筆始めの御文
提供: 本願力
「雑行をすてて、後生たすけたまへと一心に弥陀をたのめ」の御教化の前に「たすけたまへ」を否定的に使っている時代(1462)のお文。後に「たすけたまへ」を相手の意を受けいれる許諾(むこうの言い分を許し承諾する)の意で多用するようになった。『御文章』一帖七通目(1473)に「ふたごころなく弥陀をたのみたてまつりて、たすけたまへとおもふこころの一念おこるとき」とある頃から「たすけたまへ」という語を積極的に使われた。この一帖七通目のお文にある「さもありぬらんとみえつる女性一二人」を、吉崎へ訪れた次女見玉尼への追憶に推定することも可能であろうか。
- 筆始めの御文
当流
さればこのうへには、たとひ名号をとなふるとも、仏たすけたまへとはおもふべからず。たゞ弥陀をたのむこゝろの一念の信心によりて、やすく御たすけあることの、かたじけなさのあまり、如来の御たすけありたるご恩を報じたてまつる念仏なりとこゝろうべきなり。これまことの専修専念の行者なり。
これまた当流にたつるところの一念発起平生業成とまうすもこのこゝろなり。
あなかしこ、あなかしこ。
寛正二年三月 日