親鸞における「言葉」
提供: 本願力
親鸞における「言葉」
大峯 顕
『仏教』別冊1988.11─p.150から
一 純粋言語の次元
親鸞における言葉という問題を考えるとき、二つのことが注目される。一つはいうまでもなく名号の問題である。弥陀の本願を信ずるということは南無阿弥陀仏という名号を信ずることと別でないことを親鸞はいたるところで述べている。
人間を救うところのものは、名前なき仏ではなく、名前となった仏、真実の言葉以外の何ものでもないという思想がここに見られる。親鸞の他力の信心とは、絶対者に名があったことの発見であるといってもよいだろう。しかし仏が言葉であるというのは、どのような言語経験を云うのであろうか。仏の名を称することが仏を信ずることであり、それが人間存在の根源的な救いであるのは何故か。親鸞の浄土真宗は、いったい言葉はその本質において何かという古き問いの前に、改めてわれわれをつれ出すように思われる。
第二の問題は親鸞と法然との関係を言語経験という視座から明らかにすることである。南無阿弥陀仏の名号という不思議な言語宇宙へ親鸞を目覚めさせたところのものは、法然の言葉である。法然との遭遇の有難さを親鸞はいろいろな機会に語っているが、『歎異抄』のつぎの有名な一節はその決定的な場合である。「親鸞にをきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまひらすべしと、よき人のおほせをかうぶりて、信ずるほかに別の仔細なきなり」。弥陀の言葉を自分は「よき人のおほせ」を通してのみ聞くことができた、と親鸞は云う。如来の言葉の真実をそのままに伝達しうるような人間の言葉とは、どのような性質の言葉なのか。また、このような人間の言葉を通して、如来の如実の言を聞くというような言語経験とは、どのような経験であるのか。これは一般に宗教的真理の伝統というものを成りたたせる条件についての問いである。親鸞と法然との出会いは、この間題をとりわけ鋭い形で呼び出す場合であるように思われる。
第一の問題からはじめよう。親鸞は大乗仏教のすべてに通ずる「涅槃」という根本地平から出発して名号の出現を説いている。たとえば『唯信紗文意』の中では、この涅槃のことを、「滅度」、「無為」、「安楽」、「常楽」、「実相」、「法身」、「法性」、「真如」、「一如」、「仏性」、「如来」等々の語で表現しているが、以下これを「法性法身」ということにする。
「法性法身」という風にいいあらわされた当体は、人間的言語による把握を超えたものである。「法身はいろもなし、かたちもましまさず。しかれば、こころもおよばれず、ことばもたへたり」といわれる。それは言詮を絶した次元である。
しかしこの次元は、われわれ人間の言葉の方からは行けないが、それ自身の側から言葉へやってくるのである。それ自身は言葉ではなくて、しかも自らを言葉とするものが「法性法身」である。言葉となった法性法身が「方便法身」である。
この事情はつぎのようにいわれる。「この一如よりかたちをあらはして、方便法身とまふす御すがたをしめして、法蔵比丘となのりたまひて、不可思議の大誓願をおこしてあらはれたまふ法かたちおば、世親菩薩は尽十方無礙光如来となづけたてまつりたまへり」。同じことは『一念多念文意』にはつぎのように記されている。「この一如宝海よりかたちをあらはして、法蔵菩薩となのりたまひて、無礙のちかひをおこしたまふをたねとして、阿弥陀仏となりたまふがゆへに、報身如来とまふすなり。これを尽十方無礙光仏となづけたてまつれるなり。この如来を南無不可思議光仏とまふすなり。この如来を方便法身とはまふすなり。方便とまふすは、かたちをあらはし、御名をしめして、衆生に知らしめたまふをまふすなり。すなはち阿弥陀仏なり」。
形も名前もない法性法身が自らを名号にして方便法身となる。ところでこの二種の法身の関係は『教行信証』に、「法性法身によりて方便法身を生ず。方便法身によりて法性法身をいだす」といわれるような関係である。これは、カントにおける「物自体」と「現象」の関係とかプロティノスにおける一者の「流出」のような関係とは異なる。これらの思想家においては、形無きものから形へという一方向があるだけである。あるいは真の無相は考えられていない。つまり、無相が相になってしまって無相が消えてしまうか、反対に無相の一部だけが相になるかのどちらかである。無相の立場と相の立場とが、同時に一つの事態として成り立つという思想は、カントやプロティノスには見られない。しかるに名号の場合には、まさしくこのことが起っているのである。形無き法性法身はそのすべてを名号という形にあらわすのであるから、形の背後に形になり切らない部分が残るということはない。
無相の法身は名号の内に、自らの一部をでなく全部を与えているのである。名号の中に仏の全体があり、その他には何ものもない。しかもこのことは、無相の法身の立場が放棄されることではない。かえって無相の立場が徹底されることである。名号という形に隈なくあらわれながら、法性法身は、形も名も無いものでありつづける。無相であることと、相になり切っているということとが、自己同一であるような事態がここに見られる。これは、無相であるにもかかわらず相をとるという、いわゆるパラドックスの論理ではない。むしろ、「無相のゆへによく相ならざるなし」という『教行信証』の一句が、この事態を云いあらわしている。
南無阿弥陀仏の名号という思想は、一つの純粋言語の次元を云っていると思う。純粋言語とは、それが云いあらわしている当の物そのものであるような言語である。そこでは言葉の内に一切があり、その外には何ものもない。南無阿弥陀仏の名号が、すなわち生きた仏なのである。逆に、仏とは生きた真実の言葉である。名号においては、言葉は記号や概念という性質を克服し、物と言葉との対立を突破しているのである。しかし言葉がこのような姿で出現するのは、言葉が言葉なき次元との関係において経験されている場合である。言葉をすでに出来上がったものとして受けとるのではなく、言葉の誕生の瞬間に立ち合う経験である。すでに生まれた言葉を分析するのではなくて、生まれつつある言葉の生きた直接の経験が、仏は名号であるという事態へわれわれをつれてゆく。
「この一如宝海よりかたちをあらはして、法蔵菩薩となのりたまひて、無礙のちかひをおこしたまふをたねとして、阿弥陀仏となりたまふがゆへに、報身如来とまふすなり」。親鸞のこの表現は、言葉のこのような誕生の現場を記述している。
二 <言語=記号>論を超えて
しかしこのような純粋言語の地平は、今日では大変理解しにくいものとなったようである。われわれが自明のように抱いている言語観は、名号がすなわち仏であるという思想に頑強に抵抗するからである。言語と実物とは別だという考え方に、われわれは慣れてしまっている。言葉は人間同士のコミュニケーションのために使う手段もしくは器具であることに尽きると考えるかぎり、仏が名前の中にあるという思想は理解できないだろう。人類の最も古き時代においては、言葉と物との内的統一は自明のことであった。物の名を云うことは、すなわちそのものを所有することであるというのが、神話的経験の核心である。しかしこのような言葉の経験は、ギリシア哲学の登場においてすでに危機にさらされたわけである。
言葉は実物に即したものなのか、それとも人々か申し合せと慣習によって便宜上使う記号にすぎないのか。プラトンの対話篇『クラテュロス』は、言葉をめぐるこの二種の見解の討論を吟味したが、そのプラトン自身は結局は、言葉そのものは物の真理への道でないという考えに立っている。「つまり存在者を名前によってではなく、むしろ名前によるよりもはるかに強く、存在者を存在者自身によって学び、探究すべきである」(Krat.439B)。晩年のプラトンにとっても言語は、真の哲学的弁証が最後には脱ぎ捨てねばならぬ衣装に属する。 イデアを観想する純粋思惟は、魂が自分自身とおこなう言葉なきダイアローグなのである。ギリシア哲学の最も固有の努力は、哲学的思惟を言葉の支配から解放するという主題に向けられたのである。物を考えるということが、つねに言語によって束縛されているという事実の意味が反省にもたらされていない。大切なのは言葉でなくて真理であった。言葉が、言葉として経験されるという途は、プラトンにおいてすでに閉ざされたように思われる。
プラトンが『クラテュロス』の中で遂行した、名前の正しさというものへの批判はすでに、近代の言語論の方向への第一歩であった。この途は、デカルトからロック、ライプニッツを経て、ウィトゲンシュタインとウィーン学派の言語分析に通じている。それは種々のヴァリエイションはあっても本質的には、言葉を人間的主観の器具(Instrument)と解する立場である。この言語観の尺度はもちろん、明晰判明ということである。数学の命題が持つような意味の明瞭な一義性が、言葉というものの範型となるのである。すでにロックの『人間知性論(一六八五年)が、論理実証主義と言語の分析哲学のプログラムを完全につくり上げた。ライプニッツの『人間悟性新論』(一六九〇年)も、言語諭に関ずるかぎリロックと同じ考えに立っている。これらの哲学者にとっては、言葉は本質的に、人間が相互に自分たちの意思を伝達し合って理解し合う手段である。言葉は社会生活をいとなむためにあるのである。社会的存在(social creature)たる人間にとって、言葉は「社会の偉大な器具と共通のきずな(the great instrument and common time of society)」だ、とロックは云っている。ここでは、言葉は記号と考えられる。記号とはロックのいうように、われわれが自分の内部にもっている非感性的な観念を他人に伝えるための外的で感性的なしるしである。その場合、これらの記号と観念との間にはどんな本性的な結合も存しない。たとえば赤い物を赤と呼ぶとき、われわれは目に見える色を目に見えないものと直接に結びつけるのではなく、たんに耳に聞こえる「赤」という音と結びつけるのである。これは記号と観念、感性的なものと非感性的なものとは本性上つながらないという考え方である。ロックにおいては、言葉はいわば一つの専制的賦課とでもいうべき仕方で、観念に結びつけられるのである。言葉は根本的には、われわれの悟性の産物であるところの観念に関してのみ責任を負うだけであって、事物そのものに関しては責任を負わないことをロックはくり返して云っている。ロックの言語論は要するに唯名論である。言葉は物の表層的な本質に的中するけれども、物の実在的本質そのものを捉えることはできないのである。そして哲学の仕事は、言葉のこの性質に由来する日常用語の多義性を克服して、できるだけ精密で一義的な言語使用に接近しようとする努力である。しかしその哲学的言語の立場においても、言葉はつまりは物の外にとどまる。言葉は物たりえないというこの考え方は、その後のいろいろな言語論の底を流れて現代まで来ているといってよい。
このような言語の器具的理解というものに対して、一定の制限の下においてであるが、距離をとったのはヘーゲルである。へーゲルは、精神もしくはロゴスの哲学の見地から、言葉と物との同一を主張したわけである。すでにイエナ時代のへーゲルにおいて、言葉は労働と共に、人間精神の内面性と否定性の力の証明である。精神は自己と世界とを否定を通して媒介する。言葉の力をへーゲルはこの否定性に見出している。それゆえへーゲルは言葉をたんなる記号から区別する。
物をたんに外から指示する記号が、自己自身の内に還ったところにはじめて言葉は生まれる。それは物を内から指示する力である。物に名前(Name)を与えることが言葉の力であ
り、これによって言葉は或る意味で物の内へ入るのである。言葉の本来的で原初のエレメントをへーゲルは名前というものに見出している。彼は云う。「これは精神が行使する第一の創造者の力である。アダムはあらゆる物に名前をつけた。
これは全自然の君主権、全自然の掌握、精神から全自然を創造することである。ロゴスは理性であり、物の本質であると同時に語り、事柄と同時に言表である。人間は彼のものとしての諸物に語りかけ、一つの精神的自然、彼の世界の内に生きるのである。そして、これが対象の存在なのである」。名前のない世界に名前を与えるという仕方で、人間は世界を対象として自らの前に定立し、この世界の内に入り、世界と交通する。へーゲルにおいて言葉は、自然の精神化、世界の沈黙を破ってこれを人間化する出来事なのである。
ここでは言葉の力は偉大である。言葉は思惟とほとんど同じである。思惟が事柄そのものを捉えるように、言葉もまた事柄自身にかなっているのである。「名前は表象の国に在るものとしての事柄(Sache)である」とへーゲルは云う。たとえばライオンという名前においてわれわれはこの動物の直観やイメージを必要としない。われわれがこの名前を理解するとき、この名前はイメージなき端的な表象である。「われわれが思惟するということが名前の中にあるのである」。それゆえ、へーゲルでは、真の思想(事柄に即した思想)は、言葉なくしてはありえない。同様に言葉は、概念的思惟によって用いられたときはじめて真の言葉である。へーゲルは書いている。「言葉なしに考えようとすることはそれゆえ道理に反する。思想が言葉に束縛されていることは、思想の欠陥だというような見方は笑うべき意見である。というのはひとは普通、言葉で云えないものこそ最も本当のものだと思うのだが、このようなくだらない意見には根拠がない。なぜなら、言葉で伝えないものというのは実は、何か不透明で沸騰しているものであり、それは、言葉にもたらされうることによってはじめて明晰性を獲得するからである。それゆえ言葉が思想に対して、それにもっともふさわしい真の現存を与えるのである。なるほどひとは、事柄を捉えることなく、言葉をもってその廻りをうろうろするということもありうる。しかしそれは、言葉の責任ではなく、不完全で、不明瞭で、無内容な思惟の責任である。真の思想が事柄であるように、言葉もそれが真の思惟によって使用された時には事柄なのである」。
しかしながらへーゲルにおいてもなお、事柄そのものであるような純粋言語の次元は隠されている。へーゲルにとっては、言葉の究極は概念(Brgriff)であり、概念とは物の本質 をいうにすぎない。物の実存を宿すような言葉はヘーゲルの哲学体系では間われなかった。へーゲルにおいては言葉は、要するに「主観的精神」の説の中にその場所をもつのである。これはへーゲルが言葉を精神もしくは思惟から理解しようとして、言葉それ自身の経験から理解しなかったからである。デカルト、ロック、ライプニッツのみならず、フンボルトの言語哲学でさえ、エネルギー、人間精神、活動、表現、世界観等の一般的観念からその特殊な限定として言葉を説明している。これは要するに、言葉の現象に直行して、これを内部から目撃しないで、迂回した説明の仕方である。このような哲学的認識に立つかぎり、言葉が示すいくつかの現象ではなくて、言葉がそれである現象、他の何ものにも還元できない言葉という不思議な現象の正体は隠されてしまう。言葉は言葉以外の何かを前提するのではなく、それ自身を前提するのである。「言葉は原始現象(UrPhänomen)である」と、マックス・シェーラーも書いている。言葉について何かを知るのではなく、言葉を言葉として、つまり言葉それ自身の本質を知るには、言葉を直接に経験する以外にはない。
三 称名念仏の構造
言葉の経験こそ言葉の本質へ行く唯一の道であることを教えたのは、ハイデガーの大きな功績である。ハイデガーはこう述べている。「われわれが言葉をもって(mit)するところ の諸経験の内に、言葉それ自身が自らを言葉へもたらすのである」。言葉の何たるかを開示するには、言葉それ自身の中を通ってゆくしかない。ハイデガーは、ヘルダーリンやゲオルゲなどの詩に導かれて、言葉の本質の内に二つのことを発見している。一つは言葉を語る本当の主体は、人間ではなく、言葉であるという洞察である。第二は、言葉のこのような本質経験は、言葉の語るところを聞く(hören)という形で成り立つという考え方である。
「言葉はその本質においては、人間の表出でも活動でもない。言葉が語るのである」。このようにハイデガーは云う。言葉が語るというようなことは奇妙ではないか。言葉には言語器官も音の分節能力も備わっていないのに、どうしてそんなことが出来るのか。人間が語るのに決まっているではないか。言葉が語る(Die Sprache scricht.)というハイデガーのテーゼは、当然このような反論を予想するであろう。たしかに人間は言葉を語る存在者である。そこに人間が神や他の生物とことなる人間存在の固有性がある。人間がいつでも言葉を語っているという事実は否定できない。ハイデガーが問題にするのは、この事実を成り立たせているところの真の根抵である。従来の言語論は、この事実をはじめから人間自身の内部へ移転してこれを説明している。そのかぎり言葉は、人間の主体性の表出活動として理解されざるをえない。しかしこの種の説明はすでに、人間と言葉との密接な関係を切りはなしているのである。人間が言葉を語るという事態は、もともと人間の主体性の外にあふれ出ているような事態なのである。人間が言葉を語るという当の事態は、それよりも一層直接な次元によってささえられてはじめて可能である。ハイデガーは云う。「人間が語るということは、しかしながら、死すべき者の語りとして、それ自身の内に安らうというわけにはゆかない。死すべき者の語りは、言葉が語るということへの関係の内に、安らっているのである」。死すべき人間の言葉が、無の中へ落下せずに、現にありえているのは何故か。人間が語ること自身がすでに、言葉そのものによって保たれているからである。それが言葉が語っているといわれる次元である。近代の言語論は、言葉のこの原本的事実を直視していないのである。
それゆえ言葉の原初相の経験は、われわれが、言葉の語ることを聞くという形である。聞くことが語ることの真相である。ハイデガーは云っている。「語るということは、もともと一つの聞くことである。それはわれわれが語っているところの言葉を聞くということである。それゆえ実に、語ることは同時に聞くことであるというのではなく、語ることは前もって(zuror)聞くことなのである。われわれはたんに言葉を語るだけではない。われわれは言葉から語るのである。われわれにこのようなことが出来るのは唯、われわれがその都度すでに言葉に聞いたということによってのみである。そのときわれわれは何を聞くのか。言葉が語るのを聞くのである」。
仏の名を称えること、称名ということが往生の唯一の道であるといわれる事態は、このような言葉の最深部に起る出来事を指すといってよい。いったい称名とは仏についてわれわれが何かを云うことではなく、仏そのものを云うことであり、仏と直接に出会うことである。仏の名を云うこと(nennen)は、仏を判断したり、考えたり、解釈したりすることではない。ところで仏そのものを云うことができるのは、誰であるか。いうまでもなく、仏それ自身である。仏とは自己自身を名乗るもののことである。そうするならば、仏の名をわれわれが称することは、仏自身が自らを云う言葉をわれわれが聞くという仕方以外では成り立たないだろう。弥陀の本願がわれわれに語りかける声が、われわれに響き、われわれにおいて反響しているというのが、称名の実相である。真の称名念仏が自力でありえないゆえんである。称名は、われわれが唯、仏の名号を聞く者になったところでのみ起りうる。そして仏の言葉を聞くとは、言葉そのものの語りを聞くことに他ならない。仏に出会うとは、言葉そのものに直接することである。
『歎異抄』のつぎの一節は、このような言葉との遭遇のことを記していると思う。「煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもてそらごと、たわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはしますとこそ、おほせはさふらひしか」。ここで云われている「そらごと」「たわごと」とは、実のない空しい事、嘘いつわりの事と同時に、空しい言葉、いつわりの言葉という意味でもある。人間の世界の空しさは、発言される言葉の空しさとして経験されているのである。われわれの日常世界の中では、言葉は物そのものを宿していない。言葉は物ではないのであを。それに対して、念仏のみが「まこと」だと云われている。この「まこと」は、真実の事と同時に真実の言葉である。言葉と物とが一つである事態をいう。ではこのような念仏のまことは、どのようにして知られうるのであろうか。
それは他でもない。われわれがわれわれの言葉をそらごと、たわごととして自覚することによってである。このことが知られる時がすなわち、仏の言葉のまことが知られる時である。そらごと、たわごとの世界の中にいながら、われわれはそのことを知らない。空しい言葉を実の言葉のように考えているのである。つまり、言葉と物との合致を自らの力で実現しようとしているのである。それは言葉の地平を人間の力の掌握下に置こうとすることを意味する。これがハイデガーの云う人間が語るという言葉の見地である。念仏の生とは、人間が言葉へのこのようなかかわり方を捨てて、言葉が語るという立場へ自らを開く言語経験の転換に他ならない。人間の言葉と仏の言葉との二つがあるのではない。仏の言葉に対して人間が自分の言葉でもって応答することが信心ではない。言葉は唯一つである。「言葉が語る」という根源的で、常に変わらぬ地平があるだけである。弥陀の本願を信じるとは、言葉のこの大いなる地平を信じることである。この地平をあるがままに保持することが称名念仏の構造であるといえるだろう。
四 絶望の底の真理
最初にあげたもう一つの問題が残っている。親鸞はこのような名号のまことに、法然の言葉を通して目ざめたのである。真理が言葉であるということを伝える言葉とはいかなる言葉であろうか。真理とこれを伝達する言葉との関係を親鸞はどのように考えたか。『歎異抄』の中の次の一節が、この問題の手がかりとなるだろう。「弥陀の本願まことにおはしまさば、釈尊の説教、虚言なるべからず。仏説まことにおはしまさば、善導の御釈、虚言したまふべからず。善導の御釈まことならば、法然のおほせそらごとならんや。法然のおほせまことならば、親鸞がまうすむね、またもてむなしかるべからずさふらふか。詮ずるところ愚身の信心にをきては、かくのごとし。このうへは、念仏をとりて信じたてまつらんとも、またすてんとも、面々の御はからひなりと、云々」。
親鸞はここで、釈尊、善導、法然の言葉を通して自分にまで来ている弥陀の本願のまことのことを云っている。それは本願の真理の歴史であるが、同時に真の言葉の歴史でもある。宗教の真理は、人間の言葉を通してのみ伝えられうるというのである。親鸞は釈尊の言葉から出発せず、弥陀の本願のまことから出発している。しかし釈迦の説法(大無量寿経)がフィクションでなく、真実であるといえるのはなぜか。それは本願のまことが、もともと、言葉無き理性の真理でなく、自らを言葉とするまこと、言葉としてのまことだからである。 名号となる以外に弥陀の本願というものはない。「誓願・名号とまふしてかはりたること候はず。誓願をはなれたる名号も候はず、名号をはなれたる誓願も候はず候」、と親鸞は『末燈紗』の中で述べている。ポール・リクールの云い方を借りれば、名号は本願を意味(sens)しているのではなく、直ちに本願を指示(référence)しているのである。釈迦の説教が「如来如実の言」であるのは、本願のまことの持つこのような根源的な言語性にもとづく。釈尊の説教は、この本願のまことを再現した人間の言葉である。それゆえ釈尊の説教のまことは、その中に響いている弥陀の直説のまことなのである。 同様に「善導の御釈」のまことは、やはり善導の言葉を貫いて語っている本願のまことのゆえであり、「法然のおほせ」もまた、同じこのまことの言葉を反響させている。それはこれらの人々が、本願のまこと、つまり言葉そのものが語るのを聞いたからである。しかもそういう立場に立ち、そこを離れないで、彼等は本願や称名について語ったのである。説教とは実に、言葉が語るという根源的次元を言葉にもたらすという人間の行為に他ならない。それは当然、概念や映像や比愉を用いた言葉であるが、しかもそれらは透明になって、本願のまことを映している。その場合、概念は一つの自己解体的な作用をその内にふくんでいるのである。それはハイデガーが後期ヘルダーリンの或る詩句とそれを解説する言葉との関係について述べたような事態である。この詩句は丁度、降りしきる雪中に鳴る晩鐘の音であり、それの解説とは鐘にふりかかって、鐘の音調を微妙に損なってしまう雪片のようなものだ、とハイデガーは云う。それゆえ詩の真の内実を開示するためには、それを解説する言葉は、それ自身と自らの試みの結果を、そのつど打ち砕いてゆかねばならない。本願について語る言葉もこれと同じである。言葉に聞きながら言葉が語られているからである。
では親鸞はいったいどこから本願のまことを知ったのか。さきの文章のすぐ前にある一節、「いつれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし」が、これに対する親鸞の答えである。地獄一定の自覚以外に、本願のまことに出会う途はない。弥陀の本願は、天上から親鸞を呼んだ神の言葉ではない。地獄以外のどこへも行きようのない凡夫の絶望の底から湧いた言葉である。絶望とはこの場合、自己から発するすべての言葉への絶望である。しかしそれは、総じてすぺての言葉への絶望を意味しない。絶望の底はかえって、真の言葉に遭遇する不思議な場所でもあったのである。本願のまことを地獄の底にまでとどけてくれる一つの言葉があったからである。親鸞にとってそれは法然という名の人の言葉であった。「よき人のおほせ」と親鸞は、この不思議な言葉のことを云いあらわしている。