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尋ていわく、雑行、地獄にをつといふこといかん。答、雑行は真実報土にはむ〔生〕まれずそろ、地獄には を〔堕〕ちずそろ〔候〕。雑行、地獄にをつと言うことは、謗法罪にてそろなり。雑行も至心発願すれば、往生浄土の方便の善となりそろ。和讃を見らるべくそろ。
 
尋ていわく、雑行、地獄にをつといふこといかん。答、雑行は真実報土にはむ〔生〕まれずそろ、地獄には を〔堕〕ちずそろ〔候〕。雑行、地獄にをつと言うことは、謗法罪にてそろなり。雑行も至心発願すれば、往生浄土の方便の善となりそろ。和讃を見らるべくそろ。
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第六問答
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尋云、「即便往生」(観経)、平生業成の証になるべからずといふこといかん。
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答。「即便往生」の文、平生業成の証にてそろなり。総じて三経の説相にをいて、流祖上人、顕彰隠密の義をたてゝ、顕のときは格別とこゝろえ、彰のときは三経一致とこゝろえそろなり。『大経』(巻下)・『弥陀経』には「即得往生」ととき、『観経』には「即便往生」とみへてそろ。是れ平生業成の証にてそろなり。
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ただし即得往生の義を『大経』には平生に約し、『弥陀経』には臨終に約すとみへてそろ。
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これは当流にをひて往生決定することは、臨終にてもそろへ、平生にてもそろへ、念仏の信心さだまるときを往生とこゝろえそろなり。
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両経の深意このこゝろなり。たゞしまた上人、「即便往生」を『観経』・『双巻経』に配当
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なされそろときは、「即往生をば大経往生、便往生をば観経往生のこゝろなり」(化身土巻意 愚禿鈔巻下意)と釈したまふなり。これは顕のかたの釈にてそろなり。

2022年11月16日 (水) 13:12時点における版

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第一問答

尋云(たずねていわく)、十劫正覚の(いわれ)を知るを往生の体と云こと如何(いかん)。 答、自元(もとより)浄土門のこゝろは、一文不知の愚鈍の下機を本として、称名の一行を本願としたまふ間、たとひ十劫のいわれを知らずというとも、信心決定ならば往生において疑いあるべからずそろ〔候〕。すでに光明大師は「衆生称念必得往生」(散善義) と釈し、法然上人は『選択集』にをいて、「南無阿弥陀仏、往生之業念仏為本」とあらわし、鸞上人は「名号を不思議と信じ、誓願を不思議と信じそろ〔候〕よりほかに異なる義なし」と、「御消息」(古写消息一意) に残しをかれ候あひだ、ゆめゆめ相伝なきともがら〔輩〕のまふ〔申〕すことを、本になさるべからずそろ〔候〕なり。


第二問答

尋云、当流の義、余流に少しも似そろはゞ、たすかるまじということいかん。答、このこと、一向学文をせざるものゝまふ〔申〕すことにてそろ〔候〕。聖道門にさえ()たるところあり。いわんや、浄土一門のなかにをいて、すこしも当流は余流にに〔似〕べからずといふこと、無下にあさましき義にてそろなり。にたるところもあり、またにざるところもそろなり。


第三問答

尋云、極楽を願うを自力と言うこと如何。答、いわれざる義にてそろ。流祖上人の『和讃』(浄土和讃) にも、「安楽国をねがうひと 正定聚にこそ住しけれ 邪定・不定聚くにになし 本誓悲願のゆえなれば」といえり。また「弥陀初会の聖衆は 算数のをよぶことぞなき 浄土をねがわん人はみな 広大会を帰命せよ」(浄土和讃) といへり。その上、『愚禿鈔』(巻下意)に、「厭離真実・欣求真実」と二種の真実を明かして、欣求真実をば流義の安心と釈したまひそろ。ことに『唯信抄(鈔)文意』に、「願生彼国といふは、かのくにゝにむ〔生」まれんとねがへとなり」と をほせ〔仰〕られそろ〔候〕。加様の義を知らざるものゝまふ〔申〕すことにてそろ〔候〕。


第四問答

尋云、至心信楽の信、衆生にすこしもあるまじといふこといかん。 答、すでに願文に機を「十方衆生」(大経巻上)とあらわして、「至心信楽 欲生我国 乃至十念」(大経巻上)と、安心・起行のすがたを誓いたまい候機に候はでは、いかがあるべく候や。たゞし衆生はこのちかひをたのみ候へども、みなもと法蔵因位の時、われら衆生に信行ともにほどこ〔施〕しあたへたまい候あひだ、他力の信・他力の行とこゝろへ候なり。かるが故に『経』(大経巻上) に「令諸衆生功徳成就」とみえて候。これ、たのむこゝろは機に候へども、功を本にゆづり候へば、他力の信にて候なり。この心を『和讃』(大経讃)に、「無碍光の利益より 威徳広大の信をえて かならず煩悩のこおりとけ すなわち菩提のみずとなる」とあらはし、また善導和尚は、「自信教人信、難中転更難、大悲伝普化、真成報仏恩」(礼讃) と釈したまい候。当流の門人、「伝」の字に心をと〔留〕めべく候。まことに本寺知識の厚恩にあらずは、いかでか生死の苦海をこへて涅槃無為の浄刹にいたらむや。報じても報じがたく謝しても謝しがたきは、仏恩・師恩にて候。


第五問答

尋ていわく、雑行、地獄にをつといふこといかん。答、雑行は真実報土にはむ〔生〕まれずそろ、地獄には を〔堕〕ちずそろ〔候〕。雑行、地獄にをつと言うことは、謗法罪にてそろなり。雑行も至心発願すれば、往生浄土の方便の善となりそろ。和讃を見らるべくそろ。


第六問答

尋云、「即便往生」(観経)、平生業成の証になるべからずといふこといかん。 答。「即便往生」の文、平生業成の証にてそろなり。総じて三経の説相にをいて、流祖上人、顕彰隠密の義をたてゝ、顕のときは格別とこゝろえ、彰のときは三経一致とこゝろえそろなり。『大経』(巻下)・『弥陀経』には「即得往生」ととき、『観経』には「即便往生」とみへてそろ。是れ平生業成の証にてそろなり。 ただし即得往生の義を『大経』には平生に約し、『弥陀経』には臨終に約すとみへてそろ。 これは当流にをひて往生決定することは、臨終にてもそろへ、平生にてもそろへ、念仏の信心さだまるときを往生とこゝろえそろなり。 両経の深意このこゝろなり。たゞしまた上人、「即便往生」を『観経』・『双巻経』に配当 なされそろときは、「即往生をば大経往生、便往生をば観経往生のこゝろなり」(化身土巻意 愚禿鈔巻下意)と釈したまふなり。これは顕のかたの釈にてそろなり。