親鸞浄土教の救済の現実的意義 ―一遍教学との比較研究―
提供: 本願力
親鸞浄土教の救済の現実的意義
ー一遍教学との比較研究ー
( The Actual Significance of Salvation in Shinran's Pure Land Buddhism: A Comparison with Ippen Teaching)
相愛女子短期大学 紅楳英顕
(大阪私立短期大学協会研究報告集・第41集。H、16,10)
はじめに
親鸞(一一七三ー一二六二)と一遍(一二三九ー一二八九)は日本の浄土教において、現世からの救済を説いた双璧といえるであろう。 親鸞は
- 真実信心うるひとは すなはち定聚のかずにいる 不退のくらいにいりぬれば かならず滅度にいたらしむ
- (『浄土讃』、真聖全二の四九三)
等と述べ、信心決定による現生正定聚を主張し、一遍は
- 十劫に正覚す衆生界、一念に往生す彌陀の国、十と一とは不二にして無生を証し
- (「十一不二」頌、『一遍聖絵第一』、大日本仏全六九の一一七)
等と述べて念仏の一念による現世往生を主張して、共に現世からの救済を強調しているのである。 このように現世からの救済を強調する両者であるが、その主張内容には、諸処にかなりの相違があるのである。以下、信心と念仏、往生、臨終来迎、師弟観・家族観についての両者の相違点を窺うことにより、親鸞における現世の救済の内容を明らかにし、その意義を考察したいと思う。
一、信心と念仏
周知のように、親鸞は信心正因を主張し、信心決定のとき、往生が決定するとした。念仏はそれによって、往生が決定するのではなく、信心決定(往生決定)後の報恩行としたのである。そして念仏を要門(万行随一)、真門(万行出過)、弘願(他力)の三つに分け、要門念仏・真門念仏を自力念仏(方便)、弘願念仏を他力回向の他力念仏(真実)としたのである。この様に親鸞においては、信心と念仏は完全に区別がなされているのである[1]。
これに対して一遍においては三十六歳の時、それによって他力念仏の本意を悟った(熊野成道)といわれる熊野証誠殿での熊野権現の夢告に
- 融通念仏すすむる聖、いかに念仏をばあしくすすめらるるぞ、御房のすすめによりて一切衆生はじめて往生すべきにあらず。阿弥陀仏の十劫正覚に、一切衆生の往生は南無阿弥陀仏と決定するところ也。信不信をえらばず、淨不淨をきらはず、その札をくはるべし。(『一遍聖絵第三』、大日本仏全同一二二)。
とある。一遍は他者に念仏をすすめ往生決定の証拠として念仏札を配る賦算をしたのであるが、阿弥陀仏の十劫正覚に、一切衆生の往生は決定しているのであるから、往生は信不信は関係ないと述べているのである。また
- 何ともかともあてがひはからずして、本願に任かせて念仏したまふべし。念仏は安心して申も、安心せずして申も、他力超世の本願にたがふことなし。(『一遍上人語録』、日本思想大系十の三〇六)。
- 決定といふは名号なり。わが身わが心は不定なり。このゆへに身は無常遷流の形なれば、念々生滅す。心は妄念なれば虚妄なり。たのむべからず。(『播州法語集』同上、三五二)。
- 名号は、信ずるも信ぜざるも、唱ふれば他力不思議の力にて往生す。(同上、三五三)。
- 決定往生の信たたずとて、人毎になげくは、いはれなき事なり。凡夫の心には決定なし、決定は名号なり。しかれば決定の信たたず共、口に任せて称名せば往生すべきなり。(同上、三五六)。
等とあるように、凡夫の心には決定往生の信はおこりえないとして、信心決定を不必要と考えているのであり、信心を重視した親鸞とは明らかな相異がみられる。また
- 極楽にまいらむとおもふこころにて南無阿弥陀仏というそ三心(『一遍聖絵第九』、大日本仏全同上一四六)
- 三心というは名号なり。このゆへに、「至心信楽、欲生我国」を称我名号と釈せり。故に称名するほかに、三心はなきものなり。(『播州法語集』同上、三五三)。
等と述べているところから、念仏と信心とを別の者として区別していないように考えられる。このことは二祖他阿真教が
- 信心決定とまうすは本願名号に落居する一念なり。されば此信心の人ひとへに本願をあふぎ、機の徳をもたざるのあひだ。称名の一行より外に心のをもむきなければ、信心の人と称名の人ともいかでかわけ候べき。もし称名と信心をわけば。安心起行二途になりて、千中無一の行者たるべし。(『他阿上人法語巻六』、大日本仏全六七の一三四)
と述べて、信心と称名(念仏)を同一のものと述べていることからも明らかであろう。
前述のように親鸞は信心を強調し、信心決定する時往生決定し、現世で正定聚に住することを述べたのである。そして親鸞は念仏についても自力(方便)他力(真実)とを峻別して、真実信心具足の念仏を他力念仏としたのである。これに対して一遍においては信心決定はとくに必要ではないのであり、称名することが信心であり、称名の他に信心があるのではないとしているようである。この立場であれば、念仏の中にさらに自力・他力の分別はないであろう。このことは一遍聖絵第四(大日本仏全同一二四)で一遍から念仏をうけた武士が一遍をこの僧は日本一の狂惑惑ものといいながら、念仏には狂惑なしといっていることも、念仏はすべて真実であるとみているものと思われる。
二、往生
親鸞の往生についての見解は真実報土往生の難思議往生、方便化土往生の双樹林下往生と難思往生とがある。それから本願成就文の「即得往生」を現世往生とする意見があるが、これはあくまでも現生正定聚の意と釈すべきであり、現世往生を述べるものではない[2]。 これに対して一遍は上述の十一不二頌にあるように念仏の一念の往生を主張する。またこれについて
- 往生は初一念なり、最初一念といふも、なお機に付いていふなり。南無阿弥陀仏は本より往生なり。往生というは無生なり。此法にあへる所をしばらく一念とはいふなり。三世裁断の名号に帰入しぬれば、無始無終の往生なり。臨終平生と分別するも、妄分の機に付いていふなり。南無阿弥陀仏には、臨終なし、平生なし。(『播州法話集』日本思想大系同三五八頁)。
とあるように最初の念仏の一念で往生するのであり、往生は無生であり、臨終平生の分別はないと述べている。また
- 他力称名の行者は、此身はしばらく穢土に有といへども、心はすでに往生を遂げて浄土にあり、此旨面々にふかく信ぜらるべしと云々。(『一遍上人語録』、日本思想大系同三三一頁)。
と親鸞の「超世の悲願ききしより われらは生死の凡夫かは 有漏の穢身はかはらねど こころは浄土にあそぶなり」(『帖外和讃』)[3]と内容は相違しているが似たような言葉がある[4]。これも平生往生の主張とみるべきであろう。そして
- 六字の中、本生死なし、一声の間、即ち無生を証る。(『一遍上人語録』、日本思想大系同三一一頁)。
とも述べている。ここでは現世往生のみならず、現世成仏の主張がみられる。
上述のように親鸞は現生正定聚を主張して、現世からの救済を強調したのではあるが
- 凡夫といふは、无明煩悩われらがみにみちみちて、よくもおほく、いかりはらだち、そねみねたむこころおほくひまなくして、臨終の一念にいたるまで、とどまらずきえずたえず(『一念多念文意』真聖全二の六一八)
等とあるように、現世においてはあくまでも、煩悩具足であることを述べたのである。往生を現世としないにであるから、当然のことながら
- 凡地にしてはさとられず 安養にいたりて証すべし(『浄土和讃』諸経讃、真聖全二の四九七)
とあるように、現世成仏を否定したのが親鸞であった。
三、臨終来迎
- 来迎は諸行往生にあり、自力の行者なるがゆへに、臨終といふことは諸行往生のひとにいふべし、いまだ真実の信心をえざるがゆへなり。(中略)真実信心の行人は摂取不捨のゆへに正定聚のくらいに住す。このゆへに臨終まつことなし、来迎たのむことなし、信心のさだまるとき往生またさだまるなり(『末灯鈔』一、真聖全二の六五六)
とあるように、四十八願中の第十九願に誓われ浄土教の祖師においても大変重視された臨終来迎を否定したのである。これは親鸞独自の釈顕である願海真仮の釈に関連するものではあるが、「臨終まつことなし、来迎たのむことなし、信心のさだまるとき往生またさだまるなり」とあるように、往生の定まるのは臨終の時ではなく、平生の信心決定の時であることを強調しているのである。これは親鸞自身の救済体験による確固たる確信であることに他ならない。
臨終来迎について一遍は
- 厭離穢土欣求浄土の志深くして。息たえ命をはらむをよろこび。聖衆の来迎を期して彌陀の名号をとなへ。臨終命断のきざみ。無生法忍にはかなふべきなり。(一遍聖絵第七、大日本仏全同一四一)。
- 南無阿弥陀仏ととなへて、わが心のなくなるを、臨終正念といふ。此時、仏の来迎に預て極楽に往生するを、念仏往生といふなり。(『一遍上人語録』、日本思想大系同三〇四頁)。
等と述べているように、前述のように平生において往生成仏を主張しているようにあり、現世において確固たる往生成仏の体得を述べているようにもあるが、他面、臨終来迎に預かることを語り、それによって無生法忍にかなうことを述べているのである。
この点の相違を検討することは救済の現実的意義を考察する上で大変重要なことであると思われる。
親鸞は上述のように、信心決定のところで正定聚不退の位に入り、往生と同時に成仏(滅度)することを主張するのである。そして臨終来迎を否定する。この臨終来迎を否定するということは、信心獲得の平生においてすでに救済をえたという大きな確信から生まれたものと考えられる。この点一遍は現世の救済を強調しながら臨終来迎に預かることを語ることはどう考えるべきであろうか。さらに
- 唯仏智よりはからひてあてられたる南無阿弥陀仏ばかり所詮たるべしとおもひさだめて、名号を唱へ、息たえ命終る。これを臨終正念往生極楽といふなり。(一遍上人語録、日本思想大系同三〇三頁)。
- 只今の称名のほかに臨終あるべからず。唯なむあみだ仏ととなえて、命終するを期とすべし。(『一遍上人語録』、日本思想大系同三〇七頁)。
等とあるように命終の時まで念仏を称え続けるべきことが述べられているのである。最後の時まで称え続けなければならないとすると最後まで不安が残るような様気がするのである。これに関して弟子であり第二祖である真教(他阿)の語録には
- ほとけの本願のちから名号不思議の行体をもて善悪の凡夫必往生ををとぐべしといふ理り。まうし談ぜしとこそおぼえさふらふ。往生は臨終の一念に名号をとなへて。永く娑婆の旧業をつくし。不退の浄土に生ずべし。(『他阿上人法語集』 第四、大日本仏全六七の九〇)
- この三性は仏法をさへたる業なれども。臨終称名のこえにそのつみ滅して往生をとぐるのあひだ。是を超世の本願名号の不思議とはなづけたるなり。これらの疑心ははれさせ給ひてさふらふとも。念仏なくしては往生不可なるべし。(同上一〇六)
とある。これは真教(他阿)の語録であるので一遍自身のものではないが、弟子であるから一遍の思想と考えて差し支えないであろう。これによるとやはり臨終の一念の念仏で往生するのであり、それがなければ往生はできないと述べられているのである。これならば最後(臨終の一念)まで安心はできないことになるのではなかろうか。
親鸞は現生正定聚を主張して臨終来迎を否定した。一遍は現世の往生成仏は述べながら、臨終来迎に預かるべきことを述べ、臨終一念の念仏を説いた。最後に来迎に預かるのであれば、どうしても最後まで不安が残るのではなかろうか。
四、師弟観
親鸞は
- 親鸞は弟子一人ももたずさふらう。そのゆへは、わがはからひにて、ひとに念仏をまふさせさふらはばこそ、弟子にてもさふらはめ、彌陀の御もよほしにあづかつて念仏まふしさふらうひとを、わが弟子とまふすこと、極めたる荒涼のことなり。 (『歎異抄』第六、真聖全二の七七六)
と述べている。実際には約八十人程の弟子がいたと考えられるのであるが、自分には一人の弟子もいない。皆仏の弟子であると述べているのである。
これに対して一遍は
- 南無阿弥陀仏 一遍弟子 当信用十二道具心(一遍聖絵第十、大日本仏全六九の一五三)
- わが門弟子におきては、葬礼の儀式はととのふべからず。野に捨て獣にほどこすべし。[5] ( 一遍上人語録、日本思想大系同三九四頁 )
とあるように、弟子という語を使い「弟子一人ももたず」と師弟の立場を否定した親鸞とは異なるものである。
五、家族観
親鸞は
- 行者宿報設女犯、我成玉女身被犯、一生之間能荘厳、臨終引導生極楽。(真聖全三の六四〇)
とある「六角夢想」、また法然の
- 現世のすぐべき様は念仏の申されんようにすぐべし。念仏のさまたげになりぬべくば、なになりともよろずをいといすてゝ、これをとどむべし。いはく、ひじりで申されずばめをもうけて申すべし。妻をもうけて申されずば、ひじりにて申すべし。(中略)衣食住の三は念仏の助業なり。(『和語灯録』五、諸人伝説の詞、真聖全四の六八三)
等とある言葉により、公然と肉食妻帯の生活をし、家族と一緒の生活をしたのである。
一遍は十才の時、母の死により出家し、二十五才の時父の死により帰郷して家督を継ぎ妻帯して子も儲けた。そして三十六才で再出家したのである。そして家族を棄てた生活をした。家族について一遍は
- 念仏の機に三品あり。上根は、妻子を帯し家にありながら、著せずして往生す。中根は、妻子をすつといへども、住所と衣食とを帯し、著せずして往生す。下根は、万事を捨離して往生す。我等は下根の者なれば、一切をすてずば、さだめて臨終に諸事に著して、往生を損すべきものなり。(『播州法話集』日本思想大系同三五五頁)。
と述べて、我等下根の者は妻子は勿論のこと住所衣食の一切を捨てなければ、臨終に執着し往生は出来ないと述べているのである。この点は明らかに親鸞と立場をことにしているのである。また
- 衣食住の三は三悪道なり。衣装を求めかざるは畜生道の業なり。食物を貪求するは餓鬼道の業なり。住所をかまへるは地獄道の業なり。しかれば、三悪道をはなれんと欲せば、衣食住の三つをはなるべきなり。(『播州法話集』日本思想大系同三七五頁)。
とも述べているのである。上述の『和語灯録』五の言葉のように、肉食妻帯をせず一生ひじりで過ごした法然も「衣食住の三は念仏の助業なり」と述べているのであり、「三悪道をはなれんと欲せば、衣食住の三つをはなるべきなり」という一遍はまさに捨て聖といわれる面目躍如というべきであろう。だがそれほど執着を離れないことには往生はできないと考えていたのであろう。肉食妻帯をし家族と生活をしているままでは往生はできないという考えであったのであろう
むすび
以上親鸞浄土教の救済の現実的意義を明ににするために、親鸞と同様に現世からの救済を強調する一遍の教学を窺い比較検討した。
親鸞は現世での往生および成仏は否定し、あくまで現生正定聚を主張した。これに対し一遍は「十一不二頌」に示されるように、現世における往生成仏を主張しているのである。この点に限れば一遍の方がより強く現世からの救済を主張しているかにみえる。
しかし親鸞が「臨終まつことなし、来迎たのむことなし、信心のさだまるとき往生またさだまるなり」(『末灯鈔』一、真聖全二の六五六)と信心さだまるとき往生さだまると断言し臨終来迎は最早往生には一切関係無しと断じたのである。一遍は平生往生平生成仏を語る面はあるのであるが臨終来迎にかかわる面を残し、往生のための念仏を臨終時まですすめているのである。これでは最後まで往生についての不安が残ることになるのではなかろうか。
上に論じたように親鸞においては信心と念仏が区別され念仏の中にも自力(真門)他力(弘願)の分別がなされ、信心決定が重視されそのとき往生が決定するとしているのであるが、一遍においては念仏即信心であり、臨終の時まで往生のための念仏をすすめるものと窺える。親鸞が
- 彌陀仏の本願を憶念すれば 自然に即の時に必定にいる 唯能く常に如来の号を称して 大悲弘誓の恩を報ずべしといへり。(『正信偈』真聖全二の四四)。
と述べる信心決定(往生決定)後の報恩念仏(称名報恩)の主張は往生決定(往生一定)確固たる確信の上において生まれたものなのである。一遍は上述のように「念仏は安心して申も、安心せずして申も、他力超世の本願にたがふことなし」(『一遍上人語録』、日本思想大系十の三〇六)。「名号は、信ずるも信ぜざるも、唱ふれば他力不思議の力にて往生す」(『播州法話集』同三五三)。「決定往生の信たたずとて、人毎になげくは、いはれなき事なり。凡夫の心には決定なし、決定は名号なり。しかれば決定の信たたず共、口に任せて称名せば往生すべきなり」(同三五六)等と述べているように、安心決定、信心決定の自覚は否定されており、それに関係なく念仏(往生ののための念仏)すべきことが説かれているのである。因みに一遍においては称名報恩の主張はみられない。一遍の主張に「踊り念仏」があるがこれも確固たる救われたよろこびの念仏ではなく、往生のための念仏と考えるべきであろう。
師弟観、家族観においても両者相違は明確である。これは非僧非俗の立場をとった親鸞と捨て聖に徹した一遍との違いであろう。みずからが極めて重視した信心が如来よりたまっわったものあ他者のの信心も同様に如来よりたまわるものであるという徹底した他力の立場から「弟子一人ももたず」と述べ、またその信心による往生決定の絶対安堵の境地は、一遍の捨てた「俗塵ににまじはりて恩愛をかへり見」(一遍聖絵第一、大日本仏全同一一六)る、家族と一緒の煩悩に煩わされる中の現実生活においても些かも崩れることのないものであったのである。
註
- ↑ 真宗教学において信(信心)行(念仏)不二という場合があるが、これは信のうえでいう言葉である。信心も念仏も共にその体は名号であるという意味でいうのである。
- ↑ 「親鸞における往生の問題についての私見」(中西智海先生還暦記念論文集『親鸞の仏教』、平成六年十二月)。
- ↑ 『真宗聖典』(永田文昌堂刊)五九三頁。
- ↑ 一遍は「此身はしばらく穢土に有といへども、心はすでに往生を遂げて浄土にあり」と述べ、親鸞は「有漏の穢身はかはらねどこころは浄土にあそぶなり」とある。一遍は心はすでに往生を遂げて浄土にあり、と述べているのに対し、親鸞は有漏の穢身は変わらないと述べて、あくまで煩悩具足のままであることを強調し、身は穢土にあることを述べている。 尚、『帖外和讃』は『三帖和讃』に収まってないところから、真偽不明とされるのであるが、この和讃のある「九首和讃」は真作であろうと考えられている。(仏教大辞彙(龍谷大学偏)四の二五六二)。
- ↑ この臨終の言葉は親鸞の「某閉眼せば賀茂河にいれてうほにあたふべし」(『改邪鈔』、真聖全三の八一)とあるものに類似している。。また一遍は教信沙彌を慕っていた。(『一遍聖絵第九』、大日本仏全六九の一四八)。これも親鸞と共通している。