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浄土真宗に対する100の質問

提供: 本願力

2010年10月9日 (土) 15:18時点における林遊 (トーク | 投稿記録)による版 (Q.第十八願の若不生者の「生」は「平生に信楽に生まれる」ことなのですか?)

Q.第十八願の若不生者の「生」は「平生に信楽に生まれる」ことなのですか?

A.このような発想は本願文の破壊です。
浄土真宗の根本経典である『大乗無量寿経』には、阿弥陀如来の救済とそれを釈尊が説いてくださる教説から成り立っています。おたずねの「若不生者」というのは、この第十八願文、

設我得仏 十方衆生 至心信楽 欲生我国 乃至十念 若不生者 不取正覚 唯除五逆誹謗正法
(たとひわれ仏を得たらんに、十方の衆生、至心信楽して、わが国に生ぜんと欲ひて、乃至十念せん。もし生ぜずは、正覚を取らじ。ただ五逆と誹謗正法とをば除く。 )

にある、若不生者 不取正覚の御文です。浄土真宗とは、あらゆる仏教がそうであるように目覚めた仏陀に成ることを目的とする教えです。往生浄土門の浄土真宗では阿弥陀如来のご本願を受け容れて、浄土へ往生して仏陀に成るという教法です。ですからこの「若不生者 不取正覚」は、もし我が浄土へ生まれさせることが出来ないならば、我(阿弥陀如来)は正覚を取らないという意味です。
阿弥陀如来が、十方の衆生を我が国(浄土)に必ず生まれさせるという誓いであって、「若不生者」に衆生を信楽(信心)にさせるという意味はありません。
本願文は、設我得仏からみれば如来の願いであり、若不生者からみれば誓いです。

さて、ご質問のような発想は、本願成就文の「即得往生 住不退転」と本願文を関連させ、信心の利益である正定聚と信心を混乱していることから生じます。 本願文は阿弥陀如来の誓願であるから、「若不生者 不取正覚」と衆生の往生と自らの正覚を生仏一如に誓われているのです。 第十八願成就文は、釈尊が阿弥陀如来の本願が成就したことを告げられる一段です。
ですから、釈尊は本願が成就したことを示すために「願生彼国」と浄土を彼の国と示されいるのです。 阿弥陀如来の本願と釈尊の教説を混乱するからこのようなおかしな解釈になるのですね。

Q.一切衆生 必堕無間は仏語か