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黒谷上人御法語

提供: 本願力

2016年2月24日 (水) 19:50時点における林遊 (トーク | 投稿記録)による版 (ページの作成: 黒谷上人御法語(二枚起請文) 僧俗等おもふべし、我身にはかしこきことは一もなし。仏の願によらずば、かゝるあさましきもの...)

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黒谷上人御法語(二枚起請文)

僧俗等おもふべし、我身にはかしこきことは一もなし。仏の願によらずば、かゝるあさましきものゝの往生の大事をとぐべしやと思て、阿弥陀仏の悲願をあふぎ、他力をたのみて名号を(はばか)りなく(となう)べき也。是を本願を(たのむ)とはいふなり。すべて仏たすけたまへと思て、名号をとなふるに(すぎ)たる事はなき也。
此外によしと思も驕慢の心なり。(およそ)、仏をたのむというは、心の中の観念にあらず、たゞ名号を唱るをすなわち本願憑むとは云也。念仏の行者観念にとどまる事なかれ、思はゞやがて声をいだしてとなふべき也。
称名の外には決定往生の正業なし。称名のほかには決定往生の観念なし、称名の外に決定往生の知恵なし。称名の外には三心なし。称名の外には決定往生の四修なし。五念も称名の外にはなし。仏の本願も称名を本願とす。厭離穢土の心も称名の中にあり。法蔵菩薩の昔の他力本願の故に、弥陀如来の自在神力を信じ奉るべし。(もし) 是よりおくふかき事を存知候はゞ、日本国六十余州大小の神罰を蒙り、来世の弥陀の四十八願にもれ候て、無間地獄におつべし。

『真宗聖教全書』 四p.43