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西方指南抄/中末

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2012年4月12日 (木) 17:24時点における林遊 (トーク | 投稿記録)による版

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真宗高田派で伝時されてきた、親鸞聖人筆(国宝)の法語集。親鸞聖人が師匠である法然聖人の法語・消息・行状記などを、収集した書物。奥書より康元元(1256)年~康元二(1257)年頃(84~85歳)書写されたものと思われる。テキストは、ネット上の「大藏經テキストデータベース」を利用し、『真宗聖教全書』に依ってページ番号を付した。これによってページ単位でもリンクも可能である。
読む利便を考えカタカナをひらがなに、旧字体を新字体に変換した。また、適宜改行を付した。各サブタイトルは『昭和新修 法然聖人全集』などを参考に適宜、私に於いて付した。
なお、いかなる場合においても、本データベースの利用、及び掲載文章等を原因とすることによって生じたトラブルについて、当サイトは一切その責を負いません。

西方指南抄 中末

七箇條起請文

元久元年(1204)比叡山延暦寺の専修(せんじゅ)念仏停止(ちょうじ)の訴えに対して、法然聖人以下門弟が言行を正すことを誓って連署し、比叡山に送った七箇条からなる書状。親鸞聖人は当時名乗っておられた綽空の名で署名されておられるが、西方指南鈔では改名後の善信とされている。WikiArcに、読み下し及び現代語訳あり。

一。普告于予門人念仏上人等可停止未窺一句文。奉破真言止観。謗余仏菩薩事
右至立破道者。学生之所経也。非愚人之境界。加之誹謗正法免除弥陀願。其報当堕那落。豈非痴闇之至哉

一。可停止以無智身対有智人。遇別行輩好致諍論事
右論義者。是智者之有也。更非愚人之分。又諍論之処。諸煩悩起。智者遠離之百由句也。況於一向念仏行之人乎

一。可停止対別解別行人。以愚痴偏執心。傋当棄置本業強嫌喧之事
右修道之習。只各勤敢不遮余行。西方要決云。別解別行者。総起敬心。若生軽慢。得罪無窮 云云 何背此制哉

一。可停止於念仏門号無戒行。専勧婬酒食肉。適守律儀者名雑行。憑弥陀者本願者説勿恐造悪事
右戒是仏法大地也。衆行雖区同専之。是以善導和尚挙目不見女人。此行状之趣過本律制。浄業之類不順之者。総失如来之遺教。別背祖師之旧跡。旁無拠者歟

一。可停止未弁是非痴人。離聖教非師説。恐述私義妄企諍論。被咲智者迷乱愚人事
右無智大天。此朝に再08誕。猥述邪義。既同九十五種異道。尤可悲之

一。可停止以痴鈍身殊好唱導。不知正法説種種邪法。教化無智道俗事
右無解作師。是梵網之制戒也。黒闇之類欲顕己才。以浄土教爲芸能。貪名利望檀越。恐成自由之妄説狂惑世間人。誑法之過殊重。是輩非国賊乎

一。可停止自説非仏教邪法爲正法。偽号師範説事
右各雖一人。説所積爲予一身衆悪。汚弥陀教文。揚師匠之悪名。不善之甚無過之者也
以前七箇条甄録如斯。一分学教文弟子等者。頗知旨趣。年来之間雖修念仏。随順聖教。敢不逆人心。無驚世聴。因茲于今三十箇年。無爲渉日月。而至近王。
此十箇年以後無智不善輩。時時到来。非啻失弥陀浄業。又汚穢釈迦遺法。何不加[火+向]誡乎。
此七箇条之内。不当之間。巨細事等多。具難註述。総如此等之無方。慎不可犯。
此上猶背制法輩者。是非予門人。魔眷属也。更不可来草菴。自今以後。各随聞及。必可被触之。余人勿相伴。若不然者。是同意人也。
彼過如作者。不能瞋同法恨師匠。自業自得之理。只在己心而已。是故今日催四方行人。集一室告命。僅雖有風聞。慥不知誰人失。拠于沙汰愁歎遂年序。非可黙止。
先随力及所迴禁遏之計也。仍録其趣示門葉等之状如件

  元久元年十一月七日 沙門源空
信空 感聖 尊西 証空 源智 行西 聖蓮 見仏 道豆 導西 寂西 宗慶 西縁 親蓮 幸西 住蓮 西意 仏心 源蓮 蓮生 善信 行空 已上
  已上二百余人連署了

起請没後二箇条事

表題のごとく法然聖人滅後に、門弟へ宛てた言葉。一には、群会すれば互いに諍論を起こし忿怨し、それが浄土門を破壊することにもつながるので集会してはならないと説く。二には、追善、布施を否定し、念仏を勧進し念仏に生きる者であるならば、ひたすら念仏すべきことを示される。

起請 没後二箇条事

一。葬家追善の事

右葬家之次第。頗有其採旨。有籠居之志遺弟同法等。全不可群会一所者也。其故何者。雖復似和合。集則起闘諍。此言誠哉。甚可謹慎。[1]
若然者。我同法等。於我没後。各住各居。不如不会。闘諍基由。集会之故也。[2]
羨我弟子同法等。各閑住本在之草菴。苦可祈我新生之蓮台。努努群居一所。莫致諍論起忿怨。有知恩志之人。毫末不可違者也。[3]
兼又追善之次第。亦深有存旨。図仏写経等善。浴室檀施等行。一向不可修之。若有追善報恩之志人。唯一向可修念仏之行。平生之時。既付自行化他。唯局念仏之一行。歿没之後。豈爲報恩追修寧雑自余之衆善哉。但於念仏行。尚可有用心。或眼閉之後。一昼夜自即時始之。標誠至心各可念仏。中陰之間。不断念仏。動生懈惓。各還闕勇進之行。凡没後之次第。皆用真実心可棄虚仮行。有志之倫。勿乖遺言而已[4]

源空聖人私日記

源空聖人私日記

夫以。俗姓者。美作国庁官。漆間時国之息。同国久米南条稲岡庄。誕生之地也。
長承二年 癸丑 聖始出胎内之時。両幡自天而降。奇異之瑞相也。
権化之再誕也。見者合掌。聞者驚耳 云云
保延七年 辛酉 春比。慈父爲夜打被殺害畢。聖人生年九歳。以破矯小箭射凶歒之目間。以件疵知其敵。即其庄預所。明石源内武者也。
因茲迯隠畢。其時聖人。同国内菩提寺院主観覚得業之弟子と成給。
天養二年 乙丑 初登山之時。得業観覚状云。進上大聖文殊像一体。西塔北谷持法房禅下得業源覚消息を見給奇給。小児来。聖人十三歳也。然後十七歳。天台六十巻読始之。
久安六年 庚午 十八歳。始師匠に乞請暇遁世。法華修行之時。普賢菩薩を眼前に奉拝。華厳披覧之時。小虵出来。信空上人見之怖驚給。
共夜。我者此。11聖人夜経論を見。雖無灯明。室内有光如昼。信空 法蓮房也。
聖人之同法 同見其光。修真言教入道場。観五相成身之観。行顕之。於上西門院説戒七箇日之間。小虵
来聴聞。当第七日。於唐垣上其虵死畢。于時有人人見様。其頭破。中より或見天人登。
或見蝶出。説戒聴聞之故。離虵道之報。直生天上歟
高倉天皇御宇得戒。其戒之相承自南岳大師所伝。于今不絶。世間流布之戒是也。
聖人所学之宗宗師匠四人。還成弟子畢。
誠雖大巻書。三反披見之時。於文者明明不暗。義又分明也。雖然以二十余之功不能知一宗之大綱然後窺諸宗之教相。悟顕密之奥旨。八宗之外明仏心達磨等宗之玄旨。爰醍醐寺三論宗之先達。聖人往于其所述意趣。先達総不言起座。入内取出文凾十余合云。於我法門者。無余念永令付嘱于汝 云云 此上称美讃嘆不遑羅縷。又値蔵俊僧都而談法相法門之時。蔵俊云。汝方非直人。権者化現也。智慧深遠。形相炳焉也。
我一期之間。可致供養之旨契約仍毎年贈供養物致懇志。已遂本意了。宗之長者。
教之先達。無不随喜信伏。総本朝所渡之聖教乃至伝記目録。皆被加一見了。雖然煩出離之道身心不安。抑始自曇鸞・道綽・善導・懐感御作。至于楞厳先徳往生要集。雖窺奥旨。二反拝見之時者。往生猶不易。第三反之時。乱想之凡夫不如称名之一行。是則濁世我等依怙。末代衆生之出離。令開悟訖。況於自身得脱乎。然則爲世爲人雖欲令弘通此行。時機難量。感応難知。
倩思此事。暫伏寝之処示夢想。紫雲広大聳覆日本国。自雲中出無量光。自光中百宝色鳥飛散充満虚空。于時登高山忽拝生身之善導。自御腰下者金色也。自御腰上者如常。高僧云。汝雖爲不肖之身。念仏興行満于一天。称名専修及于衆生之故。我来于此。善導即我也 云云
因茲弘此法。年年次第繁昌。無不流布之所。聖人云。我師肥後阿闍梨云。人智慧深遠也。然倩計自身分際。此度不可出離生死。若度度替生隔生。即妄妄故定妄仏法歟。
不如受長命之報欲奉値慈尊之出世。依之我将受大虵身。但住大海者可有中夭。如此思定。
遠江国笠原庄内桜池と云所を。取領家之放文。住ひむと此池誓願了。其後至于死期時。乞水入掌中死了。而彼池。風不るに吹浪俄立。池中塵悉払上。諸人見之。即注此由触I申領家。期其日時。彼阿闍梨当逝去日。所以有智慧故。知難出生死。有道心之故。値はむと仏之出世所願也。
雖然未知浄土法門之故。如此発悪願。我其時。若此法尋得。不顧信不信。此法門申さまら。而於聖道法者。有道心者期遠生之縁。無道心者併住名利。以自力輒可厭生死之者。是不得帰依之証也 云云

又聖人年来開経論之時。釈迦如来。罪悪生死凡夫依弥陀称名之行可しと往生極楽弘説給之勘得教文。今修念仏三昧立浄土宗。其時南都北嶺碩学達共。誹謗嘲哢無極。然間文治二年之比。天台座主中納言法印顕真。厭娑婆忻極楽。籠居大原山入念仏門。其時弟子相模公申云。法然聖人立浄土宗義。可尋聞食顕真云。尤可然 云云
但我一人不可聴聞。処処智者請集定了。而彼大原竜禅寺に集会。以後法然聖人請之。
無左右来臨了。顕真喜悦無極。集会之人人   

光明山僧都明遍 東大寺三輪宗長者也
笠置寺解脱上人 侍従已講貞慶。法相宗人也
大原山本成坊 此人人問者也
東大寺勧進上人修乗坊 重源嵯峨往生院念仏坊 改名。今は南無阿弥陀仏と号。天台宗人也
大原来迎院明定坊 蓮慶。天台宗人
菩提山長尾蓮光坊 東大寺人
法印大僧都智海 天台山東塔西谷林泉坊
法印権大僧都証真 天台山東塔東谷宝地坊
  聴衆凡三百余人也

其時聖人。浄土宗義。念仏功徳。弥陀本願之旨。明明説之。其時云口被定。本成坊黙然而信伏了。集会人人悉流歓喜之涙偏帰伏。
自其時彼聖人念仏宗興盛也。自法蔵比丘之昔至弥陀如来之今。本願之趣。往生之子細。不昧説給之時。三百余人。一人無疑。聖道浄土教文玄旨説之時。人人始向虚空無出言語之人。集会人人云。見形者源空聖人。実者弥陀如来応跡歟と定了。
仍集会之験とて。於件寺三昼夜不断念仏勤行了。結願之朝。顕真付法華経之文字員数。一人別に阿弥陀仏名を付よと彼教訓。大仏上人自其時。南無隬陀仏之名付給了。
高倉院御宇。安元元年 乙未 聖人齢自四十三。始入浄土門。閑観浄土給。初夜宝樹現。次夜示瑠璃地。後夜者宮殿拝之。阿弥陀三尊常来至也。
又霊山寺ゆたて三七日不断念仏之間。無やに灯明有光明。第五夜勢至菩薩行道。同烈立給。或人如夢奉拝之。聖人曰。猿事侍覧。余人更不能拝見。月輪禅定殿下兼実 御法名円照 帰依甚深也。

或日聖人参上月輪殿。退出之時。自地上高踏蓮華而歩。頭光赫奕。凡者勢至菩薩化身也。如此善因令然。業果惟新之処。南北之碩徳。顕密之法灯。或号謗我宗。或称嫉聖道。寄事於左右。求咎於縦横。
動驚天聴諷諫門徒之間。不慮之外忽蒙勅勘。被行流刑了。雖然無程帰洛了。権中納言藤原朝臣光親。爲奉行被下勅免宣旨。

去建暦元年十一月二十日帰洛。居卜東山大谷之別業。鎮待西方浄土之迎接。
同三年正月三日。老病空らに期蒙昧之臻。所待所憑寔悦哉。高声念仏不退也。
或時聖人相語弟子云。我昔有天竺。交声聞僧常行頭陀。本者是在極楽世界。今来于日本国。学天台宗。又勧念仏。身心無苦痛。蒙昧忽分明。

十一日辰時。端座合掌念仏不絶。即告弟子云。高声念仏各可唱。観音勢至菩薩聖衆現在此前。如阿弥陀経所説。随喜雨涙渇仰融肝。尽虚空界之荘厳遮眼。転妙法輪之音声満耳。

至于同二十日。紫雲聳上方。円円雲鮮其中。如図絵仏像。道俗貴賤遠近緇素。見者流感涙。聞者成奇異。
同日未時。挙目合掌。自東方見西方事五六度。弟子奇而問云。仏来迎歟。聖人答云。然也。二十三四日。紫雲不罷。弥広大聳。西山の売炭老翁。荷薪樵夫。大小老若見之。

二十五日午時許。行儀不違。念仏之声漸弱。見仏之眼如眠。紫雲聳空。遠近人人来集。異香薫室。見聞之諸人仰信。臨終已到。慈覚大師之九条袈裟懸之。向西方唱云。一一光明遍照十方世界。念仏衆生摂取不捨 云云
停午之正中也。三春何節哉。釈尊唱滅聖人唱滅。彼者二月中句五日也。此者正月下旬五日也。八旬何歳哉。釈尊唱滅聖人唱滅。彼八 也。此八旬也。

園城寺長吏法務大僧正公胤。爲法事唱導之時。其夜告夢云。

源空爲教益 公胤能説法 感即不可尽 臨終先迎摂。
源空本地身 大勢至菩薩 衆生教化故 来此界度度。

此故勢至来見名大師聖人。所以讃勢至言無辺光。以智慧光普照一切故。嘆聖人称智慧第一。以碩徳之用潤七道故也。
弥陀動勢至。爲済度之使。善導遣聖人。整順縁之機。定知。十方三世無央数界有情無情。遇和尚興世初悟五乗済入之道。三界虚空四禅八定天王天衆。依聖人誕生忝抜五衰退没之苦。何況末代悪世之衆生。依弥陀。称名之一行悉遂往生素懐。源空聖人伝説興行故也。
仍爲来之弘通勧之

南無釈迦牟尼仏 南無阿弥陀如来
南無観世音菩薩 南無大勢至菩薩
南無三部一乗妙典法界衆生平等利益

三機分別

浄土願生者を、「信心決定せる」者と「信行ともにかねたる」者、「行相ばかりなる」者の三種に区分して、その信心決定の様相を説く。信心をまことに決定した者は、仏恩報謝の念仏をはげみ、信心決定しても、なおその信心のさしゆるぐものは、いよいよ信心を決定するための念仏をすべきを勧める。そして、信心弱くして決定を獲ない者には、ひとえに信心を獲るための念仏を勧めている。なお、この文章の記述者は一念義系統の者かといわれている。

和尚[5]の御釈によるに、決定往生の行相に、三の機のすぢわかれたるべし。第一に信心決定せる、第二に信行ともにかねたる、第三にただ行相ばかりなるべし。

第一に信心決定せる機といふは、これにつきて又二機あり。
一にはまづ精進の機といふ者(は)、又これにつきて二機あり。
一には弥陀の本願を縁ずる[6]に、一声に決定しぬと、こころのそこより、真実にうらうらと、一念も疑心なくして、決定心をえてのうへに、一声に不足なしとおもへども、仏恩を報ぜむとおもひて、精進に念仏のせらるるなり。また信心えての上には、はげまざるに念仏はまふさるべき也。
この行者の中には、信心えたりとおもふて、その上によろこぶ念仏とおもへども、いまだ信心決定せぬ人もあるべし。それおばわがこころに勘(かむが)へしられぬべき事也。 たとひ信心はとづかず[7]とも、念仏ひまなきかたより往生はすべし。

二には上にいふがごとく、決定心をえての上に、本願によて往生すべき道理おばあおいでのち、わがかたより、わが信心をさしゆるがして、かく信心をえたりとおもひしらず、われ凡夫なり、仏の知見のまへには、とづかずもあるらむと[8]、こころかしこくおもふて、なほ信心を決定せむがために、念仏をはげむなり。決定心をえふせての上に、わがこころをうたがふは、またく疑心とはなるべからざる也。
精進の二類の機、かくのごとし。これおば第二の信行ならべる行相の機としるべし。

次に懈怠の機といふは、決定心をえての上に、よろこびて仏恩を報ぜむがために、常に念仏せむとおもへども、あるいは世業衆務にもさえられ、また地体懈怠のものなるがゆへに、おほかた念仏のせられぬ也。この行者は一向信心をはげむべき也。
はげむ機につきて、また精進懈怠のものあるべし。精進といふは、常に本願の縁ぜらるべき也。縁ずれはまた自然に、いさぎよき念仏も申さるべし。この念仏は最上の念仏也。これをあしくこころえて、この念仏の最上におぼゆれば、この念仏の往生おもし、また願にも乗ずらむと、おもはむはわるし。そのゆへは、仏の御約束[9]、一声もわが名をとなえむものを、むかえむといふ御ちかひにてあれば、最初の一念[10]こそ、願には乗ずることにてあるべけれ。
また常に本願の縁ぜらるれば、たのもしきこころもいでくべき也。その時、このこころのよく相続のせらるればとて、それをもて往生すべしとおもふべからず。かくのごとくおもはば、疑惑になるべきなり。こころのゆるからむときは、往生の不定におぼゆべきがゆへに、ただおもふべきやうは、我かたより一分の功徳もなく、本願の御約束にそなえしところの念仏の功徳も、瞋恚のほむらにやけぬれども、かの願力の不取正覚の本誓のあやまりなきかたより、すくわれまいらせて往生はすべしと、返返もおもふべき也。

懈怠のものといふは、衆務にさまたげられもせよ、本願を縁ずる事のまれにあるべきなり。まれにはありといふとも、いささかも一念にとるところの信心のゆるがずして、その時は又決定心のおこるべきなり。信心決定の中の二類の機、かくのごとし。これは第一の信心決定せる機としるべし。

今上にあぐるところの四人、真実に決定をだにもえたらば、精進にてもあれ、懈怠の機にてもあれ、本願を縁ずるこころねは、たとへば、黒雲のひまより、まれにてもつねにても、いでむところの満月の光を、みむがごとくなるべし。信心の得・不得をば、おのおのわが心にてしりぬべし。事にふれて、一念にとるところの信心ゆるがずば、仮令(およそ)よき信心としるべし。これもことわりばかりにて信心あり、こころゆるぐべからずと、まじなひつけむ事は、要あるべからず。散心につけても、いささかにても、ゆるぐこころあらば、信心よはしとしるべし。信心よはしとおぼえば、懈怠の機は、なほ信をはげむで、本願を縁ずべき也。それになほかなはずは、かまへて行相におもむきて、はげむべきなり。精進の機は、一向恒所造の行相におもむきて、はげむべきなり。行相は正・助二行を、一向正行にても、また助業をならべむとも、おのおの意楽にまかすべきなり。

第三に行相をはげむ機といふは、上にあぐるところの信精進懈怠の機の、我信心決定せるやうを、こころによくよくあむじほどく時、我信心決定せず、ややもすれば行業のおこるにつけ、信心の間断するにつけて、往生の不定におぼゆるまではなけれども、また決定往生すべしともおぼえぬは、信心の決定せざるなりと勘えて、一向行におもむきてはげむをいふなり。
この機は、懈怠のいでき、念仏のものうからむ時は、おどろきて行をはげむべきなり。信心もよはく、念仏もおろそかならば、往生不定のものなり。この人またあしくこころえて行をはげむは、この行業をもて往生すべしとおもはば、疑惑になるべきなり。今念仏の行をはげむこころは、つねに念仏あざやかに申せば、念仏よりして信心のひかれていでくる也。信心いできぬれば、本願を縁ずる也。本願を縁ずれは、たのもしきこころのいでくる也。このこころいできぬれば、信心の守護せられて、決定往生をとくべしとこころうべし。

これにつきて、人うたがひていはく、念仏をはげみて、信心を守護して往生をとぐべきならば、はげむところの念仏は、自力往生とこそなるべけれ、いかが他力往生といふべきや。今自力といふは、聖道自力にすべからず、いささかあたえていえるなるべし。
答いはく、念仏を相続して、相続より往生をするは、またく自力往生にはあらず。そのゆへは、もとより三心は本願にあらず、これ自力なり。三心は自力なりといふは、本願のつなにおびかれて[11]、信心の手をのべて、とりつく分をさすなりとこころうべし。今念仏を相続して、信心を守護せむとするに、三心の中の深心をはげむ行者也。相続の念仏の功徳をもちて、迴向して往生を期せば、まことに自力往生をのぞむものといはるべきなり。[12]また念仏はすれども、常に信心もおこらず、願を縁ずる事の、つねにもなければとて、往生を不定におもふべからず。そのこころなけれども、たた自力を存せず、すべて疑惑のこころなくして、常に念仏すれば、我こころにはおぼえねども、信心のいろのしたひかりて、相続するあひだ、決定往生をうるなりとしるべし。そのこころは、たとへば、月のひかりのうすくもにおほはれて、満月の体はまさしくみえずといゑども、月のひかりによるがゆへに、世間くらからざるがごとし。

行相の三機のやう、かくのごとし。詮ずるところ、信心よはしとおもはば、念仏をはげむべし。決定心えたりとおもふての上に、なほこころかしこからむ人は、よくよく念仏すべし。また信心いさぎよくえたりとおもひて、のちの念仏おば別進奉公[13]とおもはむにつけても、別進奉公はよくすべき道理あれば、念仏をはげむべし。地体は我こころをよくよく按じほどいて、行にても信にても、機にしたがひて、たえむにまかせてはげむべき也。かくのごとくこころをえてはげまば、往生は決定はづるべからざる也。

鎌倉の二位の禅尼へ進ずる御返事

鎌倉の二位とは、源頼朝の妻である北条政子のこと。念仏はあらゆる人の為の教えであり、愚かな人だけに説いたものではないとして念仏を勧める。また、『法事讃』を引用して末法には念仏が盛んになるが、それを謗る人が出てくるといわれ、念仏を謗る人が出てきた事を窺わせる内容になっている。

かまくらの二品比丘尼[14]。聖人の御もとへ。
念仏の功徳をたつね申されたりけるに。

御返事

御ふみくはしくうけたまはり候ぬ。念仏の功徳は、仏もときつくしかたしとのたまへり。また智慧第一の舎利弗、多聞第一の阿難も、念仏の功徳はしりかたしとのたまひし。広大の善根にて候へは、まして源空なとは、申つくすへくも候はす。

源空この朝にわたり候仏教を、随分にひらきみ候へとも、浄土の教文、震旦よりとりわたして候、聖教のこころをたにも、一年二年なとにては、申つくすへくもおほえ候はす。さりなから、おほせたまはりたることなれは、申のへ候へし。

まつ念仏を信せさる人人の申候なる事、くまかへの入道、つのとの三郎の、無智のものなれはこそ、余行をせさせす、念仏はかりおは、法然房はすすめたれと申候なる事、きわめたるひかことにて候也。そのゆへは、念仏の行は、もとより有智・無智をえらばず、弥陀のむかしとちかひたまひし大願は、あまねく一切衆生のため也。無智のためには念仏を願とし、有智のためには余行を願としたまふ事なし。十方世界の衆生のためなり。有智・無智・善人・悪人・持戒・破戒・貴賤・男女もへたてす、もとは仏の在世の衆生、もしは仏の滅後の衆生、もしは釈迦末法万年ののちに、三宝みなうせての後の衆生まて、たた念仏はかりこそ、現当の祈祷とはなり候へ。善導和尚は弥陀の化身にて、ことに一切の聖教をかかみて、専修の念仏をすすめたまへるも、ひろく一切衆生のため也。方便時節末法にあたりたるいまの教これなり。されは無智の人の身にかきらず、ひろく弥陀の本願をたのみて、あまねく善導の御こころにしたかひて、念仏の一門をすすめ候はむに、いかに無智の人のみにかきりて、有智の人おはへたてて、往生せさせしとはし候はむや。
しからすは、大願にもそむき、善導の御こころにもかなふへからす。しかれはすなわち、この辺にまうできて[15]、往生の道をとひたつね候にも、有智無智を論せす、ひとへに専修念仏をすすめ候也。かまえてさやうに専修の念仏を、申ととめむとつかまつる人は、さきの世に、念仏三昧の得道の法門をきかすして、後世にまた、さためて三悪におつへきものの、しかるへくしてさやうに申候也。そのゆへは、聖教にひろくみへて候。しかれはすなわち、修行することあるをみては、毒心をおこし、方便してきおふて怨をなす。かくのことくの生盲闡提のともから、頓教を毀滅して、なかく沈淪す、大地微塵劫を超過すとも、いまた三途の身をはなるることをえすと、ときたまへり。

見有修行起瞋毒 方便破壊競生怨
如此生盲闡提輩 毀滅頓教永沈淪
超過大地微塵劫 未可得離三途身
大衆同心皆懺悔 所有破法罪因縁[16]

この文の心は、浄土をねかひ、念仏を行する人をみては、毒心をおこし、ひかことをたくみめくらして、やうやうの方便をなして、専修の念仏の行をやふりあたをなして、申ととむるに候也。かくのことくの人は、むまれてより仏性の>まなこ[17]しひて、善のたねをうしなへる、闡提人のともからなり。
この弥陀の名号をとなえて、なかき生死をはなれて、常住の極楽に往生すへけれとも、この教法をそしりほろほして、この罪によりて、なかく三悪道にしつむとき、かくのこときの人は、大地微塵劫をすくれとも、なかく三途の身をはなれむこと、あるへからすといふ也。
しかれはすなわち、さやうにひかこと申候らむ人おは、かへりてあはれみたまふへきもの也。さほとの罪人の申によりて、専修念仏に懈怠をなし、念仏往生にうたかひをなし、不審をおこさむ人は、いふかひなきことにてこそ候はめ。

凡そ縁あさく、往生の時いたらぬものは、きけとも信せす、念仏のものをみれは、はらたち、声を聞て、いかりをなし、悪事なれども、経論にもみえぬことを申也。御こころえさせたまひて、いかに申とも、御こころかはりは候へからす。あなかちに信せさらむ人おは、御すすすめ候へからす。かかる不信の衆生をおもへは、過去の父母・兄弟・親類也とおもひ候にも、慈悲をおこして、念仏かかで申て、極楽の上品上生にまいりて、さとりをひらき。生死にかへりて、誹謗不信の人おもむかへむと、善根を修しては、おほしめすへき事にて候也。このよしを御こころえあるへきなり。

一。異解の人人の余の功徳を修するには、財宝あひ助成しておほしめすへきやうは、我はこの一向専修にて、決定して往生すへき身なり。他人のとおき道を、わかちかき道に結縁せさせむと、おほしめすへき也。その上に専修をさまたけ候はねは、結番せむにも、とがなし。[18]

一。人人の堂をつくり、仏をつくり、経をかき、僧を供養せむ事は、こころみたれすして、慈悲をおこして、かくのこときの雑善根おは、修せさせたまへと、御すすめ候へし。

一。このよのいのりに、念仏のこころをしらすして、仏神にも申し、経おもかき、堂おもつくらむと、これもさきのことく、せめてはまた後世のために、つかまつらはこそ候はめ。その用事なしとおほせ候へからす、専修をさえぬ行にてもあらざりけりとも、おほしめし候へし。

一。念仏申事、やうやの義は候へとも、六字をとなふるに、一切をおさめて候也。心には願をたのみ、口には名号をとなえて、かずをとるはかりなり。常に心にかくるか、きわめたる決定の業にて候也。念仏の行は、もとより行住座臥時処諸縁をえらはす、身口の不浄おもきらはぬ行にて候へは、楽行往生とは申つたへて候也。たたしこころをきよくして申おは、第一の行と申候なり。浄土をこころにかくれは、心浄の行法にて候也。さやうに御すすめ候へし。つねに申たまひ候はむをは、とかく申へきやうも候はす、我身なからも、しかるへくて、このたひ往生すへしと、おほしめして、ゆめゆめこのこころつよくならせたまふへし。

一。念仏の行を信せぬ人にあひて論し、あらぬ行の異計の人人にむかひて執論候へからす。あなかちに異解・異学の人をみては、あなつりそしること候まし。いよいよ重罪の人になし候はむこと、不便に候。同心に極楽をねかひ、念仏を申人おは、卑賤の人なりとも、父母の慈悲におとらすおほしめし候へし。今生の財宝のともしからむにも、力をくわへたまふへし。

さりなからも、すこしも念仏にこころをかけ候はむおは、すすめたまふへし。これ弥陀如来の御みやつかへと、おほしめすへく候也。如来滅後よりこのかた、小智小行にまかりなりて候也。われもわれもと、智慧ありがほに申人は、さとり候べし[19]。せめては録[20]の経教おもききみず、いかにいはむや録のほかのみさる人の、智慧ありかほに申は、井のそこの蛙ににたり。
随分に震旦・日本の聖教をとりあつめて、このあひた勘へて候也。念仏信せぬ人は、前世に重罪をつくりて、地獄にひさしくありて、また地獄にはやくかへるへき人なり。たとひ千仏世にいてて、念仏よりほかに、また往生の業ありと、おしへたまふとも、信すへからす。これは釈迦弥陀よりはしめて、恒沙の仏の証誠せしめたまへることなれはと、おほしめして、御こころさし金剛よりもかたくして、一向専修の御変改あるへからす。もし論し申さむ人おは、これへつかはして、たて申さむやうをきけと候へし。やうやうの証文かきしるして、まいらすへく候へとも、たたこころこれにすき候へからす。また娑婆世界の人は、よの浄土をねかはむことは、弓なくして空の鳥をとり、足なくしてたかきこすゑの華をとらむかことし。かならす専修の念仏は、現当のいのりとなり候也。これ略してかくのことし。これも経の説にて候。御中の人人には、九品の業を、人のねかひにしたかひて、はしめおはりたえぬへきほとに、御すすめ候へきなり。あなかしこあなかしこ。

四箇條問答

或人云、阿弥陀仏の慈悲・名号、余仏に勝れ、并に本願の体用の事。

「設我得仏 十方衆生 至心信楽 欲生我国 乃至十念 若不生者 不取正覚」[21]云云 十方衆生と云は、諸仏教化にもれたる常没の衆生也。この衆生をあわれみおぼしめすかたに、諸仏の御慈悲も、阿弥陀仏の御慈悲におなじかるべし。これは総願[22]に約す。別願[23]に約する時は、阿弥陀仏の御慈悲は、余仏の慈悲にすぐれたまへり。そのゆへは、この常没の衆生を、十声・一声の称名の功力を以て、無漏の報土へ生ぜしめむと云御願によて也。阿弥陀仏の名号の、余仏の名号にすぐれたまへると云も、因位の本願にたてたまへる名号なるがゆへに、勝れたまへり。しからずは、報土の生因となるべからす、余仏の名号に同ずべし。

抑、阿弥陀仏の本願と云は、いかなる事ぞと云に、本願と云は、総別の願に通すといゑとも、言総意別[24]にて、別願をもて本願にはなづくる也。本願と云ことは、もとのねがひと訓ずる也。もとのねがひと云は、法蔵菩薩の昔、常没の衆生を、一声の称名のちからをもて、称してむ衆生を、我国に生ぜしめむと云こと也。かるがゆへに本願といふなり。

問。本願について、体用あるべし、その差別いかんぞ。

答。本願と云は、因位に、われ仏になりたらむときの名を、となへむ衆生を、極楽に生ぜしめむと、ねがひたまへるゆへに、法蔵菩薩の御こころをもて、本願の体とし、名号をもては、本願の用とす。これは十劫正覚のさき、兆載永劫の修行をはじめ、願をおこしたまへる時の、法蔵菩薩に約して、体用を論する也。今は法蔵菩薩は、因位の願成就して、果位の阿弥陀仏となりたまへるがゆへに、法蔵菩薩おはしまさざれば、法蔵菩薩に約して、本願の体用を論すべきにあらず。ただし、あたえて云へば、本願の体用あるべし。体と云について、二のこころあるべし。
一には行者をもて本願の体とし、二には名号をもて本願の体とす。まづ行者をもて本願の体とすと云は、法蔵菩薩の本願に、成仏したらむ時の名、一声も称してむ衆生を、極楽に生ぜしめむと、願じたまへるがゆへに、今信じて一声も称してむ衆生は、かならず往生ずべし。この能称の行者の往生するところをさして、行者をもて本願の体とすとは、こころうべきなり。

問。我仏に成たらむ時の名を、称ぜむものを生ぜしめむと、本願には立たまへるがゆへに、名号を称する者を、やがて本願の体ともこころうへしや。

答。これについて、与奪の義あるべし。与て云へば、行者の正蓮台にうつりて往生するところをもて、本願の体とし、奪て云へば、往生すべき行者なるがゆへに、当体能称の者をさして、本願の体とすべし。行者について本願の体と云時は、別に用の義なし。蓮台に詫(たく)して、往生已後の増進仏道をもて用とす。これは極楽にての事也。 次に名号をもて本願の体とすと云は、これも成仏の時の名を称せむ衆生を、生ぜしめむと願じたまへるがゆへに、信じて名を唱(となえ)てむ衆生は、かならず生ずべければ、名号をもて本願の体と云也。名号を唱つる衆生の往生するは、名号の用也。今名号をもて本願の体とすと云は、法蔵菩薩の御こころのそこをもて、本願の体とすといひつる時は、用といはれつる名号也。しかるを、今はまさしく名号をもては本願の体と云也。体用の義は、事によりてかはるなり。喩ば、ともしびのひかりをもてこころうべし。ともしびのあかくもえあがりたるは、火の体なり。灯によりて闇はれて、明なるところの光は、火の用なり。この光の明なるをもて体とする時は、その明の中に、黒白等の一切の色形のみゆるは、明の用なり。かくのごとく用をもて体とも云事、常の事なり、しるへし。行者の往生するをもて、本願の体と云ことは、実には名号を称せずして往生すべき道理なし、名号によて往生すべし。しかりといゑども、かくのごときの事は、約束によりて云時は、行者の往生をもて本願の体ともいはるべし。名号を本願の体と云時は、称ずる行者の往生するは、名号の用なり。しかれは行者は、あるいは本願の体、あるいは名号の用にも決定すべきなり。この道理によて、本願の体に約してこころうれは、本願や行者、行者や本願、本願や名号、名号や本願と、ただ一に混乱するなり。用に約してこころへつれば、名号や行者、行者や名号といはるべし。詮ずるところは、体なくは用あるべからず、用は体によるがゆへに、本願と行者、ただ一ものにて、一としてはなれざるなり。

問。法蔵菩薩の本願の約束は、十声・一声なり。一称ののちは、法蔵菩薩の因位の本誓に心をかけて、名号おば称すべからざるにや。

答。無沙汰なる人は、かくのごとくおもひて、因位の願を縁じて念仏おも申せは、これをしえたるここちして、願を縁ぜざる時の念仏おば、ものならずおもふて、念仏に善悪をあらす[25]るなり。これは無按内のことなり。法蔵菩薩の五劫の思惟は、衆生の意念を本とせば、識揚神飛[26]のゆへ、かなふべからずとおぼしめして、名号を本願と立たまへり。この名号はいかなる乱想の中にも称すべし。称すれば、法蔵菩薩の昔の願に、心をかけむとせざれとも、自然にこれこそ本願よとおぼゆべきは、この名号なり。しかれば、別に因位の本願を縁ぜむと、おもふべきにあらず。

問。本願と本誓と、その差別いかんぞ。

答。我成仏の時の名を称せむ衆生を、生ぜしめむと云は、本願也。もしむまるまじまくは、仏にならじと云は、本誓也。総じて四十八願は、法蔵菩薩のむかしの本願也。この願にこたへたまへる仏果円満の今は、第十九の来迎の願にかぎりて、化度衆生の御方便はおはしますべきなりと云なり。阿弥陀仏の名号は、余仏の名号に勝れたまへり、本願なるがゆへなり。本願に立たまはずば、名号を称すとも、無明を破せざれば、報土の生因となるべからず。諸仏の名号におなじかるべし。
しかるを阿弥陀仏は、「乃至十念 若不生者 不取不覚」[27]とちかひて、この願成就せしめむがために、兆載永劫の修行をおくりて、今已に成仏したまへり。この大願業力のそひたるがゆへに、諸仏の名号にもすぐれ、となふれば、かの願力によりて、決定往生おもするなり。かるがゆへに、如来の本誓をきくに、うたがひなく往生すべき道理に住して、南無阿弥陀仏と唱てむ上には、決定往生とおもひをなすべきなり。
たとへば、たきもののにほひの薫ぜる衣を身にきつれば、みなもとはたきもののにほひにてこそありと云とも、衣のにほひ身に薫ずるがゆへに、その人のかうばしかりつると云がごとく、本願薫力のたきものの匂は、名号の衣に薫し、またこの名号の衣を、一度南無阿弥陀仏とひききてむものは、名号の衣の匂、身に薫するかゆへに、決定往生すべき人なり。
大願業力の匂と云は、往生の匂なり。大願業力の往生の匂、名号の衣よりつたわりて行者の身に薫ずと云道理によりて、『観経』には、「若念仏者 当知此人 是人中分陀利華」[28]と説(とける)なり。念仏の行者を蓮華に喩ふことは、蓮華は不染の義、本願の清浄の名号を称すれば、十悪五逆の濁(にごり)にもそまらざるかたを、喩たるなり。
また「観世音菩薩大勢至菩薩爲其勝友」[29]と云へり。文のこころは、これも往生の匂身に薫ぜる行者は、かならず往生すべし。これによて善導和尚も、三心具足の者おば、極楽の聖衆に接したまへり。極楽の聖衆と云は、因中説果の義なり。聖衆となる道理あれば、当時よりして、二菩薩も肩をならべ膝をまじえて、勝友となりたまふと、いふこころなり。命終の已後は、往生して仏果菩提を証得すべきによて、「当座道場 生諸仏家」[30]と、ときたまへり。かるがゆへに、一念に無上の信心をえてむ人は、往生の匂の薫ぜる名号の衣を、いくえともなくかさねきむとおもふて、歓喜のこころに住して、いよいよ念仏すべしと云へり。


  康元元年 丙辰 十月十四日
  愚禿親鸞 八十四歳 書写之


末註

  1. 右、葬家の次第、すこぶるその採る旨あり。籠居の志ある遺弟同法等、全く一所に群会すべからずとなり。そのゆえはいかんとなれば、また和合するに似たれども、集れば則ち闘諍を起こす、この言誠かな。はなはだ謹慎すべし。
  2. もししからば、我が同法等、我が没後において、おのおの各居に住して会わざるにしかず。闘諍の基(もとい)は集会のゆえなり。
  3. うらやむべくは、我が弟子同法等、おのおの本在の草菴に閑住して、苦(ねんごろ)に、我が新生の蓮台を祈るべし。ゆめゆめ一所に群居して諍論して忿怨を起こすを致すなかれ。知恩の志あらん人、毫末も違するベからずなり。*凝然(1240~1231)の『淨土法門源流章』には法然聖人滅後に「源空大徳門人非一。各揚淨教。互恣弘通。倶立門葉。横竪傳燈」(源空大徳の門人は一に非ず。おのおの浄教を揚げ、互に弘通を恣にし、倶に門葉を立て、横竪に灯を伝う)とあるように、当時から一念・多念の争いなど、浄土宗の領解に違いがあったのであろう。特に一念義と多念義は水火の如く諍っていたので、このような諍論/闘諍を制止する為に全不可群会一所者とされたと思われる。また、親鸞聖人が京都へお帰りにならなかったのも、このような法然聖人の意に従ったのである。
  4. かねてまた追善の次第、深く存ずる旨あり。図仏・写経等の善、浴室・檀施等の行は、一向にこれを修すべからず。もし追善報恩の志ある人は、ただ一向に念仏の行を修すべし。平生の時、すでに自行化他について、ただ念仏の一行にかぎる。歿没の後、あに報恩追修のために、むしろ自余の衆善を雑えんや。ただ、念仏行においてなお用心あるべし。あるいは眼を閉じての後、一昼夜より即時にこれを始め、誠至を標して心を至しておのおの念仏すべし。中陰の間、念仏をたたず。ややもすると懈惓を生じ、おのおの還りて勇進の行をかく。おおよそ、没後の次第、みな真実心を用いて虚仮行を棄つべし。志あらんのともがら、遺言を乖くことなかれならくのみ。
  5. 信を強調するので、幸西大徳かその門下の法語ともいわれるが、法然聖人のものと見てもよいと思ふ。
  6. 心とその働きが弥陀の本願に向かって働き常にその姿をとる事。縁ずる]
  7. とづかず=届かずの意か。心の底にまで信が徹透していないという意か。
  8. 仏智深きが故に我が領解を浅しとする立場。
  9. この約束は仏と仏との約束(本願)であって、衆生との約束ではないからこちら側の思いは雑じえない。
  10. この最初の一念の解釈が一念義とされるか。親鸞聖人の信一念釈における初発の義に近い。
  11. 誘(おび)かてれ。誘引されて。引き寄せられて。
  12. 念仏は本願の行であるから、自然に往生の業となるので不回向である。親鸞聖人はこれを発展させて本願力回向であるから不回向とされた。
  13. 通常以上に特別に本願に心を向け随順すること。
  14. 源頼朝の妻である従二位の政子。建保六年十月に従二位に叙せられた。頼朝の死をきっかけとして出家したという。
  15. 詣できて。お出でになって。
  16. 修行することあるを見ては瞋毒を起し、方便破壊して競ひて怨を生ず。かくのごとき生盲闡提の輩は、頓教を毀滅して永く沈淪す。大地微塵劫を超過すとも、いまだ三塗の身を離るることを得べからず。大衆同心にみな、あらゆる破法罪の因縁を懺悔せよ。『法事讃』
  17. 仏性を見る眼。
  18. 差し支えありません。
  19. 覚ったのであろうか。
  20. 大蔵経の目録。
  21. たとひわれ仏を得たらんに、十方の衆生、至心信楽して、わが国に生ぜんと欲ひて、乃至十念せん。もし生ぜずは、正覚を取らじ。
  22. 別願に対する語で総括的な願。四弘誓願がこれにあたる。
  23. 仏・菩薩が独自に建てる特別な誓願。別意の願ともいう。
  24. 言総意別(言は総じて意は別なり)。言葉によってまとめて説かれているが、その真意は別だということ。
  25. あると思って。生(あ)らすか? 生ずるの意。
  26. 識揚がり神飛ぶ。心のはたらきがうわつき、精神がつねに動揺すること。
  27. すなわち十念に至るまでせん。もし生れずは、正覚を取らじ。
  28. もし念仏するものは、まさに知るべし、この人はこれ人中の分陀利華なり。
  29. 観世音菩薩・大勢至菩薩、その勝友となる。
  30. まさに道場に坐し諸仏の家に生ずべし