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西方指南抄/上本

提供: 本願力

2012年3月30日 (金) 06:11時点における林遊 (トーク | 投稿記録)による版

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真宗高田派で伝時されてきた、親鸞聖人筆(国宝)の法語集。親鸞聖人が師匠である法然聖人の法語・消息・行状記などを、収集した書物。奥書より康元元(1256)年~康元二(1257)年頃(84~85歳)書写されたものと思われる。テキストは、ネット上の「大藏經テキストデータベース」を利用し、『真宗聖教全書』に依ってページ番号を付した。これによってページ単位でもリンクも可能である。
読む利便を考えカタカナをひらがなに、旧字体を新字体に変換した。また、適宜改行を付した。各サブタイトルは『昭和新修 法然聖人全集』などを参考に適宜、私に於いて付した。
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西方指南抄本 上本

法然聖人御説法事


第十七日 三尺立像阿弥陀『双巻経』・『阿弥陀経』

仏身

経証の中に、仏の功徳をとけるに、無量の身あり、あるいは総じて一身をとき、あるいは二身をとき、あるいは半三身をとき、乃至『華厳経』には、十身の功徳をとけり。

いま且(しばらく)真身・化身の二身をもて、弥陀如来の功徳を讃嘆したてまつらむ。
この真化二身をわかつこと、『双巻経』の三輩の文の中にみえたり。
まづ真身といふは、真実の身なり、弥陀如来の因位のとき、世自在王仏のみもとにして、四十八願をおこして、のち兆載永劫のあひだ、布施・持戒・忍辱・精進等の六度万行を修して、あらはしたまえるところは、修因感果の身なり。

『観経』にときていはく、「その身量六十万億那由他恒河沙由旬なり。 眉間の白毫右にめぐりて、五須弥山のごとしと。一須弥山のたかさ、出海・入海おのおの八万四千那由多なり。また青蓮慈悲の御まなこは、四大海水のごとくして清白分明なり、身のもろもろの毛孔より、光明をはなちたまふこと、須弥山のごとし。うなじにめぐれる円光は、百億の三千大千世界のごとし。 かくのごとくして、八万四千の相まします、一一の相に、おのおの八万四千の好あり、一一の好に、また八万四千の光明まします。その一一の光明、あまねく十方世界の念仏の衆生を摂取してすてたまはず。 御身のいろは、夜摩天の閻浮檀金のいろのごとし」といへり。
これ弥陀一仏にかぎらす、一切諸仏は、みな黄金のいろなり、もろもろのいろの中には、白色をもて本とすとまふせば、仏の御いろも、白色なるべしといゑども、そのいろなほ損するいろなり。
ただ黄金のみあて不変のいろなり、このゆへに、十方三世の一切の諸仏、みな常住不変の相をあらわさむがために、黄金のいろを現したまへるなり、これ『観仏三昧経』のこころなり。
ただし、真言宗の中に五種の法あり、その本尊の身色、法にしたがふて各別なり、しかれども、暫時方便の化身なり、仏の本色にはあらず。このゆへに、仏像をつくるにも、白檀綵色(さい:彩色)なんども、功徳をえざるにあらずといへども、金色につくりつれば、すなわち決定往生の業因なり。
即生の功徳、略を存するにかくのごとし「、即生乃至三生に必得往生」といへり。これ弥陀如来真身の功徳、略を存ずるにかくのごとし。

次に化身といふは、無而欻有(むにこつう:無而忽有)を化といふ、すなわち機にしたがふときに応じて身量を現ずること、大小不同なり、『経』(観経)に、「あるいは大身を現して虚空にみつ、あるいは小身を現して丈六八尺」といへり。
化身につきて多種あり。まづ円光の化仏(者)、『経』(観経)にいはく、「円光のなかにおいて、百万億那由他恒河沙の化仏まします、一一の化仏に、衆多無数の化菩薩をて侍者とせり」といへり。
つぎに摂取不捨の化仏、「光明遍照十方世界念仏衆生摂取不捨」といふは、この真仏の摂取なり、このほかに化仏の摂取あり。三十六万億の化仏おのおの、真仏とともに、十方世界の念仏衆生を摂取したまふといへり。

次に来迎引接の化仏、九品の来迎に、おのおの化仏まします、品にしたがふて多少あり。上品上生の来迎には、真仏のほかに、無数の化仏まします。上品中生には、千の化仏まします、上品下生には、五百の化仏まします。乃至かくのごとく次第におとりて、下品上生には、真仏は来迎したまはず、ただ化仏と化観音勢至とをつかはす。その化仏の身量、あるいは丈六、あるいは八尺なり。化菩薩の身量も、それにしたがふて、下品中生は、「天華の上に化仏菩薩ましまして、来迎したまふと」いへり。下品下生は、「命終してのち、金蓮華をみる、猶如日輪住其人前」といへり。文のごとくは、化仏の来迎もなきやうにみえたれども、善導の御心は、『観経の疏』の十一門の義によらば、第九門に、命終のとき、聖衆の迎接したまふ不同、去時の遅疾をあかすといへり。
また、いまこの十一門の義は、九品の文に約対せり。一一の品のなかに、みなこの十一ありといへり。しかれば、下品下生にも来迎あるべきなり、しかるを、五逆の罪人そのつみおもきによりて、まさしく化仏菩薩をみることあたはず、ただわか座すへきところの金蓮華ばかりをみるなり、あるいはまた、文に隠顕あるなり。

次にまた十方の行者の本尊のために、小身を現したまへる化仏あり、天竺の鶏頭摩寺(けいずまじ)の五通の菩薩、神足通をして極楽世界にまうでて、仏にまふしてまうさく、娑婆世界の衆生、往生の行を修せむとするに、その本尊なし、仏ねがわくは、ために身相を現じたまへと、仏すなわち菩薩の請におもむきて、樹の上に化仏五十体を現じたまへり。
菩薩すなわちこれをうつして、よにひろめたり、鶏題摩寺の五通の菩薩の曼陀羅といへる、すなわちこれなり。
また智光の曼陀羅とて、世問に流布したる本尊あり、その因縁は、人つねにしりたる事なり、つぶさにまふすべからす、『日本往生伝』をみるべし。また新生の菩薩を教化し説法せむがために、化して小身を現じたまへることまします。これはこれ弥陀如来の化身の功徳、また略してかくのごとし。

いまこの造立せられたまへる仏は、祇薗精舎の風(ふ)をつたへて、三尺の立像をうつし、最後終焉のゆふべを期して、来迎引接につくれり。おほよそ仏像を造画するに、種種の相あり。あるいは説法講堂の像あり、あるいは池水沐浴の像あり、あるいは菩提樹下成等正覚の像あり、あるいは光明遍照摂取不捨の像あり。かくのごときの形像を、もしはつくりもしは画したてまつる、みな往生の業なれども、来迎引接の形像は、なほその便宜をえたるなり。
かの尽虚空界の荘厳をみ、転妙法輪の音声をきき、七宝講堂のみぎりにのぞみ、八功徳池のはまにあそび、おほよそかくのごとく、種種微妙の依正二報をまのあたり視聴せむことは、まづ終焉のゆふべに、聖衆の来迎にあづかりて、決定してかのくにに往生してのうえのことに候也。しかれはふかく往生極楽のこころざしあらむ人は、来迎引接の形像をつくりたてまつりて、すなわち来迎引接の誓願をあおぐべきものなり。

来迎

その来迎引接の願といふは、すなわちこの四十八願の中の第十九の願なり。
人師これを釈するに、おほくの義あり、まづ臨終正念のために来迎したまへり、おもはく[1]、病苦みをせめてまさしく死せむとするときには、かならず境界・自体・当生の三種の愛心をおこすなり。しかるに阿弥陀如来、大光明をはなちて行者のまへに現じたまふとき、未曾有の事なるがゆへに、帰敬の心のほかに他念なくして、三種の愛心をほろぼして、さらにおこることなし。

かつはまた仏、行者にちかづきたまひて、加持護念したまふがゆへなり、『称讃浄土経』に、「慈悲加祐してこころをしてみだらざらしむ、すてに命をすておはりて、すなわち往生をえ、不退転に住す」といへり。
『阿弥陀経』に、「阿弥陀仏もろもろの聖衆とそのまへに現ぜむ、この人おわらむとき、心顛倒せずして、すなわち阿弥陀仏国土に往生をえむ」ととけり。令心不乱と心不顛倒とは、すなわち正念に住せしむる義なり。
しかれば臨終正念なるがゆへに来迎したまふにはあらず、来迎したまふがゆへに臨終正念なりといふ義、あきらかなり。在生のあひだ往生の行成就せむひとは、臨終にかならず聖衆来迎をうべし。来迎をうるとき、たちまちに正念に住すべしといふこころなり。
しかるにいまのときの行者、おほくこのむねをわきまえずして、ひとへに尋常の行においては怯弱生して、はるかに臨終のときを期して、正念をいのる、もとも僻韻なり。

しかればよくよくこのむねをこころえて、尋常の行業において怯弱のこころをおこさずして、臨終正念において決定のおもひをなすべきなり、これはこれ至要の義なり、きかむ人こころをとどむへし。この臨終正念のために来迎すといふ義は、静慮院の静照法橋の釈なり。

次に道の先達のために来迎したまふといへり、あるいは『往生伝』に、沙門志法か遺書にいはく
 我在生死海 幸値聖船筏
 我所顕真聖 来迎卑穢質
 若忻求浄土 必造画形像
 臨終現其前 示道路摂心
 念念罪漸尽 随業生九品
 其所顕聖衆 先讃新生輩
 仏道楽増進 云云
これすなわち、この界にして造画するところの形像、先達となりて浄土におくりたまふ証拠なり。
また『薬師経』をみるに、浄土をねがふともがら、行業いまださたまらずして、往生のみちにまどふことあり。
すなわち文(玄奘訳)にいはく、「よく受持すること八分斎戒をあらむ、あるいは一年をへ、あるいはまた三月受持せむ。まなぶところこの善根をもて、西方極楽世界無量寿仏のみもとにむまれむと願して、正法を聴聞すれども、いまださだまらざるもの、もし世尊薬師琉璃光如来の名号をきかむ。命終のときにのぞみて、八菩薩あて神通に乗してきたりて、その道路をしめさむ、すなわちかの界にして、種種の雑色衆宝華の中に、自然に化生す」[1]といへり。
もしかの八菩薩その道路をしめさずは、ひとり往生することえがたきにや。これをもておもふにも、弥陀如来もろもろの聖衆とともに、行者のまへに現じて、きたりて迎接したまふも、みちびきて道路をしめしたまはむがためなりといふ義、まことにいはれたることなり。
娑婆世界のならひも、みちをゆくには、かならず先達といふものを具する事なり、これによて、御廟の僧正は、かの来迎の願をば、現前導生の願となづけたまへり。

次に対治魔事のために来迎すとふ義あり、道さかりなれば魔さかりなりとまふして、仏道修行するには、かならず魔の障難のあひそふなり。
真言宗の中には、誓心決定すれは魔宮振動すといへり、天台止観の中には、四種三昧を修行するに、十種の境界おこる中に、魔事境来といへり。また菩薩三祇百劫の行すでになりて、正覚をとなふるときも、第六天の魔王きたりて、種種に障礙せり。
いかにいはむや凡夫具縛の行者、たとひ往生の行業を修すといふとも、魔の障難を対治せすば、往生の素懐をとげむことかたし。しかるに阿弥陀如来、無数の化仏菩薩聖衆に囲繞せられて、光明赫奕として行者のまへに現じたまふときには、魔王もここにちかずきこれを障礙することあたはず。
しかればすなわち、来迎引接は魔障を対治せむがためなり、来迎の義、略を存するにかくのごとし。これらの義につきておもひ候にも、おなじく仏像をつくらむには、来迎の像をつくるべきとおぼえ候なり、仏の功徳大概かくのごとし。

浄土三部経

次に三部経は、いま三部経となづくることは、はじめてまふすにあらず、その証これおほし。いはく、大日の三部経は、『大日経』・『金剛頂経』・『蘇悉地経等』これなり。弥勒の三部経、『上生経』・『下生経』・『成仏経』等これなり。鎮護国家の三部経は、『法華経』・『仁王経』・『金光明経』等これなり。法華の三部経、『無量義経』・『法華経』・『普賢経』等これなり。
これすなわち三部経となづくる証拠なり。いまこの弥陀の三部経は、ある人師のいはく、「浄土の教に三部あり、いはく、『双巻無量寿経』・『観無量寿経』・『阿弥陀経』等これなり。」
これによて、いま浄土の三部経となづくるなり、あるいはまた弥陀の三部経ともなづく、またある師(窺基(きき)小経疏)のいはく、「かの三部経に『鼓音声経』をくわえて、四部となつく」といへり。
おほよそ諸経の中に、あるいは往生浄土の法をとくあり、あるいはとかぬ経あり、『華厳経』にはこれをとけり、すなわち『四十華厳』の中の普賢の十願これなり、『大般若経』の中にすべてこれをとかず。
『法華経』の中にこれをとけり、すなわち薬王品の「即往安楽世界」の文これなり、『涅槃経』にはこれをとかず、また真言宗の中には、『大日経』・『金剛頂経』に、蓮華部にこれとくいゑども、大日の分身なり、別(わき)てとけるにはあらず。
もろもろの小乗経には、すべて浄土をとかず。しかるに往生浄土をとくことは、この三部経にはしかず、かるかゆへに浄土の一宗には、この三部経をもてその所縁とせり。

浄土宗名

またこの浄土の法門において宗の名をたつること、はじめてまふすにあらず、その証拠これおほし。少少これをいださは、元暁の『遊心安楽道』に、「浄土宗の意ろ本爲凡夫兼爲聖人也」といへる、その証なり。かの元暁は華厳宗の祖師なり。
慈恩の『西方要決』に、「依此一宗」といえるなり。またその証なり。
かの慈恩は法相宗の祖師なり、迦才の『浄土論』には、「此一宗窃要路たり」といへる、またその証なり。善導『観経の疏』に「真宗叵遇」といへる、またその証なり。かの迦才・善導は、ともにこの浄土一宗をもはらに信ずる人なり。

自宗・他宗の釈すでにかくのごとし、しかのみならず、宗の名をたつることは、天台・法相等の諸宗みな師資相承による、しかるに浄土宗に師資相承血脈次第あり。
いはく菩提流支三蔵・恵寵法師・道場法師・曇鸞法師・法上法師・道綽禅師・善導禅師・懐感禅師・小康法師等なり、菩提流支より法上にいたるまでは、道綽の『安楽集』にいだせり、自他宗の人師すでに浄土一宗となづけたり。浄土宗の祖師また次第に相承せり。
これによて、いま相伝して浄土宗となづくるものなり、しかるを、このむねをしらざるともがらは、むかしよりいまだ八宗のほかに浄土宗といふことをきかずと、難破することも候へば、いささかまふしひらき候なり。

おほよそ諸宗の法門、浅深あり広狭あり。すなわち真言・天台等の諸大乗宗は、ひろくしてふかし、倶舎・成実等の小乗宗は、ひろくしてあさし。この浄土宗は、せばくしてあさし。
しかれば、かの諸宗は、いまのときにおいて機と教と相応せず。教はふかし機はあさし、教はひろくして機はせばきがゆへなり。たとへ韻たかくしては和することすくなきがごとし。
またちゐさき器に大なるものをいるるかごとし。ただこの浄土の一宗のみ機と教と相応せる法門なり。かるがゆへに、これを修せばかならす成就すべきなり。しかればすなわち、かの不相応の教においては、いたはしく身心をついやすことなかれ。ただこの相応の法に帰して、すみやかに生死をいづへきなり。今日講讃せられたまへるところは、この三部の中の『双巻無量寿経』と『阿弥陀経』となり。

大経

まづ『無量寿経』には、はじめに弥陀如来の因位の本願をとく、次にはかの仏の果位の二報荘厳をとけり。しかればこの経には、阿弥陀仏の修因感果の功徳をとくなり 乃至 一一の本誓悲願、一一の願成就の文にあきらかなり。つぶさに釈するにいとまあらす。

その中に衆生往生の因果をとくといふは、すなわち念仏往生の願成就の「諸有衆生聞其名号」の文、および三輩の文これなり。もし善導の御こころによらば、この三輩の業因について、正・雑の二行をたてたまへり。正行についてまた二あり。正定・助業なり。三輩ともに一向専念といへる、すなわち正定業なり、かの仏の本願に順するかゆへに。またそのほかに助業あり雑行あり 乃至 おほよそこの三輩の中に、おのおの菩提心等の余善をとくといゑども、上の本願をのぞむには、もはら弥陀の名号を称念せしむるにあり。
かるがゆへに一向専念といへり。上の本願といふは、四十八願の中の第十八の念仏往生の願をさすなり。一向のことば、二三向に対する義なり、もし念仏のほかに、ならべて余善を修せば、一向の義にそむくべきなり。往生をもとめむ人は、もはらこの経によて、かならずこのむねをこころうべきなり。

小経

次に『阿弥陀経』は、はじめには極楽世界の依・正二報をとく。
次には一日・七日の念仏を修して往生することをとけり。のちには六方諸仏、念仏の一行において証誠護念したまふむねをとけり。すなわちこの経には余行をとかずして、えらびて念仏の一行をとけり 乃至 おほよそ念仏往生は、これ弥陀如来の本願の行なり。教主釈尊選要の法なり、六方諸仏証誠の説なり。余行はしからず、そのむね経の文およひ諸師の釈つぶさなり 乃至

第二七日 弥陀『観経』『同疏』一部。{略}

観経

また経を釈するに仏の功徳もあらはれ、仏を讃ずれは経の功徳もあらわるるなり。
また疏は経のこころを釈したるものなれば、疏を釈せむに経のこころあらはるべし。みなこれおなじものなり、まちまちに釈するにあたはず 乃至

いまこの『観無量寿経』に二のこころあり。はじめには定・散二善を修して往生することをあかし、つぎには名号を称して往生することをあかす。 乃至

『清浄覚経』の信不信の因縁の文をひけり。この文のこころは、「浄土の法門をとくをききて、信向してみのけいよだつものは、過去にもこの法門をききて、いまかさねてきく人なり、いま信するかゆへに、決定して浄土に往生すべし。

またきけどもきかざるがことくにて、すべて信ぜぬものは、はじめて三悪道よりきたりて、罪障いまだつきずして、こころに信向なきなり。いま信ぜぬがゆへに、また生死をいづることあるべからず」(安楽集巻上所引平等覚経意)といへるなり、詮ずるところは、往生人のこの法おば信じ候なり。 乃至
天台等のこころは、十三観の上に九品の三輩観をくわへて、十六想観となづく。この定・散二善をわかちて、十三観を定善となづけ、三福九品を散善となづくること、善導一師の御こころなり。 乃至
抑、近来の僧尼を、破戒の僧・破戒尼といふべからず。持戒の人破戒を制することは、正法・像法のときなり、末法には無戒名字の比丘なり。伝教大師『末法灯明記』に云。
「末法の中に持戒の者ありといはば、これ怪異なり、市に虎あらむがごとし、だれかこれを信ずべき」といへり。また(末法灯明記)いはく、「末法の中には、ただ言教のみあて行証なし、もし戒法あらば、破戒あるべし。すてに戒法なし、いつれの戒おか破せむによて破戒あらむ。破戒なほなし、いかにいはむや持戒おや」といへり。
まことに受戒の作法は、中国には持戒の僧十人を請して戒師とす。
辺地には五人を請して戒師として戒おばうくるなり、しかるにこのこころは、持戒の僧一人もとめいださむに、えがたきなり。しかればうけての上にこそ破戒とことばもあれば、末代の近来は破戒なほなし、たた無戒の比丘なりとまふすなり。この経に破戒をとくことは、正像に約してときたまへるなり。
乃至

念仏往生

次に名号を称して往生することをあかすといふは、「仏阿難につげたまはく、なんぢよくこの語をたもて、この語をたもてといふは、すなわちこれ無量寿仏のみなをたもてとなり」(観経)とのたまへり。善導これを釈していはく。
「仏告阿難汝好持是語といふより已下は、まさしく弥陀の名号を付属して、遐代に流通することをあかす。かみよりこのかた、定散・両門の益をとくといゑども、仏の本願をのぞむには、こころ衆生をして一向にもはら弥陀仏のみなを称するにあり」とのたまへり。
おほよそこの経の中には、定散の諸行をとくといゑども、その定散をもては付属したまはず、たた念仏の一行をもて阿難に付属して、未来に流通するなり。遐代に流通すといふは、はるかに法滅の百歳まてをさす。すなわち末法万年ののち、仏法みなて滅して、三宝の名字もきかざらむとき、ただこの念仏の一行のみとどまりて、百歳ましますへしとなり。
しかれは聖道門の法文もみな滅し、十方浄土の往生もまた滅し、上生都(兜)率もまたうせ、諸行往生もみなうせたらむとき、ただこの念仏往生の一門のみとどまりて、そのときも一念にかならず往生すべしといへり。
かるかゆへに、これをさして、とおき世とはいふなり。これすなそち、遠をあげて近を摂するなり。仏の本願をのぞむといふは、弥陀如来の四十八願の中の第十八の願をおしふるなり。
いま教主釈尊、定散二善の諸行をすてて、念仏の一行を付属したまふことも、弥陀の本願の行なるがゆへなり。
一向専念といふは、『双巻経』にとくところの三輩のもんの中の、一向専念をおしふるなり、一向のことば、余をすつることはなり。この経には、はじめにひろく定散をとくといゑども、のちには一向に念仏をゑらびて、付属し流通したまへるなり。
しかれは、とおくは弥陀の本願にしたがひ、ちかくは釈尊の付属をうけむとおもはば、一向に念仏の一行を修して往生をもとむへきなり。

おほよそ念仏往生は諸行往生にすぐれたることおほくの義あり。

一には因位の本願なり、いはく、弥陀如来の因位法蔵菩薩のとき、四十八の誓願をおこして、浄土をまふけて、仏にならむと願したまひしとき、衆生往生の行をたてて、えらびさためたまひしに、余行をはえらびすてて、ただ念仏の一行を選定して、往生の行にたてたまへり。
これを選択の願といふことは、『大阿弥陀経』の説なり。

二には光明摂取なり。これは阿弥陀仏、因位の本願を称念して、相好の光明をもて、念仏の衆生を摂取してすてたまはずして、往生せさせたまふなり、余の行者おば摂取したまはす。

三には弥陀みづからのたまはく、「これはこれ跋陀和菩薩、極楽世界にまうでて、いづれの行を修してかこのくにに往生し候べきと、阿弥陀仏にとひたてまつりしかば、仏こたへてのたまはく、わがくにに生ぜむとおもはば、わが名を念して休息することなかれ、すなわち往生することをえてむ」(一巻本般舟三昧経意)とのたまへり。余行おばすすめたまはず。

四には釈迦の付属にいはく、いまこの経に、念仏を付属流通したまへり。
余行おば付属せす。

五には諸仏証誠、これは『阿弥陀経』にときたまへるところなり、釈迦仏えらびて念仏往生のむねをときたまへば、六方の諸仏おのおなじくほめ、おなじくすすめて、広長のみしたをのべて、あまねく三千大千世界におほふて証誠したまへり。
これすなわち一切衆生をして、念仏して往生することは決定してうたがふへからずと、信ぜしめむ料なり。余行おばかくのことく証誠したまはず。

六には法滅の往生、いはく、「万年三宝滅、斯経住百年、爾時聞一念、皆当得生彼」(礼讃)といふて、末法万年ののち、ただ念仏の一行のみとどまりて、往生すべしといへることなり。余行はしからず。
しかのみならず、下品下生の十悪の罪人、臨終のとき、聞経と称仏と二善をならべたりといゑども、化仏来迎してほめたまふに、「汝称仏名故 諸罪消滅、我来迎汝」(観経)とほめて、いまだ聞経の事おばほめたまはず。
また『双巻経』に三輩往生に業をとく中に、菩提および起立塔像等の余の行おもとくといゑども、流通のところにいたりて、「其有得聞 彼仏名号 歓喜踊躍 乃至一念、当知此人 爲得大利、則是具足 無上功徳」とほめて、余行をさして無上功徳とはほめたまはず。念仏往生の旨要をとるに、これにありと。

第三日 阿弥陀仏『双巻経』・『阿弥陀経』

光明功徳

又云、仏の功徳は、百千万劫のあひだ、昼夜にとくとも、きわめつくすべからず。これによて教主釈尊、かの阿弥陀仏の功徳を称揚したまふにも、要の中の要をとりて、略してこの三部妙典をときたまへり。仏すでに略したまへり、当座の愚僧いかがくはしくするにたえむ。ただ善根成就のために、かくのごとく讃嘆したてまつるべし。

阿弥陀如来の内証・外用の功徳、無量なりといゑども、要をとるに、名号の功徳にはしかず。このゆへにかの阿弥陀仏も、ことにわが名号をして衆生を済度し、また釈迦大師も、おほくかのほとけの名号をほめて、未来に流通したまへり。
しかれば、いまその名号について讃嘆したてまつらば、阿弥陀といふは、これ天竺の梵語なり、ここには翻訳して無量寿仏といふ。また無量光といへり。または無辺光仏・無礙光仏・無対光仏・炎王光仏・清浄光仏・歓喜光仏・智慧光仏・不断光仏・難思光仏・無称光仏・超日月光仏といへり。
ここにしりぬ、名号の中に光明と寿命との二の義をそなえたりといふことを。かの仏の功徳の中には、寿命を本とし、光明をすぐれたりとするゆへなり、しかればまた光明・寿命の二の功徳をほめたてまつるべし。
まづ光明の功徳をあかさば、はじめに無量光は、『経』(観経)にのたまはく、「無量寿仏に八万四千の相あり、一一の相のおのおの八万四千の随形好あり。一一の好にまた八万四千の光明あり。一一の光明あまねく十方世界をてらす、念仏の衆生を摂取してすてたまはず」といへり。
恵心これをかむがへていはく、「一一の相の中に、おのおの七百五倶胝六百万の光明を具せり、熾然赫奕たり」(往生要集巻中本)といへり。
一相よりいづるところの光明かくのごとし、いはむや八万四千の相おや。
まことに算数のおよぶところにあらづ、かるがゆへに無量光といふ。つぎに無辺光といふは、かの仏の光明そのかずかくのごとし、無量のみにあらず、てらすところもまた辺際あることなきがゆへに、無辺光といふ。
つぎに無礙光は、この界の日月灯燭等のごときは、ひとへなりといゑとも、ものをへだつれば、そのひかりとほることなし。もしかの仏の光明ものにさえらるれば、この界の衆生たとひ念仏すといふとも、その光摂をかぶることをうべからす。そのゆへは、かの極楽世界とこの娑婆世界とのあひだ、十万億の三千大千世界をへだてたり。その一一の三千大千世界に、おのおの四重の鉄囲山あり。いはゆる、まず一四天下をめぐれる鉄囲山あり、たかさ須弥山とひとし。つぎに少千界をめぐれる鉄囲山あり、たかさ第六天にいたる。つぎに中千界をめぐれる鉄囲山あり、たかさ色界の初禅にいたる。次に大千界をめぐれる鉄囲山あり、たかさ第二禅にいたれり。しかればすなわち、もし無礙光にあたらずば、一世界をすらなほとほるべからす、いかにいはむや十万億の世界おや。しかるにかの仏の光明、かれこれそこばくの大小諸山をとほりてらして、この界の念仏衆生を摂取したまふに、障礙あることなし。
余の十方世界を照摂したまふことも、またかくのごとし、かるかゆへに無礙光といふ。
次に清浄光は、人師(述文讃巻中意)釈していはく、「無貪の善根より生ずるところのひかりなり」。貪に二あり、婬貪・財貪なり。清浄といふは、ただ汚穢不浄を除却するにはあらず、その二の貪を断除するなり。貪を不浄となづくるゆへなり。もし戒に約せは、不婬戒と不慳貪戒とにあたれり。しかれは法蔵比丘、むかし不婬・不慳貪所生の光といふ、この光にふるるものは、かならず貪欲のつみを滅す、もし人あて、貪欲さかりにして、不婬・不慳貪の戒をたたもつことえざれとも、こころをいたしてもはらこの阿弥陀仏の名号を称念すれば、すなわちかの仏無貪清浄の光をはなちて、照触摂取したまふゆへに、婬貪・財貪の不浄のぞこる。無戒・破戒の罪愆滅して、無貪善根の身となりて、持戒清浄の人とひとしきなり。

次に歓喜光は、これはこれ無瞋善根所生の光、ひさしく不瞋恚戒をたもちて、この光をえたまへり。かるがゆへに無瞋所生の光といふ、この光にふるるものは、瞋恚のつみを滅す。
しかれば憎盛の人なりといふとも、もはら念仏を修すれば、かの歓喜光をもて摂取したまふゆへに、瞋恚のつみ滅して、忍辱のひととおなじ。これまたさきの清浄光の、貪欲のつみ滅するかごとし。

次に智慧光は、これはこれ無痴の善根所生の光なり。ひさしく一切智慧をまなうて(まなんで、修して)、愚痴の煩悩をたちつくして、この光をえたまへるがゆへに、無痴所生の光といふ。この光はまた愚痴のつみを滅す。しかれば無智の念仏者なりといふとも、かの智慧の光をしててらし摂(おさめ)たまふがゆへに、すなわち愚痴の愆を滅して、智慧は勝劣あることなし。またこの光のごとくしりぬべし。
かくのごとくして、十二光の名ましますといふとも、要をとるにこれにあり。

凡(おほよそ)そかの仏の光明功徳の中には、かくのごときの義をそなえたり、くはしくあかさば多種あるべし。おほきにわかちて二あり。
一には常光、二には神通光なり、はじめに常光といふは、諸仏の常光おのおの意楽にしたがふて遠近・長短あり。あるいは常光おもておのおの一尋相といへり、釈迦仏の常光のごときこれなり。あるいは七尺をてらし、あるいは一里をてらし、あるいは一由旬をてらし、あるいは二・三・四・五乃至百千由旬をてらし、あるいは一四天下をてらし、あるいは一仏世界をてらし、あるいは二仏・三仏乃至百千仏の世界をてらせり。

この阿弥陀仏の常光は、八方上下無央数の諸仏の国土におひて、てらさずといふところなし。八方上下は極楽について方角をおしふるなり。この常光について異説あり。すなわち『平等覚経』には、別して頭光をおしえたり。『観経』には、すへて身光といへり。かくのごとき異説あり。『往生要集』に堪(かむがへ)たり、みるべし。

常光といふは、長時不断にてらす光なり。次に神通光といふは、ことに別時にてらす光なり。釈迦如来の『法華経』をとかむとしたまひしとき、東方万八千の土をてらしたまひしがこときは、すなわち神通光なり。阿弥陀仏の神通光は、摂取不捨の光明なり。念仏衆生あるときはてらし、念仏の衆生なきときはてらすことなきがゆへなり。善導和尚『観経の疏』に、この摂取の光明を釈したまへるしたに、「光照の遠近をあかす」(定善義)といへり。この念仏衆生の居所の遠近について、摂取の光明も遠近あるべしといふ義なり。たとひ一ついゑのうちに住したりとも、東によりてゐたらむ人の念仏まふさむには、摂取の光明とおくてらし、西によりてゐたらむ人の念仏まふさむには、光明ちかくてらすべし。
これをもてこころうれば、一つ城のうち、一国のうち、一閻浮提のうち、三千世界の内、乃至他方各別の世界まで、かくのごとしとしるべし。しかれは念仏衆生について光照の遠近ありと釈したまへる、まことにいわれたることとこそおぼえ候へ。これすなわち阿弥陀仏の神通光なり、諸仏の功徳は、いづれの功徳もみな法界に遍すといえども、余の功徳は、その相あらわるることなし。
ただ光明のみまさしく法界に遍する相をあらわせる功徳なり、かるがゆへに、もろもろの功徳の中には、光明をもて最勝なりと釈したるなり。また諸仏の光明の中には、弥陀如来の光明なほまたすぐれたまへり、このゆへに教主釈尊ほめてのたまはく、「無量寿仏 威神光明 最尊第一、諸仏光明 所不能及」(大経)とのたまへり。

またいはく、「我説無量寿仏光明 威神巍巍殊妙、昼夜一劫尚未能尽」(大経)とのたまへり。
これはこれ、かの仏の光明と余の仏の光明とを相対して、その勝劣を校量せむに、弥陀仏におよばさる仏をかすえむに、よるひる一劫すとも、そのかづをしりつくすべからすとのたまへるなり。
かくのごとく殊勝の光をえたまふことは、すなわち願行にこたへたり、いはく、かの仏法蔵比丘のむかし、世自在王仏のみもとにして、二百一十億の諸仏の光明をみたてまつりて、選択思惟して、願じていはく、「設我得仏、光明有能限量、下至不照 百千億那由他 諸仏国者 不取正覚」(大経第十二願)とのたまへり。
この願をおこして、のち兆載永劫のあひだ、積功累徳して、願行ともにあらわして、この光をえたまへり。

仏在世に、灯指比丘といふ人ありき。生れしとき、指より光をはなちて、十里をてらすことありき。のちに仏の御弟子となりて、出家して、羅漢果をえたり。指より光をはなつ因縁によりて、なづけて灯指比丘といへり。過去九十一劫のむかし、毘婆尸仏のときに、ふるき仏像の指の損したまひたるを、修理したてまつりたりし功徳によりて、すなわち指より光をはなつ報をうけたるなり。

また梵摩比丘といふ人ありき、身より光をはなちて、一由旬をてらせり、これ過去に、仏に灯明をたてまつりたりしがゆへなり。
また仏の御弟子阿那律は、仏の説法の座に睡眠したることありき。仏これを種種に弾呵したまふ。阿那律すなわち懺悔のこころをおこして睡眠断づ。七日をへてのち、その目開ながらそのまなこみずなりぬ。これを医師にとふに、医師こたえていはく、人は食をもて命とす、眼はねぶりをもて食とす、もし人七日食せすらむに、命あにつきざらむや、しかれはすなわち、医療のおよぶところにあらず、命つきぬる人に、医療よしなきかごとしといへり。
そのとき仏これをあわれみて、天眼の法をおしえたまふ、すなわちこれを修して、かへおて天眼通をえたり。すなわち天眼第一阿那律といへるこれなり、過去に仏のものをぬすまむとおもふて、塔の中にいたるに、灯明すてにきえなむとするをみて、弓のはすをもてこれをかきあく。
そのときに忽然として改悟のこころをおこして、あまさへ無上道心をおこしたりき。それよりこのかた、生生世世に無量の福をおたり、いま釈迦出世のとき、ついに得脱して、またかくのことく天眼通をえたり、これすなわち、かの灯明をかかけたりし功徳によてなり。 乃至

寿命功徳

次に寿命の功徳といふは、諸仏寿命、意楽にしたかふて長短あり、これによて、恵心僧都四句(小経略記)をつくれり、あるいは能化の仏は命なかく、所化の衆生は命みしかきあり、華光如来のごとし、仏の命は十二小劫、衆生の命は八小劫なり。
あるいは能化の仏は命みしかく、所化の衆生は命なかきあり、月面如来のごとし。仏の命一日一夜、衆生の命は五十歳なり。
あるいは能化所化ともに命みしかきあり、釈迦如来のことし、仏も衆生もともに八十歳なり。
あるいは能化・所化ともに命なかきあり阿弥陀如来のごとし、仏も衆生もともに無量歳なり、かるかゆへに経にのたまはく、
仏告阿難、無量寿仏寿命長久、不可勝計、汝寧知乎、仮使十方世界無量衆、皆得人身 悉令成就声聞縁覚、都共推算計、禅思一心、竭其智力。
於百千万劫、悉共推算計 其寿命長遠之数。不能窮尽 知其限極、声聞菩薩天人之衆寿命長短、亦復如是、非算数譬喩 所能知也
とのたまへり、たたもし神通の大菩薩等のかすへたまはむには、一大恒沙劫なり」と、『大論』のこころをもて、恵心勘(かむがへ)たり、この数二乗凡夫のかずへてしるべきかずにあらず、かるがゆへに無量とはいへるなり。
すへて仏の功徳を論するに、能持・所持の二義あり、寿命をもて能持といひ、自余のもろもろの功徳をは、ことことく所持といふなり、寿命はよくもろもろの功徳をたもつ、一切の万徳みなことことく寿命にたもたるるかゆへなり。
これは当座の道師が、わたくしの義なり。すなわちかの仏の相好・光明・説法・利生等の一切功徳、およひ国土の一切荘厳等の、もろもろの快楽のことら、たたかの仏の命のながくましますがゆへの事なり。
もし命なくは、かれらの功徳荘厳等、なにによりてかととまるへき。しかれは四十八願の中にも、寿命無量の願に、自余の諸願をはおさめたるなり、たとひ第十八の念仏往生の願、ひろく諸機を摂して済度するににたりといゑとも、仏の御命もしみじかくば、その願なほひろまらじ。そのゆへは、もの百歳・千歳、もしは一劫・二劫にてもましまさましかは、いまのときの衆生は、ことことくその願にもれなまし。かの仏成仏してのち、十劫をすきたるかゆへなり。

これをもてこれをおもはは、済度利生の方便は、寿命の長遠なるにすぎたるはなく、大慈大悲の誓願も、寿命の無量なるにあらはるるものなり。これ娑婆世界の人も、命をもて第一のたからとす、七珍万宝をくらの内にみてたれとも、綾羅綿繍をはこのそこにたくわへたるも、命のいきたるほとこそ、わか宝にてもある、 まなこ閉ぬるのちは、みな人のものなり。しかれは 乃至 弥陀如来の寿命無量の願をおこしたまひけむも、御身のため長寿の果報をもとめたまふにはあらず、済度利生のひさしかるへきために、また衆生をして忻求のこころをおこさしめんためなり。
一切衆生はみな命ながからむことをねがふかゆへなり。凡そかの仏の功徳の中には、寿命無量の徳をそなへたまふに、すぎたることは候はぬなり。このゆへに、『双巻経』の題にも、「無量寿経」といへとも、「無量光経」とはいはず、隋朝よりさきの旧訳には、みな経の中に宗とあることをえらひて、詮をぬき略を存して、その題目とするなり。
すなはちこの経の詮には、阿弥陀如来の功徳をとくるなり、その功徳の中には、光明無量・寿命無量の二の義をそなへたり。その中には、また寿命なを最勝なるゆへに、「無量寿経」となづくるなり。また釈迦如来の功徳の中にも、久遠実成の宗をあらわせるをもて、殊勝甚深のこととせり。
すなはち『法華経』に、寿量品とてとかれたり、二十八品の中には、この品をもてすくれたりとす。まさにしるへし、諸仏の功徳にも、寿命をもて第一の功徳とし。
衆生のたからにも、命をもて第一のたからとすといふことを、その命なかき果報をうることは、衆生に飲食をあたへ、またものの命をころささるを業因とするなり、因と果と相応することなれは、食はすなはち命をつくかゆへに、食をあたふるはすなはち命をあたふるなり、不殺生戒をたもつも、また衆生の命をたすくるなり。かるかゆへに、飲食をもて衆生に施与し、慈悲に住して不殺生戒をたもてば、かならす長命の果報をえたり。
しかるにかの阿弥陀如来は、すなはち願行あひたすけて、この寿命無量の徳おば成就したまへるなり。願といふは、四十八願の中の第十三の願にいはく、「設我得仏、寿命有能限量、下至百億那由他劫者 不取正覚」とのたまへり。

行といふは、かの願をたてたまふてのち、無央数劫のあひた、また不殺生戒をたもてり、また一切の凡聖におひて、飲食・医薬を供養し施与したまへるなり、これは阿弥陀如来の寿命の功徳なり乃至

弥陀入滅

かの仏かくのことく寿命無量なりといえとも、また涅槃隠没の期まします。これについて、あわれなることこそ候へ、道綽禅師、念仏の衆生におひて、始終両益ありと釈したまへる。その終益をあかすに、すなはち『観音授記経』をひきていはく、「阿弥陀仏、住世の命兆載永劫ののち滅度したまひて、ただ観音・勢至、衆生を接引したまふことあるへし。そのときに、一向にもはら念仏して往生したる衆生のみ、つねに仏をみたてまつる、滅したまはぬかごとし、余行往生の衆生は、みたてまつることあらす」といへり。往生をえてむ上に、そのときまてのことはあまりごとぞ。
とてもかくても、ありなむとおほえぬへく候へとも、そのときにのそみては、かなしかるへきことにてこそ候へ。かの釈迦入滅のありさまにても、おしはかられ候なり。
証果の羅漢・深位の大士も、非滅・現滅のことはりをしりなから、当時別離のかなしみにたえす、天にあおき地にふし、哀哭し悲泣しき。いはんや未証の衆生をや、浅識の凡愚をや、乃至竜神八部も五十二類も、凡そ涅槃の一会、悲歎のなみたをなかさすといふことなし。
しかのみならす、娑羅林のこすえ、抜提河の水、すへて山川・渓谷・草木・樹林も、みな哀傷のいろをあらはしき。しかれは過去をききて未来をおもひ、穢土になすらへて浄土をしるに、かの阿弥陀仏の、衆宝荘厳の国土をかくれ、涅槃寂滅の道場にいりたまひてのち、八万四千の相好ふたたひ現することなく、無量無辺の光明はなかくてらすことなくば、かの会の聖衆人天等、悲哀のおもひ、恋慕のこころざし、いかばかりかは候べき。
七宝自然のはやしなりとも、八功如意の水なりとも、名華軟草のいろも、鳬鴈・鴛鴦のこえも、いかかそのときをしらさらむや、浄穢は土ことなりといへとも、世尊の滅度すてにことなることなし。
迷悟はこころかわるといえとも、所化の悲恋なんそかはることあらむや。この娑婆世界の凡夫、具縛の人の心事相応せす。
意楽各別にてつねに違背し、たかひに厭悪をするたにも、あるいは夫妻のちきりをもむすひ、あるいは朋友のことばをもなして、しはらくもなづさひ(昵)、また馴ぬれは、遠近のさかひをへだて、前後の生をあらため、かくのことく生をも死をも、わかれをつくるときには、なこりをおしむこころたちまちにもよおし、かなしみにたえす、なみたをさへかたきことにてこそは候へ。
いかにいはむやかの仏、内には慈悲哀愍のこころをのみたくはへてましませは、なれたてまつるにしたかふて、いよいよむつましく、外には見者無厭の徳をそなへてましませは、みまいらすることに、いやめづらなるをや。まことに無量永劫かあひた、あさゆふに万徳円満のみかほをおがみたてまつり、昼夜に四弁無窮の御音になれたてまつりて、恭敬瞻仰し随遂給仕して、すてたらむここちに、ながくみたてまつらざらむことになりたらむばかり、かなしかるべきことや候へき。

無有衆苦のさかひ、離諸妄想のところなりといふとも、このこと一事は、さこそおぼへ候らめとそおぼえ候。それに、もとのごとくみたてまつりて、あらたまることなからむことは、まことにあはれに、ありがたきこととこそおぼへ候へ。これすなはち念仏一行、かの仏の本願なるがゆへなり。おなじく往生をねがはむ人は、専修念仏の一門よりいるべきなり

  康元二丁巳正月二日書之

愚禿親鸞 八十五歳

末註

  1. 思うこと。