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「淨土法門源流章」の版間の差分

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(震旦淨教傳通次第)
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;淨土法門源流章一卷<br />
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==淨土法門源流章一卷==
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東大寺沙門凝然述
 
東大寺沙門凝然述
  
 
夫淨土教義由來尚矣。王舍城内啓須摩之嘉會。祇陀林中彰舌相之祥驗。<br />
 
夫淨土教義由來尚矣。王舍城内啓須摩之嘉會。祇陀林中彰舌相之祥驗。<br />
 
論譯神州。二十九嚴始弘。疏傳日域。<br />
 
論譯神州。二十九嚴始弘。疏傳日域。<br />
四十八願昌翫。源廣流遠。根深枝繁。今略擧源流。粗精梢條。烈示名義。顯揚旨歸耳。<ref>夫れ淨土の教義由來尚(ひさ)しや。王舍城の内に須摩の嘉會を啓き、祇陀林の中に舌相の祥驗を彰す。<br />
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四十八願昌翫。源廣流遠。根深枝繁。今略擧源流。粗精梢條。烈示名義。顯揚旨歸耳。
神州に論譯し、二十九嚴、始て弘むなり。疏、日域に傳りて四十八願昌りに翫ぶ。源、廣くして流れ遠し。根深くして枝繁し。今略して源流を擧ぐ。粗、梢條精し名義を烈示し、旨歸を顯し揚ぐのみ。</ref>
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<ref>夫れ淨土の教義由來尚(ひさ)しや。王舍城の内に須摩の嘉會を啓き、祇陀林の中に舌相の祥驗を彰す。<br />
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神州に論譯し、二十九嚴、始て弘むなり。疏、日域に傳りて四十八願昌りに翫ぶ。源、廣くして流れ遠し。根深くして枝繁し。今略して源流を擧ぐ。粗、梢條を精し名義を烈示し、旨歸を顯し揚ぐのみ。</ref>
  
 
===淨土所依本經===
 
===淨土所依本經===
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此經古來新舊三藏 有十二代譯。而五存七闕。<br />
 
此經古來新舊三藏 有十二代譯。而五存七闕。<br />
 
言五存者。一此僧鎧譯。二清淨平等覺經二卷。魏帛延譯。三阿彌陀經二卷。呉月氏支謙譯。四大寶積經無量壽會二卷。大唐菩提流支譯。當彼經第十七及第十八卷。大寶積經有四十九會。此無量壽會當第五會。五大乘無量壽莊嚴經三卷。大宋西天法賢三藏譯。
 
言五存者。一此僧鎧譯。二清淨平等覺經二卷。魏帛延譯。三阿彌陀經二卷。呉月氏支謙譯。四大寶積經無量壽會二卷。大唐菩提流支譯。當彼經第十七及第十八卷。大寶積經有四十九會。此無量壽會當第五會。五大乘無量壽莊嚴經三卷。大宋西天法賢三藏譯。
<ref>此の經は曹魏の代に康僧鎧三藏譯す。<br />此の經、古來新舊の三藏、十二代の譯有り。而して五存七闕なり。<br />五存と言は、一は此の僧鎧の譯。二は清淨平等覺經二卷、魏の帛延の譯。三は阿彌陀經二卷、呉の月氏支謙の譯。四は大寶積經無量壽會二卷、大唐の菩提流支の譯、彼の經の第十七及び第十八卷に當る。大寶積經は四十九會有り、此の無量壽會は第五會に當る。五は大乘無量壽莊嚴經三卷、大宋西天の法賢三藏の譯なり。</ref>
 
 
已上五經同本異譯。雖有五本震旦月域世多依行。讀誦講敷。造疏述義。擧世競翫者。啻康僧鎧譯 無量壽經而已。
 
已上五經同本異譯。雖有五本震旦月域世多依行。讀誦講敷。造疏述義。擧世競翫者。啻康僧鎧譯 無量壽經而已。
<ref>已上の五經は同本異譯なり。五本有りといえども震旦月域、世に多く依行讀誦し講敷し、疏を造り義を述し、世を擧りて競い翫ぶは、啻(ただに)、康僧鎧譯の無量壽經にすぎず。</ref>
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<ref>兩卷『無量壽經』二卷。此の經は曹魏の代に康僧鎧三藏譯す。<br />此の經、古來新舊の三藏、十二代の譯有り。而して五存七闕なり。<br />五存と言は、一は此の僧鎧の譯。二は『清淨平等覺經』二卷、魏の帛延の譯。三は『阿彌陀經』二卷、呉の月氏支謙の譯。四は『大寶積經無量壽會』二卷、大唐の菩提流支の譯、彼の經の第十七及び第十八卷に當る。『大寶積經』は四十九會有り、此の無量壽會は第五會に當る。五は『大乘無量壽莊嚴經』三卷、大宋西天の法賢三藏の譯なり。已上の五經は同本異譯なり。五本有りといえども震旦月域、世に多く依行讀誦し講敷し、疏を造り義を述し、世を擧りて競い翫ぶは、啻(ただに)、康僧鎧譯の『無量壽經』にすぎず。</ref>
  
 
====觀無量壽經一卷====
 
====觀無量壽經一卷====
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古雖有復異譯而欠逸不行。唯此一本昌行世間。震旦諸師競作疏解。日域講敷述章極多。
 
古雖有復異譯而欠逸不行。唯此一本昌行世間。震旦諸師競作疏解。日域講敷述章極多。
<ref>古へ復た異譯有りといえども、しかして欠逸して行ぜず。唯だ此の一本、昌(さかん)に世間に行わる。震旦の諸師競って疏解を作り、日域講敷して章を述ぶこと極て多し。</ref>
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<ref>『觀無量壽經』一卷。宋代の薑良耶舍三藏譯す。古へ復た異譯有りといえども、しかして欠逸して行ぜず。唯だ此の一本、昌(さかん)に世間に行わる。震旦の諸師競って疏解を作り、日域講敷して章を述ぶこと極て多し。</ref>
  
 
====阿彌陀經一卷====
 
====阿彌陀經一卷====
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亦有一卷。與羅什本同本異譯。靖邁法師 作一卷疏。解釋此本。罄精美焉。<br />
 
亦有一卷。與羅什本同本異譯。靖邁法師 作一卷疏。解釋此本。罄精美焉。<br />
 
已上三經 爲淨土所依。
 
已上三經 爲淨土所依。
<ref>震旦、日本人多く誦持し、疏を製し鈔を述ぶ。十有餘家蘭菊の美を諍い金玉、光を奪う。大唐玄奘三藏亦た此經を譯す、稱讃淨土攝受經と名く。<br />亦た一卷有り。羅什の本と同本異譯なり。靖邁法師一卷の疏を作り、此の本を解釋す、精美を罄(つく)せり。已上の三經、淨土の所依爲たり。</ref>
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<ref>『阿彌陀經』一卷。姚秦の羅什三藏譯す。震旦、日本人多く誦持し、疏を製し鈔を述ぶ。十有餘家蘭菊の美を諍い金玉、光を奪う。大唐玄奘三藏亦た此經を譯す、『稱讃淨土攝受經』と名く。<br />亦た一卷有り。羅什の本と同本異譯なり。靖邁法師一卷の疏を作り、此の本を解釋す、精美を罄(つく)せり。已上の三經、淨土の所依爲たり。</ref>
  
 
無量壽經 以阿難彌勒爲對告人。特囑彌勒令廣弘持。<br />
 
無量壽經 以阿難彌勒爲對告人。特囑彌勒令廣弘持。<br />
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阿彌陀經 以舍利弗爲對告人。告舍利弗意令流布。故善導云。釋迦如來告身子。即是普告苦衆生 已上<br />
 
阿彌陀經 以舍利弗爲對告人。告舍利弗意令流布。故善導云。釋迦如來告身子。即是普告苦衆生 已上<br />
 
慈恩大師以四部經爲淨土本經。上三經外加鼓音聲陀羅尼經。名四部經。
 
慈恩大師以四部經爲淨土本經。上三經外加鼓音聲陀羅尼經。名四部經。
<ref>無量壽經は阿難と彌勒を以て對告人と爲し、特に彌勒に囑し廣く弘持せしむ。<br />觀無量壽經は阿難を以て對揚と爲し、并に弘演して未來に流通せしむ。<br />
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<ref>『無量壽經』は阿難と彌勒を以て對告人と爲し、特に彌勒に囑し廣く弘持せしむ。<br />『觀無量壽經』は阿難を以て對揚と爲し、并に弘演して未來に流通せしむ。<br />
阿彌陀經は舍利弗を以て對告人と爲し、舍利弗に告げる意、流布せしむるが故に善導の云く、釋迦如來身子に告ぐるは、即ち是れ普く苦の衆生に告ぐなり。 已上<br />
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『阿彌陀經』は舍利弗を以て對告の人と爲し、舍利弗に告ぐるは意流布せしむるが故に善導の云く、釋迦如來、身子に告ぐるは、即ち是れ普く苦の衆生に告ぐなり。 已上<br />
 
慈恩大師、四部の經を以て淨土の本經と爲す。上の三經の外に鼓音聲陀羅尼經を加て、四部經と名く。</ref>
 
慈恩大師、四部の經を以て淨土の本經と爲す。上の三經の外に鼓音聲陀羅尼經を加て、四部經と名く。</ref>
  
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多以兩卷無量壽經 觀經 彌陀經三部。爲淨土所依本經。<br />
 
多以兩卷無量壽經 觀經 彌陀經三部。爲淨土所依本經。<br />
 
今依此躅擧三部經。
 
今依此躅擧三部經。
<ref>曇鸞・道綽・善導・懷感等、淨教を弘通すの諸師等、多く兩卷無量壽經・觀經・彌陀經の三部を以て、淨土所依の本經と爲す。<br />
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<ref>曇鸞・道綽・善導・懷感等、淨教を弘通すの諸師等、多く兩卷『無量壽經』・『觀經」・『彌陀經』の三部を以て、淨土所依の本經と爲す。<br />
 
今、此の躅(あと)に依り三部經を擧ぐ。</ref>
 
今、此の躅(あと)に依り三部經を擧ぐ。</ref>
  
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二釋偈解義分。長行釋偈頌。解所攝義故。解義分中説五念門。一身業禮拜門。二口業讃嘆門。三作願門。四意業觀察門。五迴向門。淨土三經所説義理不過五門。是故論主樀經宗要。立此五念。<br />
 
二釋偈解義分。長行釋偈頌。解所攝義故。解義分中説五念門。一身業禮拜門。二口業讃嘆門。三作願門。四意業觀察門。五迴向門。淨土三經所説義理不過五門。是故論主樀經宗要。立此五念。<br />
 
論説二十四偈已云。無量壽修多羅章句。我以偈誦總説竟 已上
 
論説二十四偈已云。無量壽修多羅章句。我以偈誦總説竟 已上
<ref>亦は淨土論と名け、亦は往生論と名け、亦た無量壽經論と名く。此の論は天親菩薩の所造、後魏の菩提留支三藏譯す。東魏の曇鸞法師往生論を註し、二卷を成ず。日本の元興寺智光法師、往生論疏五卷を作る。<br />
+
<ref>淨土所依の本論。『無量壽經優婆提舍』一卷、亦は『淨土論』と名け、亦は『往生論』と名け、亦た『無量壽經論』と名く。此の論は天親菩薩の所造、後魏の菩提留支三藏譯す。東魏の曇鸞法師、『往生論』を註し、二卷を成ず。日本の元興寺智光法師、『往生論疏』五卷を作る。<br />
 
彼は曇鸞を取り以て義節と爲す。曇鸞・智光倶に是れ三論なり。右、三經一論を以て淨土の所依と爲す。此れに據りて義を立て、宗旨を莊嚴す。<br />
 
彼は曇鸞を取り以て義節と爲す。曇鸞・智光倶に是れ三論なり。右、三經一論を以て淨土の所依と爲す。此れに據りて義を立て、宗旨を莊嚴す。<br />
問。此の往生論は宗所の憑み爲り。是れ宗論とや爲ん、釋論とや爲せん。<br />
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問。此の『往生論』は宗所の憑み爲り。是れ宗論とや爲ん、釋論とや爲せん。<br />
答。此は是れ宗論なり。釋文論に非ず。論師、論を造るに種種の相有り。或は通申の論、或は別申の論。<br />
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答。此は是れ宗論なり。釋文論に非ず。論師、論を造るに種種の相有り。或は通申の論、或は別申の論なり。<br />
龍樹の中論十二門論等の如きは、是れ一代の通申なり。總じて大乘を陳るが故に、龍樹の智度、天親の十地の如し。是れ一經の別申、別して大乘を釋するが故に。<br />
+
龍樹の『中論』『十二門論』等の如きは、是れ一代の通申なり。總じて大乘を陳るが故に、龍樹の『智度』、天親の『十地』の如し。是れ一經の別申、別して大乘を釋するが故に。<br />
今、往生論は是れ別申論なり。既に無量壽經優婆提舍と言う。優婆提舍此に論義と云。即ち無量壽經論なり。<br />
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今、『往生論』は是れ別申論なり。既に『無量壽經優婆提舍』と言う。優婆提舍此に論義と云。即ち無量壽經論なり。<br />
 
是の故に名ずけて一經の別論と爲す。一類の經に就いて總じて宗旨を撮し、法義を建立し、名けて宗論と爲す。<br />
 
是の故に名ずけて一經の別論と爲す。一類の經に就いて總じて宗旨を撮し、法義を建立し、名けて宗論と爲す。<br />
別して文句を解するを、名けて釋論と爲す。今、往生論は即ち是れ別して淨土契經の宗義申る論なり。<br />
+
別して文句を解するを、名けて釋論と爲す。今、『往生論』は即ち是れ別して淨土契經の宗義申る論なり。<br />
 
問。所釋の本經三部の名同じ、一經に局ると爲(せ)ん、三部に通とせんや。<br />
 
問。所釋の本經三部の名同じ、一經に局ると爲(せ)ん、三部に通とせんや。<br />
 
答。無量壽の名、既に局る所無し。所説の義理亦た通ぜざること無し。此れ即ち通じて淨土の三經を申う。<br />
 
答。無量壽の名、既に局る所無し。所説の義理亦た通ぜざること無し。此れ即ち通じて淨土の三經を申う。<br />
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故以觀行爲論宗旨。此觀行者。全依觀無量壽經。建立此法。<br />
 
故以觀行爲論宗旨。此觀行者。全依觀無量壽經。建立此法。<br />
 
彼經明修十六觀故。十六觀中盡依正故。依正二報在所觀境。具觀彼土二報莊嚴故。註家釋此隨其所當。<br />
 
彼經明修十六觀故。十六觀中盡依正故。依正二報在所觀境。具觀彼土二報莊嚴故。註家釋此隨其所當。<br />
引觀經文。如座功徳引華座觀。身業功徳引眞身觀。未必皆對本經之文。若一一對無不契會。<ref>此れ即ち總偈に經の宗要を攝す。五念を明すといえども、所歸の宗を論ずるに、正く是れ意業觀察のみ。自餘の四門、或は是れ安心、或は是れ助業方便眷屬なり。
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引觀經文。如座功徳引華座觀。身業功徳引眞身觀。未必皆對本經之文。若一一對無不契會。
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<ref>此れ即ち總偈に經の宗要を攝す。五念を明すといえども、所歸の宗を論ずるに、正く是れ意業觀察のみ。自餘の四門、或は是れ安心、或は是れ助業方便眷屬なり。
 
曇鸞の注の中に二十四偈、まさに隨て五念門の相を配對し、論の中に解義、唯觀察門の中の偈頌に配して句義を解釋す。此の論を作る意、極樂淨土依正二報 二十九種莊嚴相を觀察して顯示する故なり。<br />
 
曇鸞の注の中に二十四偈、まさに隨て五念門の相を配對し、論の中に解義、唯觀察門の中の偈頌に配して句義を解釋す。此の論を作る意、極樂淨土依正二報 二十九種莊嚴相を觀察して顯示する故なり。<br />
故に觀行を以って論の宗旨と爲す。此の觀行は、全く觀無量壽經に依り、此の法を建立す。彼の經に十六觀を修することを明す故に、十六觀の中に依正を盡すが故に、依正二報所觀の境に在り、具に彼土二報莊嚴を觀ずる故に。註家、此を釋して、其の當る所に隨い觀經の文を引く。座功徳に華座觀を引き、身業功徳に眞身觀を引くが如し。未だ必しも皆な本經之文に對せず。若し一一に對せば契會ぜざること無し。</ref>
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故に觀行を以って論の宗旨と爲す。此の觀行は、全く『觀無量壽經』に依り、此の法を建立す。彼の經に十六觀を修することを明す故に、十六觀の中に依正を盡すが故に、依正二報所觀の境に在り、具に彼土二報莊嚴を觀ずる故に。註家、此を釋して、其の當る所に隨い『觀經』の文を引く。座功徳に華座觀を引き、身業功徳に眞身觀を引くが如し。未だ必しも皆な本經之文に對せず。若し一一に對せば契會ぜざること無し。</ref>
  
 
雙卷無量壽經具説 法藏比丘本願彌陀如來所成果相依報正報。引接衆生。令生極樂。所生衆生得益行相。其所成就依正二報。即觀察中所觀行相。是故論中接兩卷義。<br />
 
雙卷無量壽經具説 法藏比丘本願彌陀如來所成果相依報正報。引接衆生。令生極樂。所生衆生得益行相。其所成就依正二報。即觀察中所觀行相。是故論中接兩卷義。<br />
 
小彌陀經亦説極樂依正二報。
 
小彌陀經亦説極樂依正二報。
 
亦是本論觀察中境。是故具攝小彌陀義。是故此論通釋三經。
 
亦是本論觀察中境。是故具攝小彌陀義。是故此論通釋三經。
<ref>雙卷無量壽經に具に、法藏比丘の本願彌陀如來所成の果相依報正報を説き、衆生を引接して、極樂に生ぜしめ、所生の衆生得益の行相、其の成就する所の依正二報は、即ち觀察の中の所觀の行相なり。是故に論の中に兩卷の義を接す。
+
<ref>雙卷『無量壽經』に具に、法藏比丘の本願彌陀如來所成の果相依報正報を説き、衆生を引接して、極樂に生ぜしめ、所生の衆生得益の行相、其の成就する所の依正二報は、即ち觀察の中の所觀の行相なり。是故に論の中に兩卷の義を接す。
小彌陀經には亦た極樂依正二報を説く。 亦た是れ本論の觀察中の境なり。是の故に具に小彌陀の義を攝す。是の故に此の論三經を通釋す。</ref>
+
小『彌陀經』には亦た極樂依正二報を説く。 亦た是れ本論の觀察中の境なり。是の故に具に小彌陀の義を攝す。是の故に此の論三經を通釋す。</ref>
  
  
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勢變多端。或是止觀定惠雙行。作願是止奢摩他故。觀察是觀毘婆舍那故。餘三隨應助業安心。<br />
 
勢變多端。或是止觀定惠雙行。作願是止奢摩他故。觀察是觀毘婆舍那故。餘三隨應助業安心。<br />
 
或是入出二門行相。前四念門入自證宮門。迴向一門出教化地門。依五念門自利利他速疾成就。究竟圓滿。<br />
 
或是入出二門行相。前四念門入自證宮門。迴向一門出教化地門。依五念門自利利他速疾成就。究竟圓滿。<br />
或作願迴向倶是安心。身口意行是所起行。或五念倶行。作願迴向取行邊故。言念行。<ref>問。觀察門の中の二十九嚴は、三經通じて成なさん。一經各の成や。<br />
+
或作願迴向倶是安心。身口意行是所起行。或五念倶行。作願迴向取行邊故。言念行。
答。二十九嚴經に對してこれを言はば、三經合成して義門備足し、三經各の二十九句を成ず。亦た當らざること無し。解に隨て即ち得る。
+
<ref>問。觀察門の中の二十九嚴は、三經通じて成(な)さん。一經各の成や。<br />
義寂法師、雙卷經を解し、論の十七種等功徳を配す。玄一法師、小彌陀經を釋し、具に十七種等の莊嚴に配す。
+
答。二十九嚴、經に對してこれを言はば、三經合成して義門備足し、三經各の二十九句を成ず。亦た當らざること無し。解に隨て即ち得る。
元曉法師、小經の疏の中に、應對すべき所に隨て論を引き文に配す。此即ち諸師各の本論所説の諸嚴を盡す。淨土論の中の五念門の法、義を解し理を立つること、勢變多端なり。
+
義寂法師、『雙卷經』を解し、論の十七種等功徳を配す。玄一法師、小『彌陀經』を釋し、具に十七種等の莊嚴に配す。
 +
元曉法師、『小經』の疏の中に、應對すべき所に隨て論を引き文に配す。此即ち諸師各の本論所説の諸嚴を盡す。『淨土論』の中の五念門の法、義を解し理を立つること、勢變多端なり。
 
或は是れ止觀定惠雙行す。作願は是れ止・奢摩他の故に、觀察は是れ觀・毘婆舍那の故に。餘の三は應に隨て助業と安心となり。
 
或は是れ止觀定惠雙行す。作願は是れ止・奢摩他の故に、觀察は是れ觀・毘婆舍那の故に。餘の三は應に隨て助業と安心となり。
或は是れ入と出との二門の行相なり。前の四念門は自證宮に入る門。迴向の一門は教化地に出る門なり。五念門に依りて自利利他し速疾に成就究竟圓滿す。
+
或は是れ入と出との二門の行相なり。前の四念門は自證宮に入る門、迴向の一門は教化地に出る門なり。五念門に依りて自利利他し速疾に成就究竟圓滿す。
或は作願迴向倶に是れ安心身口意の行。是れ所起の行なり。或は五念倶に行、作願迴向行の邊を取るが故に、念行と言うか。</ref>
+
或は作願迴向倶に是れ安心身口意の行、是れ所起の行なり。或は五念倶に行じ、作願迴向行の邊を取るが故に、念行と言うか。</ref>
  
 
故問。三經一論既是淨土所依教典。若餘經論中有淨土所憑教耶<br />
 
故問。三經一論既是淨土所依教典。若餘經論中有淨土所憑教耶<br />
133行目: 136行目:
 
<ref>故に問。三經一論既に是れ淨土所依の教典なり。若し餘の經論の中に淨土所憑の教有りや。<br />
 
<ref>故に問。三經一論既に是れ淨土所依の教典なり。若し餘の經論の中に淨土所憑の教有りや。<br />
 
答。淨土の義理、念佛の法門、諸大乘教處處に廣く説けり。彼教典は餘法を宗と爲す。然に亦た兼て淨土の義門を説けり。
 
答。淨土の義理、念佛の法門、諸大乘教處處に廣く説けり。彼教典は餘法を宗と爲す。然に亦た兼て淨土の義門を説けり。
此れ等は並に是れ安養門に於いて、今三經と所説全く同じ。彼彼の教の中に淨土を説く處、安養を勸る處、皆取て今の淨土の所憑と爲す。
+
此れ等は並に是れ安養門に於いて、今三經と所説全く同じ。彼彼の教の中に淨土を説く處、安養を勸る處、皆な取て今の淨土の所憑と爲す。
純ら淨土を説くに非ずといえども、此三經一論の如く、而も義門一同なるをもって、皆咸く依用す。
+
純(もっぱ)ら淨土を説くに非ずといえども、此の三經一論の如く、而も義門一同なるをもって、皆な咸く依用す。
 
是れ淨土の所依に二有り。一には正所依の教。今の三經一論の如き是れ也。二に兼所依の教。諸經論の中に淨土の義を説き。往生極樂を陳演する是れ也。
 
是れ淨土の所依に二有り。一には正所依の教。今の三經一論の如き是れ也。二に兼所依の教。諸經論の中に淨土の義を説き。往生極樂を陳演する是れ也。
即ち般舟三昧經・悲華經第二第三卷・鼓音聲王陀羅尼經・彌勒問經・貞元花嚴經第四十卷・大乘同性經・十往生經・請觀音經・觀音授記經の如き。是の如き等の經、顯密二教諸經を簡ばず。皆取て以て兼所依教と爲す。
+
即ち『般舟三昧經』・『悲華經』第二第三卷・『鼓音聲王陀羅尼經』・『彌勒問經』・貞元『花嚴經』第四十卷・『大乘同性經』・『十往生經』・『請觀音經』・『觀音授記經』の如き。是の如き等の經、顯密二教諸經を簡ばず。皆な取て以て兼所依教と爲す。
諸論之中に。起信論勸生淨土の一段。十住婆娑の第三卷の中易行品等。並に西方に往生することを説く是れ也。</ref>
+
諸論之中に。『起信論』勸生淨土の一段、『十住婆娑』の第三卷の中易行品等。並に西方に往生することを説く是れ也。</ref>
  
  
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釋迦如來開法大師。於王舍城耆闍崛山。説無量壽經。於王舍城頻婆娑羅王宮。説觀無量壽經。於舍衞國祇桓精舍。説小阿彌陀經。各有對告。及有付囑。<br />
 
釋迦如來開法大師。於王舍城耆闍崛山。説無量壽經。於王舍城頻婆娑羅王宮。説觀無量壽經。於舍衞國祇桓精舍。説小阿彌陀經。各有對告。及有付囑。<br />
 
如來滅後。大迦葉等五百羅漢。於畢婆羅窟結集小乘三藏。文殊彌勒阿難陀等。於鐵圍山結集大乘藏。各弘閻浮。倶利衆生。<br />
 
如來滅後。大迦葉等五百羅漢。於畢婆羅窟結集小乘三藏。文殊彌勒阿難陀等。於鐵圍山結集大乘藏。各弘閻浮。倶利衆生。<br />
淨教三經彌勒文殊阿難結集。流布世間。付法藏傳。二十四祖次第相承。即迦葉・阿難・末田池・商那和須 田池商那同時弘教。依師資傳前後相承。
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淨教三經彌勒文殊阿難結集。流布世間。付法藏傳。二十四祖次第相承。即迦葉・阿難・末田池・商那和須 田池商那同時弘教。依師資傳前後相承。優婆毱多乃至第二十四師子尊者。
<ref>釋迦如來開法大師、王舍城耆闍崛山に於て、無量壽經を説く。王舍城頻婆娑羅王宮に於て、觀無量壽經を説く。舍衞國祇桓精舍に於て、小阿彌陀經を説く。各の對告有り、及び付囑有り。
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<ref>弘通淨教祖裔次第。天竺淨教弘通。釋迦如來開法大師、王舍城耆闍崛山に於て、『無量壽經』を説く。王舍城頻婆娑羅王宮に於て、『觀無量壽經』を説く。舍衞國祇桓精舍に於て、小『阿彌陀經』を説く。各の對告有り、及び付囑有り。
 
如來滅後、大迦葉等の五百羅漢、畢婆羅窟に於て小乘三藏を結集し。文殊・彌勒・阿難陀等。鐵圍山に於て大乘藏を結集し。各の閻浮に弘め、倶に衆生を利す。
 
如來滅後、大迦葉等の五百羅漢、畢婆羅窟に於て小乘三藏を結集し。文殊・彌勒・阿難陀等。鐵圍山に於て大乘藏を結集し。各の閻浮に弘め、倶に衆生を利す。
淨教の三經は彌勒・文殊・阿難結集して、世間に流布ず。付法藏傳、二十四祖次第相承ず。即迦葉・阿難・末田池・商那和須{田池商那同時弘教。依師資傳前後相承}</ref>
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淨教の三經は彌勒・文殊・阿難結集して、世間に流布ず。付法藏傳、二十四祖次第相承ず。即迦葉・阿難・末田池・商那和須{田池商那同時弘教。依師資傳前後相承}・優婆毱多乃至第二十四は師子尊者なり。</ref>
  
優婆毱多乃至第二十四師子尊者。其中馬鳴菩薩是第十二之祖。龍樹即第十四之祖。<br />
+
其中馬鳴菩薩是第十二之祖。龍樹即第十四之祖。<br />
 
婆修盤陀第二十一。即是天親。此三菩薩於淨土教所立有功。故即依憑。馬鳴菩薩造大乘起信論。建立往生淨土不退方便。
 
婆修盤陀第二十一。即是天親。此三菩薩於淨土教所立有功。故即依憑。馬鳴菩薩造大乘起信論。建立往生淨土不退方便。
  
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大師龍樹摩訶薩。誕形像始理 頽網 乃至 南無慈悲龍樹尊。至心歸命頭面禮 已上<br />
 
大師龍樹摩訶薩。誕形像始理 頽網 乃至 南無慈悲龍樹尊。至心歸命頭面禮 已上<br />
 
道綽禪師亦仰龍樹爲淨土祖。即依彼論建立二道。天親菩薩造淨土論。陳五念門。明三經意。是故立爲淨土祖師。
 
道綽禪師亦仰龍樹爲淨土祖。即依彼論建立二道。天親菩薩造淨土論。陳五念門。明三經意。是故立爲淨土祖師。
<ref>優婆毱多乃至第二十四は師子尊者なり。其中に馬鳴菩薩は是れ第十二之祖。龍樹は即ち第十四之祖、婆修盤陀は第二十一、即ち是れ天親なり。此の三菩薩淨土教に於て所立功有り。故に即ち依憑す。馬鳴菩薩は大乘起信論を造り、往生淨土不退の方便を建立す。
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<ref>其中に馬鳴菩薩は是れ第十二之祖。龍樹は即ち第十四之祖、婆修盤陀は第二十一、即ち是れ天親なり。此の三菩薩、淨土教に於て所立功有り。故に即ち依憑す。馬鳴菩薩は『大乘起信論』を造り、往生淨土不退の方便を建立す。
道綽禪師は此れを引きて據と爲す。龍樹菩薩は華嚴十住毘婆娑を造り、難行易行の二道を建立して、彌陀の願を陳べ安養の土を勸む。
+
道綽禪師は此れを引きて據と爲す。龍樹菩薩は華嚴『十住毘婆娑』を造り、難行易行の二道を建立して、彌陀の願を陳べ安養の土を勸む。
曇鸞法師、此に依りて教を立て、龍樹亦た大智度論を造り、往往に彌陀淨土の事義を陳宣す。亦た十二禮を造り、安養行式と爲す。
+
曇鸞法師、此に依りて教を立て、龍樹亦た『大智度論』を造り、往往に彌陀淨土の事義を陳宣す。亦た『十二禮』を造り、安養行式と爲す。
故に曇鸞法師龍樹菩薩を立て、淨土の高祖と爲するが故に、彼の師の大經讃に云。
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故に曇鸞法師、龍樹菩薩を立て、淨土の高祖と爲するが故に、彼の師の『大經讃』に云。
大師龍樹摩訶薩、形を像始に誕じて、頽網を理(とと)のえん{乃至}南無慈悲龍樹尊。至心歸命頭面禮{已上}
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大師龍樹摩訶薩、形を像始に誕じて、頽網を理(とと)のえん{乃至}南無慈悲龍樹尊。至心歸命頭面禮、と{已上}
道綽禪師も亦た龍樹を仰ぎて淨土の祖と爲す。即ち彼の論に依て二道を建立す。天親菩薩、淨土論を造り、五念門を陳べ三經の意を明す。是の故に立てて淨土の祖師と爲す。</ref>
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道綽禪師も亦た龍樹を仰ぎて淨土の祖と爲す。即ち彼の論に依て二道を建立す。天親菩薩、『淨土論』を造り、五念門を陳べ三經の意を明す。是の故に立てて淨土の祖師と爲す。</ref>
 
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文殊師利菩薩結集大乘。四百五十年。住世弘通。佛滅度後三百七十年。馬鳴菩薩出世。<br />
 
文殊師利菩薩結集大乘。四百五十年。住世弘通。佛滅度後三百七十年。馬鳴菩薩出世。<br />
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翻無著菩薩請降下中天阿踰闍國。於四月夜説五部論。無著受之弘通世間。無著以法付屬世親。<br />
 
翻無著菩薩請降下中天阿踰闍國。於四月夜説五部論。無著受之弘通世間。無著以法付屬世親。<br />
 
舊云天親。新云世親。淨土法門彌勒授無著。無著授世親。世親禀之造淨土論。瑜伽論中。地前菩薩及諸異生望受用土。爲別時意。不能即生。願行雖具非堪能故。地前異生望化淨土。願行具足即得往生。非別時意。是堪能故。引淨土經書作此會通。
 
舊云天親。新云世親。淨土法門彌勒授無著。無著授世親。世親禀之造淨土論。瑜伽論中。地前菩薩及諸異生望受用土。爲別時意。不能即生。願行雖具非堪能故。地前異生望化淨土。願行具足即得往生。非別時意。是堪能故。引淨土經書作此會通。
<ref>文殊師利菩薩大乘を結集し、四百五十年。世に住して弘通す。佛滅度の後三百七十年に、馬鳴菩薩出世す。
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<ref>文殊師利菩薩、大乘を結集し、四百五十年、世に住して弘通す。佛滅度の後三百七十年に、馬鳴菩薩出世す。
 
五百三十年に龍樹菩薩出世す。八百年之時に至る。九百餘年に天親菩薩出世し、大小の諸教を弘通す。報年八十餘歳世に住す。
 
五百三十年に龍樹菩薩出世す。八百年之時に至る。九百餘年に天親菩薩出世し、大小の諸教を弘通す。報年八十餘歳世に住す。
 
文殊・馬鳴・龍樹・天親四聖次第して、淨土の祖と爲す。彌勒菩薩は佛世に親く聞き、兜率天に昇り天衆を教化す。如來滅後九百年の時に、無著菩薩の請に翻(酬)て、中天阿踰闍國に降下して、四月夜に於いて五部の論を説く。無著これを受けて世間に弘通す。無著法を以て世親に付屬す。
 
文殊・馬鳴・龍樹・天親四聖次第して、淨土の祖と爲す。彌勒菩薩は佛世に親く聞き、兜率天に昇り天衆を教化す。如來滅後九百年の時に、無著菩薩の請に翻(酬)て、中天阿踰闍國に降下して、四月夜に於いて五部の論を説く。無著これを受けて世間に弘通す。無著法を以て世親に付屬す。
舊に天親と云い、新に世親と云う。淨土法門、彌勒無著に授け、無著世親に授く。世親之を禀けて淨土論を造る。瑜伽論の中に、地前の菩薩及び諸の異生を受用土に望めて、別時意と爲す。即ち生ずることあたわず。願行具せりといえども堪能に非ざるが故に。地前と異生と化の淨土に望めて、願行具足して即ち往生することを得。別時意に非ず、是れ堪能なるが故に。淨土經を引き此の會通を作す。</ref>
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舊に天親と云い、新に世親と云う。淨土法門、彌勒無著に授け、無著世親に授く。世親之を禀けて『淨土論』を造る。瑜伽論の中に、地前の菩薩及び諸の異生を受用土に望めて、別時意と爲す。即ち生ずることあたわず。願行具せりといえども堪能に非ざるが故に。地前と異生と化の淨土に望めて、願行具足して即ち往生することを得。別時意に非ず、是れ堪能なるが故に。淨土經を引き此の會通を作す。</ref>
  
  
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若望化土。地前異生願行具足。即得往生。唯有欲願無行業者。不得往生。以行闕故。天親論主造無量壽論。立五念門。明往生業。造總攝頌。名願生偈。陳五念門。爲其行業。<br />
 
若望化土。地前異生願行具足。即得往生。唯有欲願無行業者。不得往生。以行闕故。天親論主造無量壽論。立五念門。明往生業。造總攝頌。名願生偈。陳五念門。爲其行業。<br />
 
總説偈義倶明願行。各擧一名互顯具足。五念門中。作願迴向並是欲願三業修習。即是行業。此五念門願行具足。乘佛本願。即生蓮華藏世界中。蓮華藏界即極樂土。極樂淨土即是他受用報淨土。
 
總説偈義倶明願行。各擧一名互顯具足。五念門中。作願迴向並是欲願三業修習。即是行業。此五念門願行具足。乘佛本願。即生蓮華藏世界中。蓮華藏界即極樂土。極樂淨土即是他受用報淨土。
<ref>莊嚴經論に亦た彌勒の説くなり。唯だ願事を以て別時意と名ずく。反りて願行具足即ち生ずることを顯す。此れ化の淨に望めてまさに此の義を成ずべし。對法論は、是れ無著の造覺師子菩薩其の釋論を造る。安惠菩薩本と釋とを糅合して、雜集論と名く。彼の別時意は唯だ唯願に約す。願行具足しつれば即ち往生するが故に、無著菩薩亦た攝大乘論を造る。天親此を釋して、別時意の相、全く雜集に同じ。唯願無行、是れ別時意なり。即ち生ずることあたわず。
+
<ref>『莊嚴經論』に亦た彌勒の説くなり。唯だ願事を以て別時意と名ずく。反りて願行具足即ち生ずることを顯す。此れ化の淨に望めてまさに此の義を成ずべし。對法論は、是れ無著の造覺師子菩薩其の釋論を造る。安惠菩薩本と釋とを糅合して、雜集論と名く。彼の別時意は唯だ唯願に約す。願行具足しつれば即ち往生するが故に、無著菩薩亦た『攝大乘論』を造る。天親此を釋して、別時意の相、全く雜集に同じ。唯願無行、是れ別時意なり。即ち生ずることあたわず。
無行を以ての故に。彼異時に於いて、前の願之上に行業を修習して、願行已に具れば即ち往生することを得。他受用土には地前と異生とは願行具せりといえども、是れ別時意なり。位未だ至ざるが故に。彼後時に於いて初地の上に昇て、報土に生ずることを得。堪能の位の故に、若し化土に望めば、地前と異生と願行具足して、即ち往生することを得。唯だ欲願のみ有りて行業無きは、往生することを得ず。行闕(か)くるを以ての故に。天親論主、無量壽論を造り、五念門を立てて、往生の業を明すに、總攝の頌を造て、願生の偈と名け、五念門を陳て、其の行業と爲す。
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無行を以ての故に。彼異時に於いて、前の願之上に行業を修習して、願行已に具れば即ち往生することを得。他受用土には地前と異生とは願行具せりといえども、是れ別時意なり。位未だ至ざるが故に。彼後時に於いて初地の上に昇て、報土に生ずることを得。堪能の位の故に、若し化土に望めば、地前と異生と願行具足して、即ち往生することを得。唯だ欲願のみ有りて行業無きは、往生することを得ず。行闕(か)くるを以ての故に。天親論主、『無量壽論』を造り、五念門を立てて、往生の業を明すに、總攝の頌を造て、願生の偈と名け、五念門を陳て、其の行業と爲す。
 
總説と偈義と倶に願行を明かし、各の一名を擧ぐ、互に具足を顯す。五念門の中に、作願と迴向は並に是れ欲願なり。三業の修習、即ち是れ行業なり。此の五念門の願行具足して、佛の本願に乘じ、即ち蓮華藏世界の中に生ず。蓮華藏界は即ち極樂土、極樂淨土は即ち是れ他受用報の淨土なり。</ref>
 
總説と偈義と倶に願行を明かし、各の一名を擧ぐ、互に具足を顯す。五念門の中に、作願と迴向は並に是れ欲願なり。三業の修習、即ち是れ行業なり。此の五念門の願行具足して、佛の本願に乘じ、即ち蓮華藏世界の中に生ず。蓮華藏界は即ち極樂土、極樂淨土は即ち是れ他受用報の淨土なり。</ref>
  
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天親菩薩傳持二門。彌勒相傳面承無著。文殊傳持居其苗裔。流通沽潤至其身田。上明天竺傳持淨教。
 
天親菩薩傳持二門。彌勒相傳面承無著。文殊傳持居其苗裔。流通沽潤至其身田。上明天竺傳持淨教。
 
<ref>問、此の所被の機は何等の衆生や。<br />
 
<ref>問、此の所被の機は何等の衆生や。<br />
答、論の偈に云く。普告諸衆生、往生安樂國。長行の論に云く。若し善男子と善女人と、此れ即ち諸の凡夫の類を勸誘して、發願修行して淨土に生ぜしむ。
+
答、論の偈に云く。普告諸衆生、往生安樂國。長行の論に云く。若し善男子と善女人と、此れ即ち諸の凡夫の類を勸誘して、發願修行して淨土に生ぜしむ。<br />
問、瑜伽論の如き、地前と異生と受用土を望むれば。是れ別時意なり。縱ひ願行を具すも、階位未だ至らず。淨土論主、何ぞ凡夫を勸めて受用土に生ぜしむ。豈に論に違わんや。<br />
+
問、『瑜伽論』の如き、地前と異生と受用土を望むれば、是れ別時意なり。縱ひ願行を具すも、階位未だ至らず。淨土論主、何ぞ凡夫を勸めて受用土に生ぜしむ。豈に論に違わんや。<br />
答、瑜伽の大論は性相決判之門に約就す。是の故に凡夫報土に生ぜず。即ち是れ別時意趣を成ずることを得。若し不思議門に約して言うことを爲せば、凡夫受用の淨土に生ずることを得。彌陀願力不思議なるが故に。淨土論に專ら凡夫を勸めて、蓮華藏世界海に生ぜしむ。若し地上に約せば性相門に依るに、聖人即ち蓮華藏界に入る。
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答、瑜伽の大論は性相決判之門に約就す。是の故に凡夫報土に生ぜず。即ち是れ別時意趣を成ずることを得。若し不思議門に約して言うことを爲せば、凡夫受用の淨土に生ずることを得。彌陀願力不思議なるが故に。『淨土論』に專ら凡夫を勸めて、蓮華藏世界海に生ぜしむ。若し地上に約せば性相門に依るに、聖人即ち蓮華藏界に入る。
往生論の中に即ち此に門有り。淨教の相承、彌勒文殊は倶に是れ如來在世の親聞。彌勒此を禀けて阿僧伽に授く。阿僧菩薩之を天親に授く。三祖相承全く法相大乘血脈相繼の次第に同じ。文殊等の三祖は三論相承に同じ。
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『往生論』の中に即ち此に門有り。<br />
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淨教の相承、彌勒文殊は倶に是れ如來在世の親聞。彌勒此を禀けて阿僧伽に授く。阿僧菩薩之を天親に授く。三祖相承全く法相大乘血脈相繼の次第に同じ。文殊等の三祖は三論相承に同じ。
 
天親菩薩二門を傳持す。彌勒相傳は無著に面承す。文殊の傳持は其の苗裔に居す。流通沽潤其の身田に至る。上は天竺傳持の淨教を明す。</ref>
 
天親菩薩二門を傳持す。彌勒相傳は無著に面承す。文殊の傳持は其の苗裔に居す。流通沽潤其の身田に至る。上は天竺傳持の淨教を明す。</ref>
  
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<ref>震旦淨教傳通次第<br />
 
<ref>震旦淨教傳通次第<br />
 
如來滅後一千十六年、後漢の第二主顯宗明帝永平十年丁卯、迦葉摩騰漢地に來至し、創て佛宗を弘む。<br />
 
如來滅後一千十六年、後漢の第二主顯宗明帝永平十年丁卯、迦葉摩騰漢地に來至し、創て佛宗を弘む。<br />
次年戊辰、竺法蘭來る。倶に教法を傳え其の滋基と爲す。自爾已後、三藏諸師相い繼ぎ來到して、各、佛法を傳え後漢已來、無量壽經異釋漸く起て。荒途始て惑(夷)せり。東晋之始め、彌天の道安法師、淨土論を造り、法義を開顯す。<br />
+
次年戊辰、竺法蘭來る。倶に教法を傳え其の滋基と爲す。自爾已後、三藏諸師相い繼ぎ來到して、各、佛法を傳え後漢已來、『無量壽經』異釋漸く起て。荒途始て惑(夷)せり。東晋之始め、彌天の道安法師、淨土論を造り、法義を開顯す。<br />
 
同代の年暦に匡廬山の惠遠禪師、創て山を開き淨社を建立し、朋を擇び衆を結び淨土の業を修す。十八の賢哲、志を同じて修業せり。僧俗一百二十三人、立誓要期して安養法を行ず。東土の淨教斯の時初て昌なり。<br />
 
同代の年暦に匡廬山の惠遠禪師、創て山を開き淨社を建立し、朋を擇び衆を結び淨土の業を修す。十八の賢哲、志を同じて修業せり。僧俗一百二十三人、立誓要期して安養法を行ず。東土の淨教斯の時初て昌なり。<br />
後魏之代に、北天の菩提留支三藏、遊化來至して大に經論を譯す、無量壽論は所譯之一なり。<br />
+
後魏之代に、北天の菩提留支三藏、遊化來至して大に經論を譯す、『無量壽論』は所譯之一なり。<br />
于時に曇鸞法師、宗三經に朗かに涅槃を研ぐ。一方哲匠にして、各遐邇に振い徳異邦に聞う。南地の帝主此に向いて禮して鸞菩薩と云焉。鸞公、三藏に見(まみ)ゆ、三藏授るに觀無量壽經を以てす。歎て長生不死之法と爲す。鸞公乃ち投じて師事之禮を作す。指授を受けて、往生論を註す。又た彌陀偈を作り大經を奉讃す{兩卷無量壽經名爲文經}安樂土義を作り淨土の相を明す。<br />
+
于時に曇鸞法師、宗三經に朗かに涅槃を研ぐ。一方哲匠にして、各遐邇に振い徳異邦に聞う。南地の帝主此に向いて禮して鸞菩薩と云焉。鸞公、三藏に見(まみ)ゆ、三藏授るに『觀無量壽經』を以てす。歎て長生不死之法と爲す。鸞公乃ち投じて師事之禮を作す。指授を受けて、『往生論』を註す。又た『彌陀偈』を作り『大經』を奉讃す{兩卷無量壽經名爲文經}安樂土義を作り淨土の相を明す。<br />
此の淨土の教は正しく西天從(よ)り相承して來る。血脈連續せり。天親已後天竺に流行し、往生論宗相繼連綿して留支の身に至。人名を知らずといえども血脈地に墜ちず。<br />
+
此の淨土の教は正しく西天從(よ)り相承して來る。血脈連續せり。天親已後天竺に流行し、『往生論』宗相繼連綿して留支の身に至。人名を知らずといえども血脈地に墜ちず。<br />
震旦の淨教留支を始と爲し、曇鸞を二と爲す。道綽禪師を三と爲し、善導和尚を四と爲す。懷感法師五と爲し、少康法師を六と爲す。若し鸞公より之を取れば、即ち五祖と爲す。世多く依用して以て所尊と爲す。五祖皆な淨土の教法を弘め、人に教えて阿彌陀佛を念ぜしむ。諸の善根を修し迴向して生ぜしめ、往生極樂を其の所宗と爲す。<br />
+
震旦の淨教、留支を始と爲し、曇鸞を二と爲す。道綽禪師を三と爲し、善導和尚を四と爲す。懷感法師五と爲し、少康法師を六と爲す。若し鸞公より之を取れば、即ち五祖と爲す。世多く依用して以て所尊と爲す。五祖皆な淨土の教法を弘め、人に教えて阿彌陀佛を念ぜしむ。諸の善根を修し迴向して生ぜしめ、往生極樂を其の所宗と爲す。<br />
 
問 既に五祖有り、誰を以て本と爲す<br />
 
問 既に五祖有り、誰を以て本と爲す<br />
 
答。大唐の諸師淨教崇るは、多く善導を以て淨土の祖と爲す。多く章疏を施し、究めて解行を盡す。曇鸞法師は上古の高匠。留支に傳受して廣く行化を播す。
 
答。大唐の諸師淨教崇るは、多く善導を以て淨土の祖と爲す。多く章疏を施し、究めて解行を盡す。曇鸞法師は上古の高匠。留支に傳受して廣く行化を播す。
道綽禪師は本と涅槃を業とし、佛性宗を弘む。涅槃經を講ずること二十四遍。深く玄致に入る。兼て淨教を弘め、安樂集を造る。即ち是れ善導所承の根本なり。<br />
+
道綽禪師は本と涅槃を業とし、佛性宗を弘む。涅槃經を講ずること二十四遍。深く玄致に入る。兼て淨教を弘め、『安樂集』を造る。即ち是れ善導所承の根本なり。<br />
懷感法師は是れ法相宗、後に善導に投じ淨土教を弘む。決疑論を作りて、明に疑滯を決す。少康法師は律藏に通達し、華嚴を習學し、法相を研精す。神解洞朗にして、匠成功有り。念佛法門を自ら修し人を勸む。世を擧げて崇敬して後善導と號す。瑞應刪傳一卷を作り、古來の往生人を編む。懷感之後少康之前に法照禪師あり大解の法匠、弘通英哲、善導之後身也。<br />
+
懷感法師は是れ法相宗、後に善導に投じ淨土教を弘む。決疑論を作りて、明に疑滯を決す。少康法師は律藏に通達し、華嚴を習學し、法相を研精す。神解洞朗にして、匠成功有り。念佛法門を自ら修し人を勸む。世を擧げて崇敬して後善導と號す。『瑞應刪傳』一卷を作り、古來の往生人を編む。懷感之後少康之前に法照禪師あり大解の法匠、弘通英哲、善導之後身也。<br />
時に鉢中に於いて再たび清涼山の文殊境界を見る。後に五臺に詣で、親(まのあたり)に文殊善財等を見て、訪に出要を問う。授に念佛を以てす。親く文殊の指誨を蒙け、大に五會の念佛を弘む。五會法事讃一卷を作り、世間に流行す。此れ即ち淨教所依の祖師なり。昔し道綽の後に迦才師有り。淨土論三卷を作り、大に義道を立て疑滯を決判す。<br />
+
時に鉢中に於いて再たび清涼山の文殊境界を見る。後に五臺に詣で、親(まのあたり)に文殊善財等を見て、訪に出要を問う。授に念佛を以てす。親く文殊の指誨を蒙け、大に五會の念佛を弘む。『五會法事讃』一卷を作り、世間に流行す。此れ即ち淨教所依の祖師なり。昔し道綽の後に迦才師有り。『淨土論』三卷を作り、大に義道を立て疑滯を決判す。<br />
 
後代に大宋之の代に天竺寺の慈雲遵式法師有り。是れ天台教觀之名匠なり。淨教を弘通す。依行物に被む。次に靈芝大智律師有り。是れ天台宗之哲、律藏教之英也。<br />
 
後代に大宋之の代に天竺寺の慈雲遵式法師有り。是れ天台教觀之名匠なり。淨教を弘通す。依行物に被む。次に靈芝大智律師有り。是れ天台宗之哲、律藏教之英也。<br />
兼て淨教を弘め、自行化他す。觀經彌陀經の義疏を製し、大に于世に行わる。門人翫習して多く記章を作る。大宋の淨教天下一均して靈芝の行儀を用て、宗旨の規矩と爲す。昔より已來た淨土の教典を解釋する諸師代代一に非ず。<br />
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兼て淨教を弘め、自行化他す。『觀經』『彌陀經』の義疏を製し、大に于世に行わる。門人翫習して多く記章を作る。大宋の淨教天下一均して靈芝の行儀を用て、宗旨の規矩と爲す。昔より已來た淨土の教典を解釋する諸師代代一に非ず。<br />
淨影寺の惠遠大師、天台の智者大師、嘉祥寺の吉藏大師、普光寺の法常法師、慈恩寺の窺基大師、西明寺の圓測法師、及び道誾法師、又龍興法師、元曉大師、慧淨法師、法位法師、玄一法師、義寂法師、慈藏法師、璟興法師、知禮法師、智圓法師、宗曉法師等、其の數極めて多し。皆な淨教を解し宗旨を發揮し、各、本宗を弘め、兼て淨教に通ず。世常に用り所、五六祖といえどもなりと。若し折中に依らば應に九祖を用ゆべきに、謂く菩提留支・曇鸞・道綽・迦才・善導・懷感・法照・少康元照也。
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淨影寺の惠遠大師、天台の智者大師、嘉祥寺の吉藏大師、普光寺の法常法師、慈恩寺の窺基大師、西明寺の圓測法師、及び道誾法師、又龍興法師、元曉大師、慧淨法師、法位法師、玄一法師、義寂法師、慈藏法師、璟興法師、知禮法師、智圓法師、宗曉法師等、其の數極めて多し。皆な淨教を解し宗旨を發揮し、各、本宗を弘め、兼て淨教に通ず。世常に用る所、五六祖といえどもなりと。若し折中に依らば應に九祖を用ゆべきに、謂く菩提留支・曇鸞・道綽・迦才・善導・懷感・法照・少康元照也。
 
震旦の淨教弘通是の如し。</ref>
 
震旦の淨教弘通是の如し。</ref>
  
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次源信僧都承法慈惠。研究台宗。兼通淨教。修習淨業。撰往生要集彌陀經略記等。中古有三論永觀律師。兼歸淨教作彌陀要記往生十因等。有中河實範大徳。法相眞言兼研律藏。并翫淨教。大施章鈔流行世間。<br />
 
次源信僧都承法慈惠。研究台宗。兼通淨教。修習淨業。撰往生要集彌陀經略記等。中古有三論永觀律師。兼歸淨教作彌陀要記往生十因等。有中河實範大徳。法相眞言兼研律藏。并翫淨教。大施章鈔流行世間。<br />
 
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彼世同時有光明山重譽大徳。即三論碩匠也。兼研密藏。歸投淨土撰西方集三卷。東大寺三論珍海已講兼研淨教。撰決定往生集一卷。淨影義章作淨土義私記二卷。天台勝範作西方集三卷。如是諸哲皆修淨業。<ref>昔、百濟の佛法、創(め)て日域に傳て、大唐の佛宗、次に此國に傳り、三論・法相、世間に弘布す。厥(その)後、漸次に諸宗流傳す。<br />
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彼世同時有光明山重譽大徳。即三論碩匠也。兼研密藏。歸投淨土撰西方集三卷。東大寺三論珍海已講兼研淨教。撰決定往生集一卷。淨影義章作淨土義私記二卷。天台勝範作西方集三卷。如是諸哲皆修淨業。
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<ref>大日本國淨教弘通次第。昔、百濟の佛法、創(め)て日域に傳て、大唐の佛宗、次に此國に傳り、三論・法相、世間に弘布す。厥(その)後、漸次に諸宗流傳す。<br />
 
淨土の教觀、別宗と爲さず、各、自宗に隨て法義を解釋す。昔、元興寺の智光・禮光、各、三論を弘め、兼て淨教に通ず。法相の昌海、安養を欣樂し、『西方念佛集』一卷、并に『阿彌陀悔過』を撰す。次に天台の慈惠大僧正、西方の教に歸し、『九品義』を釋す。<br />
 
淨土の教觀、別宗と爲さず、各、自宗に隨て法義を解釋す。昔、元興寺の智光・禮光、各、三論を弘め、兼て淨教に通ず。法相の昌海、安養を欣樂し、『西方念佛集』一卷、并に『阿彌陀悔過』を撰す。次に天台の慈惠大僧正、西方の教に歸し、『九品義』を釋す。<br />
 
次に源信僧都、法を慈惠に承(け)て。台宗を研究し、兼て淨教に通ず。淨業を修習し『往生要集』『彌陀經略記』等を撰う。中古に三論に永觀律師有て、兼て淨教に歸し『彌陀要記』『往生十因』等を作る。中河の實範大徳なる有りて、法相・眞言、兼て律藏を研ぎ、并で淨教を翫ぶ。大(い)に章鈔を施し世間に流行す。<br />
 
次に源信僧都、法を慈惠に承(け)て。台宗を研究し、兼て淨教に通ず。淨業を修習し『往生要集』『彌陀經略記』等を撰う。中古に三論に永觀律師有て、兼て淨教に歸し『彌陀要記』『往生十因』等を作る。中河の實範大徳なる有りて、法相・眞言、兼て律藏を研ぎ、并で淨教を翫ぶ。大(い)に章鈔を施し世間に流行す。<br />
 
彼の世に同時に光明山の重譽大徳有り、即ち三論の碩匠也。兼て密藏を研ぎ、淨土に歸投して『西方集』三卷を撰す。東大寺の三論の珍海已講、兼て淨教を研ぎ『決定往生集』一卷を撰す。淨影の義章に『淨土義私記』二卷を作る。天台の勝範『西方集』三卷を作る。是の如きの諸哲、皆(な)淨業を修す。</ref>
 
彼の世に同時に光明山の重譽大徳有り、即ち三論の碩匠也。兼て密藏を研ぎ、淨土に歸投して『西方集』三卷を撰す。東大寺の三論の珍海已講、兼て淨教を研ぎ『決定往生集』一卷を撰す。淨影の義章に『淨土義私記』二卷を作る。天台の勝範『西方集』三卷を作る。是の如きの諸哲、皆(な)淨業を修す。</ref>
 
  
  
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震旦九祖。菩提留支曇鸞等如前烈也。日本六祖。即如上烈。此十八中。馬鳴龍樹即面受之祖。菩提留支曇鸞亦是親承。道綽善導懷感亦面承祖。自餘諸祖非是親承。啻是歸仰依投而已。如道綽禪師安樂集中總擧六祖。<br />
 
震旦九祖。菩提留支曇鸞等如前烈也。日本六祖。即如上烈。此十八中。馬鳴龍樹即面受之祖。菩提留支曇鸞亦是親承。道綽善導懷感亦面承祖。自餘諸祖非是親承。啻是歸仰依投而已。如道綽禪師安樂集中總擧六祖。<br />
 
雖非親承。唯逐彼躅歸敬依憑。弘淨土教。昔源信僧都作往生要集。傳之後世。自爾已來歴世相傳。乃至黒谷叡空大徳傳持此集。成辨淨業。源空隨叡空學此集得旨。彼要集中引善導玄義等文。因此即尋善導所製。果獲觀經疏 禮讃 法事讃等 般舟讃者 彼世未獲 竝研窮精詳通達義理。乃以善導和尚爲所依宗師。選擇集中具明此義。<br />
 
雖非親承。唯逐彼躅歸敬依憑。弘淨土教。昔源信僧都作往生要集。傳之後世。自爾已來歴世相傳。乃至黒谷叡空大徳傳持此集。成辨淨業。源空隨叡空學此集得旨。彼要集中引善導玄義等文。因此即尋善導所製。果獲觀經疏 禮讃 法事讃等 般舟讃者 彼世未獲 竝研窮精詳通達義理。乃以善導和尚爲所依宗師。選擇集中具明此義。<br />
自爾已來淨土教行弘通華夷。不可勝計。偏是源空上人秉持之功者也。<ref>並びにこれ親承血脈の祖に非ず、ただこれ依憑歸投するのみ、總て三國に通じて憑む所と言は、十八祖有り。謂く天竺の三祖、馬鳴・龍樹・天親也。震旦の九祖、菩提留支・曇鸞等前烈の如き也。日本の六祖。即ち上に烈すが如し。この十八中、馬鳴・龍樹は即ち面受の祖なり。菩提留支・曇鸞またこれ親承す。道綽・善導・懷感また面承の祖なり。自餘の諸祖これ親承に非ず。ただにこれ歸仰依投ならくのみ。道綽禪師の如きは『安樂集』中に總じて六祖を擧ぐ。<br />親承に非ずといえども、唯だ彼躅り逐いて歸敬依憑し淨土教を弘む。昔、源信僧都『往生要集』を作りて、後世にこれを傳ふ。これより已來歴世相傳す。乃至黒谷叡空大徳此集を傳持し、淨業成辨す。源空は叡空に隨い此の集を學し旨を得る。彼『要集』中に善導『玄義』等の文を引く。此によって即ち善導の所製を尋ね、果して『觀經疏』『禮讃』『法事讃』等を獲る。『般舟讃』は彼の世に未だ獲ざる。ならべて研窮精詳し義理に通達す。すなわち善導和尚を以て所依の宗師と爲す。『選擇集』中に具に此の義を明す。これより已來、淨土の教行弘く華・夷に通ずこと勝計すべからず。偏に是れ源空上人の秉(と)り持つの功なる也</ref>
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自爾已來淨土教行弘通華夷。不可勝計。偏是源空上人秉持之功者也。
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<ref>並びにこれ親承血脈の祖に非ず、ただこれ依憑歸投するのみ、總て三國に通じて憑む所と言は、十八祖有り。謂く天竺の三祖、馬鳴・龍樹・天親也。震旦の九祖、菩提留支・曇鸞等前烈の如き也。日本の六祖。即ち上に烈すが如し。この十八中、馬鳴・龍樹は即ち面受の祖なり。菩提留支・曇鸞またこれ親承す。道綽・善導・懷感また面承の祖なり。自餘の諸祖これ親承に非ず。ただにこれ歸仰依投ならくのみ。道綽禪師の如きは『安樂集』中に總じて六祖を擧ぐ。<br />親承に非ずといえども、唯だ彼躅り逐いて歸敬依憑し淨土教を弘む。昔、源信僧都『往生要集』を作りて、後世にこれを傳ふ。これより已來歴世相傳す。乃至黒谷叡空大徳此集を傳持し、淨業成辨す。源空は叡空に隨い此の集を學し旨を得る。彼『要集』中に善導『玄義』等の文を引く。此によって即ち善導の所製を尋ね、果して『觀經疏』『禮讃』『法事讃』等を獲る。『般舟讃』は彼の世に未だ獲ざる。ならべて研窮精詳し義理に通達す。すなわち善導和尚を以て所依の宗師と爲す。『選擇集』中に具に此の義を明す。これより已來、淨土の教行弘く華・夷に通ずこと勝計すべからず。偏に是れ源空上人の秉(と)り持つの功なる也</ref>
  
  
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答。源空大徳門人非一。各揚淨教。互恣弘通。倶立門葉。横竪傳燈。<br />
 
答。源空大徳門人非一。各揚淨教。互恣弘通。倶立門葉。横竪傳燈。<br />
 
即有幸西大徳・長樂寺隆寛權律師・小坂證空大徳後居西山 鎭西聖光大徳・信空大徳道號法蓮美州行空大徳道號法寶 九品寺長西大徳等。竝源空大徳親承面受之弟子也。<br />
 
即有幸西大徳・長樂寺隆寛權律師・小坂證空大徳後居西山 鎭西聖光大徳・信空大徳道號法蓮美州行空大徳道號法寶 九品寺長西大徳等。竝源空大徳親承面受之弟子也。<br />
各隨所承弘淨土教。念佛宗旨所傳雖同。立義巨細異解多端。<ref>問。源空已後の弘通は云何。
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各隨所承弘淨土教。念佛宗旨所傳雖同。立義巨細異解多端。
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<ref>問。源空已後の弘通は云何。
 
答、源空大徳の門人は一に非ず。おのおの浄教を揚げ、互に弘通を恣にし、倶に門葉を立て。横竪に灯を伝う。
 
答、源空大徳の門人は一に非ず。おのおの浄教を揚げ、互に弘通を恣にし、倶に門葉を立て。横竪に灯を伝う。
 
即ち幸西大徳、長楽寺の隆寛権律師、小坂の証空大徳{後居西山}、鎮西の聖光大徳、信空大徳{道号法蓮}、美州行空大徳、{道号法寳}九品寺長西大徳等あり、並びに源空大徳より親承面受の弟子也。
 
即ち幸西大徳、長楽寺の隆寛権律師、小坂の証空大徳{後居西山}、鎮西の聖光大徳、信空大徳{道号法蓮}、美州行空大徳、{道号法寳}九品寺長西大徳等あり、並びに源空大徳より親承面受の弟子也。
 
おのおの所承に随い浄土の教を弘む。念仏宗旨の所伝同じといえども、立義の巨細異解多端なり。</ref><br />
 
おのおの所承に随い浄土の教を弘む。念仏宗旨の所伝同じといえども、立義の巨細異解多端なり。</ref><br />
  
幸西大徳立一念義。言一念者。佛智一念。正指佛心爲念心。凡夫信心冥會佛智。佛智一念是彌陀本願。行者信念與佛心相應。心契佛智願力一念。能所無二。信智唯一。念念相續決定往生。大經偈云。如來智慧海深廣無崖底 已上<ref>幸西大徳一念義を立つ。一念と言うは佛智の一念なり。正しく佛心を指して念心と爲す。凡夫の信心佛智に冥會す。佛智の一念はこれ彌陀の本願なり。行者の信念と佛心相應して、心、佛智の願力の一念に契い、能所無二、信智唯一念、念相續して決定往生す。大經の偈に云く、如來の智慧海は深廣にして崖(涯)底無し。已上</ref><br />
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幸西大徳立一念義。言一念者。佛智一念。正指佛心爲念心。凡夫信心冥會佛智。佛智一念是彌陀本願。行者信念與佛心相應。心契佛智願力一念。能所無二。信智唯一。念念相續決定往生。大經偈云。如來智慧海深廣無崖底 已上
如來是總通名。智慧擧果當體。善導引云。彌陀智願海深廣無崖底 已上<ref>如來はこれ總通の名、智慧は果の當體を擧ぐ。善導引て云く、彌陀の智願海は深廣にして崖(涯)底無し 已上</ref><br />
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<ref>幸西大徳一念義を立つ。一念と言うは佛智の一念なり。正しく佛心を指して念心と爲す。凡夫の信心佛智に冥會す。佛智の一念はこれ彌陀の本願なり。行者の信念と佛心相應して、心、佛智の願力の一念に契い、能所無二、信智唯一念、念相續して決定往生す。大經の偈に云く、如來の智慧海は深廣にして崖(涯)底無し。已上</ref><br />
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如來是總通名。智慧擧果當體。善導引云。彌陀智願海深廣無崖底 已上
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<ref>如來はこれ總通の名、智慧は果の當體を擧ぐ。善導を引て云く、彌陀の智願海は深廣にして崖(涯)底無し 已上</ref><br />
 
彌陀別約極樂教主。智願彼佛因果雙擧。<br />
 
彌陀別約極樂教主。智願彼佛因果雙擧。<br />
 
智是果體。酬因所感。願是因心四十八願。酬願行故。得此果智。果智當體皆有願心。願心所成即是佛智。智上具有諸宿願力。是故智體願力所成。是故彌陀所有種智名爲智願。是名佛智一念之心。行者信心契此智故。念念即與佛智相應。<br />
 
智是果體。酬因所感。願是因心四十八願。酬願行故。得此果智。果智當體皆有願心。願心所成即是佛智。智上具有諸宿願力。是故智體願力所成。是故彌陀所有種智名爲智願。是名佛智一念之心。行者信心契此智故。念念即與佛智相應。<br />
善導云。我依菩薩藏頓教一乘海。説偈歸三寶與佛心相應。已上<ref>彌陀は別して極樂の教主に約す。智願は彼の佛の因果雙べ擧ぐ。
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善導云。我依菩薩藏頓教一乘海。説偈歸三寶與佛心相應。已上
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<ref>彌陀は別して極樂の教主に約す。智願は彼の佛の因果雙べ擧ぐ。
 
智はこれ果體、因に酬いて感ずる所。願はこれ因心、四十八願なり。願行に酬うが故に、この果智を得る。果智の當體にみな願心有り。願心の所成即ちこれ佛智なり。智の上に具に諸宿願力有り。この故に智體は願力の所成なり。この故に彌陀所有の種智を名づけて智願と爲す。これ佛智一念の心と名づく。行者の信心この智に契うが故に、念念に即ち佛智と相應す。善導の云く、我れ菩薩藏頓教一乘海に依て、偈を説き三寶に歸し佛心と相應す。 已上</ref><br />
 
智はこれ果體、因に酬いて感ずる所。願はこれ因心、四十八願なり。願行に酬うが故に、この果智を得る。果智の當體にみな願心有り。願心の所成即ちこれ佛智なり。智の上に具に諸宿願力有り。この故に智體は願力の所成なり。この故に彌陀所有の種智を名づけて智願と爲す。これ佛智一念の心と名づく。行者の信心この智に契うが故に、念念に即ち佛智と相應す。善導の云く、我れ菩薩藏頓教一乘海に依て、偈を説き三寶に歸し佛心と相應す。 已上</ref><br />
言佛心者。即是佛智。疏主歸心與智相應。能所冥契。是一念義。幸西略料簡云。<br />
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言佛心者。即是佛智。疏主歸心與智相應。能所冥契。是一念義。幸西『略料簡』云。<br />
 
言一乘海者。法喩雙標也。一乘者。即弘願。弘願即佛智。佛智即一念也。<br />
 
言一乘海者。法喩雙標也。一乘者。即弘願。弘願即佛智。佛智即一念也。<br />
海者如衆流入海。一切善惡凡夫皆歸彼智願海得生也 已上<ref>佛心と言うは。即ちこれ佛智なり。疏主の歸心、智と相應し、能所冥契す。これ一念の義なり。幸西の略料簡に云く、一乘海と言うは、法喩ならべて標す也。一乘とは。即ち弘願なり、弘願は即ち佛智なり、佛智は即ち一念也。海とは衆流の海に入るが如し、一切善惡凡夫、みな彼の智願海に歸し生ずることを得る也。 已上</ref>
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海者如衆流入海。一切善惡凡夫皆歸彼智願海得生也。 已上
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<ref>佛心と言うは。即ちこれ佛智なり。疏主の歸心、智と相應し、能所冥契す。これ一念の義なり。幸西の『略料簡』に云く、一乘海と言うは、法喩ならべて標す也。一乘とは。即ち弘願なり、弘願は即ち佛智なり、佛智は即ち一念也。海とは衆流の海に入るが如し、一切善惡凡夫、みな彼の智願海に歸し生ずることを得る也。 已上</ref>
  
彼師一渧記云。如來能度是心。心者智能度物。眞實唯一念心也。衆生所度是亦心。心者智。智所度。正門無外。是即心一乘。不他是即心。捨邪心也。歸正心也。捨小心也。採大心也。捨漸心也。採頓心也。捨聖心也。採凡心也。二河亦心也。白道亦心也。是亦唯一念心也。是名眞實心。是名深心是名願心。故云。具此三心必得生也 已上<ref>彼の師一渧記に云く、如來の能度は是れ心なり、心とは智なり、能く物を度す。眞實は唯一念心なり。衆生の度する所も是れまた心なり、心とは智なり、智は所度なり。正門は外無し、是れ即ち心なり、一乘は他にあらず是れ即ち心なり、邪を捨つるも心也、正に歸するも心也、小を捨つるも心也、大を採るも心也、漸を捨つるも心也、頓を採るも心也、聖を捨つる心也、凡を採るも心也、二河も亦心也、白道も亦心也、是れ亦た唯一念心也。是を眞實心と名づく、是れを深心と名づく、是れを願心と名づく。故に云く、此の三心を具すれば必ず生を得る也。已上</ref>
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彼師一渧記云。如來能度是心。心者智能度物。眞實唯一念心也。衆生所度是亦心。心者智。智所度。正門無外。是即心一乘。不他是即心。捨邪心也。歸正心也。捨小心也。採大心也。捨漸心也。採頓心也。捨聖心也。採凡心也。二河亦心也。白道亦心也。是亦唯一念心也。是名眞實心。是名深心是名願心。故云。具此三心必得生也。 已上
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<ref>彼の師『一渧記』に云く、如來の能度は是れ心なり、心とは智なり、能く物を度す。眞實は唯一念心なり。衆生の度する所も是れまた心なり、心とは智なり、智は所度なり。正門は外無し、是れ即ち心なり、一乘は他にあらず是れ即ち心なり、邪を捨つるも心也、正に歸するも心也、小を捨つるも心也、大を採るも心也、漸を捨つるも心也、頓を採るも心也、聖を捨つる心也、凡を採るも心也、二河も亦心也、白道も亦心也、是れ亦た唯一念心也。是を眞實心と名づく、是れを深心と名づく、是れを願心と名づく。故に云く、此の三心を具すれば必ず生を得る也。已上</ref>
  
約義有三心。剋體唯一念。願信詫願。契智之心。與佛智冥體無二故。諸教是爲聖之教。念佛是爲凡之宗。聖道諸教皆被聖人。於此穢土證獲聖果。淨土教門唯被凡夫。令諸凡夫往生淨土。頓登初地證無生忍。<ref>義に約せば三心有り。體に剋すれば唯一念なり。願を信じ願に詫(託)し、智に契うの心と佛智と冥じて體無二の故に。諸教は是れ爲聖の教、念佛は是れ爲凡の宗なり。聖道の諸教は皆聖人を被らしむ、此の穢土において聖果を證獲す。淨土の教門は唯凡夫に被らしめ、諸の凡夫をして淨土に往生して、頓に初地に登り無生忍を證せしむ。</ref>
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約義有三心。剋體唯一念。願信詫願。契智之心。與佛智冥體無二故。諸教是爲聖之教。念佛是爲凡之宗。聖道諸教皆被聖人。於此穢土證獲聖果。淨土教門唯被凡夫。令諸凡夫往生淨土。頓登初地證無生忍。
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<ref>義に約せば三心有り。體に剋すれば唯一念なり。願を信じ願に詫(託)し、智に契うの心と佛智と冥じて體無二の故に。諸教は是れ爲聖の教、念佛は是れ爲凡の宗なり。聖道の諸教は皆聖人を被らしむ、此の穢土において聖果を證獲す。淨土の教門は唯凡夫に被らしめ、諸の凡夫をして淨土に往生して、頓に初地に登り無生忍を證せしむ。</ref>
  
  
略料簡云。學法有九十六種道。束爲二。九十五種外道。一種佛道。佛道有八萬四千門。亦爲二。聲聞藏菩薩藏。菩藏藏有二。漸教頓教。頓教有二。聖頓凡頓。聖者十聖。凡者五乘。今我依菩薩藏頓教者。正爲凡頓教也。<ref>略料簡に云く、學法に九十六種の道有り、束ねて二と爲す。九十五種は外道なり、一種は佛道なり。佛道に八萬四千の門有り、亦た二と爲す。聲聞藏と菩薩藏となり、菩藏藏に二有り、漸教と頓教となり。頓教に二有り、聖頓と凡頓となり。聖とは十聖、凡とは五乘なり。今我れ菩薩藏頓教に依るとは、正く凡頓教と爲す也。</ref><br />
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略料簡云。學法有九十六種道。束爲二。九十五種外道。一種佛道。佛道有八萬四千門。亦爲二。聲聞藏菩薩藏。菩藏藏有二。漸教頓教。頓教有二。聖頓凡頓。聖者十聖。凡者五乘。今我依菩薩藏頓教者。正爲凡頓教也。
或云。横超斷四流。或云速證無生身。或云即證彼法性之常樂。或云。證彼無爲之法樂。是皆報高妙土。以五乘齊入故也 已上 具縛凡夫乘佛本願。生報佛土。頓入初地。是名凡頓。頓登聖故。稱佛記云。直願佛果而即得當名如來藏。頓教一乘是即爲聖教。先求淨土。順次生階菩薩初地。是名菩薩藏頓教一乘海已上<ref>或は、横超斷四流と云い、或は速證無生身と云い、或は即證彼法性之常樂と云い。或は證彼無爲之法樂と云うは、是れ皆報の高妙の土なり。五乘齊入を以っての故也。已上 具縛の凡夫、佛の本願に乘じて、報佛の土に生じ、頓に初地に入る、是を凡頓と名づく、頓に聖に登る故に。稱佛記に云く、直に佛果を願って而即得するを、當に如來藏と名づくべし。頓教の一乘は是れ即ち爲聖の教なり。先ず淨土を求め。順次生に菩薩初地に階う。是を菩薩藏頓教一乘海と名づく。已上</ref><br />
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<ref>『略料簡』に云く、學法に九十六種の道有り、束ねて二と爲す。九十五種は外道なり、一種は佛道なり。佛道に八萬四千の門有り、亦た二と爲す。聲聞藏と菩薩藏となり、菩藏藏に二有り、漸教と頓教となり。頓教に二有り、聖頓と凡頓となり。聖とは十聖、凡とは五乘なり。今我れ菩薩藏頓教に依るとは、正く凡頓教と爲す也。</ref><br />
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或云。横超斷四流。或云速證無生身。或云即證彼法性之常樂。或云。證彼無爲之法樂。是皆報高妙土。以五乘齊入故也 已上 具縛凡夫乘佛本願。生報佛土。頓入初地。是名凡頓。頓登聖故。稱佛記云。直願佛果而即得當名如來藏。頓教一乘是即爲聖教。先求淨土。順次生階菩薩初地。是名菩薩藏頓教一乘海已上
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<ref>或は、横超斷四流と云い、或は速證無生身と云い、或は即證彼法性之常樂と云い。或は證彼無爲之法樂と云うは、是れ皆報の高妙の土なり。五乘齊入を以っての故也。已上 具縛の凡夫、佛の本願に乘じて、報佛の土に生じ、頓に初地に入る、是を凡頓と名づく、頓に聖に登る故に。稱佛記に云く、直に佛果を願って而即得するを、當に如來藏と名づくべし。頓教の一乘は是れ即ち爲聖の教なり。先ず淨土を求め。順次生に菩薩初地に階う。是を菩薩藏頓教一乘海と名づく。已上</ref><br />
 
凡夫往生登初地者。此約上上初益爲言。下八得益漸有階降。略料簡頌云。對聖凡二頓。採凡爲正門。釋迦爲凡出。唯説頓一乘已上<br />
 
凡夫往生登初地者。此約上上初益爲言。下八得益漸有階降。略料簡頌云。對聖凡二頓。採凡爲正門。釋迦爲凡出。唯説頓一乘已上<br />
 
大師釋迦捨無勝土。驚入娑婆穢土火宅。説淨土教。令諸凡夫頓生報土頓證初地。爲此如來出此娑婆。<ref>凡夫往生して初地に登るとは、此れ上上初益に約して言を爲す。下の八の得益、漸く階降有り。略料簡の頌に云く、聖凡二頓を對するに、凡を採るを正門と爲す。釋迦凡の爲に出でて、唯頓一乘を説く。已上 大師釋迦、無勝土を捨て、驚きて娑婆穢土の火宅に入り、淨土教を説く。諸の凡夫をして頓に報土に生じ頓に初地を證ぜしむ。此が爲に如來、此の娑婆に出ず。</ref>
 
大師釋迦捨無勝土。驚入娑婆穢土火宅。説淨土教。令諸凡夫頓生報土頓證初地。爲此如來出此娑婆。<ref>凡夫往生して初地に登るとは、此れ上上初益に約して言を爲す。下の八の得益、漸く階降有り。略料簡の頌に云く、聖凡二頓を對するに、凡を採るを正門と爲す。釋迦凡の爲に出でて、唯頓一乘を説く。已上 大師釋迦、無勝土を捨て、驚きて娑婆穢土の火宅に入り、淨土教を説く。諸の凡夫をして頓に報土に生じ頓に初地を證ぜしむ。此が爲に如來、此の娑婆に出ず。</ref>
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既言唯名號。故生因願唯稱佛名。非身意業。凡夫至心稱佛名號。頓超娑婆入初地位。良以如來不可思議宿願増上強縁力故。略料簡偈云。塵沙法中不可思議者。即此意也。<ref>問う、法藏彌陀、何を以って專ら報佛淨土の生因の本願と爲すや。<br />
 
既言唯名號。故生因願唯稱佛名。非身意業。凡夫至心稱佛名號。頓超娑婆入初地位。良以如來不可思議宿願増上強縁力故。略料簡偈云。塵沙法中不可思議者。即此意也。<ref>問う、法藏彌陀、何を以って專ら報佛淨土の生因の本願と爲すや。<br />
 
答う。四十八の中、第十八願、稱名念佛を生因の願と爲す。<br />
 
答う。四十八の中、第十八願、稱名念佛を生因の願と爲す。<br />
略料簡に云く、報佛報土は方を指す、本誓重願は唯名號なり。十念の念數、時を指さず。別意の弘願は全く餘に異る。已上<br />
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『略料簡』に云く、報佛報土は方を指す、本誓重願は唯名號なり。十念の念數、時を指さず。別意の弘願は全く餘に異る。已上<br />
 
既に言う、唯名號と、故に生因の願は唯佛名を稱す。身意業に非ず。凡夫至心に佛の名號を稱し、頓に娑婆を超え、初地の位に入る。良に如來不可思議宿願増上の強縁力を以っての故に。略料簡の偈に云く、塵沙の法の中に不可思議とは即ち此の意也。</ref>
 
既に言う、唯名號と、故に生因の願は唯佛名を稱す。身意業に非ず。凡夫至心に佛の名號を稱し、頓に娑婆を超え、初地の位に入る。良に如來不可思議宿願増上の強縁力を以っての故に。略料簡の偈に云く、塵沙の法の中に不可思議とは即ち此の意也。</ref>
  
307行目: 320行目:
 
今此觀經所説稱名彼假立彌陀名號也。若依此行行者。可得假立生。假立者胎生也。是即通諸佛。即文云。言念佛者。即專念阿彌陀佛。一切諸佛亦如是。下品等念佛同之。<br />
 
今此觀經所説稱名彼假立彌陀名號也。若依此行行者。可得假立生。假立者胎生也。是即通諸佛。即文云。言念佛者。即專念阿彌陀佛。一切諸佛亦如是。下品等念佛同之。<br />
 
此彌陀諸佛相望互可論親疎得失。是名爲機。且雖有順彼佛願利益。若比増上大利全非比挍也。二報身。是別意弘願彌陀也。玄義云。又無量壽經云。法藏比丘在世繞王佛所 乃至 今既成佛即是酬因之身也。<br />
 
此彌陀諸佛相望互可論親疎得失。是名爲機。且雖有順彼佛願利益。若比増上大利全非比挍也。二報身。是別意弘願彌陀也。玄義云。又無量壽經云。法藏比丘在世繞王佛所 乃至 今既成佛即是酬因之身也。<br />
詫彼願爲増上縁。如説大經。念彼彌陀。即念十方一切諸佛也。全無彼此不同差別。故名念佛三昧。具如眞身觀文 已上<ref>稱佛記に云く、彌陀に二種有り。一には化身、像觀の彌陀是れ也。玄義に云く、衆生障り重くして染惑深きを處り、佛たちまちに眞容を想せしめば、顯現するに由し無からんことを恐れるが故に、眞像を假立して以って心想を往めしめ、彼の佛に同じて以って境を證せしむ。故に假正報と言う也。
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詫彼願爲増上縁。如説大經。念彼彌陀。即念十方一切諸佛也。全無彼此不同差別。故名念佛三昧。具如眞身觀文 已上
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<ref>『稱佛記』に云く、彌陀に二種有り。一には化身、像觀の彌陀是れ也。玄義に云く、衆生障り重くして染惑深きを處り、佛たちまちに眞容を想せしめば、顯現するに由し無からんことを恐れるが故に、眞像を假立して以って心想を往めしめ、彼の佛に同じて以って境を證せしむ。故に假正報と言う也。
 
今此の觀經の所説の稱名は、彼の假立の彌陀の名號也。若し此の行に依って行ずる者は、假立の生を得べし。假立とは胎生也。是れ即ち諸佛に通ず。即ち文に云く、念佛と言うは、即ち阿彌陀佛を專ら念ず、一切の諸佛も亦是の如し。下品等の念佛これに同じ。
 
今此の觀經の所説の稱名は、彼の假立の彌陀の名號也。若し此の行に依って行ずる者は、假立の生を得べし。假立とは胎生也。是れ即ち諸佛に通ず。即ち文に云く、念佛と言うは、即ち阿彌陀佛を專ら念ず、一切の諸佛も亦是の如し。下品等の念佛これに同じ。
此の彌陀と諸佛と相望して互に親疎得失を論ずべし。是れを名づけて機と爲す。且く彼の佛願に順ずる利益有りといえども、若し増上大利に比すれば全く比挍に非ざる也。二には報身、是れ別意弘願の彌陀也。玄義に云く、又無量壽經に云く、法藏比丘世繞王佛の所に在りて 乃至 今既に成佛す。即ち是れ酬因の身也。
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此の彌陀と諸佛と相望して互に親疎得失を論ずべし。是れを名づけて機と爲す。且く彼の佛願に順ずる利益有りといえども、若し増上大利に比すれば全く比挍に非ざる也。二には報身、是れ別意弘願の彌陀也。玄義に云く、又『無量壽經』に云く、法藏比丘世繞王佛の所に在りて 乃至 今既に成佛す。即ち是れ酬因の身也。
 
彼の願に詫(託)して増上縁となす、大經に説くが如し。彼の彌陀を念ぜば、即ち十方一切諸佛を念ずる也。全く彼此の不同の差別無し。故に念佛三昧と名づく。具には眞身觀の文の如し。已上</ref>
 
彼の願に詫(託)して増上縁となす、大經に説くが如し。彼の彌陀を念ぜば、即ち十方一切諸佛を念ずる也。全く彼此の不同の差別無し。故に念佛三昧と名づく。具には眞身觀の文の如し。已上</ref>
  
念彌陀佛有二種別。觀經第八形像觀者。先模眞身爲形像身。假想觀察爲眞方便。故念此像計爲假念。念化身故。眞身觀佛正説眞身。即是報身。念此名爲眞正念佛。稱念化身受胎生報。生化淨土。稱念報身受化生報生報淨土。念像唯順彼佛本願。非契眞實如來本願。稱念報佛正契本願。超凡直因初地妙業。<ref>彌陀佛を念ずるに二種の別有り。觀經第八の形像觀は、先ず眞身を模し形像身と爲し、假想觀察を眞方便と爲す故に、此の像を念じ計して假念を爲す、化身を念ずるが故に。眞身の觀佛は正しく眞身を説く、即ち是れ報身なり。此を念ずるを名づけて眞正念佛と爲す。化身を稱念して胎生の報を受け、化の淨土に生ず。報身を稱念して化生の報を受け報の淨土に生ず。像を念ずるは唯彼の佛の本願に順ず、眞實の如來本願に契うに非ず。報佛を稱念すれば正く本願に契う。超凡の直因、初地の妙業なり。</ref><br />
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念彌陀佛有二種別。觀經第八形像觀者。先模眞身爲形像身。假想觀察爲眞方便。故念此像計爲假念。念化身故。眞身觀佛正説眞身。即是報身。念此名爲眞正念佛。稱念化身受胎生報。生化淨土。稱念報身受化生報生報淨土。念像唯順彼佛本願。非契眞實如來本願。稱念報佛正契本願。超凡直因初地妙業。
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<ref>彌陀佛を念ずるに二種の別有り。觀經第八の形像觀は、先ず眞身を模し形像身と爲し、假想觀察を眞方便と爲す故に、此の像を念じ計して假念を爲す、化身を念ずるが故に。眞身の觀佛は正しく眞身を説く、即ち是れ報身なり。此を念ずるを名づけて眞正念佛と爲す。化身を稱念して胎生の報を受け、化の淨土に生ず。報身を稱念して化生の報を受け報の淨土に生ず。像を念ずるは唯彼の佛の本願に順ず、眞實の如來本願に契うに非ず。報佛を稱念すれば正く本願に契う。超凡の直因、初地の妙業なり。</ref><br />
 
稱佛記亦云。然正十方諸佛所護念有願極樂。稱彌陀若實欲得不退者。且轉菩提心願極樂。閣諸佛稱彌陀。但稱禮念化身。唯彌陀與衆生彼此三業不相捨離。無諸佛三業外加。唯有念眞身名號。諸佛與衆生彼此三業不相捨離。<br />
 
稱佛記亦云。然正十方諸佛所護念有願極樂。稱彌陀若實欲得不退者。且轉菩提心願極樂。閣諸佛稱彌陀。但稱禮念化身。唯彌陀與衆生彼此三業不相捨離。無諸佛三業外加。唯有念眞身名號。諸佛與衆生彼此三業不相捨離。<br />
 
何以故。念眞彌陀。即由念十方一切諸佛故。彌陀經中云。聞是諸佛所説名及經名者。乃至一切諸佛共所護念。皆不退轉者。正指眞身名也 已上 此意説云。三業不離。有其二重。<br />
 
何以故。念眞彌陀。即由念十方一切諸佛故。彌陀經中云。聞是諸佛所説名及經名者。乃至一切諸佛共所護念。皆不退轉者。正指眞身名也 已上 此意説云。三業不離。有其二重。<br />
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稱佛記偈云。通擧定散諸萬行別取念佛之。一行。念佛往生入初地。萬行圓備坐道場 已上<br />
 
稱佛記偈云。通擧定散諸萬行別取念佛之。一行。念佛往生入初地。萬行圓備坐道場 已上<br />
初之二句流通付屬名號之意。第三一句生淨土證忍。後之一句佛果成滿。具足三經淨教義成。用大經爲取本願。用觀經者爲歸稱名。用小經者爲取佛證。是故淨土三經具足。念佛往生成就圓滿。故略料簡云。具三經者必持心。若少一經即不成。已上<ref>稱佛記の偈に云く、通じて定散諸萬行を擧げれども、別して念佛の一行を取るは、念佛往生すれば初地に入り、萬行圓備して道場に坐す。已上 初の二句は流通付屬の名號の意なり。第三の一句は淨土に生じ忍を證す。後の一句は佛果成滿す。三經を具足して淨教の義成ず。大經を用いるは本願を取らんが爲、觀經を用いるは稱名に歸せしめんが爲、小經を用いるは佛證を取らんが爲なり。是の故に淨土の三經具足して、念佛往生成就して圓滿す。故に略料簡に云く、三經を具すれば必ず心を持つ、若し一經を少(か)けば即ち成ぜず。已上</ref>
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初之二句流通付屬名號之意。第三一句生淨土證忍。後之一句佛果成滿。具足三經淨教義成。用大經爲取本願。用觀經者爲歸稱名。用小經者爲取佛證。是故淨土三經具足。念佛往生成就圓滿。故略料簡云。具三經者必持心。若少一經即不成。已上
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<ref>『稱佛記』の偈に云く、通じて定散諸萬行を擧げれども、別して念佛の一行を取るは、念佛往生すれば初地に入り、萬行圓備して道場に坐す。已上 初の二句は流通付屬の名號の意なり。第三の一句は淨土に生じ忍を證す。後の一句は佛果成滿す。三經を具足して淨教の義成ず。大經を用いるは本願を取らんが爲、觀經を用いるは稱名に歸せしめんが爲、小經を用いるは佛證を取らんが爲なり。是の故に淨土の三經具足して、念佛往生成就して圓滿す。故に略料簡に云く、三經を具すれば必ず心を持つ、若し一經を少(か)けば即ち成ぜず。已上</ref>
  
  
 
念佛往生具周成立。必由信心與彼佛智一念之心。相應契會此事成立。任運往生。不由時節久近早晩念修多少事業淺深。<br />
 
念佛往生具周成立。必由信心與彼佛智一念之心。相應契會此事成立。任運往生。不由時節久近早晩念修多少事業淺深。<br />
 
略料簡云。佛心相應時業成。無問時節之早晩 已上 彼所立義名一念義。專由如是所成旨歸。<br />
 
略料簡云。佛心相應時業成。無問時節之早晩 已上 彼所立義名一念義。專由如是所成旨歸。<br />
略料簡亦云。命欲終時佛來現。從心不生。依彼願 已上 行者生彼唯由願力。非由凡夫自身自力。罪障凡夫煩惱垢重。如來報土懸絶分故。唯仰佛願直成就故。<br />
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『略料簡』亦云。命欲終時佛來現。從心不生。依彼願 已上 行者生彼唯由願力。非由凡夫自身自力。罪障凡夫煩惱垢重。如來報土懸絶分故。唯仰佛願直成就故。<br />
 
如是等義幸西所立。<ref>念佛往生具周成立することは、必ず信心と彼の佛智一念の心、相應し契會するに由る。此の事成立すれば、任運に往生す、時節の久近早晩、念修の多少、事業の淺深には由らず。
 
如是等義幸西所立。<ref>念佛往生具周成立することは、必ず信心と彼の佛智一念の心、相應し契會するに由る。此の事成立すれば、任運に往生す、時節の久近早晩、念修の多少、事業の淺深には由らず。
略料簡に云く、佛心と相應する時に業成す、時節の早晩を問うこと無し。已上、彼の所立の義を一念義と名づくるは、專ら是の如き所成の旨歸に由る。
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『略料簡』に云く、佛心と相應する時に業成す、時節の早晩を問うこと無し。已上、彼の所立の義を一念義と名づくるは、專ら是の如き所成の旨歸に由る。
略料簡に亦た云く、命終らんと欲する時、佛來現す、心に従っては生ぜず、彼の願に依れ。已上 行者彼に生ることは唯願力に由る、凡夫の自身自力に由るには非ず。罪障の凡夫、煩惱垢重にして、如來の報土懸かに分を絶するが故に、唯佛願を仰ぎ直ちに成就するが故に。是の如き等の義、幸西の所立なり。</ref>
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『略料簡』に亦た云く、命終らんと欲する時、佛來現す、心に従っては生ぜず、彼の願に依れ。已上 行者彼に生ることは唯願力に由る、凡夫の自身自力に由るには非ず。罪障の凡夫、煩惱垢重にして、如來の報土懸かに分を絶するが故に、唯佛願を仰ぎ直ちに成就するが故に。是の如き等の義、幸西の所立なり。</ref>
  
 
幸西門人有正定大徳・正縁大徳後投長西明信大徳・入眞大徳・善性大徳・勤信大徳 住于木幡竝承幸西各事弘敷。<br />
 
幸西門人有正定大徳・正縁大徳後投長西明信大徳・入眞大徳・善性大徳・勤信大徳 住于木幡竝承幸西各事弘敷。<br />

2012年6月27日 (水) 12:29時点における版

底本は、ネット上の「大藏經テキストデータベース」 参考 浄土宗全書

淨土法門源流章一卷

東大寺沙門凝然述

夫淨土教義由來尚矣。王舍城内啓須摩之嘉會。祇陀林中彰舌相之祥驗。
論譯神州。二十九嚴始弘。疏傳日域。
四十八願昌翫。源廣流遠。根深枝繁。今略擧源流。粗精梢條。烈示名義。顯揚旨歸耳。 [1]

淨土所依本經

兩卷無量壽經二卷

此經曹魏代康僧鎧三藏譯。

此經古來新舊三藏 有十二代譯。而五存七闕。
言五存者。一此僧鎧譯。二清淨平等覺經二卷。魏帛延譯。三阿彌陀經二卷。呉月氏支謙譯。四大寶積經無量壽會二卷。大唐菩提流支譯。當彼經第十七及第十八卷。大寶積經有四十九會。此無量壽會當第五會。五大乘無量壽莊嚴經三卷。大宋西天法賢三藏譯。 已上五經同本異譯。雖有五本震旦月域世多依行。讀誦講敷。造疏述義。擧世競翫者。啻康僧鎧譯 無量壽經而已。 [2]

觀無量壽經一卷

宋代薑良耶舍三藏譯。

古雖有復異譯而欠逸不行。唯此一本昌行世間。震旦諸師競作疏解。日域講敷述章極多。 [3]

阿彌陀經一卷

姚秦羅什三藏譯。

震旦日本人多誦持。製疏述鈔。十有餘家蘭菊諍美。金玉奪光。
大唐玄奘三藏亦譯此經。名稱讃淨土攝受經。
亦有一卷。與羅什本同本異譯。靖邁法師 作一卷疏。解釋此本。罄精美焉。
已上三經 爲淨土所依。 [4]

無量壽經 以阿難彌勒爲對告人。特囑彌勒令廣弘持。
觀無量壽經 以阿難爲對揚。并令弘演流通未來。
阿彌陀經 以舍利弗爲對告人。告舍利弗意令流布。故善導云。釋迦如來告身子。即是普告苦衆生 已上
慈恩大師以四部經爲淨土本經。上三經外加鼓音聲陀羅尼經。名四部經。 [5]

曇鸞・道綽・善導・懷感等弘通淨教之諸師等。
多以兩卷無量壽經 觀經 彌陀經三部。爲淨土所依本經。
今依此躅擧三部經。 [6]

淨土所依本論

無量壽經優婆提舍一卷

亦名淨土論。亦名往生論。亦名無量壽經論。此論天親菩薩所造。後魏菩提留支三藏譯。

東魏曇鸞法師註往生論成二卷焉。日本元興寺智光法師。作往生論疏五卷。
彼取曇鸞以爲義節。曇鸞智光倶是三論 右以三經一論爲淨土所依。據此立義。莊嚴宗旨

問。此往生論爲宗所憑。爲是宗論。爲釋論耶
答。此是宗論。非釋文論。論師造論有種種相。或通申論。或別申論。
如龍樹中論十二門論等。是一代通申。總陳大乘故。如龍樹智度天親十地。是一經別申。別釋大乘故。
今往生論是別申論。既言無量壽經優婆提舍。優婆提舍此云論義。即無量壽經論。
是故名爲一經別論。就一類 經總撮宗旨。建立法義。名爲宗論。
別解文句。名爲釋論。今往生論即是別申淨土契經之宗義論

問。所釋本經三部名同。爲局一經。通三部耶
答。無量壽名既無所局。所説義理亦無不通。此即通申淨土三經

問。何以得知。通釋三經
答。論中所立通三經故。論有二重。初説偈總攝分。説二十四偈。攝三經義故。
二釋偈解義分。長行釋偈頌。解所攝義故。解義分中説五念門。一身業禮拜門。二口業讃嘆門。三作願門。四意業觀察門。五迴向門。淨土三經所説義理不過五門。是故論主樀經宗要。立此五念。
論説二十四偈已云。無量壽修多羅章句。我以偈誦總説竟 已上 [7]


此即總偈攝經宗要。雖明五念。論所歸宗。正是意業觀察而已。自餘四門或是安心。或是助業方便眷屬。
曇鸞注中二十四偈隨應配對五念門相。論中解義唯配觀察門中偈頌解釋句義。
作此論意顯示觀察極樂淨土依正二報二十九種莊嚴相故。

故以觀行爲論宗旨。此觀行者。全依觀無量壽經。建立此法。
彼經明修十六觀故。十六觀中盡依正故。依正二報在所觀境。具觀彼土二報莊嚴故。註家釋此隨其所當。
引觀經文。如座功徳引華座觀。身業功徳引眞身觀。未必皆對本經之文。若一一對無不契會。 [8]

雙卷無量壽經具説 法藏比丘本願彌陀如來所成果相依報正報。引接衆生。令生極樂。所生衆生得益行相。其所成就依正二報。即觀察中所觀行相。是故論中接兩卷義。
小彌陀經亦説極樂依正二報。 亦是本論觀察中境。是故具攝小彌陀義。是故此論通釋三經。 [9]


問。觀察門中二十九嚴爲三經通成。一經各成耶
答。二十九嚴對經言之。三經合成義門備足。三經各成二十九句。亦無不當。隨解即得。
義寂法師解雙卷經。配論十七種等功徳。玄一法師釋小彌陀經。具配十七種等莊嚴。
元曉法師小經疏中。隨所應對引論配文。此即諸師各盡本論所説諸嚴。淨土論中五念門法解義立理。
勢變多端。或是止觀定惠雙行。作願是止奢摩他故。觀察是觀毘婆舍那故。餘三隨應助業安心。
或是入出二門行相。前四念門入自證宮門。迴向一門出教化地門。依五念門自利利他速疾成就。究竟圓滿。
或作願迴向倶是安心。身口意行是所起行。或五念倶行。作願迴向取行邊故。言念行。 [10]

故問。三經一論既是淨土所依教典。若餘經論中有淨土所憑教耶
答。淨土義理。念佛法門。諸大乘教處處廣説。彼教典餘法爲宗。然亦兼説淨土義門。
此等並是於安養門。與今三經所説全同。彼彼教中説淨土處。勸安養處。皆取爲今淨土所憑。
雖非純説淨土。如此三經一論。而義門一同。皆咸依用。

是淨土所依有二。一正所依教。如今三經一論是也。二兼所依教。諸經論中説淨土義。陳演往生極樂是也。
即如般舟三昧經・悲華經第二第三卷・鼓音聲王陀羅尼經・彌勒問經・貞元花嚴經第四十卷・大乘同性經・十往生經・請觀音經・觀音授記經。如是等經不簡顯密二教諸經。皆取以爲兼所依教。

諸論之中。起信論勸生淨土一段。十住婆娑第三卷中易行品等。並説往生西方是也。 [11]


弘通淨教祖裔次第

天竺淨教弘通

釋迦如來開法大師。於王舍城耆闍崛山。説無量壽經。於王舍城頻婆娑羅王宮。説觀無量壽經。於舍衞國祇桓精舍。説小阿彌陀經。各有對告。及有付囑。
如來滅後。大迦葉等五百羅漢。於畢婆羅窟結集小乘三藏。文殊彌勒阿難陀等。於鐵圍山結集大乘藏。各弘閻浮。倶利衆生。
淨教三經彌勒文殊阿難結集。流布世間。付法藏傳。二十四祖次第相承。即迦葉・阿難・末田池・商那和須 田池商那同時弘教。依師資傳前後相承。優婆毱多乃至第二十四師子尊者。 [12]

其中馬鳴菩薩是第十二之祖。龍樹即第十四之祖。
婆修盤陀第二十一。即是天親。此三菩薩於淨土教所立有功。故即依憑。馬鳴菩薩造大乘起信論。建立往生淨土不退方便。

道綽禪師引此爲據。龍樹菩薩造華嚴十住毘婆娑。建立難行易行二道。陳彌陀願。勸安養土。
曇鸞法師依此立教。龍樹亦造大智度論。往往陳宣彌陀淨土事義。亦造十二禮。爲安養行式。
故曇鸞法師立龍樹菩薩。爲淨土高祖。故彼師大經讃云。
大師龍樹摩訶薩。誕形像始理 頽網 乃至 南無慈悲龍樹尊。至心歸命頭面禮 已上
道綽禪師亦仰龍樹爲淨土祖。即依彼論建立二道。天親菩薩造淨土論。陳五念門。明三經意。是故立爲淨土祖師。 [13]

文殊師利菩薩結集大乘。四百五十年。住世弘通。佛滅度後三百七十年。馬鳴菩薩出世。
五百三十年龍樹菩薩出世。至八百年之時。九百餘年天親菩薩出世。弘通大小諸教。報年八十餘歳住世。
文殊馬鳴龍樹天親四聖次第。爲淨土祖。彌勒菩薩佛世親聞。昇兜率天教化天衆。如來滅後九百年時。
翻無著菩薩請降下中天阿踰闍國。於四月夜説五部論。無著受之弘通世間。無著以法付屬世親。
舊云天親。新云世親。淨土法門彌勒授無著。無著授世親。世親禀之造淨土論。瑜伽論中。地前菩薩及諸異生望受用土。爲別時意。不能即生。願行雖具非堪能故。地前異生望化淨土。願行具足即得往生。非別時意。是堪能故。引淨土經書作此會通。 [14]


莊嚴經論亦彌勒説。以唯願事名別時意。反顯願行具足即生。此望化淨應成此義。對法論者。
是無著造覺師子菩薩造其釋論。安惠菩薩糅合本釋。名雜集論。彼別時意唯約唯願。願行具足即往生故。
無著菩薩亦造攝大乘論。天親釋此。別時意相全同雜集。唯願無行。是別時意。不能即生。
以無行故。彼於異時。前願之上修習行業。願行已具即得往生。他受用土地前異生雖願行具。是別時意。位未至故。彼於後時昇初地上。得生報土。堪能位故。
若望化土。地前異生願行具足。即得往生。唯有欲願無行業者。不得往生。以行闕故。天親論主造無量壽論。立五念門。明往生業。造總攝頌。名願生偈。陳五念門。爲其行業。
總説偈義倶明願行。各擧一名互顯具足。五念門中。作願迴向並是欲願三業修習。即是行業。此五念門願行具足。乘佛本願。即生蓮華藏世界中。蓮華藏界即極樂土。極樂淨土即是他受用報淨土。 [15]

問 此所被機何等衆生
答。論偈云。普告諸衆生。往生安樂國。長行論云。若善男子善女人。此即勸誘諸凡夫類。發願修行令生淨土

問 如瑜伽論。地前異生望受用土。是別時意。縱具願行。階位未至。淨土論主何勸凡夫生受用土。豈不違論
答。瑜伽大論約就性相決判之門。是故凡夫不生報土。即是得成別時意趣。若約不思議門爲言。凡夫得生受用淨土。彌陀願力不思議故。淨土論專勸凡夫。令生蓮華藏世界海。若約地上依性相門。聖人即入蓮華藏界。
往生論中即有此門。淨教相承。彌勒文殊倶是如來在世親聞。彌勒禀此授阿僧伽。阿僧菩薩授之天親。三祖相承全同法相大乘血脈相繼次第。文殊等三祖同三論相承。
天親菩薩傳持二門。彌勒相傳面承無著。文殊傳持居其苗裔。流通沽潤至其身田。上明天竺傳持淨教。 [16]

震旦淨教傳通次第

如來滅後一千十六年。後漢第二主顯宗明帝永平十年丁卯。迦葉摩騰來至漢地。創弘佛宗。

次年戊辰。竺法蘭來。倶傳教法爲其滋基。自爾已後。三藏諸師相繼來到。各傳佛法後漢已來。無量壽經異釋漸起。荒途始惑。東晋之始。彌天道安法師造淨土論。開顯法義。
同代年暦匡廬山惠遠禪師。創開山MT02577.jpg建立淨社。擇朋結衆修淨土業。十八賢哲同志修業。僧俗一百二十三人。立誓要期行安養法。東土淨教斯時初昌。
後魏之代。北天菩提留支三藏。遊化來至大譯經論。無量壽論所譯之一。
于時曇鸞法師宗朗三經研涅槃。一方哲匠。各振遐邇徳聞異邦。南地帝主向此禮云鸞菩薩焉。鸞公見于三藏。三藏授以觀無量壽經歎。
爲長生不死之法。鸞公乃投作師事之禮。受指授。註往生論。又作彌陀偈奉讃大經 兩卷無量壽經名爲文經 作安樂土義明淨土相。
此淨土教正從西天相承而來。血脈連續。天親已後流行天竺。往生論宗相繼連綿至留支身。雖不知人名血脈不墜地。
震旦淨教留支爲始。曇鸞爲二。道綽禪師爲三。善導和尚爲四。懷感法師爲五。少康法師爲六。若自鸞公取之。即爲五祖。世多依用以爲所尊。五祖
皆弘淨土教法。教人令念阿彌陀佛。修諸善根迴向令生。往生極樂爲其所宗

問 既有五祖。以誰爲本
答。大唐諸師崇淨教者。多以善導爲淨土祖。多施章疏。究盡解行。曇鸞法師上古高匠。傳受留支廣播行化。
道綽禪師本業涅槃。弘佛性宗。講涅槃經二十四遍。深入玄致。兼弘淨教。造安樂集。即是善導所承根本。
懷感法師是法相宗。後投善導弘淨土教。作決疑論。明決疑滯。少康法師通達律藏。習學華嚴。研精法相。神解洞朗。匠成有功。念佛法門自修勸人。擧世崇敬號後善導。作瑞應刪傳一卷。編古來往生人。懷感之後少康之前有法照禪師大解法匠。弘通英哲。善導之後身也。
時於鉢中再見清涼山文殊境界。後詣五臺。親見文殊善財等。問訪出要。授以念佛。親蒙文殊指誨。大弘五會念佛。作五會法事讃一卷。流行世間。此即淨教所依祖師。昔道綽後有迦才師。作淨土論三卷。大立義道決判疑滯。
後代大宋之代有天竺寺慈雲遵式法師。是天台教觀之名匠。弘通淨教。依行被物。次有靈芝大智律師。是天台宗之哲。律藏教之英也。
兼弘淨教。自行化他。製觀經彌陀經義疏。大行于世。門人翫習多作記章。大宋淨教天下一均用靈芝行儀。爲宗旨規矩。自昔已來解釋淨土教典。諸師代代非一。

淨影寺惠遠大師。天台智者大師。嘉祥寺吉藏大師。普光寺法常法師。慈恩寺窺基大師。西明寺圓測法師。及道誾法師。又龍興法師。元曉大師。慧
淨法師。法位法師。玄一法師。義寂法師。慈藏法師。璟興法師。知禮法師。智圓法師。宗曉法師等。其數極多。皆解淨教發揮宗旨。各弘本宗。兼通淨教。世常所用。
雖五六祖。若依折中應用九祖。謂菩提留支・曇鸞・道綽・迦才・善導・懷感・法照・少康元照也。
震旦淨教弘通如是。 [17]

大日本國淨教弘通次第

昔百濟佛法創傳日域。大唐佛宗次傳此國。三論法相弘布世間。
厥後漸次諸宗流傳。淨土教觀不爲別宗。各隨自宗解釋法義。昔元興寺智光禮光各弘三論。兼通淨教。法相昌海欣樂安養。撰西方念佛集一卷并阿彌陀悔過。次天台慈惠大僧正歸西方教。釋九品義。
次源信僧都承法慈惠。研究台宗。兼通淨教。修習淨業。撰往生要集彌陀經略記等。中古有三論永觀律師。兼歸淨教作彌陀要記往生十因等。有中河實範大徳。法相眞言兼研律藏。并翫淨教。大施章鈔流行世間。

彼世同時有光明山重譽大徳。即三論碩匠也。兼研密藏。歸投淨土撰西方集三卷。東大寺三論珍海已講兼研淨教。撰決定往生集一卷。淨影義章作淨土義私記二卷。天台勝範作西方集三卷。如是諸哲皆修淨業。 [18]


近代有叡山黒谷源空大徳。俊機敏利智慮深濬。人王第七十六代。近衞天皇御宇。久安六年歳次己巳。齡方十八。厭世閑居。專欣安養。修往生業。淨土教義從此漸昌。
自行化他唯在此。人王八十二代。後鳥羽天皇御宇。建久九年歳次戊午。于時源空年六十六。録選擇本願念佛集一卷。開爲二卷立淨土宗。大顯義理。自此已後淨教甚昌。貴賤倶修。都鄙咸遵。
人王等八十四代。順徳天皇御宇。建暦二年歳次壬申。源空入滅。年滿八十。日域古來弘淨土者。解義修業其數甚多。其最要者。即智光・昌海・源信・永觀・實範・源空。此之六祖。此之六哲也。[19]

此並非親承血脈祖。唯是依憑歸投而已。總通三國言所憑者。有十八祖。謂天竺三祖。馬鳴龍樹天親也。
震旦九祖。菩提留支曇鸞等如前烈也。日本六祖。即如上烈。此十八中。馬鳴龍樹即面受之祖。菩提留支曇鸞亦是親承。道綽善導懷感亦面承祖。自餘諸祖非是親承。啻是歸仰依投而已。如道綽禪師安樂集中總擧六祖。
雖非親承。唯逐彼躅歸敬依憑。弘淨土教。昔源信僧都作往生要集。傳之後世。自爾已來歴世相傳。乃至黒谷叡空大徳傳持此集。成辨淨業。源空隨叡空學此集得旨。彼要集中引善導玄義等文。因此即尋善導所製。果獲觀經疏 禮讃 法事讃等 般舟讃者 彼世未獲 竝研窮精詳通達義理。乃以善導和尚爲所依宗師。選擇集中具明此義。
自爾已來淨土教行弘通華夷。不可勝計。偏是源空上人秉持之功者也。 [20]


問。源空已後弘通云何
答。源空大徳門人非一。各揚淨教。互恣弘通。倶立門葉。横竪傳燈。
即有幸西大徳・長樂寺隆寛權律師・小坂證空大徳後居西山 鎭西聖光大徳・信空大徳道號法蓮美州行空大徳道號法寶 九品寺長西大徳等。竝源空大徳親承面受之弟子也。
各隨所承弘淨土教。念佛宗旨所傳雖同。立義巨細異解多端。 [21]

幸西大徳立一念義。言一念者。佛智一念。正指佛心爲念心。凡夫信心冥會佛智。佛智一念是彌陀本願。行者信念與佛心相應。心契佛智願力一念。能所無二。信智唯一。念念相續決定往生。大經偈云。如來智慧海深廣無崖底 已上 [22]
如來是總通名。智慧擧果當體。善導引云。彌陀智願海深廣無崖底 已上 [23]
彌陀別約極樂教主。智願彼佛因果雙擧。
智是果體。酬因所感。願是因心四十八願。酬願行故。得此果智。果智當體皆有願心。願心所成即是佛智。智上具有諸宿願力。是故智體願力所成。是故彌陀所有種智名爲智願。是名佛智一念之心。行者信心契此智故。念念即與佛智相應。
善導云。我依菩薩藏頓教一乘海。説偈歸三寶與佛心相應。已上 [24]
言佛心者。即是佛智。疏主歸心與智相應。能所冥契。是一念義。幸西『略料簡』云。
言一乘海者。法喩雙標也。一乘者。即弘願。弘願即佛智。佛智即一念也。
海者如衆流入海。一切善惡凡夫皆歸彼智願海得生也。 已上 [25]

彼師一渧記云。如來能度是心。心者智能度物。眞實唯一念心也。衆生所度是亦心。心者智。智所度。正門無外。是即心一乘。不他是即心。捨邪心也。歸正心也。捨小心也。採大心也。捨漸心也。採頓心也。捨聖心也。採凡心也。二河亦心也。白道亦心也。是亦唯一念心也。是名眞實心。是名深心是名願心。故云。具此三心必得生也。 已上 [26]

約義有三心。剋體唯一念。願信詫願。契智之心。與佛智冥體無二故。諸教是爲聖之教。念佛是爲凡之宗。聖道諸教皆被聖人。於此穢土證獲聖果。淨土教門唯被凡夫。令諸凡夫往生淨土。頓登初地證無生忍。 [27]


略料簡云。學法有九十六種道。束爲二。九十五種外道。一種佛道。佛道有八萬四千門。亦爲二。聲聞藏菩薩藏。菩藏藏有二。漸教頓教。頓教有二。聖頓凡頓。聖者十聖。凡者五乘。今我依菩薩藏頓教者。正爲凡頓教也。 [28]
或云。横超斷四流。或云速證無生身。或云即證彼法性之常樂。或云。證彼無爲之法樂。是皆報高妙土。以五乘齊入故也 已上 具縛凡夫乘佛本願。生報佛土。頓入初地。是名凡頓。頓登聖故。稱佛記云。直願佛果而即得當名如來藏。頓教一乘是即爲聖教。先求淨土。順次生階菩薩初地。是名菩薩藏頓教一乘海已上 [29]
凡夫往生登初地者。此約上上初益爲言。下八得益漸有階降。略料簡頌云。對聖凡二頓。採凡爲正門。釋迦爲凡出。唯説頓一乘已上
大師釋迦捨無勝土。驚入娑婆穢土火宅。説淨土教。令諸凡夫頓生報土頓證初地。爲此如來出此娑婆。[30]

問。法藏彌陀以何專 爲報佛淨土 生因本願
答。四十八中 第十八願稱名念佛 爲生因願。
略料簡云。報佛報土而指方。本誓重願唯名號。十念 念數。不指時。別意弘願全異餘 已上
既言唯名號。故生因願唯稱佛名。非身意業。凡夫至心稱佛名號。頓超娑婆入初地位。良以如來不可思議宿願増上強縁力故。略料簡偈云。塵沙法中不可思議者。即此意也。[31]

稱佛記云。彌陀有二種。一化身像觀彌陀是也。玄義云。由衆生障重染惑深處。佛恐乍想眞容。無由顯現故。使假立眞像以往心想。同彼佛以證境。故言假正報也。
今此觀經所説稱名彼假立彌陀名號也。若依此行行者。可得假立生。假立者胎生也。是即通諸佛。即文云。言念佛者。即專念阿彌陀佛。一切諸佛亦如是。下品等念佛同之。
此彌陀諸佛相望互可論親疎得失。是名爲機。且雖有順彼佛願利益。若比増上大利全非比挍也。二報身。是別意弘願彌陀也。玄義云。又無量壽經云。法藏比丘在世繞王佛所 乃至 今既成佛即是酬因之身也。
詫彼願爲増上縁。如説大經。念彼彌陀。即念十方一切諸佛也。全無彼此不同差別。故名念佛三昧。具如眞身觀文 已上 [32]

念彌陀佛有二種別。觀經第八形像觀者。先模眞身爲形像身。假想觀察爲眞方便。故念此像計爲假念。念化身故。眞身觀佛正説眞身。即是報身。念此名爲眞正念佛。稱念化身受胎生報。生化淨土。稱念報身受化生報生報淨土。念像唯順彼佛本願。非契眞實如來本願。稱念報佛正契本願。超凡直因初地妙業。 [33]
稱佛記亦云。然正十方諸佛所護念有願極樂。稱彌陀若實欲得不退者。且轉菩提心願極樂。閣諸佛稱彌陀。但稱禮念化身。唯彌陀與衆生彼此三業不相捨離。無諸佛三業外加。唯有念眞身名號。諸佛與衆生彼此三業不相捨離。
何以故。念眞彌陀。即由念十方一切諸佛故。彌陀經中云。聞是諸佛所説名及經名者。乃至一切諸佛共所護念。皆不退轉者。正指眞身名也 已上 此意説云。三業不離。有其二重。
稱念化身唯與彌陀三業不離。稱念報身行者三業與諸佛三業不相捨離。[34]

稱佛記偈云。通擧定散諸萬行別取念佛之。一行。念佛往生入初地。萬行圓備坐道場 已上
初之二句流通付屬名號之意。第三一句生淨土證忍。後之一句佛果成滿。具足三經淨教義成。用大經爲取本願。用觀經者爲歸稱名。用小經者爲取佛證。是故淨土三經具足。念佛往生成就圓滿。故略料簡云。具三經者必持心。若少一經即不成。已上 [35]


念佛往生具周成立。必由信心與彼佛智一念之心。相應契會此事成立。任運往生。不由時節久近早晩念修多少事業淺深。
略料簡云。佛心相應時業成。無問時節之早晩 已上 彼所立義名一念義。專由如是所成旨歸。
『略料簡』亦云。命欲終時佛來現。從心不生。依彼願 已上 行者生彼唯由願力。非由凡夫自身自力。罪障凡夫煩惱垢重。如來報土懸絶分故。唯仰佛願直成就故。
如是等義幸西所立。[36]

幸西門人有正定大徳・正縁大徳後投長西明信大徳・入眞大徳・善性大徳・勤信大徳 住于木幡竝承幸西各事弘敷。
善性門人有永信大徳仙戈大徳。竝弘所承流通遐邇。洛陽波州 阿波于今有之。[37]


長樂寺隆寛律師立多念義。
聞淨土教。信順趣向厭離穢土。欣求淨土修習薫練。乃至臨終稱念不斷。決定往生。行者修習念佛妙行。其業成就必在臨終。平生之間雖相續修往生業因。未能成就。是故一形至最後念相續勤修臨終業成即見佛等。命終坐蓮即生彼土。[38]

問。臨終業成最後應念。何用平生恒勤行爲。
答。平生恒修爲欲相續至終業成見如來故。若不練習在已前者。何由臨終業得成就。是故一期相續得成。念佛正是彌陀本願。自餘諸行皆非本願。餘行非是佛本願行。而業成就即得往生。雖得生彼。而生邊地。九品生者皆邊地故。是故餘行不生報土。非本願故。麁劣業故。稱名念佛即生報土。[39]

問。何故念佛必生報土。
答。念佛彌陀本願行故。是故念佛必生報土。所以然者。彌陀是酬願因之身。極樂亦酬願因之土。念佛三昧是宿願行。佛酬願因引接此業。故宿願行必生報土。非本願行無有此義。故念佛業往生報土。觀經所説九品行相竝是邊地化土之相。此九品外別有報土。淨土本論所説二十九句莊嚴即是報土。華藏界故。此即本願所成土故。[40]

問。凡夫念佛欣求淨土。臨終見佛有何等益。
答。具縛凡夫臨終見佛。即斷一分無明。一分證中道理。即當天台圓教初住。若約別教即當初地。成此斷證即生報土。[41]

問。若爾非乘願力。自既見法身故。
答。彌陀願力不思議故。頓斷無明得生報土。不乘願力無此事故。[42]

問。彌陀願力唯於報土引接衆生。何關斷證。
答。唯於報土攝引凡夫。此即法藏願力旨歸。爲令入報土。任運有斷證。

問。既斷無明。其見思等何時斷滅。豈得超之。
答。臨終見佛。見思塵沙一分無明同時斷滅。無有遺餘。三惑同時斷天台宗義故。[43]

此是寛公附順天台所説宗旨。建立此義。彌陀光明照念佛人。不念之時不蒙光照。如是等義非一衆多。此即隆寛律師所立。寛公宗研天台。智解深廣。後弘淨土。解行兼包。善導虬文創致講敷。大作鈔章建立義理。源空上人授以撰擇。寛公受之爲其龜鏡。[44]

隆寛門人有敬日大徳智慶大徳等。各弘所承教化道俗。敬日公云。修餘諸行亦生報土。而非是佛本願之行。九品之中上品上生是報淨土。自下八品並是邊地。此等義略違本所承。日公弟子有洛東慈信大徳。天台教觀研精幽致。隨從日公學淨土教。而立義云。
餘行亦是彌陀本願。非唯念佛以本願故得生報土。此亦違師所立義也。[45]
信公住洛。大播化導。信公門人有唯性大徳。亦在洛陽弘傳所承。智慶法師 道號南無本在關東學天台宗。後入華洛隨依隆寛。學淨土宗。後還關東昌弘淨教。東土淨教乃彼力也。智慶門人有信樂大徳隆慶大徳等。樂公初隨隆寛學念佛法隆寛道號皆空。諱無我也 後承智慶也。隆慶房號敬願 學台宗時即與智慶同一師學。後上華洛詣長樂寺。初承隆寛。後承智慶。又延暦寺法印權大僧都信承學究天台。深入幽理。兼隨智慶學淨土教。隆慶門人長空大徳道號信教隆慶甥也
能念大徳倶承淨教研窮宗旨。教公門人有寛海大徳道號空藏 隨信教公寛研淨教。洛陽立寺。名大光明寺。隨戒壇院圓照上人。受比丘戒。傳受眞言。管領寺院。建立門輩。弘敷所承。稱通宗旨。信阿聖實理觀如性等竝隨寛公。受學淨教弘持宗旨。
念公門人有觀念大徳及了念大徳。受學有功。昌弘宗致。寛海亦隨能念習學淨教。隆寛已後長樂門流別作血脈。秉宗旨焉。[46]


洛陽西山證空大徳{道號善惠}門人甚多。竝隨學法。乃證入大徳{房號觀鏡}觀眞大徳・實信大徳・聖達大徳 鎭西證惠大徳{房號道觀}修觀大徳・淨音大徳・道門大徳・隆信大徳・佛教大徳・遊觀大徳等也。[47]
證空從幼年隨源空上人{道號法然}習學淨教。精詳義途。源空上人作撰擇集。證空年二十三是勘文役。深達彼義。證空謂日野願蓮上人{後住太子御廟}之處學天台宗。專弘淨教。高提綱宗。[48]
即立義云。念佛即是彌陀本願。諸餘行業非是本願。三心正因必在念佛。九品正行普該萬行。念佛既是本願之行。乘本願故。罪惡凡夫直爾得生安養報土。三心念佛不即不離。三心即信本願之心。離本願外無有三心。言本願者。稱名行故。是故三心念佛不離。三心唯是行者安意。念佛即是所修妙行。是故三心念佛不即。三心總名願往生心。修行之大地正修之能成。必定牽引往生大果。
故以三心名爲正因。自餘諸行不獨往生。非本願故。非正因故。爲念佛行之所任持。即得往生。名之正因上之正行。念佛是能成。成諸正行故。諸行是所成。念佛所持故。若非念佛諸行不成往生正行。念佛所成一切諸行成往生業。故九品中説諸行門爲往生業。名爲正行。三心念佛必定牽引往生大果。餘行即得華開已後種種勝益。經中所説由其九品正行多少淺深階降。得有九品華開已後聞法得益種種異故。取信作解。必在一念十念功能。修行策勵一形長時相續不斷。深信如來本願不虚。正因深入正行。勇進名信上之行。號解上之行。非謂不以自餘諸行爲本願故。棄捨諸行不修餘善。爲念佛行而所持故。諸行皆成往生正業。是故策勵令修諸行。以正因上正行法故。華開已後應得益故。但非離念佛諸行得獨生。九品倶是報佛淨土。[49]

順娑婆機遇大等絶。暫時顯示種種差別。剋實言之。唯是彌陀酬因所感一種報土。而願上建立名極樂報土。約此義邊勝餘佛報。別願所成勝餘報故。是故如來令韋提希別選西方。有別意故。剋實而言。九品説相唯是釋迦隨娑婆機。説其階降。非淨土中實有九品。唯是教文施設安立。如定性二乘灰身入寂。即生方便有餘土中。直爾遇佛聽法華經。迴心向大。曾無八六四二萬等經劫之事。説八六等教文施設。無有實事。即迴心故。[50] 已上

鸞師註往生論下云。願往生者本則三三之品。今無一二之殊。 述曰。三三品者。娑婆發足有九品故。言無一二殊者。既往生已唯是一味極樂清淨海會大衆。無有三輩九品差別。但不可遮隨娑婆機華開初益有斯差降。教文施設顯示分齊。曇鸞法師釋論文如來淨華衆正覺華化生。是莊嚴眷屬功徳成就不可思議云。此云何不思議。凡是雜生世界。若胎若卵若濕若化。眷屬若干。苦樂萬品。以雜業故。
彼安樂國土莫非是阿彌陀如來正覺淨華之所。化生同一念佛無別道故。遠通夫四海之内皆爲兄弟也。眷屬無量。焉可思議  已上
既是同一念佛所生。 不由自餘諸善雜行。如來出世成道説法。爲度凡夫令生淨土。直爾獲得無上菩提。凡夫得度專在觀經。觀經所宗唯在念佛。韋提縁起未現。已前隨順聖道大小乘機。施設諸教。因韋提縁説觀經時。彌陀本願念佛法門顯示開説。暢佛本意。二尊本懷朗然開顯。此時宣陳觀經。已外諸教方便。觀經念佛是眞實門。彌陀本願念佛現起。諸餘雜善忽然廢捨。以非諸善獨得往生。本願淨土教行顯已。還取餘行念佛中攝。念佛攝持得往生故。是故念佛獨是出道。諸教法門安置觀經化前序中。以是觀經方便故。觀經已前假施設故。如天台宗釋法華題迹門三譬。化前序法如爲蓮故華爲實施權。觀經法門如花開蓮現開三顯一。亦名開權顯實。觀經已後念佛獨出。如華落蓮成廢權立實。 亦名廢三立一。[51]

證空上人隨願蓮上人學天台宗。模彼宗義立此義門。韋提夫人觀經定善示觀縁中。聞如來言汝是凡夫。開悟佛意。信顯他力棄自力執。彰憑他地。是名韋提定善示觀序中開悟。是憑他力深信意樂。此開悟心名觀經觀。十六觀法皆歸念佛。顯示他力往生旨故。
是故觀門亙十六觀法。皆顯念佛。稱念名號。皆得生故。觀佛三昧名爲能詮。念佛三昧爲所詮。不同聲義能詮所詮。彼門語聲名句文身名能詮教。理事境智行位等法名所詮義。此約能顯所顯名爲能詮所詮。十六觀法總名觀佛。玄義釋名如是説故。一一觀中皆顯稱名故。以念佛爲所顯法。韋提夫人顯行縁時。未顯他力。非開悟心。存諸教門。故順諸教名顯行門。示觀縁時領受他力。故淨土門所立法義名示觀門。雜修雜行混爲一類。專修正行合爲一具。此依選擇立此義理。如是等義所立多端。其諸門人竝弘此義。[52]

證空初住小坂弘法。後移西山弘通淨教。西山善峯寺延暦寺別院。彼寺北尾名往生院。證空興隆彼處永爲淨教行處。宇律宮實信上人彼處有功。立菴留躅。
證空門流繼持彼處。證空上足有證入者。如孔門有顏回。深得師意大弘宗義。住東山宮辻子講敷淨教。聽徒如市。門輩成林。正因正行廣開園畝。 彼門人有覺入大徳・觀日大徳・觀明大徳・唯覺大徳等。
覺入門人有見性大徳。本長門國人。於備後國蓮臺院。弘所學法。彼立三心所廢之義。流通付屬廢前定散十六觀門。唯立名號。以本願故。是九品散善亦廢。上上三心亙通九品。各有十一門故。既廢十一門。故三心亦廢。三心正因第四門故。
稱名念佛即成半自力半他力。南無二字是自力故。阿彌陀佛即他力故。性公門人有觀蓮公。在備後國宇多島。弘通淨教。性公門下有快喜者。住豫州宇和郡。弘持所傳。

觀日門人有東大寺範承得業・洛陽了觀公・豫州成信・并同國聖入公。
成信還與州弘傳淨教。聖入往信州善光寺。教化道俗。觀明公於華洛弘通念佛。證入所立五祖一徹成淨土義。
故其門人觀日・觀明皆成五祖一徹之義。證入門人亦有讃州正乘公・豫州蓮宿公・備中證佛公。各學淨教弘之遠近。鎭西聖達眞資有聖觀者。傳師淨教。講敷弘通。證惠上人初承證入。後附證空。
西山法門深得淵府。後嵯峨天皇御宇甚播法威。以所承法奉授于天皇。淨金剛院即彼御願。以道觀上人爲開山之師。學淨土宗。爲永規矩。觀公於善導疏等多施章鈔。淨金剛院代代住持皆擇碩學。爲弘通近。即覺道圓道公等也。
證惠門人有道念公。學業優長。早從物故。修觀大徳住御殿。後往關東弘敷淨教。隆信公下有道教公。研究淨教講敷傳通。居住嵯峨。弘布淨教義路精詳甚播嘉美。
淨音大徳住仁和寺西谷。弘通淨教。音公所立唯用善導一家解釋。諸餘異解未必和會。事一師故。音公門人有觀智公・乘信公・覺證公・道戒公・等。各弘所承互化品物。證空門流如是。流演。僅擧少分不能具陳。[53]


鎭西筑後國善導寺本願聖光上人者。淨教賢哲學解英匠。隨法然上人久營學業。鎭西弘教多生門輩。乃慶蓮社招蓮社等是也。
摸匡盧山古風故也。光公門人亦有良忠公。學解英哲宗教鸞鳳也。五祖虬文多播鈔解。字號然阿。初住鎭西。學業獨歩。中比遊住下總國。大弘淨業。多生法近匠。後上花洛。弘通宗旨。然阿門人有禮阿公。住仁和西谷。弘演所宗。建立淨社。修學淨教。光公門人亦有滿願上人。初承長西。兼隨光公。
光公所立唯念佛行。是佛本願。自餘諸行非彌陀願。然阿等義諸行非本願。雖非本願而得往生。願公所立諸行非是彌陀別願。雖非別願而得往生。約就四弘總願門故一切萬行隨意得度。在總願門。故得往生。
觀佛念佛兩三昧字雖有兩名。唯是一體。兩名互通定散門故。願公門人有廓鍐公。花洛立寺。任持秉御。爲諸門輩講敷淨教。[54]


郊北九品寺長西上人房號覺明 久事源空練淨土教。長西十九出家即附源空。源空其時年滿七十。長西常隨給仕不懈。空公八十入滅。于時長西年二十九。首尾十一年。隨逐學法。長西門人英哲甚多。謂澄空 房號如輸上人・理圓上人・覺心大徳・阿彌陀房空寂上人・十地上人・道教上人・上衍大徳・證忍大徳・如是諸輩各隨所承弘通淨教。
澄空理圓兩上人者宗研天台。説法流美。兼隨長西習學淨教。法藏比丘五劫思惟唯思修行兩哲諍論。西公作章。名五劫思惟諍論鈔。決判兩英諍論。即決判云。五劫修行。非唯思念。淨影等師如是判故。覺心大徳讃州西三谷盛弘淨教。彼處是長西上人建興之寺也。[55]

長西乃讃州人。九歳上洛隨管家長者。服膺俗典。出家入緇。源空寂後遊學非一。學研天台。傳三觀法。隨住心大徳。學止觀等。謁俊芿師。亦習止觀。値佛法禪師。久經禪學。起信釋論無不譜練。淨土法門温習極大。尋古知今。達此通彼。窮幽盡理。陶貫洞朗無有所遺。所立義云。念佛諸行皆是彌陀如來本願。隨所修業皆生報土。一切穢土修業之人有九品別機。宜異故。九品行者倶生報土。隨機任業有來迎別。生已即是齊同不退。通是極樂華藏世界海會大衆直受法樂。普至十方。於諸佛所歴事供養。現前蒙記。頓歴十地。忽至補處。或於十方速成正覺。或以大悲起闡提願。自證化他應化齊拔。盡未來際業用無方。[56] 第十八願念佛往生。第十九願聖衆來迎。第二十願諸行往生。第十八中有三業念。前十三觀是觀行觀。修習定善。思惟方便。正受觀成。三輩散善。臨終見佛。眼開證境。是觀矚觀。觀佛念佛定散門異。得定證境。
三昧是同故。觀佛念佛兩三昧爲宗。或約韋提請。定善爲宗。約佛自開。散善爲宗。由定善故觀佛爲宗。由散善故念佛爲宗。二門互取互成一宗。如是等義即彼所立。[57] 長西立西三谷。弘念佛宗。上足覺心住彼弘教。北洛泉涌住持覺阿上人。隨覺心公習學淨教。覺心兼學倶舍。通練釋論。覺阿隨心公兼學倶舍論。覺心門人有西覺公。兼承證忍。大達淨教。彌陀公下有禪信公。開敷有功。鑚仰不倦 知足院了敏大徳隨彌陀公習學淨教。修練無懈。阿彌陀公立十六定善義。
依玄義釋名門成立義理。空寂上人多作章鈔。大經有五卷疏。善導觀經疏述八卷記。又弘元照彌陀疏集三卷鈔。如是等也。
道教上人關東弘教。天台教觀講敷弘通。講淨土教廣被道俗。門輩非一。連續弘化。上衍證忍兩哲倶守師躅。住九品寺。恒講淨教。紹隆宗義。忍公門人遠近興宗。各生門輩。開演甚昌。上來所陳横竪相承。並源空上人門流苗裔。略擧少分。不可備列。或在花洛。或滿諸國古來横竪不能見聞。不得知及。如何烈之。如何擧之。[58]
了觀上人建三福院弘觀日義。元是證入所説。名東山義。彼師門流在三福院。顯揚宗旨連續不絶。
道教上人住釋迦院。弘所承義。禀隆信公開暢宗旨。名西山義。教公門人有戒圓公及良圓公。良圓公者。住龍御殿顯揚淨教。法然上人門流如是。[59]


近代已來時有英哲。弘淨土教。遐邇流布。未必依據源空所立。即出雲路住心上人 天台學者 生馬良遍法印 法相英哲木幡眞空上人。本諱定兼。官昇律師。三論眞言美譽絶倫。東大寺知足院悟阿上人習學律并法相。如是等師皆學淨教。研究精詳。弘通化導。或製章鈔。或自行化他各有門輩。
横竪燃燈。長西上人兼承住心。良遍法印道號信願。官位居法印權大僧都。法相因明研精究盡深獲奧旨。四十有八棄捨世榮居住生馬大聖竹林寺。隨唐招提寺覺盛和上。受具足戒。律藏宗旨通別相状習學精研。陳菩薩戒義有六卷章鈔。明律藏義造五卷章。陳淨土義作數卷章。自行利他唯事淨土。建長四年遷神淨邦。于時春秋六十有九。

竹林精舍現有遺房。先有空寂公。住竹林寺。弘持淨教。大施化導。長西門人學解神足。後至甲斐國。弘淨土教。眞空上人三論名哲。遁世之後專弘眞言。事相教相甚致精詳。教相義解辭辨縱横。立敵對論無並肩者。兼研淨教。建立義門。曇鸞註論有六卷鈔記。永觀十因作三卷文集。隨覺盛上人受具足戒。住持木幡觀音院。後往關東。弘化導引。悟阿上人大弘淨土。五祖虬文皆作鈔記。製述繁多。數滿百卷。特研群疑論。飛名遐邇。悟阿門人有制心了敏兩哲。倶研淨教。大播化導。
制心上人法相學者。法華玄賛深獲幽旨。講敷繁多。大立門輩。兼習淨教。盛施化導。了敏上人元學法相。後隨悟阿專學淨教。講弘行業。唯事淨土。東大寺有圓照上人。道號實相。聰叡敏利。多聞深悟。大小化制顯密禪教解行通練。無不貫括。
隨良遍上人。習學法相。研精淨教。隨覺盛上人。受通門具足戒隨叡尊興正菩薩上人。受別受具戒。興隆戒壇。住持竹林。開善法寺。興金山院。講律授戒。弘通眞言。説法開導徳量多端。兼弘淨教。深入幽致。住心・良遍・眞空等師皆立諸行本願義。與長西所立一同契會。
悟阿所立亦本願亦非本願。依第十八願成立此義也。夫法海深廣。可度而難越。義山嶮峨。可仰而難昇。

淨土教義豈可測量。今隨諸流各陳綱要。諸流所説隨人各異。見此塵露。難應印可。非無憑據。互契人解。委細義道非此應盡。僅記一渧而已

于時應長元年 辛亥 十二月二十九日。於東大寺戒壇院沙門凝然記之。春秋七十有二。是今于中最後述作者也[60]

淨土法門源流章一卷

書き下し

  1. 夫れ淨土の教義由來尚(ひさ)しや。王舍城の内に須摩の嘉會を啓き、祇陀林の中に舌相の祥驗を彰す。
    神州に論譯し、二十九嚴、始て弘むなり。疏、日域に傳りて四十八願昌りに翫ぶ。源、廣くして流れ遠し。根深くして枝繁し。今略して源流を擧ぐ。粗、梢條を精し名義を烈示し、旨歸を顯し揚ぐのみ。
  2. 兩卷『無量壽經』二卷。此の經は曹魏の代に康僧鎧三藏譯す。
    此の經、古來新舊の三藏、十二代の譯有り。而して五存七闕なり。
    五存と言は、一は此の僧鎧の譯。二は『清淨平等覺經』二卷、魏の帛延の譯。三は『阿彌陀經』二卷、呉の月氏支謙の譯。四は『大寶積經無量壽會』二卷、大唐の菩提流支の譯、彼の經の第十七及び第十八卷に當る。『大寶積經』は四十九會有り、此の無量壽會は第五會に當る。五は『大乘無量壽莊嚴經』三卷、大宋西天の法賢三藏の譯なり。已上の五經は同本異譯なり。五本有りといえども震旦月域、世に多く依行讀誦し講敷し、疏を造り義を述し、世を擧りて競い翫ぶは、啻(ただに)、康僧鎧譯の『無量壽經』にすぎず。
  3. 『觀無量壽經』一卷。宋代の薑良耶舍三藏譯す。古へ復た異譯有りといえども、しかして欠逸して行ぜず。唯だ此の一本、昌(さかん)に世間に行わる。震旦の諸師競って疏解を作り、日域講敷して章を述ぶこと極て多し。
  4. 『阿彌陀經』一卷。姚秦の羅什三藏譯す。震旦、日本人多く誦持し、疏を製し鈔を述ぶ。十有餘家蘭菊の美を諍い金玉、光を奪う。大唐玄奘三藏亦た此經を譯す、『稱讃淨土攝受經』と名く。
    亦た一卷有り。羅什の本と同本異譯なり。靖邁法師一卷の疏を作り、此の本を解釋す、精美を罄(つく)せり。已上の三經、淨土の所依爲たり。
  5. 『無量壽經』は阿難と彌勒を以て對告人と爲し、特に彌勒に囑し廣く弘持せしむ。
    『觀無量壽經』は阿難を以て對揚と爲し、并に弘演して未來に流通せしむ。
    『阿彌陀經』は舍利弗を以て對告の人と爲し、舍利弗に告ぐるは意流布せしむるが故に善導の云く、釋迦如來、身子に告ぐるは、即ち是れ普く苦の衆生に告ぐなり。 已上
    慈恩大師、四部の經を以て淨土の本經と爲す。上の三經の外に鼓音聲陀羅尼經を加て、四部經と名く。
  6. 曇鸞・道綽・善導・懷感等、淨教を弘通すの諸師等、多く兩卷『無量壽經』・『觀經」・『彌陀經』の三部を以て、淨土所依の本經と爲す。
    今、此の躅(あと)に依り三部經を擧ぐ。
  7. 淨土所依の本論。『無量壽經優婆提舍』一卷、亦は『淨土論』と名け、亦は『往生論』と名け、亦た『無量壽經論』と名く。此の論は天親菩薩の所造、後魏の菩提留支三藏譯す。東魏の曇鸞法師、『往生論』を註し、二卷を成ず。日本の元興寺智光法師、『往生論疏』五卷を作る。
    彼は曇鸞を取り以て義節と爲す。曇鸞・智光倶に是れ三論なり。右、三經一論を以て淨土の所依と爲す。此れに據りて義を立て、宗旨を莊嚴す。
    問。此の『往生論』は宗所の憑み爲り。是れ宗論とや爲ん、釋論とや爲せん。
    答。此は是れ宗論なり。釋文論に非ず。論師、論を造るに種種の相有り。或は通申の論、或は別申の論なり。
    龍樹の『中論』『十二門論』等の如きは、是れ一代の通申なり。總じて大乘を陳るが故に、龍樹の『智度』、天親の『十地』の如し。是れ一經の別申、別して大乘を釋するが故に。
    今、『往生論』は是れ別申論なり。既に『無量壽經優婆提舍』と言う。優婆提舍此に論義と云。即ち無量壽經論なり。
    是の故に名ずけて一經の別論と爲す。一類の經に就いて總じて宗旨を撮し、法義を建立し、名けて宗論と爲す。
    別して文句を解するを、名けて釋論と爲す。今、『往生論』は即ち是れ別して淨土契經の宗義申る論なり。
    問。所釋の本經三部の名同じ、一經に局ると爲(せ)ん、三部に通とせんや。
    答。無量壽の名、既に局る所無し。所説の義理亦た通ぜざること無し。此れ即ち通じて淨土の三經を申う。
    問。何を以て三經を通釋ことを知ることを得。
    答。論の中の所立、三經通ずる故に論に二重有り。初は説偈總攝分、二十四偈を説き、三經義を攝するが故。
    二は釋偈解義分、長行に偈頌を釋し、所攝の義解する故に、解義分の中に五念門を説く。一は身業禮拜門。二は口業讃嘆門。三は作願門。四は意業觀察門。五は迴向門。淨土三經所説の義理、五門に過ぎず。是の故に論主經の宗要を樀りて。此の五念を立つ。
    論に二十四偈を説き已りて云。無量壽修多羅章句。我、偈誦を以て總説し竟んぬ。 已上
  8. 此れ即ち總偈に經の宗要を攝す。五念を明すといえども、所歸の宗を論ずるに、正く是れ意業觀察のみ。自餘の四門、或は是れ安心、或は是れ助業方便眷屬なり。 曇鸞の注の中に二十四偈、まさに隨て五念門の相を配對し、論の中に解義、唯觀察門の中の偈頌に配して句義を解釋す。此の論を作る意、極樂淨土依正二報 二十九種莊嚴相を觀察して顯示する故なり。
    故に觀行を以って論の宗旨と爲す。此の觀行は、全く『觀無量壽經』に依り、此の法を建立す。彼の經に十六觀を修することを明す故に、十六觀の中に依正を盡すが故に、依正二報所觀の境に在り、具に彼土二報莊嚴を觀ずる故に。註家、此を釋して、其の當る所に隨い『觀經』の文を引く。座功徳に華座觀を引き、身業功徳に眞身觀を引くが如し。未だ必しも皆な本經之文に對せず。若し一一に對せば契會ぜざること無し。
  9. 雙卷『無量壽經』に具に、法藏比丘の本願彌陀如來所成の果相依報正報を説き、衆生を引接して、極樂に生ぜしめ、所生の衆生得益の行相、其の成就する所の依正二報は、即ち觀察の中の所觀の行相なり。是故に論の中に兩卷の義を接す。 小『彌陀經』には亦た極樂依正二報を説く。 亦た是れ本論の觀察中の境なり。是の故に具に小彌陀の義を攝す。是の故に此の論三經を通釋す。
  10. 問。觀察門の中の二十九嚴は、三經通じて成(な)さん。一經各の成や。
    答。二十九嚴、經に對してこれを言はば、三經合成して義門備足し、三經各の二十九句を成ず。亦た當らざること無し。解に隨て即ち得る。 義寂法師、『雙卷經』を解し、論の十七種等功徳を配す。玄一法師、小『彌陀經』を釋し、具に十七種等の莊嚴に配す。 元曉法師、『小經』の疏の中に、應對すべき所に隨て論を引き文に配す。此即ち諸師各の本論所説の諸嚴を盡す。『淨土論』の中の五念門の法、義を解し理を立つること、勢變多端なり。 或は是れ止觀定惠雙行す。作願は是れ止・奢摩他の故に、觀察は是れ觀・毘婆舍那の故に。餘の三は應に隨て助業と安心となり。 或は是れ入と出との二門の行相なり。前の四念門は自證宮に入る門、迴向の一門は教化地に出る門なり。五念門に依りて自利利他し速疾に成就究竟圓滿す。 或は作願迴向倶に是れ安心身口意の行、是れ所起の行なり。或は五念倶に行じ、作願迴向行の邊を取るが故に、念行と言うか。
  11. 故に問。三經一論既に是れ淨土所依の教典なり。若し餘の經論の中に淨土所憑の教有りや。
    答。淨土の義理、念佛の法門、諸大乘教處處に廣く説けり。彼教典は餘法を宗と爲す。然に亦た兼て淨土の義門を説けり。 此れ等は並に是れ安養門に於いて、今三經と所説全く同じ。彼彼の教の中に淨土を説く處、安養を勸る處、皆な取て今の淨土の所憑と爲す。 純(もっぱ)ら淨土を説くに非ずといえども、此の三經一論の如く、而も義門一同なるをもって、皆な咸く依用す。 是れ淨土の所依に二有り。一には正所依の教。今の三經一論の如き是れ也。二に兼所依の教。諸經論の中に淨土の義を説き。往生極樂を陳演する是れ也。 即ち『般舟三昧經』・『悲華經』第二第三卷・『鼓音聲王陀羅尼經』・『彌勒問經』・貞元『花嚴經』第四十卷・『大乘同性經』・『十往生經』・『請觀音經』・『觀音授記經』の如き。是の如き等の經、顯密二教諸經を簡ばず。皆な取て以て兼所依教と爲す。 諸論之中に。『起信論』勸生淨土の一段、『十住婆娑』の第三卷の中易行品等。並に西方に往生することを説く是れ也。
  12. 弘通淨教祖裔次第。天竺淨教弘通。釋迦如來開法大師、王舍城耆闍崛山に於て、『無量壽經』を説く。王舍城頻婆娑羅王宮に於て、『觀無量壽經』を説く。舍衞國祇桓精舍に於て、小『阿彌陀經』を説く。各の對告有り、及び付囑有り。 如來滅後、大迦葉等の五百羅漢、畢婆羅窟に於て小乘三藏を結集し。文殊・彌勒・阿難陀等。鐵圍山に於て大乘藏を結集し。各の閻浮に弘め、倶に衆生を利す。 淨教の三經は彌勒・文殊・阿難結集して、世間に流布ず。付法藏傳、二十四祖次第相承ず。即迦葉・阿難・末田池・商那和須{田池商那同時弘教。依師資傳前後相承}・優婆毱多乃至第二十四は師子尊者なり。
  13. 其中に馬鳴菩薩は是れ第十二之祖。龍樹は即ち第十四之祖、婆修盤陀は第二十一、即ち是れ天親なり。此の三菩薩、淨土教に於て所立功有り。故に即ち依憑す。馬鳴菩薩は『大乘起信論』を造り、往生淨土不退の方便を建立す。 道綽禪師は此れを引きて據と爲す。龍樹菩薩は華嚴『十住毘婆娑』を造り、難行易行の二道を建立して、彌陀の願を陳べ安養の土を勸む。 曇鸞法師、此に依りて教を立て、龍樹亦た『大智度論』を造り、往往に彌陀淨土の事義を陳宣す。亦た『十二禮』を造り、安養行式と爲す。 故に曇鸞法師、龍樹菩薩を立て、淨土の高祖と爲するが故に、彼の師の『大經讃』に云。 大師龍樹摩訶薩、形を像始に誕じて、頽網を理(とと)のえん{乃至}南無慈悲龍樹尊。至心歸命頭面禮、と{已上} 道綽禪師も亦た龍樹を仰ぎて淨土の祖と爲す。即ち彼の論に依て二道を建立す。天親菩薩、『淨土論』を造り、五念門を陳べ三經の意を明す。是の故に立てて淨土の祖師と爲す。
  14. 文殊師利菩薩、大乘を結集し、四百五十年、世に住して弘通す。佛滅度の後三百七十年に、馬鳴菩薩出世す。 五百三十年に龍樹菩薩出世す。八百年之時に至る。九百餘年に天親菩薩出世し、大小の諸教を弘通す。報年八十餘歳世に住す。 文殊・馬鳴・龍樹・天親四聖次第して、淨土の祖と爲す。彌勒菩薩は佛世に親く聞き、兜率天に昇り天衆を教化す。如來滅後九百年の時に、無著菩薩の請に翻(酬)て、中天阿踰闍國に降下して、四月夜に於いて五部の論を説く。無著これを受けて世間に弘通す。無著法を以て世親に付屬す。 舊に天親と云い、新に世親と云う。淨土法門、彌勒無著に授け、無著世親に授く。世親之を禀けて『淨土論』を造る。瑜伽論の中に、地前の菩薩及び諸の異生を受用土に望めて、別時意と爲す。即ち生ずることあたわず。願行具せりといえども堪能に非ざるが故に。地前と異生と化の淨土に望めて、願行具足して即ち往生することを得。別時意に非ず、是れ堪能なるが故に。淨土經を引き此の會通を作す。
  15. 『莊嚴經論』に亦た彌勒の説くなり。唯だ願事を以て別時意と名ずく。反りて願行具足即ち生ずることを顯す。此れ化の淨に望めてまさに此の義を成ずべし。對法論は、是れ無著の造覺師子菩薩其の釋論を造る。安惠菩薩本と釋とを糅合して、雜集論と名く。彼の別時意は唯だ唯願に約す。願行具足しつれば即ち往生するが故に、無著菩薩亦た『攝大乘論』を造る。天親此を釋して、別時意の相、全く雜集に同じ。唯願無行、是れ別時意なり。即ち生ずることあたわず。 無行を以ての故に。彼異時に於いて、前の願之上に行業を修習して、願行已に具れば即ち往生することを得。他受用土には地前と異生とは願行具せりといえども、是れ別時意なり。位未だ至ざるが故に。彼後時に於いて初地の上に昇て、報土に生ずることを得。堪能の位の故に、若し化土に望めば、地前と異生と願行具足して、即ち往生することを得。唯だ欲願のみ有りて行業無きは、往生することを得ず。行闕(か)くるを以ての故に。天親論主、『無量壽論』を造り、五念門を立てて、往生の業を明すに、總攝の頌を造て、願生の偈と名け、五念門を陳て、其の行業と爲す。 總説と偈義と倶に願行を明かし、各の一名を擧ぐ、互に具足を顯す。五念門の中に、作願と迴向は並に是れ欲願なり。三業の修習、即ち是れ行業なり。此の五念門の願行具足して、佛の本願に乘じ、即ち蓮華藏世界の中に生ず。蓮華藏界は即ち極樂土、極樂淨土は即ち是れ他受用報の淨土なり。
  16. 問、此の所被の機は何等の衆生や。
    答、論の偈に云く。普告諸衆生、往生安樂國。長行の論に云く。若し善男子と善女人と、此れ即ち諸の凡夫の類を勸誘して、發願修行して淨土に生ぜしむ。
    問、『瑜伽論』の如き、地前と異生と受用土を望むれば、是れ別時意なり。縱ひ願行を具すも、階位未だ至らず。淨土論主、何ぞ凡夫を勸めて受用土に生ぜしむ。豈に論に違わんや。
    答、瑜伽の大論は性相決判之門に約就す。是の故に凡夫報土に生ぜず。即ち是れ別時意趣を成ずることを得。若し不思議門に約して言うことを爲せば、凡夫受用の淨土に生ずることを得。彌陀願力不思議なるが故に。『淨土論』に專ら凡夫を勸めて、蓮華藏世界海に生ぜしむ。若し地上に約せば性相門に依るに、聖人即ち蓮華藏界に入る。 『往生論』の中に即ち此に門有り。
    淨教の相承、彌勒文殊は倶に是れ如來在世の親聞。彌勒此を禀けて阿僧伽に授く。阿僧菩薩之を天親に授く。三祖相承全く法相大乘血脈相繼の次第に同じ。文殊等の三祖は三論相承に同じ。 天親菩薩二門を傳持す。彌勒相傳は無著に面承す。文殊の傳持は其の苗裔に居す。流通沽潤其の身田に至る。上は天竺傳持の淨教を明す。
  17. 震旦淨教傳通次第
    如來滅後一千十六年、後漢の第二主顯宗明帝永平十年丁卯、迦葉摩騰漢地に來至し、創て佛宗を弘む。
    次年戊辰、竺法蘭來る。倶に教法を傳え其の滋基と爲す。自爾已後、三藏諸師相い繼ぎ來到して、各、佛法を傳え後漢已來、『無量壽經』異釋漸く起て。荒途始て惑(夷)せり。東晋之始め、彌天の道安法師、淨土論を造り、法義を開顯す。
    同代の年暦に匡廬山の惠遠禪師、創て山を開き淨社を建立し、朋を擇び衆を結び淨土の業を修す。十八の賢哲、志を同じて修業せり。僧俗一百二十三人、立誓要期して安養法を行ず。東土の淨教斯の時初て昌なり。
    後魏之代に、北天の菩提留支三藏、遊化來至して大に經論を譯す、『無量壽論』は所譯之一なり。
    于時に曇鸞法師、宗三經に朗かに涅槃を研ぐ。一方哲匠にして、各遐邇に振い徳異邦に聞う。南地の帝主此に向いて禮して鸞菩薩と云焉。鸞公、三藏に見(まみ)ゆ、三藏授るに『觀無量壽經』を以てす。歎て長生不死之法と爲す。鸞公乃ち投じて師事之禮を作す。指授を受けて、『往生論』を註す。又た『彌陀偈』を作り『大經』を奉讃す{兩卷無量壽經名爲文經}安樂土義を作り淨土の相を明す。
    此の淨土の教は正しく西天從(よ)り相承して來る。血脈連續せり。天親已後天竺に流行し、『往生論』宗相繼連綿して留支の身に至。人名を知らずといえども血脈地に墜ちず。
    震旦の淨教、留支を始と爲し、曇鸞を二と爲す。道綽禪師を三と爲し、善導和尚を四と爲す。懷感法師五と爲し、少康法師を六と爲す。若し鸞公より之を取れば、即ち五祖と爲す。世多く依用して以て所尊と爲す。五祖皆な淨土の教法を弘め、人に教えて阿彌陀佛を念ぜしむ。諸の善根を修し迴向して生ぜしめ、往生極樂を其の所宗と爲す。
    問 既に五祖有り、誰を以て本と爲す
    答。大唐の諸師淨教崇るは、多く善導を以て淨土の祖と爲す。多く章疏を施し、究めて解行を盡す。曇鸞法師は上古の高匠。留支に傳受して廣く行化を播す。 道綽禪師は本と涅槃を業とし、佛性宗を弘む。涅槃經を講ずること二十四遍。深く玄致に入る。兼て淨教を弘め、『安樂集』を造る。即ち是れ善導所承の根本なり。
    懷感法師は是れ法相宗、後に善導に投じ淨土教を弘む。決疑論を作りて、明に疑滯を決す。少康法師は律藏に通達し、華嚴を習學し、法相を研精す。神解洞朗にして、匠成功有り。念佛法門を自ら修し人を勸む。世を擧げて崇敬して後善導と號す。『瑞應刪傳』一卷を作り、古來の往生人を編む。懷感之後少康之前に法照禪師あり大解の法匠、弘通英哲、善導之後身也。
    時に鉢中に於いて再たび清涼山の文殊境界を見る。後に五臺に詣で、親(まのあたり)に文殊善財等を見て、訪に出要を問う。授に念佛を以てす。親く文殊の指誨を蒙け、大に五會の念佛を弘む。『五會法事讃』一卷を作り、世間に流行す。此れ即ち淨教所依の祖師なり。昔し道綽の後に迦才師有り。『淨土論』三卷を作り、大に義道を立て疑滯を決判す。
    後代に大宋之の代に天竺寺の慈雲遵式法師有り。是れ天台教觀之名匠なり。淨教を弘通す。依行物に被む。次に靈芝大智律師有り。是れ天台宗之哲、律藏教之英也。
    兼て淨教を弘め、自行化他す。『觀經』『彌陀經』の義疏を製し、大に于世に行わる。門人翫習して多く記章を作る。大宋の淨教天下一均して靈芝の行儀を用て、宗旨の規矩と爲す。昔より已來た淨土の教典を解釋する諸師代代一に非ず。
    淨影寺の惠遠大師、天台の智者大師、嘉祥寺の吉藏大師、普光寺の法常法師、慈恩寺の窺基大師、西明寺の圓測法師、及び道誾法師、又龍興法師、元曉大師、慧淨法師、法位法師、玄一法師、義寂法師、慈藏法師、璟興法師、知禮法師、智圓法師、宗曉法師等、其の數極めて多し。皆な淨教を解し宗旨を發揮し、各、本宗を弘め、兼て淨教に通ず。世常に用る所、五六祖といえどもなりと。若し折中に依らば應に九祖を用ゆべきに、謂く菩提留支・曇鸞・道綽・迦才・善導・懷感・法照・少康元照也。 震旦の淨教弘通是の如し。
  18. 大日本國淨教弘通次第。昔、百濟の佛法、創(め)て日域に傳て、大唐の佛宗、次に此國に傳り、三論・法相、世間に弘布す。厥(その)後、漸次に諸宗流傳す。
    淨土の教觀、別宗と爲さず、各、自宗に隨て法義を解釋す。昔、元興寺の智光・禮光、各、三論を弘め、兼て淨教に通ず。法相の昌海、安養を欣樂し、『西方念佛集』一卷、并に『阿彌陀悔過』を撰す。次に天台の慈惠大僧正、西方の教に歸し、『九品義』を釋す。
    次に源信僧都、法を慈惠に承(け)て。台宗を研究し、兼て淨教に通ず。淨業を修習し『往生要集』『彌陀經略記』等を撰う。中古に三論に永觀律師有て、兼て淨教に歸し『彌陀要記』『往生十因』等を作る。中河の實範大徳なる有りて、法相・眞言、兼て律藏を研ぎ、并で淨教を翫ぶ。大(い)に章鈔を施し世間に流行す。
    彼の世に同時に光明山の重譽大徳有り、即ち三論の碩匠也。兼て密藏を研ぎ、淨土に歸投して『西方集』三卷を撰す。東大寺の三論の珍海已講、兼て淨教を研ぎ『決定往生集』一卷を撰す。淨影の義章に『淨土義私記』二卷を作る。天台の勝範『西方集』三卷を作る。是の如きの諸哲、皆(な)淨業を修す。
  19. 近代、叡山の黒谷に源空大徳あり。俊機敏利にして智慮深濬なり。人王第七十六代、近衞天皇の御宇、久安六年{歳次己巳}。齡まさに十八、世を厭いて閑居す。專ら安養を欣い、往生の業を修す。淨土教の義これより漸く昌(さかえ)、自行化他ただこれに在り。人王八十二代、後鳥羽天皇の御宇、建久九年{歳次戊午}。時に源空年六十六、『選擇本願念佛集』一卷を録し、開いて二卷となし淨土宗を立つ。 大いに義理を顯し、これより已後、淨教甚しく昌る。貴賤倶に修し、都鄙みな遵ふ。
    人王等八十四代、順徳天皇の御宇。建暦二年{歳次壬申}。源空入滅す。年滿八十なり。日域古來淨土を弘むに、解義修業その數甚だ多し。その最要は。即ち智光・昌海・源信・永觀・實範・源空。この六祖、この六哲也。
  20. 並びにこれ親承血脈の祖に非ず、ただこれ依憑歸投するのみ、總て三國に通じて憑む所と言は、十八祖有り。謂く天竺の三祖、馬鳴・龍樹・天親也。震旦の九祖、菩提留支・曇鸞等前烈の如き也。日本の六祖。即ち上に烈すが如し。この十八中、馬鳴・龍樹は即ち面受の祖なり。菩提留支・曇鸞またこれ親承す。道綽・善導・懷感また面承の祖なり。自餘の諸祖これ親承に非ず。ただにこれ歸仰依投ならくのみ。道綽禪師の如きは『安樂集』中に總じて六祖を擧ぐ。
    親承に非ずといえども、唯だ彼躅り逐いて歸敬依憑し淨土教を弘む。昔、源信僧都『往生要集』を作りて、後世にこれを傳ふ。これより已來歴世相傳す。乃至黒谷叡空大徳此集を傳持し、淨業成辨す。源空は叡空に隨い此の集を學し旨を得る。彼『要集』中に善導『玄義』等の文を引く。此によって即ち善導の所製を尋ね、果して『觀經疏』『禮讃』『法事讃』等を獲る。『般舟讃』は彼の世に未だ獲ざる。ならべて研窮精詳し義理に通達す。すなわち善導和尚を以て所依の宗師と爲す。『選擇集』中に具に此の義を明す。これより已來、淨土の教行弘く華・夷に通ずこと勝計すべからず。偏に是れ源空上人の秉(と)り持つの功なる也
  21. 問。源空已後の弘通は云何。 答、源空大徳の門人は一に非ず。おのおの浄教を揚げ、互に弘通を恣にし、倶に門葉を立て。横竪に灯を伝う。 即ち幸西大徳、長楽寺の隆寛権律師、小坂の証空大徳{後居西山}、鎮西の聖光大徳、信空大徳{道号法蓮}、美州行空大徳、{道号法寳}九品寺長西大徳等あり、並びに源空大徳より親承面受の弟子也。 おのおの所承に随い浄土の教を弘む。念仏宗旨の所伝同じといえども、立義の巨細異解多端なり。
  22. 幸西大徳一念義を立つ。一念と言うは佛智の一念なり。正しく佛心を指して念心と爲す。凡夫の信心佛智に冥會す。佛智の一念はこれ彌陀の本願なり。行者の信念と佛心相應して、心、佛智の願力の一念に契い、能所無二、信智唯一念、念相續して決定往生す。大經の偈に云く、如來の智慧海は深廣にして崖(涯)底無し。已上
  23. 如來はこれ總通の名、智慧は果の當體を擧ぐ。善導を引て云く、彌陀の智願海は深廣にして崖(涯)底無し 已上
  24. 彌陀は別して極樂の教主に約す。智願は彼の佛の因果雙べ擧ぐ。 智はこれ果體、因に酬いて感ずる所。願はこれ因心、四十八願なり。願行に酬うが故に、この果智を得る。果智の當體にみな願心有り。願心の所成即ちこれ佛智なり。智の上に具に諸宿願力有り。この故に智體は願力の所成なり。この故に彌陀所有の種智を名づけて智願と爲す。これ佛智一念の心と名づく。行者の信心この智に契うが故に、念念に即ち佛智と相應す。善導の云く、我れ菩薩藏頓教一乘海に依て、偈を説き三寶に歸し佛心と相應す。 已上
  25. 佛心と言うは。即ちこれ佛智なり。疏主の歸心、智と相應し、能所冥契す。これ一念の義なり。幸西の『略料簡』に云く、一乘海と言うは、法喩ならべて標す也。一乘とは。即ち弘願なり、弘願は即ち佛智なり、佛智は即ち一念也。海とは衆流の海に入るが如し、一切善惡凡夫、みな彼の智願海に歸し生ずることを得る也。 已上
  26. 彼の師『一渧記』に云く、如來の能度は是れ心なり、心とは智なり、能く物を度す。眞實は唯一念心なり。衆生の度する所も是れまた心なり、心とは智なり、智は所度なり。正門は外無し、是れ即ち心なり、一乘は他にあらず是れ即ち心なり、邪を捨つるも心也、正に歸するも心也、小を捨つるも心也、大を採るも心也、漸を捨つるも心也、頓を採るも心也、聖を捨つる心也、凡を採るも心也、二河も亦心也、白道も亦心也、是れ亦た唯一念心也。是を眞實心と名づく、是れを深心と名づく、是れを願心と名づく。故に云く、此の三心を具すれば必ず生を得る也。已上
  27. 義に約せば三心有り。體に剋すれば唯一念なり。願を信じ願に詫(託)し、智に契うの心と佛智と冥じて體無二の故に。諸教は是れ爲聖の教、念佛は是れ爲凡の宗なり。聖道の諸教は皆聖人を被らしむ、此の穢土において聖果を證獲す。淨土の教門は唯凡夫に被らしめ、諸の凡夫をして淨土に往生して、頓に初地に登り無生忍を證せしむ。
  28. 『略料簡』に云く、學法に九十六種の道有り、束ねて二と爲す。九十五種は外道なり、一種は佛道なり。佛道に八萬四千の門有り、亦た二と爲す。聲聞藏と菩薩藏となり、菩藏藏に二有り、漸教と頓教となり。頓教に二有り、聖頓と凡頓となり。聖とは十聖、凡とは五乘なり。今我れ菩薩藏頓教に依るとは、正く凡頓教と爲す也。
  29. 或は、横超斷四流と云い、或は速證無生身と云い、或は即證彼法性之常樂と云い。或は證彼無爲之法樂と云うは、是れ皆報の高妙の土なり。五乘齊入を以っての故也。已上 具縛の凡夫、佛の本願に乘じて、報佛の土に生じ、頓に初地に入る、是を凡頓と名づく、頓に聖に登る故に。稱佛記に云く、直に佛果を願って而即得するを、當に如來藏と名づくべし。頓教の一乘は是れ即ち爲聖の教なり。先ず淨土を求め。順次生に菩薩初地に階う。是を菩薩藏頓教一乘海と名づく。已上
  30. 凡夫往生して初地に登るとは、此れ上上初益に約して言を爲す。下の八の得益、漸く階降有り。略料簡の頌に云く、聖凡二頓を對するに、凡を採るを正門と爲す。釋迦凡の爲に出でて、唯頓一乘を説く。已上 大師釋迦、無勝土を捨て、驚きて娑婆穢土の火宅に入り、淨土教を説く。諸の凡夫をして頓に報土に生じ頓に初地を證ぜしむ。此が爲に如來、此の娑婆に出ず。
  31. 問う、法藏彌陀、何を以って專ら報佛淨土の生因の本願と爲すや。
    答う。四十八の中、第十八願、稱名念佛を生因の願と爲す。
    『略料簡』に云く、報佛報土は方を指す、本誓重願は唯名號なり。十念の念數、時を指さず。別意の弘願は全く餘に異る。已上
    既に言う、唯名號と、故に生因の願は唯佛名を稱す。身意業に非ず。凡夫至心に佛の名號を稱し、頓に娑婆を超え、初地の位に入る。良に如來不可思議宿願増上の強縁力を以っての故に。略料簡の偈に云く、塵沙の法の中に不可思議とは即ち此の意也。
  32. 『稱佛記』に云く、彌陀に二種有り。一には化身、像觀の彌陀是れ也。玄義に云く、衆生障り重くして染惑深きを處り、佛たちまちに眞容を想せしめば、顯現するに由し無からんことを恐れるが故に、眞像を假立して以って心想を往めしめ、彼の佛に同じて以って境を證せしむ。故に假正報と言う也。 今此の觀經の所説の稱名は、彼の假立の彌陀の名號也。若し此の行に依って行ずる者は、假立の生を得べし。假立とは胎生也。是れ即ち諸佛に通ず。即ち文に云く、念佛と言うは、即ち阿彌陀佛を專ら念ず、一切の諸佛も亦是の如し。下品等の念佛これに同じ。 此の彌陀と諸佛と相望して互に親疎得失を論ずべし。是れを名づけて機と爲す。且く彼の佛願に順ずる利益有りといえども、若し増上大利に比すれば全く比挍に非ざる也。二には報身、是れ別意弘願の彌陀也。玄義に云く、又『無量壽經』に云く、法藏比丘世繞王佛の所に在りて 乃至 今既に成佛す。即ち是れ酬因の身也。 彼の願に詫(託)して増上縁となす、大經に説くが如し。彼の彌陀を念ぜば、即ち十方一切諸佛を念ずる也。全く彼此の不同の差別無し。故に念佛三昧と名づく。具には眞身觀の文の如し。已上
  33. 彌陀佛を念ずるに二種の別有り。觀經第八の形像觀は、先ず眞身を模し形像身と爲し、假想觀察を眞方便と爲す故に、此の像を念じ計して假念を爲す、化身を念ずるが故に。眞身の觀佛は正しく眞身を説く、即ち是れ報身なり。此を念ずるを名づけて眞正念佛と爲す。化身を稱念して胎生の報を受け、化の淨土に生ず。報身を稱念して化生の報を受け報の淨土に生ず。像を念ずるは唯彼の佛の本願に順ず、眞實の如來本願に契うに非ず。報佛を稱念すれば正く本願に契う。超凡の直因、初地の妙業なり。
  34. 稱佛記に亦た云く、然るに正しく十方諸佛護念する所は願極樂に有り。彌陀を稱して若し實に不退を得んと欲せば、且く菩提心を轉じて極樂を願い、諸佛を閣きて彌陀を稱すべし。但し化身を稱禮念ずれば、唯彌陀と衆生との彼此の三業、相い捨離せず、諸佛の三業外に加ること無し。唯眞身の名號を念ずること有れば、諸佛と衆生の彼此の三業、相い捨離せず。 何を以っての故に、眞の彌陀を念ずれば、即ち十方一切諸佛を念ずるに由っての故に。彌陀經の中に云く、是の諸佛所説の名及び經の名を聞く者は、乃至一切諸佛の共に護念せる所なり。皆不退轉とは、正しく眞身の名を指す也。已上 此の意を説きて云く、三業不離に其の二重あり。化身を稱念すれば唯彌陀と三業不離なり。報身を稱念すれば行者三業、諸佛三業と相い捨離せず。
  35. 『稱佛記』の偈に云く、通じて定散諸萬行を擧げれども、別して念佛の一行を取るは、念佛往生すれば初地に入り、萬行圓備して道場に坐す。已上 初の二句は流通付屬の名號の意なり。第三の一句は淨土に生じ忍を證す。後の一句は佛果成滿す。三經を具足して淨教の義成ず。大經を用いるは本願を取らんが爲、觀經を用いるは稱名に歸せしめんが爲、小經を用いるは佛證を取らんが爲なり。是の故に淨土の三經具足して、念佛往生成就して圓滿す。故に略料簡に云く、三經を具すれば必ず心を持つ、若し一經を少(か)けば即ち成ぜず。已上
  36. 念佛往生具周成立することは、必ず信心と彼の佛智一念の心、相應し契會するに由る。此の事成立すれば、任運に往生す、時節の久近早晩、念修の多少、事業の淺深には由らず。 『略料簡』に云く、佛心と相應する時に業成す、時節の早晩を問うこと無し。已上、彼の所立の義を一念義と名づくるは、專ら是の如き所成の旨歸に由る。 『略料簡』に亦た云く、命終らんと欲する時、佛來現す、心に従っては生ぜず、彼の願に依れ。已上 行者彼に生ることは唯願力に由る、凡夫の自身自力に由るには非ず。罪障の凡夫、煩惱垢重にして、如來の報土懸かに分を絶するが故に、唯佛願を仰ぎ直ちに成就するが故に。是の如き等の義、幸西の所立なり。
  37. 幸西の門人に正定大徳・正縁大徳{後投長西}明信大徳・入眞大徳・善性大徳・勤信大徳{住于木幡}竝に幸西に承て、各弘敷を事とす。善性の門人に永信大徳・仙戈大徳有り、竝に所承を弘め遐邇に流通す。洛陽と波州{阿波}とに今これ有り。
  38. 長樂寺隆寛律師は多念の義を立。淨土の教を聞て信順趣向して、穢土を厭離して淨土を欣求し、修習薫練して乃至臨終まで稱念斷(えざ)れば決定往生す。行者念佛の妙行修習して、其業成就すること必ず臨終に在り。平生の間は相續して往生の業因を修すといえども、成就すること能わず。是の故に一形最後の念に至るまで相續勤修して臨終に業成じて即ち佛等を見て、命終りて蓮に坐し即ち彼土に生ず。
  39. 問。臨終業成せば最後に念に應ずるに、何ぞ平生恒に勤行を用ることを爲さん。
    答。平生恒に修することは、相續して終に至りて業成じて如來を見んと欲するが為の故なり。若し練習已前に在らずんば、何に由てか臨終に業成就を得ん。是の故に一期相續して成ずることを得。念佛は正く是れ彌陀の本願、自餘の諸行は皆本願に非ず。餘行は是れ佛の本願の行に非ざるも業成就して即ち往生を得。彼に生ずることを得といえども邊地に生ず、九品の生は皆邊地なるが故に。是の故に餘行は報土に生ぜず、本願に非ざる故に、麁劣の業が故に。稱名念佛は即ち報土に生ず。
  40. 問。何が故ぞ念佛必ず報土に生ずる。
    答。念佛は彌陀本願の行なるが故に、是の故に念佛必ず報土に生ず。然る所以は、彌陀は是れ願因に酬いるの身、極樂は願因に酬いつるの土なり。念佛三昧は是れ宿願行、佛願因に酬いて此の業を引接す。故に宿願の行必ず報土に生ず、本願の行に非ずは此義有ること無し。故に念佛の業は報土に往生す。觀經所説の九品の行相は竝に是れ邊地化土の相なり。此の九品の外に別に報土有り。淨土本論に説く所の二十九句の莊嚴は即ち是れ報土なり。華藏界なるが故に、此れ即ち本願所成の土なるが故に。
  41. 問。凡夫念佛して淨土を欣求し、臨終に佛を見る何等の益有りや。
    答。具縛の凡夫、臨終に佛を見る。即ち一分の無明を斷じ、一分中道の理を證す、即ち天台圓教の初住に當る。若し別教に約せば即ち初地に當る。此の斷證を成じ即ち報土に生ず。
  42. 問。若し爾は乘願力に非ず、自既に法身を見るが故に。
    答。彌陀の願力不思議なるが故に、頓に無明を斷じて報土に生を得。願力に乘ぜずんば此の事無きが故に。
  43. 問。既に無明を斷ず、其の見思等は何れの時か斷滅する。豈にこれを超えることを得。
    答。臨終に佛を見て、見思塵沙一分の無明同時に斷滅す。遺餘有ること無し、三惑同時に斷は天台の宗義なるが故に。
  44. 此れは是れ寛公、天台所説の宗旨に附順して此の義を建立す。彌陀の光明は念佛の人を照し、念ぜざるの時は光照を蒙らず。是の如き等の義一に非ず衆多なり。此れ即ち隆寛律師の所立なり。寛公、宗天台を研ぎ、智解深廣。後に淨土を弘め、解行兼包せり。善導の虬文創めて講敷を致し、大(い)に鈔章を作り義理を建立す。源空上人授るに撰擇を以ってす。寛公これを受けて其の龜鏡と爲す。
  45. 隆寛の門人に敬日大徳・智慶大徳等有り。各、所承を弘め道俗を教化す。敬日公の云く。餘の諸行を修するもまた報土に生ず。而るに是れ佛の本願の行には非ず。九品の中に上品上生は是れ報の淨土、自下の八品は並に是れ邊地。此等の義、略(ほ)ぼ本所承に違す。
    日公の弟子に洛東の慈信大徳有り。天台の教觀幽致を研精す。日公に隨從して淨土の教を學す。而して義を立て云く。餘行もまた是れ彌陀の本願、唯だ念佛のみに非ず、本願を以ての故に報土に生ずることを得。此れまた師の所立の義に違す也。
  46. 信公洛に住し、大に化導播す。信公の門人に唯性大徳有り。また洛陽に在り、所承を弘傳す。智慶法師{道號南無}本と關東に在り、天台宗を學ぶ。後に華洛に入り隆寛に隨依し、淨土宗を學ぶ。後に關東へ還り昌に淨教を弘む。東土の淨教すなわち彼の力也。
    智慶の門人に信樂大徳・隆慶大徳等有り。樂公は初は隆寛に隨い念佛法を學ぶ{隆寛道號皆空諱無我也}後智慶を承る也。隆慶{房號敬願}台宗を學す時は即ち智慶と同一師に學す。後に華洛に上り長樂寺に詣ず。初め隆寛に承けて、後に智慶に承く。また延暦寺の法印權大僧都信承、學天台を究て、深く幽理に入る。兼て智慶に隨て淨土教を學ぶ。隆慶の門人に長空大徳{道號信教隆慶甥也}・能念大徳、倶に淨教を承て宗旨を研窮す。教公門人に寛海大徳{道號空藏}有り。信教公に隨て淨教を寛研。洛陽に寺を立て、大光明寺と名く。戒壇院圓照上人に隨て比丘戒を受け、眞言を傳受す。寺院管領し立門輩を建、所承を弘敷し宗旨を稱通し、信阿聖實理觀如性等、竝に寛公に隨い淨教を受學し宗旨を弘持す。
    念公の門人に觀念大徳及び了念大徳有り、受學功有り。昌に宗致を弘む。寛海また能念に隨い淨教を習學す。隆寛已後、長樂の門流別して血脈を作し、宗旨を秉(まも)る焉。
  47. 洛陽西山の證空大徳{道號善惠}門人甚多し、竝に隨て法を學ぶ、すなわ證入大徳{房號觀鏡}・觀眞大徳・實信大徳・聖達大徳・鎭西證惠大徳{房號道觀}修觀大徳・淨音大徳・道門大徳・隆信大徳・佛教大徳・遊觀大徳等也。
  48. 證空、幼年より源空上人{道號法然}に隨い淨教を習學し、義途を精詳す。源空上人『撰擇集』を作る。證空年二十三にして是れ勘文役たり、深く彼の義に達す。證空、日野願蓮上人{後住太子御廟之處}に謂(謁)し、天台宗を學び、專ら淨教を弘め、高く綱宗を提ぐ。
  49. 即ち義を立て云く。念佛は即ち是れ彌陀の本願、諸餘の行業は是本願に非ず。三心正因は必ず念佛に在り。九品の正行は普く萬行を該ぬ。念佛は既に是れ本願の行、本願に乘ずるが故に、罪惡の凡夫、直爾に安養報土に生ずることを得。三心と念佛と不即不離なり。三心は即ち本願を信ずるの心、本願を離れて外、三心有ること無し。本願と言うは、稱名の行なるが故に、是の故に三心と念佛と不離なり。三心は唯だ是れ行者の安意、念佛は即ち是れ所修の妙行なり。是の故に三心と念佛と不即なり。三心を總じて願往生心と名づく。修行の大地正修の能成なり。必定して往生の大果を牽引す。 故に三心を以て名て正因と爲す。自餘の諸行は獨り往生せず。本願に非ざるが故に、正因に非ざる故に。念佛行に任持せられて《爲念佛行之所任持。念仏行の任持する所と為る。受身で読んだ。》、即ち往生することを得。これを正因の上の正行と名ずく。念佛は是れ能成にして、諸の正行を成ず故に。諸行は是れ所成、念佛に持もたる所なるが故に。若し念佛に非ざれば諸行、往生の正行を成ぜず。念佛の成ずる所、一切の諸行は往生の業と成る。故に九品の中に諸行門を説きて往生業と爲す。名て正行と爲す。三心念佛は必定して往生の大果を牽引す。餘行は即ち華開已後種種の勝益を得。經中の所説其九品の正行の多少淺深階降に由る。九品華開已後の聞法得益種種異ること有ること得る故、信を取り解を作す。必ず一念・十念の功能に在り。修行策勵一形長時に相續不斷なるべし。深く如來本願の虚しからざることを信ず。正因深く正行に入り。勇進するを信の上之行と名づけ。解上之行と號す。自餘の諸行を以て本願と爲さざるが故に、諸行棄捨し餘善修せずと謂に非ず。念佛の行に持たるが故に、諸行皆な往生の正業と成る。是の故に策勵して諸行を修せしむ。正因の上の正行の法なるを以ての故に。華開已後に應に益を得べしが故に。但だ念佛を離れて諸行獨り生ずることを得るに非ず。九品倶に是れ報佛の淨土なり。即ち義を立て云く。念佛は即ち是れ彌陀の本願、諸餘の行業は是本願に非ず。三心正因は必ず念佛に在り。九品の正行は普く萬行を該ぬ。念佛は既に是れ本願の行、本願に乘ずるが故に、罪惡の凡夫、直爾に安養報土に生ずることを得。三心と念佛と不即不離なり。三心は即ち本願を信ずるの心、本願を離れて外、三心有ること無し。本願と言うは、稱名の行なるが故に、是の故に三心と念佛と不離なり。三心は唯だ是れ行者の安意、念佛は即ち是れ所修の妙行なり。是の故に三心と念佛と不即なり。三心を總じて願往生心と名づく。修行の大地正修の能成なり。必定して往生の大果を牽引す。 故に三心を以て名て正因と爲す。自餘の諸行は獨り往生せず。本願に非ざるが故に、正因に非ざる故に。念佛行に任持せられて《爲念佛行之所任持。念仏行の任持する所と為る。受身で読んだ。》、即ち往生することを得。これを正因の上の正行と名ずく。念佛は是れ能成にして、諸の正行を成ず故に。諸行は是れ所成、念佛に持もたる所なるが故に。若し念佛に非ざれば諸行、往生の正行を成ぜず。念佛の成ずる所、一切の諸行は往生の業と成る。故に九品の中に諸行門を説きて往生業と爲す。名て正行と爲す。三心念佛は必定して往生の大果を牽引す。餘行は即ち華開已後種種の勝益を得。經中の所説其九品の正行の多少淺深階降に由る。九品華開已後の聞法得益種種異ること有ること得る故、信を取り解を作す。必ず一念・十念の功能に在り。修行策勵一形長時に相續不斷なるべし。深く如來本願の虚しからざることを信ず。正因深く正行に入り。勇進するを信の上之行と名づけ。解上之行と號す。自餘の諸行を以て本願と爲さざるが故に、諸行棄捨し餘善修せずと謂に非ず。念佛の行に持たるが故に、諸行皆な往生の正業と成る。是の故に策勵して諸行を修せしむ。正因の上の正行の法なるを以ての故に。華開已後に應に益を得べしが故に。但だ念佛を離れて諸行獨り生ずることを得るに非ず。九品倶に是れ報佛の淨土なり。
  50. 娑婆の機の遇大等の縁に順じて、暫時に種種の差別を顯示す。實を剋して之を言はば、唯だ是れ彌陀酬因の所感一種の報土なり。しこうして願の上に建立せるを極樂の報土と名づく。此の義邊に約せば餘佛の報に勝る。別願の所成餘報に勝るる故に。是の故に如來、韋提希をして別して西方を選ばしむ、別意有るが故に。實に剋して言ば、九品の説相は唯だ是れ釋迦娑婆の機に隨いて、其の階降を説く、淨土の中に實に九品有るに非ず。唯だ是れ教文施設の安立なり。定性二乘の灰身入寂して、即ち方便有餘土の中に生るも、直爾に佛に遇い法華經を聽き、迴心向大して、曾て八六四二萬等の經劫之事無きが如し。八六等を説くは教文の施設にして實事有ること無し、即ち迴心するが故に。
  51. 鸞師の『註往生論』下に云く、願往生の者は本は則ち三三之品あれども、今は一二之殊無し。 已上 述して曰く。三三品とは、娑婆の發足に九品有るが故に。無一二殊と言はく。既に往生し已れば唯是一味の極樂清淨海會の大衆にして。三輩九品の差別有ること無し。 但だ娑婆の機に隨い華開の初益に斯の差降有り。教文施設して分齊顯示するを遮すべからず。曇鸞法師、論文の如來淨華衆正覺華化生、是莊嚴眷屬功徳成就不可思議を釋して云く。此れ云何が不思議なる。凡そ是れ雜生の世界には。若しは胎、若しは卵、若しは濕、若しは化、眷屬若干にして。苦樂萬品の。雜業を以ての故に。 彼の安樂國土は、是れ阿彌陀如來正覺淨華の、化生する所に非ざるはなし。同一に念佛して別の道無きが故なり。遠くその四海之内に通じて皆な兄弟爲りと也。眷屬無量なり。焉んぞ思議べけん。 已上
    既に是れ同一念佛の所生なり。自餘の諸善雜行に由らず。 如來の出世成道の説法は、凡夫を度し淨土に生ぜしめて、直爾に無上菩提を獲得せしめんが為なり。凡夫の得度、專ら觀經に在り。觀經の所宗唯だ念佛に在り。韋提の縁起現ぜざる已前は聖道大小乘の機に隨順して、諸教を施設す。韋提の縁に因て觀經を説く時き。彌陀の本願念佛の法門顯示開説して、佛の本意を暢(の)ぶ。二尊の本懷朗然として開顯す。此の時觀經已外の諸教は方便なり、觀經の念佛は是れ眞實門なりと云うことを宣陳す。 彌陀の本願念佛現起しぬれば、諸餘の雜善忽然として廢捨しぬ。諸善の獨り往生を得るに非ざるを以て、本願淨土の教行顯し已ぬれば、還りて餘行を取り念佛の中に攝む。念佛攝持して往生を得るが故に、是の故に念佛獨り是れ出道なり。諸教の法門を觀經化前序の中に安置す。是れ觀經の方便を以ての故に。觀經已前に假に施設するが故に。天台宗に法華の題を釋するに迹門三譬の如し。化前序の法は爲蓮故華爲實施權の如し。觀經の法門は花開蓮現開三顯一の如し。亦た開權顯實と名く。觀經已後念佛獨り出るは。華落蓮成廢權立實の如し。 亦た廢三立一と名づく。
  52. 證空上人願蓮上人に隨い天台宗を學び、彼宗義を模して此の義門を立つ。韋提夫人觀經定善示觀縁の中に、如來、汝是凡夫と言うを聞き、佛意を開悟し、他力を信顯し自力の執を棄て、他を憑むの兆(しるし)を彰す。是を韋提定善示觀序中の開悟と名づく。是れ他力を憑みて深く信ずる意樂なり。此の開悟の心を觀經の觀と名く。十六觀法皆念佛に歸す。他力往生の旨を顯示するが故に。 是の故に觀門十六觀法に亙りて、皆念佛を顯す、名號を稱念して、皆生ずることを得るが故に。 觀佛三昧を名づけて能詮と爲す。念佛三昧を所詮と爲す。聲と義との能詮所詮に同じからず。彼の門は語聲と名句文身とを能詮の教と名づく。理事境智行位等の法を所詮義と名づく。此は能顯所顯に約して名づけて能詮所詮と爲す。十六觀法を總じて觀佛と名づく。玄義の釋名に是の如く説く故に。一一の觀の中に皆稱名を顯す故に、念佛を以て所顯法と爲す。 韋提夫人顯行縁時は、未だ他力を顯さず。開悟心に非ず。諸教の門を存するが故に、諸教に順じて顯行門と名づく。示觀縁の時、他力を領受するが故、淨土門所立の法義を示觀門と名く。雜修と雜行とを混じて一類と爲す。專修と正行とを合して一具と爲す。此れ選擇に依て此の義理を立つ。是の如き等の義所立多端なり。其諸の門人竝に此義を弘む。
  53. 證空初は小坂に住して法を弘む。後には西山に移り淨教を弘通す。西山善峯寺は延暦寺の別院なり。彼寺の北尾を往生院と名づく。證空、彼處を興隆し永く淨教の行處と爲す。宇律(津)宮の實信上人彼の處に功有り、菴(いおり)を立て躅(あと)を留む。 證空の門流繼いで彼の處を持つ。證空の上足に證入と云う者有り。孔門に顏回有るが如し。深く師の意を得て大に宗義を弘む。東山宮の辻子に住して淨教を講敷す。聽徒市の如し。門輩林を成。正因正行廣く園畝を開く。彼の門人に覺入大徳・觀日大徳・觀明大徳・唯覺大徳等有り。 覺入の門人に見性大徳有り。本は長門の國の人なり。備後國蓮臺院に於いて、所學の法を弘む。彼れ三心所廢之義を立つ。流通の付屬に、前の定散十六觀門を廢し。唯だ名號を立つ。本願を以ての故に、是れ九品散善も亦た廢す。上上三心九品に亙通す。各十一門有るが故に。既ち十一門を廢す。故に三心も亦た廢す。三心正因は第四の門なるが故に。 稱名念佛は即ち半自力半他力を成ず。南無の二字は是れ自力なるが故に。阿彌陀佛は即ち他力なるが故に。性公の門人に觀蓮公有り。備後國の宇多島に在て。淨教を弘通す。性公の門下に快喜と云う者有り。豫州宇和郡に住し、所傳を弘持す。 觀日の門人に東大寺範承得業・洛陽の了觀公・豫州成信・并に同國の聖入公有り。 成信は與(豫)州に還りて淨教を弘傳す。聖入は信州善光寺に往して、道俗を教化す。觀明公は華洛に於て念佛を弘通す。證入の所立五祖一徹淨土の義を成ずるが故に、其の門人觀日・觀明皆五祖一徹之義を成ず。證入門人亦た讃州正乘公・豫州蓮宿公・備中證佛公有り。各淨教を學び之れを遠近に弘む。鎭西聖達の眞資に聖觀なる者有り。師の淨教を傳えて。講敷弘通す。證惠上人初め證入に承け。後に證空に附く。 西山の法門深く淵府を得たり。後嵯峨天皇の御宇甚だ法威播す。所承の法を以て天皇に授け奉る。淨金剛院即ち彼の御願なり。道觀上人を以て開山之師と爲し、淨土宗を學び、永く規矩と爲す。 觀公善導の疏等に於て多く章鈔を施し。淨金剛院代代の住持皆碩學擇び、弘通の近(匠)と爲す。即ち覺道圓道公等也。 證惠の門人に道念公有り。學業優長。早く物故に從う。修觀大徳御殿に住す、後に關東に往て淨教を弘敷す。隆信公の下に道教公有り。淨教を研究し講敷傳通す。嵯峨に居住し、淨教を弘布す。義路精詳にして甚だ嘉美を播こす。 淨音大徳、仁和寺西谷に住し、淨教を弘通す。音公の所立は唯だ善導一家の解釋を用い。諸餘の異解を未だ必すしも和會せざる。一師を事とするが故に。音公の門人に觀智公・乘信公・覺證公・道戒公等有り。各、所承を弘む。互に品物を化す。證空の門流是の如し。流演、僅に少分を擧ぐ具に陳ぶること能わず。
  54. 鎭西筑後の國、善導寺の本願聖光上人は、淨教の賢哲學解の英匠なり。法然上人に隨て久く學業を營み、鎭西に多く弘教し門輩を生ず。すなわち慶蓮社・招蓮社等これ也。
    匡盧山の古風を摸するが故也。光公の門人に亦た良忠公有り。學解の英哲宗教の鸞鳳也。五祖虬文に多く鈔解を播す。字は然阿と號し、初は鎭西に住し、學業獨歩す。中比ろ下總の國に遊住し、大に淨業を弘め、多く法近生を生ず。後に花洛に上り、宗旨を弘通す。然阿の門人に禮阿公有り。仁和の西谷に住し、所宗を弘演して、淨社を建立、淨教を修學す。光公の門人に亦た滿願上人有り。初め長西に承けて、兼て光公に隨う。
    光公の所立は唯念佛の行、是れ佛の本願なり。自餘の諸行は彌陀の願に非ず。然阿等の義は諸行は本願に非ず。本願に非ずといえども而も往生することを得る。願公の所立は諸行は是れ彌陀の別願に非ず。別願に非ずといえども往生を得る。四弘總願門に就いて約す故に一切の萬行、意に隨いて度することを得。總願門に在るが故に往生を得る。
    觀佛念佛兩三昧の字、兩名有りといえども。唯是れ一體なり。兩名互に定散門に通ずるが故。願公の門人廓鍐公有り。花洛に寺を立て。任持秉御し、諸門輩の爲に淨教を講敷す。
  55. 郊北九品寺の長西上人{房號覺明}久く源空に事え淨土の教を練。長西十九にして出家し即ち源空に附く。源空其時年七十に滿つ。長西常隨給仕して懈らず。空公八十にして入滅す。于時に長西年二十九。首尾十一年。隨逐法を學す。長西の門人に英哲甚だ多し。謂く澄空{房號如輸}上人・理圓上人・覺心大徳・阿彌陀{房空寂}上人・十地上人・道教上人・上衍大徳・證忍大徳・是の如きの諸輩、各、所承に隨い淨教を弘通す。
    澄空理圓兩上人は宗天台を研き。説法美を流す。兼て長西に隨て淨教を習學す。法藏比丘の五劫思惟、唯思と修行と兩哲諍論す。西公章を作り。五劫思惟諍論鈔と名く。兩英の諍論の決判。即と決判して云く。五劫は修行なり。唯だ思念には非ず。淨影等の師、是の如く判ずる故に、覺心大徳は讃州の西三谷に盛に淨教を弘む。彼處は是れ長西上人建興之寺也。
  56. 長西は乃ち讃州の人。九歳にして上洛し管家の長者に隨い。俗典を服膺し。出家して緇に入る。源空寂後遊學一に非ず。學、天台を研き。三觀の法を傳う。住心大徳に隨い。止觀等を學す。俊芿師に謁し。亦た止觀を習う。佛法(道元)禪師に値いて。久しく禪學を經ん。起信釋論譜練せずと云うこと無し。淨土の法門温習極めて大なり。古を尋ね今を知り。此に達し彼に通ず。幽を窮め理を盡せり。陶貫洞朗にして遺す所有ること無し。所立の義に云く。念佛諸行は皆是れ彌陀如來の本願なり。所修の業に隨いて皆報土に生ず。一切穢土の修業之人に九品別の機有り。宜異なるが故に。九品行者倶に報土に生ず。機に隨い業に任て來迎の別有り。生じ已ぬれば即是れ齊同不退なり。通じて是れ極樂華藏世界海の會大衆直に法樂を受く。普く十方に至り。諸佛の所に於いて歴事供養して。現前に記を蒙り。頓に十地を歴。忽ち補處に至る。或いは十方に於いて速に正覺を成じ。或いは大悲を以って闡提の願を起し。自證化他應化齊拔す。未來際を盡し業用無方なり。
  57. 第十八願は念佛往生。第十九願は聖衆來迎。第二十願は諸行往生。第十八の中に三業の念有り。前の十三觀は是れ觀行の觀。定善を修習して、思惟方便し、正受觀成ず。三輩は散善なり、臨終に佛を見て、眼を開て境を證し、是れ觀矚觀なり。觀佛念佛定散門異なり。定を得て境を證す。三昧是れ同じ故に、觀佛念佛兩三昧宗と爲し、或いは韋提の請に約せば、定善を宗と爲し。佛の自開に約せば、散善を宗と爲す。定善に由るが故に觀佛を宗と爲し、散善に由るが故に念佛を宗と爲す。二門互に取りて互に一宗を成ず。是の如き等の義即ち彼の所立なり。
  58. 長西西三谷を立て、念佛宗を弘む。上足の覺心彼に住して教を弘む。北洛泉涌の住持覺阿上人、覺心公に隨い淨教を習學す。覺心兼て倶舍を學び。釋論に通練す。覺阿心公に隨い兼て倶舍論を學す。覺心門人に西覺公有り。兼て證忍を承けて。大に淨教に達す。彌陀公の下に禪信公有り、開敷功あり。鑚仰倦まず 知足院了敏大徳彌陀公に隨い淨教を習學し、修練懈無し。阿彌陀公は十六定善義を立つ。
    玄義釋名門に依り義理を成立し。空寂上人多く章鈔を作り、大經に五卷の疏あり。善導觀經の疏に八卷の記を述し。又た元照彌陀疏を弘めて三卷鈔を集む。是の如き等也。
    道教上人關東に教を弘む。天台教觀講敷弘通し。淨土の教を講じ廣く道俗に被しむ。門輩一に非ず、連續して弘化す。上衍證忍兩哲は倶に師の躅を守り、九品寺に住し、恒に淨教を講じ、宗義を紹隆す。忍公の門人遠近宗を興し、各の門輩を生ず。開演甚だ昌なり。上來陳る所横竪の相承、並に源空上人の門流苗裔、略して少分を擧ぐ。備に列すべからず。或は花洛に在り。或は諸國に滿つ古來横竪見聞することあたわず。知及することを得ず。如何んが之を烈し。如何んが之を擧ぐ。
  59. 了觀上人三は福院を建て觀日義を弘む。元是れ證入の所説、東山義と名づく。彼の師の門流は三福院に在り、宗旨を顯揚し連續して絶えず。道教上人は釋迦院に住し、所承も義を弘む。隆信公に禀て宗旨を開暢し、西山義と名づく。教公の門人に戒圓公及良圓公あり。良圓公は、龍御殿に住し淨教を顯揚す。法然上人の門流是の如し。
  60. 近代已來時に英哲有り、淨土教を弘め。遐邇に流布す。必しも源空の所立に依據せず。即ち出雲路の住心上人{天台學者}生馬の良遍法印{法相英哲}木幡の眞空上人、本との諱は定兼。官律師に昇る。三論眞言美譽倫を絶す。東大寺知足院の悟阿上人律并に法相を習學す。是の如き等の師皆淨教を學し、研究精詳し、弘通化導す。或は章鈔を製し。或は自行化他、各の門輩有り。
    横竪に燈を燃かす。長西上人兼て住心に承く。良遍法印道號信願。官位法印權大僧都に居る。法相因明研精究盡して深く奧旨を獲たり。四十有八にして世榮を棄捨し生馬大聖竹林寺に居住し、唐招提寺覺盛和上に隨て、具足戒を受く。律藏の宗旨通別の相状習學精研す。菩薩戒の義を陳べ六卷の章鈔あり。律藏の義を明し五卷章を造る。淨土義を陳ぶるに數卷の章を作る。自行利他唯だ淨土を事りす。建長四年に淨邦に神を遷す、時に春秋六十有九。

    竹林精舍に現に遺房有り。先に空寂公有り。竹林寺に住し、淨教を弘持す。大に化導を施す。長西の門人學解の神足なり。後に甲斐の國に至り、淨土教を弘む。眞空上人は三論の名哲なり。遁世之後專ら眞言を弘む。事相教相甚だ精詳を致し、教相義解辭辨縱横なり。立敵對論、肩を並ぶる者無し。兼て淨教を研ぎ、義門を建立す。曇鸞の註論に六卷の鈔記有り。永觀の十因に三卷の文集を作り。覺盛上人に隨いて具足戒を受く。木幡の觀音院に住持し、後關東に往き、弘化導引す。悟阿上人大に淨土弘め、五祖の虬文に皆鈔記を作る。製述繁多にして、數百卷に滿つ。特に群疑論を研き、名を遐邇に飛。悟阿の門人に制心了敏兩哲有り。倶に淨教研き、大に化導を播す。
    制心上人は法相の學者。法華玄賛深く幽旨を獲て。講敷繁多なり。大に門輩を立つ。兼て淨教を習うて、盛に化導を施す。了敏上人は元と法相を學び、後に悟阿に隨う、專ら淨教を學し、行業を講弘し、唯淨土を事とす。東大寺に圓照上人有り。道號は實相。聰叡敏利にして、多聞深悟なり。大小化制顯密禪教解行通練し。貫括せざるは無し。
    良遍上人に隨い、法相を習學し、淨教を研精す。覺盛上人に隨い、通門具足戒を受。叡尊{興正菩薩}上人に隨。別受の具戒を受く。戒壇を興隆、竹林に住持し、善法寺を開き、金山院を興し、律を講じ戒を授け、眞言を弘通す。説法開導徳量多端、兼て淨教を弘む。深く幽致に入り。住心・良遍・眞空等の師は皆諸行本願の義を立つ。長西の所立と一同契會せり。
    悟阿の所立は亦本願亦非本願なり。第十八願に依て此義を成立せる也。夫れ法海深廣なり。度る可し而越え難し。義山嶮峨たり。仰ぐ可し而昇り難し。

    淨土教義豈に測量す可けんや。今諸流に隨い各の綱要を陳す。諸流の所説人に隨て各の異なり。此の塵露を見て、まさに印可しべきは難し。憑據無きに非ず。互に人解に契う。委細の義道此に應ずべきに非ず、僅に記一渧盡すのみ
    于時應長元年{辛亥}十二月二十九日。東大寺戒壇院に於て沙門凝然これを記す。春秋七十有二。是れ今于中最後の述ぶる作者也。