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法然教学の研究 /第一篇/第四章 専修念仏論の確立/第四節 正雑二行の得失

提供: 本願力

2014年11月2日 (日) 17:42時点における林遊 (トーク | 投稿記録)による版

第四節 正雑二行の得失

 さて「二行章」は、つづいて正雑二行について親疎対、近遠対、無間有間対、不回向回向対、純雑対という五番の相対を行って二行の得失を判定し、二行廃立を極成していかれる[1]。正行、すなわち正助二業を修するものは、阿弥陀仏において親昵、隣近、憶念不間断の得益があり、また「別不回向、自然成往生業」の徳があり、それこそ純一無雑の往生行である。それに対して雑行を修するものは、阿弥陀仏において疎遠であり、憶念は間断し、回向しなければ往生行にならないものであり、人天三乗及び十方浄土にも通じた雑通の行でしかないといわれるのである。このように五番の得失をあげて二行の相対廃立を行われたのは、「大経釈」のころからである。

 五番の相対について、僧叡は、親疎対と近遠対は現生の益について明かすものであり、無間有間対は信に約し、不回向回向対は生因の義に拠り、純雑対は行体の是非を定めたものであるといわれている。又初の二つのうち親疎対は心に約し、近遠対は身に約してしばらく分別したものであるという[2]。またこうした五番の相対は、『散善義』就行立信釈に二行の得失をのべて「若修前正助二行、心常親近、憶念不断、名為無間也、若行後雑行、即心常間断、雖<可回向得生、衆名疎雑之行也」といわれたものに依られている。中でも親疎対と近遠対は『定善義』の摂取三縁釈下の親縁と近縁に依り、不回向回向対は『玄義分』の六字釈にその義の根拠をおかれていることは、その釈中の引文によって知られる[3]
尚純雑の義については、用語の使用例を詳細にあげ、①経律論、②賢聖集、③密教、④外典における純雑の語例を示した上で善導は往生行について純雑を分判されたといわれている。これは純雑の義意は各々その用途によって趣きを異にしているから錯解してはならないと注意されたものであろう。恐らく往生行について正雑の分判を行い一行専修というわが国では初めての新しい実践形態を樹立するについて、その用語にまで法然は心を配っておられたことを物語っている。 さきにも一言したが、『選択集』の広本は、この部分が「大経釈」と同じように、非常に詳細に論述されていたこともそれを裏づけている[4]

 さてこの五番の相対において、その得は「正助二行を修するものは」といって正行に与えられているが、尅実すれば正定業たる称名に与えられるべき得であるといわねばならない。そのことは第四の不回向回向対において『玄義分』の六字釈を引用して不回向の義意を証明されるところに明らかに窺うことができる。

  今此観経中、十声称仏、即有十願十行具足、云何具足、言南無者、即是帰命、亦是発願回向之義、言阿弥陀仏者、即是其行、以斯義故、必得往生[5]

といわれたものが六字釈であるが、これによれば南無阿弥陀仏と称えるとき、その南無、すなわち帰命の義として発願回向のいわれがあるから、念仏すれば、別して回向を用いなくても、自然に往生業と成るといわれるのである。従ってこの不回向の徳義は前三後一の助業にはないものであって、念仏のみのもつ徳義を、任運に随伴している助業にまで及ぼしたものであることがわかる。僧叡は、この不回向回向対は真宗の至要であって、前後の得失はこれを基本としており、法然、親鸞両祖の「相伝秘要心髄、正在于茲」といっている。

すなわち親鸞は、この不回向の釈義に準拠しつつ、『論註』の回向門の往還二回向の釈を換骨して本願力回向の宗義を確立されたというのである。[6]

 法然によれば、雑行は、その行体は人天三乗の行であって、阿弥陀仏の浄土へ往生する行ではない。従って行者がそれを浄土へ回転趣向しなければ、往生の因とはならないから、雑行は回向行であるというのである。『選択集』に「回向者、修雑行者、必用回向之時、成往生之因、若不回向之時、不往生之因故」といわれる所以である。 これに対して「修正助二行者、縦令別不回向、自然成往生業」といい、正行、すなわち尅実していえば称名は不回向行であるとされるのである。称名が不回向であるのは、それは阿弥陀仏の本願において、衆生往生の行業として選び定められた選択本願の行だからである。すでに如来が本願において往生行と選定されている以上、衆生が回向をする必要は全くなく、称名すれば、そのままで往生の業因となっていくから「自然成往生業」といわれたのである。従ってこの「自然」とは本願の自爾をあらわしているといわねばならない。 いわゆる願力自然の義意である。そうすると、次に引用されている六字釈の「発願回向之義」とは、衆生からいえば不回向であるような願力自然の「発願回向」の義意を含められていたとしなければならない。このような含意を読みとって開顕されたのが、親鸞の「行文類」における六字釈だったと考えられる。すなわち、

 是以帰命者、本願招喚之勅命也、言発願回向者、如来已発願、回施衆生行之心也。言即是其行者、選択本願是也。[7]

といわれた如来の発願回向と選択本願の行の義意は、法然の不回向釈のもつ幽意を釈顕されたものといえよう。親鸞が『浄土文類聚鈔』に「聖言論説特用知、非凡夫回向行、是大悲回向行故、名不回向、誠是選択摂取之本願……」[8]といい、『正像末和讃』に「真実信心の称名は、弥陀回向の法なれば、不回向となづけてぞ、自力の称念きらはるる」[9]と讃詠されているが、いずれも、不回向の義意と如来回向の義とを表裏の如く用いられている。
これによって、法然の不回向義の幽意を開いて如来回向の教義を確立していかれたことが窺えるのである。[10]

さて「二行章」は、私釈が終わったあとに再び『往生礼讃』の専雑二修の得失を判ずる文が引用され、さらに短いながらも私釈が施され、千中無一の雑修を捨てて、百即百生の専修に帰すべきことが勧誡されている。ここに「専修正行」「雑修雑行」といわれているように、法然にあっては、正行と専修、雑行と雑修は、行体と修相のちがいはあるが、大体同義語として用いられているようである。[11] なお「大経釈」には、この『礼讃』の引文に対して「私云、凡此文者、是行者至要也、専雑之訓、得失之誡、甚以苦也、求極楽之人、盍寸符哉」といい、さらに『往生要集』「大文第十問答料簡」の往生階位の釈文を引いて、三不三信と専雑二修の義意を詳らかにされている。[12]

これは『選択集』広本には、「大経釈」のままに掲載されているが、現行の『選択集』略本では省略されている。[13]
しかしこの『往生要集』の文が、法然をして源信教学から善導教学へ移行せしめる機縁の一つとなっていたことについては、別稿で詳述する如くである。[14] いずれにせよ、『選択集』の引文、私釈の例格を破って、二度までも引文と私釈を施されているところに「二行章」のもつ意味の重大さを窺うことができよう。



  1. 『選択集』「二行章」(真聖全一・九三六頁)、「大経釈」(『漢語灯」一・真聖全四・二八五頁)、「法然聖人御説法事」(『指南抄』上末・真聖全四・一二二頁)
  2. 僧叡『選択集義疏』本(四〇丁)
  3. 『散善義』就行立信釈(真聖全一・五三八頁)、『定善義』三縁釈(真聖全一・五二一頁)、『玄義分』六字釈(真聖全一・四五七頁)
  4. 『選択集』広本延書本(法然全・三六〇頁)、「大経釈」(『漢語灯』一・真聖全四・二八七頁)
  5. 『玄義分』別時意会通、六字釈(真聖全一・四五七頁)
  6. 僧叡『選択集義疏』本(四二丁)
  7. 『教行証文類』「行文類」(真聖全二・二二頁)
  8. 『浄土文類聚鈔』(真聖全二・四四四頁)
  9. 『正像未和讃』(真聖全二・五二〇頁)
  10. 石田充之『選択集研究序説』(二五五頁)參照
  11. 正行、雑行、正業、助業、専修、雑修について、親鸞は「化身土文類」要門章(真聖全二・一五五頁)等において複雑な釈を行い、要門自力の行相を詳釈されている。 「夫雑行雑修其言一而其意惟異、……復就雑行 有専行有専心、復有雑行有雑心、専行者専修一善故曰専行、専心者、専回向故曰専心、雑行雑心者、諸善兼行故曰雑行、定散心雑故曰雑心也。 亦就正助有専修有雑修、就此雑修、有専心有雑心、就専修有二種、一者唯称仏名、二者有五専、就此行業有専心有雑心……専修其言一而其意惟異、即是定専修、復散専修也、専心者専五正行而無二心故曰専心、即是定専心、復是散専心也、雑修者、助正兼行故曰雑修、雑心者定散心雑故曰雑心也応知。」といい、自力の行として雑行の中に雑行雑心、雑行専心、専行雑心を、正行の中に専修専心、専修雑心、雑修雑心をあげられている。また覚明房長西の『専雑二修義』(石橋誡道『九品寺流長西教義の研究』所収一九六頁以下)によれば、正雑二行は所修の法体について名を立てたのであり、専雑二修は行人について名を立てたもので、正行にも専雑二修があり、雑行にも専雑二修があるとみている。その専修の行相において、三心、五念は所専、所修の法体、四修は能専、能修の相貌とみている。すなわち三心を具して五念を修する正行念仏を、四修をもって策励するものは正行専修であり、三心をもって諸行を修する雑行のものも、四修をもって策励すれば雑行専修である。又三毒七支の不善で正行念仏を修すれば正行雑修であり、三毒七支の不善で雑行諸行を修すれば雑行雑修というとされている。これについては石橋誡道『九品寺流長西教義の研究』(七一頁)、石田充之『選択集研究序説』(二五七頁)參照。
  12. 「大経釈」(『漢語灯』一・真聖全四・二九〇頁)
  13. 「『選択集』広本延書本(法然全・三六三頁)
  14. 『本論』第二篇第一章第二節(一七二頁)參照。