『教行証文類』における『観経疏』三心釈の分引
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四に「何等為三」より下「必生彼国」に至るこのかたは、まさしく三心を弁定してもつて正因となすことを明かす。 すなはちその二あり。
一には世尊、機に随ひて益を顕したまふこと意密にして知りがたし、仏のみづから問ひみづから徴したまふにあらずは、解を得るに由なきことを明かす。
二には如来(釈尊)還りてみづから前の三心の数を答へたまふことを明かす。 【4】 『経』(観経)にのたまはく、「一には至誠心」と。 「至」とは真なり、「誠」とは実なり。 一切衆生の身口意業所修の解行、かならずすべからく真実心のうちになすべきことを明かさんと欲す。 外に賢善精進の相を現じ、内に虚仮を懐くことを得ざれ。 貪瞋・邪偽・奸詐百端にして、悪性侵めがたく、事蛇蝎に同じきは、三業を起すといへども名づけて雑毒の善となし、また虚仮の行と名づく。 真実の業と名づけず。 もしかくのごとき安心・起行をなすものは、たとひ身心を苦励して、日夜十二時急に走り急になすこと、頭燃を救ふがごとくするものも、すべて雑毒の善と名づく。 | |
【13】 またいはく(散善義 四五四)「〈何等為三〉より下〈必生彼国〉に至るまでこのかたは、まさしく三心を弁定して、もつて正因とすることを明かす。すなはちそれ二つあり。一つには世尊、機に随ひて益を顕すこと、意密にして知りがたし、仏みづから問うてみづから徴したまふにあらずは、解を得るに由なきを明かす。二つに如来還りてみづから前の三心の数を答へたまふことを明かす。 | |
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