「若者たちの言葉があぶない」の版間の差分
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若者たちの言葉があぶない (1999学術講演会から) 中央大学理工学部教授 加賀野井 秀一 中央大学父母連絡会発行「草のみどり」 1999.11(第130号) から転載
こんにちは、加賀野井です。どうぞよろしくお願いいたします。
まず最初に、関門支部の皆様、本当に今日の日のために色々とお骨折りいただきましてありがとうございました。そして、私の前に松丸先生がお話になる際に「前座」とおっしゃいましたけれども、あちらの方がむしろ本論であって、私がこれからお話しするのは、いわばお能のような高尚なお話があった後の狂言回しを一つ、という感覚でおりますので、お気軽にお聞きになってください。
昨日の夜、こちらに着きました。小倉の方からまいりまして、10 時半から 11 時くらいになって下関に到着し、何か暗い駅に降りまして「ああ、外つ国(とつくに)に来たな」と思ったんですが、今日になってみると、なかなかにぎやかな所でした。私はそういう所の裏側をふらふら歩くのが好きでして、この会場へ伺うぎりぎりまで、あちらへ行ったり、こちらへ行ったり、昨日も駅のすぐ傍らの非常に怪しげな界隈を歩きまして、髪の毛を茶色に染めた若者たちが一体どういうふうな言葉をしゃべっているか、つぶさに観察して回っておりました。怪しげなお店の人がどんなふうに呼び込んでくるかとか……。そして今日もさまざまな所、ダイエーですとか大丸ですとか、ああいう所で、皆さんのさざめきの声を聞いてまいったわけです。
しかし、結果的に若者たちは、こちらの方でも標準語的な言葉を使っていて、そして何かちょっと変わった言葉を使うのも案外似ているのじゃないかと感じました。これもテレビの影響かなと思いますけれども、そんなところから、少し若者の言葉について論じながら、しかし、その背後に日本という大きな問題があるのじゃないかということで、若者のごく身近な言葉と日本文化の在り方みたいなものとを直結させてお話ししたいと思います。
一番はじめに、皆様に現代の若者言葉を幾つか質問させていただきます。どの程度お答えになれるかで、皆さんの世代がはっきりしてくるわけですね。少し試してみてください。
最初に、名詞の群を挙げてみます。まず「ヒサロ」とか「ゲーセン」とかいうのを御存じでしょうか。「ヒサロ」は「日焼けサロン」のことで、「ゲーセン」は何か芸者さんのことかなと私どもも思っておりましたけれども、「ゲームセンター」のことです。
今度は「ボンビー」というのは、少し古くなってきましたが、御存じでしょうか。彼はボンビー君だ、と使うんですが、これは「貧乏だ」ということです。それから「ザラリーマン」というのはいかがですか。これはそのあたりにざらにいるサラリーマンのことです。
次に「シングルベル」というのがあります。これはなかなか意味深いんですけれども、ジングルベルの音楽をシングルで聞く、たった一人で迎えるさみしいクリスマス、これ特に若い女の子たちがつらい思いをするらしいんですが、そういう感覚です。
今度は、呼び掛けの言葉で「アッシー君」「メッシー君」というのは随分有名になりましたね。女の子に貢ぐので「みつぐ君」というのもいましたけれど、もう少し進んで「まりも君」というのはいかがでしょう。これは北海道の湖の水底で静かに眠っているまりものように、非常に恥ずかしがって口も利けない男の子のことらしいんですね。
では、「なるちゃん」はいかがでしょう。私は殿下のお話かなと思っていたんですが、これは残念ながら「ナルシスト」のことです。
それから「りかちゃん」というのを御存じでしょうか。りかちゃんは実は私たちのように理工学部の人間のことなのだそうです。随分と難しいものですね。これが全部当たった方というのは、非常にお若くていらっしゃる。
今度は形容詞に移ってみます。「ケバイ」というのはどうですか、これは「けばけばしい」ということですね。我々の年代と同じくらいの女性で少し派手な格好をしていらっしゃる方に対して「あの人ケバイね」と言う。
それから「きもい」はいかがでしょうか。「気持ち悪い」、正解が聞こえました。
「おしゃばり」というのはどうでしょう。これは「おしゃべりで出しゃばりである」ということを一言にしたものです。そうすると「うらめやましい」というのは「うらやましい」と「うらめしい」とが一緒になっている。
何しろ若者たちは、言葉をエコノミカルに使うんですね。
今度は動詞に移りますが、「トラブる」というのはどうでしょうか。これはトラブルが起こることですね。お分かりのことと思います。「オケる」は、「カラオケに行く」こと。「ジコる」は、「車で事故を起こす」ことです。
では、「ハゲる」はお分かりでしょうか。私なんか頭頂部が気になるんですが、これはハーゲンタッツへ行って、アイスクリームを食べることだそうです。
一番最初にこういう質問をさせていただいたわけですが、いかがでしょう。皆さんは、もう若者たちの言葉がかなり分からなくなっていらっしゃるのではないでしょうか。実は私たちも専門にやっているわけではないんですが、学生さんたちからゼミの時に色々聞き出していくわけです。ところが、もうこれが数ヶ月のうちに死語になってしまって、ころころと変わっていく、これが若者の言葉です。
特に最近、それを一まとめにして言える言葉のグループに、「トカタリ言葉」とか、「ナンカポイ語」「ホウ言」「半クエスチョン」「じゃないですか語」とか、こういったものがたくさんあるのを皆さん御存じでしょうか。お手元のパンフレットにも少し載せておきましたけれども、これをいちいち御説明するよりも、私の中学生の娘に少し手伝ってもらって作ってまいった、最近の若者のセリフがありますので、これを御披露いたしましょう。
「きのうあたりサー、ドラマとか見てるトー、夢見る少女っポイ主人公ナンカ出てきタリしてー、好きってユーカー、愛してるミタクー、うちらが避けてるケイの言葉、モロ告白したりすんのヨ、何かいっちゃってるってカンジー」、これは見事に作成出来たと我ながら喜んでいるんですが、こんな感覚ですね。
これには毀誉褒貶さまざまあると思うんですが、しかし、こういうものに我々が出合った時に、全く最近の若者は何たることか、と、そう言ってしまうんですね。恐らく皆さん方も、この会場で、若者たちの言葉があぶないと言うと、どうやら、こういった事柄が話題になるんじゃないかとお思いになるでしょうけれども、私が申し上げるのは、そこからちょっとズレてしまいます。
実はこういう言葉は、どうでもいいことなんです。私どもの若いころにも、随分さまざまな若者言葉がありました。そういった言葉と同じように、また今の世代にも違う若者言葉があって、やはりくるくると変わってきている。そういうことを考えてみますと、皆さんいかがでしょう、ほんの10年くらい前に「ナウイ」という言葉がありました。そのナウイという言葉がちょっと過ぎると「イマイ」となってきたわけです。そして、今時「イマイ」なんて言うと「そんなの先生死語ですよ」と笑われる。そうなると、一体「イマイ」にあたる今の言葉って何だろうということになる。どうやら「今っぽい」あたりのようですね。ですから、こういうのは、ただくるくると変わっていくだけのことで、大したことはないだろうという感じがします。
さて、今しがた皆さんに御紹介した若者のセリフの中には、「あたり」「とか」「ぽい」「たり」「みたい」というのがたくさん出てきますね。これすべてに共通するのは何でしょうか。それはあいまい表現です。このあいまい表現というのは、日本の伝統的な表現法です。私たちの普通の表現で考えてみましょうか。だれか男の人が女性をお茶に誘う時に、例えば「あのぉ、よろしかったら、ちょっとその辺で、お茶でも飲んでいきませんか」と言いますね。その場合「あのぉ」とおずおず切り出します。ぼんやりと、「よろしかったらぁ」と相手に下駄を預けて、自己主張を抑えるわけですね。「ちょっとその辺で」であって、「そこの喫茶店で」とも言いません。「お茶」と言わないで、「お茶でも」とぼかします。私たち日本人はこういう表現をいつも使っているわけで、むしろ現代の、もっと率直であるはずの若者がこういうぼかし表現を使うということ自体が、驚くべきことではないでしょうか。
それ以上に、若者たちの会話をずっと観察していますと、例えば「やっぱ」とか「やっぱし」とか「意外と」とか、そんな言葉を使います。これは必ず相手を前提において言うことですね。「やっぱり何とかですから」と我々はすぐ言ってしまいますが、これは日本人に非常に典型的な、周りの人もこう思っているだろう、そこに同調しながら使う物言いでしょう。あるいはまた、「昨日下関?という所へ行ったんだけど」というふうにちょっと話の途中を上げる半クエスチョンというのがありますね。あれも相手に対して同調を求めるという意味では全く同じスタイルです。
こんな調子で若者たちは例のケータイ(携帯電話)を持ってあちこちで話している。本当に東京では至る所でケータイに話し掛けていますね。電車の中なんかで向かい合わせの人間を見ていると、みんな肩を並べていても、どこかあらぬ方を眺めてケータイで話している。ちょっと気持ちの悪い世の中になってきたなと思うんですが。
ともあれ、そういうふうにしてケータイで何を話すかというと「今どうしてる?」「今、駅着いたとこ」なんてやっているんです。何も話す必要のないことばかり。つまりこれはどういうことかというと、結局、連絡をし合って、お互いに通じ合っているんだよ、という気になりたいんですね。あるいは、ここに自分たちの仲間がいるんだけれども、あまり親密ではない。自分がのけ者にされがちである。そうなると、いや、私の本領はここにあるんじゃない、このケータイでつながっているところに本当の仲良しがいるんだ、こういう気になりたいわけです。常に常にそういうふうにして、自分をある仲間の中に引き入れて、そして、寂しくないんだ。先ほどの「シングルベル」になりたくないんだと、この強迫観念が今若者たちの間に、非常に強くなってきています。ですから、先ほどの若者たちの表現というのも、名詞や形容詞や色々な形式そのものを壊してはいない。そして、あいまい表現も伝統的なものを使っている。そのほか色々考えてみると、今までずっと我々がやってきた日本人的行動をそのままの形で行っている。ですから、こういうところではちっとも若者たちの言葉はあぶなくないんです。大勢順応的過ぎるところを除いてはね。
ところが、そこから少し延長して考えていこうと思いますが、若者言葉がこれほどくるくる変わることにまず着目していただきたいんです。私は中央大学より1995年から97年までの2年間も在外研究期間をいただいてパリに住んでおりましたが、十何年昔に住んでいたころと比べましても、フランスの若者言葉は日本ほど変化してはいませんでした。「すごーく(ヴァシュモン)」なんていう言葉もほとんど変わっていないんですね。あちらにも若者言葉はもちろんたくさんあります、そして変わりもします。しかしながら、どこの言葉でも、その変化は日本ほど甚だしくはないでしょう。
そうしますと、まず我々が考えなければいけないのは、どうして日本ではこれほど若者言葉がくるくる変わるのか。社会の言葉もそうですね。例えば「ゼネコン」。私が日本を留守にしていた間にこの「ゼネコン」という言葉が盛んに使われるようになっていて、帰国した時、一瞬何のことだか、よく分からなかったんです。そんなふうに、つまり社会の幾つかの言葉も非常に目まぐるしく移り変わっています。それが一体どういうところから来るのか、ちょっと考えてみたいと思います。
少し見えにくいかと思いますが、「○○は××である」とか「○○は△△する」とか、こんなことを黒板に書いてみました。これは一体何かと申しますと、ある時、私はフランス語のテストをしました。そうすると、ある生徒さんが全くギブアップしてしまったのか、何なのか、仏文和訳の答えにこればかりずっと書いてあったんですね。私は、その時に、はたと思いあたりました。分からないところがあれば、「○○は」とでも書いておいて、分かる限りの事柄を書きなさい、単語を忘れても文章の骨格が分かっているとか、そういうところがあったら、それだけでも部分点があるから頑張るんだということを言っておいてこのテストをやらせたのでした。
どうやら、この生徒さんは、ボキャブラリーを全く暗記していない。何も分からない。恐らくは名詞らしいところに「○○は」というふうに入れておいて、そして形容詞とか属詞とかいうところに「××である」というのを入れた。あるいは、動詞らしいところには、「△△する」と入れただけなんです。こんな答えがずっと並んでいました。これに何点あげるか非常に苦労したんですけれども、しかし、それとは別によく考えてみれば、実に見事なことをやっているなとも思いました。ある意味では、これは文章の構造をとらえていると言えば、言えないこともないわけですね。こんなことを考えてみますと、日本語の特徴がここにホワッと浮かび上がってきます。
例えば「○○は××である」「△△する」というふうにやってみますと、日本語でいわゆる「テニヲハ」という部分が残りますね。ですから、「○○」でも「△△」でも、「ヒサロ」でも「ゲーセン」でも何でもいいわけですが、こういうものを「テニヲハ」でうまくくっ付けるならば日本語は日本語らしくなってきます。試しにこんな文章を作ってみました。我々学者と称するインテリゲンチャ、そういう人間がともすると使いたがる横文字言葉です。どの程度お分かりになるか試してください。
「デリダにおけるデコンストリュクシオンというコンセプトが、ポスト・ストリュクチュラリスムのグルントとしてイメージされているわけだから、それさえフォローしておけば、このシンポジウムのパネラーたちも、ミスアンダスタンディンングしないで済むのじゃないだろうか。」
どうですか。これはフランス現代思想のものをちょっと取ってきまして、そこへ「グルント」というドイツ語を入れてみたり「ミスアンダスタンディング」という英語を入れてみたりしているわけですが、一応これは学者同士のおしゃべりでは、すんなりと意味が通っちゃうんですね。しかしながら、こんなことをやってみると、我々もひどい日本語を使っているなと、ふと考え込んでしまいます。
そこで考えてみますと、つまりこういうふうな横文字を入れたり、先ほどからの「ヒサロ」や「ゲーセン」を入れたりしてみると、日本語は「テニヲハ」以外のところに、どんなものでも入ってきて、そして、それをくるくると変えることが出来る。これは一体日本語のどういうところから出てくるのか、それをもう少し深く日本文化論の骨格のところへもって行きながら、考えてみたいと思います。
さて、ここには「人走路」と漢字を三つ書きました。これは中国語ですね。この中国語が日本語になってきた過程を見てみましょう。奈良朝の昔にさかのぼっていただきたいのですが、もともと日本人というのは、文字を持っていませんでした。正式には王仁という人が漢字を大陸から伝えたと言われていますが、恐らくそれよりもずっと昔に、日本に漢字はたくさん入っていただろうと思います。一番はじめはそれを大和言葉に当てはめて、ただ音声として使っているか、あるいは中国語をそのまま中国語風に「ニーハオ」のような感じで使っているだけだったわけですね。
ところが、ある時から、万葉仮名という一つの漢字で一つの音を表すものになってきた。ここに訓読みが考案されて日本語的な読み方になってと、次第にそういうふうに変わっていくわけですが、それと同時に、ちょうど平安期くらいに盛んになりますけれども、仮名文字がだんだん一般化する。ここに書いてありますように、最初に「人走路」という中国語があるとする。やがて日本人はこれを読み下そうと考えます。走というのは、歩くということですが、「人が歩く路を」と大和言葉で読もうとして、「テニヲハ」のようなものを、そこへ付けるようになってきたわけです。そうしますと、「人が歩く路を」という順番は日本語と違うものですから、やがて「人が路を歩く」とやって「人路走」というふうに変えていきます。そのようにして漢字の順番も動かし、そして今度は「路」を今の「道」に変えていくわけですね。もちろん「走」という字も日本語では走るとなりますから、歩くという字の「歩」に変えて「人道歩」という形になっていった。そうしてそこにくっ付けられていた、読み下すための補助的な文字としての片仮名が中に織り込まれていく。それが平仮名で書かれると、完全に日本語になっていきます。やがて「人が道を歩く」というふうになって、結局、今の和漢混淆文、漢字仮名まじり文になってくるわけであります。
そうしますと、非常に面白いのは、人が、とか、道を歩く、のように大和言葉で読もうとして補助的にくっ付けていた部分ですが、これが現在の「テニヲハ」になってきているわけです。ですから、もともとよその国から中国語として入ってきている漢字の部分は、相変わらず中国の言葉として、どことなく少しよそよそしいわけですね。そこに大和言葉の「テニヲハ」が付いて完全に日本語になった。ということは、我々が小学校の時に習ってきた自立語と付属語というところを思い出していただきたいのですが、「人走路」という漢字に当たる部分が自立語であれば、そこにくっ付いてくる言葉が付属語になるわけです。この付属語がまさに「テニヲハ」なわけです。そこで、日本語というのは、大きく二つの部分に分かれるんだというふうに考えていいかと思います。つまり自立語と付属語、漢字の部分と「テニヲハ」の部分です。
そうしますと、この漢字の部分がほかのものに幾らでも取り替えが出来ることになります。つまり日本語の「テニヲハ」は、いわば一つの鋳型のようなものとして存在している。そこの間に外国語を取り入れることによって日本語化してしまう翻訳機械だと考えればいいわけです。ということは、「テニヲハ」の間に「人走路」が入ろうが、先ほどの「ゲーセン」や「ヒサロ」が入ろうが、そして「ゼネコン」が入ろうが、あるいは横文字の「デリダにおけるデコンストリュクシオン」が入ろうが、全く構わないんですね。ですから、日本語ではそうしたものが、くるくると入れ替わり、「テニヲハ」さえ整えてあれば、いつの間にか日本語になってしまう構造があります。つまり「○○は××である」ということになる。この構造が素晴らしいおかげで、日本にはさまざまな外来の思想が入ってきました。
ところが、そこで気になるのは、そういうものがあまりにも便利であるがために、その中国語の部分あるいは片仮名書きの部分、これが実は一知半解のままでそこへ入っていたとしても、それが正しい日本語になっているような雰囲気があるので、いつの間にか、我々は分かったような気になってしまうところです。ここが大変な問題であろうと思います。
歴史を少し思い出してみますと、こうして奈良のころに中国語を日本語化してきた日本人が、次に出合った非常に大きな変動は明治期ですね。つまり江戸時代までずっと日本風の文化を続けてきたところに、幕末から明治にかけて、オランダ語から始まってさまざまな言葉が入ってきます。例えば神様が入った時にも、「デウスとは神のことなり」なんていうふうにキリシタン・バテレンがやっていたわけですね。そんなふうにして「デウス」などさまざまな言葉が入って「テニヲハ」に整えられて日本語になっていった。
ところが、先ほど申し上げたように「デリダにおけるデコンストリュクシオンというものが」とやっていくと、まるで分かりませんから、やはりそこのところを横文字から漢語に直して、それを日本語の「テニヲハ」の中へ入れていくという大変な離れわざをしたわけです。これをやった中心人物は、福澤諭吉あたり。慶應の連中が随分頑張っております。
そういう明治のころの努力があってこそ、現代のさまざまな言葉が出来ているのだということをお考えいただきたいのですが、そうした言葉を幾つかピックアップしてまいりました。明治期に出来た新しい翻訳漢語はほぼ一万語ほどあります。今から御披露するものは全部翻訳漢語ですが、これが実は私たちの日常生活でいかによく使われる言葉であるかを、じっくりお考えいただきたいと思います。
まず先ほど松丸先生からお話がありました「経済」という言葉も、そのころの外来語であります。「経済」「生産」「家庭」そして今政治の方のお話が出ましたけれども、「内閣」「国会」「警察」そして我々理工学部の「科学」「学問」「空間」「運動」「郵便」「輸送」、それから「哲学」「理性」「思考」「現象」「機能」そして「恋愛」「教会」「演劇」「競争」といった言葉をアトランダムに探してみました。こうしたものが一万語ほど入ってきたんですが、これはどうでしょう、皆さんが今使っていらっしゃる少しかみしもを着た言葉ではありませんか。つまり思想として何かを話そうとする時に使うべき言葉ですね。このほとんどが、明治期の言葉なんです。したがって、先ほどからの年金の話であるとか、介護保険の問題であるとか、こうした言葉もすべていわば明治期から来ていると考えていいと思います。
「抽象」という言葉もそうなんですが、一般に「抽象的」に色々話すこと、この手の言葉が全部明治期から始まっています。これは我々としても、あっと驚くことだろうと思います。つまりこういった言葉がようやく明治期に出来ているということは、我々はこの言葉に親しんでたかだか100年の歴史しか持っていないことになります。つまり100年の歴史しかない言葉によって、我々のすべての思想を一生懸命構築しようとしている。
ところが、諸外国、例えば欧米に例を取ってみましても、いうならばギリシアの昔から使われていた言葉のようなものを基にしながら考えているんですね。私の専門は「現代フランス哲学」ですが、そういうところの言葉というのは、本当に大昔からずっとつながってきているわけです。フランス語の哲学用語というのは、その基を見てみると、ラテン語へ行き、そしてギリシア語へさかのぼりとなっていて、その概念がある意味でよく消化されてきています。日本ではこの「概念」という言葉も、やはり明治期に出来ました。
私たちは、そういう思想語というものを、本当に100年間しか使ってきていない。そして私たちは、例えば「理性」「悟性」「観念」「理念」といった言葉の違いを説明してくださいと言われますと、なかなかすぐには回答がしにくいですよね。そんなふうに我々はなってしまっています。そうしますと、つまり明治期に入ってきた翻訳語というのは、我々は分かり切っている気でいながら、実は相当程度分かっていないのじゃないかということにお気付きいただけるのではないでしょうか。
これをもう少し進めてみましょう。今度は終戦後にやってきた典型的な例を一つお目に掛けたいと思いますが、それは「民主主義」という言葉です。この「民主主義」という言葉、我々は耳にタコが出来るほど聞いているような気がしています。ところが、この言葉の歴史もたかだか50年ですね。一体それでは「民主主義」というものを本当に分かっているのかどうか、私も含めて、御自身の胸に手を当ててよく考えていただきたいのですが、皆さんは「民主主義」という言葉から、一体何をお考えになりますか。そもそもは、ギリシアの昔からの「デモスクラチア」という言葉が、西洋で長い間、血と汗とによって勝ち取られてきたわけで、それが「デモクラシー」という英語として日本に入ってきて、「民主主義」というふうになっているわけですね。
これについては、「民主主義」という新語を入れなくても、もともと民主主義に近いものは日本にもあったんじゃないだろうかと考えることも出来ます。「社会」という言葉に例を取ってみましょう。「ソサエティー」ですね。この「ソサエティー」も明治期の言葉です。
ところが、それ以前に日本語では「世間」という言葉がありました。ですから、何も社会なんて言わなくても、「ソサエティー」という言葉を世間と訳せばいいじゃないかとも考えられるわけですが、そうではありません。例えば皆さん「世間様へ気兼ねをする」というのはありますけれど、「社会様へ気兼ねをする」というのはどうもおかしいですよね。何とはなしにそぐわない。それから「社会参加をいたしましょう」と言いますが、でも「世間参加をいたしましょう」というのはないんですね。この概念を細かく考えてみますと、「社会」というのは我々個人を含むものですけれども、含んでいながら、我々と対立する、公と私みたいな関係になっております。ところが、「世間」というのは違うんです。世間の中には「私」は含まれません。「世間の目が怖い」なんていうのは、全部自分の外部です。それに対していつも気遣いをしている。他人にとっての世間の中に私は入るわけですが、自分自身は、世間の中に含まれつつ、その世間と対立するという構造じゃないですね。ですから、日本人の中に「社会」という概念はなかったのだと考えた方がいいと思います。
「古い革袋に新しいワインを入れる」とちょっと調子が悪いというようなもので、どうしても新しい言葉が必要になった。そこで福澤諭吉なんかが考えて作ったわけです。けれども、「社会」という言葉は、まかり間違うと「会社」という言葉になりそうだったらしいですね。そうすれば、我々は会社に参加しなくちゃいけない。ただでさえ、会社人間になっている我々が、そこへ参加したらえらいことですけれども(笑)、いずれにしても、そういう形で社会という言葉が出来たわけです。
それと同じように、民主主義という言葉も、それ以前になかったものとして、どうしてもある独特の意味を背負っていたわけですね。それが、我々の中にお上からそのまま下されてきました、というよりも、 GHQ から下されてきました。そんな疎遠な言葉の中にも我々は我々なりに意味を蓄えてきてはいるんですが、相変わらず、民主主義については、我々は耳にタコが出来ていると思っているほどには分かっていないという、この危険性に気が付かなければいけないと思います。恐らく、デモスクラチアの昔から血と汗とで勝ち取ってきた民主主義をお分かりになっている方も、ごく少数はいらっしゃるかも知れません。
しかしながら、我々の大多数はどう考えるかというと、まず民主主義というものをイメージしたら、漢字の「民主主義」という字面かなんか出てくるのじゃないでしょうか。そしてその次に、民主主義と一応漢語にされているところから感じ取られる表面的な意味、つまり民が主となる、そういう考え方なんだろう、そんなふうにとらえてしまうわけです。そうすると、我々が主人公じゃないかというくらいのごく単純な発想になるだけですね。
それと同時に、今まで何度か耳にしてきたことの中に、例えば「今はもう民主主義的な世の中だからね、お互いに血で血を洗うような殺し合いなんてやめようじゃないか」といった言い回しが思い出されます。そこから、どうやら民主主義というのは、野蛮な感覚じゃなくて、もうちょっと新しい何かいいものらしい、という感じだけが受け取られることになる。あるいは「まあまあそんな喧嘩しないで、もうちょっと民主主義的に話し合いましょうよ」という言い回しもあって、民主主義というのは、何か話し合うんだな、こういう感じがとらえられます。ですから、そういう幾つかのぼんやりした感覚がファーッと入ってきたものが、ふんわりと固められた、それが我々にとっての民主主義の意味なのではないかという感じがするんですね。
そんな時に、私たちは民主主義という言葉の前で、それが分かり切ったような気になりながら、実はそこで思考停止をしてしまっているのじゃないか。私たちはそういう危うさを考えてみなければいけないと思います。日本語は「テニヲハ」の間に若者言葉でも何でも色々新しいものを入れることが出来る。そして、それが一見日本語らしくもなる。つまり、「テニヲハ」の間に入れたものというのは、ほとんどまだかみ下していなくても、それが分かったような気になってしまうというところがあります。ここに危険がある。それを柳父章さんという人が、「カセット効果」と、なかなかいい言葉で名付けてくれています。カセットというのはフランス語で宝石箱のことですが、新語をこれに例えている。新しく出来た言葉の中には、ほとんどまだどんな意味も入っていないんですね。ところが、宝石箱のようにきらきらとしていて素敵である。中に恐らく何かが入っているだろうと思い、いつの間にか入っていることにしてしまう。でも、実際には何も入っていないんです。我々はその宝石箱を非常に大事なものと考えながら、実はそれについては一知半解、よく分からないし、そして、宝石箱があまりにも美しいから自分でも使ってみたくなるわけですね。
そういえば、我々の若いころには「革命」という夢の言葉があって、ゲバ棒を持って走るなんてことがありました。しかし、我々の仲間でも、革命の内実をあまり知らないままに、ワァッと走っていた人間は、その夢がパチンと弾けてしまうと、突如として今度は金融操作のスリルを楽しむ方などへ走ってしまって、今や右翼の頂点に達していたりするんですね。そういうことになってしまうのも、やはり言葉や思想について、分かった気になっていながら、実は分かっていなかったというところから来るのではないかと思います。
更に、日本語の中にはもう一つ非常に重要な部分があります。これは言霊思想と言っていいものだと思いますが、万葉の時代からあります。例えば万葉集の巻の13の3254番にある非常に有名なものですが、「敷島の大和の国は言霊の幸はふ国ぞ真幸くありこそ」つまり、日本は言霊が幸いをもたらす国ですから、ご無事でおいでくださいという意味の、柿本人麻呂の一首ですね。こういうものに歌われた「言霊思想」というものが実はいまだにある。皆さん、そんなのうそだろうとおっしゃるかも知れませんけれども、私たちの周りには、さまざまなそういう言葉があります。
例えば今日のこうした席で皆さんにお話しするとき時には、ふと結婚式を思い出すんですが、話してはいけない言葉がたくさんあります。「これで結婚式を終わらせていただきます」とは言ってはいけない。「めでたくお開きにいたします」と司会者は言わなければいけない。「切る」「戻る」「帰る」という言葉も絶対使ってはいけません。また受験生を目の前にして「滑る」なんてことも言えない。こういう形のものが我々の周りにたくさんあります。ホテルでも「4号室」や「9号室」というと、死ぬとか、苦しむとかを連想してまずい。更にその上「13日の金曜日」という西洋の思想まで入ってきて「13」という番号も不吉だなんて言って、我々は何でも取り入れてしまう。そしてそれをタブーにして触れないという事柄がたくさんあると思います。
どこかの飲み屋さんにちょっと出掛けて行っても、「するめ」と言ってはいけないから「当たりめ一丁」と頼みますし、「すり鉢」と言ってはいけないから、「あたり鉢」と言うわけです。こういう形で、何でもかんでも言葉のげん担ぎをする。これを私たちはお遊びだみたいなことを言っている癖に、案外それにとらわれてしまっている。
これが一番悪い方向で出てきたのが、一昔前の「大本営発表」でした。例えば「敗退する」という時も、頑張って「転進する」と、つまり「転じて進んで行く」と言いました。そして、全滅した場合でも、玉のごとく砕ける「玉砕」という言葉を使いました。そういう形で常に「大本営発表」は言葉によって色々な事柄を隠蔽してきました。ついに「終戦」という言葉も、いうならば「敗戦」という言葉を使わないで「終戦」にした。そして、いかがでしょうか、アメリカからの占領軍を、進んで駐留する「進駐軍」と言ってきたわけです。こうして新しい政府もそういうスタイルで来ましたから、いまだに「自衛隊」と称して、当然「軍隊」とは言わない、おかげで、第9条の問題がいつまでもくすぶっています。
ですから、こういうことを考えてみた時に、「大本営発表」はいささか甚だしい例であるとしても、我々の中に言霊思想というのが常にあるというのは、よく考えておかなければいけない。そして、そういうふうにして、ある事柄について触れないで、タブーにしてしまう、大切な問題を迂回していこうとするところに、やはり差別語というようなものも出てきます。すべてこういう事柄について、我々はどうしても技術的に迂回することばかりを考えて、結局、その物事にドカンと正面からぶつかっていかないんですね。
差別用語について触れた私の本がもうじき出るのですが、当然ながらその本に差別語はたくさん出てきます。その場合にも、これは自粛した方がいいんじゃないだろうか、ここのところは2回使わないで1回だけにした方がいいのじゃないだろうかと、編集部からさまざまな意見が出てきて、その調整のために1ヶ月ほど出るのが遅くなりました。でもそういうふうなシビアな部分で、言葉というものを選んでいると色々と分かってくるわけです。この間も、「傍受法」を「盗聴法」と呼んではいけないとか、さまざまな言葉へのこだわりが議論されていましたね。
しかし、その言葉ばかりにこだわって現実にぶつからない、これが我々の、いうなら日本文化の非常にあぶないところだと思います。
ここで、先ほどの若者の言葉につなげて考えてみましょう。まず言葉というものは本来正確に使わなければいけないものなのに、すでにその言葉の段階で物事を隠蔽しようとする動きが我々自身の中に、大人も若者も含めてあるという現実をまず踏まえなければなりません。そして、日本語がああいうふうにして奈良朝の昔から「テニヲハ」の部分で外国語を包含し、どことなくそれを分かったような気になってしまう危うさを持った言語であるということが思い出されねばなりません。こういうことをすべて考えてみますと、今の若者の言葉があぶないことの一番の中心は、その若者たちが実は思想語や抽象語を使わなくなってきているところにあるのではないかということになってまいります。
例えば典型的な若者言葉で、この間から一連のさまざまな事件が起こった時に話題になっているものがあります。「切れる」という言葉、「うざい」という言葉です。こちらの方では「うざい」という言葉を使いましょうか。東京では八王子方言の「うざったい」が、だんだん若者言葉に入って「うざい」になったのですが、要するに「うっとうしい」という意味です。そして「ムカつく」や「かったるい」という言葉もよく使いますね。こういう若者言葉の典型を取り上げてみますと、一体ここにはどういう共通点があるでしょうか。
まず皆さん「ムカつく」という言葉ですが、これは何か得体の知れない、どことなく身体的な不快感を吐き捨てるように言う言葉じゃないかと思います。例えば病院へ言って、お医者さんから「どこかムカつくところはありませんか」と尋ねられて「いやぁ世の中全くムカつくことだらけですよ」と答えたという笑い話がありますけれど、つまりもともと「ムカつく」という言葉は、身体的にどことなく気持ちが悪い感じなんですね。ここがこういうわけで痛くてというのなら、はっきりしているんですが、体全体がぼんやりと何かいやぁな感じがする、これがむかつきのもとです。それは今の若者たちの特徴をよく表しているのじゃないか。つまり何か得体の知れないいやなことが、さまざまに若者たちに振り掛かっているのではないかというわけです。
松丸先生は、今の若者に対して先ほど肯定的な表現をなさいましたが、私はそのあたりでは非常に否定的な感覚を持っています。さまざまに受け止める感情を、本当は日本語のこれまでお話ししてきた特徴をも見据えて、若者たちにはもっと巧みに分析してもらいたいんです。つまり「さっき僕にだれだれがぶつかってきたから、僕は仕返ししたいと思うんだけれども、そこに先生の目があって殴り返せないから、ムカついているんだ」というふうに表現出来れば、非常にすっきりするんでしょうけれども、どことなく都会というところでは、それが出来なくなってきていますね。こちらではどの程度か分かりませんが、東京で、朝の 1 時間目の授業に出ようとしますと、学生たちは満員電車の中で動けないような状態を経験してくるわけです。隣の人とベタッとくっついたまま、鞄を網棚へ上げたと思ったら、その手が下ろせなくなったり、右足が宙づりなったままずっといたりという状況が、ラッシュアワーの時間帯にあるわけです。そうして、隣の中年のおじさん、私などがこの中年のおじさんになるわけでしょうけれど、そのおじさんが何かひじの所で押してきたから、こっちもムカついて押し返したといった話が毎日私の耳に入ります。
つまり行き場のないうっぷんがたまっている。でも、もしもその場でこの人に向かって、あなたのひじが私にあたってるんですけど、やめていただけませんか、という表現をすれば、いやあんたの方だって押しているじゃないか、という応酬はあるかも知れませんが、少しはすっきりして、日本ももう少し暮らしやすくなるでしょう。しかし、我々は言わないのを美徳とする国民ですから、このくらいはまあいいかと思いながら、じわじわと不満がたまるわけですね。若者たちも、どことなく家で勉強しなさいばっかり言われて、大学へ行っては、いやな教師にごちゃごちゃ怒られるとか、こういうことがいっぱい重なると、ムカつきも限度を超えてきてしまいます。
そして、その得体の知れぬいやぁな感覚が、これ以上我慢出来ないと思った時に、ピリッとひび割れが入って切れてしまう。そのときにナイフが出てくるという形になるわけです。ひどく脆弱なんですね。例えば皆さん、ダブルバインド状況というのをご存知でしょうか。どちらからも締め付けられてしまって、抜け道がない状態をいう表現です。これは心理学用語ですが、例えば小さな子供に対して教育ママが言う言葉に「何とかちゃん、いいのよ、あなたはもう大きくなったんだから、お母さんの言うことなんか聞かないでも、自分自身でちゃんと判断して、遊びに行きたいと思ったら遊びに行き、お勉強するときにはお勉強なさい。今だって遊びに行ってもいいのよ、受験は近いんだけどね」というようなことがあります。これは一体どういうことなのか。
つまりお母さんは口では行きなさいと言っているが、実際には「行っちゃいけない」と制しているわけです。これで子供がどう反応するか。じゃ、お母さんが言ったように、僕は自分で遊びに行きたいから行くんだ。ダダッと遊びに行く。そうすると、「受験が近いのに」というお母さんの言葉が後ろで響いていて、何か遊びを楽しめないわけですね。だから、そんなことを一度経験してみれば、あの言葉に乗ってはいけないぞと思って、次には「いいよ、僕勉強するから」と言うわけです。そうすると、お母さんは「あなたは自分自身に正直じゃない」と責めるわけですね。
つまりどちらをとっても抑圧されてしまうというのが、ダブルバインド状況です。こういう状況の中で、例えば子供たちが「お母さんは、口では好きなようにしなさいと言っているが、実は態度では『行くな』と言っているんだ」ということをもしも奇麗に分析して、お母さんに切り返すことが出来たら、子供はムカつかない。お母さんのそういう偽善的な態度もすぐにやられちゃうわけですね。こうして日本人相互が表現力を切磋琢磨していけば、かなりのことがうまくいくんですが、お互いがやはり美徳のように黙って、それぞれがムカムカしてしまっています。
本来、若者はもっと言葉を使わなければならないんですが、なかなかそうはいっていない。「ムカつく」という得体の知れないものを増殖させるだけで、ある時突然切れてしまう自分自身の抑制力のなさみたいなものばかりを見せている。「うざったい」とか「かったるい」という言葉は、要するに「面倒臭い」ということですね。つまり彼らは何か複雑な事柄があった時にも、それを一つ一つ解きほぐしてみようとはしないだろうと思います。
しかしながら、松丸先生が話されたような例えば経済的な問題とか政治的な問題とか、今はやたらと複雑に絡み合ったものが多いわけです。例えば先ほどの介護保険の問題なども、結局のところ、うたい文句はいいにしても、背後にさまざまな思惑がこびりついていて、政治的な思いもあったりするわけですね。そういうところを実は一つ一つ解きほぐしていって、こうだからこうなんだ、ということを若者たちが論じるようになってくれれば、これは我々にとっても非常に頼もしい。
ところが、今の若者たちは、どういうわけか「うざったい」「ムカつく」「キレる」、そして「かったるい」といった形を中心にして、どんどん自分たちの若者言葉の中に逼塞する。本来、若者言葉というのは、大人たちが使っている言葉を見て、あんなに世たけてすり切れたような言葉は使わないぞ、という考えで、つまり加賀野井のような中年男が使っている言葉なんかを使うことは、我々若者の名折れであると言って、私たちに向かってさまざまなアンチテーゼを突き付けてくるべきものなんですね。これが本来の若者の仲間のうちの言葉で、これをアンチ言葉というふうに呼ぶ言語学者もあります。そういうふうな若者言葉であると、我々は一本とられながらも、しかし、心楽しい部分があるわけです。
ところが、そういうふうなことをちっともしてくれない。どうも若者たちは、自分の中だけで通じる言葉にどんどん埋没していく。丸山眞男さんななかが昔から言っているように、思想家と同じタコツボ志向といいますか、そういうふうなものの中に入って、自分たちが通じる言葉だけに安住するわけです。ところが、通じる言葉だけを使うということは、いかにも気持ちよさそうに思うんですけれども、実は内部にも外部にも大変な苦労をしている。それはどういうことかというと、外部に対しては非常に排他的に、自分たちの集団を作るわけです。ですから、我々少し年の上の人間、あるいは家庭でも親―父だとか、母だとか言わないで、「うちの親が」というふうに一括して―を別のジャンルに追い払ってしまう。そういうふうな形で本当は自分の手助けをしてくれるおじいちゃん、おばあちゃんから始まって、お父さん、お母さん、そういったものを全部排除してしまって、自分たちの求心力を作ろうとするんですね。
ところが、今度は自分たちの内部でも苦労することになる。一気一気とやってビールを飲み過ぎてすぐにアルコール中毒になってしまう学生さんが毎年後を絶たないで、学校側も心痛めることですが、若者たちがあれをやりたがるというのが象徴的なことかも知れません。仲間のうちでノリがよく、そしてみんなからも認められる、そういう地位にいないとまずい、そこから少しでも脱落すると、あいつ変なやつだということになって排除される。少し出来てもだめ、出来なくてもだめだということになっています。
小学校なんかでいじめというのも、必ず異分子をあぶり出すんですね。そして異分子を一匹のスケープゴート、いけにえの羊にして、その異分子をみんなで攻撃している間は、攻撃している側はみんな仲良しという幻想の中にいられるわけです。つまり今の若者たちにとって、本当の意味での親友関係というのは、あまりなくなってきているんじゃないでしょうか。要するにそういう形でだれかを排除しておいて、それを攻撃することによって、自分たちは仲がいいんだという幻想の中に入っていく、これが携帯電話でいつも話し合っていないと気が済まないという事態とほとんど重なってまいります。
日本の大学生の不思議なところは、教室が後ろの壁際のところからだんだんいっぱいになってくるという点にありますね。前の方はずっと空いていて、教師が歩みよって、生徒の方へ行かなきゃいけない、行けば行くほど後ろへ下がっていくということになりますから、どうしようもないんですけれども、そういうふうな形で話していくことになりますから、前の方にたまに一人か二人、ポツンと勉強したいというのがいて、先生、先ほどのフランス語のこういうところは、どういう構造になっているんですか、なんてやると、それが「あいつカッコつけて」なんて周りから言われるんですね。ですから、勉強したい子供が、手を挙げて率先して言えない状況になっている。そういう出来る人間は足を引っ張る、そして出来ない者に対しては、いじめて排除する。結局のところ、仲間うちでも同じ線路上でみんなをちらちら見ながら、お互いに同列というところから抜けないように、大変な労力を払っているというのが現実です。
司会者のノリのように「ハイ、ハイ、ハイ、ハイ」なんてやってみたり、「やっぱ何とかだよね」という感じで同調を求めるといったことばかりです。この傾向が非常に強くなってきているのが、どうやら若者の言葉の危うさということで、実はこれは取りも直さず、本来そういういじめの構造のようなものを抽象的に分析して解いていかなければいけないはずの連中が、それが出来なくなってきているということからくる問題だろうと思います。
そして、いよいよ結論に持っていきたいと思いますけれども、こうした若者を論理的にするために、日本語の領域において私たちがなすべき重要なことがあると思います。なによりもまず、国内で辞書がまだ完備していないということがあります。例えば皆さんに今御紹介した明治時代から始まったような言葉、例えば「社会」でありますとか「哲学」でありますとか、これについて今出ている小学館国語大辞典の 20 巻本ですか、あれが日本で最大のものですが、それを見ても、「社会」という言葉がいつだれによって作られたか全く書かれていないんですね。「哲学」の方は、西周という人が作ったと、ようやくそれを一生懸命調べる人がいて、分かっているというようなことはありますが、しかしながら、 1 万語くらいの明治期に出来た言葉についての身元をちょいと引いたら、すぐに分かるような辞書は皆無と言っていいと思います。そしてまた「民主主義」なら民主主義という言葉をきちっと定義するというか、見事に規定している辞書も少ないという感じがしますね。
諸外国には、例えばフランスですと「ロベール」という事典があります。そして、英語の方になりますと「オックスフォード」の事典があり、こういった事柄が必ず細かく定義されています。例えば「窓」というもの一つ取ってみても私たちは漠然と考えていますが、あちらの辞書には、まず一番として、「壁に開けられた四角もしくはその他の形の空間」という定義が来ます。次に二番として、「そこにはめられている窓材」といいますか、「そういったものも含めて言う」とか、そうした形でカチカチと定義しています。ですから、言語の定義や言葉の由来は、千何百年ころの何という本に初めて出てきたとかいうように、すぐ調べられます。そんな辞書を我々は全く作っていない。したがって、多少とも言語に携わる者は、もう少しそのあたりをきちんとしなければいけないということがありますね。
更にもう一つ、学校教育の問題もあります。例えば先ほど「民主主義」というお話をいたしましたけれども、この言葉を我々が小学校でどういうふうに習ってきたかを考えてみると問題がはっきりと見えてくるんですね。つまり45分くらいのホームルームの時間に、先生が「さあ皆さん、これから民主主義的に話し合いをしましょう」なんてやるわけです。ところが、日本人というのは、話し合いの癖が全然付いていませんから、突然押し着せのようにやらされてもみんながよく分からなくて、ぎこちなく意見を言い合って、先生が、そうね、そうね、と聞いていて、45分が終わったころ、「それじゃ時間も来たことだから多数決を採りましょう、ハイ、20対15で、20の方に決まりました」というふうにやるわけですが、これほど民主主義的でないものはないだろうと思います。
つまりデモスクラスチアの昔から、結局、民主主義というものの中心には徹底して話し合うということがあるわけです。この場合に西洋で一番気を付けることは、例えば賛成意見、反対意見が出た時に、反対意見がたった一人であったり、ごくマイナーな人たちが出したものであったりしても、徹底してその意見を聞くということですね。そのためには二日掛かろうが、三日掛かろうが、延々と議論を交わします。そうしておいて、しかし、例えば国会の予算決定なんていうのは、いつまでたっても決まらないのは困りますから、ある程度までに決めなければならなくなる。ですから、その前に議論を尽くすだけ尽くして、時間切れになるという時になってはじめて多数決が行われるわけです。必要悪として、最後の最後、しようがないから多数決で決めましょう、というのが本来なんですね。
ところが、日本では民主主義イコール多数決みたいな教育を小学校の時からしてしまう。民主主義的にと言う時に、必ず先生方の言葉は「みんなで仲良く話し合って決めましょう」と、その重みがどこへ掛かるかというと、「みんなで仲良く」の方に掛かってしまう。話し合って決めるということは、利害関係も重なるわけですから、本来はお互いが熾烈な戦いをすることになる。西洋では、騒音問題などで、アパートなんかの喧嘩もがんがんやるわけです。がんがんやった揚げ句に、しかし、なるほどそういう意味であれば、私たちのところも、ここまでは譲らざるを得ないだろう、じゃあうちもこうしましょう、と、あとは仲良くという形になる。つまり徹底して戦って落ち着くところに落ち着くわけですね。ところが日本は、波風を立てないことが大切である、ここからいきますから、結局、民主主義的にと言っても、「仲良く」であって「話し合う」というところへ行かないことになりかねません。だから、教育の問題にも我々が考え直さなければいけないことがたくさんあるだろうと思います。
結論を出しましょう。こうして若者たちの言葉について話している時に、我々が目を向けるべきは、若者たちの言葉の表面的な雑なところとか、すぐさまひんしゅくを買うようなところではないということです。それは末の末のことであって、むしろ大事なのは、彼らが思想的なところへ行っているかどうか、そこのところをきっちり我々が見ていく目を持たなければいけないだろうということです。それは取りも直さず、我々大人たちが本当に民主主義という言葉の中で、実は思考停止をしていたりするんじゃないかということを、時々考えてみなければいけないということにもなるのではないでしょうか。
自戒をも込めまして、どうぞ皆さんも御自宅へお帰りになりましたら、若い人たちと接する時にそんなことをお考えいただき、それが少し何かの御参考になればと思います。(拍手)
(7月10日、下関市において講演されたものです。)
http://www2.tamacc.chuo-u.ac.jp/tise/kyouyou/9kagano1999110/index.html