『親鸞と現代』行巻の構造
提供: 本願力
『親鸞と現代』武内義範著p59~
- 「行巻」の構造
さてよく知られているように、『教行信証』のなかでは、その最初のところに、往相廻向ということについて論じられ、その往相の廻向について教・行・信・証があるということが説かれている。そしてまたその往相廻向について、つまりわれわれの浄土真実への道ということについて、大行あり、大信ありということがいわれている。行と信とが『教行信証』の最も中心の問題であることがここに示されている。しかしこの大行とか大信とかいわれている行と信の問題を、いま行為と信仰という言葉でいいなおすことには、かなりの問題があるかと思われる。
行為という場合、行為する私ということ、つまり行為する主体としての個人を離れて行為ということはない。それが行為ということの予想概念であり前提である。けれども「大行あり、大信あり」というときのその行は、念仏の行であって、この念仏の行は私自身の個人の行であるか、それとも私を超えた絶対他者の行であるか、そういう点に、すでに『教行信証』では大きな問題がある。そこで行というものを能行、すなわち念仏という行為をするもの、すなわち能行・能信(受身でなく積極的に自分の方からはたらく行為、信ずる信)の主体が、行ずるところの念仏の行為と考えるか、あるいはそうではなくて、それは、「法体名号」(能行能信を包む、そして主客の全体である名号が、法[高次の実在]としてあること)という概念で示されるような名号自身、すなわち南無阿弥陀仏という仏の名(みな)自身のはたらきであると考えるか、などの問題について、いろいろの議諭がなされてきた。
特に徳川時代から明治の初頭までの間に、真宗学者の間では、大行を行為する主体としての人間の行為として解するか、それとも人間を超えた絶対他者(弥陀)の他力のはたらきと考えるか、あるいはその両者が能所として───つまり主体と客体として───一つの円融無礙の状態になったものと考えるかについて、さまざまの議論がなされている。それらの議論は『教行信証』を初めとして、親鸞の著作、消息などの諸文献の緻密な解釈と、それにもとづいた宗学的な立論によって、展開されている。しかし私はここではこのようなことは直接問題にしないで、行為という面から、人間の、特に宗教的実存が実存として成立するための、根本の条件とたる絶対的な行為というものの意味を明らかにするための手がかりとして、『教行信証』の行ということを考えようと思う。
同様に大信というときの信の意味についてもいろいろむつかしい間題がある。『歎異抄』のなかで親鸞は「如来よりたまわりたる信」としているが、この如来よりたまわりたる信と、私自身が信仰するという意味での信ととが、どういう関係になるかということに関しても、行についての場合と同様、いろいろの問題が生ずるかと思われる。しかし私はここでは、教・行・信・証という「実存範疇」の系列のなかの、すなわち往相廻向の───最近のハイデッガーの表現を借用すれば───「途上における」行と信、それから信と証、それからこのそれぞれ二つのものを内に含めたような自覚の問題として、いいかえれば自覚の根底として行・信・証の間題を考えようと思う。
自覚の根底としての、宗教的実存における信仰の構造を、親鸞のいっている大信というものの信の意味から考えなおしてみたい、というのが私のここでの企ての眼目である。
まず行為ということから考えよう。最近では人間の宗教的実存の根底の問題として、行為ということがいろいろの仕方で問題になってきている。カール・ヤスパースのように、行為というものを内的行為(innere Handlung)として、そこに人間の実存成立の根本条件を考えようとする立場がある。あるいはルドルフ・ブルトマン等のいわゆる実存神学の立場では、決断(Entscheidung)ということで行為ということが間題にされるし、またマルティン・ハイデッガーでは死に対する覚悟性(Entschlossenheit)というかたちで問題にされている。実存の問題と、絶対的な行為ということが、どういうふうに関係するかということが、私のこれから問題にしようとするところであるが、その場合、それのよっているところの問題の所在を少しずつ解きほぐし、それを手がかりとして一歩ずつ前進するというふうにして論を進めてみたいと思う。
第一に注意されねばならないことは、多くの宗学的な議論とか考え方のなかに、非常に形式論理的な、あるいは対象論理的なものの考え方が支配的であるように思われる、ということである。能行とか所行(自分から行なう、行なわしめられて行なう称名の体)とか、能信とか所信(信ぜしめられて受身的に信ずる)とかいう場合、あるいは能所の円融という場合でも、その円融という概念自身が一つの固まって動きのとれない概念となっていて、それ自身がどういう意味をもっているのかを一層深く考えてみないようなところがあるのではないか、という点に───これは宗学を外から見た感じにすぎないかもしれないが───私には問題が感じられる。
上述のごとく『教行信証』の「行巻」の初めでは、行ということは「無礙光如来の名を称するなり」とされている。すなわち念仏を称えることとして、最初に行の概念が規定されている。その意味ではあくまでも能行としての行を問題にしているが、親鸞はその能行としての行を「諸仏咨嗟の願」、すなわちすべての仏が阿弥陀仏の名号を讃めたたえるという第十七願から出ていると考えている。その場合に第十七願から出ているとして考えられる行の概念は、さきの単なる能行としての念仏の行為というものよりは一層広く一層深い意味に解釈されていて、称名という行為はいわば象徴的な行為となつてくるように思われる。
すなわち能行としての行は、そのままそれが象徴的行為として、すぺての仏、 一切の衆生、一切の世界のありとあらゆるものが仏の名をたたえている、その全体の大きなコーラスのなかに流れ込み、融入している。阿弥陀仏の名をたたえることが、大いなる称名の流れのなかに、つまり諸仏称揚、諸仏称讃の願の内容に流れ入っている。そこでは、行の意味は単にひとりの人間の行為ではなくて、その行為自身が実は深い象徴的な根底をもっていることとなる。だからその行為によって、象徴的な世界が開かれて、私自身の称名の行為がその象徴的な世界のなかに映されている、とそういうふうに考えられる。
そこから親鸞はさらにそれを展開して、称名という行為の意味を改めて考え直し、称名とは「如来の家に生れる」ことだとしている。如来の家に生れるとは、現代の宗教哲学的な言葉でいえば、如来との生の共同に入るということであろう。生の共同のなかで名号を見出すということであろう。如来の家で、如来との生の共同のなかで、光明と名号によって、いわば家に父と母があるように、如来の家の光明と名号という二つの愛のはたらきによって、自分自身の信仰が成立して来ること、これが如来の名号を称えることだと彼は考える。そう考えることによって象徴的行為というものは、象徴的行為の基盤である生きた生の共同体のなかに深められる。そしてこの深められた生の共同体という概念にもとづいて、光明と名号という最も重要な概念を中軸にして、名号の意味は、いわば超越的絶対他者である汝としての阿弥陀仏の呼びかけと、それに対する能行の主体の応答ということにまで掘り下げられる。「南無といふは帰命」である、私の方からの応答である。しかし南無という言葉はまた同時に「本願招喚の勅命」である。そこに南無─阿弥陀仏ということのうちに、超越的絶対他者としての阿弥陀仏と私との人格的関係としての、一つの呼応(Entsprechung)の関係というものが成就する。そこで如来の家という概念から、光明と名号の相関という思想を通して、仏と人との人格的呼応の関係が展開され発展せしめられることとなる。
そのようなかたちで展開された光明と名号の間題をさらに展開して、親鸞は名号のもつ歴史性ということ、つまり名号が世界のなかで歴史的に展開され発展しているのだという、そういう考え方に進んでゆく。歴史的に展開される名号の問題ということは、さらに自分自身の自覚の問題として、これを内にひるがえして考えるときには、それは念仏の相続の問題、念仏の持続性の問題だと考えられよう。そこに「行巻」の「一念多念」という問題(念仏を一声となえたら充分であって、多くとなえる必要がない。いやそうではない。一念では不充分で多念で潅ければならないという背反する議論)に対する彼の独自の解決が、この非常にダイナミックなかたちで展開された宗教的行為としての念仏の理解から導きだされる。要するに念仏を中心にしながら、象徴的行為というもののもっている絶対性の内容が、豊かなかたちで展開されているのが彼の大行論である。
そういうときに、南無阿弥陀仏という称名をひとりの人間の側の行為であるか、あるいは逆にそれは法体名号として客体的に能行の彼方にあるか、というようなかたちで議論を固定化することには問題があるのではないかと、私には思われる。