新しい領解文を考える
提供: 本願力
本願寺派では門徒が阿弥陀如来の前で口に唱え耳に聴いてきた「もろもろ」ではじまる『領解文』が、この度(令和5年)、宗務当局(総長石上智康氏(1936~) )の手によって変更されることになった。石上氏は御年87歳であるが、老獪な手法で門主の権威と宗門の権力を巧みに利用し長年我々門徒に親しまれ口になずんだ『領解文』を変更したのであった。
これを伝統の破壊であるとし、また変更された新作領解文[1]は浄土真宗の宗義に背いている疑義があると一部の僧俗が声を挙げた。
ただ、包括宗教法人[2](本山)の傘下にある被包括法人である一般寺院(末寺)は、本山から様々な統制を受けるので自由に声を挙げることは困難が伴う。このため宗義上の疑義があるにもかかわらず一部の愛山護法の有志を除いて教団内の僧分からの声が高まることはないであろう。仏法より世法である。浄土真宗の僧侶にご信心がないから新作領解文を自らの信に照らして疑いを持たないのであろう。
なお、本願寺派での宗義論争には「三業惑乱」があった。『浄土真宗辞典』によれば、
- そしてこの問題は『領解文』の「たのむ」の理解に関わるものであったため、学匠間の論争にとどまらず、地方の門徒をも巻き込む暴動にまで発展し、本願寺だけでは事態を収拾することができず、ついに幕府の介入を受けることとなる。
と、あるようにご法義理解の根幹に関わる騒動であった。今回の「新作領解文」問題もまた宗義安心問題であった。門徒がこの宗門の為政者の意図を知れば、より一層の寺離れが進行するであろう。
脚注