念仏と呪術
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[念仏と呪術」──念仏=呪術論争をめぐって──
を、読んでみた。ついでにテキスト化してみたが文字化けするので手間取った。
家永三郎氏は、念仏呪術論を展開するのだが、「自然界を人間生活に役立てるための自然科学的法則を基礎におく技術、あるいは、人問社会を合理化していくための社会科学的法則」という、いわゆる現代知識人の目でしか、口称の<なんまんだぶつ>を捉えていないのだなと思ったものである。
宗教の世界は、わたし一人という世界ではたらく主体的な原理なのであって、客観性などどうでもいい世界である。しかし、そこを通らなければ、また自己を主体とした世界も味わえないのではなかろうか。
昔の田舎の門徒は、なんまんだぶ、ありがたい、なんまんだぶ、ありがたい、と、念仏と感謝を交互にお念仏を称えていものである。このようなお念仏は、称えるというより聞く念仏である。阿弥陀如来は、無上仏(*)であり浄土は無上涅槃(*)、そして、念仏も無上功徳(*)である。
無上とは有上に対する言葉であって、この上が無いということである。仏も無上、浄土も無上、念仏も無上である。
無上である、なんまんだぶは、阿弥陀如来が、浄土が、我が身の上に顕現してはたらいている相状である。
言葉を超えた本願の世界から、再び言葉となって、私の身の上にはたらき続けている大利無上の功徳が、なんまんだぶである。
あり得ない事が、我が身の上の事実として起こっているから、なんまんだぶ、ありがたいなのである。
ひく足も 称える口も 拝むて手も 弥陀願力の不思議なりけり (寂如上人)
お聴聞に参る足も、なんまんだぶと称える口も、阿弥陀さまを合掌する手も、本願力が現に身の上に、はたらいて下さってある相(すがた)である。 だから、不思議なのである。この願力不思議がはたらいているから、有る事難しで、ありがたいなのである。
なんまんだぶ なんまんだぶ ありがたいなあ
- 念仏と呪術
リンク切れ http://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/4422/1/91389_155.pdf
- ──念仏=呪術論争をめぐって──
峰島旭雄
小論の副題にいう念仏=呪術論争とは、ここ二、三年ないし数年の範囲内において家永三郎博士によって提起された念仏無用論、ならびに星野元豊教授によるその反駁、そして、これらをめぐってなされた諸家の論争のすべてを指すものである。 これらの論著・論文・主張においては、当然のことながら、念仏の定義、呪術の定義、念仏と呪術との関係の間題、念仏は呪術であるとの主張、念仏は呪術でないとの主張等々が見出される。それゆえ、本題にいう「念仏と呪術」の間題を正面から取り扱わな<とも、この念仏=呪術論争を紹介・解説し、かつ批判するならば、側面的ではあるが、「念仏と呪術」の間題の解明になんらかの寄与をなしうるものと思われる。小論はこのような見地からできるだけ資料を整理して紹介し、かつ若干の間題点を指摘するつもりである。
まず管見のおよぶかぎりで集めた念仏=呪術論争にかんする資料にもとづき、年次にしたがってその内容を要約して示すことにしよう。
(①) 家永三郎「親鸞の念仏─親鸞の思想の歴史的限界に就て─」(『中世仏教思想史研究』所収、昭和三十年一月増補版)
この論文を収めている『中世仏教思想史研究』(昭和二十二年八月初版)は博士の鎌倉仏教研究の三部作「親鸞の宗教の成立に関する思想史的考察」「道元の宗教の歴史的性格」「目蓮の宗教の成立に関する思想史的考察」を主内容とする論文集で、博士のそれ以前の論著『上代仏教思想史研究』をうけるものであることは、博士自身その序において述べておられるところである。とりわけ博士の日本仏教史研究の最後の目標は親鸞、ないし親鸞をふ<む鎌倉仏教にあり、博士の諸種の研究はいわば親鸞の研究へ向かって集約されているといっても過言ではなかろう。さて「親鸞の念仏」は、右の三主要論文に附せられた五論文(昭和三十年一月増補)の一つであり、すでにそれより数年前に公表されたものである。この論文は博士自身もいわれるごと<、「歴史的研究といふよりは、仏教に対する文明批評的[1]私見を述べたもの」であるが、私見なるがゆえに真宗教学の正統を継ぐ学者からの批判が起こる一方、宗教哲学の立場に立つ一部の学者からも反駁が出ることになる。
さて、家永博士は、この論文の副題「親鸞の思想の歴史的限界に就て」の示すごと<、親鸞の思想が歴史的な限定をうけ、ついにそれを超克できなかった事情を、親鸞の師法然、ならびに遡って源信の念仏を通して究明しようとする。 「親鸞の念仏の特色をはっきりさせるためには、親鸞の思想の源流となった先行浄土家のそれと比較するのが、最も捷径」[2]であるが、これを日本に限定する場合、親鸞が『高僧和讃』の中で先徳として挙げている源信と法然を取り上げるのが妥当である。源信の念仏は『往生要集』に述べられているごと<、礼拝・讃歎・作願・観察・廻向の五門のうちとりわけ観察にもとづ<観念の念仏であった。これにたいして法然は観念の念仏を否定して、口称の念仏を説いた。ところで、法然において口称念仏というとき、口称という行に重きを置くか、それともその基礎にある仏の本願にたいする憑依の念に重きを置くか、また一念の念仏で足りるか、多念の相続を必要とするのか、について明白でなく、法然の減後、これらの解釈をめぐって、安心派と起行派、一念義と多念義の分裂を惹起した。親鸞は明らかに安心派にぞくし、一念義の影響のもとに、信心為本の立場に到達し、浄土真宗の真髄を信心に求め、信を中心とする浄土教の再編成をおこなった。
このように「観念の念仏から口称の念仏へ、口称の念仏から一行の信へといふ展開の過程は、浄土教の内面化・易行化の径路を意味するのであり、宗教としての本質的なものに肉迫して行く過程として、重要な意義があることを看取しなければならない」[3]のである。そして『歎異抄』第三章に説かれているいわゆる悪人正因説[4])や第九章に見える唯円との間答[5]は、念仏を唱えてもなお金剛の信心の得られぬ凡夫にたいしてこそ如来の悲願が立てられたことを明らかにするものであって、そこに逆説的な救済の端緒がある。だが親鸞は、このように信心の獲得に絶望しつつも、その絶望を絶望のままに推して行くことによって生ずる逆説的な救済の具体相の説明を遂行しているかどうか。親鸞ほど深い現実諦視に裏付けられた思想の持主は少なく、かれには教会の伝統の拘束を一擲した自由思想家の面影さえうかがわれるのであるが、しかもかれもまた敬虔なる仏門の子として伝統の制約はついに超克しえなかった。すなわち、悪人正因説をその教義組織の中に組み入れることをせず、信心をもって衆生の自覚によるものではなく如来の廻向に基づくもの、「如来よりたまはりたる信心」として、口称の念仏行を捨てず行と信とを並列する大行説を案出して、伝統と妥協したのである。
さて家永博士は親鸞の念仏をこのように捉え、そこから念罪の立場と念仏無用論を引き出される。それによれば、法然は浄土の荘厳を観ずることの無意味を悟って、色相を名号に置き換え、親鸞はそこからさらに進んで、浄土の荘厳や仏の名号を念ずるのではなく、自已の煩悩を直視することを教えた。ここに「自已の罪深きことを直視するのが大悲大願を信じ得るための唯一の活路であるといふ意味において、むしろ<念罪>の教の名にふさはしい新しい立場」[6]が成立した。「念 レ 仏」という在来の方向からすればこの「念 レ 罪」という方向はまさに「百八十度の転回」といわなければならない。そして、人問の社会的実践→罪障の自覚→信の決定という、念罪を軸とする信仰の構造の中には、称名念仏などの位置する余地はない。「念仏といふは、かならずしもくちに南無阿弥陀仏ととなふるのみにあらず。阿弥陀仏の功徳われらが南無の機にをいて、十劫正覚の刹那より成じいりたまひけるものをといふ信心のおこるを念仏といふなり。」「ものぐさ解怠ならんときは、となへず念ぜずして夜をあかし日をくらすとも、他力の信心本願にのりゐなば、仏体すなはち長時の行なれば、さらにたゆむことなく間断なき行体なるゆへに、名号すなはち無為常住なりとこころうるなり」の言葉の中にははっきりと念仏無用論が示されている。しかるに、前述のごとく、親鸞は「つねに念仏あざやかに申せば、念仏よりして信心のひかれていでくる也」という法然の遺教を深く体し、伝統と妥協して自己の論理を歪曲し、この念罪・念仏無用論の道をただ一すじに進むべきところを、この道を体験し感知しながらも退きはずれていってしまった。さらに親鸞を祖とする後世の真宗教団に目を転ずると、そこには念仏即因襲的行儀の形体しかない。親鸞にはまだ右のごとき体験があり苦しみがあった。これにたいして後世の真宗教団は親鸞の峻厳な思索を平板化し世俗的権力と妥協し、日本社会の歴史的進展のためになんらの寄与をもなしえなかった。しかし、ひるがえって考えると、そのこともまた、開祖親鸞において見出される致命的な欠陥が次第にかかる結果を露呈せしめたのではないか。その致命的欠陥とはなにか。「念仏行への執着」がそれである。「親鸞は念仏の教を媒介としてその偉大な宗教を樹立したのであるが、同時に念仏は親鸞にとってく躓きの石>でもあったのである」。[7]
以上が家永博士の所論である。これにたいしては念仏=呪術論争において星野元豊教授などから反論が出ているし、また親鸞の念仏の捉え方そのものについても異論がありうるが、それらは後述にゆずることにしたい。
(②) 家永三郎「呪術は生きている─念仏は仏教の将来を左右する─」(『中外目報』昭和三十四年六月十九目号)
この一文の中では念罪や念仏無用論とい言葉は直接用いられていない。用いられているのは念仏即呪術論である。その内容はほぼ次のごとく要約される。
お寺では葬式の儀礼がおこなわれ、棺前読経が奇妙な節廻しをつけてよまれる。だが、これは宗教の名に値いしない呪術である。律令時代の鎮護国家の法令がすでに呪術である。平安時代の加持祈祷は明らかに呪術である。鎌倉新仏教の念仏と唱題もまた呪術である。「法然は<信心>を強調することによって呪術より宗教への転換の道に勇敢にふみ切った。親鸞は<行>に対する<信>を前面におし出して呪術よりの離脱を完遂するかと思われる飛躍を敢てした。鎌倉新仏教の画期的意義を私はそこに見出すのであるが、法然はもとより、親鸞さえも、口称念仏に固執してついに呪術と縁を絶つことができなかったのである」。 こんにち科学の発達と社会の合理化がまだ十分でない点が残っているから呪術が残存しているが、科学の発達と社会の合理化が十分に達せられるならば、「呪術の無用化」が生ずる。「遠い将来まで仏教がその生命を維持しようと望むならば、その呪術性を清算して真の<宗教>に転化するほか、残された道はないことを知るべきである」。
この一文は、⑪に掲げた博士の再論と併せて再考さるべきであり、さらには①の「親鸞の念仏」とも関連させて検討する必要がある。
(③) 水上 莫「念仏を廃止せよ─慣習は呪術を呼ぶ─」(『中外』同年六月二十一目号)
これは家永博士の主張につづいて現われた主張であるが、『歎異抄」第九章の唯円との間答に依処し、真宗僧侶としての現実の苦悩と対決しているものである。この文は二人の対話の形式をとっているが、その筋をたどると次のごとくになる。真宗の僧侶として念仏をみずからも申し、人にもすすめているが、肝心の自分に念仏を申してよろこぶという気持が湧かない。念仏をよろこぶというより念仏になやまされている。念仏を呪術と考えたり、名号を暗号と考えたりしたくないけれども、念仏を理解しようとすればするほどかえってそれが邪魔になる。怠惰な習憤にしたがって、あるいは自已の職業を捨てることをおそれて、このまま念仏を唱えつづけるべきか。いっそ呪術のように思える念仏をやめてしまったらどうか。そのほうが自己自身にとって忠実ではないか。 『歎異抄』でも「踊躍歓喜の心をろそかにさふらふ」との唯円の述懐があり、親鸞もこれに同情して「この不審ありつるに」と一応答えているではないか、というのである。
これは一種の「念仏廃止の宣言」であるが、そこに用いられている念仏や呪術の概念規定がかならずしも明確でないように思われる。
(④) 大江淳誠「悪しき目には<呪術>─念仏は頂戴するものである─」(『中外』同年六月二十五目号)
これは家永博士の主張にたいし反駁の立場から書かれた一文である。 「これをぬきにしては真宗の線をはずれてしまう」というきわめて正統的な立場を表明しているものとして注目される。『正像末和讃」に、「智慧ノ念仏サヅケシム」とあり、『首楊厳経ニヨリテ大勢至菩薩和讃シタテマツル八首」の第八首に「念仏ノヒトヲ摂取シテ、浄土二帰セシムルナリ」とあり、いずれも「阿弥陀如来より頂戴する念仏」を意味する。これが正信念仏である。『教行信証』化身土文類にはっきり「弥々斯レヲ善〔喜〕愛シ、特二斯レヲ頂戴スナリ」と出ている。如来は凡夫に正信念仏をあたえようとしていつも喚びかけつつある。この「本願招喚の勅命」に随順するところに信心が現われ、念仏が現われる。かかる信心や念仏を如来の廻向という。しかしこれはたんなる理屈や文字の解釈ではなく、「生き生きとした日々の暮しのうちに出てくる味い」であり、これを得る者こそ「真宗の行人」というべきである。
大江博士のこの所論はたしかに正統的な主張であるが、さらにこの立場を敷衍して論究すること、とりわけ家永博士の主張にたいして答えるような方式で展開すること、が必要ではなかろうか。つまり間題はこの先にあるということである。
(⑤) 坂本 弘「念仏は果して呪術か─念仏の二つの方向について─」(『中外』同年七月一目号)
この一文は他の諸論文のうちでもきわめて明快にして説得力があり、かつ家永博士の主張に直接答えるものをもっているように思われる。副題の示す通り、念仏の二つの方向について述べてあるが、それに先立って念仏ないし呪術の概念規定に注意をはらい、この一文全体が同時にそれらの概念規定の役割をも果たしている。 「卒然と念仏一般についてそれを論ずるということ自体に無理」があり、また「念仏に関して呪術ということばを用いる場合、やはりその意味を明かにしておく必要」があるとし、次のごとく論をすすめている。念仏というとき、その背後に「潜勢的ななにものか」が信ぜられており、この「なにものか」をいかに受け取るかによって二つの方向が分岐する。第一はこの「なにものか」を呪力的に受け取る方向で、経釈の脈絡からかってに魔事降伏・鬼神護持・減罪生善などを切断して取り出し、その利益のゆえに念仏を受持するものである。だが、これは呪力思念であって呪術そのものではない。
呪術は呪力を用いて意識的強制的になんらかの結果を引き出そうとする具体的なテクニックであり、呪力思念は呪術成立の有力な条件ではあるが、一つの条件にすぎない。それゆえ、念仏はこの段階においては「潜在的に呪術をやどしている」にとどまる。けれども、巫術や呪術の素地のあるわが国では、これが具体的に呪術の形をとって現われること(念仏の呪術化)は容易である。たとえば葬送、死霊・悪霊の鎮攘、疫神の追散など。これにたいして、第二の方向は「はるかの高み」すなわち生死の間題に向かう。この場合念仏の意義は「人をしてよく出離生死せしめる」ところにある。この方向の第一は天台・禅・真言等において見出される「修行の方法」としての念仏である。その二は念仏思想の本流をなすものであり、「往生浄土の行」としての念仏である。この場合の念仏はまさしく阿弥陀如来から差し向けられたものであり、阿弥陀如来への道である。この方向においては、「罪業的煩悩的自己の自覚に立って信を通じてどこまでも阿弥陀の願心に深まり徹しようとする」。この流れの代表はいうまでもなく法然と親鸞であるが、とくに親鸞は、「徹底した内観に立ってこの信なる事態現成の原理と構造とを存在論的に深く究明」したのである。
ただ内観といってもたんに思索的ではなく「真執な念仏の実践の上に」営まれたものであった。以上のことを簡単に図示すれば次のごとくである。
坂本教授のこの一文にふくまれる方向や態度は、のちに星野元豊教授が宗教哲学の立場から展開する論究に接近している。
(⑥) 村寺 修「念仏の呪術性を反省する─家永博士の所論に一学徒として─」(『中外』同年七月八目号)
これは明らかに、家永博士の所論に心が「強く引かれる」という立場から書かれている。この一文には呪術的という語がしばしば出てくる。「念仏を口称するという事実……これは習慣的であり、義務的であり呪術的要素が強く、その口称はただの発声音で、アーメンと称するも何等の変化もない」 「念仏の有難さ……難解な言葉でその教義を展開され……何ら反省もない天下り的、呪術的念仏が肯定されている」 「招喚の勅命に随順しえたものの念仏、所謂工リートの念仏は確かに純粋なものであると納得しえても、呪術的念仏であると意識せざるをえぬ自分の如きマス[8]の念仏は如何に解すべきか」。
とくにこの最後の言葉は大江博士の所論への批判であり、 エリートの念仏とマスの念仏という表現を用いている。さらに、マスの念仏、ただ天下り的念仏を習慣的に発音しているにすぎないような念仏が呪術的であるばかりでなく、 エリートの念仏を説く者に特有な難解な表現、「ドグマで念仏の絶対性を論ぜんとすること」が「呪術的念仏への道」をひらくことになるとさえ論じている。最後に易行道といわれる念仏行を、呪術的念仏に堕することを脱れようとして苦悶する自已自身の体験から、むしろ難行道であると断じている。
この主張においても相変らず呪術の概念規定が明確でない。
(⑦) 木村真証「”疑い”は此処からくる─念仏における信と不信─」(『中外』同年七月八目号)
ここでは、これまでの立論とは別の観点から論が立てられている。いわば問題をひろい視野にうつし、念仏否定論は念仏の前提たる如来の実在、浄土の存在の否定を意味するが、来世を否定してはたして念仏はあるか、仏教も宗教も成立するか、と問うのである。氏の主張によると、来世の有無こそ宗教の成立如何を決定する必要にして十分な条件である。極楽も阿弥陀仏もなければ念仏は人を救う力をもちえない。初期念仏門の人びとは仏や浄土の存在について疑問をいだかなかったと思われるが、現代はそうではない。仏の実在、浄土の存在そのものに疑いがもたれている。そこで、「浄土や仏は認めつつも念仏だけで果して救われるかという念仏者の疑い(不安)」と、「浄土も仏も事実存在するのであろうかという疑い」とは区別されねばならぬ。前者は機の深信より萌す疑いあり、後者は三宝への帰依にたいする不信である。上来の念仏否定論はこの点に目を向けているのであろうか。この点において自已矛盾がありはしないだろうか。
氏の所論は念仏論の前提を衝いているものとして意義がある。
(⑧) 須藤隆仙「念仏呪術説のつまずき─口称行と呪術との根本間題─」(『中外』同年七月十七目号)
これまではもっぱら浄土真宗の側からの主張・反論であったが、ここではじめて浄土宗からのポレミスト(論者)が登場する。これまでの諸論がいずれも②に掲げた家永博士の主張にたいする直接的な反響であったのにたいし、須藤氏は「家永博士のこの所論が今頃間題となっているのを、実は不思議に思っている」とし、①に掲げた家永博士の論著に博士の今回の主張の根があることを的確に指摘し、前者は後者の詳論であることにまず注意を喚起している。氏の所論はこうである。博士が棺前読経を呪術とするばかりでなく、口称行をも呪術と断じたところに今回の論争の核心がある。しかし、博士が「口称行を呪術と見なしたこと」は卓見である。念仏はすでに「呪術的性格へと逆向していった」のであり、この点では博士の所説を破することはできない。念仏は「本覚という字宙の真理と、我々人間とを結ぶもの」であって、「その間に口称行が登上してくる」のであり、「原始宗教に於ける呪術とは勿論異なるであろうが、その性格に於いては呪術性をもつもの」と帰結される。もっとも念仏によって信心が起きるとする法然の場合もあるが、これもまた「客観的には呪術の形式をとるもの」とされよう。次に家永博士は科学の発達と社会の合理化とが呪術を無用化するといわれるが、そうではない。「人間そのもの」の問題として、人問にはどうしても、「ある特定の世界と、それを関係づけ得る人間との、その間に不可欠の<ともずな>たる口称との関係」がなければならない。念仏という一つの技術方法なくしてはそのことが不可能であるという「人間そのもの」の問題がある。「呪術という一つの技術なくして、果して如何なる方法が宗教の世界に残されてくるか」。家永博士の躓きは、「念罪」たるものを説き、社会的実践の中に罪の自覚が出てくるとする点である。「博士はただ簡単に罪の自覚が出てくるものと思っている」ようであるが、宗教の世界における人間意識(罪感をもふくめ)はかならず宗教的技術(口称行・身苦行・参禅行)によって生ずるものである。最後に「口称行は呪術であっても、それなるが故に却って呪術を超破するものである」といいたい。
右の所論には種々たる間題点がふくまれているように思われる。まず口称行をとにかく呪術と認めたことにたいしては宗乗の学者から反論が出ることであろう。また⑪に掲げた家永博士の再論でも触れているごとく、口称行を一つの技術とみなすことには技術の概念規定のうえで問題がある。また全般を通じてやはり呪術の概念規定がかならずしも明確ではない。最後に「口称行は呪術」であっても「却って呪術を超彼する」ことの詳論がのぞまれる。 「呪術と見ても、その呪術の総体的活動を見ていかなければ」とか、「口称の位置だけはもっと複雑に展開するもの」という言説のうちに詳論への手がかりがあるものと推察されるが、この一文の副題が「口称行と呪術との根本問題」であっただけに、「紙数の関係でそこまで詳述できない」のは氏とともに惜しまれるところである。氏が家永博士の原著にさかのぼり、そこから立ちかえってこの論をなしていること、博士の「念罪」──罪の自覚が簡単に出てくること──にたいして宗教の世界の独自性を説いて反駁している点などには、敬意をささげたい。
(⑨) 曾我量深「─道はわかれる念仏には呪術要素も─」(『中外』同年七月二十九目号)
ここではまず歴史的な観点から論が立てられている。家永博士の念仏呪術説も歴史学宗教学的には承認されるかもしれない。念仏の起源を求めれば仏教以前、仏教以外におよび、いろいろな要素が入っていることが考えられる。阿弥陀仏や本願念仏についてもペルシアなどの宗教の影響を受けているとする説もあるくらいであるから、念仏の中に呪術的要素があっても不思議ではない。ただここで大切なことは、呪術的要素があるからといってただちに念仏の不純性を帰結することはできないということである。念仏は本願成就の名号であり、称名念仏を大行という。そして、この大行のうえに立つ信を正信、真信という。このような根本的な意味での念仏でなく、「我の分別によって称える念仏」ならば呪術といってもよい。だが、その場合は正信とはいわない。これにたいして、「あらゆる因縁和合し、機法一体となるその絶対現在の事実の自覚が大行、即ち称名念仏である時」、どうしてこれを呪術といえようか。
なお、「正しく教えるならば呪術的に称えられていた念仏がまことの念仏に帰入してゆくことは十分可能」である。
(イ) 念仏に呪術的要素を認める。(ロ) しかし正信としての念仏にはなんら障害とならない。(ハ) 呪術的念仏を頁の念仏へ教え直すことができる。これらの点がこの論の要点であろう。
(⑩) 勝岡廓善「念仏の非呪術的展開─シュラドハーからブラサーダヘ─」(『中外』同年八月十九目号)
法然の念仏は称名念仏であって称名正因であるのにたいし、親鸞の念仏は信心念仏であって信心正因である。天台から法然へ、法然から親鸞へと「三段転入の飛躍的展回過程」がある。これをサンスクリットであらわせば、恩寵・恵みの信心のプラサーダ(prasāda)から自力訓練の信心のシュラドハー(śraddhā)への転換である。親鸞が「信」を先決的に打ち出し、「信」を重要視したことはまさに未曾有のことであった。この「信」によって「私が南無阿弥陀仏になり、南無阿弥陀仏は私である。だから信後の南無阿弥陀仏と称することは、南無阿弥陀仏が南無阿弥陀仏と称する」にひとしく、呪術ではありえない。しかし、このことは、呪術的な念仏が現にない、あるいはあってはならないということではない。「人間である以上、呪法的なものはどこかにしのびかくれている」からである。間題はそれらがいかなる純化過程をたどるべきか、ということである。
(⑪) 家永三郎「念仏は<技術>か─諸家の批判に答える─」(『中外』同年八月二十六肩号)
これは②に掲げた博士の「呪術は生きている」の再論である。もちろん単なる繰り返しではなく、その間に生じたさまざまな反論・反響にたいして「諸家の批判に答える」という副題をそえた再説である。とりわけ④の大江博士、⑤の坂本教授、⑧の須藤隆仙氏の所論を取り上げ、これらにたいして補説ないしは再批判の形で論を展開している。 大江・坂本両氏の反論にたいする答えは前回の論の繰り返しにすぎないのでとくにおこなわれない。須藤氏の主張については、第一に、率直に念仏を呪術と認めたことにたいしては敬意を表するが、そのように認めながら、「念仏や題目が現代の呪術であっても、それはいいかえれば一つの技術方法」であるから、人問のあるかぎり無用となることはない、とする主張には賛同できない。技術とは人間生活における客観的世界の法則の自覚的な適用のことであり、したがって、かならず客観的世界の科学的法則と直接または問接につながるものである。自然界を人間生活に役立てるための自然科学的法則を基礎におく技術、あるいは、人問社会を合理化していくための社会科学的法則に結びつく技術はある。しかし、前科学的な超自然力に依頼する神秘的行動様式としての呪術を技術とはいえない。一般に人間の主体的ないき方にかんする宗教と、客観的世界の法則にかんする技術とのあいだには結びつきはない。だから、口称行を技術と称するのは論理的矛盾である。第二に須藤氏は、罪の自覚は決して人間の社会的実践からただちに出てくるものでなく「行」を介さなげればならないとするが、「行」を介さなげれば生じてこないような宗教意識のあり方、そのような種類の宗教は、人間社会に本質的なものでない、と断じたい。──以上が家永博士の再論の要旨である。
これらの点については星野元豊教授が直接間接に詳論するところでもあるので後述にゆずる。ただ第一の点についてはたしかに論理的矛盾が認められること、第二の点については宗教というものの本質からいって間題をはらむものであることだけを指摘しておきたい。
(⑫) 松尾仁海「呪文と正行念仏─自己の隙に注意─」(『中外』同年八月二十八目号)
この一文には比較的に呪術(呪文)の概念規定が挙がっている。勝岡氏が(⑩とは別の文において)呪法の条件として、呪術の場所がなげればならないこと、種々の器具等を備えておくべきことなどを挙げているが、呪術をそのようなものとすれば、人と呪文とのあいだに隙があることになる。呪術はその場限りであり、一種の手段方法(権方便)にすぎず、自主性なく、人問味にとぼしい。相手を信任するというよりも相手の態度に眩惑される。そこには人格の成長はなく、廃悪修善的な趣きがない。ゆえに生死解脱など思いもよらず、生死浮沈の迷妄者となる。 「一部の浄土門徒中にもこの念仏の正行が一種の呪文であり、呪唱であるかの如く思想している向き」もあるけれども、浄土念仏正統派では許されないことである。「我らの称行する念仏」には間隙がない。正行念仏はわたしの生命であり、骨肉であり、血液である。わたしの現在の行動そのままが真に念仏である。
(⑱) 秦竜勝「行善なる念仏─家永博士の再論について─」(『中外』同年九月九目号)
これは家永博士の再論にたいする批判である。氏は博士の念仏呪術論を観念論的な宗教論と断定する。まず「人問の経験と現実に於て、罪の自覚は罪の自覚だけで充足され得るものであろうか」と間い、それは「思弁の心理的過程にしか止まらないであろう」と批判する。また家永博士のいわれる社会的実践を通しての罪の自覚とは、「所謂るバートラソド・ラッセル等の知性派的な自已反省か、それとも社会道徳的な罪悪観」であるか、あるいは「宿業の本能による罪の自覚」であるかと問い、博士のいう「罪」は前者であり、氏のいわんとする親鸞の罪悪観は後者であるとする。「人間の本願的な願望、その願望の充足せられるべき世界に照応して」生ずるような自已の罪障の自覚が親鸞の罪悪観である。親鸞において念仏は行善であって、この自覚の認知・自己肯定が社会的実践という行となって現われる。「その念仏行は客観的に歴史的に真実者として十分にそれを実証している」。したがって社会的実践を通しての罪の自覚という構造のうちには口称行の入る余地はないという博士の所論はむしろ逆であって、そもそも「行」なるものは自覚者の社会的実践なのである。また博士は「すべての念仏を呪術」と断定したが、これは「哲学的行為を以って人聞の至高とする観念論者のコンプレックス」を示すものであって、そのような立場からは当然、「口称という形態が維持される限り、その呪術性が完全に消減したとはいえない」というごとき思弁的分析で、「親鸞の念仏も十把一からげに」呪術の範疇へ押込めざるを得ないことになる、というのである。
(⑭) 星野元豊「真宗の念仏と呪術」(昭和三十四年講演)
これは(15)に掲げた氏の論著のきっかけとなった講演である。
(⑮) 星野元豊『念仏と呪術』(昭和三十五年六月一目初版)
右に述べたごとく、「真宗の念仏と呪術」が機縁となってまとめられた一書である。すでにその都度触れたように、この書には、これまで紹介した諸論文・諸主張に見出される若干の間題点についてかなり根本的な解明があたえられており、かつ本論題にかんする著書としてはおそらく本書が唯一のものと恩われるので、少し詳しく紹介することにしたい。
星野教授は宗教学、とりわけ宗教哲学の立場に立って念仏と呪術の問題を解明しておられる。教授はみずから言明するごとく宗教哲学者であって、そのような自由な立場から宗学において取り扱われる間題に徹底的な分析解明をあたえた二、三の論著をすでに世に問うていられる。[9]。教授の最初のまとまった論著『宗教哲学』の中には、教授が宗教哲学をいかなるものと見るかについての考えが述べられている。それによると、宗教哲学の立場は宗教を外面から理解するのではなく、宗教のうちに入って内面から理解する、すなわち、宗教のロゴスともいうべきものを捉え、それによって宗教の意味を論理的に示し、宗教を基礎づけようとするものである、といわれる。[10]
さて、かくのごとき根本的な立場から教授の著書『念仏と呪術』も書かれているのであるが、『宗教哲学』改版には、すでに二、三の個々の主題についての叢書を公けにし、念仏と呪術についてもすで草稿を成したころと思われる著者の「構想」が附してある。
「本来的に宗教は人問存在の根柢、世界存在の根柢に横たわる根本真実であり、その真実を徹見するということ、むしろその根本真実に成る(ウェルデン)ことが宗教の根本のはたらきである」けれども、「このはたらきは現実においては、純粋にそのまま現象することは極めて困難」であり、「現実の具体的宗教現象は他の諸文化現象と相互に影響しあって現象している」、とくにそれは「最も類似的現象である呪術(magic)や道徳、芸術等の現象と相互に影響しあい、それらの諸要素を内に含みつつ種々なる形の宗教現象として現象している」。それゆえ、「現実の生きた宗教現象の全きすがた」を理解するためには、それが「横には諸文化現象と竪には歴史的社会構成体といかに関係しあうか」の間題を究明しなげればならない。[11]
右の言説の中で宗教現象、とりわけ類似的現象の第一に呪術が挙げられていることからも知られるように、星野教授の関心事がまずそこにあり、それが念仏と呪術の間題を機に、一書にまとめられたといってもよかろう。したがって、念仏と呪術の間題の解明は、宗教哲学にたいする根本的なアプローチと、「生きた宗教現象の全きすがた」の解明とのあいだに見出される一つの境位であるともいえよう。じっさいの動機にかんして補足すると、家永博士が①に掲げた論文を公けにされたとき、教授はそれにたいして異論はあったけれども、真宗学の立場から論争すべき間題として、これを反駁することをさしひかえた。しかし、②および⑪に掲げた主張で家永博士が親鸞の念仏を呪術的であるとするにいたったとき、「問題は宗教学の領域へ移って」きて、論駁の責任が生じた。しかしその場合も、第一に「問題を複雑化せしめる」ことと、第二に家永博士の発言が「現実にかかわって」いて、「一つの根拠から提出された問題であるが、波及するところが多面」であり、「とうてい一面からのみ、これを論ずることがでない」ことのため、博士の所論を直接論ずることはさけた。博士のいわれる二点、すなわち、第一に「念罪」については「宗教学あるいは宗教哲学の面から考察されねばならない本質的な問題」があるが、それは『宗教哲学』での根本的な論述にゆずり、第二に「社会的実践」の間題については、『宗教的実践と社会実践』にゆずった。このようにして、⑭に掲げげた講演を機に想をねり、「講演とは全く独立に」『念仏と呪術」なる一書が成立したのである。次にこの書の内容を概観しよう。
これまでに要約した諸論文、諸主張の多くは、念仏とか呪術とか宗教とか技術についてその概念規定があいまいであり、あるいは概念規定をおろそかにし、これらを独断的に使用しているきらいがあった。そこで、なによりもまずこれらの概念の異同を検討することの重要さが痛感される。ここでは最初に呪術と宗教の異同の検討がおこなわれる。大きく分けて、呪術と宗教を同系列におく場合と、これら二者を異質的と見る場合とがある。
呪術と宗教を同系列におく場合にも、これを発生的に同系列とみるか、対象的(儀礼的)に同系列とみるか、本質的に同系列とみるかなど、さまざまな場合がありうるが、本質的な面から見た場合に触れよう。
一般に、宗教と呪術は世俗と異なったものとして神聖の領域にぞくするものとされている。世俗的(profane)にたいする聖なる(sacred)ものの領域である。デュルケーム(É.Durkheim)がすでにそのことを述べており、オットー(R.Otto)のいう das ganz Andereもこの「聖なるもの」である。このように聖なるものは世俗的なるものから分離されるのであるが、それぞれが固定的な価値をもつものではないことがロバートソン・スミス(R.Smith)によって主張されている。すなわち、聖と俗とは機能的・相対的なものであって、これを分かつのが禁忌(タブー)である。 スミスは聖なる価値がまずあって、それが聖なるゆえに区別され、接触を禁制されるのではなくて、禁制され分離されるがゆえに聖と名づけられるというのである。いわばタブーが聖なる価値を産出するのである。[12]以上が神聖性という本質によって宗教と呪術をおなじ領域にぞくさしめる見解であるが、また、超自然性という本質を規準にして呪術と宗教をおなじ領域にぞくさしめる考えもある。天災のような危機に遭遇したさい、なにかしら超自然的な力にたよってこれを乗り切ろうとするのが呪術であれば、「後生の一大事」に際会して弥陀の不可思議な超自然力の働くのが宗教である。いずれも超自然的(supernatural)をその本質としているのである。さらに、非合理的(irrational)をもって呪術ならびに宗教の徴表とする説がある。請雨儀礼において呪力によって雨を降らすことはあるいは自然科学的に合理的に説明することができるかもしれないが、少なくとも執行者にとってはこの儀礼自体は非合理的なものとみなされているだろう。「難思の弘誓」「不可思議な本願の働き」というとき、それは宗教における非合理的なものをあらわしている。レヴィ・ブリュール(Lévy-Brühl )はこれをまた先論理的(prélogiquc)ともよんでいる。なお、呪術と宗教の超自然的、非合理的な性格は情緒的には神秘的という性格を生み出す。かくして、呪術と宗教は本質的に見られた場合、神聖性、超自然的、非合理的、神秘的の性格を有し、それゆえにおなじ領域にぞくするものと考えられるのである。
次に、呪術と宗教を異質的と見る揚合について触れよう。これにも発生的、対象的(儀礼的)、本質的の各方面から見られた場合がある。
本質的に見られた場合の宗教と呪術の相違については、とりわけフレーザーとリューバ(J.Leuba)が若干の原理を挙げて説明している。フレーザーは呪術の原理として「共感の法則」(the law of sympathy)を挙げる。これは「類似の法則」(the law similarity)と「接触の法則」(the law of contact of contagion)からなる。第一の類似の法則は、雨を降らそうとする場合には雨が降ったかのように水をまくことによってじっさい雨の降ることを期待するような、「似たものは似たものを生む」法則であり、類感呪術(homeopathic magic)、模倣呪術(imitative magic)、擬態呪術(mimetic magic)が成立する。第二の接触の法則は、動物の足跡を傷つけるとその動物そのものが傷つくと信じるような、「かってたがいに接触したところのものは、その物理的接触が絶たれたのちでも、離れていてたがいに作用しつづける」という法測であり、伝染呪術(contagious magic)が成立する。このような共感の法則は、すでに推察されるように、観念連合の法則の誤てる適用にほかならない。このことは重要である。呪術において呪術そのもの、あるいはその儀礼行為は絶対必然のものと考えられている。フレーザーはこの点に呪術と宗教との本質的相違を見出すとともに、呪術と科学との本質共通性を見るのである。呪術は、自然界の秩序と統一にかんして確固たる信念をもち、機械的に同一の原因が同一の結果をもたらすことを信じている点で、科学となんら変わるところがない。ただ科学はこれを「明白に」(explicitly)認めているのにたいし、呪術は「暗々裡に」(implictly)信じているだけのちがいである。前者は科学的因果性であって、そこからは科学的世界観が成立し、後者はいわば呪術的因果性であって、そこからは呪術的世界観が生ずる。ただし、呪術にはいかんともなしがたい大きな欠陥がある。 それは上に述べた観念運合の法則の誤用に明らかなごとく、因果的連鎖の法則を「非合法的に」(illegitimately)適用していることである。これにたいして科学はこれを「合法的に」(legitimatery)適用している。 「実に呪術と科学とは異腹の兄弟である」。そして、ここにまた呪術と宗教の本質的相違点も見出せる。というのは、宗教においては、かならず世界を支配する超人問的人格的存在の信念と、それを宥和慰撫し、それに随順しようとする観念とがふくまれ、かかる超人間的人格的存在の自由意志によって自然の運行も左右されるからである。呪術においては、たとえ適用において非合法的であろうと、自然の斉一性と被決定性を前提として、人間自身の(呪)力によって自然の運行を強制的機械必然的に変転せしめることがあった。これにたいして宗教は「すべては御心のままになしたまえ」という絶対随順の態度なのである。呪術は倣慢な態度、不遜な心情を誘発し、宗教は帰依随順の態度をかもし出す。
右がフレーザーの所論であるが、リューバもまた、人問がその生命の保存と発展のために学びとった態度を分類し、(一) 機械的態度(the mechanical behaviour)→科学、(二) 強制的態度(the coervive behaviour)→呪術、(三) 人情的態度(the anthhropopathic behaviour)→宗教、としている。この分類では、フレーザーよりさらに明白に、呪術を機械的定量関係から区別すると同時に、人格的力に訴える宗教からも区別していることは、注目すべき点である。
これらの諸見解についてマリノフスキー(B.Malinowsky)は、「呪術と宗教とが一つの特別な行動の様式であり、理性と感情と意志とから同様に作り上げられている一つの実際的態度であるということの承認」の功績を認めている。では、マリノフスキー自身の見解はいかなるものであろうか。かれは右のごとく呪術と宗教を対象によって区別するのではなく、態度によって、さらに態度を動的にとらえてその態度の職能(function)をみることによって、区別しようとする。「われわれは聖の領域内において次のように定義を下した。呪術とは、後に随起するものと期待されるような一定の目的結果にたいする手段にすぎないところの行為からなる実際的な技術であるが、これにたいして宗教は一団の自己充足的な行為であって、その行為そのものがそれ自身の目的を充足する、と。」 分かりやすくいえば、宗教的儀礼は功利的目的をもたず、儀礼を執行すること自体が目的であり、儀礼執行によって目的が満たされるというのである。マリノフスキーは人間の普遍的現象である「死」を取り上げ、これを「死」に面した人間の主観的側面と、死者にたいする客観的側面から考察し、臨終の聖餐や葬送の儀礼が右に述べた宗教の定義を証明する好例であることを指摘する。たとえば葬送において支配的な情緒は、死者にたいする愛着と屍体にたいする嫌悪である。この一方は死体を保存しておこうとする傾向となり、他方は死体との関係を絶ち切ろうとする傾向となる。これら二つの情緒の一方へ極端化したものがミイラ化の処置法であり、他方へ極端化したものが火葬の処置法である。そして近親者たちは宗教的儀式を通して不滅の信念や愛せる者との合一や次の世界の秩序の啓示によって慰められるのである。葬送の儀礼は死にたいする人問生得の情緒的反応に依存し、その遂行が目的を充足しそのあとになにものかが期待されるのではない。
このマリノフスキーの見解を念仏と呪術の問題にあてはめてみるとどうなるだろうか。宗教学的には口称の念仏は口頭儀礼にぞくするので、この念仏という儀礼行為が呪術的であるか宗教的であるかがその職能によって定められることになる。もしそれがなんらか実際的な目的を達成するためにおこなわれるならば、明らかに呪術的儀礼ということができよう。これにたいして、なんらの実際的な目的をもたず、ただ称えるという行為そのものによって念仏自身の目的が充足されるのであれば、その場合は宗教的ということができよう。しかし、このような考えは職能主義的な立場に立つかぎりでは妥当な見解であるが、「われわれの立場」からは十分とはいえない。「われわれの問題は念仏そのものがはたして呪術であるか否か」が問題だからである。主体的実践としての念仏がはたして呪術であるかどうかが問題だからである。「現象的にみるとき、宗教と呪術とを明白に区別することは困難であり、純粋に現象面にあらわれたところのみからこれを区別することは困難というよりも、むしろ無意味ということもできよう。何故なら……現象的には呪術と宗教との融合した形態が多く、いわゆる呪術─宗教的(magico-religious)とよばれるような、呪術とも宗教とも区別しかねる現象も数多くあるからである。」しかし、「現象的にはいかに区別しにくいとしても、原理的にはこれを区別することが可能であり、またかく区別することは意義があるというにとどまらず、宗教を明白に示すためにも是非なされなければならないことである。」(傍点筆者)
そこで、このような原理的な観点からもう一度これまでの諸説を顧みると、次のように要約されるものと思われる。
ところで、呪術的行為にせよ宗教的行為にせよ、すでに触れたごとく、いずれも危機において起こるものであるが、その危機の本質は、両者の性格の相違に基づいて、まったく異なるものである。呪術は疾病などの人間的テーマにかんして危機をもつから、なんらかの手段によって克服されるものとして意識された危機、つまり相対的危機といえよう。この場合は目的の充足によって危機は解消する。これにたいして、宗教においていう危機は、人間的に克服しうることの不可能な絶対的危機である。たとえば西洋の実存哲学によっても取り上げられている「死」の危機がそれである。
このように問題を掘り下げてくると、問題はもはや宗教現象的な次元になく、またそこから帰納される若干の法則にもなく、さらには宗教的態度・職能・行動の型に存するのでもなく、むしろそれらを成立せしめている根本的な原理面の間題となる。そこで、「現象的にみるとき、念仏が呪術的に機能しているということと、念仏というものが本来呪術であるということとは全く別なこと」であり、「念仏が現象的に呪術的に機能しているが故に、その本質までも呪術であるとすることはできない」のである。いわんとするところは「本来的には念仏は宗教的であるべきであって、呪術的であるべきではない」ということである。
それでは、当面の間題として、親鸞においては念仏と呪術はいかなる形をとっているであろうか。人問の弱さというもの──人間性の奥底にひそむ呪術的傾向──がしばしば念仏を呪術化する。親鸞の行跡として伝えられている話の中にも呪術的要素が盛り込まれてきた。それどころか、親鸞その人の残した言葉の中にもこのような問題点をふくむものがある。たとえば『現世利益和讃』の中では「三世の重障転ず」といい、『教行信証』でも「衆禍皆転ず」といっている。これらをその字の通りに読むならば念仏が呪術的であるということが十分いわれることになろう。しかし、これにたいしては、これらの言葉は庶民を対象としたものであること、時代的な背景があること、親鸞をたんに思想家としてではなく宗教家としても捉えること、師法然の伝承を守っていること、たとえ呪術化された念仏でも真実の念仏への捷径となるものであれば許容されるということ、「対機説法、応病与薬」ということ、などを考慮に入れ、これらの言葉があるからといって直ちに親鸞の念仏を呪術であると断じてはいけない。それどころか、親鸞において念仏は純粋に宗教的に現象している。つまり、親鸞においては念仏はその本来的な在り方において現象しているのである。では、それは詳しくはどういうことであるか。
親鸞においては念仏は単なる発音ではなく、教えに従って全身心をなげうって称名することである。ここで、念仏して往生できるのは念仏するという行為によるとか、六字の名号に不思議な力があるからだと誤解してはいけない。
それはほかならぬ仏の願力によるのである。かれの念仏の根柢にはいわゆる第十八願がある。 「設我得仏十方衆生、至心信楽、欲生我国、乃至十念、若不生者、不取正覚、唯除五逆誹謗正法」である。親鸞はこの第十八願の中心は信心であるとし、極言すれば、念仏で往生するというよりは信心一つで往生すると考えたとさえいいうる。そうなると、念仏行は余計なものとなり、前述の家永博士のごとき批判も出るのであるが、これは親鸞を宗教家として見るべきところを思想家としてのみ見ていることから生ずる誤解である。第十八願の中心を流れているものは客体的には願力、主体的には信心、信決定の端的な具体的な主体へのあらわれが念仏である。念仏は信の具体的な全体人間的表現である。このように理解しなければならない。 「念仏なき信心は抽象的であり、信心なき念仏は空虚である。」さらに、念仏において「南無」と帰命するのは単にこちらから自発的に帰命するのではなく、救わずにはおかぬという仏の本願のよびごえである。如来が念仏の衆生を救わねばみずからも仏とならじという願を立て、そして、衆生が仏に帰命するというその行をも衆生に廻施したのである。「南無と帰命する働きも実は如来の働きにほかならない、……これが念仏なのである。」[13] このような念仏こそ、本来的な在り方において現象している念仏である。念仏をこのようにあるべき姿において捉え、顧みて念仏全般をみるとき、(一) 信心即念仏としての念仏(あるべき姿のもの)、(二) 信心≠念仏としての念仏(口称念仏)、(三) 俗信的念仏(呪術的念仏)に分けることができる。後世、真宗の教義のモットーとされる「信心正因、称名報恩」において、信前の口称念仏は第一の信心即念仏への捷径なる念仏であり、信後の念仏は信心の具体的表現としての儀礼的称名としての念仏と解すべきである。
以上が『念仏と呪術』とにおいて論述されているものの要約である。われわれは教授の宗教哲学の立場からするこの問題の解明決着にほぼ同調するものであるが、これについては最後にふたたび触れる機会があろう。
(⑯) 戸松啓真・峰島旭雄「念仏と呪術」(昭和三十五年十二月十二目、浄土宗教学院研究会)
昭和三十四年夏ころ前掲のごとき論争が『中外」誌上に載り、三十五年に星野教授の『念仏と呪術』がまとめられたが、須藤氏ほか一、二の人の主張を除けば、それらはいずれも浄土真宗の人びとの主張であり論駁であり、念仏はとりわけ親鸞の念仏をめぐって呪術か否かが論議された。これにたいして、浄土宗の立場からはこの問題をいかに考えるべきかに重点をおいて浄土宗教学院において「念仏と呪術」の問題を論議したものが、ここに掲げた研究発表である。短時日のうちにかかる催しが決定されたことも一因で、決定的な問題究明はなしえず、問題は今後に残されたのが実情であるが、次にその内容を簡単に述べておきたい。
まず戸松氏は家永博士の再論を中心に、大江、坂本、須藤各氏ほか二、三の主張・論駁に検討を加え、星野教授の論著にも若干言及して、問題の概観と問題の所在を的確に示し、次いで法然における念仏に触れられた。目的が直ちに実現されて功利的な意味での結果がもたらされることが呪術の特性をなすとして、かりにそれに相当するような言葉(概念)を法然においてさがすならば、「功徳」を挙げることができよう。すでに『観無量寿経』に「減罪の功徳」がいわれ、法然もしばしば念仏の功徳を説いている。これは、星野教授が親鸞において指摘されたとおなじく、呪術的念仏と解されるおそれもないことはない。しかし、法然において念仏は浄土へ往生しようとする真摯な願望にほかならず、その自然的な結果としての功徳が説かれるのであるから、これをもって直ちに法然の念仏、あるいは一般に念仏を呪術だと断定することはできない。このような観点からいって、浄土宗にぞくする須藤氏が念仏を呪術であると言い切ったことは遺憾である。家永博士は歴史や社会の進歩について一つのイデオロギーをもっておられ、そこから、念仏もまた呪術でありしたがって無用であるとされるのであるが、念仏を呪術であると認めた人びとはそのことに気づかない。これは家永博士の術中におちいった感をあたえる、というのである。
つづいて峰島は、家永博士の最初の論文(②に掲載のもの)を中心とし、星野教授の『念仏と呪術』については⑮に詳述したものとほぼひとしい概観紹介をこころみ、これらを通じて、宗教哲学的な立場からこの間題を論ずるときは宗教現象としての念仏や呪術を処理する場合と次元を異にする点を強調し、原理的な念仏は呪術ではないことを再確認した。ただ星野教授が『念仏と呪術」において展開されている論議の範囲内では、そのような原理的な立場がふたたび現象面とどのように結びつくかが明瞭にされていないことを指摘した。
以上によって目に触れたかぎりの念仏呪術論争の諸論著・諸論文・諸主張を要約紹介したわけであるが、それらには種々なる問題点がふくまれている。次にそれを整理し批判検討することにしよう。
まず、これまでもその都度指摘した概念規定のことであるが、それぞれの論において、念仏・呪術・技術はじめ細部にわたる用語の概念規定が明確でないため、無用の論議をかもしたり、あるいは、たがいに共通の論議の場に立つにいたらない場合がかなり見出せるように思う。とりわけ、自已自身にとって納得のいかない、自已自身において体認しつくされない念仏を呪術的念仏と称し(③、⑥)、そこから念仏呪術論、念仏無用論を直ちに引き出すごとき傾向がある。
たとえば、念仏を口称することには呪術的要素があり、難解な言葉で説明されて上から授けられる念仏は天下り的、呪術的念仏で、ドグマで念仏の絶対性を論ぜんとすることは呪術的念仏への道をひらく、などの主張においては、「呪術的(念仏)」という語がかなり濫用されており、ドグマ的な念仏が呪術的であるのかドグマ的な説き方が呪術的念仏へさそうのか、その両方いずれにも解されるようなあいまいさがあるのである。さらに、これに関してエリートの念仏とマスの念仏という分け方も見出されるが、このような分け方を念仏と呪術の本質的間題に結びつけることは問題を混乱させるものといわなければならない。これはむしろ学者の説く念仏と一般宗門人の唱える念仏とでもいうべきところであって、現象面をさらに現象的・便宜的に分けたものにすぎず、念仏と呪術の本質的な解明にはならない。かりにこのように分けて考えるとしても、そのように念仏が分かれてくる根本はなんであるかを問い、もう一度いわゆるエリートの念仏とマスの念仏とを対決させねばならない。なお、呪術と呪術性というような類似した表現も見出される。念仏は原始宗教における呪術ではないが、その性格においては呪術性をもつというのであるが、この場合、「呪術」「呪術性」とはそれぞれいかなる意味内容でいわれているのであろうか。客観的には呪術の形式をとる、ともいわれるが、その意味は、念仏は本質的には呪術ではないが具体的に表現されるとき呪術の形式をとるということなのであろうか。その点が明瞭を欠き、「客観的」の語の意味があいまいである。
「技術」の語についても同様に概念規定の問題がある。念仏の呪術的側面を認め、呪術はテクニックであるとする場合⑤はとりたてて問題にならなかったが、念仏全般を呪術と断じたうえでなお呪術という宗教的技術が宗教に不可欠であるとしたとき⑧、概念規定のうえで本来技術と宗教は結びつくはずがない、宗教的技術という表現自体が論理的に矛盾するという反駁が出たのである。(⑪) このことが直接原因となっているわけではないが、星野教授も呪術の異同についてもっばらフレイザーの所論を引用して説明された。そこで、ここでは補足的にロニー(J.A.Rony)の『呪術』(La magie)によって若干説明を加えておこう。
まず呪術と科学は異なるものであるといわれる。未開人には工作的で実際的な知性があり、それは道具の作製や利用の方法のうちに見出される。ただし、かかる知性は呪的な力をよびおこすことはない。技術上の間題が障害にぶつかったとき呪術の力を援用するにすぎない。それは歴史的な推移のうちに、呪術を保護し、技術の進歩を促すことが認められる。「とはいえ呪術はまた技術の精神と戦う」。[14]呪術は一つの神秘であり、この点が呪術を宗教に近づけるゆえんであり、それだけまた科学から遠ざけるゆえんでもある。レヴィ・プリェールは呪術の精神は科学的態度の否定そのものであると述べている。これに反してブレーザーは、呪術の基本的概念と近代科学の概念とは同一であると説いているが、この考えは「呪術師の二次的原因──科学者の唯一の研究対象──にたいする完全な無関心、経験にたいする不滲透性を忘れている」。「呪術師にとっても偶然は存在しないとしても、それはかれが自然にたいして命令することができ、それに従うべきではないと考えているからである、ということを忘れている」[15]。ところで、こんどは反対に、呪術と科学とを同一にみなす方向はどうか。この方向ではフレーザーがふたたび援用されるわけであるが、エセルティエの造語である<呪術学>ともいうべき理論的、教義的な呪術はないものだろうか。エセルティエは、たとえ呪術が一見実証的認識を深め呪術的な説明を不用にするごとく見えるとしても、やはり呪術の原理の埒外には出ていないのであって、呪術はあくまで擬似科学にとどまるというのであるが、かれはそのさい、呪術の合理的精神、すなわち科学との原理的・方法的関連、形式上の類似を見そこなっている。経験をつんだ呪術師の方法は科学者の方法とさほど異ならない。かかる呪術師はその仮説に有利なように、事柄の規則的な運行を証明する共感のあらゆる自然的「奇蹟」を祈ることができる。ただ、このようなことがいえるのは<呪術学>ともいうべき教義上の呪術についてのみである。通俗的な呪術はやはり科学的態度の否定であった。ここに呪術は教義的と通俗的との二つに分けられる。だが、この分類はなんといっても抽象的な分類にすぎない。いずれにせよ呪術は、「科学のおこなうように、世代から世代へと発展し、発見された法則をより大きな体系中の特殊な場合として行くことを決してしなかった。」それどころか「呪術はその体系化を試みようとさえしなかった」のである。[16]
このようなわけで、呪術と科学、呪術と技術の異同にはかなり諸説がある。当面の間題に限定していえば、呪術をかるい意味でテクニックとよぶのはよいが、科学的技術の意味での技術とよぶことはさしひかえるべきであり、同様に宗教的技術という表現もこの場合には適当とはいいがたい。むしろ「方便」とか、星野教授のいわれる「捷径」ないし「具体的表現=儀礼」などの語を適宜用いるほかないのではあるまいか。
概念規定の問題はこれくらいにして、次に念仏功徳のことに触れよう。すでに引用したごとく、親鸞も念仏の現世利益のことをいい、さかのぼって『観無量寿経」にも「是の如く心を至して声をして絶えざらしめて、十念を具足して南無阿弥陀仏と称せん。仏の名を称するが故に、念仏の中に於て十億劫の生死の罪を除く」とあって、念仏に罪業消滅の功徳のあることを述べている。では法然においてはどうであろうか。もとより法然もその例外でなく、『選択本願念仏集』の中、第十五章「念仏現世利益篇」で、同様に念仏の現世利益を語っている。「観念法門に云はく、護念経という意は、亦諸の悪鬼神をして便りを得しめず。また横病横死、横に厄難あることなく、一切の灾障、自然に消散す」とあり[17]、「又観念法門に云はく、……又般舟三味経の行品の中に説きて云ふが如き、仏の言はく、若し人専らこの念弥陀仏三味を行ずれば、常に一切の諸天、及び四天大王、竜神八部、随逐影護し、愛楽相見することを得て、永く諸の悪鬼神、灾障厄難、横に悩乱を加ふることなし。具には護持品の中に説く如し。又云はく、三昧の道場に入るを除きて、日別に弥陀仏を念ずること一万して、命をはるまで相続する者は、即ち弥陀の加念を蒙り、罪障を除くことを得。又仏と聖衆と、常に来りて護念し給ふことをかうむる。既に護念を蒙れば、即ち延年転寿を得」[18]とある。
また祈りという言葉を用いて、別のところで、「ただ念仏ばかりこそ現当二世の利益とはなり侯はめ」[19]とも、「返々専修念仏を、現当のいのりとは申侯べきなり」[20]ともいっている。このように念仏という祈りに現世利益あるいは現当二世の利益があることをしきりに述べているのであるが、これをもって法然の念仏を呪術的と断ずることは当を得ていない。 『選択本願念仏集』第五章「念仏利益篇」では利益を大小に分かち、念仏に大利あることを説いている。「この大利とは、是れ小利に対するの言なり。然れば則ち菩提心等の諸行をもって小利となし、乃至一念をもって大利となす。然れば則ちもろもろの往生を願求せん人、何ぞ無上大利の念仏を廃して、強ひて有上小利の余行を修せんや」[21]。
この場合、念仏行に「功徳の大利」あり、菩提心等の諸行に「功徳の小利」しかないことをいうのであるが、ひるがえって前述の念仏の現世利益を考え合わせると、念仏自体においても功徳に二種あることが窺われる。一つは念仏行そのものが目指すところの、念仏行に本質的なものとしての功徳であって、「大利」とも「無上の功徳」とも称せられ、「それ彼の弥陀仏の名号を聞くことを得ることありて、歓喜して一念に至るまで、みな彼に生ずることを得べし」[22]によって分かるように、浄土往生の功徳であり、「永遠の大生命に生かされる大利益」[23]である。もう一つは、いわばそれに附随する功徳であり、逆にいえば、本来的な功徳を育てあげていく前提的・誘引的功徳ともいうべきものである。思うに、この第二の功徳も、じつは第一の本来的な功徳を実現するためにやはり弥陀から廻施された功徳であって、第一の功徳と別存するもの、異質的なもの、劣れるものではない。しかし、機の相違に応じてこれを単なる現世利益と解する可能性が出てくることも事実である。大利・小利について、「原(たず)ぬるに夫れ仏意は、正直に念仏の行を説かんと欲すといへども、機に随ひて、一往菩提心等の諸行を説きて、三輩の浅深不同を分別す。然るに今諸行においては、即に捨てて歎ぜず、置いて論ずべからざるものなり。ただ念仏の一行につきて、即に選びて讃歎したまふ。思うて分別すべきものなり」[24]とあることからも分かるように、念仏の二種の功徳についても「機に随ひて」方便的な説き方がおこなわれたと考えることができる。しかし、だからといって、この二者を分離し、一方を純粋な念仏、他方を呪術的念仏とすることは抽象的な理解の仕方といわなければならない。これに関連して石井教道博士が「現世の祈りにも念仏が目出たいと示しつつ、すぐに永遠の大生命と結びつかせて、そして其現世利益の効果有無を安心の上にありとなし、その安心が即ち永遠の生命への転換を自然になさしめうるようにと心づかいしたまえる親切さは、凡夫宗教の元祖ならではかなわぬ所の如く思われるのである。されば、今日現在生活と遊離した念仏を説いたり、又之と反対に永遠の生命と連りのない唯現世利益をのみ説く宗教に走るもののために注意を与えておきたい」[25]という証言も、当面の間題にかんするかぎり、重要な発言とみなされよう。[26]
さきに、『念仏と呪術』にかんして、原理的な念仏の立場がふたたび現象面とどのように結びつくかが明瞭でないことを指摘したが、この点については、星野教授もこの書の「あとがき」で述べていられるごとく、教授の別の著書『宗教的実践と社会実践』において触れられている。それは家永博士の社会実践にかんする所説にたいする反論としての役割を実質的に果たすものであり、同時に念仏のもつ還相面を原理的に解明したものといえよう。
そもそも宗教的実践は「厭離穢土」といい、解脱といい、現実否定の実践であるのにたいして、社会実践はあくまで現実肯定的な実践である。そのかぎりこれら二つの実践は異質的であるかのごとく考えられようが、皮肉なことに、宗教者が人間であるかぎり、そして人問が社会存在であるかぎり、さらに宗教が実践であるかぎり、宗教的実践はある種の社会実践である。宗教的実践はまずこのようなパラドクシカルな性格を有する。宗教的実践と社会実践との関係について究明をふかめるならば、そこに往相的な宗教的実践と還相的な宗教的実践の二種の仕方が見出される。現実の矛盾を脱却せんと努力精進する「上求菩提」の宗教的実践と、矛盾を脱却し解脱することによって一切を救済せんとして現実に働く「下化衆生」の宗教的実践とがそれである。まず往相的実践は個的であり内的である。それは端的には浄土へ往生せんとする願いをこめての実践である。だが、往相的実践はじつは単なる個的・内的な実践にとどまらず、 「願共諸衆生往生安楽国」すなわち「諸の衆生と共に」かの国へ生まれんと願うものである。「この往相的実践が社会実践として働くとき、如何にそれが、個的内的な性格であろうと、この度衆生心が社会的にも働かないはずはなかろう」。
還相的実践は具体的には現実的社会における出来事としてある。むしろそれは宗教的原理から本質必然的に規定される社会実践である。その時、その場に応じて自然に実践されていく底のものである。これを一言にしていうならば、還相的実践としての社会実践は「自然法爾」でなければならない。自然法爾とは「現実のもろもろの法則に従うこと」であり、現実のもろもろの法則に従うためには、それらの法則を正しくそのありままに認識することが必要である。仏教的な「無知」はこのような認識の態度をあらわす。「無知」に根拠づけられているかぎり、この場合の社会実践は単なる科学的な社会実践ではなくて、あくまで科学的でありながらしかも根底的に宗教的立場に立った社会実践なのである。さて、往相的実践と還相的実践とを分けて説述してきたが、この二者はじつは二にして一、一にして二である。 「往相のはたらきなくして還相のはたらきはありえない。還相が働いているということは具体的には往相の実践がなされているといふことである」。 二者がかくのごとく一であるのはそこに如来の願心の廻向が働いているからである。 「往相と還相とはしばらくの区別にほかならない」。現実には一つの如来廻向の働きがあるだけであり、一つの宗教的実践があるだけである。さらにいえば、「ここでは宗教的実践と社会実践の二つの異なった実践があるのではない。ただ一つの実践があるのみである。社会実践をなすことのうちに宗教的実践が行ぜられているのであり、宗教的実践は常に社会実践において具体的になされている」。[27]
右が『宗教的実践と社会実践』の趣旨であるが、これを、家永博士のいわれる「人問の社会的実践→罪障の自覚」という信仰構造とつきあわせてみよう。かかる信仰構造は宗教的な行を考えていない、罪の真の自覚は宗教的にしか起りえない、この構造は信仰の超越的(人格的)対象を欠く等々の一種の超越批評はしばらく措き、宗教的実践=社会実践(星野教授の主張される意味での)を認めてこれをこの信仰構造にあてはめてみれば、家永博士の主張がその外見と異なり、宗教者から見た場合の無宗教ではないことになろう。同様に、「それ(宗教)は社会的実践の否定的転換によって形成される罪の自覚以外にありえないであろう」⑪という言葉もおなじ仕方で換骨奪胎できるであろうし、そのおなじ論法で、「仏教がその生命を維持しようと望むならば、その呪術性を清算して真の<宗教>に転化するほか残された道はないことを知るべきである」という断言も、むしろ呪術的な念仏を清算して、あるべき念仏を姿へ、すなわち原理的な念仏がそのあるべき姿で現象するあり方へと立ちもどることの慫慂とみなされうるであろう。
社会的実践の否定的転換によって形成される罪の自覚──そのようなものは宗教ではないとされるならばそれでも差しつかえない、と家永博士は述べていられるが、そのようなものこそ宗教の名に値するのだと、パラドクシカルにいうことさえできるのである。 「念罪」は単に非宗教的なものでないこと、 「念罪」という社会的実践をおこなっている人には意識されていないけれども、じつはそれがすぐれた意味での宗教的実践にたっているのではないかということ、ひとたび宗教的実践であれば、介在の余地なしとされた「念仏」──ただしあくまで呪術的念仏でない──も、少なくとも原理的にはそれに結びつくことができるのではないかということ、このことをもう一度考え直してみることが必要である。
なお、その他いくつかの注意すべき点を列挙すれば、(一) 現在、念仏はその当時とちがって易行道でなく、むしろ難行道と受けとられていること、⑥ (二) 呪術的念仏から真の念仏への教導は可能であると考えられていること。しかし、現実にそれがいかにおこなわれるべきかが明確でないこと。(⑨) (三) ロニーの説述にもあったように、呪術は「世代から世代へ発展」したり体系化されたりすることがその本質でない。これにたいして念仏は、法然から親鸞への一場面を取り上げてみても、そこにすでに宗教の論理としての展開がある。あるいはこれを祖師と二祖、三祖の伝承という面からみても、そこには開祖の体験の論理化・体系化、一種の「学」、 つまり宗学の形成がある。そして世代から世代への発展(真の意味で発展といえるかどうかは別として)があり、永続的な交わり(具体的には教団や教会として)がある。呪術にはこれらのものはない。あるとしても一時的・暫定的のもので、目的が遂行されれば解消するものであろう。[28]
以上、さまざまな観点から、種々の間題点を検討してきたのであ(る)が、最後にくりかえしていうと、「現象的にみるとき、念仏が呪術的に機能しているということと、念仏というものが本来呪術であるということとは全く別なこと」であり、「念仏が現象的に呪術的に機能しているが故に、その本質までも呪術であるとすることはできない」のである。そして、「次元の相異」ということを前提として、つまり宗教現象の分析やそこからの帰納によってではなく、宗教哲学的に自已自身の主体的根源において遂行され体認されるものという立場に立つとき、念仏が呪術であるかどうかは間題でなく、「念仏は呪術的であるべきでない」 「呪術的でないのが念仏である」とさえいうことが可能である。
〔あとがき〕 本論攷の資料となった『中外』所載の論文は大正大学講師宮林昭彦氏からお借りした。記して感謝の意を表わしたい。
注
- ↑ 家永三郎『中世仏教思想史研究』再版序言。
- ↑ 同二三三頁。
- ↑ 同二三五頁。
- ↑ 「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや。……願ををこしたまふ本意、悪人成仏のためなれば、他カをたのみたてまつる悪人、もとも往生の正因なり。」(傍点筆者)
- ↑ 「念仏まうしさふらへども、踊躍歓喜のこころ、をろそかにさふらふこと、またいそぎ浄土へまいりたきこころのさふらはぬは、いかにとさふらふべきことにさふらふやらんと、まうしいれてさふらひしかば、親鸞もこの不審ありつるに、唯円房おなじこころにてありけり。よくよく案じみれば、天におどり、地におどるほどに、よろこぶべきことをよろこばぬにて、いよいよ往生は一定とおもひたまふべきなり。……他力の悲願は、かくのごときわれらがためなりけりとしられて、いよいよたのもしくおほゆるなり。」
- ↑ 家永三郎、前掲書二三八頁。 (7) 同 二四六頁。
- ↑ 同 二四六頁。
- ↑ masses。大衆という意で使ったのであろう。
- ↑ 星野元豊教授の著論文をできるだけ掲げると次のごとくである。
1 『宗教哲学』 昭和二十三年二月、目本科学社。
2 『宗教的実践と社会実践』 昭和二十五年十二月、法蔵館。
3 『浄土 存在と意義』 昭和三十二年四月(昭和三十五年十月 二刷)、法蔵館。
4 『仏教』 三十五年五月、現代哲学全書、青木書店。
5 『宗教哲学』 昭和三十五年四月改訂二刷、法蔵館。
6 『念仏と呪術』 昭和三十五年六月、あそか書林。
7 『新しき世代の宗教』 (?)
8 「イマゴ・デイ」(竜谷学報、昭和十五年)0
9 「宗教哲学」(『新宗教論大系』)。
10 「宗教現象の構造」(『竜谷大学論集』森川智徳先生喜寿記念論文集)。
11 Das Verhältnis des buddhistischen Denkens zu Karl Barth ("Antwort" Festschrift zun 70. Geburtstag von Karl Barth am 10. Mai 1966. S.423-434)
12 「非神話化の基礎」(『宗教研究』一五四号)。
13 「聖と俗との間」(同 一六二号)。
14 「宗教の本質把握について」(目本宗教学会第十九回学術大会) - ↑ 星野元豊『宗教哲学』 五一-五二頁。
- ↑ 同 改訂版二〇一─二〇二頁。
- ↑ 星野教授の他の著書には、宗教を聖と俗との関係からさらに根本的に規定した箇所、すなわち、 「俗から聖へ」の方向とともに「聖から俗へ」の方向からも考えた箇所がある(『浄土』序九─十頁)。
- ↑ このような考え方ばアウグスティヌスの『告白』にも見出される。 「主よ、わたしの信仰が汝を呼ぴ求める。わたしの信仰は汝がわたしにあたえたもうたもの」。 (第一章)
- ↑ Jerome-Antoinne Rony:La Magic (Cokkection Que Sais je? N 413 )吉田訳『呪術』 一〇二頁。
- ↑ 同 一〇四貢。
- ↑ 同 一〇九頁。
- ↑ 『選択本願念仏集』(土川勤学宗学興隆会) 一一九-一二〇頁(以下『選択集』と略す)。六三三頁(以下『全講』と路す)。石井教道『選択集全講』六三二ー六三三頁(以下「全講」と略す)書き下し文は『全講』による。
- ↑ 『選択集』 一二一-一二二頁。『全講』六三九-六四頁。
- ↑ 石井教道編『昭和新修 法然上人全集』一五二八頁、「鎌倉の二位の禅尼へ進ずる御返事」。『全講』六四三頁。
- ↑ 『勅伝』二五、井川定慶編『法然上人伝全集』二五二頁。『全講』六四二頁。
- ↑ 『選択集』 五〇ー五一頁。 『全講』二六五─二六六頁。
- ↑ 『選択集』 四八頁。 『全講』二五六頁。
- ↑ 『全講』 二五七頁。
- ↑ 『選択集』 四九頁。 『全講』 二五八-二五九頁。
- ↑ 『全講』 六四四頁。
- ↑ (⑤)において坂本教授が「呪カ思念」という言葉を用い、それが直ちに呪術でないこと、また念仏の呪カ思念的な側面も経釈の脈絡からかってに切断して取り出された功徳利益の考えに基づいていること、を指摘されているのは、この場合とくに注目すべきである。
- ↑ 『宗教的実践と社会実践』との中には、往相的・還相的いずれの実践を論述するさいにも、親鸞の 『現世利益和讃』が引用され、かつ呪術云々の言及がある(四六、一一七、一二八頁)。この書は昭和二十五年に一公けにされたものであるから、星野教授が『念仏と呪術』で展開された論究の骨子はすでにここにおいてある程度まで成っていたといえる。
- ↑ これらの点については今後の研究に俟ちたい。佐藤賢順博士「法然の念仏・親驚の念仏」(『理想』昭和三十六年九月号)参照。とくに三-四頁。