延暦寺奏状
提供: 本願力
三時の教を案ずれば、如来般涅槃の時代を勘ふるに、周の第五の主穆王五十三年壬申に当れり。その壬申よりわが元仁元年[元仁とは後堀川院諱茂仁の聖代なり]甲申に至るまで、二千一百七十三歳なり。また『賢劫経』・『仁王経』・『涅槃』等の説によるに、すでにもつて末法に入りて六百七十三歳なり。
延暦寺三千大衆法師等誠惶誠恐謹言
天裁を蒙り一向専修の濫行を停止せられることを請う子細の状
目次
弥陀念仏を以て別に宗を建てるべからずの事
一、不可以弥陀念仏別建宗事。
- 一、弥陀念仏を以て別に宗を建てるべからずの事。
右謹検旧典建教建宗 有法式。
- 右、謹しんで旧典を検するに、教を建て宗を建つるに法式あり。
或外国真僧帰化而来朝。或吾朝高僧奉勅而往諮。
- あるいは外国の真僧、化に帰して来朝し、あるいは吾が朝の高僧、勅を奉り往いて諮る。
予知一朝之根機 已張八宗教綱。
- かねて一朝の根機を知り、すでに八宗の教綱を張るところなり。
諭其祖宗 無非賢聖。尋其濫觴 皆待勅定 相承有次第 依憑無忤誤。
- 其の祖宗を諭ずるに、賢聖に非らざるは無し。其の濫觴を尋ぬれば、皆勅定を待ちて相承の次第有り、依憑するところ忤誤無し。
爰頂年 有源空法師 卜居於黒谷之初 未有博学之実。移棲於東山之後 頻吐 誑惑之言 猥以愚鈍之性 欲追賢招之蹤。
- ここに頂年、源空法師有り、黒谷に卜居の初、未だ博学の実有らず。棲を東山に移しての後、頻に誑惑の言(ことば)を吐く、猥に愚鈍の性を以つて賢招の蹤を追わんと欲す。
私建一宗 還謗三宝 思生衿袖 敢無師説之稟承。
- 私に一宗を建て、還りて三宝を謗る、思い衿袖[1]を生じ、敢えて師説の稟承無し。
言任干胸憶 不依経論の誠説。
- 言、胸憶に任せ、経論の誠説に依らず。
遂煽邪風 於都鄙 殆払恵雲於天下。
- ついに邪風を都鄙に煽ぎ、殆んど恵雲の天下を払ふ。
自爾以来源空 雖没 未学興流。
- これより以来、源空、没すといえども、未学の流を興こす。
更分一念多念之門徒 各招誹法破法之罪業。
- 更に一念多念之門徒を分け、おのおの誹法破法の罪業を招く。
貴賎趣其教 男女随彼言 衆人如狂 万民似酔 善者難慣干心 悪者易染干神之故也。
- 貴賎その教えに趣き、男女彼の言に随い、衆人狂うがごとし万民酔ふに似たり、善は心に慣れ難く、悪は易く神(たましい)に染むの故なり。
或称之念仏宗 或号之浄土宗。
- 或いはこれ念仏宗と称し、或はこれを浄土宗と号す。
夫浄土者万善之所期 念仏者 諸宗通規。
- それ浄土は万善の所期、念仏は諸宗の通規なり。
何以此両事 別立為一宗哉。
- 何んぞ、此の両事を以つて別立して一宗となすか。
抑件輩謗鎮国之諸宗 呼曰雑行 立放逸之一法名正行 奇恠之至。
- そもそも件の輩、鎮国の諸宗を謗り、呼びて雑行といふ、放逸の一法を立て正行と名づく奇恠の至りなり。
禁遏有余 何況不蒙公家処分 恣建新儀之邪宗 早被下厳重之紫泥 欲伏訴訟之丹地矣。
- 禁遏するに余りあり、いかにいわんや公家の処分蒙むらざれば、恣に新儀の邪宗を建てん、早く厳重の紫泥を下さるべく、訴訟の丹地を伏して欲せんとなり。
一向専修の党類、神明に向背す不当の事
一、一向専修党類向背神明不当事
- 一、一向専修の党類、神明に向背する不当の事。
右吾朝者神国也。敬神道為国之勤勤。討百神之本無非諸仏之迹。
- 右、わが朝は神国なり。神道を敬まい国の勤勤と為す。百神の本を討(たず)ぬるに、諸仏の迹(あと)に非ざるは無し。
所謂伊勢大神宮。正八幡宮。加茂松尾日吉春日等 是釈迦薬師弥陀観音等示現也。各卜宿福之地 専調有縁之機 為糺善悪之業因。
- いわゆる、伊勢大神宮。正八幡宮。加茂・松尾・日吉・春日等は、これ釈迦・薬師・弥陀・観音等の示現なり。おのおの宿福の地を卜して、専ぱら有縁の機を調え、善悪の業因を糺すなり。
更施賞罰之権化 一陽一陰 雖闇垂迹之風儀 大慈大悲深 仰本地之月輪。
- さらに賞罰の権化を施して、一陽一陰、垂迹の風儀闇(くら)しといえども、大慈大悲深く本地の月輪を仰ぐなり。
是以随其内証資彼法施 念誦博経 依神異 事挙世取信 毎人被益。
- ここを以つて、その内証に随ひ彼の法施を資(たす)け、念誦博経、神に依りて事(つか)うること異なるも、世を挙げて信を取り、人ごとに益をこうむるなり。
而今専修輩 寄事於念仏 永無敬明神 既失国之礼 何無神之咎。
- しかるに今、専修の輩、念仏に事を寄せて、永く明神を敬うこと無し、既に国の礼を失す、何んぞ神の咎無からん。
当知 有勢之神祇 定廻降伏之罷口矣。又二大集経等 説仏 以一代聖教 付属十方霊神 即奉仏勅 鎮護法宝。
- まさに知るべし、有勢の神祇、廻して降伏の罷口を定むるなり。また二に『大集経』等に仏の説くには、一代の聖教を以つて十方の霊神に付属す。即ち仏勅を奉つりて法宝を鎮護するなり。
是故若受持経教者 必衛護。又生誹謗者 定与楚毒 彼謗法者其報可知。
- この故にもし経教を受持する者は、必ず衛護されん。また誹謗を生ずる者は、定んで楚毒を与ふ、彼の謗法の者はその報(むくい)を知るべし。
就中聞凶徒之行儀 食肉味以更霊神之瑞籬触穢気 以行垂迹之社壇。
- なかんづく、凶徒の行儀を聞くに、肉味を食し以つて、霊神の瑞籬(みずがき)に更(こもごも)穢気に触れしめ、以つて垂迹の社壇に行くとなり。
即是十悪五逆 尚預弥陀之引接。神明明道争妨極楽の往生矣云々。
- 即ちこれ、十悪五逆すらなお弥陀の引接に預からん。神明明道、争(いか)でか極楽の往生を妨げんやと云々。
有心之人蓋誠此言正犯神国之法 寧避王家之刑哉。
- 有心の人、けだしこの言、誠に正しく神国の法を犯すものなり、けだし王家の刑を避けざるかな。
一向専修、倭漢の礼に快からざる事
{未定}
諸教修行を捨てて専念弥陀仏が廣行流布す時節の未だ至らざる事
一、捨諸教修行 而専念弥陀仏広行流布時玆未至事。
- 一つには、諸教の修行を捨て、専ら弥陀仏を念じて広行流布の時は、ここに未だ至らざるの事。
右双観経 説念仏法門之文云 当来之世経道滅尽 我以慈悲哀愍 特留此経 止住百歳 云々。
- 右、双観経[2]に念仏法門を説くの文に云く、「当来の世に経道滅尽せんに、われ慈悲をもつて哀愍して、特にこの経を留めて止住すること百歳せん」と。云々
慈恩西方要訣 釈此文云。
- 慈恩、『西方要訣』に、この文を釈して云く。
如来説教 潤益有時。末法万年余経悉滅。弥陀一教 利物偏増時 経末法満一万年。一切諸経。並従滅没。釈迦恩重。留教百年云々。
- 「如来の説教、潤益に時あり。末法万年に余経悉く滅す。弥陀の一教、物を利すること偏えに増す時、末法の満一万年を経て、一切の諸経、並びに滅没するにより、釈迦の恩重くして教を留むること百年せん」と。云々
余経悉滅者 即指末法万年後也。
- 余経ことごとく滅すとは、すなわち末法万年の後を指す也。
既云 時経末法満一万年 一切諸経等 従滅没。
- すでに時、末法を経て一万年を満てて、一切の諸経等、滅没に従ふと云へり。
是以末法万年内 更為経道滅尽期乎。
- これ末法万年の内なるを以って、更に経道滅尽の期となすや。
就中 慈恩釈者 依善見律。彼律文云 如来滅後一万年中 前五千年 名為証法。後五千年 名為学法。
- なかんずく慈恩の釈は『善見律』による。かの律の文に云く、如来滅後一万年のうち、前の五千年を名づけて証法となし、後の五千年を名づけて学法となす。
一万年後経書滅没 唯有剃刀頭 着袈裟僧。{取意}
- 一万年の後、経書滅没し、ただ頭を剃刀し袈裟を着す僧あり。
慈恩 正指此時 而謂余経悉滅也。
- 慈恩、正しくこの時を指して余経ことごとく滅すと謂ふなり。
当知 於正像末法之間 非念仏偏増之時矣
- まさに知るべし、正像末法の間において、念仏ひとへに増の時に非ざるなり。
而彼等云 釈尊滅後 星霜眇焉 設致帰命 有何之験。去聖而遠之故也。
- しかるに彼等の云く、釈尊の滅後、星霜はるかなり。もし帰命を致すに何ぞこの験あらん、聖を去ること遠きのゆえなり。
又時、入末法 余経已滅 弥陀念仏之他 更法無。而可信是以人師釈云。
- また時、末法に入りて余経すでに滅す。弥陀念仏の他に更に法無し、しかれば信ずべし。これを以て人師の釈に云く。
末法万年 余経悉滅 弥陀一教 利物偏増 云々。
- 「末法万年に、余経ことごとく滅して、弥陀の一教、物を利することひとえに増せらん」[3]と、云々。
魯愚之至 晋未度 彼人師 釈是意如右 穏時経末法 満一万年之文。
- 魯愚の至り、すすむに未だ度せず、彼の人師の、その意を釈すに右のごときに、時、末法を経るは満一万年の文を隠す。
称末法万年 余経悉滅之言。惟其意 越欲朦時人也。
- 末法万年、余経ことごとく滅すの言をはかるに、ただその意、時の人の朦(おぼろ)なるを欲し越えんとする也。
何況 如来出世 有更異説 如天台浄名疏等。
- いかにいわんや、如来の出世に更に異説あり、天台『浄名疏』等のごとし。
以周荘王 他之代 為釈尊出世之時。
- 周の荘王、他の代をもって、釈尊出世の時となす。
自其代以来 未満二千年 像法最中也。
- その代より以来、未だ二千年に満たず、像法の最中なり
不可言末法 設雖末法中 尚是証法時也。
- 末法と言うべからず、たとひ末法中といえども、なおこれ証法の時なり。
若立修行 蓋得利 加之法花 有於像法中之説。
- もし修行を立つるに、なんぞ利を得ざる、加えてこの法花に像法中の説あり。
般若 有八千年中之文。大教之流行 豈非是時乎。
- 般若に八千年中の文あり。大教の流行、あにこれ時にあらずや。
而一向専修之輩 於説教繁昌之時 立衆経滅蓋之行事 之反覆可謂時変。
- しかるに一向専修の輩、説教繁昌の時において、衆経滅蓋の行を立する事、これ反覆して時を変ずと謂ふべし。
抑大師釈尊者 聖容満月之影 雖隠鶴林之雲 法身 照日光盛耀馬台之闇。
- そもそも、大師釈尊は聖容満月の影、鶴林の雲に隠るといえども、法身、日光盛耀して馬台の闇を照らす。
若不遇釈迦之遺教者 何得知弥陀之悲願乎。
- もし釈迦の遺教に遇わざれば、何んぞ弥陀の悲願を知ることを得んや。
不知此重恩 還生其驕慢 永不顧恩儀 何是異木石。
- この重恩を知らざるは、還ってその驕慢を生じ、永く恩儀を顧りみず、何んぞこれ木石に異らんや。
孔子云 不敬其親 而敬他人 謂之悖礼。
- 孔子云く、その親を敬せずして他人を敬するは、これを悖礼と謂う。
深忽緒 教主等閑 敬他仏 狐不反其塚 葉不敞其根者 蓋此謂歟乎。
- 深く教主を忽緒し等閑にして他仏を敬するは、狐その塚にかえらざる、葉その根をひろげざるとは、けだしこの謂なるか。
滅謗法之罪 被加禁遏之制矣。
- 謗法の罪を滅し、禁遏の制を加えらるべしや。
一向専修の輩、経に背き師に逆う事
一、一向専修の輩背経逆師事。
- 一、一向専修の輩、経に背き師に逆う事。
右彼輩云 若持戒律 若敬他仏。或修観念 談経論称名之外 皆是雑行也。
- 右、彼の輩の云ふ、もし戒律を持ち、もし他仏を敬い、或いは観念を修し、或いは経論を談ずるは、称名の外は皆これ雑行なり。
雖致精誠 無生浄土 不論不浄 不論乱心。但念弥陀即得往生。
- 精誠を致すといえども浄土に生ぜず、不浄を論ぜず乱心を論ぜず、ただ弥陀を念ずるに即ち往生を得ん。
十悪五逆 尚非極楽之妨 無慚無愧。豈簡安楽之業耶。若怖悪業者 疑仏願之人也云々。
- 十悪五逆、なお極楽の妨げに非ず、無慚無愧なり。あに安楽の業に簡ばんや。もし悪業を怖る者は、仏願を疑うの人なりと。云々
偽妄之旨言 言語道断。
- 偽妄の旨、言語道断なり。
披観無量寿経 検九品業 上品三輩中品三生者 読誦大乗 堅持浄戒 是其業因也。
- 『観無量寿経』を披きて、九品の業を検するに、上品三輩・中品三生には、大乗を読誦し浄戒を堅持す、これその業因なり。
乃至以聞十二部経之首題 而為下品上生之業因 但至下品下生 独勧十声称名 彼等強執下品之業 還謗上品之因乎。
- 乃至、以つて十二部経の首題を聞く、しこうして下品上生の業因となす、ただ下品下生に至りて、独り十声の称名を勧む、彼等強く下品之業に執して、還りて上品の因を謗るや。
加之偏誦経典 得舎蓮迎 専守戒律 遇白毫光之輩伝録 盈緗帙 行状溢於漂嚢。
- しかのみならず、偏に経典を誦せば舎蓮迎を得、白毫光に遇うの輩の伝録、緗帙に盈ち行状漂嚢に溢る。
彼道綽善導者 専修之祖宗也。
- 彼の道綽・善導は、専修の祖宗なり。
而深怖衆悪 兼修事善 若是疑仏願之人歟。将又堕悪趣之輩歟。
- しかれば深く衆悪を怖れ兼ねて善を修事す、もしこれ仏願を疑うの人か。まさにまた悪趣に堕すの輩なるかや。
世有一紙書 号善導遺言。
- 世に一紙の書あり、善導の遺言と号す。
彼文云 吾持諸禁戒 不犯一々戒 未来世比丘 不捨戒念仏 雖念仏 捨戒往生即難得 乃至無至 懺悔心 万之不生云々。
- 彼の文に云く、吾、諸々の禁戒を持ち、一々の戒を犯せじ、未来世の比丘、戒と念仏を捨てざれ、念仏すといえども戒を捨てれば往生は即ち得ること難し、乃至、懺悔心至るを無きは、万これ不生と。云々
彼党類造悪 而無改悔之心 破戒而無堅持之 望背経 違師 依憑在誰凡 入彼宗之人者 先棄 置万善 交其宗之類者 即不怖大罪 対仏像経巻 不生敬重之思 入寺塔僧坊 無憚 汚穢之行 争立懈怠放逸之行 得生 清浄善根之界。
- 彼の党類の造悪は、改悔の心なく戒を破し、経に背き師に違すことを望み、依憑在るは誰ぞ、およそ、彼の宗に入る人は、まず万善を棄て、その宗に交る類は即ち大罪を置きて怖れず、仏像経巻に対して敬重の思いを生ぜず、寺塔僧坊に入りて汚穢の行も憚り無し。いかでか懈怠放逸の行を立て、清浄善根の界に生を得べし。
北轅将過楚 緘石而為宝者歟。
- 北に轅してまさに楚を過ぐべし、石を緘じて宝となさんものか。
夫諸仏大悲者 不捨悪逆 真如理観者 無辨 定散善悪不二邪正一徹。是説教誠説也。
- それ諸仏の大悲は、悪逆を捨てず、真如の理観は、定散善悪を辨ずること無く、不二邪正一徹なり。これ説教の誠説なり。
然而造悪必堕獄 修善定生天 自業自得之報。不亡不失之理也。
- しかれば悪を造れば必ず獄に堕し、善を修せば定んで天にず、自業自得の報いなり。不亡不失の理なり。
是以 諸悪莫作 諸善奉行 寧非七仏通戒誠乎。
- ここをもって、「諸悪莫作 諸善奉行」むしろ七仏通戒の誠に非ずや。
大陽雖有光明 盲者不見之 大悲雖無偏頗 罪人不預之。
- 大陽、光明ありといえども、盲者、これを見ず、大悲、偏頗なしといえども、罪人これに預らずなり。
而今只特徴弱之称名 不僤極重悪業 詐偽之至 責而有余矣。
- しかるに、今ただ特に徴弱の称名、極重の悪業を憚からざる、詐偽の至り責めて余りあり。
一向専修の濫悪を停止して護国の諸宗を興隆せらるべき事
{未定}
脚注