「略論安楽浄土義」の版間の差分
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(ページの作成: '略論安樂淨土義 釋曇鸞撰 問曰。安樂國於三界中何界所攝。 :問て曰く。安樂國は三界の中に於て何れの界の所攝ぞや。 答曰。如...) |
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− | + | ;略論安樂淨土義 | |
釋曇鸞撰 | 釋曇鸞撰 | ||
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:問て曰く。安樂國は三界の中に於て何れの界の所攝ぞや。 | :問て曰く。安樂國は三界の中に於て何れの界の所攝ぞや。 | ||
答曰。如釋論言。如斯淨土非三界所攝。何以故。無欲故非欲界。地居故非色界。有形色故非無色界。<br> | 答曰。如釋論言。如斯淨土非三界所攝。何以故。無欲故非欲界。地居故非色界。有形色故非無色界。<br> | ||
− | + | 經曰。阿彌陀佛本行菩薩道時。作比丘。名曰法藏。於世自在王佛所。請問諸佛淨土之行。時佛爲説二百一十億諸佛刹土 天人善惡國土精麁。悉現與之。于時法藏菩薩。即於佛前。發弘誓大願。取諸佛土。於無量阿僧祇劫。如所發願。行諸波羅蜜。萬善圓滿。成無上道。別業所得。非三界也。<br> | |
− | : | + | :答て曰く。『釋論』(智度論卷三八)に言く。「斯の如きの淨土は三界の所攝に非ず、何を以ての故に、欲無きが故に欲界に非ず、地居なるが故に色界に非ず、色有るが故に無色界に非ざるなり」と。<br> |
− | : | + | :『經』(大經卷上意)に言く。「阿彌陀佛、本(もと)菩薩の道を行じたまひし時、比丘と作り名けて法藏と曰ふ。世自在王佛の所に於て、諸佛淨土の行を請問す。時に佛 爲に二百一十億の諸佛の刹土、天人の善惡、國土の精麁を説き、悉く現じて之を與へたまふ。時于法藏菩薩、即ち佛前に於て、弘誓の大願を發し、諸佛の土を取りて、無量阿僧祇劫に於て所發の願の如く諸の波羅蜜を行じ、萬善圓滿して無上道を成ず」と。別業の所得なれば三界に非ざるなり。 |
問曰。安樂國有幾種莊嚴。名爲淨土。 | 問曰。安樂國有幾種莊嚴。名爲淨土。 | ||
:問て曰く。安樂國に幾種の莊嚴有りてか名けて淨土と爲すや。 | :問て曰く。安樂國に幾種の莊嚴有りてか名けて淨土と爲すや。 | ||
答曰。若依經據義。法藏菩薩四十八願即是其事。尋讃可知。不復重序。若依無量壽論。以二種清淨。攝二十九種莊嚴成就。二種清淨者。一器世間清淨。二是衆生世間清淨。 | 答曰。若依經據義。法藏菩薩四十八願即是其事。尋讃可知。不復重序。若依無量壽論。以二種清淨。攝二十九種莊嚴成就。二種清淨者。一器世間清淨。二是衆生世間清淨。 | ||
− | : | + | :答て曰く。若し經に依り義に據らば、法藏菩薩の四十八願は即ち是れ其の事なり。『讃』(讃彌陀偈)を尋ねて知るべし、復た重ねて序(の)べず。若し『無量壽論』(淨土論)に依らば二種の淸淨を以て、二十九種の莊嚴成就を攝す。二種の淸淨とは、一には器世間淸淨、二には是れ衆生世間淸淨なり。 |
器世間清淨有十七種莊嚴成就。<br> | 器世間清淨有十七種莊嚴成就。<br> | ||
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四者。清淨光明圓滿莊嚴。<br> | 四者。清淨光明圓滿莊嚴。<br> | ||
五者。備具第一珍寶性。出奇妙寶物。<br> | 五者。備具第一珍寶性。出奇妙寶物。<br> | ||
− | + | 六者。潔淨光明常照世間。<br> | |
七者。其國寶物柔軟。觸者適悦。生於勝樂。<br> | 七者。其國寶物柔軟。觸者適悦。生於勝樂。<br> | ||
− | + | 八者。千萬寶華莊嚴池沼。寶殿寶樓閣 種種寶樹雜色光明 影納世界。無量寶網覆虚空。四面懸鈴常吐法音。<br> | |
九者。於虚空中。自然常雨天華天衣天香。莊嚴普熏。<br> | 九者。於虚空中。自然常雨天華天衣天香。莊嚴普熏。<br> | ||
十者。佛慧光明照除癡闇。<br> | 十者。佛慧光明照除癡闇。<br> | ||
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十七者。衆生有所欲樂。隨心稱意。無不滿足。如是等十七種。是名器世間清淨。 | 十七者。衆生有所欲樂。隨心稱意。無不滿足。如是等十七種。是名器世間清淨。 | ||
:器世間淸淨に十七種の莊嚴成就有り。 | :器世間淸淨に十七種の莊嚴成就有り。 | ||
− | : | + | :一には國土の相、三界の道に勝過せり。 |
− | : | + | :二には其の國廣大にして量虚空の如く齊限有ること無し。 |
− | : | + | :三には菩薩の正道大慈悲出世の善根從り起る所なり。 |
:四には淸淨の光明圓滿し莊嚴す。 | :四には淸淨の光明圓滿し莊嚴す。 | ||
:五には備に第一珍寶性を具へて奇妙の寶物を出す。 | :五には備に第一珍寶性を具へて奇妙の寶物を出す。 | ||
:六には潔淨の光明常に世間を照す。 | :六には潔淨の光明常に世間を照す。 | ||
:七には其の國の寶物は柔軟にして觸る者は適悦して勝樂を生ず。 | :七には其の國の寶物は柔軟にして觸る者は適悦して勝樂を生ず。 | ||
− | : | + | :八には千万の寶華池沼を莊嚴し、寶殿・寶樓閣、種種の寶樹、雜色の光明、世界を影納して、無量の寶網虚空に覆し、四面に鈴を懸けて常に法音を吐く。 |
− | : | + | :九には虚空の中に於て自然に常に天華・天衣・天香を雨らして莊嚴し普く熏ず。 |
+ | :十には佛慧の光明照して癡闇を除く。 | ||
:十一には梵聲開悟して遠く十方に聞ゆ。 | :十一には梵聲開悟して遠く十方に聞ゆ。 | ||
− | : | + | :十二には阿彌陀佛無上法王の善力もて住持す。 |
:十三には如來の淨華從り化生する所なり。 | :十三には如來の淨華從り化生する所なり。 | ||
:十四には佛法味を愛樂し禪三昧を食と爲す。 | :十四には佛法味を愛樂し禪三昧を食と爲す。 | ||
− | : | + | :十五には永く身心の諸苦を離れて。樂を受くること間無し。 |
:十六には乃至二乘と女人と根缺との名をだも聞かず。 | :十六には乃至二乘と女人と根缺との名をだも聞かず。 | ||
− | : | + | :十七には衆生の所有(あらゆる)欲樂、心に隨ひ意に稱ひて滿足せずといふこと無し。是の如き等の十七種、是を器世間淸淨と名く。 |
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九者。安樂國諸菩薩衆。身不動搖而遍至十方。種種應化。如實修行。常作佛事。<br> | 九者。安樂國諸菩薩衆。身不動搖而遍至十方。種種應化。如實修行。常作佛事。<br> | ||
十者。如是菩薩應化身。一切時不前不後。一心一念放大光明。悉能遍至十方世界。教化衆生。種種方便。修行所成。滅除一切衆生苦惱。<br> | 十者。如是菩薩應化身。一切時不前不後。一心一念放大光明。悉能遍至十方世界。教化衆生。種種方便。修行所成。滅除一切衆生苦惱。<br> | ||
− | + | 十一者。是等菩薩於一切世界無餘照諸佛大會。無餘廣大無量供養 恭敬讃歎諸佛如來功徳。<br> | |
十二者。是諸菩薩於十方一切世界無三寶處。住持莊嚴佛法僧寶功徳大海。遍示令解。如實修行。如是等法王八種莊嚴功徳成就。<br> | 十二者。是諸菩薩於十方一切世界無三寶處。住持莊嚴佛法僧寶功徳大海。遍示令解。如實修行。如是等法王八種莊嚴功徳成就。<br> | ||
− | + | 如是菩薩四種莊嚴功徳成就。是名衆生世間清淨。安樂國土 具如是等二十九種莊嚴功徳成就。故名淨土。<br> | |
:衆生世間淸淨に十二種の莊嚴成就有り。 | :衆生世間淸淨に十二種の莊嚴成就有り。 | ||
− | : | + | :一には無量の大珍寶王微妙の華臺を以て佛座と爲す。 |
− | : | + | :二には無量の相好無量の光明佛身を莊嚴す。 |
− | : | + | :三には佛の無量の辨才機に應じて法を説き、淸白を具足して人をして聞くことを樂はしめ、聞く者必ず悟解す、言虚説ならず。 |
− | : | + | :四には佛の眞如智惠は猶し虚空の如し、諸法の總相・別相を照了して心に分別無し。 |
:五には天人不動の衆は廣大にして莊嚴す、譬へば須彌山の四大海に映顯するが如く、法王の相具足したまへり。 | :五には天人不動の衆は廣大にして莊嚴す、譬へば須彌山の四大海に映顯するが如く、法王の相具足したまへり。 | ||
− | : | + | :六には無上の果を成就し、尚能く及ぶもの無し、況や復過ぐる者あらんや。 |
:七には天人丈夫調御師と爲りて大衆に恭敬圍遶せらるること師子王の師子に圍遶せらるるが如し。 | :七には天人丈夫調御師と爲りて大衆に恭敬圍遶せらるること師子王の師子に圍遶せらるるが如し。 | ||
− | : | + | :八には佛の本願力もて諸の功徳を莊嚴し住持す、遇ふ者は空しく過ぐること無し、能く速に一切の功徳海を滿足せしむ、未證淨心の菩薩、畢竟じて平等法身を證することを得、淨心の菩薩と上地の菩薩と畢竟じて同じく寂滅平等を得。 |
:九には安樂國の諸の菩薩衆、身は動搖せずして而も遍く十方に至りて、種種に應化し、實の如く修行して常に佛事を作す。 | :九には安樂國の諸の菩薩衆、身は動搖せずして而も遍く十方に至りて、種種に應化し、實の如く修行して常に佛事を作す。 | ||
− | : | + | :十には是の如きの菩薩應化身、一切の時に前ならず後ならず、一心一念に大光明を放ち、悉く能く遍く十方世界に至りて衆生を教化す。種種に方便し修行する所を成じ、一切衆生の苦惱を滅除す。 |
− | : | + | :十一には是等の菩薩一切の世界に於て、諸佛の大會を照らすに餘無く、廣大無量に供養し餘無く、恭敬して諸佛如來の功徳を讃歎す。 |
− | : | + | :十二には是の諸の菩薩、十方一切の世界の三寶無き處に於て、佛法僧寶の功徳大海を住持し莊嚴して、遍く示して解せしめ、實の如く修行せしむ。 |
− | : | + | :是の如き等の法王八種の莊嚴功徳成就す。 |
+ | :是の如き菩薩の四種の莊嚴功徳成就、是を衆生世間淸淨と名く。安樂國土には是の如き等の二十九種の莊嚴功徳成就を具す、故に淨土と名く。 | ||
問曰。生安樂土者。凡有幾品輩。有幾因縁 | 問曰。生安樂土者。凡有幾品輩。有幾因縁 | ||
− | : | + | :問て曰く。安樂土に生ずる者、凡そ幾品の輩有りや、幾くの因縁有りや。 |
− | + | 答曰。無量壽經中。唯有三輩 上中下。無量壽觀經中。一品又分爲上中下。三三而九。合爲九品。 | |
今依傍無量壽經爲讃。且據此經作三品論之。 | 今依傍無量壽經爲讃。且據此經作三品論之。 | ||
− | : | + | :答て曰く。『無量壽經』の中には唯三輩有り、上中下なり。『無量壽觀經』の中には、一品を又分ちて上中下と爲す。三三にして九なり、合して九品と爲す。今『無量壽經』傍(そ)へて依て讃を爲す。且く此の經に據て三品を作し之を論ぜん。 |
− | + | ||
− | : | + | 上輩生者有五因縁。一者。捨家離欲而作沙門。二者。發無上菩提心。三者。一向專念無量壽佛。四者。修諸功徳。五者。願生安樂國。具此因縁。臨命終時。無量壽佛 與諸大衆現其人前。即便隨佛。往生安樂。於七寶華中。自然化生。住不退轉。智慧勇猛。神通自在。 |
+ | :上輩生には、五の因縁有り。一には家を捨て欲を離れて沙門と作る。二には無上菩提の心を發す。三には一向に專ら無量壽佛を念ず。四には諸の功徳を修す。五には安樂國に生まれんと願ず。此の五縁を具すれば命終の時に臨みて無量壽佛、諸の大衆と其の人の前に現ぜん。即便ち佛に隨ひて安樂に往生し、七寶の華の中に自然に化生し、不退轉に住せん。智慧勇猛にして神通自在ならん。 | ||
中輩生者有七因縁。一者。發無上菩提心。二者。一向專念無量壽佛。三者。多少修善奉持齋戒。四者。起立塔像。五者。飯食沙門。六者。懸繒然燈。散華燒香。七者。以此迴向願生安樂。臨命終時。無量壽佛化現其身。光明相好具如眞佛。與諸大衆現其人前。即隨化佛往生安樂。住不退轉。功徳智慧次如上輩 | 中輩生者有七因縁。一者。發無上菩提心。二者。一向專念無量壽佛。三者。多少修善奉持齋戒。四者。起立塔像。五者。飯食沙門。六者。懸繒然燈。散華燒香。七者。以此迴向願生安樂。臨命終時。無量壽佛化現其身。光明相好具如眞佛。與諸大衆現其人前。即隨化佛往生安樂。住不退轉。功徳智慧次如上輩 | ||
− | : | + | :中輩生には、七の因縁有り。一には無上菩提の心を發す。二には一向に專ら無量壽佛を念ず。三には多小の善を修し齋戒を奉持す。四には塔像を起立す。五には沙門に飯食せしむ。六には繒を懸け燈を燃し華を散じ香を燒く。七には此を以て迴向して安樂に生まれんと願ず。命終の時に臨みて無量壽佛其の身を化現して、光明相好具に眞佛の如くならん、諸の大衆と其の人の前に現ぜん、即ち化佛に隨ひて安樂に往生し不退轉に住せん、功徳智慧次で上輩のごとくならん。 |
下輩生者有三因縁。一者。假使不能作諸功徳。當發無上菩提心。二者。一向專意乃至十念念無量壽佛。三者。以至誠心願生安樂。臨命終時。夢見無量壽佛。亦得往生。功徳智慧次如中輩。 | 下輩生者有三因縁。一者。假使不能作諸功徳。當發無上菩提心。二者。一向專意乃至十念念無量壽佛。三者。以至誠心願生安樂。臨命終時。夢見無量壽佛。亦得往生。功徳智慧次如中輩。 | ||
− | : | + | :下輩生には、三の因縁有り。一には假使ひ諸の功徳を作すこと能はざれども、當に無上菩提の心を發すべし。二には一向に意を專にして乃至無量壽佛を十念す。三には至誠心を以て安樂に生まれんと願ず。命終の時に臨みて夢のごとくに無量壽佛を見たてまつり、亦往生を得ん、功徳智惠、次で中輩の如くならんと。 |
− | + | 又有一種往生安樂 不入三輩中。謂以疑惑心、修諸功徳。願生安樂。不了佛智不思議智不可稱智大乘廣智無等無倫最上勝智。於此諸智疑惑不信。然猶信罪福修習善本。生安樂 生安樂國七寶宮殿。或百由旬惑(或)五百由旬。各於其中受諸快樂。如忉利天。亦皆自然。於五百歳中。常不見佛。不聞經法。不見菩薩聲聞聖衆。安樂國土謂之邊地。亦曰胎生。邊地者。言其五百歳中不見聞三寶。義同邊地之難。或亦於安樂國土最在其邊。胎生者。譬如胎生人初生之時人法未成。邊言其難。胎言其闇。此二名皆借此況彼耳。非是八難中邊地。亦非胞胎中胎生。何以知之。安樂國土一向化生故。故知非實胎生。五百年後還得見聞三寶故。故知非八難中邊地也。 | |
− | : | + | :又一種の安樂に往生するも、三輩の中に入らざる有り。謂く疑惑心を以て諸の功徳を修して安樂にに生まれんと願はん。 |
+ | :佛智・不思議智・不可稱智・大乘廣智・無等無倫最上勝智を了らずして此の諸智の於いて疑惑して信ぜず。 | ||
+ | :然に猶お罪福を信じ善本を修習して、安樂に生れんとす。安樂國の七寶の宮殿に生れて或は百由旬或は五百由旬なり。各々其の中に於て諸の快樂を受くること、忉利天の如くにして亦皆自然なり。五百歳の中に於いて常に佛を見たてまつらず、經法を聞かず、菩薩・聲聞聖衆を見ず。安樂國土には之を邊地を謂ひ亦胎生と曰ふ。邊地とは言ふは其の五百歳の中に三寶を見聞せず、義邊地の難に同じ。或は亦た安樂國土に於て最も其の邊に在り。胎生とは、譬へば胎生の人初生の時、人法未だ成ぜずが如し。邊は其の難を言ひ、胎は其の闇を言ふ。此の二名は皆此を借りて彼を況(いわん)のみ。是八難の中の邊地に非ず、亦た胞胎の中の胎生にも非ず。何を以てか之を知る、安樂國土は一向に化生なるが故に、故に知る實の胎生に非ざることを。五百年の後に還て三寶を見聞したてまつることを得るが故に、故に知ぬ八難の中の邊地にも非ざることを。 | ||
− | + | 問曰。彼胎生者處七寶宮殿中 受快樂否。復何所憶念。 | |
− | : | + | :問て曰く。彼の胎生の者は、七寶の宮殿の中に處して快樂を受くるや否や、復た何の憶念する所ぞや。 |
答曰。經喩云。譬如轉輪王子得罪於王。内於後宮。繋以金鎖。一切供具無所乏少。猶如王。王子于時雖有好妙種種自娯樂具。心不受樂。但念設諸方便求免悕出。彼胎生者亦復如是。雖處七寶宮殿有好色香味觸。不以爲樂。但不見三寶。不得供養修諸善本。以之爲苦。識其本罪。深自責悔。求離彼處。即得如意。還同三輩生者。當是五百年末方識罪悔耳。 | 答曰。經喩云。譬如轉輪王子得罪於王。内於後宮。繋以金鎖。一切供具無所乏少。猶如王。王子于時雖有好妙種種自娯樂具。心不受樂。但念設諸方便求免悕出。彼胎生者亦復如是。雖處七寶宮殿有好色香味觸。不以爲樂。但不見三寶。不得供養修諸善本。以之爲苦。識其本罪。深自責悔。求離彼處。即得如意。還同三輩生者。當是五百年末方識罪悔耳。 | ||
− | : | + | :答て曰く。『經』(大經卷下意)に喩へて云く。「譬へば轉輪王の子罪を王に得んに、後宮に内(い)れて繋ぐに金鎖を以てせんが如し。一切の供具乏少する所無し、猶し王の如し。王子時に妙好種種の自娯樂の具有りと雖も、心、樂を愛けず、但だ諸の方便を設けて免るることを求め出づることを悕ふことを念ず。彼の胎生の者も亦復是の如し、七寶の宮殿に處して妙色・聲・香・味・觸有りと雖も、以て樂と爲さず、但だ三寶を見たてまつらざる、供養して諸の善本を修することを得ず、之を以て苦と爲す。其の本の罪を識りて深く自ら悔責して彼の處を離れんと求めば即ち意の如きを得て還て三輩生の者に同じ」と。當に是五百年の末に方(まさ)に罪を識りて悔ふのみ。 |
問曰。以疑惑心往生安樂名曰胎生者。云何起疑。 | 問曰。以疑惑心往生安樂名曰胎生者。云何起疑。 | ||
107行目: | 112行目: | ||
答曰。經中但云疑惑不信。不出所以疑意。尋不了五句。敢以對治言之。 | 答曰。經中但云疑惑不信。不出所以疑意。尋不了五句。敢以對治言之。 | ||
不了佛智者。謂不能信了佛一切種智。不了故故起疑。此一句總辨所疑。下四句一一對治所疑。疑有四意。 | 不了佛智者。謂不能信了佛一切種智。不了故故起疑。此一句總辨所疑。下四句一一對治所疑。疑有四意。 | ||
− | : | + | :答て曰く。『經』の中に但「疑或不信」と云ひて疑ふ所以の意を出さず、不了の五句を尋ねて敢て對治を以て之を言はん。「'''不了佛智'''」とは、謂く佛の一切種智を信了すること能はざるなり。「不了の故に疑を起す」、此の一句は總じて所疑を辨ず。下の四句は一一に所疑を對治す。疑に四意有り。 |
一者疑。但憶念阿彌陀佛。不必得往生安樂。何以故。經言。業道如秤。重者先牽。云何一生或百年。或十年或一月。無惡不造。但以十念相續便得往生。即入正定聚。畢竟不退。與三途諸苦永隔乎。<br> | 一者疑。但憶念阿彌陀佛。不必得往生安樂。何以故。經言。業道如秤。重者先牽。云何一生或百年。或十年或一月。無惡不造。但以十念相續便得往生。即入正定聚。畢竟不退。與三途諸苦永隔乎。<br> | ||
115行目: | 120行目: | ||
又如十圍之索千夫不制。童子揮劍瞬頃兩分。豈可得言一小兒力不能斷索乎。又如鴆鳥入水魚蜯斯斃。犀角觸泥死者咸起。豈可得言性命一斷無可生乎。又如黄鵠呼子安。子安還活。豈可得言墳下千歳齡決無可甦乎。一切萬法皆有自力他力自攝他攝。千開萬閉無量無邊。安得以有礙之識疑彼無礙之法乎。<br> | 又如十圍之索千夫不制。童子揮劍瞬頃兩分。豈可得言一小兒力不能斷索乎。又如鴆鳥入水魚蜯斯斃。犀角觸泥死者咸起。豈可得言性命一斷無可生乎。又如黄鵠呼子安。子安還活。豈可得言墳下千歳齡決無可甦乎。一切萬法皆有自力他力自攝他攝。千開萬閉無量無邊。安得以有礙之識疑彼無礙之法乎。<br> | ||
又五不思議中。佛法最不可思議。而以百年之惡爲重。疑十念念佛爲輕。不得往生安樂入正定聚者。是事不然。 | 又五不思議中。佛法最不可思議。而以百年之惡爲重。疑十念念佛爲輕。不得往生安樂入正定聚者。是事不然。 | ||
− | : | + | :一には疑はく、但だ阿彌陀佛を憶念せんは必ずしも安樂に往生することを得ざらん。何を以ての故に、『經』(業道經)に言く。「業道は秤の如し、重き者先づ牽く」と。云何ぞ一生、或は百年、或は十年、或は一月、惡造らざること無きも、但だ十念相續するを以て便ち往生することを得て、即ち正定聚に入りて畢竟して退せず、三途の諸苦、永く隔てんや。若し爾らば先牽の義、何を以てか信ずる所あらん。又曠劫より已來備(つぶさ)に諸行を造る、有漏の法は三界に繋屬せり、云何ぞ三界の結惑を斷ぜずして、直だちに少時に阿彌陀佛を念ずるを以て便ち三界を出でんや。繋業の義復云何がせんと欲すと。 |
− | :此の疑を對治するが故に「'''不思義智''' | + | :此の疑を對治するが故に「'''不思義智'''」と言ふ。不思義智とは、謂く佛の智力は能く少を以て多と作し多を以て少と作し、近を以て遠と爲し遠を以て近と爲し、輕を以て重と爲し重を以て輕と爲し、長を以て短と爲し短を以て長と爲す。是の如き等の佛智、無量無邊不可思義なり。 |
− | : | + | :譬へば百夫百年薪積を聚(あつ)めて高さ千仞なるを、豆許(ばか)の火を焚くに半日に便ち盡くるが如し。豈に百年の薪積は半日に盡きずと言ふを得べけんや。又躃者他の船に寄載すれば風帆の勢に因て、一日に千里せんが如し。豈に躃者云何ぞ一日にして千里に至らんと言ふを得べけんや。又下賤の貧人一の瑞物を獲て以て主に貢すに、主得る所を慶びて諸の重賞を加へ、斯須の頃に富貴盈溢するが如し。豈に數十年仕へて備に辛懃を盡せるも、上下尚お達せずして歸る者有べきを以って、彼富貴を言ひて此の事無しと言ふを得べけんや。 |
+ | :又劣夫の己身の力を以て驢に擲ち上らざれども、轉輪王の行に從へば便ち虚空に乘じて飛驣自然なるが如し。復た擲驢の劣必ず空に乘ずること能はずと言ふことを得べけんや。 | ||
+ | :又十圍の索は千夫も制せざれども、童子劍を揮へば瞬頃に兩分するが如し、豈一の小兒の力、索を斷ずことあたわずと言ふことを得べけんや。又鴆鳥水に入れば魚蜯斯に斃す、犀角泥に觸るれば死せる者咸ほ起つが如し、豈性命一たび斷ぜば生くべきこと無しと得べけんや。又黄鵠子安を呼ぶに子安還活るが如し、豈墳下千歳の齢ひ決して甦るべきこと無しと言ふを得べけんや。一切の万法は皆自力・他力、自攝・他攝有りて、千開万閇無量無邊なり、安ぞ有礙の識を以て彼の無礙の法を疑ふことを得んや。又五の不思義の中に佛法最不可思義なり、而るに百年の惡を以て重と爲し、十念の念佛を疑ひて輕と爲して、安樂に往生して正定聚に入を得ずとは、是の事然らず。 | ||
− | + | 二者疑。佛智於人不爲玄絶。何以故。夫一切名字從相待生。覺智從不覺生。如是迷方從記方生。若便迷絶不迷。迷卒不解。迷若可解。必迷者解。亦可云解者迷。迷解解迷猶手反覆耳。乃可明昧爲異。亦安得超然哉。起此疑故。於佛智慧生疑不信。<br> | |
+ | 對治此疑故言不可稱智。不可稱智者。言佛智絶稱謂。非相形待。何以言之。法若是有。必應有知有之智。法若是無。亦應有知無之智。諸法離於有無。故佛冥諸法。則智絶相待。汝引解迷爲喩。猶是一迷耳。不成迷解。亦如夢中與他解夢。雖云解夢。非是不夢。以知取佛。不曰知佛。以不知取佛。非知佛。以非知非不知取佛。亦非知佛。以非非知非非不知取佛。亦非知佛。<br> | ||
+ | 佛智離此四句。縁之者心行滅。損之者言語斷。以是義故。 | ||
釋論云。若人見般若。是則爲被縛。若不見般若。是亦爲被縛。若人見般若。是則爲解脱。若不見般若。是亦爲解脱。此偈中説。不離四句者爲縛。離四句者爲解脱。汝疑佛智與人不玄絶者。是事不然。 | 釋論云。若人見般若。是則爲被縛。若不見般若。是亦爲被縛。若人見般若。是則爲解脱。若不見般若。是亦爲解脱。此偈中説。不離四句者爲縛。離四句者爲解脱。汝疑佛智與人不玄絶者。是事不然。 | ||
− | : | + | :二には疑はく、佛智は人に於て玄絶と爲さず、何を以ての故に、夫れ一切の名字は相待從り生じ、覺智は不覺從り生じ、是の迷方は記方從り生ずるが如く、若し便ち迷絶して迷ずば迷卒に解せじ。迷若し解すべくんば必ず迷へる者の解なり、亦解者の迷解と云うべし、迷と解と解と迷と手を反覆するが猶きのみ、乃ち明昧を異と爲すべし、亦安ぞ超然を得ん哉と。此の疑を起すが故に、佛の智慧に於て疑を生じて信ぜず。 |
+ | :此の疑を對治するが故に「'''不可稱智'''」と言ふ。不可稱智とは、言(いふこころ)は佛智は稱謂を絶す、相形待するに非ず。何を以てか之を言ふとならば、法若し是有ならば必ず有を知るの智これ有るべし、法若し是無ならば亦た應に無を知るの智有るべし、諸法は有無を離る。故に佛、諸法に冥ふときは則ち智相待を絶す、汝解迷を引きて喩と爲すも、猶を是一迷のみ、迷解を成ぜず、亦夢中にして他の與に夢を解くが如し、夢を解くと云ふと雖も是夢ならざるに非ず。知を以て佛を取るも佛を知ると曰はず、不知を以て佛を取るも亦佛を知るに非ず。非知非不知を以て佛を取るも亦佛を知るに非ず、非非知非非不知を以て佛を取るも亦佛を知るに非ず。 | ||
:佛智は此の四句を離れたり、之を縁ずる者は心行滅し、之を指ふる者は言語斷ず、是の義を以ての故に『釋論』(智度論卷一八)に言く。「若し人般若を見る、是則ち縛せ被(ら)れたりと爲す。若し般若を見ざるも、是れ亦(縛せ)被れたりと爲す。若し人般若を見る、是則ち解脱と爲し、若し般若を見ざるも、是亦解脱と爲す」と。此の偈の中に説かく。「四句を離れざる者を縛と爲し、四句を離るる者を解と爲すといへり」と。汝佛智は人と玄絶ならずと疑はば、是の事然らず。 | :佛智は此の四句を離れたり、之を縁ずる者は心行滅し、之を指ふる者は言語斷ず、是の義を以ての故に『釋論』(智度論卷一八)に言く。「若し人般若を見る、是則ち縛せ被(ら)れたりと爲す。若し般若を見ざるも、是れ亦(縛せ)被れたりと爲す。若し人般若を見る、是則ち解脱と爲し、若し般若を見ざるも、是亦解脱と爲す」と。此の偈の中に説かく。「四句を離れざる者を縛と爲し、四句を離るる者を解と爲すといへり」と。汝佛智は人と玄絶ならずと疑はば、是の事然らず。 | ||
三者疑。佛實不能度一切衆生。何以故。過去世有無量阿僧祇恒沙諸佛。現在十方世界亦有無量無邊阿僧祇恒沙諸佛。若使佛實能度一切衆生。則應久無三界。第二佛則不應復爲衆生發菩提心。具修淨土攝受衆生。而實有第二佛。攝受衆生。乃至實有三世十方無量諸佛。攝受衆生。故知。佛實不能度一切衆生。起此疑故。於阿彌陀佛作有量想。對治此疑故言大乘廣智。大乘廣智者。言佛無法不知。無煩惱不斷。無善不備。無衆生不度。所以有三世十方者。有五義。 | 三者疑。佛實不能度一切衆生。何以故。過去世有無量阿僧祇恒沙諸佛。現在十方世界亦有無量無邊阿僧祇恒沙諸佛。若使佛實能度一切衆生。則應久無三界。第二佛則不應復爲衆生發菩提心。具修淨土攝受衆生。而實有第二佛。攝受衆生。乃至實有三世十方無量諸佛。攝受衆生。故知。佛實不能度一切衆生。起此疑故。於阿彌陀佛作有量想。對治此疑故言大乘廣智。大乘廣智者。言佛無法不知。無煩惱不斷。無善不備。無衆生不度。所以有三世十方者。有五義。 | ||
− | : | + | :三には疑はく、佛は實に一切衆生を度したまふこと能はず、何を以ての故に、過去世に無量阿僧祇恒沙の諸佛有ます、現在十方世界にも亦無量無邊阿僧祇恒沙の諸佛有ます。若し佛をして實に能く一切衆生を度せしむるときは、則ち應に久しく復三界無かるべし、第二の佛は則ち應に復衆生の爲に菩提心を發し、具に淨土を修して衆生を攝受したまふべからず。而るに實には第二の佛有まして衆生を攝受したまふ、乃至實には三世十方無量の諸佛有まして衆生を攝受したまふ。故に知る、佛は實に一切衆生を度したまふこと能はずと。此の疑を起すが故に、阿彌陀佛に於て有量の想を作す。此の疑を對治するが故に「'''大乘廣智'''」と言ふ。大乘廣智とは、言ふこころは佛は法として知りたまはずといふこと無く、煩惱として斷じたまはずといふこと無く、善として備えたまはずということ無く、衆生として度したまはずといふこと無し。 |
:三世十方の佛有ます所以は、五義有り。 | :三世十方の佛有ます所以は、五義有り。 | ||
一者。若便無第二佛。乃至無阿僧祇恒沙諸佛者。佛便不能度一切衆生。以實能度一切衆生故。則有十方無量諸佛。無量諸佛即是前佛所度衆生。。<br> | 一者。若便無第二佛。乃至無阿僧祇恒沙諸佛者。佛便不能度一切衆生。以實能度一切衆生故。則有十方無量諸佛。無量諸佛即是前佛所度衆生。。<br> | ||
二者。若一佛度一切衆生盡者。復亦不應後有佛。何以故。無覺他義故。復依何義。説有三世佛乎。依覺他義故。説佛佛皆度一切衆生。<br> | 二者。若一佛度一切衆生盡者。復亦不應後有佛。何以故。無覺他義故。復依何義。説有三世佛乎。依覺他義故。説佛佛皆度一切衆生。<br> | ||
− | + | 三者。後佛能度。猶お是れ前佛之能。何以故。由前佛有後佛故。譬如帝王之甲得相紹襲後王。即是前王之能故。<br> | |
四者。佛力雖能度一切衆生。要須有因縁。若衆生與前佛無因縁。復須後佛。如是無縁衆生動逕百千萬佛。不聞不見。非佛力劣也。譬如日月周四天下破諸闇冥。而盲者不見。非日不明也。雷震裂耳。而聾者不聞。非聲不勵也。覺諸縁理。號之曰佛。若情強違縁理。非正覺也。是故衆生無量。佛亦無量。徴佛莫問有縁無縁。何不盡度一切衆生者。非理言也。<br> | 四者。佛力雖能度一切衆生。要須有因縁。若衆生與前佛無因縁。復須後佛。如是無縁衆生動逕百千萬佛。不聞不見。非佛力劣也。譬如日月周四天下破諸闇冥。而盲者不見。非日不明也。雷震裂耳。而聾者不聞。非聲不勵也。覺諸縁理。號之曰佛。若情強違縁理。非正覺也。是故衆生無量。佛亦無量。徴佛莫問有縁無縁。何不盡度一切衆生者。非理言也。<br> | ||
五。衆生若盡。世間即墮有邊。以是義故則有無量佛。度一切衆生。 | 五。衆生若盡。世間即墮有邊。以是義故則有無量佛。度一切衆生。 | ||
− | : | + | :一には若し第二の佛無く乃至阿僧祇恒沙の諸佛無からしめば、佛便ち一切衆生を度したまふこと能はず。實に能く一切衆を度したまふを以ての故に則ち十方無量諸佛有ます、諸佛は即ち是前佛の度したまふ所の衆生なればなり。 |
− | : | + | :二には若し一佛一切衆生を度し盡くせば、後に亦應に佛有しますべからず。何を以ての故に、覺他の義無きが故に、復何の義に依てか三世の佛有ますと説かんや、覺他の義に依るが故に佛佛皆一切衆生を度したまふと説くなり。 |
− | : | + | :三には後佛能く度したまふは、猶是前佛の能なり、何を以ての故に、前佛に由て後佛有るが故に、譬へば帝王の甲(冑)相紹襲することを得るは後王、即ち是前王の能なるが如きが故に。 |
− | : | + | :四には佛力能く衆生を度したまふと雖も、要ず須く因縁有るべし。若し衆生前佛と因縁無くば、復後佛を須(ま)つべし。是の如く無縁の衆生の動もすれば百千万佛を逕るも聞かず見ざるは、佛力劣なるには非ざるなり。譬へば日月の四天下に周くして諸の闇冥を破すれども而も盲者は見ず、日の明ならざるには非ざるなり、雷聲耳に震へども而も聾者は聞かず、聲の勵しからざるには非ざるが如し。諸の縁理を覺するを之を号けて佛と曰ふ、若し情強ひて縁に違せば正覺に非ざるなり。是の故に衆生無量なれば佛も亦無量なり、佛は有縁・無縁を問ふこと莫く何ぞ盡く一切衆生を度したまはざるやと微するは、理言に非ざるなり。 |
− | : | + | :五には衆生若し盡きなば世間即ち有邊に墮す、是の義を以ての故に則ち無量の佛有しまして一切衆生を度したまふ。 |
問曰。若衆生不可盡。世間復須墮無邊。無邊故佛則實不能度一切衆生。 | 問曰。若衆生不可盡。世間復須墮無邊。無邊故佛則實不能度一切衆生。 | ||
− | : | + | :問て曰く。若し衆生盡くべからざれば世間復無邊に墮せん、無邊の故に佛則ち實に一切衆生を度したまふこと能はざるや。 |
答曰。世間非有邊非無邊。亦絶四句。佛令衆生離此四句。名之爲度。其實非度非不度。非盡非不盡。譬如夢渡大海。値濤波諸難。其人畏怖叫聲徹外。外人喚覺。坦然無憂。但爲渡夢。不爲渡河。 | 答曰。世間非有邊非無邊。亦絶四句。佛令衆生離此四句。名之爲度。其實非度非不度。非盡非不盡。譬如夢渡大海。値濤波諸難。其人畏怖叫聲徹外。外人喚覺。坦然無憂。但爲渡夢。不爲渡河。 | ||
− | : | + | :答て曰く。世間は有邊に非ず無邊に非ず、亦四句を絶す。佛は衆生をして此の四句を離れしめたまふ、之を名けて度と爲す、其の實は度に非ず不度に非ず、盡に非ず不盡に非ず、譬へば夢に大海を渡るに濤波の諸難に値ひ、其の人畏怖して叫聲外に徹す、外人喚び覺すに坦然として憂無きが如し、但だ渡夢に爲して、渡河を爲さざるなり。 |
問曰。言渡與不渡皆墮邊見。何以但説渡一切衆生爲大乘廣智。不説不渡衆生爲大乘廣智。 | 問曰。言渡與不渡皆墮邊見。何以但説渡一切衆生爲大乘廣智。不説不渡衆生爲大乘廣智。 | ||
− | : | + | :問て曰く。渡と不渡と皆邊見に墮すと言はば、何を以てか但一切衆生を度するを大乘廣智と爲すと説きて、衆生を渡せざるも大乘廣智と爲すと説かざるや。 |
答曰。衆生莫不厭苦求樂畏縛求解。聞渡則歸向。聞不渡不知所以不渡。便謂佛非大慈悲。則不歸向。不歸向故長寢久夢。無由可息。爲是人故。多説渡不説不渡。復次諸法無行經亦言。佛不得佛道。亦不渡衆生。凡夫強分別作佛。渡衆生。言度衆生。是對治悉檀。言不度衆生。是第一義悉檀。二言各有所以。不相違背。 | 答曰。衆生莫不厭苦求樂畏縛求解。聞渡則歸向。聞不渡不知所以不渡。便謂佛非大慈悲。則不歸向。不歸向故長寢久夢。無由可息。爲是人故。多説渡不説不渡。復次諸法無行經亦言。佛不得佛道。亦不渡衆生。凡夫強分別作佛。渡衆生。言度衆生。是對治悉檀。言不度衆生。是第一義悉檀。二言各有所以。不相違背。 | ||
− | : | + | :答て曰く。衆生は苦を厭い樂を求め縛を畏れ解を求めずといふこと莫し。渡を聞けば則ち歸向し、不渡を聞けば渡せざる所以を知らずして、便ち佛は大慈悲に非ずと謂ひて、則ち歸向せず。歸向せざるが故に長く久夢に寢て息むべきに由無し。是の人の爲の故に多く渡を説きて不渡を説かず。復次に『無行經』(諸法無行經卷下)に亦言く。「佛は佛道を得たまはず、亦衆生を度したまはざるも、凡夫強ひて佛と作り衆生を度したまふと分別す」と。衆生を度すと言ふは是對治悉檀なり。衆生を度せずと言ふは是第一義悉檀なり。二言各々所以有りて相違背せず。 |
問曰。如夢得息。豈不是度耶。若一切衆生所夢皆息。世間豈不盡乎。 | 問曰。如夢得息。豈不是度耶。若一切衆生所夢皆息。世間豈不盡乎。 | ||
− | : | + | :問て曰く。夢の息むを得るが如きは、豈是度にあらずや。若し一切衆生の所夢皆息めば、世間豈盡きざらんや。 |
答曰。説夢爲世間。若夢息則無夢者。若無夢者亦不説度者。如是知世間 即是出世間。雖度無量衆生。則不墮顛倒。 | 答曰。説夢爲世間。若夢息則無夢者。若無夢者亦不説度者。如是知世間 即是出世間。雖度無量衆生。則不墮顛倒。 | ||
− | : | + | :答て曰く。夢を説きて世間と爲すも、若し夢息むときは則ち夢者無し、若し夢者無くば亦渡者をも説かず、是の如く世間は即ち出世間と知らば、無量の衆生を度すと雖も則ち顛倒に墮せず。 |
四者疑。佛不得一切種智。何以故。若能遍知諸法。諸法墮有邊故。 | 四者疑。佛不得一切種智。何以故。若能遍知諸法。諸法墮有邊故。 | ||
若不能遍知。則非一切種智故。對治此疑故。言無等無倫最上勝智。無等無倫最上勝智者。凡夫智虚妄。佛智如實。虚實玄殊。理無得等。故言無等。聲聞辟支佛欲有所知。入定方知。出定不知。又知亦有限。佛得如實三昧。常在深定。而遍知照萬法二與無二。深法非倫。故言無倫。八地已上菩薩雖得報生三昧用無出入。而習氣微熏三昧不極明淨。形待佛智。猶爲有上。佛智斷具足。如法而照。法無量故。照亦無量。譬如函大蓋亦大。故言最上。此三句亦可展轉相成。以佛智無與等者故。所以無倫。以無倫故最上勝。亦可最上勝故無等。無等故無倫。但言無等便足。復何以須下二句者。如須陀洹智。不與阿羅漢等。而是其類。初地至十地亦如是。智雖不等。非不其倫。何以故。非最上故。汝以知有邊爲難。疑佛非一切智者。是事不然。 | 若不能遍知。則非一切種智故。對治此疑故。言無等無倫最上勝智。無等無倫最上勝智者。凡夫智虚妄。佛智如實。虚實玄殊。理無得等。故言無等。聲聞辟支佛欲有所知。入定方知。出定不知。又知亦有限。佛得如實三昧。常在深定。而遍知照萬法二與無二。深法非倫。故言無倫。八地已上菩薩雖得報生三昧用無出入。而習氣微熏三昧不極明淨。形待佛智。猶爲有上。佛智斷具足。如法而照。法無量故。照亦無量。譬如函大蓋亦大。故言最上。此三句亦可展轉相成。以佛智無與等者故。所以無倫。以無倫故最上勝。亦可最上勝故無等。無等故無倫。但言無等便足。復何以須下二句者。如須陀洹智。不與阿羅漢等。而是其類。初地至十地亦如是。智雖不等。非不其倫。何以故。非最上故。汝以知有邊爲難。疑佛非一切智者。是事不然。 | ||
− | :四には疑はく、佛は一切種智を得たまはず、何を以ての故に、若し遍く諸法を知りたまはば、諸法有邊に墮するが故に、若し遍く知ること能はざれば則ち一切種智に非ざるが故にと。此の疑を對治するが故に「''' | + | :四には疑はく、佛は一切種智を得たまはず、何を以ての故に、若し遍く諸法を知りたまはば、諸法有邊に墮するが故に、若し遍く知ること能はざれば則ち一切種智に非ざるが故にと。此の疑を對治するが故に「'''無等無倫最上勝智'''」と言ふ。無等無倫最上勝智とは、凡夫の智は虚妄なり、佛の智は如實なり、虚と實と玄かに殊なり、理等しきことを得ること無し、故に無等と言ふ。聲聞辟支佛は知る所有らんと欲すれば入定して方に知る、出定しては知らず、又知るも限有り。佛は如實三昧を得、常に深定に在まして遍く万法の二と無二とを照らしたまふ、深浅倫に非ず、故に無倫と言ふ。八地已上の菩薩は報生三昧を得て用て出入無しと雖も、而も習氣微熏三昧極めて明淨ならず、佛智に形待するに猶有上と爲す。佛は智斷具足して法の如くにして照したまふ、法無量なるが故に照も亦無量なり、譬へば函大なれば盖亦大なるが如し。此の三句亦展轉して相成ずべし佛智は與に等しき者無きを以ての故に、所以に無倫なり、無倫なるを以ての故に最上勝なり、亦最上勝なるが故に無等なり、無等なるが故に無倫なりといふべし。但無等と言ふに便ち足んぬ、復何を以てか下二句を須ふるとならば、須陀洹智の如きは阿羅漢と等しからざれども、而も是其の類なり、初地より十地に至るも亦是の如し。智は等しからずと雖も其倫ならざるに非ず、何を以ての故に、最上に非ざるが故に、汝知の有邊と無邊とを以て難と爲して、佛は一切智に非ずと疑はば、是の事然ならず。 |
問曰。下輩生中。云十念相續便得往生。云何名爲十念相續。 | 問曰。下輩生中。云十念相續便得往生。云何名爲十念相續。 | ||
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行者亦爾。念阿彌陀佛。如彼念渡。逕于十念。若念佛名字。若念佛相好。若念佛光明。若念佛神力。若念佛功徳。若念佛智慧。若念佛本願。無他心間雜。心心相次乃至十念。名爲十念相續。一往言十念相續。似若不難。然凡夫心猶野馬。識劇猿猴。馳騁六塵。不暫停息。宜至信心預自剋念。便積習成性。善根堅固也。如佛告頻婆娑羅王。人積善行。死無惡念。如樹西傾。必倒隨曲。若便刀風一至。百苦湊身。若習前不在。懷念何可辨。又宜同志五三共結言要。垂命終時。迭相開曉。爲稱阿彌陀佛名號願生安樂。聲聲相次。使成十念也。譬如蝋印印泥。印壞文成。此命斷時。即是生安樂時。一入正定聚。更何所憂也。 | 行者亦爾。念阿彌陀佛。如彼念渡。逕于十念。若念佛名字。若念佛相好。若念佛光明。若念佛神力。若念佛功徳。若念佛智慧。若念佛本願。無他心間雜。心心相次乃至十念。名爲十念相續。一往言十念相續。似若不難。然凡夫心猶野馬。識劇猿猴。馳騁六塵。不暫停息。宜至信心預自剋念。便積習成性。善根堅固也。如佛告頻婆娑羅王。人積善行。死無惡念。如樹西傾。必倒隨曲。若便刀風一至。百苦湊身。若習前不在。懷念何可辨。又宜同志五三共結言要。垂命終時。迭相開曉。爲稱阿彌陀佛名號願生安樂。聲聲相次。使成十念也。譬如蝋印印泥。印壞文成。此命斷時。即是生安樂時。一入正定聚。更何所憂也。 | ||
:答て曰く。譬へば人有りて空曠の逈なる處にして怨賊に値遇するに、刃を拔き勇を奮ひて直に來りて取らんと欲す、其人到り走りて一河を渡るべきを視る、若し河を渡ることを得ば、首領全かるべし。爾時河を渡る方便を念ず、我岸に至れば衣を着して渡るとや爲ん、衣を脱して渡るとや爲ん。若し衣納を着せば恐らくは過ぐることを得ざらん、若し衣納を脱がんには恐らくは暇を得ること無けんと。但此の念のみ有りて更に他縁無し、一(もっぱ)ら何にして當に河を渡るべしと念はん、即ち是一念なり。是の如く十念餘心を雑へざるを名けて十念相續と爲るが如し。 | :答て曰く。譬へば人有りて空曠の逈なる處にして怨賊に値遇するに、刃を拔き勇を奮ひて直に來りて取らんと欲す、其人到り走りて一河を渡るべきを視る、若し河を渡ることを得ば、首領全かるべし。爾時河を渡る方便を念ず、我岸に至れば衣を着して渡るとや爲ん、衣を脱して渡るとや爲ん。若し衣納を着せば恐らくは過ぐることを得ざらん、若し衣納を脱がんには恐らくは暇を得ること無けんと。但此の念のみ有りて更に他縁無し、一(もっぱ)ら何にして當に河を渡るべしと念はん、即ち是一念なり。是の如く十念餘心を雑へざるを名けて十念相續と爲るが如し。 | ||
− | : | + | :行者も亦爾なり、阿彌陀佛を念ずるに、彼の渡を念ずるが如くにして十念を逕ふべし。若しは佛の名字を、若しは佛の相好を念じ、若しは佛の光明を念じ、若しは佛の神力を念じ、若しは佛の功徳を念じ、若しは佛の智惠を念じ、若しは佛の本願を念じて他心間雜すること無く、心心相次ぎ乃至十念するを名けて十念相續と爲す。 |
− | : | + | :一往十念相續と言へば難からざるに似若たり、然れども凡夫、心は野馬の猶く、識は猿猴よりも劇し、駛して六塵に馳、暫も停息すること無し、宣く信心を及ぼして預して自ら剋念して積習して性を成し善根堅固ならしむべしなり。佛、頻婆娑羅王に告げたまふが如し、人善行を積めば死するに惡念無し、樹の西に傾き倒るるに必ず曲れるに隨ふが如きなり。若し刀風一び至らしめば百苦身に湊(あつ)まる、習在らざんば懷念何ぞ辨ずべけん。又宜く同志五三共に言要を結びて命終に垂たる時、迭に相開曉して爲に阿彌陀佛の名號を稱じて安樂に生まれんと願じ、聲聲相次で十念を成ぜしむべしなり。譬へば臈印もて泥に印するに、印壞して文成ずるが如く、此に命斷する時は即ち是安樂國に生ずる時なり。一び正定聚に入れば更に何の憂ふる所あらん。 |
略論安樂淨土義 畢 | 略論安樂淨土義 畢 |
2012年10月8日 (月) 20:08時点における版
- 略論安樂淨土義
釋曇鸞撰
問曰。安樂國於三界中何界所攝。
- 問て曰く。安樂國は三界の中に於て何れの界の所攝ぞや。
答曰。如釋論言。如斯淨土非三界所攝。何以故。無欲故非欲界。地居故非色界。有形色故非無色界。
經曰。阿彌陀佛本行菩薩道時。作比丘。名曰法藏。於世自在王佛所。請問諸佛淨土之行。時佛爲説二百一十億諸佛刹土 天人善惡國土精麁。悉現與之。于時法藏菩薩。即於佛前。發弘誓大願。取諸佛土。於無量阿僧祇劫。如所發願。行諸波羅蜜。萬善圓滿。成無上道。別業所得。非三界也。
- 答て曰く。『釋論』(智度論卷三八)に言く。「斯の如きの淨土は三界の所攝に非ず、何を以ての故に、欲無きが故に欲界に非ず、地居なるが故に色界に非ず、色有るが故に無色界に非ざるなり」と。
- 『經』(大經卷上意)に言く。「阿彌陀佛、本(もと)菩薩の道を行じたまひし時、比丘と作り名けて法藏と曰ふ。世自在王佛の所に於て、諸佛淨土の行を請問す。時に佛 爲に二百一十億の諸佛の刹土、天人の善惡、國土の精麁を説き、悉く現じて之を與へたまふ。時于法藏菩薩、即ち佛前に於て、弘誓の大願を發し、諸佛の土を取りて、無量阿僧祇劫に於て所發の願の如く諸の波羅蜜を行じ、萬善圓滿して無上道を成ず」と。別業の所得なれば三界に非ざるなり。
問曰。安樂國有幾種莊嚴。名爲淨土。
- 問て曰く。安樂國に幾種の莊嚴有りてか名けて淨土と爲すや。
答曰。若依經據義。法藏菩薩四十八願即是其事。尋讃可知。不復重序。若依無量壽論。以二種清淨。攝二十九種莊嚴成就。二種清淨者。一器世間清淨。二是衆生世間清淨。
- 答て曰く。若し經に依り義に據らば、法藏菩薩の四十八願は即ち是れ其の事なり。『讃』(讃彌陀偈)を尋ねて知るべし、復た重ねて序(の)べず。若し『無量壽論』(淨土論)に依らば二種の淸淨を以て、二十九種の莊嚴成就を攝す。二種の淸淨とは、一には器世間淸淨、二には是れ衆生世間淸淨なり。
器世間清淨有十七種莊嚴成就。
一者。國土相勝過三界道。
二者。其國廣大。量如虚空。無有齊限。
三者。從菩薩正道大慈悲出世善根所起。
四者。清淨光明圓滿莊嚴。
五者。備具第一珍寶性。出奇妙寶物。
六者。潔淨光明常照世間。
七者。其國寶物柔軟。觸者適悦。生於勝樂。
八者。千萬寶華莊嚴池沼。寶殿寶樓閣 種種寶樹雜色光明 影納世界。無量寶網覆虚空。四面懸鈴常吐法音。
九者。於虚空中。自然常雨天華天衣天香。莊嚴普熏。
十者。佛慧光明照除癡闇。
十一者。梵聲開悟遠聞十方。
十二者。阿彌陀佛無上法王善力住持。
十三者。從如來淨華所化生。
十四者。愛樂佛法味。禪三昧爲食。
十五者。永離身心諸苦。受樂無間。
十六者。乃至不聞二乘女人根缺之名。
十七者。衆生有所欲樂。隨心稱意。無不滿足。如是等十七種。是名器世間清淨。
- 器世間淸淨に十七種の莊嚴成就有り。
- 一には國土の相、三界の道に勝過せり。
- 二には其の國廣大にして量虚空の如く齊限有ること無し。
- 三には菩薩の正道大慈悲出世の善根從り起る所なり。
- 四には淸淨の光明圓滿し莊嚴す。
- 五には備に第一珍寶性を具へて奇妙の寶物を出す。
- 六には潔淨の光明常に世間を照す。
- 七には其の國の寶物は柔軟にして觸る者は適悦して勝樂を生ず。
- 八には千万の寶華池沼を莊嚴し、寶殿・寶樓閣、種種の寶樹、雜色の光明、世界を影納して、無量の寶網虚空に覆し、四面に鈴を懸けて常に法音を吐く。
- 九には虚空の中に於て自然に常に天華・天衣・天香を雨らして莊嚴し普く熏ず。
- 十には佛慧の光明照して癡闇を除く。
- 十一には梵聲開悟して遠く十方に聞ゆ。
- 十二には阿彌陀佛無上法王の善力もて住持す。
- 十三には如來の淨華從り化生する所なり。
- 十四には佛法味を愛樂し禪三昧を食と爲す。
- 十五には永く身心の諸苦を離れて。樂を受くること間無し。
- 十六には乃至二乘と女人と根缺との名をだも聞かず。
- 十七には衆生の所有(あらゆる)欲樂、心に隨ひ意に稱ひて滿足せずといふこと無し。是の如き等の十七種、是を器世間淸淨と名く。
衆生世間清淨有十二種莊嚴成就。
一者。無量大珍寶王微妙華臺以爲佛座。
二者。無量相好無量光明莊嚴佛身。
三者。佛無量辨才應機説法。具足清白。令人樂聞。聞者必悟解。言不虚説。
四者。佛眞如智慧猶如虚空。照了諸法總相別相。心無分別。
五者。天人不動衆廣大莊嚴。譬如須彌山映顯四大海。法王相具足。
六者。成就無上果。尚無能及。況復過者。
七者。爲天人丈夫調御師。大衆恭敬圍遶。如師子王師子圍遶。
八者。佛本願力莊嚴住持諸功徳。遇者無空過。能令速滿足一切功徳海。未證淨心菩薩畢竟得證平等法身。與淨心菩薩與上地菩薩。畢竟同得寂滅平等。
九者。安樂國諸菩薩衆。身不動搖而遍至十方。種種應化。如實修行。常作佛事。
十者。如是菩薩應化身。一切時不前不後。一心一念放大光明。悉能遍至十方世界。教化衆生。種種方便。修行所成。滅除一切衆生苦惱。
十一者。是等菩薩於一切世界無餘照諸佛大會。無餘廣大無量供養 恭敬讃歎諸佛如來功徳。
十二者。是諸菩薩於十方一切世界無三寶處。住持莊嚴佛法僧寶功徳大海。遍示令解。如實修行。如是等法王八種莊嚴功徳成就。
如是菩薩四種莊嚴功徳成就。是名衆生世間清淨。安樂國土 具如是等二十九種莊嚴功徳成就。故名淨土。
- 衆生世間淸淨に十二種の莊嚴成就有り。
- 一には無量の大珍寶王微妙の華臺を以て佛座と爲す。
- 二には無量の相好無量の光明佛身を莊嚴す。
- 三には佛の無量の辨才機に應じて法を説き、淸白を具足して人をして聞くことを樂はしめ、聞く者必ず悟解す、言虚説ならず。
- 四には佛の眞如智惠は猶し虚空の如し、諸法の總相・別相を照了して心に分別無し。
- 五には天人不動の衆は廣大にして莊嚴す、譬へば須彌山の四大海に映顯するが如く、法王の相具足したまへり。
- 六には無上の果を成就し、尚能く及ぶもの無し、況や復過ぐる者あらんや。
- 七には天人丈夫調御師と爲りて大衆に恭敬圍遶せらるること師子王の師子に圍遶せらるるが如し。
- 八には佛の本願力もて諸の功徳を莊嚴し住持す、遇ふ者は空しく過ぐること無し、能く速に一切の功徳海を滿足せしむ、未證淨心の菩薩、畢竟じて平等法身を證することを得、淨心の菩薩と上地の菩薩と畢竟じて同じく寂滅平等を得。
- 九には安樂國の諸の菩薩衆、身は動搖せずして而も遍く十方に至りて、種種に應化し、實の如く修行して常に佛事を作す。
- 十には是の如きの菩薩應化身、一切の時に前ならず後ならず、一心一念に大光明を放ち、悉く能く遍く十方世界に至りて衆生を教化す。種種に方便し修行する所を成じ、一切衆生の苦惱を滅除す。
- 十一には是等の菩薩一切の世界に於て、諸佛の大會を照らすに餘無く、廣大無量に供養し餘無く、恭敬して諸佛如來の功徳を讃歎す。
- 十二には是の諸の菩薩、十方一切の世界の三寶無き處に於て、佛法僧寶の功徳大海を住持し莊嚴して、遍く示して解せしめ、實の如く修行せしむ。
- 是の如き等の法王八種の莊嚴功徳成就す。
- 是の如き菩薩の四種の莊嚴功徳成就、是を衆生世間淸淨と名く。安樂國土には是の如き等の二十九種の莊嚴功徳成就を具す、故に淨土と名く。
問曰。生安樂土者。凡有幾品輩。有幾因縁
- 問て曰く。安樂土に生ずる者、凡そ幾品の輩有りや、幾くの因縁有りや。
答曰。無量壽經中。唯有三輩 上中下。無量壽觀經中。一品又分爲上中下。三三而九。合爲九品。 今依傍無量壽經爲讃。且據此經作三品論之。
- 答て曰く。『無量壽經』の中には唯三輩有り、上中下なり。『無量壽觀經』の中には、一品を又分ちて上中下と爲す。三三にして九なり、合して九品と爲す。今『無量壽經』傍(そ)へて依て讃を爲す。且く此の經に據て三品を作し之を論ぜん。
上輩生者有五因縁。一者。捨家離欲而作沙門。二者。發無上菩提心。三者。一向專念無量壽佛。四者。修諸功徳。五者。願生安樂國。具此因縁。臨命終時。無量壽佛 與諸大衆現其人前。即便隨佛。往生安樂。於七寶華中。自然化生。住不退轉。智慧勇猛。神通自在。
- 上輩生には、五の因縁有り。一には家を捨て欲を離れて沙門と作る。二には無上菩提の心を發す。三には一向に專ら無量壽佛を念ず。四には諸の功徳を修す。五には安樂國に生まれんと願ず。此の五縁を具すれば命終の時に臨みて無量壽佛、諸の大衆と其の人の前に現ぜん。即便ち佛に隨ひて安樂に往生し、七寶の華の中に自然に化生し、不退轉に住せん。智慧勇猛にして神通自在ならん。
中輩生者有七因縁。一者。發無上菩提心。二者。一向專念無量壽佛。三者。多少修善奉持齋戒。四者。起立塔像。五者。飯食沙門。六者。懸繒然燈。散華燒香。七者。以此迴向願生安樂。臨命終時。無量壽佛化現其身。光明相好具如眞佛。與諸大衆現其人前。即隨化佛往生安樂。住不退轉。功徳智慧次如上輩
- 中輩生には、七の因縁有り。一には無上菩提の心を發す。二には一向に專ら無量壽佛を念ず。三には多小の善を修し齋戒を奉持す。四には塔像を起立す。五には沙門に飯食せしむ。六には繒を懸け燈を燃し華を散じ香を燒く。七には此を以て迴向して安樂に生まれんと願ず。命終の時に臨みて無量壽佛其の身を化現して、光明相好具に眞佛の如くならん、諸の大衆と其の人の前に現ぜん、即ち化佛に隨ひて安樂に往生し不退轉に住せん、功徳智慧次で上輩のごとくならん。
下輩生者有三因縁。一者。假使不能作諸功徳。當發無上菩提心。二者。一向專意乃至十念念無量壽佛。三者。以至誠心願生安樂。臨命終時。夢見無量壽佛。亦得往生。功徳智慧次如中輩。
- 下輩生には、三の因縁有り。一には假使ひ諸の功徳を作すこと能はざれども、當に無上菩提の心を發すべし。二には一向に意を專にして乃至無量壽佛を十念す。三には至誠心を以て安樂に生まれんと願ず。命終の時に臨みて夢のごとくに無量壽佛を見たてまつり、亦往生を得ん、功徳智惠、次で中輩の如くならんと。
又有一種往生安樂 不入三輩中。謂以疑惑心、修諸功徳。願生安樂。不了佛智不思議智不可稱智大乘廣智無等無倫最上勝智。於此諸智疑惑不信。然猶信罪福修習善本。生安樂 生安樂國七寶宮殿。或百由旬惑(或)五百由旬。各於其中受諸快樂。如忉利天。亦皆自然。於五百歳中。常不見佛。不聞經法。不見菩薩聲聞聖衆。安樂國土謂之邊地。亦曰胎生。邊地者。言其五百歳中不見聞三寶。義同邊地之難。或亦於安樂國土最在其邊。胎生者。譬如胎生人初生之時人法未成。邊言其難。胎言其闇。此二名皆借此況彼耳。非是八難中邊地。亦非胞胎中胎生。何以知之。安樂國土一向化生故。故知非實胎生。五百年後還得見聞三寶故。故知非八難中邊地也。
- 又一種の安樂に往生するも、三輩の中に入らざる有り。謂く疑惑心を以て諸の功徳を修して安樂にに生まれんと願はん。
- 佛智・不思議智・不可稱智・大乘廣智・無等無倫最上勝智を了らずして此の諸智の於いて疑惑して信ぜず。
- 然に猶お罪福を信じ善本を修習して、安樂に生れんとす。安樂國の七寶の宮殿に生れて或は百由旬或は五百由旬なり。各々其の中に於て諸の快樂を受くること、忉利天の如くにして亦皆自然なり。五百歳の中に於いて常に佛を見たてまつらず、經法を聞かず、菩薩・聲聞聖衆を見ず。安樂國土には之を邊地を謂ひ亦胎生と曰ふ。邊地とは言ふは其の五百歳の中に三寶を見聞せず、義邊地の難に同じ。或は亦た安樂國土に於て最も其の邊に在り。胎生とは、譬へば胎生の人初生の時、人法未だ成ぜずが如し。邊は其の難を言ひ、胎は其の闇を言ふ。此の二名は皆此を借りて彼を況(いわん)のみ。是八難の中の邊地に非ず、亦た胞胎の中の胎生にも非ず。何を以てか之を知る、安樂國土は一向に化生なるが故に、故に知る實の胎生に非ざることを。五百年の後に還て三寶を見聞したてまつることを得るが故に、故に知ぬ八難の中の邊地にも非ざることを。
問曰。彼胎生者處七寶宮殿中 受快樂否。復何所憶念。
- 問て曰く。彼の胎生の者は、七寶の宮殿の中に處して快樂を受くるや否や、復た何の憶念する所ぞや。
答曰。經喩云。譬如轉輪王子得罪於王。内於後宮。繋以金鎖。一切供具無所乏少。猶如王。王子于時雖有好妙種種自娯樂具。心不受樂。但念設諸方便求免悕出。彼胎生者亦復如是。雖處七寶宮殿有好色香味觸。不以爲樂。但不見三寶。不得供養修諸善本。以之爲苦。識其本罪。深自責悔。求離彼處。即得如意。還同三輩生者。當是五百年末方識罪悔耳。
- 答て曰く。『經』(大經卷下意)に喩へて云く。「譬へば轉輪王の子罪を王に得んに、後宮に内(い)れて繋ぐに金鎖を以てせんが如し。一切の供具乏少する所無し、猶し王の如し。王子時に妙好種種の自娯樂の具有りと雖も、心、樂を愛けず、但だ諸の方便を設けて免るることを求め出づることを悕ふことを念ず。彼の胎生の者も亦復是の如し、七寶の宮殿に處して妙色・聲・香・味・觸有りと雖も、以て樂と爲さず、但だ三寶を見たてまつらざる、供養して諸の善本を修することを得ず、之を以て苦と爲す。其の本の罪を識りて深く自ら悔責して彼の處を離れんと求めば即ち意の如きを得て還て三輩生の者に同じ」と。當に是五百年の末に方(まさ)に罪を識りて悔ふのみ。
問曰。以疑惑心往生安樂名曰胎生者。云何起疑。
- 問て曰く。疑或心を以て安樂に往生するものを名けて胎生と曰ふは、云何が疑を起すや。
答曰。經中但云疑惑不信。不出所以疑意。尋不了五句。敢以對治言之。 不了佛智者。謂不能信了佛一切種智。不了故故起疑。此一句總辨所疑。下四句一一對治所疑。疑有四意。
- 答て曰く。『經』の中に但「疑或不信」と云ひて疑ふ所以の意を出さず、不了の五句を尋ねて敢て對治を以て之を言はん。「不了佛智」とは、謂く佛の一切種智を信了すること能はざるなり。「不了の故に疑を起す」、此の一句は總じて所疑を辨ず。下の四句は一一に所疑を對治す。疑に四意有り。
一者疑。但憶念阿彌陀佛。不必得往生安樂。何以故。經言。業道如秤。重者先牽。云何一生或百年。或十年或一月。無惡不造。但以十念相續便得往生。即入正定聚。畢竟不退。與三途諸苦永隔乎。
若爾。先牽之義何以所信。又曠劫已來倶造諸行有漏之法繋屬三界。云何不斷三界結惑。直以少時念阿彌陀佛。便出三界乎。繋業之義復欲云何。
對治此疑故言不思議智。不思議智者。謂佛智力能以少作多。以多作少。以近爲遠。以遠爲近。以輕爲重。以重爲輕。以長爲短。以短爲長。如是等佛智無量無邊不可思議。
譬如百夫百年聚薪積高千仞。豆許火焚。半日便盡。豈可得言百年之薪積半日不盡乎。又如躄者寄載他船。因風帆勢。一日至千里。豈可得言躄者云何一日至千里乎。又如下賤貧人獲一瑞物而以貢主。主慶所得加諸重賞。斯須之頃富貴盈溢。豈可得言以可有數十年仕備盡辛懃。上下尚不達歸者。言彼富貴無此事乎。又如劣夫以己身力擲驢不上。從轉輪王行。便乘虚空飛騰自然。復可以擲驢之劣夫。言必不能乘空耶。
又如十圍之索千夫不制。童子揮劍瞬頃兩分。豈可得言一小兒力不能斷索乎。又如鴆鳥入水魚蜯斯斃。犀角觸泥死者咸起。豈可得言性命一斷無可生乎。又如黄鵠呼子安。子安還活。豈可得言墳下千歳齡決無可甦乎。一切萬法皆有自力他力自攝他攝。千開萬閉無量無邊。安得以有礙之識疑彼無礙之法乎。
又五不思議中。佛法最不可思議。而以百年之惡爲重。疑十念念佛爲輕。不得往生安樂入正定聚者。是事不然。
- 一には疑はく、但だ阿彌陀佛を憶念せんは必ずしも安樂に往生することを得ざらん。何を以ての故に、『經』(業道經)に言く。「業道は秤の如し、重き者先づ牽く」と。云何ぞ一生、或は百年、或は十年、或は一月、惡造らざること無きも、但だ十念相續するを以て便ち往生することを得て、即ち正定聚に入りて畢竟して退せず、三途の諸苦、永く隔てんや。若し爾らば先牽の義、何を以てか信ずる所あらん。又曠劫より已來備(つぶさ)に諸行を造る、有漏の法は三界に繋屬せり、云何ぞ三界の結惑を斷ぜずして、直だちに少時に阿彌陀佛を念ずるを以て便ち三界を出でんや。繋業の義復云何がせんと欲すと。
- 此の疑を對治するが故に「不思義智」と言ふ。不思義智とは、謂く佛の智力は能く少を以て多と作し多を以て少と作し、近を以て遠と爲し遠を以て近と爲し、輕を以て重と爲し重を以て輕と爲し、長を以て短と爲し短を以て長と爲す。是の如き等の佛智、無量無邊不可思義なり。
- 譬へば百夫百年薪積を聚(あつ)めて高さ千仞なるを、豆許(ばか)の火を焚くに半日に便ち盡くるが如し。豈に百年の薪積は半日に盡きずと言ふを得べけんや。又躃者他の船に寄載すれば風帆の勢に因て、一日に千里せんが如し。豈に躃者云何ぞ一日にして千里に至らんと言ふを得べけんや。又下賤の貧人一の瑞物を獲て以て主に貢すに、主得る所を慶びて諸の重賞を加へ、斯須の頃に富貴盈溢するが如し。豈に數十年仕へて備に辛懃を盡せるも、上下尚お達せずして歸る者有べきを以って、彼富貴を言ひて此の事無しと言ふを得べけんや。
- 又劣夫の己身の力を以て驢に擲ち上らざれども、轉輪王の行に從へば便ち虚空に乘じて飛驣自然なるが如し。復た擲驢の劣必ず空に乘ずること能はずと言ふことを得べけんや。
- 又十圍の索は千夫も制せざれども、童子劍を揮へば瞬頃に兩分するが如し、豈一の小兒の力、索を斷ずことあたわずと言ふことを得べけんや。又鴆鳥水に入れば魚蜯斯に斃す、犀角泥に觸るれば死せる者咸ほ起つが如し、豈性命一たび斷ぜば生くべきこと無しと得べけんや。又黄鵠子安を呼ぶに子安還活るが如し、豈墳下千歳の齢ひ決して甦るべきこと無しと言ふを得べけんや。一切の万法は皆自力・他力、自攝・他攝有りて、千開万閇無量無邊なり、安ぞ有礙の識を以て彼の無礙の法を疑ふことを得んや。又五の不思義の中に佛法最不可思義なり、而るに百年の惡を以て重と爲し、十念の念佛を疑ひて輕と爲して、安樂に往生して正定聚に入を得ずとは、是の事然らず。
二者疑。佛智於人不爲玄絶。何以故。夫一切名字從相待生。覺智從不覺生。如是迷方從記方生。若便迷絶不迷。迷卒不解。迷若可解。必迷者解。亦可云解者迷。迷解解迷猶手反覆耳。乃可明昧爲異。亦安得超然哉。起此疑故。於佛智慧生疑不信。
對治此疑故言不可稱智。不可稱智者。言佛智絶稱謂。非相形待。何以言之。法若是有。必應有知有之智。法若是無。亦應有知無之智。諸法離於有無。故佛冥諸法。則智絶相待。汝引解迷爲喩。猶是一迷耳。不成迷解。亦如夢中與他解夢。雖云解夢。非是不夢。以知取佛。不曰知佛。以不知取佛。非知佛。以非知非不知取佛。亦非知佛。以非非知非非不知取佛。亦非知佛。
佛智離此四句。縁之者心行滅。損之者言語斷。以是義故。
釋論云。若人見般若。是則爲被縛。若不見般若。是亦爲被縛。若人見般若。是則爲解脱。若不見般若。是亦爲解脱。此偈中説。不離四句者爲縛。離四句者爲解脱。汝疑佛智與人不玄絶者。是事不然。
- 二には疑はく、佛智は人に於て玄絶と爲さず、何を以ての故に、夫れ一切の名字は相待從り生じ、覺智は不覺從り生じ、是の迷方は記方從り生ずるが如く、若し便ち迷絶して迷ずば迷卒に解せじ。迷若し解すべくんば必ず迷へる者の解なり、亦解者の迷解と云うべし、迷と解と解と迷と手を反覆するが猶きのみ、乃ち明昧を異と爲すべし、亦安ぞ超然を得ん哉と。此の疑を起すが故に、佛の智慧に於て疑を生じて信ぜず。
- 此の疑を對治するが故に「不可稱智」と言ふ。不可稱智とは、言(いふこころ)は佛智は稱謂を絶す、相形待するに非ず。何を以てか之を言ふとならば、法若し是有ならば必ず有を知るの智これ有るべし、法若し是無ならば亦た應に無を知るの智有るべし、諸法は有無を離る。故に佛、諸法に冥ふときは則ち智相待を絶す、汝解迷を引きて喩と爲すも、猶を是一迷のみ、迷解を成ぜず、亦夢中にして他の與に夢を解くが如し、夢を解くと云ふと雖も是夢ならざるに非ず。知を以て佛を取るも佛を知ると曰はず、不知を以て佛を取るも亦佛を知るに非ず。非知非不知を以て佛を取るも亦佛を知るに非ず、非非知非非不知を以て佛を取るも亦佛を知るに非ず。
- 佛智は此の四句を離れたり、之を縁ずる者は心行滅し、之を指ふる者は言語斷ず、是の義を以ての故に『釋論』(智度論卷一八)に言く。「若し人般若を見る、是則ち縛せ被(ら)れたりと爲す。若し般若を見ざるも、是れ亦(縛せ)被れたりと爲す。若し人般若を見る、是則ち解脱と爲し、若し般若を見ざるも、是亦解脱と爲す」と。此の偈の中に説かく。「四句を離れざる者を縛と爲し、四句を離るる者を解と爲すといへり」と。汝佛智は人と玄絶ならずと疑はば、是の事然らず。
三者疑。佛實不能度一切衆生。何以故。過去世有無量阿僧祇恒沙諸佛。現在十方世界亦有無量無邊阿僧祇恒沙諸佛。若使佛實能度一切衆生。則應久無三界。第二佛則不應復爲衆生發菩提心。具修淨土攝受衆生。而實有第二佛。攝受衆生。乃至實有三世十方無量諸佛。攝受衆生。故知。佛實不能度一切衆生。起此疑故。於阿彌陀佛作有量想。對治此疑故言大乘廣智。大乘廣智者。言佛無法不知。無煩惱不斷。無善不備。無衆生不度。所以有三世十方者。有五義。
- 三には疑はく、佛は實に一切衆生を度したまふこと能はず、何を以ての故に、過去世に無量阿僧祇恒沙の諸佛有ます、現在十方世界にも亦無量無邊阿僧祇恒沙の諸佛有ます。若し佛をして實に能く一切衆生を度せしむるときは、則ち應に久しく復三界無かるべし、第二の佛は則ち應に復衆生の爲に菩提心を發し、具に淨土を修して衆生を攝受したまふべからず。而るに實には第二の佛有まして衆生を攝受したまふ、乃至實には三世十方無量の諸佛有まして衆生を攝受したまふ。故に知る、佛は實に一切衆生を度したまふこと能はずと。此の疑を起すが故に、阿彌陀佛に於て有量の想を作す。此の疑を對治するが故に「大乘廣智」と言ふ。大乘廣智とは、言ふこころは佛は法として知りたまはずといふこと無く、煩惱として斷じたまはずといふこと無く、善として備えたまはずということ無く、衆生として度したまはずといふこと無し。
- 三世十方の佛有ます所以は、五義有り。
一者。若便無第二佛。乃至無阿僧祇恒沙諸佛者。佛便不能度一切衆生。以實能度一切衆生故。則有十方無量諸佛。無量諸佛即是前佛所度衆生。。
二者。若一佛度一切衆生盡者。復亦不應後有佛。何以故。無覺他義故。復依何義。説有三世佛乎。依覺他義故。説佛佛皆度一切衆生。
三者。後佛能度。猶お是れ前佛之能。何以故。由前佛有後佛故。譬如帝王之甲得相紹襲後王。即是前王之能故。
四者。佛力雖能度一切衆生。要須有因縁。若衆生與前佛無因縁。復須後佛。如是無縁衆生動逕百千萬佛。不聞不見。非佛力劣也。譬如日月周四天下破諸闇冥。而盲者不見。非日不明也。雷震裂耳。而聾者不聞。非聲不勵也。覺諸縁理。號之曰佛。若情強違縁理。非正覺也。是故衆生無量。佛亦無量。徴佛莫問有縁無縁。何不盡度一切衆生者。非理言也。
五。衆生若盡。世間即墮有邊。以是義故則有無量佛。度一切衆生。
- 一には若し第二の佛無く乃至阿僧祇恒沙の諸佛無からしめば、佛便ち一切衆生を度したまふこと能はず。實に能く一切衆を度したまふを以ての故に則ち十方無量諸佛有ます、諸佛は即ち是前佛の度したまふ所の衆生なればなり。
- 二には若し一佛一切衆生を度し盡くせば、後に亦應に佛有しますべからず。何を以ての故に、覺他の義無きが故に、復何の義に依てか三世の佛有ますと説かんや、覺他の義に依るが故に佛佛皆一切衆生を度したまふと説くなり。
- 三には後佛能く度したまふは、猶是前佛の能なり、何を以ての故に、前佛に由て後佛有るが故に、譬へば帝王の甲(冑)相紹襲することを得るは後王、即ち是前王の能なるが如きが故に。
- 四には佛力能く衆生を度したまふと雖も、要ず須く因縁有るべし。若し衆生前佛と因縁無くば、復後佛を須(ま)つべし。是の如く無縁の衆生の動もすれば百千万佛を逕るも聞かず見ざるは、佛力劣なるには非ざるなり。譬へば日月の四天下に周くして諸の闇冥を破すれども而も盲者は見ず、日の明ならざるには非ざるなり、雷聲耳に震へども而も聾者は聞かず、聲の勵しからざるには非ざるが如し。諸の縁理を覺するを之を号けて佛と曰ふ、若し情強ひて縁に違せば正覺に非ざるなり。是の故に衆生無量なれば佛も亦無量なり、佛は有縁・無縁を問ふこと莫く何ぞ盡く一切衆生を度したまはざるやと微するは、理言に非ざるなり。
- 五には衆生若し盡きなば世間即ち有邊に墮す、是の義を以ての故に則ち無量の佛有しまして一切衆生を度したまふ。
問曰。若衆生不可盡。世間復須墮無邊。無邊故佛則實不能度一切衆生。
- 問て曰く。若し衆生盡くべからざれば世間復無邊に墮せん、無邊の故に佛則ち實に一切衆生を度したまふこと能はざるや。
答曰。世間非有邊非無邊。亦絶四句。佛令衆生離此四句。名之爲度。其實非度非不度。非盡非不盡。譬如夢渡大海。値濤波諸難。其人畏怖叫聲徹外。外人喚覺。坦然無憂。但爲渡夢。不爲渡河。
- 答て曰く。世間は有邊に非ず無邊に非ず、亦四句を絶す。佛は衆生をして此の四句を離れしめたまふ、之を名けて度と爲す、其の實は度に非ず不度に非ず、盡に非ず不盡に非ず、譬へば夢に大海を渡るに濤波の諸難に値ひ、其の人畏怖して叫聲外に徹す、外人喚び覺すに坦然として憂無きが如し、但だ渡夢に爲して、渡河を爲さざるなり。
問曰。言渡與不渡皆墮邊見。何以但説渡一切衆生爲大乘廣智。不説不渡衆生爲大乘廣智。
- 問て曰く。渡と不渡と皆邊見に墮すと言はば、何を以てか但一切衆生を度するを大乘廣智と爲すと説きて、衆生を渡せざるも大乘廣智と爲すと説かざるや。
答曰。衆生莫不厭苦求樂畏縛求解。聞渡則歸向。聞不渡不知所以不渡。便謂佛非大慈悲。則不歸向。不歸向故長寢久夢。無由可息。爲是人故。多説渡不説不渡。復次諸法無行經亦言。佛不得佛道。亦不渡衆生。凡夫強分別作佛。渡衆生。言度衆生。是對治悉檀。言不度衆生。是第一義悉檀。二言各有所以。不相違背。
- 答て曰く。衆生は苦を厭い樂を求め縛を畏れ解を求めずといふこと莫し。渡を聞けば則ち歸向し、不渡を聞けば渡せざる所以を知らずして、便ち佛は大慈悲に非ずと謂ひて、則ち歸向せず。歸向せざるが故に長く久夢に寢て息むべきに由無し。是の人の爲の故に多く渡を説きて不渡を説かず。復次に『無行經』(諸法無行經卷下)に亦言く。「佛は佛道を得たまはず、亦衆生を度したまはざるも、凡夫強ひて佛と作り衆生を度したまふと分別す」と。衆生を度すと言ふは是對治悉檀なり。衆生を度せずと言ふは是第一義悉檀なり。二言各々所以有りて相違背せず。
問曰。如夢得息。豈不是度耶。若一切衆生所夢皆息。世間豈不盡乎。
- 問て曰く。夢の息むを得るが如きは、豈是度にあらずや。若し一切衆生の所夢皆息めば、世間豈盡きざらんや。
答曰。説夢爲世間。若夢息則無夢者。若無夢者亦不説度者。如是知世間 即是出世間。雖度無量衆生。則不墮顛倒。
- 答て曰く。夢を説きて世間と爲すも、若し夢息むときは則ち夢者無し、若し夢者無くば亦渡者をも説かず、是の如く世間は即ち出世間と知らば、無量の衆生を度すと雖も則ち顛倒に墮せず。
四者疑。佛不得一切種智。何以故。若能遍知諸法。諸法墮有邊故。
若不能遍知。則非一切種智故。對治此疑故。言無等無倫最上勝智。無等無倫最上勝智者。凡夫智虚妄。佛智如實。虚實玄殊。理無得等。故言無等。聲聞辟支佛欲有所知。入定方知。出定不知。又知亦有限。佛得如實三昧。常在深定。而遍知照萬法二與無二。深法非倫。故言無倫。八地已上菩薩雖得報生三昧用無出入。而習氣微熏三昧不極明淨。形待佛智。猶爲有上。佛智斷具足。如法而照。法無量故。照亦無量。譬如函大蓋亦大。故言最上。此三句亦可展轉相成。以佛智無與等者故。所以無倫。以無倫故最上勝。亦可最上勝故無等。無等故無倫。但言無等便足。復何以須下二句者。如須陀洹智。不與阿羅漢等。而是其類。初地至十地亦如是。智雖不等。非不其倫。何以故。非最上故。汝以知有邊爲難。疑佛非一切智者。是事不然。
- 四には疑はく、佛は一切種智を得たまはず、何を以ての故に、若し遍く諸法を知りたまはば、諸法有邊に墮するが故に、若し遍く知ること能はざれば則ち一切種智に非ざるが故にと。此の疑を對治するが故に「無等無倫最上勝智」と言ふ。無等無倫最上勝智とは、凡夫の智は虚妄なり、佛の智は如實なり、虚と實と玄かに殊なり、理等しきことを得ること無し、故に無等と言ふ。聲聞辟支佛は知る所有らんと欲すれば入定して方に知る、出定しては知らず、又知るも限有り。佛は如實三昧を得、常に深定に在まして遍く万法の二と無二とを照らしたまふ、深浅倫に非ず、故に無倫と言ふ。八地已上の菩薩は報生三昧を得て用て出入無しと雖も、而も習氣微熏三昧極めて明淨ならず、佛智に形待するに猶有上と爲す。佛は智斷具足して法の如くにして照したまふ、法無量なるが故に照も亦無量なり、譬へば函大なれば盖亦大なるが如し。此の三句亦展轉して相成ずべし佛智は與に等しき者無きを以ての故に、所以に無倫なり、無倫なるを以ての故に最上勝なり、亦最上勝なるが故に無等なり、無等なるが故に無倫なりといふべし。但無等と言ふに便ち足んぬ、復何を以てか下二句を須ふるとならば、須陀洹智の如きは阿羅漢と等しからざれども、而も是其の類なり、初地より十地に至るも亦是の如し。智は等しからずと雖も其倫ならざるに非ず、何を以ての故に、最上に非ざるが故に、汝知の有邊と無邊とを以て難と爲して、佛は一切智に非ずと疑はば、是の事然ならず。
問曰。下輩生中。云十念相續便得往生。云何名爲十念相續。
- 問て曰く。下輩生の中に十念相續して便ち往生を得と云へり、云何なるをか名けて十念相續と爲すや。
答曰。譬如有人。空曠迴處値遇怨賊。拔刃奮勇。直來欲殺。其人勁走視渡一河。若得渡河。首領可全。爾時但念渡河方便。我至河岸。爲著衣渡。爲脱衣渡。若著衣納。恐不得過。若脱衣納。恐無得暇。但有此念更無他縁。一念何當渡河。即是一念。如是不雜心名爲十念相續。
行者亦爾。念阿彌陀佛。如彼念渡。逕于十念。若念佛名字。若念佛相好。若念佛光明。若念佛神力。若念佛功徳。若念佛智慧。若念佛本願。無他心間雜。心心相次乃至十念。名爲十念相續。一往言十念相續。似若不難。然凡夫心猶野馬。識劇猿猴。馳騁六塵。不暫停息。宜至信心預自剋念。便積習成性。善根堅固也。如佛告頻婆娑羅王。人積善行。死無惡念。如樹西傾。必倒隨曲。若便刀風一至。百苦湊身。若習前不在。懷念何可辨。又宜同志五三共結言要。垂命終時。迭相開曉。爲稱阿彌陀佛名號願生安樂。聲聲相次。使成十念也。譬如蝋印印泥。印壞文成。此命斷時。即是生安樂時。一入正定聚。更何所憂也。
- 答て曰く。譬へば人有りて空曠の逈なる處にして怨賊に値遇するに、刃を拔き勇を奮ひて直に來りて取らんと欲す、其人到り走りて一河を渡るべきを視る、若し河を渡ることを得ば、首領全かるべし。爾時河を渡る方便を念ず、我岸に至れば衣を着して渡るとや爲ん、衣を脱して渡るとや爲ん。若し衣納を着せば恐らくは過ぐることを得ざらん、若し衣納を脱がんには恐らくは暇を得ること無けんと。但此の念のみ有りて更に他縁無し、一(もっぱ)ら何にして當に河を渡るべしと念はん、即ち是一念なり。是の如く十念餘心を雑へざるを名けて十念相續と爲るが如し。
- 行者も亦爾なり、阿彌陀佛を念ずるに、彼の渡を念ずるが如くにして十念を逕ふべし。若しは佛の名字を、若しは佛の相好を念じ、若しは佛の光明を念じ、若しは佛の神力を念じ、若しは佛の功徳を念じ、若しは佛の智惠を念じ、若しは佛の本願を念じて他心間雜すること無く、心心相次ぎ乃至十念するを名けて十念相續と爲す。
- 一往十念相續と言へば難からざるに似若たり、然れども凡夫、心は野馬の猶く、識は猿猴よりも劇し、駛して六塵に馳、暫も停息すること無し、宣く信心を及ぼして預して自ら剋念して積習して性を成し善根堅固ならしむべしなり。佛、頻婆娑羅王に告げたまふが如し、人善行を積めば死するに惡念無し、樹の西に傾き倒るるに必ず曲れるに隨ふが如きなり。若し刀風一び至らしめば百苦身に湊(あつ)まる、習在らざんば懷念何ぞ辨ずべけん。又宜く同志五三共に言要を結びて命終に垂たる時、迭に相開曉して爲に阿彌陀佛の名號を稱じて安樂に生まれんと願じ、聲聲相次で十念を成ぜしむべしなり。譬へば臈印もて泥に印するに、印壞して文成ずるが如く、此に命斷する時は即ち是安樂國に生ずる時なり。一び正定聚に入れば更に何の憂ふる所あらん。
略論安樂淨土義 畢