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四 近代の仏教と浄土教

提供: 本願力

2022年8月13日 (土) 09:36時点における林遊 (トーク | 投稿記録)による版

『浄土思想論』から

末木 文美士氏は鈴木大拙師の『浄土系思想論』を念頭に著したといわれるのだが大拙師の『浄土系思想論』と比べると少しく論述が平板になっていると思ふ。http://j-soken.jp/read/5335
明治期に圧倒的な西欧文明と接した仏教界、特に弥陀一仏に帰依する真宗界では、一神教であるキリスト教の救済論に対抗する必要に駆られた。それがキリスト教の現世に於ける魂の救済(個の救い)を真宗の教義に導入したのであろう。いわゆる浄土での成仏(さとりの完成)を期することが目的である浄土真宗に、キリスト教の「信仰のみ」(のみはルター訳)といふ、心の持ち方である「こころ教」に変貌させていったのが近代真宗史であった。 これが念仏(なんまんだぶ)を称えて成仏するといふ念仏成仏の教義を軽視する近代の「信心の教学」であった。

四 近代の仏教と浄土教

 もとに戻りますが、先に述べたように、仏教の仏はキリスト教の神と同一視できないというのが、私の基本的な考え方です。たしかに阿弥陀仏信仰のような場合だと、かなり絶対的なもの、無限大のものの方に近付いていきますが、でもキリスト教とは違います。これは、仏教を考えるうえで大事なことです。キリスト教的な構造の中に取り込まれる必要もないけれども、だからと言って別に、キリスト教に対して対抗意識を持つ必要もないし、おかしなナショナリズムのようなものに固まって、一神教はだめと言うのではなくて、それぞれ違う世界観に立っていることをきちんと認識することが必要だということです。

 先ほど触れましたように、近代になって、仏教はどういう立場を取ってきたかというと、それをできるだけキリスト教に寄せて解釈しようとしてきました。実はその出発点を作ったのは本願寺派の島地黙雷(一八三八~一九一一)でした。もちろん彼一人だけとも言えないのですが、島地がもっとも先鋭的なリーダーとなって、その果たした役割は非常に大きいし、それだけに、今日から見た場合問題もあります。

 島地がどういうことを言ったのかというと、その当時、明治初期には国家の宗教制度、宗教政策は右往左往していました。神道を国教化しようとしてうまくいかず、教部省を作って、その中に仏教も組み込んで、いわば神仏を合体させて国家の統制下に置こうとしました。その時に、島地黙雷がそれに反対して浄土真宗を率いて、教部省の所轄する大教院から抜けてしまいます。そのことによって、初めて信教の自由が確立したと言われています。それはそのとおりだと思いますし、その果たしたプラスの役割も大きかったと思いますが、しかしその時に、彼はかなり無理な宗教観を押しつけることになってしまいました。つまり、宗教というのは個人の内面の問題であり、それゆえに国家が関与できないということで、それを根拠に信教の自由を主張し、また、国家の政治的な問題と切り離された政教分離ということを主張したのです。

 これはいちおうもっともな説のように見えますが、現実にはどうかというと、当時、あるいは今でも、仏教というのは、個人の内面の信仰だけではなく、制度的なものに乗っているのです。檀家制度があり、それに支えられた葬式仏教がある。そういうかたちで、実は日本人の大部分は、個人の信仰はあまり考えることなく、仏教の組織の中に組み込まれています。もちろん熱心な信者さんや門徒さんもおられますけれども、多くの日本人にとっては、仏教というのはそういう制度的なものであって、いわば、生まれた時から仏教という制度の中にいるわけです。宗教を心の内面の問題に限定する鳥地の宗教観は、その部分を切り捨てることになります。近代の仏教はこの制度に乗って、葬式仏教によって経済的な基盤を得ています。だから、言ってみれば、宗教は個人信仰だという主張は、下半身を切り捨てて、頭だけ残すようなことになってしまいます。それを建前としてやっていくから、現実とは大きく食い違って、矛盾が出てきてしまうのです。

 さらに大きい問題があります。仏教は個人の信仰だということになると、もう一方で、それでは神道はどうなるのか、ということが問題になります。その時に島地は、神道は宗教として見れば、多神教であって、非常にレベルの低いものだと言うのです。鳥地はまさしくキリスト教をモデルに考えていましたから、一神教は高級なレベルの宗教であり、それに較べて多神教というのは低いレベルの宗教になります。ですから、神道は原始的で低いレベルのものに過ぎないというわけです。しかし、それならば神道は否定されるかというと、神道は宗教ではなくて、国家の根本をなす天皇家の祖先を祀ることであり、それゆえ、これは宗教ではなく、政治の領域に属するものだと言います。こうして、いわゆる神道非宗教論というものの基が、島地によって主張されることになります。それが後に、国家によって利用されて国家神道ができたと考えることができます。

 そういうわけで、当たり前のように、仏教は個人の信仰だと考えてしまっているけれども、実はそうではありません。違う面をいろいろ持っています。やはりそこをもう一度見直すことが大事ではないかということです。そう考えていくと、なぜ今日まで檀家制度が維持されてきたかということにも、理由があることが分かってきます。近代になって、明治政府が採用した社会体制は、いわゆる家父長的な制度です。これは、要するに天皇を頂点としたピラミッド型の構造の中で、家の中では家父長がトップに立ちます。家父長というのは代々長男が家督を相続するわけです。家父長は強大な権限と財産を受け継ぐのですが、権利と同時に、家を守るという義務もあります。それを倫理道徳として説いたのが教育勅語であり、法的に明確にしたのが明治民法です。天皇中心を明確にした明治憲法、皇室の男系男子の継承を決めた皇室典範、それに教育勅語と旧民法をあわせて、近代日本国家の四本柱ということができます。従来しばしば家父長制は封建的なもので、江戸時代から続いてきた前近代的な遺産だと考えられてきましたが、それは間違いです。確かに武士の世界では家の継承は重要な問題で、儒教に基づく家父長制が根本にありました。上級の豪農や商家でもそれに倣うところがありました。けれども、一般の庶民ではそれほど家の継承の意識は浸透していませんでした。そもそも庶民には姓がありませんから、家という観念を持ちようがありません。家父長制が一般の民衆にまで浸透するのは、明治になってからです。家父長制を支える儒教的な観念が本当に広まるのは、近世ではなくて、近代になってからのことです。

 ところで、その家父長制度を裏から支えたのが何かと言うと、実は法律には何も書いていないのですが、それこそが仏教だったのではないか、というのが私の仮説です。家父長制で家を継承するシンボルが何かというと祖先祭祀です。祖先を祀るそのやり方は仏教式でやるわけです。お寺にお墓があり、仏壇の中に位牌を祀ります。先祖の位牌は何よりも大事なものであって、財産はそれに付いてくるわけです。財産を相続するにはまずそうやって、祖先の位牌を継承し、祖先のお墓を継承することができなければなりません。それが家を継承するということです。その根幹を仏教が押さえているわけです。浄土真宗には少ないようですが、よく見かける「○○家之墓」という家墓はその象徴で、ほとんどが近代になってから作られたものです。

 そういうわけで、戦前の葬式仏教、それから檀家制度というのは、近代の明治政府の作った社会体制を制度上の表面には何も書かれていないにも関わらず、実はその根底において支えていたと考えられます。そして、それが戦後になってもかなり長いこと続いてきたと思われます。戦後になって、もちろん制度的には変わり、均分相続となって、家督などというものはなくなりましたが、人間の意識はそれほどすぐに変わりません。私が若い頃でも、結婚式は○○家と××家の結婚式で、個人同士とは考えられていませんでしたし、葬式も△△家の葬式でした。

 その後、だんだん家族制度が崩壊して、核家族が中心に変わっていく中で、古い家の意識が崩壊していきます。そして、それが今頃になって檀家制度の崩壊につながっていると考えられます。したがって、檀家制度の崩壊というのは、何か突然の現象ではなくて、かなり大きいスパンを持った必然的な現象だと、私は考えています。

 ところで、先ほど申しましたように、このような葬式仏教が実際の近代社会の中で果たした役割は、表面の言説からは消されて、ほとんど議論されませんでした。それどころか、葬式仏教は、密教と同様、前近代からの遺物と見られ、近代の仏教のあり方にふさわしくないと、非難の対象にさえなりました。こうして、言説上の仏教と、実際の社会で機能している仏教とが完全に分離してしまいます。そして、言説上の仏教は、いかにも近代的で、世界にも通用するような装いを纏うことになります。そこに、近代の仏教学の輝かしい成果があり、禅や念仏の理想化された宗世界が開かれることになりました。

 しかし、近代が行き詰まった今日、このようなこれまでの仏教のあり方もまた反省されなければなりません。一方で、これまで裏の世界に追いやられてきた葬式仏教や檀家制度を表に引き出して検討し直すとともに、他方で、表面的に近代的な解釈を施されてきた仏教の言説をもう一度問い直すことが必要になります。

禅と念仏と言いましたが、その中でも親鸞は、近代の日本でもっとも親しまれ、もっとも近代にふさわしいかたちで解釈されてきました。親鸞は、いわば近代日本の優等生ともいうべき仏教者に仕立て上げられました。もちろん、その中には継承していくべきところも多くありますが、しかし、それをそのまま無批判に引きずっていくことはできません。もう一度、原典に戻りながら親鸞の理解を根本から見直していかなければなりません。例えば、はたして親鸞は、「人のためにボランティアをすることは、自力だからしてはいけない」といったことを言っているのでしょうか。自分で求め、努力することなしに、他力がはたらくということがあるのでしょうか。そうした問題を、もう一度しっかり考え直していかなければなりません。そういう視点から、浄土教を考え直し、親鸞を読み直さなければいけないのではないかと思います。そのような問題にただちに答が出せるわけではありませんが、少なくともそのような問題意識を持ちながら、浄土教を考えていきたいと思います。