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吉崎焼失時のお文

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吉崎焼失時のお文

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 それ文明第三の天五月仲旬のころ、江州志賀郡大津三井寺のふもと南別所近松を不図おもひたちて、この方にをひて居住すべき覚語にをよばず、越前・加賀の両国を経廻して、それよりのぼり当国細呂宜の郷内吉崎といへる在所いたりておもしろきあひだ、まことに虎・狼・野干のすみかの大山をひきたいらげて、一宇をむすびて居住せしむるほどに、当国・加州の門下のともがらも、山をくずし、また柴築地をつきなんどして、家をわれもわれもとつくるあひだ、ほどなく一年二年とすぐるまゝ、文明第三の暦夏のころより当年までは、すでに四年なり。
しかれども田舎のことなれば、一年に一度づゝは小家なんどは焼失す。いまだこの坊にかぎりて火難の義なかりしかども、今度はまことに時剋到来なりける歟。当年文明第六 三月廿八日酉剋とおぼえしに、南大門の多屋より火事いでゝ北大門にうつりて焼けしほどに、已上南北の多屋は九なり、本坊をくわへてはそのかず十なり。南風にまかせてやけしほどに、ときのまに灰燼となれり。まことにあさましといふもなかなかことのはもなかりけり。それ人間はなにごともはやこれなり。ことに「三界無安猶如火宅」[1]{法華経巻二譬喩品}といへるも、いまこそ身にはしられたり。
これによりてこの界は有无不定のさかひなれば、いかなる家いかなる宝なりともひさしくはもちたもつべきにあらず。たゞいそぎてもねがふべきは弥陀の浄土なり、いま一時も()くこゝろうべきは念仏の安心なり。されば身体は芭蕉のごとし、風にしたがひてやぶれやすし。かゝるうき世にのみ執心ふかくして、无常にこゝろをふかくとゞむるは、あさましきことにあらずや。いそぎ信心を決定して極楽にまいるべき身になりなば、これこそ真実真実ながき世のたからをまふけ、ながき生をえて、やけもうせもせぬ安養の浄土へまいりて、いのちは无量无辺にして、老せず死せざるたのしみをうけて、あまさへまた穢国にたちかへりて、神通自在をもてこゝろざすところの六親眷属をこゝろにまかせてたすくべきものなり。これすなわち「還来穢国度人天」[2]{法事讃巻下}といへる釈文のこゝろなり。あなかしこ、あなかしこ。
   文明六年九月 日

ふしぎなる 弥陀のちかいに あふもなを
 むかしののりの もよほしぞかし
いくたびか さだめてことの かはるらん
 たのむまじきは こゝろなりけり

  1. 三界は安きこと無し。なお火宅の如し。
  2. 穢国に還来して人天を度せん。