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浄土という関係性

提供: 本願力

2014年2月13日 (木) 14:59時点における林遊 (トーク | 投稿記録)による版

浄土という関係性

抽象論より事実の重み

 かつて浄土が死者を受け入れる場であったが、今では多くの日本人が死んだら天国に往くと言う。そこには死生観の大きな断絶があると思われるが、いつ、どうしてそのような転換が起こったのだろうか。そんな問題に関心を持つ研究者や知識人はほとんどいない。死を論ずる人はいても、死後や死者の問題は公的な場ではタブーとなってきた。そんなことを語るのは無知で迷信的な庶民であり、近代的な欧米の学問を身に付けた知識人にとっては恥ずかしいこととされた。

 いつの頃からか、「永眠」というきわめて冷たい言葉で死者を突き放すのが、当たり前になった。死者はただ眠っていればいい、生者の世界とは無関係だ、というのである。広島の原爆死没者慰霊碑には、「安らかに眠って下さい過ちは繰返しませぬから」という有名な言葉が刻まれている。その決意は潔いものの、やはりそれでいいのだろうかと思わないわけにはいかない。実際、それ以後も随分と「過ち」を繰り返してきているのだから、死者はとても「安らかに眠って」はいられないであろう。

 もっとも、近代が死後や死者の問題を追放したのは、理由がないわけではない。近代の合理的、科学的な思考では、死後のことなど解明できない。科学的に実証できないことは、ないものとして論じないのが、近代の流儀だ。哲学者のカントは、死後の霊魂が存在するか否かは、純粋理性では決定できないことを明らかにした。こうして、死後や死者の問題は、哲学的な議論か見捨てられた。

 このような動向に、仏教界も敏感に反応した。著名な仏教学者が、「本来、仏教は死者のためのものではなく、この生をよりよく生きるための知恵だ」などと説き、それが正しいかのように世間に流布した。そこから、僧侶たちまでもが、「葬式仏教は、日本の民俗に妥協した方便であり、仏教の正しいあり方ではない」などと言うようになった。「葬式は死者のためにするのではなく、それを機会に関係者が集まり、信仰を深める場だ」と公言してはばからない僧侶もいる。そんな僧侶に葬式をされるのでは、死者はあまりに気の毒だ。

 実際には、仏教はもっとも古い段階から死者と関わりを持ち、その伝統が長く受け継がれ、仏教の展開の基盤をなしてきた。阿弥陀仏の極楽浄土を説く浄土教は、そのような死者の仏教を代表するものだ。近世末に神道が自立した宗教として確立しようと志したとき、最大の問題は葬式儀礼の欠如ということであうた。そこで、仏教をまねて、神葬祭という神道式の葬式を作り出した。このように、葬式は宗教の中核をなす儀礼である。

講演でこんな話をすると、「それではあなたは死後の霊魂の存在を認めるのか」と、しばしば質問される。「仏教は無我を説くのだから、死後の存続を認めるのはおかしい」という説を展開する人もいる。だが、これは明らかに無我説の誤解である。確かに無我説では霊魂という実体的な存在を否定する。キリスト教などでは、霊魂は永遠に個体性を保って存在すると説くが、仏教はそれを認めない。しかし、だからと言って、死後何もなくなってしまうと考えるのは、逆の極論であり、断見(否定的なニヒリズム)として、仏教では否定する。

 それでは、どう考えたらよいのであろうか。仏教ではそれに関する哲学的な議論が展開してきたが、そのような議論以前にまず、僕たちは実際に死者と関係しないわけにはいかないという事実から出発すべきだ。バブル期には、「死んだらゴミ」などと勇ましく言う人もいたが、身内の愛しい人が亡くなった時、その遺骸がゴミで、廃棄してしまえば終わり、などと本当に思っている人がいるだろうか。死者はこの世界からはいなくなっても、死者との関係はそれで終わるわけではない。死者はある時には生者を責め、ある時には力づけてくれる。それは事実であり、その事実を認めることから出発すべきである。それを、「霊魂が存在するか否か」という ような抽象的な議論に話を持っていってしまうから、おか しくなってしまうのだ。

 このことを、僕は「関係は存在に先立つ」と定式化している」西洋の哲学では、「存在するか否か」という存在論、が優先される。しかし、そのような抽象論ではなく、実際に死者と関係しているという事実の重みこそ重要なのだ。

 死者との関係を重視しなければならないという僕の説は、それでは現世における倫理的な行為を軽視することにならないかという批判を招いた。檀家制度の崩壊で、次第に葬式仏教が成り立たなくなってきた中で、仏教者の目は社会に向かい、社会参加仏教と呼ばれる形態が注目を集めるようになった。東日本大震災の際も、宗教者のボランティア活動が高く評価されている。

 しかし、そのような活動が現世の枠内だけのことであれば、宗教者でなくてもよいことになる。葬儀や供養をはじめとして、死者との関わりは宗教者でなければ扱えない。それにまた、死者と関わることは、決して現世の問題を軽視することにならない。

 哲学者の田辺元は、晩年「死の哲学」を説いたが、それは具体的には死者とどう関わるかという問題であった。その例として、田辺は禅の古典である『碧巌録』の第五十五則をしばしば引いている。 これは、師匠の道吾(どうご)と弟子の漸源(ぜんげん)の話である。漸源は生死の問題に悩み、道吾から教えを受けたが、それを理解できなかった。道吾の死後、修行を重ねてようやく悟りを得たが、その時になってはじめて、師匠が死後もずっと自分を指導し続けてきたと気づいた、というのである。

 田辺はここに、死者と生者の「実存協同」が成り立っているという。死後にまで続く死者の生者に対する愛が、生者の死者に対する愛を媒介として働きかけ、そこに相互的な愛が同時に働き、死復活が実現するというのである。それは、死者と生者が取り結ぶ関係によって実現するのであり、まさしく、「関係は存在に先立つ」ことを証する。

 そのような死復活は、キリスト教であれば、イエス・キリストという神=人においてのみ可能であるが、仏教の場合は異なっている。菩薩とは、まさしく生死を超えて人々のみならず、あらゆるものたちを救おうというのであり、死後もその働きをやめることがない』晩年、キリスト教と仏教の間を揺れ動いた田辺が、最終的に仏教の立場を取ったのは、このように誰でもが菩薩として死後も活動を続けうるという思想に魅力を感じたからであった。このような田辺の哲学は、今日でも十分に通用するものであり、というよりも、今日こそその思想を深めていくことが必要となっている。

 こう見れば、死者との関係を深めることは、生者の世界を離れることではなく、むしろ死者とともにこの世界をよくしていこうという菩薩の活動であることが知られる。歴史家の上原専禄は、死者こそが生者の不正を裁く権利を持っているという。医療過誤で妻を亡くした上原は、亡き妻との共闘により、その不正を暴いていく。さらに戦争の犠牲者たちを含めて、死者たちと力を合わせて、この世界を作り替えていこうというのである。それは、死者を眠らせてしまうのとは、正反対の思想である。死者の責めを負い、死者とともに闘うことで、はじめて本当の意味での社会参加が成り立つのである。

 このように考えるとき、死者の行き場としての浄土はどうなるのであろうか。今日、誰も浄土で蓮の花の上に坐って、歌舞音曲を楽しむことを、来世の希望などとはしないであろう。その点で注目されるのは、親鸞の浄土観である。親鸞によれば、浄土とは悟りそのものに他ならない。そこへ向かうのを往相廻向という。廻向というのは、仏の力がはたらくことであり、仏の力によって人は浄土へ往くことができる。しかし、悟りの世界で安穏としているわけではない。死者はそこからこの世界に戻って、人々を救わなければならない。これもまた、仏の力と一体化することではじめて実現する。それを還相廻向と呼ぶ。

 それならば、死んで浄土に行かなければ、還相廻向は始まらないのであろうか。近代の真宗教学はそう考え、生者はひたすら阿弥陀仏の他力にすがるだけだと説き、社会的活動を否定した。しかし、他力を受けることは、死者の還相廻向の力を受けることであり、それによって生者の社会活動も成り立つと考えられる。「浄土」は、「土(世界)を浄める」という積極的な意味を持つ。生者も死者も一体となり、仏の力を受けながら、菩薩としてこの世界を浄める働きに参加すること、それが本当の浄土ではないだろうか。


(末木文美士 すえき・ふみひこ 国際日本文化研究センター教授)