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無明と業─親鸞と現代

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武内義範著『親鸞と現代』より引用。

第一節 無明と業

苦への洞察

無明というのは光明がないということで、無明の長夜とか無明の闇とかいう言葉で示されるように、真暗な闇、──そのなかを人間が盲目的にひきずられてゆく、そのなかで右も左もわからないままに、とぼとぼと辿ってゆく、そういう闇という感じを強く示す言葉である。しかし無明という語(avijjā)の意味は無知ということであるから、無明は闇ということよりもまずさきに、どこまでも無知と解されねばならない。無明(avijjā))は明(vijjā)の否定で、明(vijjā)という語は、したがって知あるいは明とか明知と訳されているが、その明というのはここでは明知、明らかな知識という意味で用いられている。もっとも、原始仏教の経典のなかにも「無明が滅して明が生じ、闇(tama)がなくなって光明(aloca)があらわれる」という言葉がしばしば使われていてその言葉によって悟りを得たときの境地の開けが示されている。したがって無明というものが、知識がない、本当の知識がない、絶対の真理についての知識がないという意味と、それからもう一つ闇という意味があって、闇が無明であって、本当の悟りの境地とか本当の解脱の境地というのは、その無明の闇が消えて光明の世界に転ずるのだという、この二つの考え方がいつも一緒にはたらいていると考えてよい。

 原始仏教の場合には、無明ということを非常に単純に簡明に、無明とは四諦(四つの真理)というものを知らないことであると教えている。あるいは十二支縁起というものを知らないのが無明だともいわれる。十二支縁起も四諦説もその根本の主旨では同じことであるから、ここでは四諦説について考えることによって、四つの真理を知らないとか、それがわかるとかが、どういう意味であるかを明らかにしょう。

 四諦は苦集滅道(くじゆう-めつどう)というこの四つの真理で、原始仏教ではそれを知らないということが、この真理に対する無知が、すなわち無明だといわれている。四つの真理のうちでまず苦ということが一番初めに出てきているが、この苦ということの意味が現代人にとっては、その理解が非常にむつかしいものとなってしまっている。というのは、われわれは苦ということの意味を本当に理解しえないような時代に生きているからである。われわれにとっては快楽とか幸福とかということが、われわれの生の自明の目的とか第一の原理になっていて、苦というものの示す真理ということを深くきわめて自省するということはなくなってきている。しかし原始仏教では生老病死(四苦)、それから(五)愛するものと別れねばならない(愛別離苦)、(六)憎むものと会わなければならない(怨僧会苦)、(七)欲求するものがつねに得られない(求不得苦)と、(八)世界内存在としての人間の取着性が苦の根源である(略説五取薀苦)というもので四苦・八苦が示されている。最後のものは、さきの顕著な苦の事例に対して、全体の総括をなしている。

 これらは例をあげて苦を示しているが、この苦という考え方のなかには、楽・苦・不苦不楽の三つが含まれていることも、すでにわが国でも字井伯寿博士などが注意している。つまり幸福もまた苦であるという考えになる。西洋の学者はヨーロッパのペシミズムの考え方に従って、人生は苦と楽とを総和して、さし引き勘定すると、結局は苦になるのだから、人生においては快も究極のところ苦になるのだと解釈している。同じペシミスティックな見方でも、例えばウィリアム・ジェームズ(W.James1842-1910)は、その著『宗教経験の諸相』において、人生は楽しみの環と苦しみの環との組み合せからなる一つの鎖のようなものである、としている。彼の主張したいことは鎖全体の強さは、しかし一番弱い環だけのものである、ということである。そうだとすれば人生の強さ、人生の意義というものは、一番弱い苦の一つの環において決定される。ジェームズは人生の意義への洞察という点では、明るい意志的な健全な魂よりも、彼が病める魂とよんだ苦に圧倒されるペシミスティックな人間の型のうちに、より多くの真実があると考える。

 現在の実存哲学(ヤスパース)が限界況位(Granzsituation)とよぶものが原始仏教の苦の観念に一層近い。限界況位とはわれわれがそれを自覚することによって、はじめて人生の深い意味というものに目を開くような場合であって、原始仏教ではそれが苦としてあげられているわけである。第一の四苦のうち生・老・病・死苦のなかで一番根本の問題は死の問題であるが、しかし老ということについても同様である。例えば、私はもうすでに年をとっている。学校の帰りに電事に乗ってふと向うをみると、白髪の疲れた顔をした男がいる。ああこれが自分だなと一瞬思うけれども、すぐ忘れてしまう。すでに老というものになっていても、その自己をありのままに自覚することができない。いつも自分で、もっと若い気でそれを回避して、もう少し都合のよい自分にそれをつくりかえている。電車の窓にうつった向う側の私は、私をみつめて、これがお前の本当のお前だ、そこにいるのは贋者だといっているように見える。それはそうかもしれぬと思うが、つぎの瞬間にドヤドヤと人が入ってきたとか、あるいは何か他のものに気が散って、その本当の自分と対決するということは、事実としてすでに老がやってきている私にとっても、不可能なことである。

 しかし仏陀は老病生死ということを、自分がまだ若く青春と健康と生存の誇りにみちていたときに把えた。自分自身は死すべき存在であって死をまぬがれていない。その死を超克していない者が、他人の死とかそういう死の現象を回避しようとしていることは理に合わない。また老についても病についても同じような省察を行なっている。一方、他の経典では仏陀は、老耄して路傍にうずくまっている老人を見て、彼は老について省察するには、あまりに遅すぎると若い弟子に教えている。老は少壮有為のときに、きわめられなければならぬ、死の場合と同様に事実としてのそれが到来してしまったあとでは、すでに遅すぎるのである。

苦は人間存在の根源である

 しかし他方からいえば、人間だけがこのように老を自己の老として反省し、これを人間存在の根本にあるものとして把えることができる。そしてまた人間だけがそのように病を病として、その問題性において把えることができるのである。動物も病むことは病むであろう。しかし病というものを病として、自分の本質に根ざしたものとして、把えるということは、人間以外のものはできない。マックス・シェーラー(M.Scheler1874-1928)が人間に固有の本質直観という作用を説明するときに、つぎのようなことを述べている。例えば病というものについて二つの探究の道がある。私が病気になったとすると、病の原因をたずねて、これはどういう薬を飲んだら治療せられるか、どういう手術をしたら直るかということを理解するのは、披術的な知識である。それは人間では顕著に発達しているが、これは程度の差で、本来的には動物にも見られるものである。しかし病にかかって、その病において、病というものが人間の本質にいかに属しているかを省察すること、例えば病というものにふれて、私は誰にもかわってもらうことのできないところの苦痛というものを通して、有限な、しかしかけがえのない自己を自覚することがある。そのように病というものが、その他いろいろのことを教える。その教えは、病の個人教授で、そのなかで病はその教える真理を示し、またそれを私が受容しうるための訓練を与える。そういうことは多くの人のいっていることであるが、そういう体験のなかに出てくる病の本質というものは、科学的知識以外のところにある。技術的認識と本質的直観との違いとマックス・シェーラーがいったのは、そういう病の把え方の違いということである。

 死というものについては、一層根本的にそういうことがいえる。人間だけが死すべき存在であって、死すべき存在としての死の問題というものを、すなわち死を死として、うけとめることができる存在である。われわれは日常、死を回避しているが、しかし本当の意味で死を死としてうけとめることができるのは、人間だけであって、実存哲学(例えばハィデッガー)は人間の本質は何かということを、「死への存在」(SeinzumTode) あるいは死すべきものとして地上に有り居するもの、死を死としてうけとめることができるものだとしている。

 仏教の根本の教えも、結局死というものを単なる生理的な事実としてではなく、人間の本来の在り方の間題としてうけとめることを示している。そこにまた死の問題というものの解決の方法があると考える。死というものによって人間が初めてつきつめた自分自身の間題、誰にも代行してもらうことのできない自分自身の存在の問題に撞着する。そして人間の本当の自由とは何か?とか、人間の求めているものは何か?という問題に初めて本当につきあたる。そういう意味で死の間題というものが人間にとっての根本の閲題である。人間は、実際は、老病生死というような限界況位にいつも撞着しているのであるが、それにもかかわらず、われわれの日常性はそれを蔽ってしまって、それに目を向けないように配慮している。そこで日常的な生活がうまくゆかない、蹉跌をきたすようなところで、そういう問題に打ち当り、初めて人間は彼の本質について深く立ち入って考えるようになる。そこに苦の問題というものの本当の意味がある。

 言葉の意味の上でも、苦(dukkha)という語は自己と存在(世界)とのかかわり方が「うまく適合しない」というのが本来の意味で、苦の自己理解の重要性というものは、西洋ではヤコブ・ペェーメのような神秘主義者にも知られていて、彼は苦悩(Qual)というのは源泉・根源(Quelle)だとしている。最近では、ハイデッガーの『有の間に寄せて』(”ZurSeinsfrage”1956)という著作に、すぐれたこの間題に対する省察が示されている。人間自身の根源の自覚が、その苦悩を通してふき出てくる、いままでつまっていた泉の深い水の底が開いて、そこから深水が湧き出てくる。そのように人間と自分自身の底にある源泉との間の水凌いをするものが苦だという考えである。そういう苦の根源が渇愛であって、これが苦集といわれている。

渇愛とその根底

苦集(dukkha-aamudaya)とは苦の集起とも訳されている。Sam-udayaとは集めて起すという意味で、インドの神話的表象では、朝太陽が昇るのは雲が東雲(しののめ)の空に集まり、その集まった雲が太陽を大空に送り出すというふうに考えられている。そのように人生の一切の根本にあって、そこにそれが集まって、苦の根源をなしている。またその苦の根源から、人生のすべての苦の事実が出てくる。それが集という語の意味で、それは原因と根拠とをかねた概念である。集は原因という意味もあって、hetu(因)という語もその代りにしばしば使われているが、この原因という言葉の意味も同じように、普通の因果関係の因と果という意味の因でなく、根源とか根拠とかという意味がいつも含まれているものと解せられねばならない。さて苦集滅道という場合に、その集の法が滅の法であるというのが仏陀の教えの特色である。というのは、本当の意味で、苦の根源というものがわかったら、そのときにはすでに苦の根源から超越しているというのが仏陀の考え方である。

 しかし四諦という考え方はもともとインド医学から出てきた用語で、その場合には病と病の原因と病の消去とそれにみちびく技術(道)というふうに、四諦が考えられている。その場合には道は病をなおす方法という意味に考えられている。それで仏陀の教えというものは、そういう医明(学)の方からの考え方から離れて、集即滅という点から道を考える。それは道交(Kommunikation)ということ──苦の根源から超越したところで、初めて仏陀と仏陀の弟子とが、同じ真理への道で、往ったり還ってきたりする、そこに真の師と弟子、汝と私との宗教的交りが成立する。そしてそこに道についての原始仏教の独自の理解がある。それで、如来というのは、仏陀の考え、あるいは原始仏教の人たちの考えでは、道を歩みつくしたもの、真理の道をきわめたもののことであって、その意味では如来は如去と訳されていることもある。すなわち彼岸の国あるいは涅槃の都に往きつくという意味(如去)のときと、それから涅槃から再び還ってくるという意味(如来)のときと、この二つが如来という言葉には同時に含蓄されている。それで同じ道・八聖道というような宗教的な修行の道を、師匠と弟子とが往ったり来たりしながら、この真理の道を保持していくというのが四諦のうちの道、すなわち八聖道ということの実存的意味であると考えられる。  とにかく四諦の教えというものを知らないのが無明ということである。四諦の教えにおいて一番大事なのは無明と渇愛(taṇhā)ということであって、渇愛というのはいま述べたごとく苦集のことであるが、その苦集が渇愛、すなわち愛欲の根のことだと四諦説は教えている。渇愛の渇というのはのどがかわいた状態で、愛というのは愛欲のことに違いないが、渇愛というのはのどのかわいた人が、例えば漂流しているときに、塩水を飲むようなものである。飲めば飲むほどかわいて、そして結局、気が狂って死んでしまうというのに譬えられている。渇愛にはその根本に執着があって、その執着は取(ウパーダーナ)(upādāna)という言葉であるが、取というものがあって渇愛がある。その関係は薪と火とのようなものだと教えられている(ウパーダーナという言葉のうちには薪という意味がある)。愛は現実的にはたらいて自分自身の盲目的な欲望を対象において満足しようとするが、その愛のはたらく根本に、エネルギーを蓄えている基礎になっているものが、人間の取・執着性で、この執着と渇愛とが非常にこみ入った関係になっていて、両方がもちつもたれつの相依的関係においてある。というのは渇愛は取(ウパーダーナ)から成立する。しかし逆に取は渇愛によって養われている。

 原始経典では、例えば多羅葉樹の枝と根との関係で示される。というのは渇愛という枝をいくら切っても根本にある根が切り除かれないかぎり、たとえひげ根でも残っていると、多羅葉樹はまた再生する。さらに枝は根によっているが、しかし他方木の枝とか、幹とかがはびこっていることによって、根もはびこってゆくのである。両方のものがもちつもたれつの相依関係になっている。だからそれは無限の悪循環であって、その循環を容易に切りすてることはできない、無限な連鎖になると考えられる。

業と根源悪

この無限の連鎖というものが、無明であると原始仏教は教えている。だから苦の究極の縁(ニダーナ)を「無明と渇愛によってというふうに縁起経典ではしばしば説いている。また「無明と業によって」とか、あるいは「無明によって行(業)がある、行(業)によって識(と名色)がある」というふうにも十二支縁起説ではいっている。この業というときは、いま述べたように人間の根深い「渇愛と取(執着)との相関関係」と、それによって生じた両者の無限連鎖が意味されている。

 キリスト教においても人間の根源に原罪──カントの宗教哲学でいえば根源悪というもの──があるとしている。この原罪とはどういうものかということは、非常にむつかしい問題であるが、原罪というキリスト教の考えは近代の哲学のなかでは、いま述べたカントの根源悪の説とか、シェリングの自由諭、あるいはキェルケゴールの罪の不安や絶望の分析とかで、それぞれ非常に特色のある解明をあたえられている。なかでもカントの説は、この間題の彼以後の展開に大きな影響を及ぼしたものと考えることができる。

 カントによると、私が自分自身の根底にある「悪への傾向」(Hangzum Böseand)というものを自覚するのは、私が悪をおかしたときに初めて自分のうちにそういう悪の傾向がすでにあったのだと発見される。例えば酒乱への傾向性を私がもっていても、酒の味を一生知らなければ、この傾向性は一生目ざめないで過ぎてしまうであろう。しかしただ一度でも酒の味を覚えると打ち勝ちがたい、先天的な酒への耽溺が私に目ざめるようなものであるとしている。そこでは先天的な悪の傾向と、現在の自由意志による(悪への)行為とが、絡みあっている。さらにその悪への先天的傾向も、やはり自分がそういうものを、自分の責任において招致したとしか考えられない。

自分が生れながらにもっていながら、しかもそれがどうしても自分自身が自分の行為によって招きよせた──いつ行なったかわからないが、とにかく自分が自由に行為して、その習慣性を身につけた、したがってそれに責任をもたねばならない──そういう意味の悪というものが人間のなかに、しかも人類全般にあるということ、さらにそういう意味の根源悪が人間にあるという経験的な事実、それはどうしても否めないとカントはいう。そのような考え方が根本にあって、そういう根源悪と人間性とがいかに結合しているか[註]の問題とか、人間の道徳性が、この事実のもとでいかにあるべきか、いかにして根源悪から解脱することができるか?などの問題がさまざまの角度から考えられている。

[註]というのは、根源悪は一方では先天的であり、人間全般に普遍的に蔓延しているが、しかもそれは人間性の本来の性質ではないから──もしそうであれば、自由によって招致されたのではないことになる。

 仏教の場合にも同じ問題が原始仏教以来、業と煩悩というかたちで、さきの渇愛と取(執着)との関係として、生死という観点から(死の相のもとで)把えられているということができよう。ただキリスト教と仏教の相違は、仏教の場合には生死というか死の問題が根本にあって、死の問題とそこに根付いている執着性とを回避して、死の問題をその本来の在り方で把えないでいるところに、人間の錯誤と罪悪があると考える。その結果、人間が分別心を起して対象の世界を客観的にあるものと考え、そして自分自身もまたいつまでも存続する存在だと考えて、そしてその無常な生死の世界のなかにある存在のなかで、主観の方にも客観の方にも間違った恒常性の考え方をする。間違った仕方で自己自身や物自体を把える。しかし現実はそういう間違ったかたちを許さないような流転の世界で、一切は一瞬ごとに転変しゆくから、その人間の執着性と事態そのものの転変性が激突したところに、人間の苦があり、また苦の本質をきわめないところに、人間の怯儒(きょうだ)な態度、驕慢な態度、業欲な態度、そういうものが出てくる。そこに煩悩というものの基礎が無明であるという考え方を取る理由がある。したがって死の問題から罪の問題に入ってゆく。
それに対してキリスト教の方は、むしろ罪の問題から死の問題へという思考形態をとっている。そこでは「死は罪のむくい」というふうに考えられる。楽園において神の掟を破ったアダムが、人類に死をもたらした。アダムの罪を、後の人間、一人一人の人間が、どうして引き受けなければならないのか。アダムが罪を犯したということと、私自身が罪を犯すということと、どういう関係になっているかという問題が、例えばキェルケゴールなどにおいても、この神話に沿うて、深く考えられているわけである。

 仏教の場合には、この間題は原始仏教では無明の問題としてまず把えられた。人間は無常で苦である存在である。この生死ということのなかで漂わされている人間を、われわれはただ生という一断面からだけ把えようとする。常識の立場、科学の立場、悟性や理性の立場も皆そうである。しかしそれを生という一断面からだけ把えている人間の把え方は、前方だけに突進するように目蔽いをつけられて走っている馬車馬のようなものであって、われわれは働け働けといって馬車馬的に働くことをすすめられ、進め進めといって学問の進歩に貢献しながら、しかも結局は右も左も見ることができないようにされている。われわれは生をそのようにしか見ていないので、もし馬車馬的な生に対する関係を脱却して、目蔽いをとりはずして、生と死の全体を、もう一度新しく考えなおそうとするときには、いままで考えていた時間の考え方とか、空間の考え方とか、そういうものが皆変ってしまわねばならないような、困難な思考をとることを、余儀なくされる。

 そこで初めて、いままでみていたものが実は無明の世界であったということがわかるわけであって、そういうことがわかるまでは、無明ということは本当の無明としてわれわれに知られない。むしろ無明というものは、われわれの日常的生活においては知られない焔の芯のところにある光源の闇のようなものである。ちょうど都会が昼も夜も照明の光に輝いていて、闇というものがどこにもない不夜城に変っている、それと同じょうにわれわれはまったく無明のない世界のなかに生きていると思うのであるが、それでは本当に無明はないのであるかというと、まさしく光があって闇がどこにもないというところに、一番深い闇があるのである。夜、ジェットで空港を飛び立つと、たちまち大都会が遠くの一軒家の燈のように小さなものとなり、大空の下の深い闇にあっという間に呑み込まれてゆくのをわれわれは経験している。無明というものは、私がそれを自覚することによって、目ざめた人がああ夢だったというふうに感じ取るようにして脱却して、初めて無明は無明である(あった)ことを知るのであって、それまではわれわれは無明を無明とも知らない闇の存在なのであろう。