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「幸西大徳の一念義」の版間の差分

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 幸西は、自身の立場を真宗とか真門とよんでいて、一念義とはいっていない。しかし彼が一念義を唱え、その理論的な指導者であったことは種々の記録に見られる。『玄義分抄』には次のような論述がある。
 
 幸西は、自身の立場を真宗とか真門とよんでいて、一念義とはいっていない。しかし彼が一念義を唱え、その理論的な指導者であったことは種々の記録に見られる。『玄義分抄』には次のような論述がある。
  
:機ニ淺深アルカ故ニ教ニ隠顕アリ、顕トイハ淺ナリ、隠トイハ深也。淺機ハ常ニ多ク、深機ハ希ニ難シ。故ニ諸教ノ機ハ多ク、當教ノ機ハ少ク、諸行ノ機ハ多ク、念佛ノ機ハ希也。又多念ノ機ハ多ク、一念ノ機ハ難ク、化土ノ機ハ多ク、報土ノ機ハ難ク、別願ノ機ハ多ク、一乗ノ機ハ難中之難無過此難也。<ref>『玄義分抄』二乗門釈(日大蔵九〇・三九三頁) </ref>
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◇機に浅深あるが故に教に隠顕あり、顕といは浅なり、隠といは深也。浅機は常に多く、深機は希に難し。故に諸教の機は多く、当教の機は少く、諸行の機は多く、念仏の機は希也。又多念の機は多く、一念の機は難く、化土の機は多く、報土の機は難く、別願の機は多く、一乗の機は難中之難無過此難也。</ref>
  
 
 即ち、多念の機を浅機とし、化土の機とみなし、一念の機を深機とし、報土の機とみなし、また多念の義は『観経』の顕の教(方便)であり、一念の義は隠の教(真実)であるとみなしていたことがわかる。また『同』別時門釈下に、定善と散善、諸行と称仏、多称と一称、諸仏と弥陀について四重の捨行とよばれる廃立を行い、最後に「口稱ヲ捨テテ心念ヲ行セシムル事ハ大経ニ依ル」<ref>『玄義分抄』別時門釈(日大蔵九〇・三九二頁)</ref>といっているから、明らかに多念よりも一念、口称よりも心念を重視していた。そしてその一称一念によって業成し、'''現身不退'''、'''捨身往生'''の益を得る<ref>『玄義分抄』別時門釈(日大蔵九〇・三九〇頁)</ref>というのであるから一念義とみなされるのは当然である。
 
 即ち、多念の機を浅機とし、化土の機とみなし、一念の機を深機とし、報土の機とみなし、また多念の義は『観経』の顕の教(方便)であり、一念の義は隠の教(真実)であるとみなしていたことがわかる。また『同』別時門釈下に、定善と散善、諸行と称仏、多称と一称、諸仏と弥陀について四重の捨行とよばれる廃立を行い、最後に「口稱ヲ捨テテ心念ヲ行セシムル事ハ大経ニ依ル」<ref>『玄義分抄』別時門釈(日大蔵九〇・三九二頁)</ref>といっているから、明らかに多念よりも一念、口称よりも心念を重視していた。そしてその一称一念によって業成し、'''現身不退'''、'''捨身往生'''の益を得る<ref>『玄義分抄』別時門釈(日大蔵九〇・三九〇頁)</ref>というのであるから一念義とみなされるのは当然である。
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2019年1月18日 (金) 15:23時点における版

法然聖人門下に御開山の先輩で十歳年上の幸西大徳(1163-1247)という方がおられる。あまりなじみのない方であるが『歎異抄』末尾の流罪記録に幸西成覚房と記されている人がその方である。インド、中国、日本の三国にわたる、大小乗、密教に及ぶ全仏教を網羅する概説書『八宗綱要』を著された凝然(1240-1321)が、浄土門ついて記した『淨土法門源流章』には法然聖人の弟子として一番最初にあげられておられる方である。その法流がはやく廃れたためあまり著名ではない。この幸西大徳の教学は廃立に徹していて当時一念義ともいわれたように先鋭的である。その教学は、現生不退を説き、経に隠顕をみるなど、非常に御開山と近いものがある。この幸西大徳の著書である『玄義分抄』は善導大師の『観経疏』「玄義分」の注釈書である。大正時代に発見されたせいか真宗関連では取り上げられることが少ない。ここにUPしたのは、その『玄義分抄』の講述である梯實圓和上著の『玄義分抄講述』から、幸西の特長である一念義の講述の抜書きである。安居の講本(平成六年度)なので少しく難しいかもしれないが、御開山の思想を知る上でお奨めである。参考用にノートに講述の一部をUPしておいた。
なお、強調の太字、リンクと脚注の◇以下の部分、脚注内の漢文読下は、便宜のため林遊が付した。


第三章 幸西大徳の一念義

成覚房幸西大徳(一一六三~一二四七)の教義は一念義とよばれている。しかしその詳細は必ずしも明確ではない。それは一には、その著書の殆んどが失われていて、わずかに『京師和尚類聚伝』一巻と『玄義分抄』一巻が残っているに過ぎないという文献的な限界があることと[1]、二にはその流派が早く消減して伝わらなかったこと、そして三には幸西は法然から破門された異端者であるというような風評が流され、他流の人たちから正当に評価されなかったことなどがその原因であったと考えられる。[2]
『玄義分抄』の奥書には、

建保六年{戊寅}七月廿四日 御在判
  巳上阿波聖人御自筆御本也

とあり[3]、建保六年(一二一八)五十六歳のときのものであったことがわかる。さらに幸西の学説を紹介したものとして凝然の『浄土法門源流章』(以下『源流章』と略称)がある。この書は応長元年(一三一一)に成立しているから、幸西滅後六十四年目のことであった。そこには現存しない幸西の『略料簡』『一渧記』『称仏記』を引用しながら、客観的な態度でその教説を解説されているから、幸西の説を知るための重要な文献たりうるといえよう。
以下この両書をとおして幸西の一念義を考察することにする。

 幸西は、自身の立場を真宗とか真門とよんでいて、一念義とはいっていない。しかし彼が一念義を唱え、その理論的な指導者であったことは種々の記録に見られる。『玄義分抄』には次のような論述がある。

機ニ淺深アルカ故ニ教ニ隠顕アリ、顕トイハ淺ナリ、隠トイハ深也。淺機ハ常ニ多ク、深機ハ希ニ難シ。故ニ諸教ノ機ハ多ク、當教ノ機ハ少ク、諸行ノ機ハ多ク、念佛ノ機ハ希也。又多念ノ機ハ多ク、一念ノ機ハ難ク、化土ノ機ハ多ク、報土ノ機ハ難ク、別願ノ機ハ多ク、一乗ノ機ハ難中之難無過此難也。[4]

 即ち、多念の機を浅機とし、化土の機とみなし、一念の機を深機とし、報土の機とみなし、また多念の義は『観経』の顕の教(方便)であり、一念の義は隠の教(真実)であるとみなしていたことがわかる。また『同』別時門釈下に、定善と散善、諸行と称仏、多称と一称、諸仏と弥陀について四重の捨行とよばれる廃立を行い、最後に「口稱ヲ捨テテ心念ヲ行セシムル事ハ大経ニ依ル」[5]といっているから、明らかに多念よりも一念、口称よりも心念を重視していた。そしてその一称一念によって業成し、現身不退捨身往生の益を得る[6]というのであるから一念義とみなされるのは当然である。

 しかしその一念の義相は必ずしも明確ではない。『源流章』には幸西の一念義を解説して、

幸西大徳立一念義、言一念者、仏智一念、正指仏心 為念心、凡夫信心冥会仏智、仏智一念是弥陀本願、行者信念與佛心相應、心契佛智願力一念、能所無二、信智唯一、念念相續 決定往生。(訓点は私に附す)[7]

といっている。これによれば幸西は仏智一念を法門の体とし、その仏智一念と凡夫の信心とが冥会して、能念の信心と所念の仏智(弥陀の本願でもある)とが一体となり、信智唯一なる状態が念々相続して決定往生すると主張したというのである。従って信心と仏智の冥合を中心に教義を立ててはいるが、念々相続も含めて往生を論じているから、一概に多念を否定するものではなかったことがわかる。

 ところで『源流章』は、幸西の一念義を紹介し終って次のように論述を結んでいる。

念佛往生具周成立、必由信心與彼佛智一念之心、相應契會。此事成立、任運往生、不由時節久近早晩、念修多少、事業淺深。 略料簡云、佛心相應時業成、無問時節之早晩{已上} 彼所立義名一念義、專由如是所成旨歸、略料簡亦云、命欲終時佛來現、從心不生依彼願{已上} 行者生彼唯由願力、非由凡夫自身自力、罪障凡夫、煩惱垢重、如來報土懸絶分故、唯仰佛願、直成就故、如是等義、幸西所立。[8]

 これによれば、幸西が信心と仏智一念の相応契会を強調したのは、念仏往生の法義が具周成立する根拠を明らかにする為であったことがわかる。すなわち念仏による往生が成立するのは、念仏修行の長短、称名の数量の多少、称名するときの行者の心の浅深といった、行者のがわの条件によるのではなく、その念仏が仏心と相応し、本願に契っているか否かに依るのである。『略料簡』に、「心に従っては生ぜず、彼の願に依れ」というように、凡夫の自力心によって報土に往生することは不可能であって、ただ仏願力に身をまかせる以外にない。そのことの信知が肝要なのである。そのために幸西は、仏智願力と相応し、仏智願力に乗託した信智唯一の信心を強調しているというのである。したがって「能所無二、信智唯一、念々相続、決定往生」というときの、信とは、願力に乗託している念仏の心相であり、このような念仏の相続によって往生するというのであろう。

 このようにして幸西の一念義は、信心を重視することはいうまでもないが、しかし念仏往生を否定したり、称名相続を否定するものではなく、どこまでも念仏往生の教法の枠内での論議であったといわねばならない。なお前引の『略料簡』に「仏心と相応する時に業成す。時節の早晩を問うことなし」といっているものは、業成の「時」を問題にし、信智相応の時に業成するという平生における業成、すなわち現生不退説を立てるところは、まさに親鸞の信一念の義に通ずる教説であったことがわかる。

幸西の著作によれば、彼のいう一念には二義を内包していたことがわかる。一には前述のように仏智の一念であり、それは信体というべきものである。二には行の一念、すなわち行相の上で語る一声の称名である。幸西が、第十八願成就文の「信心歓喜乃至一念」の一念を行の一念とみなしていたことは『玄義分抄』の別時門の釈下に「大経ノ下巻ノ初ニ合ス、即乃至一念ヲ行トスル義ナリ」[9]といい、二乗門の釈下に「十念ノ方便ハ一念ノ為也」[10]というものがそれである。乃至一念を十念の称名のつづまった促の状態であると見ているからである。それは、法然が『大経』の三処(第十八願成就文、下輩の文、付属の文)の一念をいずれも行の一念とされていたのをうけたからであろう。[11]

 現存の資料に依るかぎり、幸西には親鸞のような明確な信の一念という用語はない。しかしたとえば『玄義分抄』別時門下に「口稱ヲ捨テテ心念ヲ行セシムル事ハ、大經ニ依ル」[12]というが、この「心念」とは称名に対する信心のことで、これが『大経』によるというのであるから、やはり第十八願成就文の「信心歓喜乃至一念」や、下輩の「若聞深法、歓喜信楽、不生疑惑乃至一念」[13] をさしていたと考えられないことはない。[14] ただし「心念ヲ行セシムル」というのは、信心そのものを勧めているという意味なのか、信心を具した念仏を行ぜしめるという意味なのかさだかでないがおそらく後者であろう。しかしいずれにせよ、口称(乃至一念)よりも心念(信心歓喜)が重視されていることは明らかで、そこには念仏往生の本願を領解する信心を強調するという義意があったといえよう。ただ「信の一念」という言葉を用いないのは、信心は凡夫の心念(意業)のはたらきではなくて、本質的には仏智そのものであるということをあらわす為に、信心の方ではなく仏智願力の側で一念を語ったのではなかろうか。仏智一念ということについては後に詳述するが、要するにそれは阿弥陀仏の選択の願心であって、大乗広智ともいわれた。そのような仏智は三世を包んで常に今であるような構造をもつから仏智一念という[15]のであって、念仏往生の本願を信ずることは、本願の仏智と相応することであった。それゆえ仏智一念といっていることが、そのまま信心の一念(ひとおもいの信心)といっていることになると考えられる。それが能所無二、信智唯一ということの意味であったのではなかろうか。

 少し後のことになるが本願成就文の乃至一念について、存覚『浄土真要鈔』本には隠顕の二義をたて、

この一念につゐて隠顕の義あり。顕には十念に対するとき一念といふは称名の一念なり。隠には真因を決了する安心の一念なり。……ただかの如来の名号をききえて機教の分限をおもひさだむるくらゐをさすなり。……この一念帰命の信心は、凡夫自力の迷心にあらず、如来清浄本願の智心なり。[16]

といっている。乃至一念を文相に従って顕の義でいえば、十念に対する一念であるから称名の一念とせねばならぬが、文底を流れる隠の義でいえば、名号を聞き、機教の分限を思い定め(二種深信)、真因決了する安心の一念であるとし、この一念の信心は凡心ではなく本願の智心であるというのである。この『真要鈔』は次下にも「それ阿弥陀如来は三世の諸仏に念ぜられたまふ覚体なれば、久遠実成の古仏なれども、十劫已来の成道は果後の方便なり」と釈している。この「三世諸仏に念ぜられる覚体」が「果後の方便」として十劫正覚を成ぜられたという思想は、もともと幸西の『玄義分抄』[17]に出ていて、存覚の父、覚如は『口伝鈔』開出三身章[18]に弥陀本師本仏説として詳細に展開したものである。覚如が一念義の影響を強く受けていたことは明白であるが、存覚が乃至一念に隠顕を見るというのも、幸西か、その後継者の影響ではなかったかと考えられる。

 さて幸西の一念義を理解する為には、先ずそれが廃立為正[19]という安心門の法義を徹底したものであることを知っておく必要があろう。安心とは『往生礼讃』(*)[20]に安心、起行、作業の三門として念仏往生の信心(三心)と、相続の行業(五念門)と、その修相(四修)を詳らかにされた中の第一門である。そこでは至誠心、深心、回向発願心という三心の相を示し、特に真実の信心である深心釈において、何をどう信ずるかということが釈顕されている。すなわち煩悩を具足して生死を超える手がかりさえもない凡夫が、本願に誓われた十声一声等の称名によって決定して往生すると信知して疑わない心を深心というのであって、安心とは三心の中でも特にこの深心を安立することを意味していたのである。それについて「散善義」[21]の深心釈では就人立信と就行立信を明かし、特に就行立信釈では所信の行を簡択して、雑行と正行に分け、正行の中でさらに助業と正定業を分判し、決定往生の正定業として信ずべきものは順彼仏願の称名一行であると決択されている。そしてその信相を開いて機法二種の深信とし、その相を広く釈されていた。しかし『礼讃』はそれを要約して、念仏往生と信ずる二種深信のみをあげて安心の極要を的示されたのであった。

 このように安心門においては、所信の行を簡択し、生因法を的示しなければならないから、必然的に廃立を中心とした法相となっていく。法然の『選択集』が首尾一貫して選択廃立の法義をのべられていたことは周知の通りであるが、幸西もまた廃立為正の立場で終始している。それだけにその教説は極めて尖鋭になる。『玄義分抄』宗旨門に、念観両宗[22]の廃立を明かして、

然ニ今兩宗ヲ弁シテ教ヲ立スル事ハ、正ク如來ノ密意ヲ開シ御スモノナリ。其密意云何トナラハ観佛三昧ヲ廢シテ假宗ノ諸門ヲ塞キ、念佛三昧ヲ立シテ眞宗ノ正門ヲ開カムト也。廢セスハ立スヘカラス、塞セスハ開スへカラス、故ニ諸佛之印可、一僧之指授正シク廢立ノ義ニ當レリ。[23]

といわれている。観仏三昧に聖道門と衆行(諸行)往生とを摂めて廃捨し、念仏三昧を真実の宗旨として立することによって、全仏教は念仏往生の真実に帰一する旨を明らかにするのである。そして「廃セスハ立スヘカラス、塞セスハ開スヘカラス」といい、この廃立の一義こそ諸仏の印可された密意であり、一僧が善導に指授された奥旨であったというのである。

 このような廃立義は、幸西の著作のいたるところに見られるが、『玄義分抄』別時門には、『論』(摂論)の本意を述べるとして、

先ツ聖道ヲステテ淨土ヲ行セシメ、次ニ衆行ヲ捨テテ念佛ヲ行セシムト也。然ルニ聖道ヲ捨テテ淨土ヲ行セシムル事ハ、正ク華巌経ノ意ニ依ル。上品下生ノ釋ノ文、說偈ノ發願等ニ合ス。定善ヲ捨テテ散善ヲ行セシメ、諸行ヲ捨テテ稱佛ヲ行セシメ、多稱ヲ捨テテ一稱ヲ行セシメ、諸佛ヲ捨テテ彌陀ヲ行セシムル事ハ、法華経・観経等ニ依ル。四ノ捨行ノ中ノ終リノ一ハ唯観経也。口稱ヲ捨テテ心念ヲ行セシムル事ハ大経ニ依ル。此事ヲ眞實トシテ餘門餘行ヲ別時トスル事ハ正ク阿彌陀経ニ依ル也。[24]

といい、先ず聖浄二門を廃立し、ついで浄土の行において定善と散善、散善中の諸行(衆行)と称仏、称名の中の多称と一称、一称の中の諸仏念仏と弥陀念仏というふうに順次廃立し、『観経』の意によって一称の弥陀念仏を所信の行法として立てていく。これを幸西は四の捨行とよんでいる。そして更に「口称ヲ捨テテ心念ヲ行セシムル事ハ大経ニ依ル」といい、称名と信心の間でまで廃立を行っている。しかしこれは前述のように恐らく信心を具していない称名を廃して、信心(三心)具足の称名を立したのであろう。称名は『大経』所説の本願(弘願)を信じ、仏智と相応する信心の行でなければならないというのであろう。

 もともと本願の乃至十念の「乃至」には従多向少の義と、従少向多の義とがあった。そして従少向多をもって生涯の称名相続を誓うとみるのは起行門の「乃至十念」の理解であった。それに対して安心門では行業は従多向少で明され、一念を所信の行の究極とするということは、すでに法然が善導の『礼讃』の深心釈の「十声一声必得往生」の文を釈して、

十声一声の釈は念仏を信ずるやうなり。かるがゆへに信おば一念に生るととり、行おば一形をはげむべしとすすめたまへる釈なり(*)[25]

といわれた如くである。すなわち信心を建立する安心門では、一声までも決定往生の業因であると信ずるのであり、その正定業である称名を中心に五念門行(助業)を生涯相続することを起行門というのである。

 幸西が信心を重視するということはいうまでもないが、本願の称名を廃捨するということは決してなかったとさきにものべたが、『玄義分抄』宗旨門には、三経の宗致は称名であるとして次の如くいう。

三部ノ経旨正ク稱名念佛ヲ宗トス。凡ス時之相應、行之難易{已上序分}、攝取之三縁、善之勝劣、諸経之讃嘆、三部之唯名{已上定善}、三心之具不、正雑之得失、正定之行業、廻向之有無、業繋之無碍、仏法之不思議、機法之分別、減罪之多少、往生之遅疾、経中之要益、善悪之差別、第九之受法、蔡華之譬喩、退代之流通{已上散善}別意弘願、成就之一念、佛智之大乗、往生之大利、無上之功徳、法減之止住、難値之至極{已上大経}、舌相之證誠、諸佛之護念{已上阿弥陀経}、定散之所詮、三部之首尾、名號ヲ宗トスル事文義分明也。……但定善ヲ廢シテ散善ヲ立シ、衆行ヲ毀シテ念佛ヲ讃スル事ハ、今経ノ肝心、三部ノ骨目ナリ、唯三部ノ證ノミニアラス諸経モ又如此、唯繹迦一佛ノ讃嘆ノミニ非ス諸佛モ亦如此。[26]

といわれている。これによって幸西は、浄土三部経はもちろん諸経に至るまで、釈迦のみならず一切の諸仏に至るまで、更に善導の『観経疏』の所詮も、すべて称名念仏をもって宗としており、これこそ無二亦無三の凡頓一乗の法であるといわれるのである。釈名門の結文に「上來観・念ノニ法アリト云ヘトモ、唯念佛ノ一法ニ乗シテ往生シ、乃至成佛スト也」[27]という所以である。

 すなわち幸西は、念仏が報土の生因であるということを認めた上で、その念仏は、行者の能修の功をつのるような行業ではないということを明かすために多念を廃して一念を立て、さらに一念の称名の根源を追究して、弥陀の智願を信ずる信心に、さらに信心がそれと相応している南無阿弥陀仏という仏智願力に真実の因体を見出していったのであろう。要するにそれは安心門に立って称名と信心の究竟の相を顕わそうとした説であった。

ここで幸西の念仏観を見ておかねばならない。『玄義分抄』宗旨門に「亦以念佛三昧為宗トイハ、眞身ノ名號ヲ念スル念佛ヲ宗トストナリ」[28]といわれているが、真身の名号とは、化身の名号に対するものであった。幸西によれば化身の名号を称える念仏は胎生の因であって方便仮門であり、真身即ち報身の名号を称える念仏は報土に化生する真因であって真実の念仏であると、弥陀念仏に真仮を分けて廃立していくのである。『源流章』には『称仏記』を引いて次のように詳説されている。

稱佛記云、彌陀有二種、一化身、像觀彌陀是也。{中略}今此觀經所説稱名、彼假立彌陀名號也。若依此行行者、可得假立生、假立者胎生也。是即通諸佛、{中略}下品等念佛同之、此彌陀諸佛相望、互可論親疎得失、是名爲機、且雖有順彼佛願利益、若比増上大利全非比挍也。二報身、是別意弘願彌陀也。玄義云、又無量壽經云、法藏比丘在世繞王佛所{乃至}今既成佛即是酬因之身也。詫彼願爲増上縁、如説大經、念彼彌陀、即念十方一切諸佛也。全無彼此不同差別、故名念佛三昧、具如眞身觀文 已上 [29]

 これによれば、『観経』に説かれた像観の弥陀は、真像を仮立した化身の弥陀であるから、この弥陀の名号を称える念仏によって得る果は仮立の往生である。そのような仮立の生を『大経』では胎生と説かれており、その浄土は化身の浄土である。それは行者の行業の強弱に応じて如来が変現された変化土であって、諸仏念仏によって諸仏土に往生し、自心変の身土[30]を感得するのと同列である。そしてその念仏は諸仏土への往生ならば諸仏念仏が親しく、弥陀浄土への往生ならば弥陀念仏が親しいというだけで、諸仏念仏と本質的には変らない弥陀念仏である。このような念仏も弥陀念仏であるから、一分は仏願に順じ、願力の助縁を得ることはあるが、真実弘願に契って称えている真正の念仏に無上大利の利益があるのとは比較にならないというのである。そして幸西は『観経』の下品等に説かれている念仏は、この仮立の弥陀の名号を称える仮の念仏であるという。それは往生後の果相が低劣で『大経』の胎化段における胎生と通ずるからである。もっとも『玄義分抄』の二乗門によれば、『観経』にも報化二土の義があるとし、上々品に説かれた報身兼化の教説は報土であるが、全体として九品段の経説は化土の義を当分としている[31]。即ち凡夫の有漏善(三福)によって感得する土とみたときは、界内の凡聖同居土になるが、念仏という無漏善によって報仏の来迎を得るとみるときは五乗の浅深、九品の善悪をえらばず、純一に報土に化生して初地に入るとみるべきであるからである。このように界内同居の化土を仮立するのは報土に誘引する為の調機の方便であるといっている。従って化身の念仏とは、散善三福位の有漏善であり、調機誘引の方便仮門と位置づけていたと考えられる。それは機のはからいによって成ずる法門であるから機位の法門ともいうのであって、本願の法にかなった念仏と区別していた。

 報身の念仏とは、「弘願ノ弥陀」を称念する念仏であるという。報身の弥陀とは、『大経』に説かれている別意の弘願に酬報した本願成就の阿弥陀仏であり、『観経』でいえば、念仏の衆生に摂取不捨の利益を与える真身観の仏であるから真身の名号を称念するともいう。弘願とは後に詳述するように「玄義分」序題門に示された善悪平等に救いたまう第十八願の法門をあらわしている[32]。また阿弥陀仏が報身であるのは第十八願に酬報した仏だからであると二乗門には釈されている[33]。それゆえ報身を念ずるとは、機の善悪を簡ばず、五乗をひとしく願力に乗ぜしめて報土に往生せしめたまうという弘願の仏意を明らかに信知して称えるということを意味していた。さきにのべた化身の念仏とは、第十八願という阿弥陀仏の実義を見失って、諸仏念仏と同じ廃悪修善の有漏善としてしまった機位の念仏[34]であり、報身の念仏とは、本願に相応し、願力に乗託して称えている法に相応した念仏を意味していたといえよう。この本願の仏意のことを幸西は仏智一念といい、仏智との相応を重視するのである。

つぎに定散二善と念仏の関係についての幸西の見解を窺っておこう。『玄義分抄』宗旨門に、

但理ノ教トイハ維摩・大品等。但散ノ教トイハ大経・彌陀経。理事ノ教トイハ華厳・法華等。定散ノ教トイハ観経也。然ルニ大経ニハ唯散ノ行ヲ説テ五乗ヲ機トシテ權實二類共ニ一門ニ歸セシム。……観経ノ中ニ正シク散ヲ宗トシテ傍ニ定ヲ宗トスル事ハ、但理唯聖等ノ教ニ依ル漸機ノ衆生ヲシテ凡頓ノ教ニ引入セシメムカ爲也。[35]

という。これは諸経の法義を理と事、定と散に分け、『維摩経』や『般若経』は但理の教、『華厳経』『法華経』は理事の教であって、いずれも為聖の教である。それに対して為凡の教である『大経』『小経』は但散の教であり、『観経』は定散の教である。『観経』の正しき宗は散善の念仏三昧であるが、傍に定善の観仏三昧を説くのは、聖道の機を誘引して、念仏という凡頓一乗に入らしめる為であるというのである。ここでは『観経』の宗である念仏三昧を散善とよんでいる。これは一切の行を定散二善に摂めてしまうときには、弥陀念仏も散善中の行福に所属させるという『選択集』付属章の筆格に準じたものであろう[36]。しかし法然も定散と念仏とを非本願行と本願行に分けて廃立するときには「今定散為廃而説、念仏三昧為立而説」[37]といわれたように定散と念仏を各別の法門とみなして廃立されていたが、幸西もまた定散と念仏を峻別していく一面があった。『玄義分抄』定散門に、

今此ノ念佛三昧ハ定善ニ非スシテシカモ定善也。其ノ行相息慮凝心ニアラス、故ニ定善ニアラス、雖然必ス定善ノ益ヲ得ルカ故ニ定善ノ名アリ。散善ニアラスシテシカモ散善也。其ノ行相廢惡修善ニ非サルカ故ニ散善ニアラス。即チ界内ノ廢惡修善ニアラスト也。又廢惡修善ナルカ故ニ散善也。惣シテ有爲有漏ノ善悪ヲ廢スルヲ廢惡トシ、無爲無漏ノ生因ヲ修スルヲ修善トス。是眞質ノ廢惡修善也。因果ニ非スシテシカモ因果也。界内ノ因果ニ非ルヲ非ストス、所謂人天ノ因果ニアラス、三乗ノ因果ニ非ス。又界外ノ因果ナルカ故ニ因果也。所謂報土ノ因ヲ修シテ報土ノ果ヲ得也。[38]

といわれたものがそれである。即ち念仏は非定非散の行であるが、またすぐれた意味において定善・散善ともいえるというのである。

 散乱心のままに称える念仏は、息慮凝心の行相をもたないから定善でないことはいうまでもない。しかし念仏は、定善観法が如実に成就したときに得るのと同じ無漏智をもって報仏を感得するという無為無漏の利益を得しめられるから、すぐれた意味での定善でもあるというのである。これについて『玄義分抄』宗旨門に念仏三味は因中説果の名であるとして次のように述べている。

念佛三昧トイハ因中説果ノ義也。経云、無量壽佛、有八萬四千相{乃至}念佛衆生、攝取不捨、其光明相好、及與化佛不可具説、但當憶想、令心眼見、見此事者、即見十方一切諸佛、以見諸佛故、名念佛三昧云云、不可具説トイハ観門ヲ閉ト云トモ、令心眼見トイハ證果ノ益ヲ知シメムカ爲也。然ルニ念佛ノ衆生ハ必ス攝取セラル、攝取ノ故ニ往生ス、往生スルカ故ニ彌陀ヲ見ルヘシ、彌陀ヲ見ルカ故ニ諸佛ヲ見ルヘシ、諸佛ヲ見ルカ故ニ念佛三昧ト名クヘシ、此ノ果ノ名ヲカテ因ノ名トス。……是レ如來法性ノ眞身ヲ見タテマッテ始メテ法性ヲ證スル位也。……修因感果ノ道理ニ任セハ、理観色相等ノ難行ヲ以テ證スヘシト云ヘトモ、諸佛ノ無縁ノ慈、念佛ノ者ヲ攝シテ無爲ノ法樂ヲ證セシム。若因果相當ノ義ヲ以テ其ノ名ヲ立セハ、此ノ念佛ヲハ眞如観トモ名ケ眞身観トモ名クヘシ。[39]

といわれている。『観経』真身観によれば、阿弥陀仏の真身の相好光明を如実に観ずるならば、十方一切の諸仏が現前し、授記されるから念仏三昧と名づけるといわれている。これはまさに無漏智を開いて、諸仏の悟りの本体である真如法性を証得した初地以上の菩薩の得益であって、凡夫の行者にこのような観仏三昧が成ぜられるわけではない。それゆえ経には「不可具説」といって凡夫の観仏の不成なることを知らしめられている。にもかかわらず経にこのような真身の念仏を説かれたのは、本願念仏の行者が往生して後に得しめられる利益の相を知らそうとしたものである。即ち念仏の衆生は、現生において摂取不捨の利益を得、不退の位に住せしめられるが、命終すれば報土に往生して報身の弥陀を見、真如法性を悟り初地の位につかしめられ、諸仏を見て授記をうける。この阿弥陀仏の報身をまのあたり拝見することを真の念仏三昧という。それは真如法性にかなった無漏智をもって証得する無漏定である。このような無漏定である念仏三昧を結果として獲得せしめられる因が『観経』に説かれる真身の称名念仏であるから、因中説果して散心の称名を念仏三昧といわれたというのである。これによって幸西が称名は「定善に非ずして而も定善たり」といわれたことの意味が明らかになる。

 こうして称名は、聖道門において、真如法性を悟る因行として語る真如観と同じ徳をもち、法華一乗が目ざしている果徳を実現する徳用をもっている。しかも聖者の為に説かれた法華一乗(聖頓一乗)の行法は、凡夫にとっては無得道の行法に過ぎず、真如観や観仏三昧は有教無人の法である。それにひきかえ称名念仏は凡夫を本として万人を平等に速疾に聖位に入らしめる凡頓一乗の法であり、易往而無人の教法であるといって称名の優位性を釈顕されている。[40]

 つぎに念仏は「散善ニアラスシテシカモ散善也」といわれる。散善とは、廃悪修善の意味であると善導は定義されていた。より正確にいえば日常的な散乱心のままで廃悪修善を行うことである。しかし本願の念仏は、廃悪修善することのできない凡夫の為に選択された行法であるから、廃悪修善の行ではない。それゆえ善人は善人のまま、悪人は悪人のまま称えて往生せしめられるのである。こうして念仏の行相は、界内有漏の凡夫が行う廃悪修善の行ではないから散善に非ずというのである。しかし所称の名号には、如来所有の無漏の行徳が円満していて、名号を称えることは無為無漏の境界である報土の生因を修していることになるのである。従って称名していることは、自から有為有漏の善悪を廃して無為無漏の善を修していることになるから廃悪修善の義があり、散善ということもできるというのである。

 こうして幸西は、本願の念仏は非定非散の無漏業であって、凡夫が廃悪修善していくような有漏善の定散衆行(諸行)とは質的にちがっており、定散衆行は人天、三乗の界内の因に過ぎず、念仏のみが界外の報土の因となるというのである。『玄義分抄』の序題門釈に

定散トイハ諸経即八萬四千調機門也。弘願トイハ大経別意究竟ノ眞門也。(中略)別意トイハ常途ニ簡異ス、所謂定散諸善ノ行相ニ簡異ス……八相示現ノ本意、定散ノ方便ヲ演テ長劫ノ苦因ヲ開示シ、彌陀ノ弘願ヲ説テ永生之樂果ニ悟入セシム。[41]

といって、定散と弘願とを方便と真実に分判されたのはその故である。ここに「定散ノ方便ヲ演テ長劫ノ苦因ヲ開示シ」というのは、凡夫が定散を修しても分段生死を超えることができないのに、未熟の機は定散に執じて、涅槃の真因である本願の名号を信受しないから長劫にわたって流転せざるを得なかったということを開示されたということである。このように要門定散と弘願念仏を廃立するのは、明らかに法然を継承したものである。[42]

 こうして幸西は、衆行のなかで本願念仏の一法のみを決定的な往生成仏の因と定立していくのであって『玄義分抄』釈名門釈には

當知 南無阿彌陀佛トイハ決定成佛之因也ト云事ヲ。故ニ此経ノ中ニハ若念佛者{乃至}當座道場トイヒ、大経ノ中ニハ其有得聞彼佛名號{乃至}則是具足無上功徳トイヒ……上來観・念ノニ法アリト云ヘトモ、唯念佛ノ一法ニ乗シテ往生シ乃至成佛スト也。[43]

と言い切っている。

 ところで幸西は、そのような念仏のことを一乗とも弘願とも仏智とも転釈されている。

念佛三昧トイハ、繹名ノ南無阿彌陀佛、序題ノ弘願、說偈ノ一乗也。何ソ一乗ト名クル、一乗トイハ無二無三ノ義也。其義正ク當教ニ有ト云ヘトモ其文法華ニ出タリ、十方佛土中唯有一乗法無二亦無三除佛方便説トイヘリ。此一佛乗ノ理、初地ニ至テ初テ顕ハル。今経ノ果ノ念佛三昧ト名別義通也。……當教ニ正ク一乗ノ義アリト云ハ、一乗トイハ弘願、弘願トイハ南無阿彌陀佛、南無阿彌陀佛トイハ念佛三昧、念佛三味トイハ佛智即大乗廣智也。群萌ヲ運載シテ廣ク生死ヲ出ス。是レ諸佛ノ無上ノ智慧、眞實ノ大乗也。此ノ外力敢テ眞ノ大乗ナシ。無二無三也、佛ノ方便ノ説ヲハ除ク。今此ノ一乗ニ隠顧アルコトハ、證果ハ高妙ニシテ心想羸劣ナリ、大聖ノ智力ニ非スハ生死ヲ出ヘカラス、故ニ必ス凡心ニカナフ易行アルヘシ、眞ノ一乗是也。……諸佛出世ノ本意、難行ノ一乗ヲ顕説シテ易行ノ一乗ヲ了セシメムカ爲也。然則顕ノ一乗ノ文ニ依テ隠ノ義ヲ了スヘシ。[44]

というものがそれである。

 念仏は弘願であるというのは、序題門の釈意によっている。弘願とは広弘誓願の略で、広くいえば四十八願に通ずるが、『玄義分』の序題門に「言弘願者、如大経説、一切善悪凡夫得生者、莫不皆乗阿弥陀仏大願業力 為増上縁也」[45]といわれたものは、善悪平等に摂取する第十八願の法門をさしていたとしなければならない。即ち念仏往生の法門は、定散諸行のように善悪を差別して廃悪修善をすすめる偏狭な法門ではなくて、善人も悪人もへだてなくその大願業力に乗ぜしめて報土に往生せしめようとして阿弥陀仏が選択された広大無辺の法門である。その法門の体は、善悪の群萌をわけへだてたく運載して生死を出でしめようとする如来の大乗広智である。そのような大悲の智慧が阿弥陀仏の本願をあらしめている本体であり、三世の諸仏は、阿弥陀仏のこの大悲の智慧に乗じて正覚を成就し、この智慧を体としているから、『大経』には阿弥陀仏の智慧を「諸仏無上智慧」[46]といわれているのである。

 『大経』の胎化段によれば、胎生と化生の因を明かして、

若有衆生 以疑惑心 修諸功徳 願生彼国。不了仏智・不思議智・不可称智・大乗広智・無等無倫最上勝智 於此諸智 疑惑不信。然猶信罪福 修習善本 願生其国。此諸衆生 生彼宮殿 ……謂之胎生。若有衆生 明信仏智乃至勝智 作諸功徳 信心廻向 此諸衆生於七宝華中 自然化生。[47]

といい、仏智を疑うか信ずるかによって胎生と化生の別を生ずるとし、胎生のものは大利を失い、化生のものは大利を得ると信疑の得失廃立を示されている。

 ここで本願を信ずることを、「明らかに仏智を信ず」といわれている点に注目して、幸西は、所信の法を仏智といわれるのであろう。もっとも本願のことを善導の『礼讃』には「弥陀智願海、深広無涯底」[48]といいあらわされており、幸西はこの文を『略料簡』の一乗海釈に引いて、

一乘者。即弘願。弘願即佛智。佛智即一念也。海者如衆流入海。一切善惡凡夫皆歸彼智願海得生也。[49]

というが、凝然は『浄土源流章』においてこれによって幸西の仏智の義意を釈している。即ち智願とは、阿弥陀仏の因果を双べ挙げたもので、願とは四十八願の因心であり、この願行に酬いた果体を智というのであるから、果智の当体に願心を具している。この願力所成の智体を智願というが、これを仏智一念の心と名づけたというのである。それゆえ幸西のいう仏智とは阿弥陀仏の願カ所成の智徳をあらわしていた。

 また『一渧記』には「如来能度是心、心者智能度物、真実唯一念心也」[50]といい、仏智とは、衆生を済度する仏心のことであるとして、極めて利他的な意味をもつ智慧とされている。さきの智願もそうであったように幸西のいう仏智は、無分別智というよりも、無分別智が衆生済度に働いている無分別後得智の意味が強いようで、いわば大悲の智慧といえるような性格をもっていた。[51]

 そのことは、『大経』胎化段の五智に対する幸西の考え方の上にも見うけられる。仏智、不思議智、不可称智、大乗広智、無等無倫最上勝智の五智が、仏智を開いたものであることはいうまでもないが、その中で幸西は特に大乗広智を、仏智を特徴づけるものとして重視し、「念仏三昧トイハ仏智即大乗広智也。群萌ヲ運載シテ広ク生死ヲ出ス。是レ諸仏ノ無上ノ智慧、真実ノ大乗也」といっている。大乗広智とは、一切衆生を善悪のへだてなく平等に運載して生死を出でしめる、大乗の体であるような広大無辺な智慧のことである。ところで真実の大乗を『法華経』では一乗とか一仏乗とよんでいる。一乗とは無二無三の絶対の教法ということで、一切衆生を仏にならしめる唯一の法ということである。しかし真に一切の衆生を善悪、賢愚のへだてなく成仏せしめていく教法は弘願とよばれる阿弥陀仏の本願の外にはないから、真実の意味で大乗広智、すなわち仏智の顕現している一乗の教法は弘願念仏の法門であるといわねばならない。それゆえ念仏とは弘願であり、一乗であり、大乗広智であり、仏智であると幸西はいうのである。

 すでに本願の法門が絶対無二の一乗法であるとすれば、それは三世にわたって常恒に衆生を救済しつづけている久遠の法門でなければならない。そこから幸西は十劫正覚を垂迹の法門とみ、果後の方便とみるようになり、阿弥陀仏の本願は本来十劫を超えた久遠の法門であるとみなしていったようである。現存する幸西の著書には、明確な形で久遠実成の弥陀という言葉はでていないが、『玄義分抄』二乗門の次のような論述によって推定できる。

凡ス諸佛ノ因行、総別二種ノ願、皆是垂迹ノ利生、果後ノ方便也。具ニ法華ノ本跡二門、賢愚経等ニ説力如シ。利生方便云何トナラバ、総願ノ方便ハ別願ノタメ{具ク果ノ不同ヲ弁シテ縁佛ヲエラハシム}別願ノ方便ハ彌陀ノ爲{諸仏に簡異シテ不取正覚ト云ヘリ}四十八願ノ方便ハ念佛往生ノ爲メ、十念ノ方便ハ一念ノ爲メ也。故ニ観経ニハ三世諸佛淨業正因ト説キ、般舟三昧経ニハ、三世諸佛、持是念阿彌陀佛三昧、皆得成佛ト云ヘリ。十劫正覺豈誠説ナラムヤ。然則覺行窮満ノ無縁ノ慈、常没ノ衆生ヲ攝シテ報身常住ノ土ニ生セシメムカ爲ニ大乗廣智ヲ顕開ス。其ヨリ已来、過去現在ノ諸佛菩薩、此ノ大乗ニ運載セラレテ生死ノ苦海ヲ度ス。入聖得果ノ道、無始已來唯此ノ一乗ノミ有テ無二也。故ニ上従海徳初際如來、乃至今時釋迦諸佛、皆乗弘誓、勸念彌陀。此ノ義ヲ以テノ故ニ如來出世ノ本意、顕ニ別意ノ方便ヲ開示シテ、隠ニ一乗ノ眞門ニ悟入セシム。方便ハ一乗ノ爲ニ説キ、一乗ハ方便ノ爲ニマフケテ違背セスト云ヘトモ、機ニ淺深有カ故ニ教ニ隠顕アリ。[52]

 久遠実成の阿弥陀仏の無縁の慈より顕開された大乗広智の法門のみが、無始以来の唯一無二の入聖得果の道としてあり、三世諸仏もこの弘誓一乗に運載せられて生死を出られたのであるから、十劫正覚のままが、久遠実成の法門であり、三世の如来の出世の本意であって、唯一無二の一乗法であるといわれているのであろう。

 こうして幸西は、阿弥陀仏の本願の本質を善悪平等の救いというところに見すえ、それを大乗広智といわれるような仏智とよんだのである。このように念仏往生の本願を大乗広智であるような仏智の顕現として強調したことは、第一には念仏往生の法門が法華一乗を超えるような真実の一乗法であることを明らかにして、廃立義を極成しようとしたものであろう。『玄義分抄』宗旨門によれば、

然則法華云、說佛智慧故 諸佛出於世、唯此一事實、餘二則非眞、終不以小乘濟度衆生、佛自住大乘、如其所得法、定慧力莊嚴、以此度衆生、自證無上道大乘平等法、若以小乘化乃至於一人 我則墮慳貪 此事爲不可 云々 已二佛智ノ大乘ヲ除テ已外皆ナ小乘トス。[53]

といい、『法華経』は、無上道大乗平等法を証った仏智を体とし、その仏智を開顕する一乗教であるとしている。従って浄土教が一乗教であるという為には、大乗広智といわれるような仏智を体とした教法であるといわねばならなかったのであろう。さらに善悪平等の救いを説く本願の体を仏智とし、諸仏無上の智慧とみなすことによって、本願の法門の絶対性が明らかになり、大乗広智の顕現態としてその法門の普遍性が証明せられ、法華一乗を超えた真の一乗法としての地位を確立することができたのである。

 第二に本願を仏智ということによって、本願を信ずる信心が智慧としての徳をもつことが明らかになってくる[54]。一般の仏道体系では信解行証といわれるように、教えを信ずる信心は仏道の初門であって、生死即涅槃と悟る智慧に至る階梯とみなされていた。しかし幸西は、本願を信ずる信心は、仏智と冥会し、信智唯一なるものとして、仏智と同質の無漏智としての性格を認め、それ故によく報土の因となり、涅槃の因となることを確認したのである。それは法然が『選択集』三心章で信疑決判を行い「涅槃之城 以信為能入」[55]といわれたものを論証する意味をもっていたといえよう。


 このように幸西は、浄土教の本体である阿弥陀仏の本願を、仏智といいあらわしたが、さらにその仏智を一念とか一念心という。『略料簡』の一乗海釈に「一乘者即弘願、弘願即佛智、佛智即一念也(*)(一乘は即ち弘願なり、弘願は即ち佛智なり、佛智は即ち一念心なり)」[56] といわれたものがそれである。それは一には仏智は、「無量劫即是一念、一念即是無量劫」[57]という念劫融即の理を如実に証得しているから、正覚の一念に、よく三世を摂め、已、今、当の三世の衆生の往生をよく住持していくような性格をもっていることを顕わそうとしたものではなかろうか。後に『安心決定紗』などにおいて、「正覚の一念」ということが強調されるのと同じ意味をもっていたと考えられる。
二つには、天台でいう一念三千の法理は、凡夫の介爾(けに)の妄心の上で語るならば、幸西のいう聖頓一乗の法義となって有教無人の方便教になる。しかしすでに法然がいわれたように、如来の智徳として語るのならば、一念三千も、一心三観も、如実に現成した法理であるといえる[58]。幸西は、法然の本覚法門批判の上に立って、仏智とは三千円具の一念であるということをあらわす為に仏智即一念といわれたのではなかろうか。
第三に本願の仏智は、常に衆生の信の一念、あるいは行の一念と相即していることを顕わす為に仏智を一念とおさえたと考えることもできよう。いいかえれば一つの一念心を衆生の上でいえば仏智と冥合した信心であり、仏智であるような南無阿弥陀仏を称えている一声の念仏であり、また一念心を仏のがわでいえば仏智であるというようなものであったと考えられる。いわば一念心のは仏智であり、そのは衆生の三心即ち信心であり、そのは衆生の称名であるというような性格をもっていたのが幸西の「一念」であったと考えられる。

『源流章』に『一滞記』に言くとして次のような文章が引用されている。

如來能度是心。心者智智能度物。眞實唯一念心也。衆生所度是亦心。心者智。智所度。正門無外。是即心一乘。不他是即心。捨邪心也。歸正心也。捨小心也。採大心也。捨漸心也。採頓心也。捨聖心也。採凡心也。二河亦心也。白道亦心也。是亦唯一念心也。是名眞實心。是名深心是名願心。故云。具此三心必得生也。(*)
(如来の能く度するはこれ心なり、心とは智なり智よく物を度す。眞實はただ一念心なり。衆生の度せらる所もこれまた心なり。心とは智なり。智をもつて度する所なり。正門は外無し、これ即ち心一乘なり。他ならずこれ即ち心なり。邪を捨てるも心なり。正に歸するも心なり。小を捨てるも心なり。大を採るも心なり。漸を捨てるも心なり。頓を採るも心なり。聖を捨てるも心なり。凡を採るも心なり。二河もまた心なり。白道また心なり。これまた唯だ一念の心なり。これを眞實心と名く。これを深心と名け、これを願心と名く。故に云く。この三心を具すれば必ず生ずることを得るなり。)[59]

 これによれば、如来の能度も、衆生の所度も唯一の智心であって、その智心を如来の側では仏智といい、衆生の側では信心というのである。仏道における真正の門といわれるものはこの智心より外になく、一乗の体もまた智心である。邪を捨てて正に帰し、小乗を捨てて大乗をとり、漸教を捨てて頓教をとり、聖頓一乗を捨てて凡頓一乗をとるという廃立はすべて智心のはたらきである。またわが身の貪瞋二河に気づくのも、貪瞋煩悩中に願力の白道が開け、それが清浄願往生心の白道といわれているのも、すべて唯一念の智心のはたらきである。この如来からいえば仏智であり、衆生の上でいえば清浄願往生心であるような一念心を『観経』では真実心(至誠心)、深心、願心(回向発願心)といわれたのである。その体仏智であるような三心であるから経には「此の三心を具すれば、必ず生を得」(*)と説かれたというのである。このようにみてくると幸西の信智冥会ということは、仏智が衆生の上に顕現して、衆生を導いて外道から仏道へ、小乗から大乗へ、漸教から頓教へ、聖頓一乗から凡頓一乗へと転入せしめていくことを意味していたといえよう。それが信智唯一、能所無二ということの意味であったと考えられる。

 さて『源流章』によれば、凝然は、このような幸西の三心説を解説して「義に約すれば三心あれども、体を剋すれば唯一念なり。願を信じ、願に託し、智に契うの心、仏智と冥じて体無二なるが故に」(*)[60] といっている。三心というのは、本願を信じ、願力にまかせ、仏智に契った唯一の信心を義によって三と分けたもので、一信心の三義というべきものであり、その体は、唯一の仏智一念心であるというのである。信心を義によって分けたというのは、信心はその体無漏の仏智であるから無漏真実の心(至誠心)であり、それは本願の仏智を決了して疑いなき深信の心であるから深心であり、それは心を回して浄土を願生する願往生心だから回向発願心であるというのであろう。
『玄義分抄』に帰三宝偏の「共発金剛志」等の文意を釈して、

又金剛ト云ハ無漏ヲ體トス、即無漏ノ志ヲ發シテ横二四流ヲ超断スヘシト也。(中略)今横超断ト云ハ、聞佛説淨土無生、眞心徹到シテ厭苦娑婆、欣樂無為、永ク絶生死之元、即是頓教、(中略)菩提心ハ願往生ノ心二歸ス、往生ノ心ハ決了ノ心二歸スヘシ。タトヒ往生ヲ願スト云トモ、教ヲ決了セスハ眞實心ニアラス、深信心ニアラス。[61]

といわれている。金剛志とは、菩提心のことであるが、その体は無漏の智心である。それゆえによく四流を横超断して無為を証得する徳をもつのである。いま浄土教において菩提心とは、真心徹到して、苦の娑婆を厭い、無為無漏の浄土を願う願生心のことであるというのである。すでに法然が『三部経大意』に「浄土宗のこころは、浄土にむまれむと願ずるを菩提心といへり」(*)[62] といわれていたが、幸西は、それをうけて、それ横超断の徳用をもつ無漏の智心であるといわれるのである。そして願生心は、「教を決了する心」でなければならぬという。「散善義」の深心釈下によれば、仏以外の凡聖は「諸仏の教意を測量すれども、未だ決了すること能わず」(*)[63]といい、ただ仏語を深信するところにのみ決定了解が成立するとされている。幸西はその意をうけて、教を決了する智慧は仏智をおいてほかに存在しないとみたのである。凡夫は、どのようにつとめてみても仏意をはかり知ることはできず、本願を信ずることもできないのであって、ただ仏智のはたらきによってのみ仏意を決定了解し、疑いなく本願を信ずることができるというのであろう。仏智によって本願の仏智を決了した心を深信心といい、それゆえ真実心ともいえるというのである。

このようにして仏智のはたらきによって本願を信じ、本願力に乗託している状態を、幸西は仏智と冥会し、能所無二、信智唯一なる信心といいあらわしたのである。このような信心が、南無阿弥陀仏という所念の法体すなわち仏智に契って称えている如実の称名の心相だったのである。『玄義分抄』別時門に六字釈の義意を釈して、

願行本ヨリ具足セリ、具不具ヲ勞クスヘカラスト也。(中略)故二今願ノ眞實ノ相ヲ結シテ行者ノ安心ヲ定ム。
當知南無阿彌陀佛ト念スル外二歸命モ入ルヘカラス、發願モ入ルヘカラス、廻向モ入ルヘカラス、唯佛智ヲ了スル一心二皆具足スト也。[64]

といわれている。南無阿弥陀仏は、如来の願行成就の果体であって、しかもそのままが衆生の往生成仏の因である。幸西はそのことを「南無阿彌陀佛トイハ決定成佛之因也」といっていた。従って善導が六字釈において衆生往生の因を願行具足として釈顕された願行は、名号に本来具足している徳義を示すもので、衆生の方から附加していくものではない。そのことを「南無阿彌陀佛ト念スル外二歸命モ入ルヘカラス、發願モ入ルヘカラス、廻向モ入ルヘカラス、唯佛智ヲ了スル一心二皆具足スト也」といわれたわけである。ここで「南無阿彌陀佛ト念スル」ということは、心念とも称念ともとれるが、端的には南無阿弥陀仏と称えることであろう。そして「唯佛智ヲ了スル一心二皆具足ス」という「仏智」とは所念の法体である南無阿弥陀仏のことであり、南無阿弥陀仏が、善悪平等に救いたまう大乗広智[65]の実現であると了知する無疑の一心に、帰命も発願回向も行もすべて行者の身に具足して衆生往生の因を成じていくという意味であろう。こうして名号も願行具足の生因であり、一声の称名も願行具足の生因であり、名号を領受した信心も願行具足せる生因であるとみられていたことがわかる。そのなかで名号は、如来成就の法体のがわで因体を語るわけで、ここを幸西は仏智一念というのである。その名号仏智を了知して称えている弘願の称名は、一声に如来所成の願行が具足した無漏の行であり、大利無上の功徳であるから、多念をまたずに生因が満足するような真実の行法である。そこで幸西は別時門釈を結んで「上来二ノ別時(聖道の別時と衆行の別時)ヲ會通スル所詮ハ、諸門諸行ハ皆方便ニシテ、唯一念往生ノミ眞實ナルコトヲ知シム。此ノ門(別時門)ハ正シク因ヲ定ム」[66] というのである。このように「唯一念往生ノミ眞實ナルコトヲ知ラシム」というところに一念義と評される所以がある。それは廃立の根源をあらわすものであって、称名相続という起行門を否定するものではなかった。

 また念仏往生をして如実ならしめるのはすでにのべたように本願の仏智を如実に了知する信心であったが、この信心の有無が念仏の真仮を決定していく意味をもっていたから、幸西はさきにのべたようにこの別時門で四種の捨行を示したうえでさらに『大経』によって「口稱ヲ捨テテ心念ヲ行セシムル」といい、称名よりも心念・信心に重点をおくわけである。もちろんその信は称名を離れたものではないが、仏智を了する信心において、如来所成の願行が衆生のものとなるわけであるから、信心が、往生の生因としての徳をもっていると考えていたのである。また『略料簡』に「仏心と相応する時に業成す、時節の早晩を間うことなし」(*)[67] というように、信心の定まる時に往生の業事成弁し、往生が定まると断言している。ここで往生の決定する「時」を問題とし、それを、「仏心と相応する時に業成す」と往因決定の時を信心の発った平生の「時」としていることは、明らかに信一念のときの平生業成説となっていくものであって、臨終業成説を説く多念義とは真向から対立している。『玄義分抄』別時門に、

唯乃至一念ノミ眞實ノ生因ナル事ヲ又隠二知ラシム。然レハ則現身不退ノ益、捨身他世ノ往生、唯此ノ一念ノ大乗二乗シテ無二無三也。當知乗願ハ不退、往生ハ安樂、證彼無爲之法樂ハ初地、(中略)入正定聚トイハ一念ヲ指ス也。[68]

といい、「一念ノ大乗」といわれる仏智願力に乗じた「一念」に現身に於て不退の益を得、捨身他世に往生して初地に住せしめられるといわれている。ここに「乗願ハ不退」というのは、願力に乗託する時に不退に住するという意味と、願力に乗ずるが故に不退を得るという意味と両義に通ずる。もし後義ならば不退は願力の益という法の徳をあらわすが、もし前義ならば願力に乗ずる時は乃至一念の称名を往生の因と信受したときであるから、信における不退を語ったことになる。すなわち「唯乃至一念ノミ眞實ノ生因ナル事ヲ又隠二知ラシム」というのは、以下に「彌陀経ノ中二乃至一念ヲ行トスル義」とか「大経ノ下巻ノ初二合ス、即乃至一念ヲ行トスルナリ」というのと対望すると称名の一念にちがいないが、そこには信心の義も含まれていたと考えることともできよう。
従って「入正定聚トイハ一念ヲ指ス也」というのも、現生不退を入正定聚とし、それは行法からいえば行一念の益であり、その時をいえば一念の行を正定業と信ずるときに得る利益とみられていたと考えることができよう。ところでこの現身不退の益について『玄義分抄』別時門によれば『小経』の諸仏護念によって得る護念不退と『大経』の不退、定聚とがあげられている[69]。 『小経』のそれが現生不退であることはわかるが、『大経』の場合は、第十八願成就文も、東方偈もいずれも彼土の不退であり、第十一願文も同成就文も彼土の正定聚であった。それを不退、定聚といずれも現生のおける念仏三昧の益とするところは、親鸞と極めて親近性をもっていたこととがわかるのである。

 このようにして幸西は、念仏の心は仏智と冥会した智慧であるから、念仏者は報化二土の深義を了知する真の智者であり、真の仏弟子であるという。即ち『玄義分抄』二乗門で「諸有智者応知」の文意を釈して、

佛智ヲ了セルモノ上ノ義ヲ知ルベシト也。(中略)諸佛ノ境界ニアラスハ報化二土ノ義ヲウカカフヘカラスト云トモ、諸佛無上の智慧ヲ了スルカ故ニ諸佛ノ境界二攝シテ報土ノ深義ヲ知ルヘシト也。三乗淺智トイハ五乗ノ中ノ假立ノ三乗也、故二今智者トイハ遺法ノ中ノ眞ノ佛弟子也。[70]

といい、仏智を了せる信心の行者は、諸仏の境界である報化二土の義意を知り、報土の深義を了知せしめられている真実の智者であり、いかに愚かなものであっても真仏弟子といわれる徳をもっているというのである。

 このようにして幸西は、念仏往生の法義の源底を探り、阿弥陀仏の本願の救いを仏智一念心とよび、その仏智が衆生の上に現成して厳しい法の廃立をなさしめていくとみていたようである。それが四種の捨行であり、その廃立の極限において、一念の称名が報土の生因として絶対の行法であるといい、称名正定業説を極成する。またその称名は、善悪平等に救おうとされる本願の仏智を明了に了知する信心を具していなければならない。その信は仏智と冥会して信智唯一であるような無漏の智心であるが、このような信心の起る時に往生が定まり、不退転、正定聚に住するというのである。

 それゆえ幸西の説は、たしかに行一念と信心の融合した形での一念義ではあったが、しかし多念相続を否定するものではなかったことを注意しておかねばならない。もともと一念義は廃立門に立って因体を的示し、信心を確立していくという安心門の解明を主要課題としているものであった。従って相続起行という行儀の問題にふれることが比較的少かっただけで、彼等も起行門を論ずれば当然念仏の多念相続は認めたわけで、所々に相続についても言及しているわけである。従って多念相続を否定するような一念義は、幸西の真意を誤っていたというぺきであろう。

 尚、『漢語灯』十所収の「基親取信信本願之様」の終わりに、初の一念(一声)にょって業成し、第二念以後の称名は報恩であると主張した一念義のものは成覚房であったと編者の細註が出ている。しかし『西方指南抄』所収本にはこの細註がないから、必ずしも幸西の説とはいい切れない。しかし一念義系の教学のなかには、称名の初一声は正定業、第二声以後は報恩とみるものがあったことはたしかである。[71]


  1. 幸西の著書として次のようなものがあったと伝えられている。①玄義分抄一巻、②京師和尚類聚伝一巻、③略料簡、④一渧記、⑤称仏記、⑥凡頓一乗、⑦略観経義、⑧措心偈、⑨持玄鈔、⑩一念抄。この中①と②以外は現存しない。その中③④⑤は、『源流章』に引用されており、⑥⑦⑧⑨は、『最須敬重絵詞』五(真全三・八四六頁)に覚如が勝縁より伝授されたと記されている。⑩は住田智見『浄土源流章解説』(二一五頁)にあげられている。
  2. 『行状絵図』巻二九(法然伝全・一八八頁) 。◇『行状絵図』巻二九に「比叡山西塔の南谷に、鐘下房の少輔とて、聰敏の住侶ありけり。弟子の児にをくれて、眼前の無常に驚き、交衆ものうくおぼえければ、三十六の年遁生して、上人の弟子となり、成覚房幸西と号しけるが、浄土の法門を本ならへる天台宗に引入て、迹文の彌陀、本門の彌陀といふことをたてゝ、十劫正覚といへるは迹門の彌陀と本門の彌陀は、無始本覚の如来なるがゆへに、我等所具の佛性と、またく差異なし。この謂をきく一念にことたりぬ。多念の数遍、はなはだ無益なりと云て、一念義と云事を自立しけるを、上人、此義善導和尚の御心にそむけり。はなはだしかるべからざるよし、制し仰られけるを、承引せずして、なを此義を興しければ、わが弟子にあらずとて、擯出せられにけり。」とあるが、法然門下弾圧の承元の法難にさいして流罪になっていることから風聞であろう。なお『歎異抄』の流罪記録には「幸西成覚房・善恵房二人、同遠流に定まる。しかるに無動寺の善題大僧正、これを申しあづかると[云々]」とある。
  3. 『玄義分抄』奥書(日大蔵九〇・三九八頁)
  4. 『玄義分抄』二乗門釈(日大蔵九〇・三九三頁)
    ◇機に浅深あるが故に教に隠顕あり、顕といは浅なり、隠といは深也。浅機は常に多く、深機は希に難し。故に諸教の機は多く、当教の機は少く、諸行の機は多く、念仏の機は希也。又多念の機は多く、一念の機は難く、化土の機は多く、報土の機は難く、別願の機は多く、一乗の機は難中之難無過此難也。
  5. 『玄義分抄』別時門釈(日大蔵九〇・三九二頁)
  6. 『玄義分抄』別時門釈(日大蔵九〇・三九〇頁)
  7. 『源流章』(浄全一五・五九一頁)。◇「幸西大徳一念義を立つ、一念と言ふは、仏智の一念なり、正く仏心を指して念心と為す、凡夫の信心 仏智と冥会す、仏智の一念は是れ弥陀の本願なり、行者の信念と仏心と相応して、心 仏智願力の一念に契ひ、能所無二、信智唯一なり、念念相続して 決定往生す。」
  8. 『源流章』(浄全一五・五九三頁)。◇「念仏往生 具周成立することは、必ず信心と彼の仏智一念之心と相応契会するに由る。此事成立すれば、任運に往生す、時節の久近早晩、念修の多少、事業の浅深には由らず。『略料簡』に云く、仏心と相応する時に業成す。時節の早晩を問ふこと無し 已上、彼の所立の義を一念義と名くるは、専ら是の如き所成の旨帰に由る。『略料簡』亦云く、命終らんと欲する時 仏来現す。心に従ては生ぜず、彼の願に依れ 已上 行者、彼に生ずることは、唯願力に由る、凡夫の自身自力に由るには非ず、罪障の凡夫、煩悩垢重にして、如来の報土懸かに分を絶つが故なり。唯仏願を仰ぎ、直に成就するが故に。是の如き等の義、幸西の所立なり。」
  9. 『玄義分抄』別時門釈(日大蔵九〇・三九一頁)
  10. 『玄義分抄』二乗門釈(日大蔵九〇・三九三頁)
  11. 『選択集』利益章(真聖全一・九五三頁)
  12. 『玄義分抄』別時門釈(日大蔵九〇・三九二頁)
  13. ◇「もし深法を聞きて歓喜信楽し、疑惑を生ぜずして、乃至一念せん。」
  14. 『大経』下(真聖全一・二四頁・二五頁)
  15. ◇仏智一念の一念とは、『華厳経』でいう、無量劫は一念であり、一念は無量劫であるという「念劫融即」である一念をいうのであろう。『華厳経』離世間品三十三の八に「深入無量劫 究竟到彼岸 無量劫一念 一念無量劫 一切劫非劫 示現衆生劫(深く無量劫に入り、究竟じて彼岸にいたり、無量劫は一念、一念は無量劫なり、一切劫は劫に非ずして、衆生に劫を示現す)と、ある。現代風でいえば過去も未来もこの一点に凝縮している「永遠の今」の一念ということであろう。
  16. 『浄土真要鈔』本(真聖全三・一二八頁)。
  17. 『玄義分抄』二乗門釈(日大蔵九〇・三九三頁)
  18. 『口伝鈔』下 開出三身章(真聖全三・二三頁)
  19. ◇「廃立為正」二者の難易、勝劣などを判別して、一方を廃し、一方を立てて正と為すこと。
  20. 『往生礼讃』前序(真聖全一・六四八頁)。「註釈版」p.654。
  21. 「散善義」深心釈(真聖全一・五三四頁)。「註釈版」p.459。
  22. ◇「念観両宗」 『観経疏』「玄義分」の「今此観経、即以観仏三昧為宗、亦以念仏三昧為宗(いまこの『観経』はすなはち観仏三昧をもつて宗となしまた念仏三昧をもつて宗となす)」の文をシナや日本の諸師は、観仏三昧を念仏三昧ともいう、と同意反復された文とみていた。ところが法然聖人は、善導大師の『観経』流通分の意から推察して、この文は『観経』一経に《観仏三昧の法義》と《念仏三昧の法義》が顕わされていると御覧になった。このような発想は「散善義」で、『観経』の流通分の 「汝好持是語持是語者 即是持無量寿仏名(なんぢ、よくこの語を持て。この語を持てといふは、すなはちこれ無量寿仏の名を持てとなり)」の文を、「上来定散両門の益を説くと雖も、仏の本願に望むるに、意、衆生をして一向に専ら弥陀仏の名を称せしむるに在り。」とあることに示唆されたのであろう。
  23. 『玄義分抄』宗旨門釈(日大蔵九〇・三七九頁)
  24. 『玄義分抄』別時門釈(日大蔵九〇・三九一頁)
  25. 『西方指南抄』下本(真聖全四・二一六頁)
  26. 『玄義分抄』宗旨門釈(日大蔵九〇・二七九頁)
  27. 『玄義分抄』釈名門釈(日大蔵九〇・三七七頁)
  28. 『玄義分抄』宗旨門釈(日大蔵九〇・三七九頁)
  29. 『称仏記』(『源流章』浄全一五・五九二頁。) ◇『称仏記』に云く、弥陀に二種あり、一に化身、像観の弥陀これ也。{中略}今此の観経の所説の称名は、彼の仮立の弥陀の名号也。若し此の行に依つて行ずる者は、仮立の生を得べし、仮立とは胎生也。是れ即ち諸仏に通ず、{中略}下品等の念仏これに同じ、此の弥陀と諸仏と相望して、互に親疎得失を論ずべし、是を名づけて機と為す、且く彼の仏願に順ずる利益有りといへども、若し増上大利に比すれば全く比挍に非ざる也。二に報身、是れ別意弘願の弥陀也。「玄義」に云く、又『無量寿経』に云く、法蔵比丘在世繞王仏の所{乃至}今既に成仏す即ち是酬因の身也。彼の願に詫して増上縁と為す、大経に説くが如し、彼の弥陀を念ぜば、即十方一切の諸仏を念ずる也。全く彼此の不同差別無し、故に念仏三昧と名く、具には真身観の文の如し 已上。
  30. ◇「自心変の身土」 法相宗でいう、法性土、受用土、変化土の変化土で、行者の行業の強弱に応じて自身が描き出す、身(仏)土(世界)のこと。
  31. 『玄義分抄』二乗門釈(日大蔵九〇・三九三頁)
  32. 「玄義分」序題門(真聖全一・四四三頁)
  33. 「玄義分」二乗門(真聖全一・四五七頁)
  34. ◇「機位の念仏」。法然聖人は本願に選択された念仏は不回向であるとされた。この不回向である念仏を行者(機)のはからいによって行ずるから機の位に堕す念仏となってしまうのである。御開山でいえば第二十願の自力念仏である。
  35. 『玄義分抄』宗旨門釈(日大蔵九〇・三八〇頁)
  36. 『選択集』付属章(真聖全一・九八〇頁)。
  37. 『選択集』付属章(真聖全一・九八一頁)。◇いま定散は廃せんがために説き、念仏三昧は立せんがために説く。
  38. 『玄義分抄』定散門釈(日大蔵九十・三八四頁)。
  39. 『玄義分抄』宗旨門釈(日大蔵九十・三八一頁)。◇念仏三昧といは因中説果の義也。経云、無量寿仏に八万四千の相まします{乃至}念仏の衆生を摂取して捨てたまはず。その光明と相好と、および化仏とは、つぶさに説くべからず。ただまさに憶想して、心眼をして見たてまつらしむべし。この事を見るものは、すなはち十方の一切の諸仏を見たてまつる。諸仏を見たてまつるをもつてのゆゑに念仏三昧と名づく。云云、不可具説といは観門を閉と云とも、令心眼見といは証果の益を知しめむか為也。然るに念仏の衆生は必す摂取せらる、摂取の故に往生す、往生するか故に弥陀を見るへし、弥陀を見るか故に諸仏を見るへし、諸仏を見るか故に念仏三昧と名くへし、此の果の名をかて因の名とす。……是れ如来法性の真身を見たてまって始めて法性を証する位也。……修因感果の道理に任せは、理観色相等の難行を以て証すへしと云へとも、諸仏の無縁の慈、念仏の者を摂して無為の法楽を証せしむ。若因果相当の義を以て其の名を立せは、此の念仏をは真如観とも名け真身観とも名くへし。
  40. 『玄義分抄』宗旨門(日大蔵九十・三八二頁)。
  41. 『玄義分抄』序題門(日大蔵九十・三七六頁)。
  42. 『西方指南抄』中本(真聖全四・一三二頁)、「浄土随問記」(『拾遺語灯録』上・真聖全四・七〇二頁) 。◇『西方指南抄』十七条御法語で「『玄義』に云く、釈迦の要門は定散二善なり。定者(は)息慮凝心なり、散者(は)廃悪修善なりと。弘願者如大経説、一切善悪凡夫得生といへり。予(よが)ごときは、さきの要門にたえず、よてひとへに弘願を憑也と云り」とあり、要門と弘願を対置しておられる。
  43. 『玄義分抄』釈名門釈(日大蔵九十・三七七頁) 。
  44. 『玄義分抄』宗旨門(日大蔵九十・三八二頁) 。
  45. 「玄義分」序題門(真聖全一・四四三頁) 。◇弘願といふは『大経』に説きたまふがごとし。一切善悪の凡夫生ずることを得るものは、みな阿弥陀仏の大願業力に乗じて増上縁となさざるはなし。
  46. 『大経』下(真聖全一・四四頁) 。
  47. 『大経』下(真聖全一・四三頁) 。◇「もし衆生ありて、疑惑の心をもつてもろもろの功徳を修してかの国に生れんと願はん。仏智・不思議智・不可称智・大乗広智・無等無倫最上勝智を了らずして、この諸智において疑惑して信ぜず。しかるになほ罪福を信じ善本を修習して、その国に生れんと願ふ。このもろもろの衆生、かの宮殿に生れて……これを胎生といふ。もし衆生ありて、あきらかに仏智乃至勝智を信じ、もろもろの功徳をなして信心回向すれば、このもろもろの衆生、七宝の華中において自然に化生す」。
  48. 『往生礼讃』前序(真聖全一・六五八頁)◇「弥陀の智願海は、深広にして涯底なし」。
  49. 『略料簡』(『源流章』浄全一五・五九一頁)。◇「一乗とは即ち弘願なり、弘願は即ち仏智なり、仏智は即ち一念也。海とは衆流の海に入るが如し、一切善悪凡夫、皆彼の智願海に帰して生を得る也」。
  50. 『一渧記』(『源流章』浄全一五・五九一頁)。◇「如来の能く度するは是れ心なり、心とは智なり、能く物を度す、真実は唯一念心也」。
  51. 『玄義分抄』宗旨門釈(日大蔵九十・三八一頁)に「念仏三昧ハ如来無縁の慈、智慧ノ門を顕開ス」といわれている 。これによって幸西のいう仏智は念仏三昧となって現成していく大悲の智慧であったことがわかる。
  52. 『玄義分抄』二乗門釈(日大蔵九十・三九三頁)。
  53. 『玄義分抄』宗旨門釈(日大蔵九十・三八三頁)。◇然れば則ち法華に云く、「仏の智慧を説かんが故に、諸仏世に出でたまふ。唯だ此の一事のみ実なり、余の二は則ち真に非ず、終に小乗を以つて衆生を済度したまはず。仏は自ら大乗に住したまへり、其の所得の法の如きは、定慧の力 荘厳せり、此れを以つて衆生を度したまふ、自ら無上道、大乗平等の法を証して、若し小乗を以つて化すること、乃至一人に於いてもせば、我則ち慳貪に堕せん、此の事は為(さだ)めて不可なり。」云々 已に仏智の大乗を除て已外皆な小乗とす。『法華経』方便品第二の、一乗法を説くところにある文。なお御開山の一乗釈は『勝鬘経』を依用し『法華経』は使わない。また始経である『華厳経』と終経である『涅槃経』を自在に引文されておられ浄土真宗(教法名)こそ大乗の至極であるとされている。
  54. ◇御開山に於いても、「智慧の念仏うることは 法蔵願力のなせるなり 信心の智慧なかりせば いかでか涅槃をさとらまし」(正像末和讃(35))と讃詠されるように、回向された念仏と信心は智慧の徳とみられていた。
  55. 『選択集』利益章(真聖全一・九六七頁) 。◇「涅槃の城には信を以つて能入となす」。 この涅槃の因としての信を本願力回向の信心として行から別開されたのが『教行証文類」の「信文類」である。
  56. 『略料簡』(『源流章』浄全一五・五九一頁)。
  57. 『華厳経』初発心菩薩功徳品(大正蔵九・五九一頁)。
  58. 『逆修説法』(古本『漢語灯』真聖全四・九七頁)、『三部経大意』(真聖全四・七九二頁)、尚法然と本覚法門については拙著『法然教学の研究』(四三五頁)参照。
  59. 『一渧記』(『源流章』浄全一五・五九一頁)。
  60. 『源流章』浄全一五・五九二頁。
  61. 『玄義分抄』説偈分釈(日大蔵九〇・三七三頁)。◇又金剛と云は無漏を体とす、即ち無漏の志を発して横二四流を超断すへしと也。(中略)今横超断と云は、浄土無生を説く仏を聞きて、真心徹到して苦の娑婆を厭ひ、無為の楽を欣ひて、永く生死之元を絶つ、即と是れ頓教なり、(中略)菩提心は願往生の心に帰す、往生の心は決了の心に帰すべし。たとひ往生を願すと云ども、教を決了せずば真実心にあらず、深信心にあらず。
  62. 『三部経大意』(真聖全四・七九七頁)。
  63. 『散善義』(真聖全一・五三四頁)。
  64. 『玄義分抄』別時門釈(日大蔵九〇・三九一頁)。◇願行本(もと)より具足せり、具不具を労(いやわし)くすべからずと也。(中略)故に今願の真実の相を結して行者の安心を定む。 知るべし南無阿弥陀仏と念する外に帰命も入るべからず、発願も入るべからず、廻向も入るべからず、唯(ただ)仏智を了する一心に皆具足すと也。
  65. ◇大乗広智とは『大経』の仏智疑惑を戒める一段の「もし衆生ありて、疑惑の心をもつて、もろもろの功徳を修して、かの国に生ぜんと願ぜん。仏智・不思議智・不可称智・大乗広智・無等無倫最上勝智を了らずして、この諸智において疑惑して信ぜず。しかもなほ罪福を信じて、善本を修習して、その国に生ぜんと願ぜん。このもろもろの衆生、かの宮殿に生じて、寿五百歳、つねに仏を見たてまつらず、経法を聞かず、菩薩・声聞聖衆を見ず。このゆゑにかの国土にはこれを胎生といふ。」(「化巻」p.378引文)の仏の諸智中の大乗広智である。幸西大徳はこの大乗広智を本願の体だとする。 この諸智を異訳の『如来会』では、「仏智・普遍智・不思議智・無等智・威徳智・広大智を希求せん。みづからの善根において信を生ずることあたはず。 {中略}なんぢ殊勝智のものを観ずるに、かれは広慧の力によるがゆゑに、かの蓮華のなかに化生することを受けて結跏趺座せん。なんぢ下劣の輩を観ずるに、{乃至} もろもろの功徳を修習することあたはず。ゆゑに因なくして無量寿仏に奉事せん。」(「化巻」p.379引文)とあり、みづからの善根において信を生ずることあたはずであり、仏智を総摂した広慧力によって浄土に化生するのであるとする。御開山は、「信文類」p.211で、真実の信楽の得難いことを示し、その理由を「いまし如来の加威力によるがゆゑなり、博く大悲広慧の力によるがゆゑなり。」とされておられる。この、大悲広慧力とは『如来会』の広慧力の語に拠られたであろう。ともあれ御開山も幸西大徳と同じように信心の発起を仏智において語られるところに共通点があったのである。
  66. 『玄義分抄』説偈分釈(日大蔵九〇・三九二頁)。◇上来二の別時(聖道の別時と衆行の別時)を会通する所詮は、諸門諸行は皆方便にして、唯(ただ)一念往生のみ真実なることを知らしむ。この門(別時門)は正しく因を定む。
  67. 『略料簡』(『源流章』浄全一五・五九三頁)。
  68. 『玄義分抄』別時門釈(日大蔵九〇・三九〇頁)。◇唯(ただ)乃至一念のみ真実の生因なる事を又隠二知らしむ。しかればすなわち現身不退の益、捨身他世の往生、ただ此の一念の大乗に乗じて無二無三也。しるべし乗願は不退、往生は安楽、彼の無為の法楽を証すは初地、(中略)入正定聚といは一念を指す也。
  69. 『玄義分抄』別時門釈(日大蔵九〇・三八八頁)。
  70. 『玄義分抄』二乗門釈(日大蔵九〇・三九五頁)。◇仏智を了せるもの上の義を知るべしと也。(中略)諸仏の境界にあらずば報化二土の義をうかがふべからすと云ども、諸仏無上の智慧を了するが故に諸仏の境界に摂して報土の深義を知るべしと也。三乗浅智といは五乗の中の仮立の三乗也、故に今智者といは遺法の中の真の仏弟子也。
  71. 「基親取信本願之様」(古本『漢語灯』十〇・古典叢書本五二頁)。なおこの問題については拙著『法然教学の研究』四七八頁参照。