意識の形而上学
提供: 本願力
Ⅲ「真如」という仮名
一般に東洋哲学の伝統においては、形而上学は「コトバ以前」に窮極する。すなわち形而上学的思惟は、その極所に至って、実在性の、言語を超えた窮玄の境地に到達し、言語は本来の意味指示機能を喪失する。そうでなければ、存在論ではあり得ても、形而上学ではあり得ないのだ。
だが、そうは言っても、言語を完全に放棄してしまうわけにもいかない。言語を超え、言語の能力を否定するためにさえ、言語を使わなくてはならない。いわゆる「言詮不及(言葉で説くだけでは 及ばない)」は、それ自体が、また一つの言語的事態である。生来言語(ロゴス)的存在者である人間の、それが、逆説的な宿命なのであろうか。
この点に関して、人はよく偉大なる「沈黙」について云々する。あたかも、形而上学的体験の極所においては、じっと黙りこんでしまいさえすれば、それで全ての問題が解決するかのように。
だが、皮肉なことに、「沈黙」は「コトバ」へのアンチテーゼとしてのみ体験的意義を発揮するのだ。言語を否定するための「沈黙」もまた、依然として言語的意味連関の圏内の一事項にすぎない。
元来コトバにはなんの関係もない路上の石ころの「沈黙」にも深玄な意味がある、と言う人があるが、そもそも石ころの「沈黙」に深玄な意味を賦与するのは、人間の意味志向的意識であることを憶うべきである。「沈黙」は、決して言語の支配圏を超越しきってはいないのだ。まして、形而上学の樹立を目指す哲学的思惟の場合、いたずらに「沈黙」を振りかざしてみても、いささかも問題の解決になりはしない。いかに言語が無効であるとわかっていても、それをなんとか使って「コトバ以前」を言語的に定立し、この言詮不及の極限から翻って、言語の支配する全領域(=全存在世界)を射程に入れ、いわば頂点からどん底まで検索し、その全体を構造的に捉えなおすこと──そこにこそ形而上学の本旨が存する。そしていま、『大乗起信論』は、まさにそれを試みようとするのである。
右のような事態にかんがみて、東洋哲学の諸伝統は、形而上学の極所を目指して、さまざまな名称を案出してきた。曰く「絶対」、曰く「真(実在)」、曰く「道(タオ)」、曰く「空」、曰く「無」等々。いずれも、本来は絶対に無相無名であるものを、それと知りつつ、敢えて、便宜上、コトバの支配圏内に曳き入れるための仮りの名(『起信論』)のいわゆる「
プロティノスの「一者」という名もまた然り。「一者」(to hen)という名称が、純然たる仮名にすぎないことを、プロティノス自身が次のように明言している(Enn.Ⅳ)。曰く、自分が「一者」という名で意味しようとしているものは、本当は一者でも何でもない。それは「有の彼方(epekeina ousias)」「実在性の彼方(epekeina ousiãs)」「思考力の彼方(epekeina noù)」なるもの、つまり言詮の彼方なる絶対窮極者なのであって、それにピタリと適合する名称などあるはずがない。しかし、そんなことを言っていては話にならないので、「強いて何とか仮りの名を付けるために、止むを得ず、一者と呼んでおく」。またそれに言及する必要がある場合「かのもの(ekeîno)」という漠然として無限定的な語を使ったりもするが、「実は、厳密に言えば、かのものともこのものとも言ってはならないのである。どんな言葉を使ってみても、我々はいわばそれの外側を、むなしく駈け廻っているだけのことだ」(Enn.Ⅵ.9)と。意識と存在のゼロ・ポイントの本源的無名性と、「一者」という名の仮名性とを説き尽して余すところなし、というべきであろう。
これと全く同じ趣旨で、『起信論』は「真如」という仮名を選び取る。この語が一つの仮りの名、すなわち便宜的な符丁にすぎないことを、『起信論』のテクストは次のように明言する。
「一切諸法(=全ての存在分節単位、一切の内的・外的事物事象)は、ただ妄念(=意識の意味分節作用)に依りて(相互間の)差別有るのみ。もし心念(=分節意識)を離るれば、則ち一切の境界(=対象的事物)の相(=形姿)なし。是の故に、一切の法は、もとよりこのかた(=本来的には)言説の相(=コトバで表わされる意味単位としての事物の様相)を離れ、名字(=個々別々の事物の名称)の相を離れ、心縁(=思惟対象)の相を離れ、畢竟(=本源的には)平等(=一切の存在にわたって絶対無差別)にして、変異あることなく破壊す可からず、唯だ是れ一心(=絶対全一的な意識)のみなるを、故(ことさら)に(=強いて)真如と名づく。」
「一切の言説は仮名にして実なく、ただ妄念に随えるのみにして不可得(=コトバでは存在の真相は把提できない)なるを以ての故に、真如と言うも、また相(=この語に対応する実相)の有ることなし。言説の極(=コトバの意味指示作用をギリギリのところまで追いつめて)、言(ごん)に依りて言を遣(や)るを謂うのみ(=コトバを使うことによって、逆にコトバを否定するだけのこと)……」
「当に知るべし、一切の法は(=本源的には)説く可からず、念ず(=思惟す)可からず。故に(=こういう事情をはっきり心得たうえで、敢えて)真如となす(=真如という仮名を使う)なり」と。(大乗起信論#衆生心の真如の門)
「真如」とは、字義どおりには、本然的にあるがままを意味する。「真」は虚妄性の否定、「如」は無差別不変の自己同一性。もとサンスクリットの tathatā の漢訳で、原語的にも「ありのまま性」の意。真にあるがまま、一点一画たりとも増減なき真実在を意味する、とでも言っておこうか。
だが、この語が仮名にすぎないということは、一体、どういうことなのであろうか。さきに列挙したいろいろな名称が、全部、仮名であることを我々は承知している。それらのどの一つも本当の名でないならば、どの名を選んで形而上学的窮極者の名としても、結局、同じことなのであろうか。「真如」の代りに、例えば「道(タオ)」とか「無」とかいっても同じことなのか。いや、決してそんなことはない。「真如」と「道」と「無」との間には、歴然たる違いがある。それぞれの術語の背景にある言語的意味のカルマが違うからだ。同じく意識と存在のゼロ・ポイントを指示するにしても、例えば「真如」と「道」では、意味指示のアプローチが、文化パタン的に、全然違っている。では、なぜそんなことになるのか。
仮名にせよ何にせよ、あるものに何々という名をつけることは、たんに何々という名をつけるだけのことではない。命名は意味分節行為である。あるものが何々と命名されたとたんに、そのものは意味分節的に特殊化され特定化される。「真如」という仮名によって名指される意識と存在のゼロ・ポイントは、「道」という別の仮名によって名指される意識と存在のゼロ・ポイントとは、それぞれの文化パタン的含意の故に、意味指示的に別物である。
我々はここで、どうしても意味分節ということに考察の焦点を合わせなければならない。
Ⅳ 言語的意味文節・存在文節
前章で一言したように、ネオ・プラトニズム的哲学伝統の絶頂をなすプロティノスは、己れの考想する形而上学的存在体系の極点を「一者」と名づけながら、これは仮名であって本名ではない、本当は「一者」には全く名が無いのだ、と主張する。 名が無い、とは言語を絶対的に超越する、ということ。「一者」は、厳密にはこれを「一者」とも呼べないことは勿論、あらゆる形でのコトバの接近を拒否するところの「口では言えないもの」(アッレートン to arreton)であると言う。こんな主張をコトバですること自体、実は、皮肉きわまる規則違反(!)であることは重々承知の上で……。
形而上学的思惟の極限に至って、なぜ言語が、その意味指示的有効性を喪失してしまうのか。
それは、この極限的境位においては、「形而上的なるもの」は絶対無分節だからである。無辺際、無区分、無差別な純粋空間の、ただ一面の皓蕩[浩蕩]たる拡がり。このようなものを、このようなものとして、そのまま、把捉することにおいては、言語は完全に無能無力である。
このことは、言語が元来、意味分節(=意味による存在の切り分け)を本源的機能とするということを物語っている。対象を分節する(=切り分け、切り取る)ことなしには、コトバは意味指示的に働くことができない。絶対無分節的な「形而上学的なるもの」を、例えば「真如」と名づけたとたんに、それは真如なるものとして切り分けられ、他の一切から区別されて、本来の無差別性、無限定性、全一性を失ってしまう。だからこそ『起信論』は、「真如」という語を使いながら、それをあくまで
上来、私は既に何遍も、決定的重要性をもつキータームとして、「分節」という語を使ってきた(ついでながら、仏教古来の術語に「
右に一言したように、「分節」とは、字義どおり、切り分け、分割、区劃づけ、を意味する。区劃機能を行使するものは、この場合、コトバの意味。つまり、ここでいう「分節する」とは、本源的に、言語意味的事態である。我々の実存意識の深層をトポスとして、そこに貯蔵された無量無数の言語的分節単位それぞれの底に潜在する意味カルマ(=長い歳月にわたる歴史的変遷を通じて次第に形成されてきた意味の集積)の現象化志向性(=すなわち自己実現、自己顕現的志向性)に促されて、なんの割れ目も裂け目もない全一的な「無物」空間の拡がりの表面に、縦横無尽、多重多層の分割線が走り、無限数の有意味的存在単位が、それぞれ自分独自の言語的符丁(=名前)を負って現出すること、それが「分節」である。我々が経験世界(=いわゆる現実)で出遇う事物事象、そしてそれを眺める我々自身も、全てはこのようにして生起した有意味的存在単位にすぎない。存在現出のこの根源的事態を、私は「意味分節・即・存在分節」という命題の形に要約する。
いま述べたような意味での「分節」が、具体的にどんなものであるか、は形而上学的思惟の極限(=意識と存在のゼロ・ポイント)において最も端的に看取される。本論の主題をなす『起信論』の説く「真如」や、プロティノスの語る「一者」だけではない。先刻挙げた様々な思想伝統を代表する仮名の示唆するものは全て、「形而上学的なるもの」の極限的境位について、同じ「分節」の問題を提起する。例えば老荘の「
「道」は老荘的思惟の考想する真実在のあり方だが、それは、極限的には絶対の「無」であり「無名」(『老子』)である。[2] 「無名」、名をもたない、すなわち、絶対無分節であるということ。「夫れ道は、未だ始めより(=本源的境位においては)封(=分割線、区劃線)有らず」と荘子は言う。[3]それは、ただ純粋な「無」の空々漠々たる拡がり、
この絶空の平面に、言語の下意識的な存在分節的働きで、数かぎりない事物(=意味分節的区劃、「封」)が現出してくる。『老子』のいわゆる「無名」→「有名」の転換だ。
「道」という仮名によって示唆される絶対実在の「無」的、「無名」的、極限境位を、荘子は彼一流のミュトス的形象に映して「混沌」の神のイメージを描く。この場合、「渾沌」とは、普通の意味でのカオス、すなわち種々様々なものがゴチャゴチャに混在している状態、ではなくて、まだ一物も存在していない非現象、未現象の、つまり絶対無分節の、「無物」空間を意味する。
その昔、まだ現象世界が存在していなかった太古の時代に、「渾沌」の神が居た、と荘子は語り出す。この神の顔は目も鼻も口も耳もない全くのノッペラボウ。同情した友人の神々が、苦心惨憺してその顔の表面に「穴」を鑿(ほ)ってやる。ところが、「穴」が全部鑿りあがって、目と鼻と口と耳が開いたとたん、「渾沌」の神はパッタリ死んでしまったのだった、と。[4]
想像的形象性豊かなこの説話の語る「渾沌」の死は、たんに死んで居なくなってしまった、ということではない。むしろそれは実在の決定的な次元転換を意味する。絶対無分節の、本源的非分節、から分節態へ。非現象性から現象性への存在的次元転換──というより次元転落という方が荘子の真意に近いか──である。とにかく、コトバの意味分節機能にはこのような存在論的作用がある、ということだ。
存在世界の現出における言語の意味分節機能の決定的重要性を、より端的に示すものとして、ウパニシャド・ヴェーダーンタ哲学の名色論がある。「名色」(nāma-rūpa「名とかたち」、すなわち、語とそれの喚起する意味形象)。
ヴェーダーンタ哲学では、「形而上的なるもの」は「梵」(ブラフマン)と呼ばれる。 「梵」もまた、その窮極の境位においては絶対無分節であって、それを特に「上梵」(または「無相ブラフマン」nirguna-Brahman)と呼び、それに対立する現象的分節態におけるブラフマンを「下梵」(または「有相ブラフマン」saguna-Brahman)と名づける。
シャンカラをはじめとする不二一元論的ヴェーダーンタ哲学の思想家たちは、絶対無分節態における「上梵」に対して我々の現象世界は、同じく「梵」ではあっても「下梵」であり、「名とかたち」の存在次元であることを強調する。この場合、「名」とは意味分節の標識としての語(コトバ)であり、「かたち」とは、事物の外形だけではなく、皿なら皿という名称の指示するものの属性、用途など、そのものを限定的に構成する一切を含意する。
上述したように、「分節」というのは、区劃し、分割し、分別し、分開させること。もともと分割線が引かれていない、いわば未分の塊りのごときカオス状の「無物」空間の表面に言語的分割線(すなわち意味表象的境界線)を引いていく。「名」が付くと、それぞれのものは、語の意味形象的差異性によって、相互差違的に自己同一性を得る。つまり、一々が有意味的存在モナドとして現象してくるのだ。こうして、我々が現にそこに生きている現実世界は、無数の「名」によって現象する重々無尽の意味連関組織、意味分節単位の網目構造、としての力動的な全体性であり、内的緊張に充ちた全包摂的意味分節磁場なのである。そして、それがウパニシャド・ヴェーダーンタの形而上学的──存在論的思惟の発端となるのだ。「名」、すなわちコトバ、の介入なしには、形而上学が存在論に展開することはあり得ない。いや、「形而上学的なるもの」の「無」的極限それ自体すら、「名」の排除という形で、否定的に深くコトバに関わってくるのであって、そのことは、「真如」の仮名性を論じたとき、すでに我々の覚証したところである。
ヴェーダーンタの「名色(=名とかたち)」思想が問題になるとき、よく引用される『チャーンドーギャ・ウパニシャド』(Chāndogya‐upaniṣad)の一節(Ⅵ.1)が、この事態を次のように説明している。勿論、全体が比喩的言辞だ。曰く、
一塊の土を手に取り、様々に切り分け、それを材料としていろいろな器物を作り出す──茶碗、皿、鉢、壺、等々。それらは全部、「名色」的相互差異性によって、それそれ別のものである。が、それらのどのひとつを取って見ても、土である。茶碗、皿、鉢、壺、等々、全てが土であるということは共通で、その点ではまったく何の違いもない。違いはただ、それぞれの「名とかたち」(=言語意味分節的単位としてそれぞれが獲得した自己同一性)による。土であることは全部に共通する実在性の真相。個々別々の器物は、「名とかたち」、すなわちそれを指示する語(コトバ)と、その語の喚起する意味分節形象の違いのみ、と(もっとも、ここで「名色」以前の実在性の真相とされている土も、比喩的言語のコンテクストをはずして考えれば、意味分節による「名色」的自己同一性にすぎないことは、言うまでもないのだが……)。
誰でも日常経験している事態のこの描写は、無分節的「梵」と、それの現象的分節態とのあいだの形而上学的・存在論的関係を、ごく卑近な比喩によって巧みに説き明かす。現象的世界、すなわち千態万状のものの世界、の現出において言語の意味分節機能の果す役割がヴェーダーンタ哲学ではどのようなものとして考えられているかということは、もはや、多言を要さずして明らかであろう。
最後に、いままで述べてきた思想伝統とは全く系統の違う人格一神教的啓示宗教(イスラーム)のコンテクストにおいて、言語的分節の概念が、形而上学的にいかに枢要な働きをしているか、について一言して、「存在分節・意味分節」を主題とする本章を結ぶことにしよう (ちなみに、イスラーム哲学は西暦十三世紀に至って、初期のギリシャ哲学一辺倒の状態を脱して、独自の、真にイスラーム的と呼ばれるにふさわしい、哲学思想の創出期に入るのであって、創造性豊かなこの時期の発端を画する哲学者、イブヌ・ル・アラビー Ibn al-`Arabī の、「存在一性論」として世に有名な形而上学を、ここではイスラーム哲学思想の代表として取り上げることにする)。
イスラームと言えば、人はすぐ唯一絶対の人格神、アッラーの名を憶う。それが常識だ。イスラームを信奉していない異教徒の場合だけでなく、普通一般のイスラーム教徒でもそのとおり。全存在世界を創造し、支配し、自ら存在そのものである神は、アッラーを措いてほかにはない。イスラームでは、正統的神学(=教義学)の思想も哲学的思惟も、いやしくも存在とか実在とかを云々するかぎり、存在性・実在性の窮極の境位を必ず神アッラーとする。ごく当然のことであって、敢えて疑問を呈出するには当らない、と誰でも考える。
しかし、同じイスラームの正統派的哲学でも、イブヌ・ル・アラビーの「存在一性論」(waḥda al-wujūd)などになると、問題は急に複雑になってくる。宗教と信仰のコトバが神と呼ぶものを、彼は哲学のコトバの次元で「
無名無相、それは一切の「……である」という述語づけを受けつけない。「神である」とすら言えない。神以前の神は、普通の意味での神ではないからである。だから、イブヌ・ル・アラビーにとって、「存在(ウジユード)」というのも、窮極的には一つの仮りの符丁であって、彼の考えている絶対的真実在の本当の名称ではない。
こうして、イスラーム哲学においても、「形而上的なるもの」は、その極限的境位においては、絶対無分節であって、一切のコトバを超え、「名」を超える。しかし、コトバを超え「名」を超えるこの真実在(「存在(ウジユード)」)には、自己顕現への志向性が、本源的に内在している。宗教的言辞で言うなら、「隠れた神」は「顕われた神」にならずにはいられないのだ。
事の真相を知るためには、我々は、「アッラー」という語が一つの「名」であることを忘れてはならない。イスラームの正統神学では、「アッラー」を神の「
さて、いまも一言したように、「アッラー」は、無名無相の絶対的真実在が、「名とかたち」によって自己分節する最初の段階であって、それに続いて無数の下位的「神名」が出現し、それらの意味連関構造が、いわゆる現象的存在世界を作り出す。
それら無数の「神名」(asmā Allāh)各々の性格や、それらの相互関係を考究する思想分野を、伝統的なイスラーム神学では「神名論」と名づけ、教義学の重要な課目としてきた。教義学的には「神名」は神的「属性」(sifat Allāh)として取り扱われる。だが、現代哲学的に読みなおしてみれば、伝統的な「神名論(=アッラーの諸属性の研究)」が、結局、言語意味的分節論にほかならない、ということは指摘するまでもないであろう。ここで特に注目しておきたいのは、イスラーム哲学において、神的実在の自己顕現の全プロセスが、「アッラー」を第一段とする無数の「神名」の働きによって現成するとされていること、裏から言えば、すなわち、コトバの介入なしには存在の分節があり得ない、ということが、この上もなく明瞭に主張されている点である。
一見、分節論などというものから程遠く思われる人格一神教的啓示宗教の濃密な雰囲気のただ中で、およそこのような考え方が成立し得たということ──より具体的に言うなら、ユダヤ・イスラーム的宗教特有の、いわゆる神の世界創造説を、このような形で分節論的に読みなおし得たということ──は、最盛期のイスラーム思想界における思惟の形而上学的衝迫がいかばかりであったかを物語る。
無名無相の窮極的超越者が、「アッラー」を第一とする「神名」群を形相(イデア)的通路と して、種々様々な存在者を分出創出し、ついに絢爛たる現象世界として自己顕現するに至ると説く「存在一性論」の哲学的思惟構造を、分節論的に解釈しなおすことによって、事実、我々は、「生ける神」アッラーへの熾烈な信仰に裏づけられたイスラーム的形而上学の真面目に触れることができるのではないか、と思う。
ウパニシャド・ヴェーダーンタ哲学の「名色論」にしても、イスラーム存在一性論の「神名論」にしても、「名」の存在論的重要性が異常なほどに強調されているのを我々は見た。これと同じ思想が、もっと端的な形で、先述した『老子』の「無名→有名」という存在次元転換のフォーミュラに言表されていた。
「無名」から「有名」へ。「無名」は「無」に等しい。『老子』によれば、およそいかなる「名」ももたないものは、ものではない。「名」があって、はじめて「無」が「有」になり、そこにはじめてものが出現する。西欧のキリスト教世界において、嬰児の命名式が一つの厳粛な事件であることが憶い合わされる。「名づけ」がものを、正式に、存在の場に喚び出すのだ。
「名」が、言語的意味分節の標識であるということは、もはや繰り返すまでもないだろう。
以上、私は幾つかの思想伝統を思いつくままに取り上げて、それらの提唱する、言語意味分節・即・存在分節的形而上学の様々に異る形態を、大急ぎで通観した。
だが、それにしても、私見によれば、言語意味分節論は東洋哲学──少くともその代表的な大潮流の一つ──の精髄であって、いったんこれについて語りだせば止めどなくなってしまう恐れがある。思い切って、このあたりで、一応、切りあげて、本論の直接の主題である『起信論』の「真如」概念の分節論的構造に話を戻すことにしよう。
- ↑ 訓読;真如というも亦相あること無し。
- ↑ 『老子』に「無明天地之始(無明は天地の始めなり)」とあり、老子は無を天地に先立つものとした。その無が天地を生ずるとしていた。
- ↑ 『荘子』斉物論篇第二。(金谷治訳注より)
「夫れ道は未だ始めより封(ほう=さかい。井筒氏によれば意味分節区画)有らず。言は未だ始めより常ならず。是れが為に畛(しん=田を区切るあぜ、さかいの意)有り。請う、その畛を言わん。左有り、右有り、論(ろん)有り、議(ぎ)有り、分(ぶん)有り、辯(べん)有り。競(きょう)有り、争(そう)有り。此れを之れ、八徳と謂う。六合(りくごう=天地と四方の六。宇宙全体の意。)の外は聖人は存して論ぜず、六合の内は論じて議せず。春秋の世を経するは先王の志なれば、聖人は議して辯ぜず。故に分なるものには、分けらざるもの有り。辯なるものには、辯ぜざるものあり。曰(いわ)く、何ぞや。聖人は之を懐(いだ)くも、衆人は之を辯じて以て相示す。故に曰く、辯なるものは見えざればなり、と。」
訳:いったい、道とはもともと〔無限定で〕境界分別をもたないものであり、言葉とはもともと一定した意味内容を持たないものである。こういうことからして〔道を言葉によってあらわすとなると〕対立差別が生まれることになる。その対立差別について述べてみよう。左があって右があり、論が立って議が起こり、分類があって区別があり、競りあいがあって争いがあるというのがそれで、これを八つの徳(──すなわち道を離れて得られるもの)と名づける。〔そこで〕この宇宙の外のことについては聖人はその存在を否定はしないが、それについて論を立てることはしない。 また宇宙の中のことについては、聖人は論を立てても細かい議論はしない。諸国の年代記にみえる治策や古代の王たちの記録については、聖人は議論はしても〔善し悪し〕の分別は立てない。そもそも分類するということは分類しないものを残すことであり、区別するということは区別しないものを残すことである。それはどういうことか。聖人は道をそのままわが胸に収めるのであるが、一般の人々は道に区別を立ててそれを他人に示すのである。そこで、区別するということは〔道について〕見ないところを残している、というのである。 - ↑ 『荘子』応帝王篇第七。(金谷治訳注より)
南海の帝を儵(しゅく)と為し、北海の帝を忽(こつ)と為し、中央の帝を渾沌(こんとん)と為す。儵と忽と、時に相(あ)い与(とも)に渾沌の地に遇(あ)ふ。渾沌これを待つこと甚だ善(よ)し。儵と忽と、渾沌の徳に報いんことを諜(はか)りて曰わく、人みな七竅(しちきょう)有りて、以て視聴食息す。此れ独(ひと)り有ること無し。嘗試(こころ)みに之を鑿(うが)たんと。日に一竅を鑿てるに、七日にして渾沌死せり。
訳:南海の帝を儵といい、北海の帝を忽といい、中央の帝を渾沌といった。 儵と忽とはときどき渾沌の地で出会ったが、渾沌はとてもよく彼らをもてなした。 儵と忽とはその渾沌の恩に報いようと相談し、 「人間にはだれにも〔目と耳と鼻と口との〕七つの穴があって、それで見たり聞いたり食べたり息をしたりしているが、この渾沌だけはそれがない。 ためしに穴をあけてあげよう」ということになった。そこで一日に一つずつあけていったが、七日たつと渾沌は死んでしまった。◇人間の有為の賢しらさが自然の純朴さを破壊することを説く。「混沌、七竅(しちきょう)に死す」と古来から有名な寓話。
ちなみに御開山は、「また他力と申すことは、義なきを義とすと申すなり。義と申すことは、行者のおのおののはからふことを義とは申すなり。如来の誓願は不可思議にましますゆゑに、仏と仏との御はからひなり、凡夫のはからひにあらず。補処の弥勒菩薩をはじめとして、仏智の不思議をはからふべき人は候はず」(消息 P.779)とされておられた。不可思議の誓願を人間の有為の思惟ではかることは仏智を疑う自力であるというのであろう。