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「延暦寺奏状」の版間の差分

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(一向専修の輩、経に背き師に逆う事)
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===一向専修の輩、経に背き師に逆う事===
 
===一向専修の輩、経に背き師に逆う事===
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一向専修の輩背経逆師事。
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:一向専修の輩、経に背き師に逆う事。
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右彼輩云 若持戒律 若敬他仏。或修観念 談経論称名之外 皆是雑行也。
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:右、彼の輩の云ふ、もし戒律を持ち、もし他仏を敬い、或いは観念を修し、或いは経論を談ずるは、称名の外は皆これ雑行なり。
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雖致精誠 無生浄土 不論不浄 不論乱心。但念弥陀即得往生。
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:精誠を致すといえども浄土に生ぜず、不浄を論ぜず乱心を論ぜず、ただ弥陀を念ずるに即ち往生を得ん。
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十悪五逆 尚非極楽之妨 無慚無愧。豈簡安楽之業耶。若怖悪業者 疑仏願之人也云々。
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:十悪五逆、なお極楽の妨げに非ず、無慚無愧なり。あに安楽の業に簡ばんや。もし悪業を怖る者は、仏願を疑うの人なりと。云々
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偽妄之旨言 言語道断。
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:偽妄の旨、言語道断なり。
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披観無量寿経 検九品業 上品三輩中品三生者 読誦大乗 堅持浄戒 是其業因也。
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:『観無量寿経』を披きて、九品の業を検するに、上品三輩・中品三生には、大乗を読誦し浄戒を堅持す、これその業因なり。
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乃至以聞十二部経之首題 而為下品上生之業因 但至下品下生 独勧十声称名 彼等強執下品之業 還謗上品之因乎。
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:乃至、以つて十二部経の首題を聞く、しこうして下品上生の業因となす、ただ下品下生に至りて、独り十声の称名を勧む、彼等強く下品之業に執して、還りて上品の因を謗るや。
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加之偏誦経典 得舎蓮迎 専守戒律 遇白毫光之輩伝録 盈緗帙 行状溢於漂嚢。
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:しかのみならず、偏に経典を誦せば舎蓮迎を得、白毫光に遇うの輩の伝録、緗帙に盈ち行状漂嚢に溢る。
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彼道綽善導者 専修之祖宗也。
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:彼の道綽・善導は、専修の祖宗なり。
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而深怖衆悪 兼修事善 若是疑仏願之人歟。将又堕悪趣之輩歟。
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:しかれば深く衆悪を怖れ兼ねて善を修事す、もしこれ仏願を疑うの人か。まさにまた悪趣に堕すの輩なるかや。
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世有一紙書 号善導遺言。
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:世に一紙の書あり、善導の遺言と号す。
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彼文云 吾持諸禁戒 不犯一々戒 未来世比丘 不捨戒念仏 雖念仏 捨戒往生即難得 乃至無至 懺悔心 万之不生云々。
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:彼の文に云く、吾、諸々の禁戒を持ち、一々の戒を犯せじ、未来世の比丘、戒と念仏を捨てざれ、念仏すといえども戒を捨てれば往生は即ち得ること難し、乃至、懺悔心至るを無きは、万これ不生と。云々
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彼党類造悪 而無改悔之心 破戒而無堅持之 望背経 違師 依憑在誰凡 入彼宗之人者 先棄 置万善 交其宗之類者 即不怖大罪 対仏像経巻 不生敬重之思 入寺塔僧坊 無憚 汚穢之行 争立懈怠放逸之行 得生 清浄善根之界。
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:彼の党類の造悪は、改悔の心なく戒を破し、経に背き師に違すことを望み、依憑在るは誰ぞ、およそ、彼の宗に入る人は、まず万善を棄て、その宗に交る類は即ち大罪を置きて怖れず、仏像経巻に対して敬重の思いを生ぜず、寺塔僧坊に入りて汚穢の行も憚り無し。いかでか懈怠放逸の行を立て、清浄善根の界に生を得べし。
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北轅将過楚 緘石而為宝者歟。
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:北に轅してまさに楚を過ぐべし、石を緘じて宝となさんものか。
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夫諸仏大悲者 不捨悪逆 真如理観者 無辨 定散善悪不二邪正一徹。是説教誠説也。
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:それ諸仏の大悲は、悪逆を捨てず、真如の理観は、定散善悪を辨ずること無く、不二邪正一徹なり。これ説教の誠説なり。
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然而造悪必堕獄 修善定生天 自業自得之報。不亡不失之理也。
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:しかれば悪を造れば必ず獄に堕し、善を修せば定んで天にず、自業自得の報いなり。不亡不失の理なり。
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是以 諸悪莫作 諸善奉行 寧非七仏通戒誠乎。
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:ここをもって、「諸悪莫作 諸善奉行」むしろ七仏通戒の誠に非ずや。
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大陽雖有光明 盲者不見之 大悲雖無偏頗 罪人不預之。
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:大陽、光明ありといえども、盲者、これを見ず、大悲、偏頗なしといえども、罪人これに預らずなり。
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而今只特徴弱之称名 不僤極重悪業 詐偽之至 責而有余矣。
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:しかるに、今ただ特に徴弱の称名、極重の悪業を憚からざる、詐偽の至り責めて余りあり。
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===一向専修の濫悪を停止して護国の諸宗を興隆せらるべき事===
 
===一向専修の濫悪を停止して護国の諸宗を興隆せらるべき事===
 
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2014年2月3日 (月) 20:32時点における版

親鸞聖人が、『教行証文類』をどうしても著さなければならなかったという、嘉禄の法難の因となった『延暦寺奏状』。この 延暦寺衆徒の奏請により再度専修念仏が禁止され、『選択本願念集』の版木を焼き、法然聖人の墓を暴いて遺骸を鴨川の捨てようとまでした嘉禄の法難の因となった。この奏状が提出されたのが元仁元年であり、御開山が、

三時の教を案ずれば、如来般涅槃の時代を勘ふるに、周の第五の主穆王五十三年壬申に当れり。その壬申よりわが元仁元年[元仁とは後堀川院諱茂仁の聖代なり]甲申に至るまで、二千一百七十三歳なり。また『賢劫経』・『仁王経』・『涅槃』等の説によるに、すでにもつて末法に入りて六百七十三歳なり。

と、行証すたれた末法の世で、真に仏陀の覚(証)りを得るには、なんまんだぶという行法しかありえないと書き留めておられた文書を整理して『教行証文類に』に「我元仁元年」と(しる)された時であった。この時(元仁元年、1224)をもって真宗教団では御開山の立教開宗とするのである。もちろん『教行証文類』は、法然聖人の説かれた浄土の真実義を顕彰する書であって、決して師に背いて新たな義を主張するものではなかった。これは、少しく法然聖人の遺された法語の文と御開山の発揮された思想の根底を窺えば領解できるであろう。法然聖人には、荒削りな魅力があり対機説法が巧みであった。その点で真意が誤解されやすい面もあったが、御開山は法然聖人の中核の思想を綿密に咀嚼し、本願力回向という体系で、法然聖人の示された往生浄土の教えを示して下さったのである。ともあれ、既存の思想内でしか仏教を把握できなかった、当時の聖道門の思想の片鱗を知るには、この書が参考になるであろう。なお、『延暦寺奏状』全文の画像はWikiArc]にUPしてある。


延暦寺三千大衆法師等誠惶誠恐謹言
 天裁を蒙り一向専修の濫行を停止せられることを請う子細の状

弥陀念仏を以て別に宗を建てるべからずの事

一、不可以弥陀念仏別建宗事。

一、弥陀念仏を以て別に宗を建てるべからずの事。

右謹検旧典建教建宗 有法式。

右、謹しんで旧典を検するに、教を建て宗を建つるに法式あり。

或外国真僧帰化而来朝。或吾朝高僧奉勅而往諮。

あるいは外国の真僧、化に帰して来朝し、あるいは吾が朝の高僧、勅を奉り往いて諮る。

予知一朝之根機 已張八宗教綱。

かねて一朝の根機を知り、すでに八宗の教綱を張るところなり。

諭其祖宗 無非賢聖。尋其濫觴 皆待勅定 相承有次第 依憑無忤誤。

其の祖宗を諭ずるに、賢聖に非らざるは無し。其の濫觴を尋ぬれば、皆勅定を待ちて相承の次第有り、依憑するところ忤誤無し。

爰頂年 有源空法師 卜居於黒谷之初 未有博学之実。移棲於東山之後 頻吐 誑惑之言 猥以愚鈍之性 欲追賢招之蹤。

ここに頂年、源空法師有り、黒谷に卜居の初、未だ博学の実有らず。棲を東山に移しての後、頻に誑惑の言(ことば)を吐く、猥に愚鈍の性を以つて賢招の蹤を追わんと欲す。

私建一宗 還謗三宝 思生衿袖 敢無師説之稟承。

私に一宗を建て、還りて三宝を謗る、思い衿袖[1]を生じ、敢えて師説の稟承無し。

言任干胸憶 不依経論の誠説。

言、胸憶に任せ、経論の誠説に依らず。

遂煽邪風 於都鄙 殆払恵雲於天下。

ついに邪風を都鄙に煽ぎ、殆んど恵雲の天下を払ふ。

自爾以来源空 雖没 未学興流。

これより以来、源空、没すといえども、未学の流を興こす。

更分一念多念之門徒 各招誹法破法之罪業。

更に一念多念之門徒を分け、おのおの誹法破法の罪業を招く。

貴賎趣其教 男女随彼言 衆人如狂 万民似酔 善者難慣干心 悪者易染干神之故也。

貴賎その教えに趣き、男女彼の言に随い、衆人狂うがごとし万民酔ふに似たり、善は心に慣れ難く、悪は易く神(たましい)に染むの故なり。

或称之念仏宗 或号之浄土宗。

或いはこれ念仏宗と称し、或はこれを浄土宗と号す。

夫浄土者万善之所期 念仏者 諸宗通規。

それ浄土は万善の所期、念仏は諸宗の通規なり。

何以此両事 別立為一宗哉。

何んぞ、此の両事を以つて別立して一宗となすか。

抑件輩謗鎮国之諸宗 呼曰雑行 立放逸之一法名正行 奇恠之至。

そもそも件の輩、鎮国の諸宗を謗り、呼びて雑行といふ、放逸の一法を立て正行と名づく奇恠の至りなり。

禁遏有余 何況不蒙公家処分 恣建新儀之邪宗 早被下厳重之紫泥 欲伏訴訟之丹地矣。

禁遏するに余りあり、いかにいわんや公家の処分蒙むらざれば、恣に新儀の邪宗を建てん、早く厳重の紫泥を下さるべく、訴訟の丹地を伏して欲せんとなり。

一向専修の党類、神明に向背す不当の事

{未定}

一向専修、倭漢の礼に快からざる事

{未定}

諸教修行を捨てて専念弥陀仏が廣行流布す時節の未だ至らざる事

一、捨諸教修行 而専念弥陀仏広行流布時玆未至事。

一つには、諸教の修行を捨て、専ら弥陀仏を念じて広行流布の時は、ここに未だ至らざるの事。

右双観経 説念仏法門之文云 当来之世経道滅尽 我以慈悲哀愍 特留此経 止住百歳 云々。

右、双観経[2]に念仏法門を説くの文に云く、「当来の世に経道滅尽せんに、われ慈悲をもつて哀愍して、特にこの経を留めて止住すること百歳せん」と。云々

慈恩西方要訣 釈此文云。

慈恩、『西方要訣』に、この文を釈して云く。

如来説教 潤益有時。末法万年余経悉滅。弥陀一教 利物偏増時 経末法満一万年。一切諸経。並従滅没。釈迦恩重。留教百年云々。

「如来の説教、潤益に時あり。末法万年に余経悉く滅す。弥陀の一教、物を利すること偏えに増す時、末法の満一万年を経て、一切の諸経、並びに滅没するにより、釈迦の恩重くして教を留むること百年せん」と。云々

余経悉滅者 即指末法万年後也。

余経ことごとく滅すとは、すなわち末法万年の後を指す也。

既云 時経末法満一万年 一切諸経等 従滅没。

すでに時、末法を経て一万年を満てて、一切の諸経等、滅没に従ふと云へり。

是以末法万年内 更為経道滅尽期乎。

これ末法万年の内なるを以って、更に経道滅尽の期となすや。

就中 慈恩釈者 依善見律。彼律文云 如来滅後一万年中 前五千年 名為証法。後五千年 名為学法。

なかんずく慈恩の釈は『善見律』による。かの律の文に云く、如来滅後一万年のうち、前の五千年を名づけて証法となし、後の五千年を名づけて学法となす。

一万年後経書滅没 唯有剃刀頭 着袈裟僧。{取意}

一万年の後、経書滅没し、ただ頭を剃刀し袈裟を着す僧あり。

慈恩 正指此時 而謂余経悉滅也。

慈恩、正しくこの時を指して余経ことごとく滅すと謂ふなり。

当知 於正像末法之間 非念仏偏増之時矣

まさに知るべし、正像末法の間において、念仏ひとへに増の時に非ざるなり。

而彼等云 釈尊滅後 星霜眇焉 設致帰命 有何之験。去聖而遠之故也。

しかるに彼等の云く、釈尊の滅後、星霜はるかなり。もし帰命を致すに何ぞこの験あらん、聖を去ること遠きのゆえなり。

又時、入末法 余経已滅 弥陀念仏之他 更法無。而可信是以人師釈云。

また時、末法に入りて余経すでに滅す。弥陀念仏の他に更に法無し、しかれば信ずべし。これを以て人師の釈に云く。

末法万年 余経悉滅 弥陀一教 利物偏増 云々。

「末法万年に、余経ことごとく滅して、弥陀の一教、物を利することひとえに増せらん」[3]と、云々。

魯愚之至 晋未度 彼人師 釈是意如右 穏時経末法 満一万年之文。

魯愚の至り、すすむに未だ度せず、彼の人師の、その意を釈すに右のごときに、時、末法を経るは満一万年の文を隠す。

称末法万年 余経悉滅之言。惟其意 越欲朦時人也。

末法万年、余経ことごとく滅すの言をはかるに、ただその意、時の人の朦(おぼろ)なるを欲し越えんとする也。

何況 如来出世 有更異説 如天台浄名疏等。

いかにいわんや、如来の出世に更に異説あり、天台『浄名疏』等のごとし。

以周荘王 他之代 為釈尊出世之時。

周の荘王、他の代をもって、釈尊出世の時となす。

自其代以来 未満二千年 像法最中也。

その代より以来、未だ二千年に満たず、像法の最中なり

不可言末法 設雖末法中 尚是証法時也。

末法と言うべからず、たとひ末法中といえども、なおこれ証法の時なり。

若立修行 蓋得利 加之法花 有於像法中之説。

もし修行を立つるに、なんぞ利を得ざる、加えてこの法花に像法中の説あり。

般若 有八千年中之文。大教之流行 豈非是時乎。

般若に八千年中の文あり。大教の流行、あにこれ時にあらずや。

而一向専修之輩 於説教繁昌之時 立衆経滅蓋之行事 之反覆可謂時変。

しかるに一向専修の輩、説教繁昌の時において、衆経滅蓋の行を立する事、これ反覆して時を変ずと謂ふべし。

抑大師釈尊者 聖容満月之影 雖隠鶴林之雲 法身 照日光盛耀馬台之闇。

そもそも、大師釈尊は聖容満月の影、鶴林の雲に隠るといえども、法身、日光盛耀して馬台の闇を照らす。

若不遇釈迦之遺教者 何得知弥陀之悲願乎。

もし釈迦の遺教に遇わざれば、何んぞ弥陀の悲願を知ることを得んや。

不知此重恩 還生其驕慢 永不顧恩儀 何是異木石。

この重恩を知らざるは、還ってその驕慢を生じ、永く恩儀を顧りみず、何んぞこれ木石に異らんや。

孔子云 不敬其親 而敬他人 謂之悖礼。

孔子云く、その親を敬せずして他人を敬するは、これを悖礼と謂う。

深忽緒 教主等閑 敬他仏 狐不反其塚 葉不敞其根者 蓋此謂歟乎。

深く教主を忽緒し等閑にして他仏を敬するは、狐その塚にかえらざる、葉その根をひろげざるとは、けだしこの謂なるか。

滅謗法之罪 被加禁遏之制矣。

謗法の罪を滅し、禁遏の制を加えらるべしや。

一向専修の輩、経に背き師に逆う事

一向専修の輩背経逆師事。

一向専修の輩、経に背き師に逆う事。

右彼輩云 若持戒律 若敬他仏。或修観念 談経論称名之外 皆是雑行也。

右、彼の輩の云ふ、もし戒律を持ち、もし他仏を敬い、或いは観念を修し、或いは経論を談ずるは、称名の外は皆これ雑行なり。

雖致精誠 無生浄土 不論不浄 不論乱心。但念弥陀即得往生。

精誠を致すといえども浄土に生ぜず、不浄を論ぜず乱心を論ぜず、ただ弥陀を念ずるに即ち往生を得ん。

十悪五逆 尚非極楽之妨 無慚無愧。豈簡安楽之業耶。若怖悪業者 疑仏願之人也云々。

十悪五逆、なお極楽の妨げに非ず、無慚無愧なり。あに安楽の業に簡ばんや。もし悪業を怖る者は、仏願を疑うの人なりと。云々

偽妄之旨言 言語道断。

偽妄の旨、言語道断なり。

披観無量寿経 検九品業 上品三輩中品三生者 読誦大乗 堅持浄戒 是其業因也。

『観無量寿経』を披きて、九品の業を検するに、上品三輩・中品三生には、大乗を読誦し浄戒を堅持す、これその業因なり。

乃至以聞十二部経之首題 而為下品上生之業因 但至下品下生 独勧十声称名 彼等強執下品之業 還謗上品之因乎。

乃至、以つて十二部経の首題を聞く、しこうして下品上生の業因となす、ただ下品下生に至りて、独り十声の称名を勧む、彼等強く下品之業に執して、還りて上品の因を謗るや。

加之偏誦経典 得舎蓮迎 専守戒律 遇白毫光之輩伝録 盈緗帙 行状溢於漂嚢。

しかのみならず、偏に経典を誦せば舎蓮迎を得、白毫光に遇うの輩の伝録、緗帙に盈ち行状漂嚢に溢る。

彼道綽善導者 専修之祖宗也。

彼の道綽・善導は、専修の祖宗なり。

而深怖衆悪 兼修事善 若是疑仏願之人歟。将又堕悪趣之輩歟。

しかれば深く衆悪を怖れ兼ねて善を修事す、もしこれ仏願を疑うの人か。まさにまた悪趣に堕すの輩なるかや。

世有一紙書 号善導遺言。

世に一紙の書あり、善導の遺言と号す。

彼文云 吾持諸禁戒 不犯一々戒 未来世比丘 不捨戒念仏 雖念仏 捨戒往生即難得 乃至無至 懺悔心 万之不生云々。

彼の文に云く、吾、諸々の禁戒を持ち、一々の戒を犯せじ、未来世の比丘、戒と念仏を捨てざれ、念仏すといえども戒を捨てれば往生は即ち得ること難し、乃至、懺悔心至るを無きは、万これ不生と。云々

彼党類造悪 而無改悔之心 破戒而無堅持之 望背経 違師 依憑在誰凡 入彼宗之人者 先棄 置万善 交其宗之類者 即不怖大罪 対仏像経巻 不生敬重之思 入寺塔僧坊 無憚 汚穢之行 争立懈怠放逸之行 得生 清浄善根之界。

彼の党類の造悪は、改悔の心なく戒を破し、経に背き師に違すことを望み、依憑在るは誰ぞ、およそ、彼の宗に入る人は、まず万善を棄て、その宗に交る類は即ち大罪を置きて怖れず、仏像経巻に対して敬重の思いを生ぜず、寺塔僧坊に入りて汚穢の行も憚り無し。いかでか懈怠放逸の行を立て、清浄善根の界に生を得べし。

北轅将過楚 緘石而為宝者歟。

北に轅してまさに楚を過ぐべし、石を緘じて宝となさんものか。

夫諸仏大悲者 不捨悪逆 真如理観者 無辨 定散善悪不二邪正一徹。是説教誠説也。

それ諸仏の大悲は、悪逆を捨てず、真如の理観は、定散善悪を辨ずること無く、不二邪正一徹なり。これ説教の誠説なり。

然而造悪必堕獄 修善定生天 自業自得之報。不亡不失之理也。

しかれば悪を造れば必ず獄に堕し、善を修せば定んで天にず、自業自得の報いなり。不亡不失の理なり。

是以 諸悪莫作 諸善奉行 寧非七仏通戒誠乎。

ここをもって、「諸悪莫作 諸善奉行」むしろ七仏通戒の誠に非ずや。

大陽雖有光明 盲者不見之 大悲雖無偏頗 罪人不預之。

大陽、光明ありといえども、盲者、これを見ず、大悲、偏頗なしといえども、罪人これに預らずなり。

而今只特徴弱之称名 不僤極重悪業 詐偽之至 責而有余矣。

しかるに、今ただ特に徴弱の称名、極重の悪業を憚からざる、詐偽の至り責めて余りあり。

一向専修の濫悪を停止して護国の諸宗を興隆せらるべき事

{未定}


脚注

  1. 衿はエリ、袖はソデのことで、衣服の襟と袖は特に目立つ部分であることから、集団を率いる重要なポストを「領袖」と言うようになった。領は衣のえりのこと。
  2. 『無量寿経』のこと。
  3. 『往生要集』第三 極楽証拠の文。p.890