対食の偈
提供: 本願力
2020年6月20日 (土) 11:15時点における林遊 (トーク | 投稿記録)による版 (ページの作成:「意訳 一粒一粒のお米も一滴のお茶を頂くのも皆檀信徒のお供え下さった物ばかりです。 僧侶という者は士農工商といった様...」)
意訳
一粒一粒のお米も一滴のお茶を頂くのも皆檀信徒のお供え下さった物ばかりです。
僧侶という者は士農工商といった様に職業もなく、従って力もありません。
如来様のお恵みに依らずしては、この食事を頂く事は出来ないのです。
ただ僧侶は衣と袈裟を身にまとい、お念仏の御相続をさせて頂き、道心あるところに食を得ることが出来るのであります。
それ故常に心より慎んで頂くべきであります。
その味が濃いとか薄いとか多いとか少ないとか言う事は勿体ない事であります。
この食事は生命を保たせて頂く薬になるもので、飢と渇とが満たされたら、それで十分満足させて頂かねばならないのです。
若し不足に思うことがあれば折角頂いた血となり肉となる食事が鉄丸、銅汁に化してしまうでありましょう。
どうかお念仏の行者方よ、食前食後にはこの言葉を称え、この心得をよく味わって下さい。
願わくばこの頂いた飯食の力をもって、身心共に長く養わせて頂き、上は法門の干城となり、下は苦海の筏(いかだ)となって、普く多くの人々を教化して共にお浄土へ参らせて頂きましょう。