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「:梯和上法語」の版間の差分

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(ページの作成: ==梯和上法語== ===「いのち」尊し=== 「いのち」は尊いという。しかし尊いものとして私は生きてきただろうか。また尊いものとし...)
 
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2014年1月20日 (月) 16:26時点における最新版

梯和上法語

「いのち」尊し

「いのち」は尊いという。しかし尊いものとして私は生きてきただろうか。また尊いものとして人びとに対してきただろうか。かえりみて忸怩(ジクジ=心にはじるさま)たるものがある。幻のような「いのち」の影しか見ていなかった気がする。
 悠久の天地に比べれば、ほんのつかの間のきらめきでしかない「いのち」の時も、それが有り得ていることの不思議は、宇宙のそれに匹敵するに違いない。そのいのちの意味を知らせてくれるものこそ仏陀とそのみ教えである。『大無量寿経』に「寿命はなはだ得難く、仏世また値い難し。人、信慧あること難し、もし聞かば精進して求めよ」(p.48)と説かれている。仏陀のみ教えに呼び覚まされて、仏陀が見届けられた「いのち」の真相を知らされるとき、自他を包み、生と死を超えた永遠な「いのち」の領域に心の視野が開かれていく。それを信心の智慧(信慧)という。ここに幾たびも繰り返される「難」とは、あり得ないことが有り得ていることに気づいたときの深い感動を表していた。
 この世に生きてある時間はもうどれほども残されてはいない。「今日という日は、再び訪れてはこないのだなぁ」という実感は、年と共に深まっていく。それゆえにこそ、一日一日、私なりに「いのち」の火を燃やし尽くしていきたいものである。それがみ教えに対する応答であり、「いのち」に対する責任を果たすということであろう。(大乗 01/06月号)


和顔愛語

 親鸞聖人は、「真実なる生き方とは何か」ということを問題とされるときには、いつも阿弥陀仏がその本願を実現するために、永劫にわたってご修行あそばされたと説かれている『大無量寿経』の勝行段の経文を基準にされていました。そのなかに、菩薩は、真理を確認する智慧に導かれて、うそやいつわりや、こびへつらうことなく、常に人々に対して「和顔愛語にして意を先にして承問す」([.26)といわれています。
 それは「柔和な表情と、慈愛のこもった言葉をもって、苦しみ悩む人々に寄り添い、その人のまことの願いをいち早く察知して、相手の心をくんで問いかけ、救いの手をさしのべていく」ということです。慈愛をこめて語りかける言葉は、苦難に打ちひしがれている人に、智慧と力と希望を与えていきます。それゆえ「愛語」は、菩薩の最も大切な徳目の一つとされてきたのでした。人間は言葉で、お互いに心を通わせあい、文化を創造してきました。もしも言葉に慈愛の響きが無くなったときには、人々の生活には滅びが忍び寄るのではないでしょうか。
 わけても念仏者は、大悲のこもった阿弥陀仏の愛語に呼びさまさまされたものとして、愛語のありがたさを身にしみて味わっているものです。それだけに毎日の生活の中で、「和顔愛語」の心がけを見失わないようにしたいものです。(大乗 01/10月号)


如来は薬となり食物となる

 万物は一如であるとさとりきわめた如来は、変幻自在に衆生を救済されるといわれていますが、『維摩経』にはその有様を次のように説かれています。
「もし世の中に、病におかされて苦しむ者があるならば、私は身を薬草にやつして病人に食べられ、病を除き、毒を消してあげよう。また飢饉になって人々が飢えに苦しむときには、この身を食物や飲み物に変えて、飢えを満たし、渇きを癒し、その後に、真理を説いて聞かせて、究極の安らぎを与えるようにしてあげよう。」というのです。
 仏教徒達は、この経説を通して二つのことを学びました。第一は、私どもは、不幸せは人に押しつけても、自分だけは幸せになりたいと思っていますが、それは間違いで、人々の苦難を人ごととしてではなく、痛みをもって連帯し、苦難は私が引き受けますから、貴方はしあわせになってくださいと願っていくことがまことの生き方であるということを思い知らされました。それを「仏の大悲心を学ぶ」といいます。
 第二には、わが身の病を癒してくれる薬の中に如来を見、飢えをしのぐ一口の食事、一滴の水にも私のために身を捨てて下さった如来の慈悲を感じながら、賜った「いのち」に目覚め、その責任を果たすべく修行に励んでいきました。
しかし現代の私どもは、薬漬けと飽食のなかで、如来と「いのち」を見失っているのではないでしょうか? (大乗 02/8月号)


賢者とは

『法句経』(ダンマパダ・『真理の言葉』)や『経集』(スッタニパータ)等に収録されている、お釈迦さまのお言葉を拝読するたびに思うのですが、それが二千五百年も前に説かれたとはとても思えないほど新鮮な響きがあり、真理の持つ新鮮さとはこのようなものかと驚かされます。『真理の言葉』(中村元訳)に次のような言葉があります。
 「多く説くからとて、それゆえに彼が賢者なのではない。こころおだやかに、怨むことなく、恐れることのない人-彼こそ「賢者」と呼ばれる」

 宗教や思想について語る人は多いけれども、自身の救われた喜びを語る人は少ないようです。どうしても語り伝えなければならない真実を語る人は滅多にありません。自分のストレスを解消するためのおしゃべりであったり、名利のための説法ならば、ただの饒舌に過ぎません。世間には様々な情報が氾濫していますが、ほとんどは何の実りもない雑音に過ぎないようです。
 賢者とは、必ずしも多くを語る人ではありません。しかし言わねばならないことを言わねばならない時に、恐れることなく語る人です。いつも穏やかな心を失わず、誰も怨まず、ねたむこともなく、人が成功すればともに喜び、人がつらい羽目に陥っておればともに心を痛めて涙し、どんなに思いがけない苦難が襲ってきても、恐れることなく受け容れ、いつも穏やかな雰囲気が漂っている人、そんな人を賢者というのでしょう。(大乗 02/7月号)


仏のいます処

『金剛般若経』というお経があります。一切の迷いを断ち切る、金剛(ダイヤモンド)のような仏の智慧について説かれた経典という意味です。その中に
「もしこの経典の所在の処は、すなはち仏、もしくは尊重の弟子ありとす。」
という言葉があります。「この経典のあるところに仏陀はいます。また仏陀のみ教えに順って、真理の領域を歩み続ける尊敬すべき仏弟子達もそこにいます」ということです。
智慧(般若)の眼を開いて、一切は言葉に対応するような固定的な実体のない在りようをしている(一切は空である)という真理を確認し、自分にも他人にもとらわれず、生にも死にもとらわれることのない安らかな境地に到達している方を仏陀(真理に目覚めた方)といいます。仏陀は、私どもが、愛欲と憎悪に揺れながら生涯を送り、絶えず死の不安に怯えているのを憐れんで、悪夢から呼び覚まし、安らかなさとりの境地へ導こうと、大悲をこめて目覚めの言葉をかけてくださっています。
その大悲智慧の結晶が経典なのです。経典こそ言葉となって生きとし生けるすべてのものの中に生き続ける仏陀であるといわねばなりません。そこにはまた、その言葉に呼び覚まされて、感動し、み教えに順って、煩悩の身を慚愧しつつ、生死の闇を背にして、光に向かって歩もうとする人びとが時代を超えて育っていきます。経(如来)は聖弟子を絶えず生み出しているといえましょう。 (大乗 02/4月号)


正道を受行する

 聖徳太子は、「上宮聖徳法王帝説」等によりますと推古天皇の三十年(六二二)二月二十二日、世を去られたといわれています。四十九歳(数え年)でした。太子の撰述といわれる『維摩経義疏』に次のような言葉があります。
 仏はことさら威を建て伏せんと欲したまうことなし。その正道を受行せしめたまう。ただ正を立つれば、すなわち諸の邪は自然に摧伏す。

 仏陀は邪悪なものを打ち砕き、降伏させるために破邪の剣を振るうといった威力を行使することを望まれない。みんなが安らかになれるような、正しい道をご自分も歩まれ、人々にも実践するように勧められるだけです。正しい道がはっきりと示されるならば、さまざまな邪悪な思想と行動はおのずから崩壊していくものであるといわれるのです。

 太子のこの言葉は、十四歳の時、正義を振りかざした蘇我馬子と連合して、物部一族を滅ぼし、敵味方に多くの死傷者をだした戦争の苦い経験が秘められているように思えてなりません。正義が行われなければ社会の秩序は保たれませんし、秩序が乱れたならば人々の安全な生活を保障することは出来ません。正義は立てられなければなりません。しかし、武力をもって正義を行使することが、どんなに深い傷跡を残すかということを知り尽くしていたから、太子は、「和らかなるをもって貴しとなす」ではじまる「憲法十七条」を定めて、自ら正道を受行しようとされたのでしょう。(大乗 02/2月号)

その籠を水につけよ

 年を取ると、物忘れがひどくなってきます。仏法を聞いてもすぐに忘れてしまって、聞いているときはなるほどと納得していたのに、後で思い出そうとしても思い出せないというようなわびしい状態になってきます。
そんな悩みを蓮如上人に訴えた人がいました。「私の心は、まるで籠に水を入れるように、いくらおみのりを聞かせていただいても、すぐに忘れてしまって法悦までも消えて、聞かぬ前の状態になってしまうのが情けのうございます」と悲しむ門徒に、上人は「その籠を水につけよ、我が身をば法にひてておくべし」といわれたということです。
仏法についての知識を蓄えようとばかり努めるのは、学習ではあっても、まことの聞法ではありません。肝心のことを聞き落としているからです。私が老耄して、たとえ如来さまを忘れてしまうようなことがあったとしても、私を決して忘れてくださらぬ阿弥陀如来さまのましますことを聞いていないからです。
如来の救いを記憶しようとすることは、如来を自分の心の中に取り込もうとしているのであって、目の粗い籠に水をためようとしているようなものです。まことの聞法は、その籠を水につけておくように、自分が如来の大悲に包まれていることを聞いて喜び、如来の大悲にわが身を任せることなのです。忘れることを悲しむよりも、また聞くことを楽しむのです。今年も楽しく法縁に遇わせていただきましょう。 (大乗 02/1月号)


在家仏教ということ

仏法を中心に生きる

「仏法をあるじとし、世間を客人とせよ」という蓮如聖人(1415-1499)の御法語があります。仏法とは阿弥陀如来の本願を信じて念仏し、生死を超え、愛憎を超えた浄土の実現を目指すことを意味していました。世間とは、私どもの日常生活のことです。それは自己中心的な想念に支配され、愛と憎しみに揺れながら生きる世俗の生き方を意味していました。
蓮如聖人はこの仏法と世間とに主客を立てられたわけです。仏法を主人とし、世間を客人とするということは、仏法を中心として世間を生きよといわれるのです。それは阿弥陀如来の本願こそ真実であると受け容れ、そのみ教えを基準として日常の生活を生きようとする念仏者の姿勢を意味していました。この世を仏法の真実を確かめる道場とみなして生きることであるとも言えましょう。
その反対は世間を主人とし、仏法を客人と見なすような生き方です。それは、この世をうまく生きるための手段として仏法を利用しようとするものであり、念仏を我欲を達成する手段と見なす生き方を意味していました。仏法を主とし、世間を客とみなす生き方は、世間を仏法化していきますが、世間を主とし、仏法を客とするような生き方は仏法を世俗化しています。

真の仏弟子とほめ讃え

釈尊がそうであったように、愛憎の煩悩を断ち切って、ひたすら万人の救済を目指す清らかな生き方を実現する仏道を聖道門と呼んでいます。そのためには、まず自らを正さねばなりませんから、我欲を捨て、人を憎む心をなくするために、無一物の生活に入らねばなりません。そこで出家をし世俗の絆を断ち、ひたすら真実に生きることを教える仏教でした。世間を超えることによって世間の迷える人々を導こうとするから、出家仏教といいます。
しかし、愚かな凡人は、この世に生きている限り、愛憎の煩悩を断ち切ることも出来ず、様々な罪障を作り続けるしかない悲しい存在です。このような愚かなものを救おうと願いたたれたのが阿弥陀如来の大悲の本願でした。親鸞聖人はこの本願の教えを浄土真宗と名づけられました。阿弥陀如来の本願は、出家の行者であれ、家族と共に日常生活を送っている在家のものであれ、等しく本願を信じ念仏する者に育てあげて、わけへだてなく浄土へ迎え取り、さとりを完成させようと願われています。だから出家は出家のまま、在家の者は在家のままで、本願をまことと疑いなく受け入れて念仏するならば、本願にかなった真の仏弟子とほめ讃え、浄土へ往生させくださるのです。

ひたすら念仏を申し

決して世俗を捨てることを要求されていないという意味で、浄土真宗は在家仏教ということができます。しかし在家仏教とは、ただ愛欲と名利に明け暮れるだけの人生を肯定するものではありません。決して仏教を世俗化するものであってはならないのです。世俗化された仏教には世俗を救う力はないからです。在家仏教とはむしろ世俗の生活に仏道としての意味を持たせていく仏教であるというべきです。
家族を持ち、通常の経済生活を営んでいる限り、様々な人間関係に煩わされないわけにはまいりません。誰かを愛しながら生きる限り、悲しいことですが愛するものと別離する苦を避けることは出来ません。また誰かを憎みながら生きる以上、怨み憎むものと会う苦しみにさいなまれることでしょう。そうした愛憎の渦巻く日常生活を、ひたすら念仏を申し、如来さまと相談しながら、そのお導きを光と仰いで生きていくのが在家仏教だったのです。
凡夫の営みはたどたどしい足取りですが、み教えによって与えられた信心の智慧は、苦難の意味を転換する新しい視点を開いてくださるし、念仏を申す人には、苦難に耐える力も恵まれます。それはまさに闇を背負いながらも光に向かって歩む人生であるといえましょう。(04/1/1本願寺新報)


ご祈祷無用

 法然聖人は『浄土宗略抄』のなかで、「いのるによりても病もやみ、いのちも延ることあれば、たれかは一人として病み死ぬる人あらん」と仰せられています。仏にいのることによって、病気もなおり、寿命ものびるのならば、誰一人として病むものもいなければ、死ぬ人もいないというのです。仏教といえば、公には鎮護国家の祈祷を行い、個人的には現世の安穏と死者の後生安楽を祈る宗教だという常識がまかり通っていた時代に、「ご祈祷無用」とズバリ言ってのけたところに法然聖人の本領がありました。
 しかしそれは病みの苦しみに悶え、死の不安に怯える人々の切実な願いを、冷たく突き放した言葉ではありません。人間である限り、決して避けることも、逃れることもできない病と死の現実をしっかりと見すえて、それを超えていく道を本気で聞くことを切に勧められているのです。
 苦難を超えていくのは奇跡ではありません。苦難に耐える力と、苦難の中に意味を見出して転換していける智慧がなければならないのです。その智慧と力を与えて救おうと願われているのが阿弥陀仏の本願なのです。本願を虚心に聞くものには、私が祈るよりも前に、私のまことの安らぎを願われている如来の大悲に気づくはずです。祈り求めなければ護らないような如来ではありません。祈らずとも護り導いて下さるから、私は生死も老病も総て如来のおはからいにまかせて、大悲の護念を感謝しつつ生きるのです。(大乗03/1月号)


仏法をあるじとす

 蓮如上人の法語に、「仏法をあるじとし、世間を客人(マロウド)とせよ」という言葉があります。仏法とはひたすら生死の惑いを超え、愛と憎しみを超えた浄らかなさとりの領域を目指して生きることであり、世間とは、生にとらわれ、死に怯え、愛欲と憎悪に揺れながら生きている世俗の生活をいいます。真理についての無知と、煩悩が支配している世俗を否定するのが仏法ですから、仏法に生きるためには世間を捨てなければならないといわれていました。それが出家仏教なのです。
 ところが、蓮如上人は、仏法と世間とに主客を立て、「仏法をあるじとし、世間を客人(マロウド)とせよ」といわれるのです。それは仏法を基準とし世俗を生きるならば、世俗の生活がそのまま仏道になるといわれたものです。煩悩の大地を離れることの出来ない凡俗の身であっても、本願を信じ、念仏する中で営まれる世俗の生活は、喜びにつけ、悲しみにつけ、さまざまな出来事が、そのまま仏法の真実を確かめる道場に転換されていくからです。
 しかしもし「世間を主人とし、仏法を客人とみなす」ならば仏教の堕落でしかありません。それはこの世をうまく生きるための手段として仏法を利用しようとするものです。仏法を主とし、世間を客と見なす生き方は、世間を仏法化していきますが、世間を主とし、仏法を客とするような生き方は仏法を世俗化していきます。世俗化した仏法にはもはや世俗の人を救う力はありません。(大乗02/3月号))


衆生病むがゆえにわれ病む

 インドに起こった様々な宗教の中で、仏教の最大の特徴は、慈悲を強調することであったといわれています。慈悲の慈とはマイトリの訳語で、相手の幸せを心から願う純粋な友愛のことであり、悲とはカルナの訳語で、人々の悲しみを共に悲しみ、相手の痛みを共に痛む心であるといわれています。
 この痛みの共感こそ「いのち」の共感なのです。決して対象的に捉えることの出来ない「いのち」は、ただ痛みの共感を通して響きあうものであり、実感されるものなのです。しかし痛みの共感といっても、私どもには、せいぜい親子、夫婦、兄弟といった身近な者に限られた小慈小悲にすぎません。それさえともすれば見失いいがちなのが私どもの悲しい現実です。それにひきかえ偉大な菩薩や仏の慈悲は生きとし生けるものすべてのものにおよび、衆生の悲しみと痛みを自らのこととして引き受けていかれますから、大慈大悲といわれています。
 『維摩経』問疾品に、維摩居士が自らの病について、「衆生病むをもつて、このゆえに我も病む。たとえば長者に一子ありて、その子病を得ば、父母もまた病み、その子の病癒ゆれば父母また癒ゆるがごとし」といわれた言葉こそ、仏教の真髄を言い表していました。まさに「仏心とは大慈悲これなり」と説かれたとおりです。仏道とは人間の痛みのわかるものになろうと勉め、痛みを分かちあいながら生きようと努める道だったのです。(04/7月号宗報)