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:高森顕徹/会報1

提供: 本願力

2010年10月16日 (土) 23:41時点における林遊 (トーク | 投稿記録)による版

会報1集
科学と仏教

一、科学文明の発達と幸福

 原子という、物質を組立てているものの性質をはっきりさせた二十世紀の自然科学は遂に原爆や水爆を造ることに成功した。この異常な科学の発達に驚嘆した多くの人々は科学こそ絶対であり、万能であると思う様になった。そして科学の名のもとに説かれていることは間違いないと頭から思い込み、科学文明さえ発達すれば人間は豊かに楽しく明るい生活が出来るのだと信じている人が多いのである。
 然るに現実は自然科学文明の日進月歩に逆比例して人心は増々不満と不安苦悩に襲われ、おののいているのは一体如何なる訳であろうか。[1]

以下の論説には種本があるはず(高森氏の書斎に入れて頂ければ一目にして瞭然だけど)。高森ににはこのような発想はない。

あの有名なノーベル賞の本家スウェーデンは鉄鉱、森林、水力などの天然資源に恵まれ、切れ味で名高いスウェーデン鉄、木材、パルプ、紙、機械、化学工業の産業も盛んで食糧は自給自足、国民の生活水準は米英を凌ぎ、その上社会保障制度と社会施設は完備してユリカゴから墓場まで生活の不安は一つもない北欧の文化国家である。 首都ストックホルムの駅のスタンドに時計を忘れた一日本人が翌朝気がついて行って見ると時計は、そのままスタンドの上に置いてあったと言う。万事せちがらい我国などと比べるとこの世の天国かと思われる。ところが驚く勿れ、この国の自殺者の率は世界一高いといわれるのである。 自殺と言えば大概貧乏の悩みとか病苦と相場がきまっているものだが、こんなに恵まれた平和国家にこの様な悲しむべき現象があるということは人間は単にこれら物質文明だけでは真の幸福や満足を得られないことを明白に教示しているのである。

 勿論、物質文明の発展により人間は物質的な満足を得ることは事実であるが、人生生活の総体から眺めれば一部分にすぎない。 のみならず人間の欲望は元来無限なものであるから一時的の満足も慣れると不満足に変ずるものであるから、少くとも物質生活を基本とする限り人間には永遠に不満と苦悩から解放されることは出来ないのである。
 このことは昔に比べて今日の我々の生活は様々の点に於いて整備され便利になったにもかかわらず幸福感という点からすれば必ずしも多く進んでいるとは思われない事実に徴しても明らかである。むしろ、今日の方が却って昔よりも世智辛くなって苦悶の程度が強くなったといってもよい程である。しかし、筆者は決して近代文明の呪詛者ではない。 物質文明の発達は人間の生活価値増進の為には欠くべからざるもので今後増々発展せしめなければならないことは勿論であるけれども、それだけで人間の不安、苦悩、不満を征服して真の幸福を得られると考えることは大きな誤りであると主張しているのである。我々は、更に進んで比較的相対的でなく、真の幸福と満足を探究し獲得しなければならない。

二、幸、不幸の鍵

 昔、徳川家康が近侍の人々を集めて「世の中で一番おいしいものは何だろう」と試問したところ、それはお酒だ、お菓子だ、果物だとその答は十人十色であったがいずれも家康は満足しなかった。そこで家康は、平素から聡明な女性と見ていた局のお梶に向って、「そなたはどう思うかな」と尋ねた。 するとお梶は何のためらいもなく「一番おいしいものは塩でございます」と答えた。家康は成程と快心の面持で「では一番まずいものは何かな」ときくとお梶は直ぐ無雑作に「一番まずいものは塩でございます」と答えた。家康は「さすがお梶であるわい」といってその聡明さに感服したといわれる。
成程、塩は味の素であって凡ゆる味を活かすものであるから一番おいしいものである。 若しあらゆる食物から一切の塩気を除けば食べられるものではない。 しかし又あらゆる味を殺すものも同じく塩である。一定量以上の塩を入れた御馳走はこれ又食べられるものではないからこの点からいえば一番まずいものといえる。お梶の答弁が妙答として万人をうなずかせるものは、塩は本来おいしいものでも又まずいものでもないがサジ加減で変化するということであり、塩は味の材料にすぎないのでこれを活かす匙加減、所謂料理人の腕次第によって塩が一番おいしいものにもなるし又一番まずいものにもなるということである。
 一切の物質文明は人間生活を豊かにし幸福にする材料であるが活殺は我々の魂の料理人の腕次第である。 同じ水でも牛これを飲めば乳とし蛇これを飲めば毒とする。菓子屋の店頭で見出した水飴を大泥棒であった兄の盗跖は、その夜強盗に入る時の戸口に流し込めば音を防ぐよい材料になると思ってこれを求め、孝行息子であった弟の柳下恵は歯のない老いた母親の為にこの水飴を求めて孝行したという話がある。
 ものそのものに善や悪、幸不幸があるのではない。これを見る人の心、使う人の心によって分れてくるのである。 水爆となった原子力は瞬時に何百万の人類を殺害し平和利用に向けられた原子力は人類に無限の恩恵を与えて呉れる。 要は原子力という与えられた偉大な材料を調理する魂一つに幸も不幸もかかっているのである。
 ここに至って我々は渦巻く、現実のままが光明の広海と転じ、泣いても曇らず、笑うてもふざけず、富んでもおごらず、貧しくても卑屈にならず、愛せられても溺れず、憎まれても拗ねず、ウラミと呪いの人生を感謝と法悦で乗り切らせて頂き、一切のものを生かし切る魂の自由人にならなければ真の幸福はあり得ないことを知るのである。
 この極善最上の妙境界に極悪最下の魂を開眼せしめ未来永遠の楽果を獲得せしめる教が仏教なのである。正しき宗教

一、どの宗教でも同じか

 よく世間には「鰯の頭も信心からというからどの宗教を信じても同じことだ」とか
「わけ登るふもとの道は異なれど、同じ高嶺の月を見るかな」の古歌を引いて
(この歌の意味は仏教に諸宗が分れていても共に成仏するという究極の目標は同じだということである)
 或る宗教は神といい、或る宗教は仏といい、あるものは観音といっても名こそ違うが本体は一つで宇宙の真理を指すのだろうから何を信じても行きつくところは同じことだ」と全くアキレタ宗教観を放言する人がある。
 特にインテリ階級と呼ばれる人々の中に、この様な無責任な言葉をきくのであるが、これこそ先頃死んだスペインの有名な哲学者オルテガイ・ガセットが名づけた「学問ある文盲の徒」であり「近代の野蛮人」というべきである。
 近代の日本人は宗教に関しての知識が余りにも幼稚であることは有名であるが言論の自由を楯にとり、かかる野蛮人か愚物の見解にも等しい宗教観や信仰観を臆面もなく放言されては啻にその人の不幸であるばかりでなく多くの人々を迷わすことになる。

 このような宗教的無知から生れた面白い実話がある。
 ある人が某宗教の信者から
「信仰というものは理屈ではないから何もいわず無条件で素直に信仰しなさい。
そうすれば大きな利益があるよ」
と熱心に勧誘されたのである。
 信仰は理屈でないという漠然たる信仰観しか持たないその人は同感して、とにかく「素直になって」その宗教の信者になったのである。
 すると間もなく別の宗教信者から同じように素直になってと入信を勧められたので又素直になって前の宗教を脱退して、この信者の勧める宗教に入った。
 ところが又に他の宗教から同様素直になってと誘われて、これにも素直に順ったが暫く考えていたその人は
「こんなことをしていてはキリがない。
どの宗教がよくてどの宗教が悪いのか何よりも自分で考えて判断すべきだ。
それが自己の主体性であり考えることの価値でもある」と気がついたというのである。
 (メモに)次時法の主論は
 真実の道は唯一つしかない筈にもかかわらず世の中には余りにも宗教が多い。
 その説くところは種々さまざまであるばかりでなく、まるっきり正反対のものが、すさまじく鎬を削っているのである。
 みせかけの上では一応どちらも、もっともらしいことを説いている。
 だが我々は一つしかない身体で右と左の両方に同時にかけ出すわけには行かないから、そのどちらかを選ばなければならない。
としたら、そんなら何を基準としてその方向を定めたらよいのだろうか。 

二、宗教の定義(えらび方)

 凡そどの宗教の信者も極めて真剣に自己の宗教を真実絶対の教道と仰ぎ無上の慰安だと信じ愉悦しているのだから彼らの信仰を持ち合せの常識で単なる迷信として葬り去ることは余りにも独断である。
 故に信仰の正邪は信仰の純不純によってのみ決定さるべきものではなく、その信仰の基盤たる宗教そのものの正邪が問題となって来るのである。
 即ち正しき宗教を純一無雑に信ずる時、正信があらわれ然らざる場合を迷信と名づけたのである。
 然らば正しき宗教とは如何なるものかということが問題になる。
 古来宗教に対する様々な定義が如何様に下されようとも正しき宗教は三世十方を貫く大道理の上に立つと共に他面、迷えるものの凡てが救われる教でなければならない。
 勿論、宗教は論理や哲理を超越して安心立命し精神的満足を勧むるものではあるが、真の精神的大満足と正しい安心立命は理性の熔炉を濾過しなくて獲得されるものではない。 若し理性の満足に耐え切れぬ宗教の信仰は何ら価値なき迷信邪信の外はないのであるから三世(何時でも)十方(何処でも)に普遍妥当に輝く道理の上に説かれると同時に凡ゆる生物を救済の対象とするものでなければ真の宗教とはいわれないのである。
 この両面を具備した宗教は今までの人類社会にあらわれたものとしては仏教以外には見当らないのである。
 即ちキリスト教の如きは美しい立派なことを説いている点は他の雑多の宗教と比すべくもなく勝れているが一度理性の領域に踏みこむと同時に不合理と矛盾で満身創痍といったあわれな姿となるのである。
 又キリスト教では天地創造の神話より一切の動物等は神が人間の食物として創造し給うたものだと説いて、人間勝手な解釈をしているのだからキリストの愛は人類のみのみにとどまり豚や猫や魚には及ばないのである。
 これに比して仏教は『阿弥陀経』に東西南北上下の六方世界に夫々に恒河の砂の数ほどの諸仏ましまして各々その国に於いて廣長の舌相を出し遍く三千大千世界を覆うて阿弥陀仏の名号の功徳の偉大なることを称讃し給うことが記されているのは仏教が三世十方に貫く道理の上に立っていることを示す金字塔に外ならない。
 又、『大無量寿経』には十方の衆生(あらゆる世界の生きとし生けるもの凡て)が阿弥陀仏の救済の対象であることを説いているのは単なる人類の救済にとどまらず迷える一切の有情が仏の大慈悲の相手であることを示しているのである。
 かくして真実の宗教はこの世には仏教以外にはないのであり、それと同時に正しき信仰は仏教による如実の信仰以外には何処にも存在しないことが明らかになるのである。(メモ欄外記)
 宗教というと、何か不思議とか、奇跡をもったものだとの感じを人に与えている。
 なにごとか判らぬが、有難さのあるものを宗教と思わせる仕組みが、儀式とか、形式となり、それに心を向けることを宗教を信ずることだと考えている。
 宗教とは何かということにすら多くの考え方があって、思い思いの考え方で宗教とはこういうものだといわれるので、心の由りどころを求める人達はこの為却って迷わされて、あれやこれやと宗教といわれるものを遍歴する。
 世界には三大宗教として、仏、キ、マがある。
 宗教に礼拝対象があり、教義があって信者があるものだとし、これだけの形式がととのっていれば日本では宗教法人として、認められる。
 この為日本には、新旧の多数のいわゆる宗教があり、それぞれ自らの教義を世にひろめようとしている。
 宗教を信ずることは自由であると、憲法で保障されてあるので、どんな宗教を信じようと国は干渉できない。
 それなのに、いざ、宗教とは何かというと実はなにが何だかハッキリしない人が多い。 宗教とは、人の心を安らかにし、生き甲斐を与える事が目的だと言う人が多い。
 このような、この世の人々の苦しみ悩みを救い、心を安らかにして生き甲斐を感じさせることが宗教なら、宗教の外の政治、経済、科学、芸術などの目的とも違わない。
 人の心を安らかにし生き甲斐を感じさせない政治なら、無意味であるし、人々の求めるものを満足させてこの世をよくするのが経済の目的だし、天地目的の正体を明らかにし人間の生命のあり方をつきとめて、苦悩を除くのが、科学だし、人の心に調和の美をしめして、安らいを与えるのが芸術である。
 宗教を芸術なりなどというならば、もはや宗教の立場を失わせているわけだ。
 宗教とは何か、これを明らかにせずしては今日の人々に宗教を説くことは出来ない。
 ところが、真の宗教とは、単に人の心のなぐさめや、心の安らいをさせることだけを、目的とするものではないのである。
 真の宗教を知り、それを信仰すれば、結果において、心が安らかになり、生き甲斐を感ずることにはなるが、はじめから宗教を信じたら御利益があるとか、心が安らかになるというようなうわすべりのものは、真の宗教ではない。
 宗教とは文字通り宗となる教えで、肝心要を示す教えであり、根本道理を説くものである。
 肝心要に二つはない。
 真の宗教は根本道理を説くものである故にあれやこれやとあるべきでない。
 しかも真の宗教は政治、経済、科学、芸術などを、正しく導くものである。


仏とは(1) 仏教という名称

 仏教とは何かと問われれば、その名称が示す如く、仏の説かれた教とか、仏という教とか或は仏になる教と解釈せられる。
 仏の説かれた教とは元来仏教という宗教は如来世尊と崇められる尊い人格者の仏陀によって説かれた殊勝の教であるから誰人も等しく信奉せねばならぬ教ということである。又、仏という教と読んだ場合は、仏陀が自分の説く教法によって自己の大覚内容である真理を開顕して、それを規準として凡ての衆生が無上の大果を諦得する様に化導されたのであるから仏そのままが教ということである。故に単に釈尊の教に限らず、いやしくも真理を開顕し正覚を成就した方の教ならば何人の教でも仏教といってもよいが、そうした真理を開顕し仏陀の正覚を成就する教をよく説き得た人はこの地球上に於ては仏陀釈尊以外にはなかったのだから仏教を仏陀の説かれた教と見るのが最も常識的な解釈であろう。
 次に仏になる教と読めば仏教内に如何に多くの宗派が分かれていても「分け登るふもとの道は異なれど同じ高嶺の月を見るかな」の古歌の教える如く、いずれも仏陀と同じ証果を成就することを究竟の目標としているのだから成仏することを教えるのが仏教本来の目的であるということである。
 以上のように、いずれの方面からみても、仏即ち仏陀が中心であり、仏陀とは如何なるお方か、如何にして成仏されたかという仏陀釈尊の生涯について知ることが仏教を明らかにするには大切なことになるのである。 
釈迦の誕生

 仏陀とは、仏教の最高人格者に対する敬称であるが地球上では釈尊のことである。
 釈尊とは「釈迦族の尊者」という意味で或は釈迦牟尼(牟尼は無二ともいい二人とないお方ということ)とか世尊とも呼ぶのである。
 釈迦族というのは、今を去ること約二千五百年前、北印度ヒマラヤ山麓に居住して血統の尊貴なることを誇っていた一民族である。その首府をカピラ城といい十人の長を選んで更にその中から一人の王者を選定して政治を行わしめていた貴族的共和国である。
 仏陀釈尊はこのカピラ城の城主、浄飯王を父とし、その妃摩耶夫人を母として誕生せられたお方である。
 この王様夫妻は久しく子供に恵まれなかったが、或る夜、摩耶夫人が白象が胎内に入った夢を見て懐妊せられたという。
 古来印度では、白象は縁起のよいものとされていたからであろう。
 何しろ初産なので月満ちてから生家である隣国、拘利城へ赴かんとしてカピラ城を出られたが、その行列が藍毘尼苑という花園にさしかかったところ、突然産気を感じ、白象の背より降り、無憂樹の下で右脇より玉のような男子を出生せられた。
 印度では右を尊ぶといわれているから右脇といったのであろう。
 然し今日産婦人科の医説によれば男子は右方から生まれ、女子は左方から生まれるそうであるから「男らしき生まれ方」と思ってもよかろう。
 しかもその日は四月八日で時恰もルンビニエンの花は満開で、その中で誕生されたことから花祭りと称して今日釈迦の御生誕をお祝いするのである。
 すでに生家拘利城へ行く必要のなくなった摩耶夫人は、そのままカピラ城に御帰還なされたが、非常な難産だったので産後七日目にして逝去せられた。
 後、姨母の摩訶波闍跋提夫人を養母に迎えられ生長せられたのである。 
聖賢の相のあった太子

 父浄飯王は待望の子供を恵まれ、しかも太子とあってみればその歓びと満足は限りなく、 早速当時有名な占師阿私陀仙人を招いて太子の将来を占わしめたところ、太子を一目見た仙人はホロホロと落涙したので、王は、この様な芽出度い時に不吉な涙を見せるとは不埒千万と激怒したが
「この方はただ人にはましまさぬ。
もし王位を継承されれば転輪王(印度では世界を治め得る秀れた王のことをいう)となられましょうし、出家されるならば必ず無上の証を開かれる仏陀となられるお方であります。 しかも私には転輪王になられるよりも仏陀となられるように感ぜられますが、私はすでに余命いくばくもない老人なので悟りを開かれて尊い教を説かれるのを聞かずに逝かねばならないので何と残念なことかと思わず落涙いたしました」という仙人の弁明をきいて、父王も大変満足せられたと伝えられている。
 そこで父王は悉達多、或いはゴータマと命名せられ、立派な太子には秀れた師匠を持たせねばならないと考え、太子七才の時、当時著名な磧学、跋陀羅尼を学問の師とし、セン提捉婆を武芸の師に迎え、文武両道の錬磨をさせられた。
 或る時、諸童子と技芸を競い、筆写、計算、 弓道、剣道、馬術、相撲等に何れも連戦連勝して時の人や師を驚嘆させたという。
 その後遂に両師も太子の利発さに圧倒せられて自ら罷免を願い出たとさえ伝えられているから如何に聡明無類であったかということが察せられるのである。

仏とは(2) 三人の妻をもつ

 少年時代から冥想的、内省的な性格であった悉達多太子は、或る年の耕転祭に鳥が虫を啄むを見て弱肉強食の現実を知り、閻浮提の下にゆき静座黙考せられていた。
 父王は阿私陀仙人の予言等とも思い合せて大事な後継者の太子が出家することを心配し妻帯させて、その志を捨てさせようとして太子十九才の頃、拘利城主善覚王の娘、耶愉陀羅姫を迎えて妃とせられた。
 当時太子には三人の妻があったと仏典に記されている。即ち、耶愉陀羅の外に水光長者の娘、瞿夷と釈長者の娘鹿野で、この三人とも夫々、羅喉羅、善星、優婆耶という子を一人ずつ産んでいる。
 妻を三人も持っていたことは当時の封建時代の性格からいえば当然なことであったが、それだけに妻の間や男性との関り合いの点でも太子の悩みは多かったであろうと思われる。
例えば三人の中でも耶愉陀羅は最も美しい女性で太子の従弟の提婆と太子の恋争いがあったという。
 この様に太子は父王の世俗的享楽に耽らしめようとせられたことが反って太子に人間の苦悩を痛感せしめ増々それから解脱する道を慕わせる結果となったのである。 
四門出遊

 或る時、東の城門を出られた太子は、路に歯がおち、腰は曲り、杖にたよって歩く、あわれな老人の姿を見て人間誰しもやがて必ずあの姿になり老苦にあわねばならないのだと感動せられた。
 又、或る日、南門を出て病人をみ、西門を出て葬式をみて愈々人生の無常を痛感せられたが、最後に北門を出遊せられた時、法服修行の出家を見て人生の理想は五欲の生活以外にあることを発見せられたといわれる。
 これが有名な太子の四門出遊である。
 或る人が死んで地獄に堕ちる、牛頭、馬頭赤、青の鬼共の獄卒に引きたてられて閻魔大王の前へ突き出された。
 すると閻魔大王、ハッタとばかり睨みつけて破れ鐘のような大声で
「汝娑婆にいた時、老人をみなかったか、頭は白く、歯はぬけ、眼くぼみ、肌シワより、身体ふるい、気力衰え、うめきつつ、杖にすがって歩むもの、これこそ第一の天使じゃ」「汝娑婆にいた時、病人を見たことはなかったか、身体やせおとり傷み、立居振舞も自由にならず、飲食便通にすら人の助けを待ち終日褥の中にあって呻吟き苦しむもの、これこそ第二の天使じゃ」
「次に汝死人を見なかったか、命終って息永く絶ゆれば身は壊れて、さながら枯木のようになり、塚の間にすてられては鳥獣に食われ、棺に納められ荼毘の烟となれば一つまみの白骨となる。
このものこそ第三の天使じゃ」
「このように汝娑婆に於て三天使に逢い乍ら放逸にして今地獄へおち苦しみを受けるは父母の過ちでもなく、兄弟の為でもない。
正しく汝自身の自業自得であるぞ」と怒鳴りつけると罪人として獄卒に命じて地獄の奈落へ送られるのである。
 という話を聞いたことがあるが太子の四門出遊と思い合せて考えさせられる話ではないか。 
太子の出城

 父王は太子の怏々として楽しまない様子をみて有名な時節々々に適した四季の御殿を建立し、一々の殿堂に五百の美女をはべらせ昼夜歌舞を奏して太子を慰さめていたが、すでに世の無常の真実を凝視せられた太子には最早世の栄耀栄華は苦悩の源泉でこそあれ、決して真の幸福をもたらすものではないとして日々懊悩と煩悶が続いた。
 或る真夜中のこと、ふと目を醒まされた太子が四辺を見て愕然とせられた。
五百人のサイ女達は何れも昼間の容姿は見る影もなく形を乱し、見るも無慙な醜態でねむっている姿をみて戦慄せられ、このサイ女達の姿こそ真の人間の姿だと気がつかれた太子は居ても立ってもその場に居れず、今こそ出家の好時なりと考え、恰も癩病者がその病苦を厭忌するように終に一切の恩愛を絶ち、御者車匿を召し出し健陟という白馬に乗って夜半ひそかに王城をぬけ出られたのである。
 時に太子二十九才の二月八日のことであった。 
太子の決意

 かくて太子は東方の藍摩国に行き自ら剃髪して一沙門(出家)となって衣冠をぬぎすて車匿にあずけ、乗馬と共に父王のもとへ皈えらせてから進んで毘舎離国の名高い跋伽仙人や阿羅々仙人や王舎城辺のウッダラ仙人を尋ね、解脱真正の道を求められたが、いずれも太子を満足さすことは出来なかった。
 そこで遂に太子は無師独悟を決意し、尼連禅河の東岸、鉢羅笈菩提の勝地で端坐静観に入り此の地を本拠として伽耶尸梨沙山や苦行林等の間を乞食し苦行に精進せられることになった。
 一方太子の出城を知ったカピラ城内外の驚きと悲しみは大変なもので、父王は早速重臣を集め太子の行方を計られたが、一同黙して語らず途方にくれている時、橋陳如という家来が座より立ち、太子の探索を願い出たのである。
 父王は大変喜んで早速橋陳如に四人の供をつけ太子を探させ是非思い直して連れもどるよう命じた。
 橋陳如ら五人は太子が跋伽仙人の許を尋ねたことを知り、急いで跋伽仙人を訪ねたが、すでに太子は阿羅々仙人の許へ去ったあとだったので、その後を追った。
 途中一樹の下で端坐熟思していられる太子を発見、父王初め妻子の熱烈な伝言を告げ
 「世に出家の動機には四通りあると聞いています。
長い病苦で歓楽を充たすことが出来ないとか、老人になって身の自由と希望を失ったとか、財物を失い生活に困窮しているとか、家族に死別して世をはかなむからだと聞いています。
しかし太子さまの場合は、この四つともあてはまりません。
年若く壮健な時に家富み、家族の人々にも別に変りはないのに、なぜ若き楽しみを捨てて一衣一鉢の姿になられ、遠き悟を求められるのか、私達には一向に判りません。
どうしても太子さまの心持が判らないのです。浮世はなれた仙者でさえも愛染を起すのに・・・」
 涙ながらに太子の変心を願い、皈城を求めたが、正覚を成就するまでは断じて皈国しないという太子の決意は大地の如く微動だにもしなかったのである。

仏とは(3) 太子の苦行


 「お前達には分らないのか、あの激しい無常の嵐が。
未だわからないのか。
ものはみな常住しないのだ。
いずれの日にか衰え、いずれの日にか亡ぶのだ。
快楽のかげにも無常の響がこもっているのだ。
美女の奏ずる絃歌は欲をもって人を惑わすのみだ。
三界は悩みのみ、猛き火の如く浮べる雲の如く、幻や水泡の如し。
若きを愛すれど稍て老と病と死の為に壊れ去るのだ。」
という火の玉の如き太子の菩提心を五人の使者は如何とも出来ず涙を呑んで一端帰城し、太子の決意の程を父王に伝えた。
 父王は深く首をうなだれさ程まで太子の決心が堅いのならと一時は断念せられたが、子を想う親心から橋陳如ら五人を太子の許で共に修行させ乍ら太子の世話をする様命じられた。
 五人は喜んで王命を受け、再度太子の許にゆき五比丘(僧)となった。
 その折父王及び耶輪陀羅姫は太子の苦行を案じて衣類や食品を送達させられたが、太子は堅く辞退せられて日に一麻一米を食して我々の想像も及ばぬ苦行を続けられた。
 苦行の模様は経典に伝える如く節食、断食、呼吸の制御、特殊な坐り方、立ち方、肉体的苦痛を受けること、五火の苦行等で即ち肉体に打ち勝つ力を養い忍辱、忍受の精神を植えつけ、意志の鍛錬をするのである。
 然しかかる苦行を続けられても解脱を得ることが出来ず、徒らに身心衰痩して樹によじて僅かに立ち得る程になられた太子は、遂に意を決して従来の苦行主義を捨て単身苦行林を脱出せられた。
 そして先ず苦行によって衰弱した身心の力を回復しなければ正しき智慧が生じないと考え尼連禅河に入って水浴し垢を除き身を清められた。
 苦行に疲れ切った太子は沐浴の後、殆ど岸にはい上がる気力もなくなっていた。
 折から通り合せた乳買いの娘、善生女に対して太子は一杯の乳チ の供養を請われた。
苦行にやつれはてていられるとはいい乍ら、たぐいまれなる太子の御姿を拝した善生女は喜んで太子に新鮮な乳チ を捧げたことは勿論である。
 それによって太子は気力を回復せられたが、橋陳如ら五人の従者は、ひそかにこの始終を見て
「遂に太子は苦行に耐え切れず墮落した。
修行者にとっては大蛇よりも恐いといわれる女人から乳チ を受けた。
あんなことでは絶対菩提など獲られるものではない。
あんな墮落者に随侍していたら、我々も一緒に墮落してしまうぞ。」
とささやきながら太子を見捨てて西方波羅奈斯国に去っていったのである。 
大悟徹底さる

 しかし、一方決意も新たになった太子は、独り尼連禅河の畔、仏陀伽耶の菩提樹下に金剛宝座を造り、これに結跏趺坐して
「我れ正覚を成ぜずんば終に此座を起たず」と異常の覚悟をせられた。
 この時より、心中幾多の変化怪象の畏嚇や女色愛欲の誘惑や世間の利欲等いわゆる悪魔波旬が襲い来て太子の決意を翻さんと誘惑したが、静かなること山の如く深遠なること海の如き太子の忍耐と剛毅は悉くこれを征服し、遂に三十五才の十二月八日、一見明星して大悟徹底して三世十方の実相を諦観せられ、三界の大導師たる仏陀となられたのである。即ち成仏とは、人間なりし一行者が仏陀如来となられた驚天動地の大事件であった。
 仏陀は成道後数週間自らの悟証を楽しまれたが、その悟った法は甚深であるから世俗の欲楽に耽っている人々には理解し得ないであろう。
 否、理解出来ないばかりでなく謗法の結果になるかも知れないと考え、一時自殺をはかられ説法を躊躇せられた程だが、ようやく不死の法門を開き甘露の法雨を滋ぐことを決心せられると、この心的歓びをあらゆる人々と共にしたいの念願が心の深奥より涌然として起ったのである。



転法輪始まる


 これより仏陀は遊化の途に上り、先ず阿羅々迦羅摩及びウッダラの両師に法を説かんとされたが、此の時すでに両師の死後であったので遂にかつて随従した橋陳如らの五比丘の救済を思い立ち波羅奈国の鹿野苑に向われた。
 途中、北印度の商人、提謂、波利の両人が仏陀に帰依したので、この両人を仏陀最初の帰依者とする。
 一方橋陳如らは、遠方より近づいて来る仏陀を見て相議して
「彼処に来るのは苦行を捨てて欲楽に墮落したゴータマだ。
あんな墮落者に礼をするな。
起ちて迎えることも彼の衣鉢をうけることもいらない。見ぬふりをしておろう」
と示し合せていたという。
 しかし、仏陀が近づいてゆかれるにつれて五比丘は先の約束を守ることが出来なかった。 或る者は仏陀を迎え、或る者は仏陀の衣鉢をとり、或る者は座を設け、或る者は洗足水を持ってきて仏足を礼拝して世尊と叫んでぬかづいた。
 仏陀の威神力不思議である。
 そこで仏陀は、この五比丘を前に大覚悟を公言し
「我れは一切勝者なり一切の知者なり」と宣言し最初の法輪(説法のこと)を転ぜられ、五比丘はたちまち開悟した。
 かくして八十才の二月十五日入滅せられる日まで四十五年間の伝道生活が開始せられたのである。
仏の説かれた教えとは(1)

 前述の如く、三十五才の時、仏陀となり涅槃の雲にかくれられるまで仏陀釈尊在世四十五年間に亘る説法獅子吼が如何なる内容のものであったか、如何なることを説示されたのかということを尋ねる前に我々は、仏陀釈尊が何を無師独悟せられたかを考えて見なければならない。
 仏陀釈尊の正覚内容に就ては原始経典の随一である阿含経の中に諦かに次のように説かれている。
『智慧をもって生死の由るところを観察するに生より老死あり。
 生はこれ老死の縁たり。
 生は有より起る。
 有はこれ生の縁たり。
 有は取より起る。
 取はこれ有の縁たり。
 取は愛より起る。
 愛はこれ取の縁たり。
 愛は受より起る。
 受はこれ愛の縁たり。
 受は触より起る。
 触はこれ受の縁たり。
 触は六処より起る。
 六処はこれ触の縁たり。
 六処は名色より起る。
 名色はこれ六処の縁たり。
 名色は識より起る。
 識はこれ名色の縁たり。
 識は行より起る。
 行はこれ識の縁たり。
 行は無明より起る。
 無明は行の縁たり。
 是をもって無明に縁って行あり、行に縁って識あり、識に縁って名色あり、名色に縁って六処あり、六処に縁って触あり、触に縁って受あり、受に縁って愛あり、愛に縁って取あり、取に縁って有あり、有に縁って生あり、生に縁って老病死憂悲苦悩あり』
 これが有名な十二因縁とも、十二縁起ともいわれるものである。
 この場合、因縁も縁起も同意味である。
 仏陀釈尊は原理の為に原理を求める科学者でも哲学者でもなかったから、我身自身の解脱が根本問題であった。
 故に、広く万物や他人を問題とする前に、先ず我身自身を問題とせざるを得なかったのである。
 今、因みに時間的に、人間の託生の初めより死滅の終りに至る所謂胎生学的に十二因縁を眺めてみると、
 無明(迷いの根本で一口で言えば煩悩のこと。これが原因となって次の行を生み出す) 行(行為のことで前生で行った業。これが原因となって次の識を生み出す)
 識(前生の業が始めて精神的な結果としてあらわれたもの)
 名色(識が一個の具体的な形となったもの、我々が入胎して眼や耳が出来るまで)
 六処(眼、耳、鼻、舌、身、意の六感が出来て六識が完備したもの)
 触(初めて外界の事物を感覚し始める幼年時代)
 受(外界から種々の言語や知識を受け取る状態、少年時代)
 愛(漸く精神が発達して性にめざめ愛憎の思いを感ずる時代、青春時代)
 取(物に貪欲心が激しく起る。あれがほしい、これが思いきれないという時代)
 有(愛欲の本能が盛んとなり、種々悪業を作って未来に流転する種を残す)
 生(前世の為した業によって此の世に生を受ける)
 老死(生まれてから年月と共に老衰し遂に死んでゆく)
となる。人間は畢竟この十二の因果相続の存在であることを徹見証悟せられた。従って、この十二因縁観から必然的に次の様な解脱観が説示せられている。
『又、智慧をもって観察するに、生なければ老死なく-乃至-無明なければ行なし、これをもって無明、滅すれば行滅し-乃至-生、滅すれば老死憂悲苦悩滅す。
 菩薩はかく思惟する時、智生じ、眼生じ、覚を生じ、明を生じ、通を生じ、慧を生じ、証を生ず、菩薩は逆順に十二因縁を観じて実の如く知り、実の如く見をはりて即ち阿耨多羅三貎三菩提(仏陀のこと)を成ず』
 これは仏陀釈尊の実証そのままの告白である。
 即ち釈尊は、我身自身の上に因果の道理を順観し逆観することによって解脱を実現することが出来たわけである。
 かくて、仏陀釈尊は実証の因果の大道理に立って世界及び人生の億差兆別の現象は、すべて因果の理法によって生起したものであることを説示し、決して偶然に出現したものではないことを道破せられた。
 釈尊は自己の真実をとおして万人の真実を読み、一身の因果に即して一切の因果の真理を把握せられたのである。
『一切法(乃有)は因縁生なり』(大乗入楞伽経)
『仏教は因縁を宗とす。
 仏の聖教は浅より深に至る。
 一切法を説くに因縁の二字を出でざるを以てなり』(維摩経)
 これらの経文が明らかに断定するように、仏の説かれた教の根本は因果の大道理にあり、因果の理法こそ、一切経を一貫している根本思想であることは疑う余地のない事実である。
仏の説かれた教えとは(2)
 世界及び人生の万差億別の複雑極まる現象を眺めて、何等意義のない偶然の出来ごとのように解釈している人々もあるが、それは理論上からいっても実践上から考察しても何ら価値のない迷妄だと言わなければならない。これに反して、これらの現象に意義をもたせて解釈する人々に又二様の見解がある。
 その一つは運命論とか天命説といわれるものであり、他は因果論と呼ばれるものである。運命論は俗にアキラメ主義ともいわれるように、或る超越的な大命令者を仮定して、宇宙人生は凡てそのものの意志命令のままに生滅するものだと信じ、他の如何なる力を以ってしてもこれをどうすることも出来ないとする説である。
 これに対して因果論は一切の現象は因果必然の規律によって存在し、又前後彼此複雑怪奇な現象を生起するものであるとする説で現今の科学説や仏教の教えがそれである。
 即ち、因果とは委しく言えば、因、縁、果のことで、因とは果に対して直接原因をいい、縁とは、その間接的原因、即ち因が果になるのを助けるものを指す。
 果とは、それらの因と縁によって結実したものをいうのは勿論である。
 一切のものは必ずそうならしめた原因があって出来たもので、固有の存在や偶然の出来事などで出来たものは絶対にないとするのである。
 所謂、蒔かぬタネは生えぬで、原因なしの結果等はあり得る筈がないということである。併し、如何に原因があって果の成ることに定まっていても、その因のみでは果にはなり得ないので、その因を果ならしめることを扶助する縁がなければならないわけである。
 例えば、お米はモミダネを因として出来るが、畳の上に蒔いては何時まで経っても米という果にはならない。
 モミダネを米という果にするには土壌や水分や日光も必要だろうし、空気や肥料百姓の労力等の助けによって漸く米になるのである。
 この場合、モミ種は米の果を造る因であり、土壌や水分や日光、雨、露等はモミダネを助けた縁である。
 こうした直接、間接の何れであれ果を造るもとになる例を引きくるめて因縁といい、更にその縁を略してただ因といい、その因とそれより成った果を対にして因果というのである。
 仏教では一切のものはみなこの因縁果の道理に順って成立し、存在し、変化するものであって固有の存在や偶然の出来事など一つも存在しないと説くのである。
 よく世間では「偶然こんなことになった」とか「不意の出来ごとである」とか、さも因なくてただ果のみ現われたようにいう場合があるが、それらもそうなった原因を見究めることが出来ないからのことであって決して因なくして成った果など断じてないのである。故に仏教は常にこの因果の理法をもって仏教以外の哲学や宗教に対する批判の規準としているのである。
 二号でも略説しておいたが、試みにかくの如き因果の道理に立って雑多の宗教はさておき仏教と並んで世界の二大宗教と称せられるキリスト教を眺めて見よう。
 かくて二号の意味が一層明らかになるであろう。
 何人も周知の通り、キリスト教にとって大切な信条とせられているものに宇宙創造説や処女降誕説等がある。
 宇宙創造のことについては旧約聖書の創世紀を一読すれば明らかな如く、神が先ず天地を創造し、次いで人類を始め一切のものを造り、且つ永久にこれらを支配するというのである。
 凡そ、原始人、古代人は最初にどうして神というものの存在を考え出したものであろうか。
 人間の特徴は人智で自己の周囲のものを説明し解釈し、それによって生活の方針を立ててゆくところにあるが、原始人や古代人の貧弱な人智では説明出来ないものが余りに多かった。
 例えば雷鳴であるとか地震であるとか電光であるとか噴火であるとか洪水であるとか風雨であるとか大きな渕であるとか、深山幽谷であるとか、そういうものに出遇うと説明がつかず、従って処置法も考えられない。
 ただそれらの為すがままにまかせるより外になかった。
 古代人は彼らに自分の意志をふみにじられるので、その意志をふみにじるものは、やっぱり意志のある神の仕業と考え、目に見えないが神がいるに違いないと信じたのである。かかる思想の発達しない古代人が天地万有を見て、恰も大工が家屋や道具を造るように偉大な神があってこれらを創造し支配しているのだろうと想像し怖れたのは無理からぬことではあるが、その幼稚な想像説をそのまま絶対の史的事実と主張して万人に信仰せしめんとするキリスト教は、昔は兎角として科学思想が発達普及し天体及び生物の進化論を証認する現代人には実に侮辱ともいうべき迷信の甚だしきものである。
 就中、神が土の塵をこねて自分の像に似せて人間を造り、これを男女に分かち一切の動物を食物とせしめたという御伽話を現代人に信ぜしめんとするに至っては、乱暴も甚だしいといわねばならない。
仏の説かれた教えとは(3)
 キリスト教の宇宙創造説をよんで筆者は仏教の一伝説を思い出すのである。
 釈尊在世の時に第六天魔王なるものがあって衆愚を集めて説法していた。
「お前達は、おれが造ってやったのだ。
 おれは義しきものに味方する。
 だから、おれの言うことを聞けば福を恵ん でやるが、おれに背いた事をすれば禍を下 してやるぞ」
そこで釈尊は、第六天魔王を呼んで、
「お前は何という出鱈目をいうのだ。
 お前の造った世の中というものがあるのか。
 この世の中は誰の造ったものでもない」
といわれると、第六天魔王は
「いや真理は、そうでございましょうが斯うでも申しておきませぬと、こいつらは何をするか分りませんからね」といったという面白い話がある。
 この伝説にもある通り、仏教は因果の道理にもとづき徹底的にかかる宇宙創造説を否定し宇宙の万有は因果の道理に順った生物の自己創造で万有は変化流転して止まず、何ら支配的な神は認めない。
 これは立派に科学的に証明し得るというより、寧ろ科学そのものというべきであろう。又、キリスト教信者はイエスは童貞のマリヤから生れたという処女降誕説を固く信じている。
 ゴッド(神)の独子たるイエスが聖霊の奇特によって未婚のマリヤの胎内に宿ったというのである。
 マタイ伝に
『その母マリヤ、ヨセフと許嫁したるのみにて、まだ偕にならざりしに聖霊によって孕り、その孕りたること顕れたり。
 夫ヨセフ正しき人にて之を公然にするを好まず密かに離縁せんと思う。
 斯くてこれらの事を思い回らし居る時、みよ主の使、夢に現われれていう。
 「ダビテの子ヨセフよ、妻のマリヤを納るる事を恐れるな、その胎に宿る者は聖霊によるなり、かれ子を産まん。
 汝その名をイエスと名くべし、己が民をその罪より救い給う故なり』とあり、又、ヨハネ伝には、
 『言(神の言)肉体となりて我らの中に宿り給へり、我らその栄光を見たり、実に父の独子の栄光にして恩恵と真理とによりて満てり云々」とあって、イエスは宇宙当初から神として存在することを説いている。
 マタイ伝の記事によると、イエスは聖霊と処女マリヤとの合の子であるが、男女の性交なしに不思議な霊力によって受胎したというようなことは、まともな常識では到底承認することの出来ないことである。
 尤もアミーバの如き最下等動物は両性なしに子孫を繁殖するが、その他の動物には絶対不可能なことである。
 よってこれは、よく現今あるお土産(胎児持参)の私生児であろうという人もあるが、とにかく処女が子を産んだというような非因果的なことを教義の信条として掲げるとは唖然としてしまうではないか。
 これらに比べて仏陀釈尊には判然たる両親あり、然も因果の道理を実の如く把握し体験して仏陀となるべき因を積んでなられたことは前述の通りである。
 その他イエスが十字架上に刑死してから三日後に甦り、多くの信者や弟子達の前にあらわれたという復活説や、イエスが復活後四十日の間、何回か弟子の前にあらわれ、その復活を証明して最後に多くの弟子信者の眼前で肉体のままで天に昇ったという昇天説や、イエスが布教中に種々な病気を癒したとか、死んだ者を蘇らせたとか、人についていた悪鬼を追い出したとか、二つのパンと二つの魚を五十余人に分配して尚余りがあったとか、海上を歩行したとか、海の風波を一喝して鎮めたとか。
 これらの中で病気治療や悪鬼追放の如きは心理療法の理論で大体説明出来るが、その他は譬喩的又は精神的の解釈をせぬ限り因果の道理にかなわぬこと千万里である。
 かくして仏教は一切のものは因果の規律によって成れるものとするから何ものも因果の道理を離れて存在するものは一つもないとする。
 このことはやがて一切の事柄みな自業自得の道理以外に出ないと説き且つ又因果の道理を無視した奇蹟は絶対に認めないという極めて合理的な教えになるのである。
 いわゆる自業自得の道理とは凡そ因に対して、それに相応した果が現れるということで、従って、善いことすれば善い報いを得、悪いことすれば必ず悪報を招く、それは恰も天に向かって唾を吐けば、そのツバは又自分の顔にふりかかる如く、所謂汝に出ずるものは汝に帰るということである。
 こんな話をきいた。外国にいた日本のある夫人が、良人が重要な用件で本国に帰った留守中、ある外人と通じたのである。彼女は外国人の子を孕んだ。
「四方壁で誰れも見ぬ所でした行為が三ヶ月後には何かの形をとって必ず世の中に知れる」という諺があるが彼女は内心非常に心配していた。
 やがて女の子を産んだが、どうしても日本人の子に相異なく彼女はやっと安心した。
胸のキズさえ包んでおれば彼女は立派な貞女であった。ところがその娘が十九才になって、ある秀才と結婚した。間もなく産まれてきた孫は、その全部がどうひいき目に見ても西洋人であった。
 赤い髪と緑の眼と皮膚の色とはかくすことは出来なかった。二十年葬り込んでいた旧行があばかれ貞女の本体が曝露されたという。
 蒔いたタネが生えない道理はなく、自からまいたものは自ら刈りとらねばならないのである。
仏の説かれた教えとは(4)
 前号で述べた如き自業自得、自因自果、他因他果の道理からキリスト教の原罪説を眺むれば仏教とキリスト教の相異の著しさに更に驚かざるを得ないのである。
 キリスト教の原罪説とは、その昔、神が土にて自己の姿に似せて人間を創造し、これをアダムと名づけ、後アダムの伴侶として女を造り、これをイブと名づけ、共にエデンの楽園に住まわせたが、イブが蛇に誘惑されて神の禁断の木の実(善悪を知る智慧を得る)を食べた為アダムも又イブの誘惑によってこれを食べ、これが為に神の怒りにふれ永久に罪と死とを課せられた。
 人類の死その他種々なる苦痛は此の時宿命的に遺伝し永久に人類の負担となったというのである。
 人祖が善悪を知る禁断の木の実を食って永遠の罪と苦痛とを得たというのは昔の支那人が「字を知るは是れ憂患の始め」といった様に古代人の世界観として見れば興味ある想像ではあるが死を以って人祖アダムとイブの罪の結果として神より与えられた罰として人類永遠に受けてゆかねばならぬということは常識よりするも極めて理解が困難である。
 況んや因果思想を立脚地としている仏教の見地からは到底首肯出来ないことである。
一体アダムが神禁を犯して木の実を食べたことによって墮落したとしても何故にその子孫たる全人類の罪悪となったか、又神が何故に殊更にアダムをして罪悪を犯さしめたか即ち抽象的に言えば、神は心に善人たるべきことを求めつつ而も何故に悪人たらざるを得ざらしめたのか、アダムの原罪は神の意志によるのでないといい乍ら一方アダムは神の造るところであるというのは矛盾でなくて何だろう。
 又アダムとその子孫たる人類とは明らかに人格を異にすると認めておき乍ら而もアダムの罪が子孫たる全人類の罪であるというのは因果自他の関係を雑乱せしむるものである。 仏教に於いては因果の道理から死そのものは単に人類のみでなく一切の生物、否一切の万物悉く絶対にまぬがれぬものとしている。
 アミーバーはまだ死なぬというが地球破滅の時は必ず死ぬ。
罪についてもキリスト教では神から人間に課せられた罰とする。
 愛の神といい乍らその反面神の意志に背いた者に対しては呵責なき罰が下されるのである。
 一例をあげると旧約聖書の中には
「エホバなる神は人間を罰する時には剣と火とで苦しめる」とか、申命記には
「神は人が神を信じなくなると怒って火でも山でも大地でも産物もみな焼いてしまう」又出エジプト記には
「我エホバ女の神は嫉む神なれば我を悪む者に向かっては父の罪を子にむくいて三四代におよぼし」云々とさえいわれている。
 神は自ら万物を造り神を信じないものを造り乍ら自らの失敗をせめないで人間のみをせめることは全く無責任な話である。
 仏教では自業自得で人間の一切の罪は悉く自己の仕業の結果とする。
 これを業という。即ち善因善果(楽とは限らない)悪因悪果(苦とは限らない)の法則を認めている。
 罪悪とは即ち個人又は団体の為した反真理的の行為をいうのであるから人間はその行為の結果に対して悉く自己に責任をもっていると説くのである。
 これは倫理学より見ても全く正しい見解である。
 又このような自業自得の道理を諦観すれば出たらめな現世利益を勧める諸宗教やそれらの祈祷に血道をあげている大衆が如何に馬鹿げたことに迷っているかが判るであろう。
 かかる迷妄を悲劇をもって実証したのが昨年の元旦の午前零時すぎ新潟県弥彦神社に於いて参拝者から死者一二四名、重軽傷者九四名を出した大惨事である。
 神社は神社、惨事は惨事であるというのならば禍福に関して神社に参拝することは全く無意味である。
 惨事は浅はかな民衆に反省をうながす為の神の配慮であったのか、若しそうなら死んだ者は何時反省の機会が得られるのか、死んだものは浅はかで、残ったものは浅はかでなかったのか、それとも浅はかでないものがギセイとなって生き残りの浅はかなものに反省を与えたのであろうか。
 この様な血なまぐさいギセイを使わなくしては、神は我々に反省の機会を与えることが出来ないのか、しかもそのイケニエを自分に対する参拝者の中から選ぶとはむごい神ではないか。
 無限に深い神の配慮を浅はかな人間の分別をもって押し計ろうとすること自体が間違いなのであろうか。
 若しそうなら神殿に参拝して神のよき配慮にあずかろうとして却って貴い一命を失ったこと自体が人間の浅はかさの証拠ではないか。
 神風を信じて伊勢に祈願したものが国土や家財を焼かれ原爆をおとされても依然として参拝を忘れぬばかりか年と共に同僚を増加しているのは仏教の自業自得の真理を知らない宗教的無知を如何なくばくろしているすがたである。
 かかる普遍妥当な因果の大道理は言うまでもなくー尊が発見せられたものであって創作されたものではない。
 発見と創造とは意味が違う。
 コロンブスはアメリカ大陸の発見者ではあるが創造者ではない。
 ニュートンは万有引力の法則を発見したが誰人も万有引力の法則をニュートンが創作したとはいわない。
 因果の道理自体は釈尊の発見の有無にかかわらず無始無終に亘って三世十方を貫く大道理である。
 釈尊はこれを発見し体得して覚者となると共に、この大道理を明示して一切の衆生を導いて自己と等しく覚者たらしむべく教として、 これを万人に説示せられたのが仏教である。
三世因果の教(1)
 仏教の根本は因果の理法であり因果の道理を離れて仏教はあり得ないことは先述の通りであるが、因果の説明は必ずしも仏教のみの専売ではない。
 世間一般でも「蒔かぬ種は生えぬ」とか「罰はテキメン」とかいわれているし、道徳や倫理、更に広義にいって科学的立場から万物の生成を解明する場合もやはり因果の規律によらねばならない。
 ただ仏教で説く因果は単に現在一世に止まらずして過去、現在、未来の三世の実在を説き、その上に因果必然の理法を説くところに、その独自の特色がある。
 故に三世因果の教こそ仏教が他宗教に対する旗印といっても過言ではない。
 我々の生命について三世があるとすることについてはこれを否定する者もあれば又肯定する人もあるだろう。
 来世を無とする説は儒教等であり、仏陀在世中は断見外道といわれたものである。
 又来世有りとする説は所謂、霊魂不滅説でキリスト教やマホメット教等殆どの宗教の説くところであり、仏陀時代の常見外道とよばれるものである。
 かかる中に於いて仏陀はその両方をしりぞけて無霊魂説を称え徹底的に固定不変を標貌する霊魂なるものの実在を認めず業の不滅を説かれた。
即ち阿含経にある如く
『因果応報なるが故に来世なきに非ず 無我なるが故に常有に非ず』といって断見も常見も否定して業道輪廻転生を教えられたのである。
 では業とは如何なるものであろうか、業とは支那の語で梵語(印度の語)でカルマといい、元来「為す」ことの意味であるから身、口、意に善悪等の種のことを造作して苦楽等の果報を受ける原因をいう。
 広い意味での行為といった方が良い。
 行為は残る。
 一種の勢力となって残る。
 その業力が因となって果を結ぶ。
 善因には善果、悪因には悪果あり、ここに厳粛なる因果業感の理法が成立つ。
 仏と雖もこの道理に背くことは出来ない。否仏自身がこの理法を自覚しこの理法に隨順することによって正覚を開かれたのである。
 我々は日々の三業によって無量の業力を積み重ねている。
 その無数の業力は身心と共に恒に存続する。業は物質でも精神でもない。
今生の身心は離散しても業は残る。
 この業は次生の身心を生み出す。今生の身心と次生の身心とは同一のものではないが業が両者を連鎖している。
 玉突の時、赤玉の速力とその方向は必ず白玉の動く方向と速力とを決定する。
だから赤玉と白玉とは同一のものではないが、その間に密接不離の関係があるようなものである。
 かくて不滅の業力は流れ流れて因果相続して窮まりなく、今生の果報盡きても来世の新たなる果報を引き幾度も生死輪廻止むことがないのである。
 万物は輪廻する。
 車輪の果てしなく繰り返す様なものである。
 高い山や崖は風雨にさらされ表面はボロボロになり泥、砂利となって谷間に運ばれ、遂には湖や河や海に流され、底に沈んで低地が埋められて高低がなくなる。
 今度は高くなった海底が沈み旧山地であった地域は盛上がって高低が出来、再び削剥作用と沈積作用を繰り返す。
 これを侵蝕輪廻とよばれる。
 世界の屋根といわれるヒマラヤ山脈も曽っては海底に埋まっていたといわれる。
だから今日までに九千米も盛り上がったことになる。
 このような輪廻は五十年や百年の短い人生では明らかに判らないが実は年々才々くり返されて止まないのである。
 このような変化輪廻は動物や植物についても行われている。
 人間は猿から進化したものだと信じている人がいるが今日の猿は人類の祖先ではない。今日の猿も又人類と同じ祖先から分化し進化した猿である。
 いわば猿とは兄弟分である。
 人間の祖先は哺乳類ではあるが、その祖先は地上をはって歩くトカゲや蛇等の爬虫類である。
 その爬虫類はヤツメウナギによく似た種類の魚類の両棲類から進化したものだ。
 人間が動物であったという証拠は小児が胎児として母体にある間は尾のようなものが残っている。
 又水中を泳いでいた証拠には鰓裂とよばれる鰓となるべきものがついている。
 人間の心臓は空中に取り出しても動かぬが海水中殊に地球創成当時の海のような塩分の稀薄な水中では動き出す。
 尾やエラは何れも出生までに退化消失するが、この事実は人間の祖先が尾を持ち又海中でエラで呼吸していた時代があったことを示しているのである。
 仏教では人間が生まれ変わり死に変わりする。
 それも犬や猫や馬になったりするということだが、それは本当の話かという質問を屡々受ける。
 これから先のことは判らぬが過去では筆者は色々のものに生まれ変わったと思う。
 筆者は犬や猫が好きだから、五、六年前からセパートと猫を飼っているが、彼らの日常生活から、その気持ちがよく判る。
 言葉こそ通じないが、その気持ちはよく知られる。
 彼らの気持ちが自分によく判るということは自分も何時の世にか犬や猫であった証拠ではないか。
 そう考えると牛の気持ちも判るし馬の気持ちも判る。
 蜻蛉や蝶の気持ちも判るし蝸牛や蜥蜴や蛇の気持ちさえ判るような気がする。
 筆者は過去で何にでも生まれていたと思われれるのである。三世因果の教(2)
 今日の生物科学では人間受胎の現象を詳細に説明しているが何故に私が特定の父母の間に生まれ男女、貴賤、賢愚、美醜等を持たねばならなかったかという本質問題になると沈黙する。
 況んや父母未生以前の世界のことなどは研究することも出来ない。
 宇宙神秘説や人間運命論はここから発生する。
 偶然の結果だとウソブク奴もあるし、神様の命令だと威張る者も出て来るわけである。
 偶然とは無知の代用語である。
 神様をかつぎ出すのは未開人のなごりである。
 万人が解らない問題だから勝手な熱を吹くのは自由だろうが仏教は、ここに峻厳な因果の大道理に立却して永遠不滅の業があると説き、その不滅の業が内因となり父母の精血を外縁として我々の存在を説明する。
 故に特定の父母に受生したのも貴賤美醜をもったのも偶然でもなければ神の命令でもない。
 自業自得である。
 即ち自己の立場を生み出したものは曽って自己の意志によって作った業なのである。
 同じ父母から生まれ乍ら兄弟姉妹の相異するのも各自の過去の業因の相異の為であり、兄弟よく相似しているのは父母という外縁の同一によるものだ。
 この間の消息を倶舎論では次の様に説いている。
 人が死んで次の生を受けるまでの期間を中有界という。
 中有界の形状は「如当本有形」とあるから死ぬ前に人であれば人の形、猫であれば猫の形である。
 此の世界は地獄や諸天と共に化生(夢のような生まれ方)であるから胎生の様に受胎、出産等の順序を経ず忽然と生じ忽念と消え去る。
 中有界の寿命は限定されず身体は極微細な物質によりて構成せられ肉眼で見ることは出来ない。
 視覚が極度に発達しどんな山岳大海も超えて遠距離も透視することが出来る。
 海で溺れ山で死んでも故郷の光景が次の間から見るように判然とするのである。
 彼らは又最疾の業通力をもっているので、虚空を上下することも自由自在である。
 中有界では香を食物としている。
 小福のものは悪香を食し、多福の者は妙香を食とするのである。
 此の中有界は長く住することを好まず速に次生の境界を求めて生命を托することを切望する故に短い者で七日間、長く逗留するものでも七、七、四十九日間である。
 併し次の境界に生まるべき因縁が熟さないものは何時までも中有界に居る訳である。
 彼らは失業者が職場を求めて走り廻る様に早く自分の生まれる場処を求める。
 何しろ眼玉がよく光って何処でも見え行動自在だからよろしい。
 先ず男女性交の機会を狙うというから多分に夜中のことで人の寝静まるのを狙って新婚夫婦の夜のお仕事が始まる頃であろう。
 賢い子供を生みたいと思ってエロ雑誌等を参照して受胎の生理を研究している者は、その室の中に猫や犬や乞食の亡霊が待ちかまえて居ることを知るべきである。
 男に生まれる者は母を相手に愛を起こす。
 女に生まれる者は男に惚れる。
 愛と共に瞋心も起こすから女に惚れる者は男が憎うてならぬのである。
「泄す所の不浄が胎内に流至する時、是れ己が有と謂て便ち歓喜を生ず」とあるから亡霊共が我れ勝に走り寄って歓呼の声を張り上げる。
 落第し失敗した奴は狼狽して人間共の門戸を捨てて天井裏のネズミの所へ走ったり床の下の猫の恋を求めて生を求めるわけである。
 最近、筆者の読んだものにラマ僧の奇蹟がある。
 ラマ教は仏教の一種類であるから複雑な哲学や深遠な宗教的真理を含み、今日でも本当の修行をつんだ高僧達の言行は幽顕な世界へ自由に出没するという。
 ある田舎の娘が一人で川で洗濯しているとその地方でも有名な徳の高いラマ僧がやって来た。
 娘を見るといきなり彼は暴行しようとした。
 娘は驚いて力の限り抵抗した。
 勿論腕力では老僧がかなう筈はない。
 娘は家に帰って母親に話した。
 母は「誰かが高僧に化けてしたのだろう」といったが娘の話ではどうも本物の高僧に違いない。
 そこで母は「もう一度老僧のもとに行きよく詫びをいって老僧のいうことに従うがよい」と娘にいった。
 娘が再び老僧のもとに行くと老僧はカラカラと笑って「わしは女などに用事はない。
 実はこの近所で怠け者のラマ僧がついこの間死んでその亡霊がこのあたりをウロウロしている。
 先程もそばを通るのを見かけたが放っておけば畜生に生まれる。
 そこで気の毒に思ったからお前の胎内を借りてやろうと思っただけだ。
 しかし今となってはもう間に合わない。
 向こうにサカリのついたロバが二匹いるだろう。
 奴はあの胎内に這ってしまった。
 ロバになって生まれかわるであろう」
 こういうことを知ると可愛いい子供を死なせたといって慟哭することもなかろう。
 坊主を読んで読経して貰って「今頃は極楽に居られましょう」なんと雲をつかむ様な法話に空涙を流さなくとも本人はサッサと天井裏のネズミの子に生まれてチュチュ泣いているのだから世の中は愉快である。
 併し人間や動物に生まれる者は上等の部類で大概の者は地獄へ矢の如く堕ちていく。 三世因果の教(3)
 一昨年だったと思うが北陸夕刊に蘇生のことが出ていた。
 若い頃一旦死んで冥土の入口まで行ったが二時間後に娑婆へ引き返したという女が新湊市に現存しているというのである。
 年は六十八、九、医師も脈絶えたといい家族一同嘆き悲しむところへ危篤と聞き、富山からかけつけた懇意な尼寺の庵主が遺骸の枕元に座り「あんた死なれたか」と叫ぶ途端、これは意外死人パッと眼を見開き「みんな何しておられるがけ」と富山弁で不審そうにあたりを見廻す。
 死後二時間目であったという。
 不思議に蘇生した病婦の語るところによれば、いつの間にか真暗がりの果てしない道をトボトボ歩き出した。
 ただ遠い彼方に伏木の灯台みたいな光りが見える。
 それを目当てに進むうち広そうな橋の上に出た。
 ランカンにもたれ一休みしていると気品の高い一人の坊さんが肩をたたき「ここはまだお前の来るところでない。早すぎる。
 もと来た道へ引き返しなさい」とハッキリいってくれる。
 ハテナと思う矢先庵主の声が耳に入り眼を開けたというのである。
 又、飛騨高山の一商家の女房も一旦死んで冥土へ行くと弘法大師が出て来て女房を案内し冥土の諸相をみせてくれる。
 見物し終わったころ忽念と蘇生する。
 地獄の責苦の姿に胸を打たれた彼女は一念発起、亭主や子供と分かれて墨染の尼僧となり日本全国行脚の旅にのぼり地獄の様子を物語りつつ聞法を勧めたという。
 如来しげ子と名乗り富山地方へも来たそうだ。
 そんなに古い話ではないという。
 以上は夕刊の記事であるが筆者も京都在学中蘇生した婦人にあって直接当時の模様を聞いたことがある。
 彼女は体験して来た冥土の入口から三途の川や地獄の様子を忘れぬ内にと画家に書いてもらったものを軸にして持っていた。
 体験者の言葉は真に迫って鋭かったことを今も忘れない。
 浮薄な人生のみを肯定する今日の知識人にはこの様な世界は謎で不可解で迷信であろう。不可解であるといっても実存しないとは断定できない。
 仏教の三世因果はこの幽顕の世界の実存を主張する。
 根本仏教の四阿含の中でも純粋に仏説を伝えるものとして今日学界で認められている雑阿含経にも至る処に三世因果の教は説かれている。
 例えば『応報相応円珠経』には「爾の時、世尊、諸々の比丘に告げたまわく、若し殺生の人多習多行せば地獄の中に生ぜん。
 若し人中に生ずるも必ず短寿を得ん。
 不与取を多習多行せば地獄の中に生ぜん。
 若し人中に生ずるも銭財に多難ならん」等々。
 此処では十不善業と十善業の三世因果が明白に示されている。
 又『拘薩羅相応命終経』には仏が波斯匿王に告げたまわく、
 「彼の摩詞男は過去世の時、多羅戸辟支仏に遇いて一飯を施しき浄信心に非ず。
 恭敬して与えず、自ら手もて与えず施して後変悔して此の飯食は自ら我が諸の僕使無辜の持用に供給すべきに沙門に施したりといえり。
 是の施福に依りて七反三十三天に往生して七反此の舎衛国の中の最勝の施姓に生じて最も銭財に富めり・・。
 乃至・復た次に大王、時に彼の摩詞男長者は其の異母兄を殺して其の財物を取れり。
 斯の罪に縁るが故に百千歳を経て地獄の中に堕つ・・・」等。
 三世因果の教は阿含経より始めて終わり、涅槃経に至るまで小乗大乗を通じて仏教経典を一貫することは明に白白な事実である。
 従って前世或いは来世の存在も亦仏説であることは勿論である。
 では、かかる三世が如何なる因果関係によって成立しているのだろうか。
 そのことについては因果経に顕かに教示している。
 即ち、「前世の因を知らんと欲すれば、其の現在の果をみよ、後世の果を知らんと欲せば現在の因を見よ」
 所謂、現在世の苦楽、禍福等は過去世の善悪の業報であり、現在世の善悪の業は又未来世の苦楽禍福を生み出す。
 個人の禍福は偶然でもなければ神の攝理でもなく、全く自業自得である。
 よって三世因果の理法は過去の因は現在の果に現れており、未来の果には現在の因より発するのだから現在の自己の上に無限の過去と永遠の未来とを知見できることを教えている。
 無窮の過去と永久の未来を含んだ現実の一念を見よ。と教える。
 別にラマ僧の神秘に驚き蘇生者を訪ねて冥界の存在を考えなくとも我々が日々生活する現実の生命の流れの上に迷界輪廻の世界を直感するのである。
 この現実の一念、当体の一念を凝視せば脚下に渦巻く生死の大海あり。
 底無しの不滅の業海を知る。
 されば念々呼吸する此の出息入息の一念に是正な自己批判を加えよと示されるのが三世因果を説かれた仏意なのである。 三世因果の教(4)
 ある時、釈尊が林中の一樹の蔭に休んでいられた。
 その時林中で三十人余りの貴公子達が銘々夫人同伴で酒宴を楽しんでいた。
 その中に一人の獨身者が娼婦のような女を連れて加わっていた。
 ところが、みんなが疲れている間に、この娼婦が一行の貴重品を盗んで逃げたのである。目がさめて驚いた一同は懸命に探し廻っている時、丁度一樹のかげに釈尊の尊容を見て「一女人の通りかかるのを御存知ありませんか」と尋ねた。
 釈尊はことの次第をきかれて
「そのようなわけか、だが一女人を求めることと汝自身を求めることと、いずれが大事であろうか」と反問されたので一同迷夢からさめた心地して釈尊の説法をききお弟子となったことが古い仏典に記されている。
 前号で三世因果の深意は、現実の自己をみようということにおさまることを述べたが仏教の第一歩は実に現実からであり、自己自身を出発点とする。
 道元禅師の正法眼蔵の現世公案の一節にも「仏道を習うというのは自己を習うなり」と道破し「よもすがら、仏の道を求むれば、我こころにぞ、たずね入りぬる」と源信僧都は述懐している。
 人類歴史の初頭に於いてギリシャのデルファイの神殿の扉にきざまれた「汝自身を知れ」の有名な言葉は千古に輝く金言である。
 或る富裕な婆羅門の子が美しい妻を迎えた。
新婚の若き夫婦は飲酒によって一層の快楽に酔うた。
 ある夜、新妻が酒を酌もうとしてカメの蓋を開けると酔眼にふと美しい女がうつった。新妻はテッキリこれは、自分に秘めた女だと感じ夫に憤り泣き叫んだ。
 夫は、驚いてカメを覗くと、そこには女は見えず若い情欲に燃えた男の顔が見えるので、妻に怪しい男があると思って妻に激しく、その不貞を怒った。
 若い夫婦の激しい争いでカメは打ち砕かれ酒つきて始めて浅ましい争いが絶えたという。
 悦楽の悪夢に酔うている若い夫婦には自分の姿も判らなかったのである。三毒五欲の悪酒に酔い潰れて我身知らずから我々の一切の迷いや苦悩の生ずることを知らねばならない。
 鳩翁道話の中に、或る富農家の多くの召使いの中に十五、六になってもひえ症で毎夜ね小便する者がいた。
 夜具も畳もぬれくさるので止むを得ず主人は馬小屋の屋根裏に夜具を運び馬と同宿させることにした。
 馬小屋の二階は丸竹をあみ簀の子にしてあるから一挙両得で夜中に小便は瀧のように流れても、そのまま馬のと一緒に肥料になる。
 気の毒なのは馬で夜中に折々夕立があるわけである。
 ところがその中にスノコの竹に虫が入っていたのと夜毎の小便で次第にくさって遂に或る晩おちたが、馬の為に一面に藁が敷いてあるのと大して高くないので幸い怪我もなく白河夜船だが、びっくりしたのは気持ち良くねていた馬さんでよくよく見れば宅の子供、しかし安眠妨害されるので耳元に口をあててヒヒンヒヒンと一声高くいなないた。
 流石の子供も眼をこすりこすり横をみれば馬が立っている。
 「誰か来てくれ馬が二階に上った」と叫んだそうな。
 我身知らず程哀れな、なさけないものはない。
 他人の欠点を責めることは知っているが自己のそれは判らないのだ。
 盗賊仲間が大勢集まって山中で宴会を開いた。
 勿論なに一つ盗品でないものはない。
 その中に金盃が一箇あった。
 一同は、その金盃を交る交る廻し飲みしていたがやがて宴酣となった頃早くも件の金盃が見えなくなった。
 するとその中の頭領株が立腹して「どうも怪しからぬ。
 今まであった金盃がないとあっては、この中に盗坊がいるに違いない」といったそうだが盗坊の親分が己が盗坊であることを忘れている様に我々には自己を見失ってはいないだろうか。
 『論語』に劣らぬ内容を持つ「孔子家語」の中の師弟の一問一答の中に「先生世にも珍らしい慌て者があるものです。
 私の友人が先日引っ越しをしたのですが諸道具から猫まで運び乍ら自分の妻を忘れたので奥さんは独り空家に残って泣いていましたよ。」
 すると孔子は言下に「女房を忘れる位はまだよろしい方だ。
 世の中には自分を忘れている連中がどれ程多いか判らない」と答えている。
 支那の蔡君謨がその見ごとなヒゲをねる時に夜具に入れて休むか外に出してねるか、と天子に聞かれて一向気ずかなかったが、夜具に入れてみると息がつまりそうで邪マになり外に出して見ても気持ちがよくないので入れたり、出したり、出したり入れたり遂に夜明けに及んだといわれる。
『知るとのみ 思いながらに 何よりも 知られぬものは 己なり希り』である。
「お前の前にいる。これがオレじゃないか」といわれるかも知れぬが、では頭のギリギリから足の爪先までオレか、それでは床屋で生き別れして来るのか、判らない最大のものが我身自身である。
 アフリカの砂漠に千古の沈黙を守るスフィンクスは、「初めは四本足で歩き中頃二足となり、終りに三足となる動物は何か」と道を通る人々に、この謎の質問を投げて答え得ない者を喰い殺した。
 つまり人間に向かって人間とは何ぞやと問うのである。
 スフィンクスはナイル河畔に奇怪な姿を現す古代民族の神像ではない。
 彼はたえず我々の生活に接近して「お前は何か」と問うているのである。
 哲学も文芸も科学も宗教も此の問に対する答である。
 我々は一人一人此の問に答えなければならない。
 彼の前には代弁も許されなければ受け売りの知識も間に合わないのだ。
 では何故に自己がかくも不明なのであろうか。自己とは如何なるものか 
 我々の眼は万物を見ることが出来るが視力の届かぬ遠方のものは見ることが出来ないと同時に、余りに近すぎるものも見ることが出来ない。
 目、目を見ることあたわず、刀、刀を切ることは出来ないのである。
 筆者は一生に一度なりとも他人の顔を直接見るように自分の顔を見たいものだと思うことがあるが、これは到底不可能なことであろう。
 どんな利発な人間でも自分の眼で自分の顔を直接見ることは出来ない。
 それは余りにも近すぎる存在だからである。
 昔から「灯台下暗し」という諺がある。
 千里の遠きを照らす灯台も、その下は真っ暗なものであるように、我々は他人の事になると善も悪も、殊に悪いことについては目がつくが、自分の事になると一向白痴同様なのは自分が自分に近すぎるからである。
 では我々には近すぎて見えない眉目面相を如何にして知ることが出来るであろうか。
それは鏡の御厄介になるより外に道はない。もし世の中に鏡がなかったら我々は一生涯自己の顔がどんな人相であるかということを知らずに終わるであろう。
 我々は鏡や写真を見て自分の面相を知っているから他人からどんなに、おだてられても、日本一の美男子とも思わなければ、ミス日本とも自惚れないけれども、鏡や写真がなかったら或いは、そうかナァと得意になって物笑いの種になっていたかも知れない。
 ウッカリしていると理髪店へ行き鏡に多く客の顔が映っている時「あのいやらしい青年は誰だろう」と怪しんでいると自分の姿であることに気づき独りで苦笑することがある。しかし鏡のおかげで形ある自分の顔や肉体は映して見ることは出来るが、無形の真実の自分は形ある鏡に映しようもない。
 顔の汚れは他人から注意されないでも鏡に映して「これは大変、見た人はさぞかし可笑しかったろうナァ」と恥じる心も起こって直ちに洗い取るだろうが、真実の自己は如何なる鏡に映すことが出来るであろうか。
 そんな鏡は存在するのだろうか。
 世間に、自分を映す鏡が三枚あると考えられる。
 他人、自己自身、仏の法鏡がそれである。
 第一の鏡を他人とし、それに映された自分とは、自分の姿を他人さまが如何様に眺めていられるかということで他人の心に映された自己の姿である。
 第二の自己自身を鏡とするとは我々の心に照らして自己を反省してみることである。
 第三の仏の法鏡とは真実の仏眼で微塵程の悪も見逃さない法の鏡のことである。
 しかしこの三枚の鏡は一応我々の姿を映すということで取り上げたのであるが、仏教では真の自己は第一、第二の鏡では未だ不徹底をまぬがれず、第三の法鏡によらねば知ることが出来ないと明示されている。
 ではなぜに、第一、第二の鏡が不徹底で信用できないものなのであろうか。
 人間の眼は如何に健康な視力があっても錯覚というものをおこす宿業的病気を有っているように、我々は凡て自我意識による錯覚というものをおこす病的存在である。
 我々は自他の価値評価をする場合、何時もこの錯覚に陥って判断しているのである。
 昔から「今日褒めて明日悪くいう人の口、泣くも笑うもウソの世の中」という歌があるが自己をも含めて他人の心は変転極まりがないから、その善悪の基準も念々に変化するばかりでなく、常に自己中心的に動いてゆく。
 即ち、自分にとって都合のよい場合の相手を善人さまと褒め上げるが、一度自分にとって都合悪くなれば何時でも何処でも直ちに極悪人として謗り散らす。
 何時も自分の御都合で他人を裁き善悪の判断をするのだから正しい価値は知るよしもない。
「豚は褒められても豚、ライオンは謗られてもライオン」と言われるのも、かかる御都合主義な自我意識の錯覚は真実の前には何の価値もないことを表しているのである。
 我々は自己の自我意識を離れて一切を見ることは出来ないから到底他人の正しき判断も出来ず、他人も又我々の真の姿を映すことも出来ない。
 かかる迷妄の自我意識を通して自分自身を眺めた時が第二の鏡に映された自己となるが、やはり、自我の色めがねからのがれることは出来ないから、欲目の錯覚はつきまとうのである。
 普通の考えから行くと盗賊や殺人、淫売婦などは自分の職業を悪いものと認めて心にそれを恥じている筈だが事実は全くそれに反している。
 盗賊がその機敏さを誇り、殺人者がその惨酷さを自慢し、或いは淫売婦がその自墮落を鼻にかけると聞けばアキレルだろうが、何んでも自分のことが善いこと、結構なものと思えて来る驚くべき錯覚をおこすのである。
 お婆さんが鏡の前に座って白毛のふえたのに始めは驚くが、すぐに心を取り直し「これでも隣の婆さんよりは少しはましだろうー」と安緒の胸を撫で下ろすのも、無意識的にも自分を若く見たい、きれいに見たいと言う自我意識、欲目による錯覚である。
 五十になれば六十の人を見て安心し六十になれば七十、七十になれば八十翁を眺めてまだまだと長綱をはく。
 この欲目から来る自惚れが今宵とも知れぬ無常の真実の自己を見失わせるのである。
 あの子に限ってと子供に自惚れるところから青少年の犯罪は簇生していると聞くが、欲目を離れて親は子供を見ることが出来ないから親馬鹿とサジを投げられているのである。子供を眺める時でさえ欲目の色めがねをはなせないのだから、自己が、己を見る場合はおして知るべきであろう。
 かくて釈尊は大涅槃、即ち、死に臨んで弟子達への遺言の中に「今われは汝らに法鏡を授けるであろう」と述べられている。
 法鏡とは、釈迦一代に説かれた教法であり、一切経がそれである。
 この教法に映し出されている自己こそが真実の自己の姿なのである。法鏡に映された自己
 或る山の一軒屋にローソクが自分程明るいものはなかろうと自慢している処へランプがフラリと降りて来て同じように威張った。
 そこへ電気が遊びにきて俺こそ一番だろうと自惚れると、ローソクもランプも光を失って電気の前に平身低頭した。
 稍て東の空から太陽が顔を出したので、あたりは薄明るくなって来た。
 あれは何万觸光の電気だろうと驚いていると太陽が一切の闇を破って光明界としたのでローソクもランプも電気も一切が光を失って暗くなった。
 自慢話は絶えた。
 これはイタリアの国の童話である。
 闇に対すればローソクは明るいしローソクに対すればランプは明るい。
 ランプに対すれば電気はもっと明るいのは事実である。
 これを相対という。
 しかし、一度太陽という絶対の光が東天に輝くと諸光は絶対の光に映奪されて皆んなが暗いというより外はないことになる。
 我々は御都合主義な他人の言葉や、自惚れ根性で自己を眺めている時は他人よりは善人だろうと信じているが、真実絶対の仏の法鏡の前に立った時如何なる相が映し出されるだろうか。
 法鏡とは仏の説かれた一切経であるが特に親鸞聖人は『夫れ真実の教を顕さば則ち大無量寿経是なり』と「教行信証」教巻に大無量寿経をもって真実の法鏡となされた。
 勤苦六年の末、三十五才の十二月八日一見明星して豁然菩提樹下で大悟せられた釈尊が自内証のままを説法せられたのが華厳経であるが、文殊、普賢の二菩薩のみは聞いたが、その他の聴衆は如聾如唖であったので、グッと程度を低めて阿含経、方等経、般若経を説き四十余年間、調機誘引されて遂に自力の出世本懐経たる法華経を説いていられる最中に、王舎城の一大悲劇により韋提希夫人の請を入れて王宮に降臨して觀無量寿経を説かれ、霊鷲山に皈られて法華経の残りを説かれたから、 法華経と觀無量寿経は同時の経といわれるのである。
 これを御文章四帖目に「むかし釈尊霊鷲山にましまして一乗法華の妙典を説かれしとき提婆阿闍世の逆害を興し、釈迦、韋提をして安養を願はしめたまひしによりて、かたじけなくも霊山法華の会座を没して王宮に降臨して韋提希夫人の為に浄土の教を弘めましましによりて弥陀の本願この時にあたりて盛なり、この故に法華と念仏と同時の教といへる事はこの謂なり」と説かれている。
 かくて八十才二月十五日涅槃の都に皈られる時説かれたのが涅槃経である。
 華厳と法華と涅槃を自力の三大経とされるが華厳経と涅槃経は法華経に収めて法華経をもって自力の出世本懐経とするけれども根機が熟すれば岸上戯れる子供よりも水中に溺れている子供を救わなければならないから、その仏のお慈悲を觀無量寿経に説き、定散諸機を調えて最後に下々品に念仏を教え、遂に廃観立称して念仏一行を勧める阿弥陀経へ導き、最後に善根功徳にも称名念仏の易行にも堪え切れぬ逆謗の劣機を照らし出して聞即信の一念に五十一段を超証せしめる大無量寿経を説かれたのだから、大無量寿経こそ釈尊の出世本懐経となるから正信偈には『如来所以興出世 唯説弥陀本願海』と説かれたのである。
 かくて我々は大無量寿経の法鏡によって自己の真相を知らねばならない。
 大無量寿経には一言で我々の真実相を道破せられている。
 即ち『心常念悪 口常言悪 身常行悪 曽無一善』の金言がそれである。
 心は常に悪を念じ、口は常に悪を言い、身は常に悪を行じて、曽って一善も無し、と読むが、ここで先ず留意すべきは、仏教では我我を心と口と身の三方面から眺めているということである。
 しかも、その中で心を最も重要視する点は身業を重視して、これを一とすれば心業は、その半ばにすぎないと教え心業の価値を低く判定するものもあるが仏教ではこれに反して心業こそ一であり身口二業はその半ばにすぎないことを強調している。
 釈尊も勤苦六年の肉体を虐げた苦行の後、問題の中心は心で肉体は全く、その従僕であることを悟り乳糜によって肉体を養い心一つに突っ込んでゆかれてやがて大証悟せられたのである。
 だから仏教では心で悪いことを思うことは悪いことを行ったよりも遙かに悪いことなのである。
 なぜなら、あらゆる悪い行為の根源である悪い考えを起こしたからである。
 悪い行為は繰り返さないようにも出来るが悪い考えは凡て悪事を生み出すものである。悪い行為は他の悪い行為への道を滑りよくするだけであるが悪い考えは、この道へどしどし人を引ぱり込んでゆくものである。
 いわば心は火の元のようなものであり、口や身に現れるものは天空に舞い狂う火の粉の様なものである。
 大空の火の粉は地上の火の元から舞い上がるのだから火の元の心が最も怖ろしい。
 消火の際も火の粉よりも火の元に重点がおかれるのも至極当然である。
 にもかかわらず世間では、その心については殆ど自由放任で心中如何なる悪らつ無道を念じ羞恥すべき醜想をいだいていても、そのことが直ちに社会問題になったり法律の対象とはならない。
 しかし、よく考えてみると今月新聞やラジオが報道する事件は心を火の元とする火の粉のホンの一部にすぎないわけだ。
 然るに哀れなるかな凡夫は火の粉飛ぶを知って火の元の大事を知らないから社会から殺人、強盗、暴行、傷害等の火の粉は絶える道理はない。
 所詮は身や口にあらわれる火の粉しか取り締まることの出来ない悲しき人間の限界なのである。
『石川や浜の真砂は絶ゆるとも、世に盗人の種はつきまじ』さすが稀代の怪盗の辞世ではある。
 しかしこれではならないという反省もなされている。
 「一寸と貴女の羽織がゆがんで居ますよ」と注意されると「アーそれはどうも有難う」とお礼をいって正すが「一寸貴女の根性が曲がっていますよ」といわれると目に角を立てて怒る。
 羽織がゆがんでいるのも根性が曲がっているのも、どちらも同じようであるが後者の方が人格を侮辱したことになる。
 着物よりも体よりも心に重点をおく一例である。
 かくて仏教では手をかけて殺すよりも心で殺したものは、もっと罪は重いし、事実盗んだよりも心で欲しいと執着したものはもっと怖ろしい偸盗罪になる。
 親鸞聖人が末灯鈔に『親をそしるものをば五逆(父殺し、母殺し、羅漢殺し、和合僧を破る、仏身より血を出す)のものと申すなり』と仰有るのはこの深々の仏意からは当然なことであろう。真実の自己とは(1) 
 原担山といえば明治時代の禅門の偉傑といわれた僧であるが、或る時一人の僧と諸国行脚中、ある小川にさしかかると、たまたま二人より先に来ていた一人の妙令の娘が連日の雨で水がはんらんしていて、とても飛び超えられないのでモジモジしているのを眺めて担山は「どれどれわしが渡してあげよう」と娘を抱いて渡してやった。
 途方に暮れていた娘は顔を赤らめ漸く川を渡った。
 ところが連れの僧は禅僧の身が仮にも女を抱くとは怪しからんとでも思ったのか、ものも言わずに、さっさと歩いて行った。
 夕暮れになったので担山が
「どこかで宿ることにしよう」と言うと、 その僧は「女人を抱いた様な生臭坊主との同宿はごめん蒙る」と苦い顔をした。
 担山カラカラと大笑して「なんだお前はまだあの女を抱いていたのか、わしは川を渡した時に、もう放してしまったよ」朗らかな反撃に相手は返す言葉が無かったという。
 心業を重視する仏意を喝破して興味深い話ではないか。かかる立場から我々の真相を照らして見よう。
 先ず心常念悪であるが心常に悪を念じていると仏は仰有るが、どんな悪を念じ続けているのだろうか。
 仏教では悪の源を百八の煩悩と教えているが中でも怖ろしいのは三毒の煩悩とされている。
 即ち貪欲、瞋恚、愚痴の三つである。
 蜂や百足のさしたのは五日や七日で癒るが、この三毒という毒の針で相手の胸をさすと「あの畜生、人の前で恥をかかせたナァ、アイツ憎い奴じゃ」と相手は一生忘れぬ程の猛毒を持っているから怖ろしい。
 先ず貪欲であるが欲のない者は一人もいない。
 貪欲は食欲、色欲、名利欲、財欲、睡眠欲の五欲であればあるで欲しい、なければないで欲しい。
 そして何時も満足出来ない奴で恰も水が物を潤す如く而も深さが知れないから青い・青鬼と教えられている。
 充たされざる食欲の限界がくれば忽ち同僚相喰む餓鬼道が現出する。
 終戦直前、フィリッピン戦線に於いて「オイ喰われるなヨ」が兵隊が出て行く時に戦友が見送る言葉であったという。
 愈々餓死寸前に追い込まれたかっての皇軍は鬼畜と変わったのである。
 初めは病死体や戦死体の大腿部の肉をハギ取る程度だったが次第に生きている戦友、特に若くて脂肪太りの者が狙われ、遂には人間の丸焼を喰うということになった。
 先ず首を打ち落として渓流に引摺り込んで巧みに料理し、松丸太に縛り付け人間の丸焼をつくって十五、六名の日本兵が車座になって焼けたところから戦友の肉を喰べたのである。
 これが我々の親であり兄弟であり子供であり同朋のやったことなのだ。
 だが我々には彼らの残虐性に驚く前に同じ立場に立たせられた時の自己を反省してみなければならない。
 かかる時、果たして彼等の行為をせめ得る確信のある者は一人でもあるであろうか。
 さるべき業縁があれば、如何なるふるまいもなすべしである。
 我々の姿を見せつけられた感じがするではないか。
 元来仏教は自覚教といわれるように自己のうちに一切を眺めてゆく。
 有名な「三界唯一心、心外無別法」と説いているのも、心が万差億別の宇宙万有を創り出すということではなく、凡ゆる現象を心の中の渦と眺めて行かんとすることを教えているのである。
 一皮むけばウミ血が流れると理屈は判ってはいるが美しい女を見た時は、邪淫を行う畜生の心が燃え上がっているではないか。
 「凡ゆる人は常に淫猥なことばかり考え、婦人の姿ばかりに眼を輝かせ、卑猥な行為を思いのままにしている。
 我が妻を厭い憎んで他の女をひそかに窺うて煩悶の絶えたことなく、愛欲の波は高くよせかけよせかけ、起つも坐るも安らかでない」と釈尊は説かれているが、このムジナのような盡きざる色情が刹那の快楽を求めて、どれだけの罪悪を重ねてきたことか。
 本居宣長は晩年世人から生き神様と敬まれたそうだが或る時使われていた女中が書生に向かって
「本当に家の先生は生き神様でしょうか」と真剣な面持で尋ねるので書生は
「みんなの人がいっているのだから間違いなく生き神様だよ」と答えると途端に女中は大声をあげて泣き出した。
 驚いた書生が訳をただすと「実は昨晩夜中に生き神様が私の床の中に入って来られたので思わず頭をなぐったが神様の罰が当たったらどうしよう」と言った。
 何かの本でよんで身の凝る思いがしたことがある。
 果てしなき愛欲に起つも坐るも安らかでない者は誰であろう。
 人類の歴史は斗争の歴史であるといわれる。
 我々は生来、他人に優った人間になりたいという斗争心を持っている。
 親や教師からも他人に勝つことを教えられ敗けることを誡められた。
 だから人に勝って来ると褒められ、敗けてくると叱られた。
 特に優勝劣敗の生存競争の激しい現今は特に斗争心を煽動する。
 相手に勝ちたい為に自分を向上させることが面倒なので相手を傷つけ阻害し果ては相手を引き下げ様と努力する。
 心の底を叩けば相手をたたき落とし、殺しても自分をあげようとする汚い怖ろしい名利欲の悪魔の心が動いている。
 昔印度に山伏があった。
 人星の術を学んで急いで世人に奇特を顕わそうと考えて「我が子の命七日限り」と言いふらした。
 けれども人には合点がゆかぬ、その後七日すぎて我が子を締め殺して自然に死んだように見せかけて葬った。
 それから世の人々は大いに驚き「誠に奇大の修験者だ」といってこぞって賞讃したというが我が子を殺しても我が名を顕わしたい名利欲の非道を知らされるではないか。 真実の自己とは(2) 
 昔三人の泥棒が長者の家からたんまりお金を盗んでやっとのことで山頂まで逃げて来た。これから三人で山分けしようとしている時一人の泥棒が欲を起こした。
 何んとか、盗金全部を我が物にしたいものだと考え
「オイお前ら、これを分ける前に腹ごしらえしてかかろうじゃないか。
 俺は今から町へ行き饅頭買って来てやるから待っていろよ」と出かけていった。
 空腹にあえいでいた二人の泥棒は相手の心を知る由もないから異論のあろう筈はない。ところが饅頭を山程買った泥棒はタラ腹喰べた残りに毒薬を注入し毒饅頭を作った。
 毒饅頭で二人の友を殺してでも自分の財欲を満たそうとしたわけだ。
 貪欲がこんな鬼畜のようなことを思わせる。
 ところが一方、山の泥棒達も余り饅頭が遅いので欲を起こした。
 「何んとかアイツを片づけて、お前とおれでこの金を二分しようじゃないか」怖ろしい相談が決定していた。
 そんなこととは露さら知らない町から帰った泥棒は「サア喰べて呉れ俺はあまり腹がへったので途中で食べて来たよ」と言い乍ら崖の上で気持ちよさそうに放尿を始めた。
 二人の泥棒、好機ござんなれと相談の通り足音を忍ばせて近づき谷底へ突き落として殺した。
 「これでまずまず安心、この饅頭を食べてからにしよう」と毒饅頭を食べた二人は枕を並べてあの世ゆきだ。
 山頂にはお金だけが残されたという話がある。財欲の奴隷になっている人間の末路をよくあらわしている話ではないか。
 長く生きたところで五十年乃至百年の無常の人生にあり乍ら限りない財欲に引きずられ底の知れない罪を作ってゆく、黄金の雨が降っても満足出来ない底無しの財欲は青鬼そのまま無慈悲に悪を重ねてゆくのだ。
 他人のことに関しては豚のように遅鈍な我々も一たん自分の利害関係となると目の色変える現金さ、手こそ出さなくとも他人を押し倒し他人の眼をかすめても得たい餓鬼の魔の手はのびている。
 利害関係の前には凡てを忘れて親兄弟を殺し妻子を殺し善知識を殺す羅刹のような心が動いているではないか。
 芥川龍之介の小説『クモの糸』も我々の貪欲の残虐性を暴露したものである。
 ある時お釈迦様が極楽の蓮池の廻りを散歩せられていた。
 ふと蓮池をのぞき込まれたお釈迦様は八功徳水の水をすき透して、その下に血の池地獄が見えた。
 多くの罪人が浮きつ沈みつ苦しんでいたが、中でも一きわ苦しそうに、もがいている一人の男を発見せられた。
 それはカンダッタという大泥棒であった。
 余りにも苦しんでいるのでお釈迦様は大慈悲心を起こされ何とか助ける縁がなかろうかと、カンダッタの娑婆にいた時の記録帳を開いて調べてごらんになった。
 すると悪の連続であったカンダッタにも一つ善があった。
 娑婆にいた或る日、山道を歩いていたカンダッタが道を横切ろうとしている一匹のクモを発見し、何時もなら踏み殺すところだが、その時にかぎって、一寸の虫にも五分の魂とでも思ったのかポンと飛び越えて行ったと記されていた。
 お釈迦様はニッコリ微笑せられて極楽の蓮に美しく巣をかけている極楽のクモの糸を手におとりになって静かに血の池地獄へ垂らしてやられた。
 一方は血の池地獄で苦しみあえいでいるカンダッタの頭上へ銀色に光ったクモの糸が一筋静かに下りて来るではないか。
 それを見つけたカンダッタは「こんな細いクモの糸では、とても助かるまい」と一時は思ったが溺れる者は藁をもの心理で思わずクモの糸に取りすがった。
 だが極楽のクモの糸は一向に切れそうにない。
 これはシメタと喜んだ彼はクモの糸を登り始めた。
 もとより大泥棒のことだからこんなことは訳がない。
 しかしそのうちにカンダッタも疲れて来た。
 ここらで一寸一休みと糸の中途にぶら下がりふと下をのぞいて驚いた。
 自分の後から何十何百の他の罪人達が丁度アリの行列のように登ってくるではないか。
「おれ一人でさえ危ないと思っているのに、こんな大勢がすがれば糸は切れるに違いない。若し切れたらオレも又もとの地獄へ舞い込まねばならない。
 今のうちに何とかせねば・・」と思ったカンダッタは足の指でクモの糸をはさんでふり乍ら大声で怒鳴った。
 「コラ、お前達は誰の許しを受けて登って来たのだ。
 このクモの糸はオレ一人のものだぞ下りろ下りろ」すると下の罪人達は悲鳴と共にバタバタ血の池地獄へ吸い込まれて行った。
 と同時にカンダッタの握っていたクモの糸もプツリ音を発した。
 彼も又クルクルコマをまわす様に血の池地獄へ沈んでいった。
 お釈迦さまは、この始終をごらんになって「我身さえ助かれば他人はどうなってもよいというカンダッタの無慈悲な心が残酷な我欲がまたしても血の池地獄へおとしたか、助ける縁のない奴だ」と深いあわれみの溜め息をつかれて再び散歩のみ足を運ばれた。
 これがクモの糸の概要である。
 自分さえよければ他人はどうなってもよいという我利我利の悪鬼羅刹のような心がおらないか、我身さえ助かれば他人の苦しみは考えもしない毒蛇悪獣のような心がとぐろをまいてはいないか、満員バスに乗る時確かに乗れる確信のある時は老人婦女子を先にするが最後の人が乗れるかどうか判らないような時はどんな心が起きるだろうか。
 道徳も倫理も教養も間に合わないのだ。
 合点位のコップの水では我欲の猛炎は消されないのだ。
 忽ち弱肉強食の修羅場が展開されるではないか。
 手は出さなくとも他人を押し倒し乗り込んでいるではないか。
 カンダッタの心は我々の心である。
 我々の心にカンダッタは何人も棲んでいて常に蛇蠍奸詐で強欲非常を念じつづけているのだ。
 助ける縁、手がかりのない奴だとサジをなげられたのは他人ではないのだ。
 出離の縁のあることなしと見放されたのは善導さまだけではない。
 三世の諸仏に見捨てられ、本願にさえ、もれた悪性を持っているのだ。
 さるべき業縁が来れば如何なるふるまいもなすべき、底の知れない自性を持っているのが我々である。 真実の自己とは(3) 
 底の知れない貪欲を満足し切れない時が瞋恚である。
 貪欲を邪魔せられた時は、瞋恚の鬼になる。何か気に喰わぬとカッと怒る。
 怒るとは心の上に奴と書いてある。
 あの奴が邪魔するからだ。
 この奴がおりさえしなければと心の中で殺している相が怒であり、激しいことは火の様であり、真っ赤になるから赤鬼にたとえられている。
 我々が瞋恚の炎に燃え上がった時の心はそのままが赤鬼であり教養も学問も焼き払い前後を見失い怒りの衝動のままに動くのだ。
 これで一生をフイにする。
 千円札を束にして火中に投げ込むようなものである。
 怒ることが如何に怖ろしいことであることは次の事実でも判るであろう。
 上野の動物園に居た河馬が妊娠して園内の人々はその安産を祈っていたが稍て生まれて来た仔は死んでいたので失望した。
 その原因を調べたところ妊娠中に他の室へ移した折、どう思ったか河馬は大変怒ったそうである。
 それが胎児を死に至らしめた原因だということが判然としたのである。
 河馬も馬鹿なことをしたものである。
 新聞でよく街道で喧嘩口論を始めなぐり合おうとした時にバッタリ仆れて死んだという記事がのっているが、瞋恚は我々の命を縮める怖ろしいものである。
 瞋恚は己より上長に対しては怨恨となり目下の者に向かっては憤怒となる。
 カッと怒った炎は他を焼き、自らをも焼きつくす。
 親でも兄弟でも妻子朋友でも殺して平気なのだ。
 愚痴は愚も馬鹿なら痴も智恵が病気にかかっている字だから、同じく阿呆で正しき判断が出来ないから蒔いた種を知らず業が報うて驚いて、こんなはずではなかったにと不平で世の中を呪いネタミとウラミで何度でも同じことをくり返しているから感謝することを知らない。
 俗に「隣の貧乏ガンの味」とか「近頃は悪しくなりにけり隣に倉が建てしよりのち」といわれるのも愚痴から起こる悲しきネタミである。
 同等の貧乏人が一方は幸福が続いて家も新築し倉まで造って旦那となり一方は相変わらずの不幸続きに子だくさんでうだつが上がらないから隣が癪のタネになる。
 心ひそかに隣に何か腰の折れるような災難がおきればよいが火事にでもあったらよいがなアと祈っている悪魔の心がひそんでいる。立派に成功したのも貧乏が続くのも自業自得の道理だが、愚痴で因果の大道理が判らないから自家の子だくさんを隣の親父のせいにしたり、自分が生倉をたてて家が貧乏しているのに、隣家の為だとウラム、無智我見で放逸無慚、嫉視反目、因果の理法が判らぬ馬鹿な奴が愚痴なのである。
 元来愚痴は女の特性のようにいわれるが釈尊は女の悪徳の随一にネタミの心の旺盛なことをあげておられる。
 「先ず女は朝、目ざめては嫉妬の心で自ら苦しみ、日中は疎懶にして睡眠に耽り、日暮には種々の欲想を念じ自らの美色を自惚れ、生家の豪気を誇り夫の地位を誇り、夫を己のいうままに従わせて楽しみとする。
 又独居しては我儘をなし、口舌に悪を好み、言うことは反復常なく嫉妬の情強し」と説かれているが果たして愚痴は女性のみの悪性だろうか。
 我々が日常、驟雨にあって狼狽している人を見て悦ぶ心はなかろうか。
 犬に吠えられて困惑している人を見て笑ってはいないか。
 艶々たる美人が泥沼で足をすべらせ衣裳を汚して醜態を演じているのを見て楽しんでいるではないか、その本人にとっては大変な災難だが、それを眺めて喜ぶ心がある。
 よく「旅の火事は大きい程面白い。」
といわれるが、家を焼き、財産を失って老若男女悲鳴狂気している有様を見れば実に気の毒なことだとは思ってはいても、心の底にはもっと大火になったら面白いなあと思うている奴はいないか。
 向こう岸の火事を見物して楽しむ心はあっても泣き悲しむ心はないではないか。
 出火と聞いて見物にいく途中で鎮火したとでも聞けば落胆して顔色に不平をあらわす。実に怖るべき悪鬼の心が出て来るではないか。
 一切の人の不幸を見ては冷笑し、禍をきいては横手を打って喜ぶ。
 他人の名誉を憎み友人の出世を怨み、他人を裏切って平気でいる心、それで他人からほめられたい心。
 何処何処までも、図々しい心、ネタミの心は親子、兄弟の間もしのぎを削る。
 有名な宮本武蔵の父無二斎は我が子武蔵の武芸をネタンで常に武蔵をつけねらったといわれる。
 父子の間でもネタミ、ソネミは火花を散らすのである。
 仏教の歴史を通して王舎城の悲劇ほど惨憺たるものはない。
 提婆は釈尊の従兄弟であり精懃二十年、凡ゆる法蔵を読破し、大智舎利弗をして驚嘆せしめた程の教壇の上首であったが猛り狂った一念の嫉妬心は遂に仏殺しを計ること三度、他方純心無垢な阿闍世を誘惑して父頻婆沙羅王を殺させ、母韋提希夫人を七重の牢に幽閉するという大罪を犯させた。
 かくて提婆は毒の為に死し、阿闍世は罪に苦しんで仏教に帰依したが、かかる五逆法謗の千古の惨劇も提婆の愚痴から生じたものだ。
 「一人一日のうちに八億四千の念あり、念々のうちになすところ、これみな三途の業なり」
 「皆人の心の底の奥の院、探してみれば本尊は鬼」
といわれたように、凡夫の誠というのは、誠のないのが凡夫のまことである。
 聖人は「無明煩悩しげくして塵数のごとく遍満す愛憎違順することは、高峰岳山にことならず」と叫ばれたが心常念悪の真実の自己に驚かれた叫びである。 真実の自己(4)
 勝他我慢に無智我見、放逸無慚に嫉視反目、蛇蠍奸詐に強欲非道、煩悩具足で欠けめがない我々の心を仏は心常念悪と仰せになったが、それが口や身に火の粉となって飛び出せば自己をも傷つけ他人をもそこなう悪になることは当然であろう。
 故に仏は、次いで「口常言悪」と説き、口は常に悪を言っていると述べられて四悪をあげている。即ち、綺語、悪口、両舌、妄語である。
 我々の国は巧みに言葉で飾り立てて人をだましあしざまに人をののしり、ねたんでは両舌で相手を離間させ、その時々で都合のよいウソをいう。
 心口各異の偽りは上手で誤魔化しの名人である。
 丹波の国に百才以上の長寿の老婆があった。
 或る人が老婆を訪ねて「さぞかし珍しい面白い想い出がたくさんあったでしょう」と問えば老婆
「年をとれば頭がボケて皆忘れました。」
「しかし何か覚えていられましょう」と重ねて聞くと、
「それ程仰有るなら、申しましょうが、この年になるまで二十四度殺された事は忘れることは出来ません」と語った。
「二十四度殺されたとはどんなことですか」と聞けば老婆は涙ながらに
『これまで私に先だって子供や孫や曾孫が二十四人も死に家より二十四の葬式を出しました。
 その折に親類や近所の人々が悔みに来ましたが私の前ではいいませんが次の間で
「ここの婆さんと代わっておればよかったのに・・」と申して行きました。
 他人はまだ遠慮して次の間で言いますが内の孫は私の面前で申します。
 私がその度に殺されて来たのです』
と述懐したそうである。
 我々は何ともなしに言っていることが、どれだけ相手を傷つけていることだろうか。
 舌力でどれだけの人々を殺して来ただろうか。
 これを仏教では語殺といっている。
 「ウソクラベ、死にたがるババ、とめる嫁」といわれるが、嫁の前で死にたいという姑もウソなら、それをとめる嫁もウソなのである。
 冷飯食うても娑婆におりたいのが本心だが、嫁の態度が気に食わないのでウソを言うておどすのであるが、嫁は嫁で姑を心で殺しながら
「お母さん何を仰言いますの、お母さんはこの家の柱ですよ、まだまだ達者で居て下さらにゃ私達が困ります。
 どうか百までも千までも・・」と、役者より上手にソラ涙で誤魔化してはいるが心の中では、いい加減にくたばればよいのに、いつ世帯渡すつもりじゃろと殺しているのだ。
 大無量寿経には、「心口各異、言念無実」心と口と各々異なり、言うていることと思っていることに実がないと説かれてあるが、よくもこの口がさけないものだ、この舌がくさらないものだと怖ろしい自己の真相を知らされるではないか。
「あの声で、とかげ喰うかや、ほととぎす」で姑が
「ワシが五十年働いたなればこそ・・」と舌力で嫁に切りつければ嫁が直ちに
「老人のくせに達者なものは口計りじゃないか。
 私が縁あって来てやったなればこそ・・」と切り返す。
 姑が糊した襦袢を着ると、
「こんな、コワイ糊は誰がした」と毒づけば、 嫁は「それは糊がコワイのではない。
 お前の体の皮がウスクなったのだ」と火を吹く。
 すると小姑までが出て来て
「それはわざと糊をこわしたのだ」と火花を散らす。
 一家屋に居りながら親子の縁を結びながら毎日毎日、舌力の切り合い修羅場ではないか。これが仏法に向かえば法謗の重罪となる。無仏、無仏法、無菩薩、無菩薩法、地獄なし、極楽なし、と、無宗教の輩のみが法謗しているのではないのだ。
 今日の説教は上手だった、下手だった。
 長かった短かった。
 この布教使はトーチカ安心じゃコンニャク安心じゃと高座の下で法謗をやっているではないか。
 これを親鸞聖人は末灯鈔に、
「善知識をおろそかに思い、師をそしるものをば謗法のものと申すなり」と説かれ、
本願には、唯除五逆誹謗正法と除かれ、
涅槃経では五逆と法謗と闡提は難化の三機、難治の三病として見放されている。
 かかる実機を照らし抜かれれば日常言悪のお言葉に文句のあるはずがない。
 堕ちて当たり前と知らされるばかりではないか。
 次いで仏は我々の身について身常行悪と説き、身は常に悪を行じていると仰言って殺生、偸盗、邪淫の三悪をあげていられる。
 ダーウィンの進化論や適者生存の法則を知らずとも生物界の弱肉強食は眼前の事実である。
 源信僧都の往生要集の修羅道の絵図にはこれを諷示して蝿を喰えている蛙を蛇が噛み、その蛇を猪が、又それを猟師が弓でねらっているのがある。
 畜生界ならずとも我々がノミや虱や魚鳥を殺生するのも、その例にもれない。
 「害を加えるから」「殺さなければ生きられない」人間は、銘々勝手な理クツを並べているが大罪をかくさんとする勝手な自己弁護なのだ。
 我々の生活は殺生せずしては出来ないが「止むを得ない」という事と「善い」という事とは飽くまで違うのである。
 殺生は宇宙の法則の前では明らかに悪であり根絶不可能な悪なのである。
 或る人はいうだろう。
 「他を仆して進むことが生き甲斐のある生活で此の心を失った者は廃残者になるのだ。我々は生物の生命をとってはじめて生活出来るのだ。
 生命の持続はただ生命による外はない。
 故に大担に殺生し得る時にのみ生活の光輝があるのだ。
 ものを愍むは衰残の老人の心であり、哀憐の情の起こる時はもう真の生活圏内から退いたことだ」若しこの人の主張をまともに実行するとすれば、暴君政治や恐怖時代を認めることになるであろう。真実の自己とは(5) 
 仏教では一切の衆生(生きとし生きるもの凡て)が仏の慈悲の対象であるから、凡ゆる生物の生命は同等に尊いものとする。
 故に何者がこれを犯そうとも、それは重大な罪悪となるのだ。
 人間は彼らを殺して食することを当然のことのように考えているが、彼ら自身は決して当然な運命とは考えていないのだ。
 彼らは人間の為の当然の生命とも思っていない。
 又人間の為の当然の犠牲とも信じていないのだ。
 彼らは独りよがりな論理の前にこの悪逆無道を当然なこととして許さんとする人間の惨忍性を強く呪い憤って死んでいるに違いない。
 丁度我々が無実の罪によって牢獄に連れ果ては虐殺される時の思いがあろう。
 仏の慧眼からごらんになれば生命の貴さに上下高低のある筈はない。
 魚の生命も牛馬の生命も宇宙生命に同次のはずである。
 都合かってに人間の生命だけを貴しとするのは人間の罪である。
 してみれば如何に殺生の多いことであろうか。
 仏教では殺し方によって、自殺、他殺、随喜同業の三種に分けるが、共に怖るべき殺生罪とする。
 先ず自殺であるが、世俗的な自己の生命を自己で絶つことではなく自分自身で直接他の生命をとる場合をいう。
 我々は日常生活に於いてどれだけの生命を(生物の)直接殺していることだろうか。
 我々が殺生する動機に大きく分けて三通り考えられる、第一に貪欲を因とするもので財宝を奪わんが為に人を殺し、食物を得んが為に魚鳥を殺すような場合である。
 瞋恚を因とする場合は怨憎の心より人を殺したり或いは蜂にさされて怒りの余り殺す。 愚痴を因とするものは遊びの為に川に網を張り釣をなし、或いは山に猟をするような場合で、キリスト教のように神が人間に食物として鳥獣を創ったのだと信じて平気で殺生するのは愚痴より起こるものである。
 次に他殺というのは自身が直接に殺生しなくても間接的に他人に命じ又は他人を遣わして殺生させたような場合をいうので、直接我身が殺さなくとも自殺の場合と同等の殺生罪となるのである。
 魚屋から魚を買って食べるのも、肉屋から肉を買うのも私という肉食者が居なければ彼らは、その職業の人達によって殺されなかったろうから、我々が魚屋さんに殺させたのであり、肉屋さんに屠殺させたわけであるから、求めた我々は他殺の罪を受けねばならない。筆者は或る処で屠殺場へ引かれていく牛の行列を見た。
 先頭には十八、九の可憐な娘がムチを振り振り進んでゆく。
 畜生の彼らでも屠殺場へ入ると、両眼に涙が光るといわれる。
 何と惨酷な娘だろう。
 いや主人の命令で動いているのだろうが・・・何たる無慙な人達だろう。
 しかし、なぜ彼の人々はあのようなことをしなければならないだろうか。
 生きる為か、いやいや生きる道は世の中にはいくらでもあるのだ、なぜあのような職業を選ぶ人がいるのか。
 彼らをして恐ろしい殺生をやらせている者は誰か、静かに考えてみた。
 それこそ、今如何にも凡ゆる生命を憐む聖者の如きつもりでいる私がいるからではないのか、魚肉を好み、スキ焼に舌つづみを打つ私が彼らに重罪を犯させているのだ。
 これはまさしく我々の受けねばならぬ他殺の業なのである。
 第三の随喜同業とは自分に関係のない人が殺生しているのを眺めて楽しみ、殺された生物の肉を喰べて喜ぶ時は自殺、他殺と同様の殺生罪を造るといわれる。
 尾張茅ヶ崎の長母寺の無住禅師の書かれた沙石集に次のようなことが記されている。
 禅師が或る日、法話に行かれる途中、茶店に寄って茶を所望せられた。
 婆さんが茶を汲みに行った後ろ姿を禅師がごらんになると婆さんの尻から猫の尾が垂れている。迷える者には見えぬが六根清浄な無 禅師の眼にはよく見える。
 そこで禅師が驚かれて
「婆や浅間しい日暮らししているなあー、そなたは次生には猫になるぞ」と申されると、婆さん顔色かえて
「なぜ私が畜生道におちねばなりませんか、何で猫になるのですか」と尋ねた。
 禅師は、そなたにその証拠を見せてやろうと老婆をあちらに向け猫の尾を足で踏み
「それ動けるか動いてみよ」といわれるが老婆は進退できぬ。
 驚いた老婆は「今日よりは心中を改めます。如何にしてこの罪を逃れることができましょうか」と尋ねると
「俺は弥勒菩薩に会いたいから定に入るが定に入れず観念も出来ぬ者を救い給わんとして弥陀如来が名号成就して下されたのだから、それを聞き開けば助かる」
これをきいた老婆は深く懺悔して茅ヶ崎の御堂の縁先で一生念仏して送った。
 そして面白いことには禅師にまで意見している。
 「貴方は何故、弥勒菩薩の御出世を待たれるのか。
 私は助けられたこの御恩のある貴方に苦労させるのは見ておれぬから名号をいただいて共に浄土へ参って下さい」といっているが、隨縁隨縁といって遂に定に入って仕舞われたという。
 何故にこの老婆が猫の業を結んだかというと猫がネズミを追いかけ捕らえて喰べる早業を褒めて猫が婆さんの前で半殺しにして弄ぶのを見て楽しみ猫の殺生を隨喜したからである。
 我々にも猫の尾が生えているかもしれぬ、いやいや胸の中には地獄の焔が燃え鬼の角から火をふいていることだろう。真実の自己とは(6) 
 身体で造る罪悪の第二は偸盗である。
 これは他人のものを盗み取ることである。
 お経には、『己にふさわしからぬものを多く用い、又は食する』者はすでに盗みを働いたものだと説かれている。
 盗みの原語は「不與取」であるから、普通一般では所有者の許可なしに掠め取ることであるが、仏教では、その外に「自分に相応しない」ものを持っている場合も含んでいる。即ち、法律上自分の所有であっても自分に相応しないものを愛用すれば盗みとなるわけである。
 只、この場合自分に相応するものということが問題であるが、仏教の立場からは今日の人間生活の貧富も貴賤も所詮は程度の相違にすぎず、その間には無数の階級があって区別することは難しいが一括して掠取者、偸盗者となるのである。
 貧乏人は富を求めて限りなく苦しみ悩むが心理的には渇愛の法則によって金持ちは却って貧乏人よりも烈しい欲望を起こすから何れも窃盗未遂であり、仏教では手を下して取ったよりも罪が重いのである。
 次は邪淫であるが、自分の妻に満足出来ずに人妻と通じたり、夫婦の間でも一方が相手の意思に反して犯せば邪淫となる。
 凡て金力や権力をもって相手の意志に逆らって婦女子を自由にするものは同罪である。八大地獄の三番目に衆合地獄というのがある。
 そこに有名な刀葉林地獄がある。
 ここへ墮ちた男が、フト見ると天を摩すような大樹がある。
 葉は、刀の葉の如く、鋭く焔を噴いている。
 ところが、不思議にも樹上には、いとも艷麗な女が満面媚を浮かべて男を招いている。それは罪人のかつての恋人である。
 男は見れば見る程なつかしく、居ても立っても居れない恋しさの余り前後を忘れて木に登って行く。
 すると刀葉鋭く、男の肉を割き骨を刺し、全身血だるまになるが、愛欲益々烈しく燃え上りヤットの思いで近づき満身の力で女を抱こうとすると、女は忽然と消え失せ、今度は地上から声がする。
 「あなたを慕うてここまで来ました。
 何故早く、ここへ来て抱擁して下さらないの」と愛情溢るるやさしい声で誘うのである。たかが一人の女の為に火を吐く思いで登って来た我身の純情さが、いじらしく泣けて来るが愛欲の廣海は果てしなく続いているのだ。
 男の愛恋の情は愈々熾んに燃え上がり、樹を下りようとすれば刀葉、逆に上に向かって焔をはきつつ寸々分々に肉を徹し骨を削る。
 その苦痛は言語に絶する。
 漸くにして地上につけば恋人の姿は、そこにはなく、又樹上から身もだえしながら彼を呼ぶ。
 かくして無量数億年、くり返し苦しみ続ける地獄なのである。
 別れては恋しく、相抱けば、そのまま仇敵となって傷つけ合い、満たさなければ渇き満たせば二倍の度を増して渇く。
 御法話をしながら愛欲はしきりに動いているではないか。
 刹那の快楽を求めて永遠の安楽を願わないではないか。
 果てしなき愛欲によって無量の罪を重ねてゆく自己を知らされる。
 今や、盡十方無碍光の照射の前に我々の実相は明々白々と照らし出された。
 すでに身口意の三業とも一善もないから仏は最後に「曽無一善」と説かれ、正信偈には「一生造悪」といわれている。
 一生造悪とは、一生の間悪のみしか造ったことのない奴じゃということで微塵程の善も認められないのである。
 だが、ここで一善もなし一生造悪といわれると、合点のゆかない人も少なくはなかろう。それは一生造悪なら我々が時々親切や施しをやったりするがこれらみな悪になるのか、という疑問である。
 これは道徳的な立場では当然すぎる疑問である。
 勿論、仏教でも親切や布施行は勧めてこそおれ悪などとは絶対に教えていないから親切や布施は善には違いない。
 しかし悲しいことには我々の行う善には毒が含まれているので真実の善とはいわれないのである。
 微塵程の悪も見逃さない仏教の立場から、我々の善と思っていることを検討してみよう。我々がよいと思ってやっても他人がそれを認めてくれないと腹が立つのは自分のやったことがよいと思って自惚れているから、やらない人を悪者のように思えて来るのだ。
 我身が朝起きすれば起きないものが悪いことをしているように思えて腹が立つ。
 我身がよいことをしていると自惚れているからだ。
 腹を立てて悪を造る位なら始めからせねばよいのだが、よいことをするとヒョット他のものに気がつく。
 自分が酒を飲まないと酒を飲むものが悪人のように思えて他を責める。
 見下ろして罪をつくる。
 時々筆者も親切らしいことや布施の行もやるが情けないことには、やったことを何時までも記憶している。
 そして心ひそかに自負しているあさましい凡夫だ。
 受けるよりもあたえる喜びを知ってはいるが『與えた』と言う意識が残り、それに対する何らかの報酬のあることを当然のように期待している見苦しい心が動いている。
 そして一度その期待が裏切られたり満足に得られない時は猛然と腹が立って相手を心中で殺すのだから、おそろしいではないか。
 それは先に善いことをしてやったという自惚れがもとであるから大きな善ほど猛毒が含まれているのだ。真実の自己とは(7) 
 梁の武帝は中国で有名な仏心天子とまでいわれた程、熱烈な仏教信奉者である。
 その建立した寺院や堂塔は数知れず、仏教宣布に果たした功績も隨分多い。
 達磨大師が百二十才の高令で三年もかかって印度より、はるばる中国へやって来た時も国賓の礼を盡くし国をあげて歓待した。
 その時武帝は達磨大師に尋ねた。
 「朕は天子の位についてから無数の寺を建立し堂塔を増築し僧尼を供養し仏教発展の為に努力したが一体どれ程の善根功徳があるものか」
すると達磨大喝一声「無功徳」武帝憤然として
「何を以って無功徳というか」
「是れはこれ雑毒の善、虚仮の功徳なるぞ」とキッパリ答えている。
 仏眼からみれば人間の善根功徳は俗気粉々たる臭みを放って鼻持ちならぬものなのだ。 龍樹菩薩の『大智度論』に
「四十里四方の池に氷のはりつめた処へ湯をわかして二升や三升かけても、翌日みれば其処が却って氷がふえて高くなっている」と説かれているが、我々の善根の醜態を顕して余すところがない。
 善を為したが故に、ともすれは自ら驕ろうとする気持ちの醜さを発見せられて親鸞聖人は
 『小慈小悲もなき身にて有情利益は思うまじ』と、悲嘆なされている。
 人間の善には限度がある。
 雑毒の善しか詰めないではないか、所詮、人間には人間だけのことしか出来ないのだという真実の自己に驚いての悲痛な叫びなのである。
 しかし誤解してはならないのは決して冷酷でズボラであってよいとか、善を修め愛情をそそぐことが害だとか無用だとかいうことをいわれているのでは断じてないということだ。むしろそれとは反対に真剣に真実の善を求めようと猛進してごらんなさい。
 真実の善や功徳は絶対に積めない自己を明らかに発見するから、そこまでつき進め!!と教えているのだ。
 真に善根をつもうと懸命に勤めた者だけが善根のカケラも積めない自己に驚き、心から他人に親切しようと努力した人だけが雑毒の親切しか出来ない虚仮不実の自分にアキレルのだ。
 真剣に孝行しようと、はげんだ子供のみが不孝しか出来得ない自己の悲しさを体験を通して発見するのだ。
 善根功徳が出来ると自惚れて小さな一時の善根を売りものにしている悲しき人間の心が猛毒のかたまりであるぞ!早くその実相に驚けよと教えられているのだ。
 釈尊に迦留陀夷尊者というお弟子があった。或る時、近在の村にいる欲深婆さんを済度しようと機会を見ていた。
 それとも知らず婆さん隣から貰った餅を焼き始めた。
 他人に見られるとやらねばならないので厳重に戸締りをしてさて喰べようとしているところへ迦留陀夷尊者が縁の下からヌーとのぞきこんだ。
 婆さん驚いて、わめき散らすが尊者、餅を見つめて動かない。
 そこで婆さん
「この坊主、三年三月、にらんで目玉が飛び出そうと、この餅はやらんぞ」と邪見に叫ぶと尊者不憫に思って是非とも済度せねばと両方の目玉を飛び出させた。
 「この坊主、何と執念深い奴じゃろ、こうなっては逆様になって百遍廻ってもこの餅はやらんぞ」と。
 増々可愛想に思われた尊者、逆様になって百遍廻られた。
 「この坊主しつこい奴だ。
もうこうなったら死んでもやらんぞ」というや尊者コロリと死んでしまった。
 サァ婆さん驚いて
「こんなところで死なれては私が殺したことになり、この首がありません。
 餅一片あげますから、どうか生き返って下され」と泣き出した。
 迦留陀夷尊者、直に生き返り餅一片を鉄鉢の中に貰うとあとの餅がみなゾロゾロ続いて鉄鉢の中に入ってしまった。
 尊者が王舎城へ帰ると欲深婆さん
「やらぬ餅まで持って行ってしまった返せ返せ」と怒鳴っているところへ釈尊が現れ
「婆よ、迦留陀夷尊者は皇后の帰依を得ているので何一つ不自由はない、餅一片が欲しいのではなくお前の欲深を済度しようとしたのだ」それを聞いた婆さん、あやまり果てた。「これ婆さんよ、この餅を大衆に供養してもよろしいか」
「結構でございますが、こんな小さな餅がどうして大衆に供養できますか」
「心配いらぬ見ていなさい」鉄鉢の中から次から次へと餅が出て最後の一つを近くの大河に投げ込むや不思議にも水から青い火炎が立った。
 「婆さんよ、お前の執念がまだ残っている。
あの通り餅が火に成ったぞ」婆さん驚き入って平服した。
 我々の善根は底の知れない貪欲に汚れているから火を発するのだ。
 たまたま善いことをしたように見えても、その本心は結局みにくい我利我欲から出ており我がままから悪事をしたがるのと同じその悪心で表面上善にみえることをやったにすぎないのだ。
 これを「教行信証」信巻に親鸞聖人は散善義を引いて
『貪瞋邪偽、奸詐百端にして悪性侵め難し、事蛇蠍に同じ、三業を起こすと雖も名けて雑毒之善と為す。
亦虚仮之行と名く、真実之業と名けざるなり。
若し此の如きの安心、起行を作す者は縦令、身心を苦励して日夜十二時急に走め急に作して頭念を灸ふが如くする者も衆て雑毒の善と名く』と説き、
その和釈には
『一切凡小一切時の中に貪愛之心常に能く善心を汚し瞋憎の心常に能く法財を焼く、急作急修して頭燃を灸ふが如くすれども衆て雑毒雑修之善と名け亦虚仮諂偽之行と名く、真実の業と名けざるなり』といい
『和讃』には、
「外儀の姿はひとごとに、賢善精進現ぜしむ、貪瞋邪偽多き故、奸詐百端身にみてり」
「悪性更に止めがたし、心は蛇蠍の如くなり、 修善も雑毒なる故に虚仮の行とぞ名けたる」と悲泣せずにはおれなかったのだ。
 すみからすみまでこの通りで、反省もなければ恥も知らない雑毒虚仮の人間の真実性を道破したものだ。真実の自己とは(8) 
 どんな人間だって、いくら罪深く我欲にまみれていても、どこか少し位はいいところがあると自惚れているものだ。
 いわんや、自分が悪いと恥じる気持ちぐらいはみんなもっていると自惚れているのだか大間違いだ。
 蓮如上人が吉崎御坊に滞在中、或る同行が「私はまことに浅間しい悪人でございますが一言御教化下さいませ」と尋ねた。
 すると上人は「悪人を悪人と知らぬものを真の悪人というのだ。
 我身は悪人じゃと知っているものは殊に勝れた善人さまじゃ、私は悪人の教導は申し付けられているが善人の教導は出来ませぬ」と言い切られた。
 一から十まで、十から百まで思うことも言うことも自分を中心に自分を買冠り褒めて貰いたい一心、他人に知られたいという根性より外にない奴。
 こんな奴をと言っていながら自惚れている根性玉。
 こんな邪見な心、虚仮の心。無分別な心。人を人とも思わず、親を親とも思わぬ心。
 悪を悪とも知らず業を業とも感じない奴。地獄ときいても驚かず極楽ときいても喜ばない、しぶとい根性、微盡に砕かれても足りない悪性、熱鉄の湯を呑まされても不平のいえない鬼性。
 大地にひれ伏して詫びても足りない蛇性、只、食いたい、飲みたい、したい、遊びたい、ねむたいより外に心が動かない奴、色を求め、金銭を慾し、名誉に憧れ一村一国四天下に欲望は動いている。
 動いている蝮、すねている牛。
 怒っている鬼、貪っている餓鬼、腹立てている梟、人間の皮被っている獣心があるではないか。
 こんな根性でつとめる善じゃもの、雑毒でないもの虚仮不実でないものは一つもない筈だ。
 ここまで来ると親鸞聖人は、この底なしのあつかましさをもう「罪悪深重」だとか「煩悩具足」とかの程度を越えて無慚無愧の極悪人というより外なかったのだ。
 ただの極悪人ではなくその極悪人だということを自分にも他人にも恥じる心さえもない奴だ。
 このドン底の自己を照らし出されると、さかしらな善悪の論義はできないのだ。
 道徳も法律も言葉はあっても意味がなくなって来る。
 これが
「是非知らず邪正もわかぬ、この身にて名利に人師を好むなり」とか
「善悪の二つ総じてもって存知せざるなり」の親鸞聖人の言葉となり
「いずれの行も及び難ければ、とても地獄は一定すみかぞかし」と出離解脱の縁は切れ果てるのだ。
 レントゲンの前に立てば貴賤貧富の別もなく老少男女の隔てもなく、善悪美醜の是非もない唯見苦しい骨の連鎖あるばかりではないか。
 絶対の仏光の前には善悪浄穢の隔てもなく大小凡聖の区別もなく修善逆謗の差別もない。十方衆生が曽無一善であり、一生造悪であり逆謗の屍となるのだ。
 阿弥陀仏は十方衆生を
五逆(1父殺し、2母殺し、3羅漢殺し、4和合僧を破る、5仏身より血を出す)と謗法(善知識をおろそかに思い種々に批難する)の極悪人と見きわめて本願を建立せられ、
釈尊は、涅槃経の中に一切の衆生は難化の三機、難治の三病人だと説破して、教化の出来ない三つの悪性を持っているぞ、治療の不可能な三つの重病人だとして五逆、謗法、闡提(地獄ときいてもおどろかず、極楽ときいても喜ばない心で因果の道理を撥無する心)をあげて匙をなげておられる。
 八宗の祖師と仰がれる龍樹菩薩は初歓喜地(「華厳経」に菩薩の階段を五十二段に分けてある。
 即ち十信、十住、十行、十回向、十地、等覚、妙覚である。
 そのうちの四十一位を初地といいここに到ると宇宙の真理がはじめて知られ飛び立つような喜びかあるから歓喜地という)の菩薩ではあるが、一度、如来の前に立てば獰弱怯劣の者といわれている。
 獰は悪を現し、弱はよわい、怯は卑怯もの、劣は劣ったもの、悪い人間の心の弱い卑怯な劣等な人間だと告白せられている。
 又、天親菩薩は普共諸衆生と叫び、曇鸞大師は造罪の人と自己をいい、道綽禅師は造悪の激しさを
「若し悪を造ることを論ずれば何んぞ暴風駛雨に異ならん」と安楽集に説き、
 天台慧心流の始祖ともなられた源信僧都は往生要集に
 「顕密の教法はその文一つにあらず、事理の業因はその行、これ多し、利智精進の人は未だかたしとせず、予が如き頑魯の者豈敢てせんや」といい、
 智慧第一。勢至菩薩の化身と謳われた法然上人も、十悪の法然房、愚痴の法然房と悲泣し、蓮如上人又、我身はわるき徒らものと、いずれも絶対の悪性を照らし出されてのお言葉である。 後生の一大事(1)
 すでに一生造悪、曽無一善、逆謗の屍と明らかになれば因果の大道理に順じて我々の未来は悪果を招くことは至極当然である。
 かくて仏は「永不成仏、必堕無間」と説かれ、永く仏になる縁が絶え切れ、必ず無間地獄へ墮在せねばならない。
 極悪人が動かす因果の理法に狂いがなければ我々の墮ちることは必定決定の事実であるから必墮といわれる。
 しかるに、その造るところの罪悪が五逆、法謗、闡提(断善根の衆生ということで涅槃経会疏には
「信不具名・・闡提」とあり仏法に縁手がかりなく全く成仏の見込みがないから涅槃経には死骸の如しと喩えてある)という最もとも重罪であるから地獄の中でも最も苦痛の激しい無間地獄へ墮ちるのだ。
 地獄とは我々が造った悪業によって墮ちる苦界であって梵語では捺落迦といい、普通は八熱地獄と孤地獄とに分けられているが一般にいう八大地獄とはこの中の八熱地獄のことである。八寒地獄と
 八大地獄とは等活、黒縄衆合、叫喚、大叫喚、焦熱、大焦熱、阿鼻(無間)地獄のことで苦相によって名けられたものだ。
 八大地獄の中で最も軽い地獄が等活地獄であるが、それでも人間界の九百万年を一日一夜にして五百歳の寿命を持ち、ここにおちた衆生はことごとく手に鉄爪を生じ、それがみな刀剣のように鋭く互いの肉を破りあうとある。
 次の黒縄地獄では鬼が火縄をもって罪人をくくり鉄斧や鋸で引きさくという。
 更に衆合地獄では二つの石山の間に罪人を追い込んで押しつぶし、或いは砥石にかけ鉄臼で餅のようにつくという。
 叫喚、大叫喚両地獄では罪人は大鍋に投げ込まれ煮られ更に大火抗で焼かれるのだ。
 焦熱、大焦熱の両地獄は熱鉄地に罪人を煎餅のように叩き潰し、大火災の中に投げ込まれ全身の孔という孔から火を噴き始める。この地獄の火に比べると前の五地獄の火などは雪か霜の如しと説かれている。
 愈々最後の阿鼻、無間地獄にくると肢の節々から火焔が吹き出し、その苦しみが絶える時がないすさまじさだというので無間といわれる。
 しかも、この地獄の寿命は八万劫年と説かれその間寸暇もなく大苦悩を受け通しなのである。
 これらの八大地獄の苦相は源信僧都の往生要集の中に詳細に説示されているが、これは決して僧都の独創ではなく『正法念経』や『観仏三昧経』『智度論』『瑜伽論』『倶舎論』等を参考にせられたものである。
 このように経典のなかには地獄や極楽のことが、しばしば説かれているが地獄や極楽の苦しみや楽しみは人間界の苦楽とは違うから、これを我々人間に知らせる為には釈尊も、その表現方法に随分と困られたようだ。
 それ故に釈尊は時には「説くべからず」とさえ言われている。
 たとえば魚族に火煙のことを知らせようとしても説きようがないようなものであり、犬猫にテレビや原子爆弾の説明をするような困難さであることを考えると、釈尊が地獄や極楽を人間に説き示すのに如何に辛苦せられたかが判る。
 然し、説いてさえも判らない衆生に説かずにいては一向に衆生を導くことが出来ないから釈尊はついに方便して人間界で見聞したり体験しているものをもって喩解せられた。
 丁度無上の楽しみを猫族に知らせるには、「猫の参るお浄土は宮殿樓閣みな鰹、猫もアキレテ、ニャームアミダ」といった方が一番よろしいようなものである。
 即ち印度古来より伝えられていた楽具や至宝とされていたものをもって極楽の模様をのべ、又地獄のこともその苦しみを言い表せないので釈尊は止むなく喩を以って解説せられて漸く、これらの苦楽の差別界を説示せられたものが地獄や極楽の経説なのである。
 このことを知らずに喩解せられたものを、そのまま事実と思うから或いはアザケリ或いは疑わしくなるのである。
 即ち南伝の『中部部経典四』の中にある賢愚経に釈尊は、
「諸々の比丘よ、如何なる喩と雖も如何に地獄の苦なりやを説くこと能わず」と言われている。
 この意味は、地獄の苦は喩をもって説くことの出来ないものであるというのである。
 然るに強いて譬えを以って示し給えと願った仏弟子達の求めに応じて釈尊はようやく「然らば譬喩をもって説かん」と言って次のようなことを説いていられる。
 弟子「地獄の苦しみはどれ位の苦しみでしょうか」
 釈尊「朝百本の鉾でつき、昼百本の鉾でついても死なぬ。
 晩に又百本の鉾でつき、毎日貫いてもう体につながった処のない程に苦を受ける。
 その苦しみを何と思うぞ」
 「僅か一本の槍でつかれてさえ苦しみに思うに一日三百本でつかれる苦しみは心も言葉も及びません」
 その時、釈尊は豆粒位の小さな石を御手にとり給い
 「汝ら、この石と向こうにみえる雪山とはどれ程違うや」
 「それは、大変な違いでございます」
 「日々槍で貫かるる苦は、この石の如く、地獄の苦しみはかの雪山程の苦しみなり」
と説かれているのでも、その苦しみの激しさを知ることが出来るであろう。後生の一大事(2)
 このように、地獄の苦悩は言いあらわしようがなく、人間世界で最も苦しいものとされているものをもって喩解する外には教示の方法がないとされているので、事実はこれ以上の苦しみの世界が地獄であることが知られるのである。
 今日の人には死んだあとがあるか、ないか判らんじゃないか、いや死んだ後はないにきまっている。
 ないにきまっている死んだ後の地獄なんか怖れることなんかあるか、と考えている人が多い。
 しかし、死んだ後があるかないか、地獄があるか、ないかということは知識の問題である。
 死んだ後が怖ろしい、助かりたいということは人間の問題である。
 だから地獄が怖いという死後の怖れは地獄がないじゃろという知識によって清算されるわけがないのだ。
 どれだけ死んだ後がない、地獄がないということをきかされても死んだ後の怖い人は怖いのだ。
 地獄のおそろしい人はおそろしいのだ。
 何となれば、死後を怖れ地獄をおそろしく思うのは、深い人間性から来るからだ。
 女が子種を孕むと、その子が次第にふとって胎内でしきりと蠢動するのは母が一番よく知っているのだ。
 その動きようが強く大きくなれば稍て必ず胎外に生まれ出るように我々の胸の中には、日夜、地獄心も餓鬼心も、畜生心も動きずくめであることは自分が最もよく知っている筈だ。
 いつも嫉妬の炎を燃やしているではないか、青筋立てて怒っているではないか、心の中で他人を突いたり、刺したり、してはいないか、むごたらしい殺生を数知れずやっているではないか、世の中を呪い、他人を怨んで苦しんでいるのは地獄心が動いている姿である。食べ得る身体を持ちながら食べるものがない、乞食も餓鬼なら病気の為に食べられないのも餓鬼である。
 持ち乍ら使い切らない金の欲、有りながら着ない衣服の欲、食欲、色欲、名利欲、有っても欲しい、無くては尚ほしい、まだ足らん、まだ足らんと苦しんでいるのが餓鬼の姿である。
 恐怖の心が強く、婬欲の盛んなことが畜生である。
 上役の鼻ヒゲのチリを払うことばかりに現をぬかしてはいないか。
 富貴も威武も屈し得ない者がいるか、財産に対し、死に対して不安を抱かない者は一人も居ないではないか、而も婬欲満々として、日夜他人を自由に犯しているのが畜生心の胎動している姿でないか。
 三途の心の動きが止まらず、強ければ強いだけ、必ず近々にあらわれ出ずる世界が死後の地獄なのである。
 天竺の雪山に四季不断の雪の中に住む鳥に寒苦鳥というのがいる。
 日中になれば夜の寒さを忘れて餌を求め飛び歩き、日暮れになると、寒気身に沁みたえられず、よもすがら泣き悲しむから、寒苦鳥といわれるそうだ。
 我々も地獄を出る時は、こんな苦悩の世界へは再び来るまいと心に固く誓うそうだが、人間界に出るとすぐそのことを忘れて又、墮ちて泣くのだ。
 その苦痛悩乱が一通りではないから、此の世で最も親しくしていた夫婦も、ともに地獄に墮つれば、妻は夫が聞法を邪魔したから墮ちたのだとウラミ、夫は妻の為に罪を造って墮ちたとなげき、親子夫婦が敵となって互いにつかみ合うて苦しむという。
 かくして善導大師は
『一たび泥梨(地獄)に入りて長苦を受くる時、始めて人中の善知識を憶う』と説かれてあるが、そうなってから驚き悲しんで、さわいでもあとの祭なのだ。
 蓮如上人は、これを後生の一大事と繰り返し叫ばれた。
 考えてみれば、こんな危ない一大事はないのだ。
 丁度、春のうすい氷の上を重荷を背負って渡る程、危ないことはない。
 十方衆生が老少不定の薄氷の上を煩悩罪障の重荷を背負いながらわたるような危ない境界が人間なのだ。
 この三寸の胸の中の罪にもし形があるならば、三千世界におく処のない程の重荷だから、それを持ってわたっているのだ。
 仏の御目からごらんになれば「今も墮ちるか、今も沈むか」とハラハラしてござるのだ。釈尊に或る時、お弟子が「世尊は一切智人、みなことごとく知り、わきまえていられる。 世尊には何事でも御苦労に思召すことはないでしょう」と尋ねた。
 すると釈尊は「我身には外に苦労はなけれども、只一つ苦労にせねばならぬことがある。それは時々刻々にちぢまる生命、近づく火車来現の迎えを受けねばならぬ身を持ちながら、如何ように教えても、今死ぬということを思うもののないのが、この釈迦の苦しみじゃ」といわれたそうだが、一刻も急がねばならないのはこの一大事の解決である。
 善導大師もこれを「礼讃」の中に
「人間總々として衆務を営み、年命の日夜に去るを覚えず、灯の風中に滅するを期し難きが如く兆々六道定趣なし、未だ解脱して苦海を出ずる事を得ず、云何が安然として驚愕せざらんや」と、ねむれる我々に一大事を絶叫していられる。
 又、蓮師は御文章に
「夫れ、おもんみれば人間はただ電光朝露の夢、幻の間の楽ぞかし、たとい栄華栄燿に耽りて思うさまの事なりというとも、それはただ五十年乃至百年のうちのことなり。
 もし只今も無常の風きたりて誘いなば、いかなる病苦にあいてか空しくなりなんや、まことに死せんときは、予てたのみおきつる妻子も財宝も我身には一も相添うことあるべからず。
 されば死出の山路のすえ、三途の大河をば唯一人こそ行きなんずれ」と警鐘乱打せられている。
 では一大事は如何ようにして解決出来るのであろうか。後生の一大事(3)
 三世因果の教えで未来の果を知らんと欲すれば現在の因を見よと仰有るように現在の人生の真相を凝視すれば未来の実相も知られるわけである。
 故に仏教には我々の現実批判がきびしくなされている。
 『仏説譬喩経』の中に釈尊は給孤独園に於いて大衆の中で勝光王に向かって次のような説法をなされている。
「王よ、それは今から幾億年という昔のことである。
 ぼうぼうと草の生い茂った、広々とした果てしのない昿野、しかも凩の吹きまくっている淋しい秋の夕暮れに、独りトボトボと歩いてゆく一人の旅人があった。
 ふと旅人は急ぐウス暗い野道に点々と散らばっている白い物を発見して立ち止まった。これは一体何だろうと一つの白い物を拾い上げて旅人は驚いた。
 それはなんと人間の白骨ではないかどうして、こんな処にしかも多くの人間の白骨があるのだろうかと不気味な不審をいだいて考えた。
 間もなく旅人は前方の闇の中から異様な唸り声と足音を聞いた。
 驚いた旅人は前方を凝視すると、はるか彼方から飢えに狂った見るからに獰猛な大虎が自分をめがけてまっしぐらに突進して来るではないか。
 旅人は瞬時に白骨の意味を知った。
 自分と同じくこの昿野を通った人達がこの虎の為に喰われていったのだ。
 そして自分もまたそれと同じ立場にいるのだ。
 これは大変、旅人は無我夢中で今来た道へと突っ走った。
 それからどれ位たったであろうか。
 旅人が猛虎の吐くあの恐ろしい鼻息を身近に感じて、もう駄目だと思った時である。
 どう道を迷ったのか断崖絶壁の頂上でゆきづまってしまった。
 途方に暮れた彼は幸いにも断崖に一本の樹が生えていて、その樹の根の方から一本の藤蔓が垂れ下がっているのに気がついた。
 旅人は、その藤蔓を伝ってズルズルと下りたことは言うまでもない。
 文字通り九死に一生を得た旅人はホッとして頭上を仰ぐと猛虎はすでに断崖の上に立ちせっかくの餌物を逃したので如何にも無念そうな面持ちで吠えながらジーと見下ろしているではないか。
 ヤレヤレこの藤蔓のおかげで助かった。
 一先ずは安心と眼を足下に転じた時である。
 旅人は思わず口の中でアッと叫んだ。
 足下は底の知れない深海の怒涛が絶壁を洗っているではないか。それだけではない。
 その波間から三匹の毒龍が大きな口を開け紅い焔を吐いて自分の落ちるのを待ち受けているではないか、旅人は余りの恐ろしさに再び藤蔓を握りしめて身震いした。
 しかし旅人は稍て空腹を感じて周囲に食を求めて眺め廻した。
 その時である。
 旅人は今までよりも、もっともっと驚くべきことを発見したのである。
 見よ!!藤蔓の元の方に白と黒の二匹のネズミが現れ交々、旅人の命の綱である藤蔓を一生懸命に噛っているではないか。
 旅人の顔は蒼ざめ歯はガタガタと震えて止まらない。
 だがそれは続かなかった。
 それは、この樹に巣を造っていた蜜蜂が甘い五つの蜜の滴りを彼の口におとしたからである。
 旅人は忽ち今までの恐ろしさを忘れて陶然と蜂蜜に心をうばわれてしまったのである」釈尊が、ここまで話されると王は驚いて「世尊よ、何と恐ろしいことでしょう。
 それ程危ないところに居ながら旅人はなぜ五滴の蜜位に、そのおそろしさを忘れるのでしょうか。
 アキレた人ではありませんか」
「王よ、聞かれるがよい。
 これは一つの譬である。
 私は今からそれが何を教えているか詳しく話そう」と仰有って我々人生の実相を説示なされている。
 即ち旅人とは我々一人一人のことだ。
 我々のことを旅人に譬えられたのは何処からやって来たのか又、いずこへ行くのか知らないが何処かへ向かって進んでいる。
 丁度旅人が旅を続けるのに似ているからであろう。
 果てしのない無人の昿野とは我々の迷いの生死の苦海の果てしのないことを示したものだ。
 即ち無明長夜の昿遠にして迷いの世界には真実頼みになるものは一つもないことを喩えられたものである。
 誠に独生独死独去独来、底の知れない淋しさが人生には漂っている。
 「むつまじき親子にだにもすてられて、独りゆくべき道と知らずや」
 「独り来て、独り死ぬべき度なれば、つれてもゆかれず、つれられもせず」である。
 一体我々は何処からやって来て何処へゆくのであろうか。
 何を求めているのだろうか。
 ただ子供の時から物を食べることを知っていた。
 ものを言うことも教えられ色々に考えることも習った。
 そのうちに年頃になれば色気がついて結婚する。
 また誰が教えるということなしに子を生む。
 生めば育てる。
 かくて赤ん坊が息子となり娘になって稍て婿さんになり嫁さんになる。
 間もなく、父さんや母さんとなりお爺さんやお婆さんになる。
 「世の中の娘が嫁と花咲いて嬶としぼんで婆と散りゆく」と歌った人がある。
 そしてソロソロと墓場へと行く。
 大体の段取りはそういうものである。
 人生は墓場への道中である。
 色々の仕事をしているが仕舞には、墓場にゆくのである。
 墓場は嫌いじゃ嫌いじゃと言うていても、右へ行っても左へ行っても墓場である。
 動いていても、ジッとしていても墓場へ近づく。
 どうしても近づく。その間、娑婆へ何しに来たのか、何を求めて働いたのか、ワシはこの家を建てに来たのだ。
 この子を生みに来たのだ。倉を建てに来たのだ。金や財産を蓄めに来たのだ。酒飲みに来たのだ。このこと一つするために娑婆に生まれて来たのだというものがあるか、何か儲かったものがあるか、家を建てたり土蔵を造ったり子を生んだり金をためたりしたがそれがどうなった。一生働いて空奉公しておるのではないか。
 一生懸命我がものと思っているが娑婆のものは皆離れてゆくのだ。
 あるというのは今しばらく側にあるということなのだ。
 天下をとった太閤秀吉でさえ臨終に
「おごらざる者も又久しからず、露とおち露と消えぬる我身かな、浪波のことは夢のまた夢」と告白していったではないか。後生の一大事(4)
 兼好法師の「徒然草」の中に
「人間の営みあへるわざを見るに春の日に雪仏を作りて、その為に金銀珠玉の飾をいとなみ堂塔を建てんとするに似たり」と言っているのも
「まことに死せんときは予てタノミおきつる妻子も財宝も我身には一つも相添ふことあるべからず。
 されば死出の山路のすえ三塗の大河をば唯一人こそ行きなんずれ」の蓮師の言葉も独り無限の昿野を淋しくさまよう旅人のように真実たよりになるものは一つもない人生の実相を仰有ったものである。
 白骨を発見して驚いたというのは我々が日常生活に於いて他人の死を見たり聞いたりしたときの感動を喩えたものである。
 死ということは我々の驚きである。だから四十円というのを嫌ってヨン十円という。道で葬式や霊柩車に出遇うと引き返す神経質な人がある。
 死というとゾーとする人がある。葬式を見ると頭痛がするという人もある。死をおそれるのは生物の本能である。仏教は死ぬことばかりを説くから嫌いだという人があるがそれは完全な誤解だ。我々は本当に死を嫌い死にたくないからこそ仏法を聞き求めるのだということを知らない人だ。
 死ぬのがおそろしくないようになれば気狂いである。
 仏法を聞きたいと思う心は命が欲しい、死にたくないという願いである。
 越後の良寛のところへある時八十才になる老人が命請いにやって来た。
「私は今年八十才になりましたが、まだやってゆきたい仕事もあり色々と心残りがございますので、もう少し長命が致したい。
 そこで和尚さんは非常な御高徳な御方ですから一つ長命の御祈祷をお願いしたいと思って参上しました」すると良寛
「ハイハイさようか、一体何才位まで長生きしたいのじゃナーそれが判らぬと御祈祷したくても出来ない」
「実は私はまだ長命がしたいだけで別に何才迄とは考えていませんが九十才ではあと十年しかございませんから百才までお願いできないでしょうか」
「百才ですか、あと二十年ですよ。
 百一才になればお迎えが来ますがそれで御得心か」
「じゃもっとお願い出来ましょうか」
「遠慮せずに一体何才まで長命したいのか言うてみなさい」
「ハイでは百五十才のところをお願いします」
「じゃ百五十才でよろしいかな」と良寛和尚、 念を押されると老人狼狽して次第に長命祈祷をせり上げてきた。
 良寛さん可笑しさを忍えて
「どうじゃ一層のこと無量寿の祈祷してはどうじゃナー」
「えー死なぬ御祈祷がございますか、じゃ左様お願い致します」と言ったそうだがこれが我々の本音であろう。
 過日の伊豆地方を襲った大暴風雨のもたらした未曾有の大水害によって凡ゆる事物は破壊され押し流され幾多の死傷者や行方不明者を出したが、当時の惨状を知らせた写真の中に、特に筆者の心を打ったのは十八才位の娘が身に一糸もつけず泥田の中に倒れている哀れな姿であった。
 就中娘の右手には一尺ばかりの縄切れと左手に三尺余りの青竹がシッカリと握られていたことだ。
 大自然の暴威の前にあわれ青春の夢も儚く消えていったのであるが、生き抜こうとする人間の本能の如何に激しいものであるかということを痛感すると同時に、やがて我身にも必ず襲いかかって来るであろうところの死の影を感じて身のひきしまる思いがするのである。
 かかる死の影に感動する人々を区別して釈尊は四馬の譬喩を説かれている。
 即ち、鞭影を見て驚く馬。
 鞭、毛にふれて驚く馬。
 鞭、肉にあたって驚く馬。
 鞭骨にこたえて驚く馬。
の四種である。
 第一の鞭影を見て驚く馬とは、落花や火葬場より立ち登る煙を眺めて、やがて我身にも襲いかかって来るであろう死に驚く人をいい「鳥辺山、昨日の煙、今日も立つ眺めて通る人も何時まで」と感じとる人である。
 第二の毛に鞭があたって驚く馬とは葬式の行列や霊柩車を見て我身の一大事に驚く人。 第三の鞭が肉にあたって驚く馬とは隣家の葬式や眼前の無常を見て驚く人をいう。
 第四の骨にこたえて驚く馬とは肉親を失って自分の一大事に驚く人を喩えられたが、我々の周囲には如何に多くの白骨が散らばっていることだろう。
 否々我々は、ただ独り白骨の昿野にポツネンと立っているのではないか。
 見渡す限りこれ白骨の原ではないか。
 しかるに麻痺し切った我々の奴根性は一向に驚く気配もないのは一体どうしたことであろうか。
 そのしびれ切った我々の背後に飢えに狂った猛虎が迫っているのは事実だ。
 猛虎にたとえたのは無常であり、追いかけて来るのは無常の嵐の吹き荒んでいることだ。「上は大聖釈迦牟尼世尊より始めて下は悪逆の提婆に至るまで、のがれ難きは無常なり」で世の一切の有情は、この猛虎のために白骨に化したのだ。
 西洋の或る哲人は、
「生きるということは死が何時も妨げられていることであり死の猶予に外ならぬ、我々の呼吸は死との不断の戦いであり、しかも必ず終いには敗けると定まっている戦いなのだ。
 我々は生まれた時からすでに死の掌中にあるが、死はその餌食を呑みこむ前に暫く、それを弄ぶのだ。
 かくて我々が少しでも長命しようと非常に配慮し気遣うのは恰もシャボン玉を吹いて終には破滅するに間違いないことを知り乍ら、それを出来るだけ大きく長い間ふくらまそうとするに等しい。
 かくの如き悪戦苦斗の中で彼らが堪えてゆくのは生を愛するよりも寧ろ死を忘るるにある。
 然るに死は何時もその背後に離れず時々尅々に迫っている。
 暗礁と渦巻に満ちた大海で人間はあらゆる手段と盡力で、それを切り抜けても死という最大の危機、根底からの破滅はさけられない。
 取り返しのつかない破船に近づきつつあるのを知りながら、その方に向かって舵を取っているのだ」といっている。
 誠におそろしいことではないか。
 だが真剣にそうだとは思わない心がもっとおそろしいのだ。後生の一大事(5)
 「起きて見て、またねる鹿の落葉かな」という句がある。
 これは奥山に紅葉ふみ分け鳴く鹿が終日餌を求めて余程つかれたのか暫く休もうと四足を折ってねているところへ猟師がやってくる。
 コソコソと近よる猟師の足音をききつけた鹿はおどろいて四方八方を見まわせども重なり合う木の葉の間に身をしのばせている猟師の姿は見えないから、ああ、木の葉の落ちる音であったのかと安心してまた鹿がねむると又猟師が近よる足音がする。
 エー、また落葉の音であったのか、いらぬ心配したわいと又コロリと横になる。
 その油断をみこんでズドーンと一発、コロリと鹿は殺される。
 落葉の音と思い違いした油断から鹿の命が落葉となったという心を読んだものである。隣の兄さんが死んだときけば一時は驚くが「いや、あれは肺病じゃったからナァー」ワシは壮健だから大丈夫と油断をする。
 又、向かいの花子さんが亡くなったときけば、一往は淋しく思うが「あれはアワテ者だから自動車にはねられたのだ。
 ワシは気をつけているから大丈夫」とまだまだ油断をするうちに猛虎は足音をしのばせて迫っているのだ。
 「後の世ときけば遠きに似たれども、知らずや今日もその日なるらん」
 市役所とか区役所とか所謂役所は日曜や祭日は休みに定まっている。
 しかし宿直にあたった人は休日も祝日も休むわけにはゆかない。
 勿論、宿直の人は仕事をするわけではないが、是非とも為さねばならない仕事が一つある。それは死亡届の受理である。
 死亡届以外の届とか、その他の書類は所謂ウィークデーに取り扱われて日曜、祭日は事務は停止される。
 どんな日でも停止されない仕事というのは死亡届である。
 とくに真夏の死者は一日も早く葬らなければならない。
 医師の証明書がまず必要、それから火葬権や埋葬権は役所の死亡証明書がなければどうにもならない。
 早く焼くには早く証明書が必要であるから開業医は夜中でも日曜でも呼びつけられるし、日曜でも死亡届を一刻も早く出さなければならない。
 この事実は人間の死は生きている人間の休養とか祭日とかに関係なく、何時如何なる時に起きるか判らないということである。
 徳川時代に有名な力士であった谷風という関取があったが、或る日のこと、所用があって野原へさしかかると、向こうから小さな小僧がやって来て「関取一番とろうか」と途方もないことを申し出た。
 「何じゃ、ワシを日の下開山と知ってのことか」
「知っていればこそ、是非一番取り組もうといったのだ」
「己れ生意気な、サァどこからなりとかかって来い」と大声で怒鳴りながら取り組んだ。ところがこの小僧仲々腕力がある。
 満身の力を出したが遂に谷風草むらの中に投げられてしまった。驚いたのは谷風である。「ヤァー小僧暫く待った。此の谷風は天下無敵の日の下開山と我も他人も許したものじゃがお主はワシよりも一倍強い、一体全体、お主は何者じゃ、名前をきかせてくれないか」
「私は谷風よりも強い訳じゃ、貴方が谷風でも私は無常の風じゃもの」といったそうであるが、一場の笑話の中にも不滅の真理が光っている。
 成る程無常の風にかかっては如何なる英雄豪傑や日の下開山の谷風でも敵いっこはない訳である。
 無常の虎の無敵さを現していて妙ではないか。
 次に藤の蔓にたとえたのは人間の寿命のことだ。
 最近老人医学が発達し、人生の終着駅をいくらかでも向こうへのばす事が研究され、又事実、ある程度の効果をあげているようだが、人間の肉体上における老衰は不可避の宿命である。
 不老長寿などということは単に形容上の言葉にすぎない。現に老人医学によると人間二十才になると早や老衰現象がはじまるといわれる。
 更に三十才になると、大中動脈、大腸、小腸、皮膚が一斉に後退をはじめ、三十五才では胃、筋肉、骨、四十才では毛髪、四十五才では肺動脈が衰え、五十才になると動脈硬化症を起こして終着駅のシグナルがあがるという。
 かくのようなことを知れば、我々の人生はきわめて短いものであり無量寿の仏眼からは細い藤蔓以上に感ぜられたであろう。
 白と黒のネズミにたとえられたは昼と夜のことで二匹のネズミが交互に藤蔓をかじりながら廻るように、我々の生命をヒルとヨルとが交々循環し乍ら削っていることを喩えたものである。
 正月もお盆も祭日も一刻の休みもなくかじりつづけている。
 かくて次第に細まる藤蔓のバロメーターは、 シワがより、腰曲がり、頭はハゲ、髪白くなり、手はふるえ、足はひょろつき、歯はぬけ、耳はきこえず、目はうとくなる、ききたがる、慾ふかくなる、くどくなる、気短かになる。
 愚痴になる、でしゃばりたがる、世話やきたがる、又しても同じ話に孫ほめる達者自慢に人はいやがる等となってあらわれてくるのである。
 四十二章経には、釈尊が修行者たちに、命の長さについてたずねておられる。
 修行者の一人は「命の長さは五、六日間でございます」
次の一人は「命の長さは五、六日なんてありません。
 まあー食事をいたす間位のものでございます」
次の一人は「いやいや命の長さは一息つく間しかありません、吸うた息がでなかったらそれでおしまいです」
 釈尊は最後の答を大いに称讃なされ
「そうだ、そなたのいう通り、命の長さは、吸うた息が出るのを待たぬほどの長さでしかないのだ。
 命の短さが段々に身にしみて感じられるようになるほど、人間は人間らしい生活を営むようになるのだ」と申されたと記されている。 後生の一大事(6)
 命の短く脆いことについて釈尊と某修行者との問答が伝えられている。
 釈尊「貴方もこの頃では命の短く脆いことがだんだんうなずけて来たらしいナ」
 某「本当に、そうでございます。忽ち消え失せてしまいます」
 釈尊「忽ちといっても、その忽ちの感じ方に色々あるが」
 某「ハイ、世尊がお感じなされている、それは、どれ位の速さでございましょうか」
 釈尊「その速さは、とても貴方には納得出来ない速さだ」
 某「たとえば、どんな」
 釈尊「たとえば、ここに弓を射る名人が四人いるとする。
 四人が一人は東方に向き、一人は南方に向き、一人は西方に、もう一人は北方に夫々、その向きの彼方に的を定めて四人が心を合わせて一度に矢を放つ。
 名人の放つ矢は眼にもとまらぬ速さで飛ぶ。
 と見る間に四人の弓師が一度に放った矢を引っ捕らえてしまったとする。
 どうだこの男の足は速いだろう」
 某「それは速いです。とても速いです」
 釈尊「それよりも、もっともっと速いのが人間の命なのだ、命は実に足が速い」
 人間が真の人間の実相を知るのは命の消えゆくことに身ぶるいするところからであることを仏教の先覚者達は体認していられる。
 釈尊以来二千五百余年の仏教の歴史上の高僧偉人を眺めても、この念々に消えゆく無常を凝視し驚かれなかった方はない。
 釈尊に於いては阿含経の有名な四門出遊の記録の如きは無常観の烈しさを示すものであり、生後七日にして母君に死別せられた釈尊には、深刻な無常観があった。
 龍樹菩薩にしても今の今まで共に色を漁った友達が眼前で斬殺されてゆく激しい無常に驚いて仏門に入り、遂に八宗の祖師となり、曇鸞も又四論の講釈をなさんとして病に倒れ痛切な無常観に動かされ仙人陶陰居のもとに走り長寿の法を求めて三年、仙経を抱えての跂路菩提流支に遇った時
「どこへお出になられたのか」
「実は四論の講釈をしておったが病気になって困ったので仙人の教を頂いて来ました」
菩提流支は地面に唾を吐き
「何だ、何をとぼけていなさるのだ。
 そんな教が何になるか、大体あなたには仏教が本当に判っておらんのだ」
「いや、仏教に長寿の法があるか」
「あるとも、このお経をごらんなさい」と差し出されたのが觀無量寿経であった。
 かくて迷夢一度に醒めた心地の曇鸞は、その場で仙経を焚焼し仏法に跂された。
 真実の仏法に入られた動機は無常刻々に迫る体験であった。
 又道綽禅師の安楽集に
「譬えば人有りて空昿のはるかなる処に於て怨賊、刀をぬき勇をふるいて直に来りて殺さんと欲するにあい此人直に走りて視るに一河を渡るべし、未だ河に到らざるに即ち此の念を作さく、我河岸に至らば衣を脱ぎて渡るとせんや、衣を着けて浮むとせんや若し衣を脱ぎて渡らんには唯ひまなきを恐る。
 若し衣をつけて浮かばんには復首領全くし難きを畏る」とあり剣を抜いて追いかけて来るとは無常の嵐の激しさをあらわされたものであり衣を脱ごうとすれば帯は堅くてとけないのは罪悪の深重にもだえていることだ。
 道綽禅師の罪悪と無常観にせめたてられた体験に他ならない。
 往生礼讃の
「無常念々に至り常に死王と、ともに居す」とあるは死王を凝視して動かれない善導大師の体験である。
 我親鸞聖人にしても四才にして父君に別れ八才で母上に死別された無常観がなければ九才の出家はなかったであろうし、得度の際、慈鎮和尚に示された
「明日ありと思う心の仇桜、夜半に嵐の吹かぬものかは」の切りつめられた心境は出なかったであろう。
 又十九才の秋、河内の磯長の聖徳太子の御廟に参籠せられた時に
「汝の命根は応に十余才なるべし」と云う太子の夢想の告げを受けられたという事実も亦聖人の無常観の烈しさを物語るものである。
 鉄石の如き意志をもって只管打座、坐禅弁道につき進まれた道元禅師も
「無常を観ずるは菩提心の一なり」と申され花が咲き花が散る、月が照り虫が鳴いても凡てが仏道の前進を策励していると感ぜられた。
 底の知れない深海に喩えられたは地獄であり三匹の毒龍は貪欲、瞋恚、愚痴の三毒の煩悩である。
 煩悩にて生み出した地獄は脚下にあり一息つがざればそのまま墮在するという一大事を示している。
 五滴の蜂蜜を楽しむとは五欲の一瞬の官能的快楽を貪って耽溺し脚下に燃え上がる危険の一切を忘れていることを喩えられたものである。
 考えてみれば人生ほど危ういものはない。名誉を求めて走っている。財産を得ようと争っている。愛慾に溺れて喜んでいる。酒に飲まれて騒いでいる。夢のようなものを信頼して喜んでいる。
 恰も地質学者が山に登って此の山は火山質か否かの議論に没頭している間に山それ自体が轟然と爆発して如実に火山であることを知った時はもうおそいのだ。
 危険千万ではないか、なぜ足下に起こるこの一大事に気がつかないのか、なぜ忠実に自己の立場を凝視しないのか、この一大事の自覚が聴聞の出発点なのだ。
一、人や人や思えども 今に我身がさそわれて 油断する間にダマシ鳥
二、不定の命を持ちながら今日や明日ではなかろうと 凡夫の計う 愚かさよ
三、みんな驚けこの一大事 妻や子供は此の世ぎり 万劫あわれぬ いとまごい
四、欲と愚痴とにつかわれて来る日行く日も不足がち 永の未来を何とする
五、如何ほどしぶとい逆謗でも いまに一息つまったらジタバタしても血の涙
六、無明の闇が深き故 ぶてど叩けど おどろかぬ それが地獄の釜を産む
七、泣く泣く一人行く旅は 三塗の川や死出の山 暗い道中も今なるぞ
八、病で死ぬとは限らない 寝入り死にやら屯死やら 吸う息吐く息 大無常
九、ここにいるまま火の車 紅蓮の炎に燃え上がり 無間の底に突っ走る
十、時も所も遠慮なく 老いも若きも押しなべて 無常の風の激しさよ

  1. (欄外にメモありました)・・相対的幸福 ・ ・・絶対的幸福