「十六問答記」の版間の差分
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− | 尋云、至心信楽の信、衆生にすこしもあるまじといふこといかん。 答、すでに願文に機を「十方衆生」([[chu:大経上#P--18|大経巻上]])とあらわして、「至心信楽 欲生我国 乃至十念」 {{SHD|no1|至心信楽して、わが国に生ぜんと欲ひて、乃至十念せん。}}(大経巻上)と、[[chu:安心|安心]]・[[chu:起行|起行]]のすがたを誓いたまい候機に候はでは、いかがあるべく候や。たゞし衆生はこのちかひをたのみ候へども、みなもと法蔵因位の時、われら衆生に[[chu:信行|信行]]ともにほどこ〔施〕しあたへたまい候あひだ、他力の信・他力の行とこゝろへ候なり。かるが故に『経』(大経巻上) に「[[chu:令諸衆生功徳成就|令諸衆生功徳成就]]」とみえて候。これ、{{DotUL|たのむこゝろは機に候へども、功を本にゆづり候へば、他力の信にて候なり。}}この心を『和讃』(高僧和讃)に、「無碍光の利益より 威徳広大の信をえて かならず煩悩のこおりとけ すなわち菩提のみずとなる」とあらはし、また善導和尚は、「自信教人信、難中転更難、大悲伝普化、真成報仏恩」{{SHD| | + | 尋云、至心信楽の信、衆生にすこしもあるまじといふこといかん。 答、すでに願文に機を「十方衆生」([[chu:大経上#P--18|大経巻上]])とあらわして、「至心信楽 欲生我国 乃至十念」 {{SHD|no1|至心信楽して、わが国に生ぜんと欲ひて、乃至十念せん。}}(大経巻上)と、[[chu:安心|安心]]・[[chu:起行|起行]]のすがたを誓いたまい候機に候はでは、いかがあるべく候や。たゞし衆生はこのちかひをたのみ候へども、みなもと法蔵因位の時、われら衆生に[[chu:信行|信行]]ともにほどこ〔施〕しあたへたまい候あひだ、他力の信・他力の行とこゝろへ候なり。かるが故に『経』(大経巻上) に「[[chu:令諸衆生功徳成就|令諸衆生功徳成就]]」とみえて候。これ、{{DotUL|たのむこゝろは機に候へども、功を本にゆづり候へば、他力の信にて候なり。}}この心を『和讃』(高僧和讃)に、「無碍光の利益より 威徳広大の信をえて かならず煩悩のこおりとけ すなわち菩提のみずとなる」とあらはし、また善導和尚は、「自信教人信、難中転更難、大悲伝普化、真成報仏恩」{{SHD|no5|みづから信じ人を教へて信ぜしむること、難きがなかにうたたさらに難し。大悲をもつて伝へてあまねく化するは、まことに仏恩を報ずるになる。}}(礼讃) と釈したまい候。当流の門人、「伝」の字に心をと〔留〕めべく候。まことに本寺知識の厚恩にあらずは、いかでか生死の苦海をこへて涅槃無為の浄刹にいたらむや。報じても報じがたく謝しても謝しがたきは、仏恩・師恩にて候。 |
2022年11月26日 (土) 12:52時点における版
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『浄土真宗聖典全書』六の解説から、(〔……〕は林遊の追記)
本書は、〔高田派十世〕真慧上人の撰述である。本書は、教義・法式・儀礼に関する門徒からの十六項目の問答で構成されており、それらの問答に真慧上人自身が答えていく形式となっている。そのため、本書は「真慧上人御問答」とも称される。
教義については、第一問答の十劫安心、第三・第七の自力念仏、第五、第十問答の雑行、第六問答の平生業成、第九問答の本尊などに関する項目がある。また法式・儀礼に関しては、第八問答の法名や第十五問答の葬儀などに関する素朴な疑問についても答えており、当時論点となった事項を具体的に知ることができる内容も含んでいる。{後略}
- 亀甲括弧〔……〕内の記述は読解を補助するために林遊が付した。
第一問答
第二問答
尋云、当流の義、余流に少しも似そろはゞ、たすかるまじということいかん。答、このこと、一向学文をせざるものゝまふ〔申〕すことにてそろ〔候〕。聖道門にさえ
第三問答
尋云、極楽を願うを自力と言うこと如何。答、いわれざる義にてそろ。流祖上人の『和讃』(浄土和讃) にも、「安楽国をねがうひと 正定聚にこそ住しけれ 邪定・不定聚くにになし 本誓悲願のゆえなれば」といえり。また「弥陀初会の聖衆は 算数のをよぶことぞなき 浄土をねがわん人はみな 広大会を帰命せよ」(浄土和讃) といへり。その上、『愚禿鈔』(巻下意)に、「厭離真実・欣求真実」と二種の真実を明かして、欣求真実をば流義の安心と釈したまひそろ。ことに『唯信抄(鈔)文意』に、「願生彼国といふは、かのくにゝにむ〔生」まれんとねがへとなり」と をほせ〔仰〕られそろ〔候〕。加様の義を知らざるものゝまふ〔申〕すことにてそろ〔候〕。
第四問答
尋云、至心信楽の信、衆生にすこしもあるまじといふこといかん。 答、すでに願文に機を「十方衆生」(大経巻上)とあらわして、「至心信楽 欲生我国 乃至十念」 「隠/顕」
第五問答
尋ていわく、雑行、地獄にをつといふこといかん。答、雑行は真実報土にはむ〔生〕まれずそろ、地獄には を〔堕〕ちずそろ〔候〕。雑行、地獄にをつと言うことは、謗法罪にてそろなり。雑行も至心発願すれば、往生浄土の方便の善となりそろ。和讃を見らるべくそろ。
第六問答
尋云、「即便往生」(観経)、平生業成の証になるべからずといふこといかん。 答。「即便往生」の文、平生業成の証にてそろなり。総じて三経の説相にをいて、流祖上人、顕彰隠密の義をたてゝ、顕のときは格別とこゝろえ、彰のときは三経一致とこゝろえそろなり。『大経』(巻下)・『弥陀経』には「即得往生」ととき、『観経』には「即便往生」とみへてそろ。是れ平生業成の証にてそろなり。 ただし即得往生の義を『大経』には平生に約し、『弥陀経』には臨終に約すとみへてそろ。 これは当流にをひて往生決定することは、臨終にてもそろへ、平生にてもそろへ、念仏の信心さだまるときを往生とこゝろえそろなり。 両経の深意このこゝろなり。たゞしまた上人、「即便往生」を『観経』・『双巻経』に配当 なされそろときは、「即往生をば大経往生、便往生をば観経往生のこゝろなり」(化身土巻意 愚禿鈔巻下意)と釈したまふなり。これは顕のかたの釈にてそろなり。