった令和三年・二〇二一年の立教開記念法要でのご親教]
 
:➡[https://www.hongwanji.or.jp/message/m_001492.html 元になった令和三年・二〇二一年の立教開記念法要でのご親教]
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;浄土真宗のみ教え<br />
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   <kana>南無阿弥陀仏(なもあみだぶつ)</kana><br />
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  「われにまかせよ そのまま<kana>救(すく)</kana> う」の  <kana>弥陀(みだ)</kana> のよび <kana>声(ごえ)</kana><br />
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   <kana>私(わたし)</kana> の <kana>煩悩(ぼんのう)</kana>と <kana>仏(ほとけ)</kana>のさとりは  <kana>本来(ほんらい)</kana> <kana>一(ひと)</kana> つゆえ<br />
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  「そのまま <kana>救(すく)</kana> う」が  <kana>弥陀(みだ)</kana> のよび <kana>声(ごえ)</kana><br />
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  ありがとう といただいて<br />
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  この <kana>愚身(み)</kana> をまかす このままで<br />
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   <kana>救(すく)</kana> い <kana>取(と)</kana> られる  <kana>自然(じねん)</kana>の <kana>浄土(じょうど)</kana><br />
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  <kana>仏恩報謝(ぶっとんほうしゃ)</kana>の お <kana>念仏(ねんぶつ)</kana><br />
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  み <kana>教(おし)</kana> えを <kana>依(よ)</kana>りどころに <kana>生(い)</kana>きる <kana>者(もの)</kana> となり<br />
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   <kana>少(すこ)</kana>しずつ  <kana>執(とら)</kana>われの <kana>心(こころ)</kana>を  <kana>離(はな)</kana>れます<br />
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   <kana>生(い)</kana>かされていることに  <kana>感謝(かんしゃ)</kana>して<br />
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  むさぼり いかりに  <kana>流(なが)</kana> されず<br />
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   <kana>穏(おだ)</kana>やかな <kana>顔(かお)</kana>と  <kana>優(やさ)</kana>しい <kana>言葉(ことば)</kana><br />
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   <kana>喜(よろこ)</kana> びも  <kana>悲(かな)</kana> しみも  <kana>分(わ)</kana>かち <kana>合(あ)</kana>い<br />
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   <kana>日々(ひび)</kana>に  <kana>精一杯(せいいっぱい)</kana> つとめます
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上記の「浄土真宗のみ教え」に
 
上記の「浄土真宗のみ教え」に
  

2023年3月15日 (水) 12:20時点における版

元になった令和三年・二〇二一年の立教開記念法要でのご親教
浄土真宗のみ教え

   南無阿弥陀仏(なもあみだぶつ)
  「われにまかせよ そのまま(すく) う」の  弥陀(みだ) のよび (ごえ)
   (わたし)煩悩(ぼんのう)(ほとけ)のさとりは  本来(ほんらい) (ひと) つゆえ
  「そのまま (すく) う」が  弥陀(みだ) のよび (ごえ)
  ありがとう といただいて
  この 愚身() をまかす このままで
   (すく)() られる  自然(じねん)浄土(じょうど)
  仏恩報謝(ぶっとんほうしゃ)の お 念仏(ねんぶつ)

  み (おし) えを ()りどころに ()きる (もの) となり
   (すこ)しずつ  (とら)われの (こころ)を  (はな)れます
   ()かされていることに  感謝(かんしゃ)して
  むさぼり いかりに  (なが) されず
   (おだ)やかな (かお)と  (やさ)しい 言葉(ことば)
   (よろこ) びも  (かな) しみも  ()かち ()
   日々(ひび)に  精一杯(せいいっぱい) つとめます

上記の「浄土真宗のみ教え」に

第二段 師の徳を讃える
これもひとえに
宗祖聖人と
法灯を伝承された 歴代宗主の
尊いお導きに よるものです

の文を追記して新作領解文として発布したのである。そして宗祖聖人と現在の宗主である自己を同一化して我の徳を讃えよといふのであった。
正統の『領解文』では、

この御ことわり 聴聞申しわけ候ふこと、御開山聖人(親鸞)御出世の御恩、次第相承善知識のあさからざる御勧化の御恩と、ありがたく存じ候ふ。

と、次第相承善知識とあり必ずしも歴代宗主を指すのではなかった。『華厳経』「入法界品」にあるように外道や道端で遊んでいる子供も法を説く善知識であった。