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「現代における異義の研究 伝道院紀要24号」の版間の差分

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(ニ 江州光常寺の主張との比較)
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『絶対の幸福』には「もうこれ以上堕ちるところがないというところまで堕ちてゆきました。その地獄の底で生きた阿弥陀仏とおあいすることができたのです。」とあるところから、高森親鸞会の主張が光常寺の主張のように、地獄一定を知るのみをもて信心とする信機正因を主張するのではなく、地獄一定の自覚を強調するのではあるが、それによって法の救い即ち本願の救いあえることを主張するのであり、信機のみをいうのではないことが明らかであろう、又「決定心」についてであるが、これについては『顕正』(高森顕徴著)に
 
『絶対の幸福』には「もうこれ以上堕ちるところがないというところまで堕ちてゆきました。その地獄の底で生きた阿弥陀仏とおあいすることができたのです。」とあるところから、高森親鸞会の主張が光常寺の主張のように、地獄一定を知るのみをもて信心とする信機正因を主張するのではなく、地獄一定の自覚を強調するのではあるが、それによって法の救い即ち本願の救いあえることを主張するのであり、信機のみをいうのではないことが明らかであろう、又「決定心」についてであるが、これについては『顕正』(高森顕徴著)に
 
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 現今の浄土真宗の道俗の中には、此の世で凡夫の我々が救われた、助けられた、大満足出来た、大安心に晴れた、ツユチリ程も疑いない日本晴の境地になった、獲信した、往生一定になった、信心決定した、ということになれるものではないし、又言うべきものではない。信を獲ておるか、いないか吾々凡夫に判るものではない、というような全くアキレタことを思い込み、他人にまで教えて共に迷わせている人が多いので、仏果は浄土に至らねば得られないが、信仰が徹底したかしないか自分にハ。キリせんでどうするか、助かったか、助からんか我が身に判らんような信仰があるか、と強調せずにおれないのだ。(七二頁)
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 現今の浄土真宗の道俗の中には、此の世で凡夫の我々が救われた、助けられた、大満足出来た、大安心に晴れた、ツユチリ程も疑いない日本晴の境地になった、獲信した、往生一定になった、信心決定した、ということになれるものではないし、又言うべきものではない。信を獲ておるか、いないか吾々凡夫に判るものではない、というような全くアキレタことを思い込み、他人にまで教えて共に迷わせている人が多いので、仏果は浄土に至らねば得られないが、信仰が徹底したかしないか自分にハッキリせんでどうするか、助かったか、助からんか我が身に判らんような信仰があるか、と強調せずにおれないのだ。(七二頁)
 
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とあるように高森親鸞会では「決定心」の存すべきことが強調されるのである。このことには「一念覚知」の問題も関わり複雑であるが、ここでは「不決定心」を主張する光常寺と明白に相違していることを述べることにとどめておくことにする。
 
とあるように高森親鸞会では「決定心」の存すべきことが強調されるのである。このことには「一念覚知」の問題も関わり複雑であるが、ここでは「不決定心」を主張する光常寺と明白に相違していることを述べることにとどめておくことにする。

2010年10月13日 (水) 11:08時点における版

紅楳英顕師の許可を得て掲載しております。
ここに述べられている紅楳師の考えは伝道院紀要24号(昭和54年12月20日)発行時のものであることを考慮の上お読み下さい。
もちろん、基本的な考えは変わっていないとのことです。
以下引用です。

現代における異義の研究
    -高森親鸞会の主張とその問題点-
                  紅楳英顕


はじめに

 高森親鸞会における教義上の問題については、既に種々の点が指摘され、一念覚知・善知識だのみ・本尊論等については研究論文も発表されている、本稿では宿善論と二種深信に関する問題とを取り挙げ論じたいと思う。


第一章 宿善論について

 宿善の語義については、大原性実氏によれば「抑々宿善とは宿世の善根という意味で、宿世に於て修習する善根、又は宿世に於ける値仏聞法の善根を指すもので宿福とも宿因とも宿縁とも名づける。故にその物体は一往は万行諸善及自力念仏であるが、再往を云えば、我々が今日弥陀法に遇い之を信受奉行することを得し因縁となりしことは悉く宿善と称すべく、獲信の一大事は正しくこの宿善の開発せる為である」とあり、又『新・仏教辞典』(中村元監修)には「前世・過去世につくった善根功徳をいう。
また、人の一代に限って、今まで作った善根を指すこともある。真宗では宿善開発といい、今まで修めて来た善根がある時期にひらめきあらわれることによって、信心が得られると説く」等とあるように、真宗における宿善とは獲信のための因縁となる善根を意味するのである。
本願寺派の宗学史上においても、この宿善節については種々の説が節(論?)じられたところであるが、高森親鸞会においても独特の宿善節が展開されている。

 以下、宗祖並びに蓮如上人、それから真宗先哲の諸見解を窺いながら、高森親鸞会の宿善論化ついての問題点を検討したいと思う。

一 高森親鸞会の宿善論

 先の『伝道院紀要』19号で既に述べたように、高森氏は本願寺を無安心の集団であると非難攻撃する。従って、おのずと獲信の問題が重視され、独自の宿善論が主張されている。即ち『白道もゆ』(高森顕徴著)には、

 宿善というのは過去世の仏縁のことであるが、過去に仏縁浅きものは現在において真剣に宿善を求められぬばならない。でなければ宿善開発の時節到来ということはあり得ない。されば宿善は待つに非ず、求むるものである。(二一二頁)。

とあるように、苦労して宿善を求めねばならないことをすすめ、又『顕正新聞』(親鸞会発行)には

 大体真剣に聞法求信することを悪いなんかという者は、他力と無力を混同している信仰の幼稚園児なのです。真宗にこんな坊主や同行が多いのです。求めることは自力だから駄目だといって自分はボーとしているのが他力だと思っているのです。確かに真剣に求めるのは自力です。生まれた時から他力に摂取されているものは一人もいないのですから、みんな自力で求めていくのです。(第93号、昭和42・9・15)

とあり、又『法戦』(高森顕徹著)には

 自力一杯、命がけで求めたものでなければ自力無効と切りおとされて、久遠の親と対面するという体験はできません。(五九頁)

等とあるように、宿善は自分の力によるものであるという宿善自力説を主張している。そして如何なることが宿善となるかについては『顕正新聞』には

 まず自身の信心決定をめざせ、そのためには宿善をつめ(イ、聴聞、ロ、破邪顕正)(第93号、昭和45・2・15)

とあり、又『この人間』(親鸞会会員、渋谷励一著)には

 一日の聴聞がなんと一五分か一六分、これでは有難くして宿善があり、万劫にもあい難き善知識にあわせて頂き乍ら信心決定はおろか、宿善を厚くすることすら出来ないではないか、善知識は宿善が薄くては助からない、宿善を厚くせよ、その一番の方法は聴聞だぞ、しかも木刀でなくて真剣だぞと仰言る。その気慨で聴聞し、聴聞出来ない時は破邪顕正に向うことである。釈尊は「破邪顕正せざるものは仏弟子に非ず、仏のあだなり」と仰せられている。破邪顕正は宿善を厚くする第二の秘訣であると教示下さる。御教えに従うより道はないのである。(四四頁)

とあるように、聴聞(聞法)と破邪顕正とが挙げられている。
 聴聞(聞法)について『白道もゆ』には

 親鸞聖人は「大千世界にみてらん火をもすぎゆきて聞け」と教えられ、蓮如上人また「火の中を分けても法は聞くべきに、雨風雪はものゝ数かは」とお勧めになっている。我々の先哲は早く宿善を求め信を獲んと思わば①骨を折って聞け、②衣食を忘れて聞け、③間断なく聞け、④聞けぬ時は思い出せ、と四つのことを指摘されている。いずれも苦労して聴聞にはげめということである。楽な聞法は宿善にもならないし、この法は聞かれない。過去世に仏縁うすき者は、この世で苦労して宿善を求めねばならぬ。(二一三頁)

とあり、『顕正新聞』には

 苦しみの根を除くには抜苦与楽の力用をもつ南無阿弥陀仏の名号を獲得するより他にはない。名号は捨身の聞法によって与えられるが、それまで勇敢に立ち向ってゆき初志貫徹するまで、たゆまず、あくまでしりぞかぬことが絶対の幸福をうる唯一の道だと教えられている。(第7号、昭和三七・一二・一五)

又、

 松下氏が世界の松下として成功するまでには何度も血の小便をする程の苦労があったということであるが、注目すべきことである。仏法を求めている大の中にも「私は五年間聞いたのに」「私は十年求めたのに」と未だ信心獲得できない事をぼやき、果ては「説くものが悪いのではなかろうか」、「これだけ聞いても助からんのに何か大願業力だ」と、とんでもないところに責任をなすりつけ、罪を重ねている者がいるが、言語道断の所業である。せめるぺきは己れの不熱心さではないか。その五年十年の問に、どれ程真剣に聞いたか、どれ位真剣に聞いたか、どれ位懸命に宿善を求めたか、松下氏の言を借りるなら果してたった一度でもよいから血の小便をこく程きづまって夜も寝られん事があったか、仏法は未来永劫の大問題を教えているのだ、苦労が足りないぞ、楽して信心決定しようという心こそ反省せねばならんのだ、頑張ろう。(顕正新聞118号、昭和47・3・20)

とあり、又『人間こそ』(親鸞会会員、渋谷励一著)には

 信心獲得するにはどうしたらよいのか。仏法は聴聞に極まる。「聞其名号、信心歓喜」(「無量寿経巻下」真・p六三)
「たとひ大干世界にみてらん火をもすぎゆきて仏の御名を聞く人は、永く不退にかなうなり」(「浄土和讃」真p二二三)
「設今世界に満てらん火をも此の中を過ぎて法を聞くことを得ば」(行巻、真p二七四)
「設ひ大千世界に満てらん火をも亦直に過ぎて仏の名を聞くべし」(行巻、真p二七四)。
何度も火の中をかきわけてとあるが容易なことではない。「仏法には明日と申すことあるまじく候。仏法のことは急げ急げ」また「仏法には世間の隙を閥きて聞くべし、世間の隙をあけて法を聞くべきように思うこと浅ましきことなり。仏法には明日ということあるまじき由の仰せに候」(「蓮如上人御一代記聞書」真p八九〇)。
蓮如上人はこのようにして聴聞するのだぞ、命を賭けて聞け、聞いて信ずる一念に決定するのだぞ、信心決定するまで聞き抜けと何回もくり返し仰せになっているのである。(四二頁)。

とあるように、宗祖や蓮如上人の聴聞(聞法)をすすめた文も引用して、真剣な聴聞(聞法)にはげまねば信は得られぬと述べ、頑張って聴聞(聞法)にはげまねばならないことを強調している。
それからこれも広い意味で聴聞(聞法)にあてはめることが出来るであろうが、『顕正新聞』に71才の夫人の言葉として

 もう50年もの間、試験など受けたこともない為、最初はやれるかどうか不安であったが、やってみるとなかなか面白い。自分の宿善も厚くなるし、会長先生の御法座を聞いても大変役に立つ。(第109号、昭和46・6・15)

とあるように学習に励むことによっても宿善が厚くなると述べている。

 又、破邪顕正(正しい教えをひろめること)については『こんなことを知りたい』①(高森顕徹著)に

 真実を知らない人に真実をおしえ、求めねばならぬわけを説いているうちに、いや他人に説くことによって、自分の聞法心を深まって来るのです。即ち宿善が厚くなるのです。法施は最上の布施行だからです。(八七頁)

とあり『顕正新聞』には

 外には邪教がはびこり、内はふはい堕落の極に達している現実をみんな心配している。しかし、いたずらになげき、いたずらに怒ってみても何んにもならないのだ。それよりも、今すぐに正法宣布の行動を起すことだ。直に破邪顕正の利剣をもって立つことだ。一人でも多くの人に『邪教の正大(正体?)』を配布して読んで貰うことが貴方のできる破邪である。顕正しようとする者は、親戚や友人知人を尋ねて親鸞会に入って貰うことだ、一人でも多くの人に真実の幸福を頂いて貰うことである。これにまさる宿善はないし、これ以上の報謝はない。(第3号、昭和37・8・15)

とあり、又

 破邪顕正は高森先生の偉業だと感心ばかりして見ていてはならない。幾干の会員は今すぐ一人に二人ずつ破邪し顕正していかねばならない。そこには立ちどころに幾万の正法を知る人が出来る。吾ら愚者の破邪はそこから始まり、それが最大の御報謝、宿善であると信ずる。(顕正新聞第8号、昭和38・1・15)

とあり、又

 真実を知り、真実を求め、真実を獲得した我ら親鸞会々員は今こそ我利我利亡者の考えをふりすてて破邪顕正のために露命を如来聖人に捧げようではないか、破邪顕正こそ、無上の宿善であり、最上の報謝である。(顕正新聞第22号、昭和39・3・15)

等と述べられている。このように邪教を破して、正しい教えをひろめる破邪顕正をすぐれた宿善とするのであるが、少し趣きを異にするものとして『顕正新聞』に

近時迷惑防止条令の施行を契機として社会悪の一掃は今や社会の声にまでなっている。「ひったくり」を捕えたり、「割りこみ」を注意したりして、アベコベになぐられることがある。ところがハタのものはさわらぬ神にたたりなしで知らぬ顔を半兵衛ときめこひ非協力ぶりが問題になっている。(中略)釈尊は臨終に破邪顕正は仏弟子最高の任務だと遺言なされた。邪悪を見て見ぬふりをするものは仏の怨なりとまで仰言っている。この世も未来も大衆を苦しめる邪教を破ることは我等親鸞会員の最高の任務ではある。けれども邪教を破ることだけが我々の務めではない。ささやかな身辺の社会悪の追放にも努力しなければならない。破邪顕正こそ無上の宿善であり、この勇気と実践のないものが、どうして無上の信の勝利者になれるであろうか。(第13号、昭和38・6・15)

とあるように、邪教を破して正しい教えをひろめることのみならず、「ひったくり」や「割りこみ」等の身辺の社会悪の追放に努力することも破邪顕正の一端であり、宿善となるものとしている。

 このように宿善として、第一聴聞(聞法)、第二破邪顕正(正しい教えをひろめること)と示されているが、この他に『顕正新聞』に

 会費はあがったとか、又お金を集めるとか思ってはならぬ心がムクムク出て来ます。浄財をすれば凡て自分の宿善になるのだと知りながら悲しい心がでてきます。(第川号、昭和46・5・15)

とあり、又

 そこで本会では諸物価高騰の折柄、活動の円滑化を計るために会費の改正を決定しました。実施は52年1月からです。真実の仏法のため提供される浄財はすべて尊い宿善となります。この会費改正にあたって進んで宿善を求めさせて頂きましょう。(顕正新聞第175号、昭和51・12・20)

とあり、又

 後生の一大事の助かるか助からないかは、宿善まかせであると蓮如上人は仰言っておられる。宿善は善が宿るものとも読めるのだから少しでも善根功徳を積むように心がけることが大切である(中略)時あたかも岐阜会館建設に着工している。今、会員一人一人が長者のような情熱をもって財施をさせていただき、我々の財施にブレーキをかける祇多太子が現れるまでに財施してこそ真の仏法者といえよう。名利のためにひげをなでるよりもやすく投げ出す千金があれば岐阜会館はたちまちのうちに建ってしまうのである。名利のためしか金を使い切れない者に次々に阿弥陀仏は宿善の勝縁を与えて下さっている。(第184号、昭和52・9・ 20)

等とあるように、高森親鸞会への会費納入や献金等の財施も宿善となるものとしている。

 このように高森親鸞会では、我々の信決定のための宿善をはっきり自力によるものとし、そのためのものとして、聴聞(聞法)、破邪顕正(正しい教えをひろめる)、献金等(財施)の三つをすすめているのである。

二 宗祖における宿善論

 宗祖における宿善に関する文としては、『教行信証』総序には

遇たま行信を獲ば遠く宿縁を慶べ。(真聖全の二の一)

とあり、『浄土文類聚妙』には

遇たま信心を獲ば、遠く宿縁を慶べ(真聖全二の四四七)

等とある信をえたならば遠く宿縁を慶べとある文(a)、又『唯信鈔文意』には

過去久遠三恒河沙の善根を修せしめしによりて、今、大願業力にまふあふことをえたり、(真聖全二の六三四)

とあり、又『御消息集』には

世々生々に無量無辺の諸仏菩薩の利益によりて、よろずの善を修行せしかども、自力にては生死をいでずありしゆへに、曠劫多生のあいだ諸仏菩薩の御勧めにより、今まうあいがたき弥陀の御誓いにあいまひらせて候、御恩を知らずして、よろずの仏菩薩をあだにまふさんは深き御恩を知らず候うべし。(真聖全二の七〇〇)

とあり、又『正像末和讃』には

三恒河沙の諸仏の出世のみもとにありしとき 大菩提心おこせども 自力かなはで流転せり。(真聖全二の五一八)

等とある過去の善根について述べている文(b)。そして『浄土和讃』に

たとひ大千世界に みてらん火をもすぎゆきて 仏の御名をきくひとは ながく不退にかなふなり。(真聖全二の四八九)

とあり、又

定散自力の称名は 果遂のちかひに帰してこそ おしえざれども自然に 真如の門に転入する。(真聖全二の四九三)

等とある獲信のために聴聞(聞法)や称名にはげむべきことをすすめているのかとも思われる文(C)等を挙げることが出来よう。

 (a)においては、獲信したならば遠い過去から現在に至るまでの宿縁を慶ぶべきことが述べられているわけであるが、これに関連して取り挙げておかねばならないことは覚如と唯善(覚如の父覚恵の異父弟)の間で行われた宿善必要説と宿善不必要説である。
このことは、覚如の第二子従覚の『慕帰絵詞』や、覚如の弟子乗専の『最須敬重絵詞』に述べられている。即ち覚如が宿善開発の機が善知識に値って教えをきけば、信心歓喜して報土に往生するのであると宿善必要説を主張したのに対して唯善は本願に十方衆生とちかってあるのだから宿善の有無には関係なく往生することが出来るから不思議の大願なのであると述べて宿善不必要説を主張したのである。覚如はこれに対して『大経』の「若人無善本、不得聞此経、清浄有戒者、及獲聞正法(中略)宿世見諸仏、楽聴如是教」の文、更に善導の『礼讃』の「若人無善本、不得聞仏名、憍慢弊懈怠、難以信此法、宿世見諸仏、則能信此事」の文により、宿善が必要であることは経釈共に歴然であることを示す。 唯善はこれに対し、それならば念仏往生ではなくて宿善往生ではないかと非難するのに対して、覚如は宿善によって往生するというのなら宿善往生というのであろうが、そうではなく宿善の故に善知識にあって信心歓喜する時に往生決定し定聚に住して不退に住するというのであるから宿善往生をいっているのではない、と述べている。

『最須敬重絵詞』に

教法にあふことは宿善の縁にこたへ、往生をうくることは本願の力による、聖人まさしく遇獲信心遠慶宿縁と釈し給ふうへは、余流をくみながら、相論におよびがたきかと云々。(真聖全三の八四五)

とあるように、宿善必要説を主張する覚如がここで指摘しているように宗祖の言葉に「遇獲信心遠慶宿縁」、「遇獲行信遠宿縁」とあるのであるから、宗祖も宿善必要説の立場であったものと考えるのが妥当であろう。

 次に(b)についてであるが、これらは宗祖が自身の過去における善根について語っているものであり、『唯信鈔文意』の「過去久遠三恒河沙の善根を修せしめしによりて今、大願業力にまふあふことをえたり」とある文などは過去の善根によりて大願業力にあふことをえた、という宿善が自力によるものとすることを述べているようにみえるものである。
このことは、『教行信証』「信巻」至心釈に

一切群生海、無始より己来、乃至今日今時に至るまで機悪汚善にして清浄の心なく、虚仮諮偽にして真実の心无し、(真聖全二の六二)

とあるものや、信楽釈の

然るに无始より己来、一切群生海、无明海に流転し、諸有輪に沈迷し、衆苦論に繋縛せられて、清浄の信楽无し、法爾として真実の信楽无し、(真聖全二の六二)

とある文や、更には「信巻」引用の「散善義」の

自身は現に是れ罪悪生死の凡夫、曠劫より己来、常に没し常に流転して出離の縁あることなし。(真聖全二の五二)

等とある「曽無一善」「無有出縁」と語っている言葉と矛盾するように感じられる。しかしこの点については(b)の次の文である。『御消息集』に

「世々生々に無量無辺の諸仏菩薩の利益によりて、よろずの善を修行せしかども、自力にては生死をいでずありしゆえに、曠劫多生のあいだ、諸仏菩薩の御勧めによりて、今まうあいがたき弥陀の御誓いにあいまひらせて候」

とあり、『正像末和讃』には

「三恒河沙の諸仏の、出世のみもとにありしとき、大菩提心おこせども、自力かなはで流転せり(真聖全二の五一八)

とあるように、過去に修した自力の善の功徳によって今大願業力にあったというのではなく、過去に修した自力の善はあくまでも捨てものとするのであり、その善根の功徳によって今大願業力にあうことが出来たとする宿善自力説を称えるものではないことが明らかである。

 次に(c)であるが『浄土和讃』に「たとひ大千世界にみてらん火をもすぎゆきて、仏の御名をきくひとはながく不退にかなふなり」とあるのは聴聞(聞法)をすすめているものである。又「定散自力の称名は果遂のちかひに帰してこそ、おしえざれども自然に、真如の門に転入する」「信心のひとにおとらじと、疑心自力の行者も、如来大悲の恩を知り、称名念仏はげむべし」であるが、この二首については、古来一部の学者によって獲信のための信前称名を策励するものとされて来たものであり、現在もそれを主張する人もいる。

 先ず「たとひ大干世界にみてらん火をもすぎゆきて仏のみなを聞く」の聞くであるが、宗祖において「聞」とは「信巻」には

聞といふは、衆生仏願の生起本末を聞きて疑心有ること無し、是れを聞と日ふ也(真聖全二の七二)

とあり、又『一念多念文意』には

きくといふは、本願をきゝてうたがふこゝろなきを聞といふなり。またきくといふは、信心をあらはす御のりなり。(真聖全二の六〇四)

等とあるように聞とは信心をあらわすものであり、信心とは「本願力回向之信心也(真聖全二の七二)とあるように他力回向の信心であるから、「たとひ大千世界にみてらん火をもすぎゆきて仏の御名を聞く」という表現ではあっても決して自力の意ではなく、他力の意に他ならないのである。
又、次の和讃の「定散自力の称名」とある真門(第二十願)の称名であるが、宗祖は「化巻」真門釈には

凡そ大小聖人、一切善人、本願の嘉号を以て己が善根とするが故に信を生ずること能はず、仏智を了らず。(真聖全二の一六五)

とあるように「本願の嘉号を以て己が善根とする」真門念仏を修していては信ずることは出来ないことを述べ、又『疑惑和讃』(真聖全二の五二三以下)では真門念仏を厳しくいましめている。このような点から真門念仏をすすめる意が宗祖にあったとは考えられない。更に、「化巻」三願転入の文には

然るに今、特に方便の真門を出でて選択の願海に転入せり、速に難思往生の心を離れて、難思議往生を遂げんと欲す。果遂之誓良に由へ有る哉。(真聖全二の一六六)

とあるが、ここでいわれている「果遂の誓良に由へ有る哉」とは、宗祖が願海(第十八願)に転入した後において、自己を第十八順に転入せしめた果遂の誓(第二十願)に対する感謝の意の表明である。従って「果遂のちかひに帰してこそ、おしへざれども自然に真如の門に転入する」とある文の意は未だ第十八願にはいりえず、定散自力の心を離れえないままで念仏しているような人でも、果遂の誓いによって自然に真如の門(第十八願)に転入せしめられるのであると述べて、果遂の誓の徳を讃えているのであり、決して定散自力の称名の称功を主張しているものではない。又「如来大悲の恩を知り、称名念仏はげむべし」という文であるが、宗祖においては如来大悲の恩は信を得ることによってはじめて知り得るものとされている。
即ち『教行信証』「総序」には

真宗の教行証を敬信して、特に如来の恩徳深きことを知んぬ。(真聖全二の一)

とあり、「化巻」三願転入の文には

爰に久しく願海に入りて深く仏思を知れり。(真聖全二の一六六)

とあり、『正像末和讃』には

釈迦弥陀の慈悲よりぞ 願作仏心はえしめたる 信心の智慧にいりてこそ 仏恩報ずる身とはなれ。(真聖全二の五二〇)

等とあるように「如来大悲の恩」とは、信によってこそ知られるものであると述べられており、又「化巻」真門釈には

真に知んぬ、専修にして雑心なる者は、大慶喜心を獲ず。故に宗師は彼の仏恩を念報することなし、業行を作すと雖も心に軽慢を生ず(中略)と云へり。(真聖全二の一六五)

と、未だ第十八願の信のない真門念仏の人には仏恩はわからないとあるように、獲信することによってこそ「如来大悲の恩」は知りうるとするのが宗祖の立場である。従って「如来大悲の恩を知り称名念仏はげむべし」ということは、信を得て如来大悲の恩を知り、そして報恩の念仏にはげひべきことをすすめているのであり、決して信前の信を得るための自力の念仏の称功をみとめそれをすすめているのではない。このように「定散自力の称名は……」の称名も「如来大悲の恩を知り称名念仏にはげむべし」の称名も、ともに獲信のための自力念仏をすすめているのではないことは明らかである。従ってこれらの文は宿善自力を意味しているのではないのである。

『高僧和讃』に

釈迦弥陀は慈悲の父母 種々に善巧方便しわれらが无上の信心を 発起せしめたまひけり(真聖全二の五一○)

とあるようにわれらの信心の発起は決して自力によるものではなくすべて釈迦弥陀の善巧方便によるものだとする宿善を他力とするが、宗祖の立場であったものと考えられる。

三 蓮如上人の宿善論

 蓮如上人は宿善についての見解を諸処に述べているが、獲信の因縁を示して『御文章』に「五重の義」をたてている。即ち、

これによりて五重の義をたてたり。一には宿善、二には善知識、三には光明、四には信心、五には名号、この五重の義成就せずば往生はかなふべからずとみえたり(二の一一、真聖全三の四四二)

とあるように、第一に宿善を挙げ、我々の往生のために欠くべからざるものとしている。又、

この光明の縁にあひたてまつらずば、無始よりこのかたの無明業障のおそろしき病のなおるといふことは、さらにもてあるべからざるものなり、しかるに光明の縁にもよほされて、宿善の機ありて他力の信心といふこといますでにえたり。(御文章二の十三、真聖全三の四四五)

とあり、又

されば弥陀に帰命すといふも、信心獲得すといふも、宿善にあらずといふことなし。しかれば念仏往生の根機は宿因のもよほしにあらずば、われら今度の報土往生は不可なりとみえたり。(御文章四の一、真聖全三 の四七五)

等とあるように、獲信のための宿善が欠くべからざるものとして重視されている。

 宗祖においても聴聞(聞法)は勧められるところであったが、蓮如上人においても『蓮如上人御一代記聞書』には

仏法には世問のひまを闕きてきくべし。世間の隙をあけて法をきくべき様に思ふ事、浅間敷ことなり。仏法には明日といふ事はあるまじき由の仰せに候。「たとひ大千世界にみてらん火をもすぎゆきて、仏の御名を きく人は、ながく不退にかなふなり」と『和讃』にあそばされ候。(真聖全三の五六九)

とあり、又

いかに不信なりとも、聴聞を心にいれまうさば、御慈悲にて候間、信をうべきなり。只仏法は聴聞にきはまることなりと云云。(蓮如上人御一代記聞書一九三、真聖全三の五七八)

等とあるように聴聞にはげむことをすすめるのである。しかし乍ら、これも宗祖の場合と同様にはげむことによって、それが宿善となって信が得られるという宿善を自力によるとすることを意味しているのではない。即ち『御文章』に

おほよそ当流には一念発起平生業成と談じて、平生に弥陀如来の本願の我等をたすけたまふことはりをきゝひらくことは、宿善の開発によるがゆへなりとこゝろえてのちは、わがちからにてはなかりけり、仏智他力のさづけによりて、本願の由来を存知するものなりとこゝろうるが、すなはち平生業成の義なり。(一の四、 真聖全三の四〇六)

とあるように、宿善開発が自力によるところでなく、仏智他力によるところであると述べ、又

この光明の縁にもよほされて宿善の機ありて他力の信心といふことをばいますでにえたり。これしかしながら弥陀如来の御方によりさづけましましたる信心とはやがてあらはにしられたり。(御文章二の一三、真聖 全三の四四五)

とあるように、光明の縁にもよほされて宿善の機あり、という宿善を他力とする立場をとっていることが明らからである。又『蓮如上人御一代記聞書』には

宿善めでたしといふはわろし、御一流には宿善有難と申がよく候由仰られ候。(二三三、真聖全三の五九〇)

とあるように、宿善は有難いものであると述べていることも、決して宿善は自力によるものではなく、仏智他力によるものであるとする意が述べられているものと窺うことが出来よう。

 又、存覚上人も『浄土見聞集』に

聞よりおこる信心、思よりおこる信心といふは、きゝてうたがはず、たもちてうしなはざるといふ。思といふは信なり、きくも他力よりきゝ、おもひさだむるも願力によりてさだまるあひだ、ともに自力のはからひのちりばかりもよりつかざるなり。(真聖全三の三八一)

と「きくも他力よりきゝ」と述べているように、聴聞することもすべて仏力願力によるものとし、自力によるところのものとはしないのである。

四 高森親鸞会の宿善論の問題点

 上述のように高森氏は、宿善は自力であると断言し、努力して修すべきことを奨励し、そのための具体的行為としては聴聞(聞法)、破邪顕正(正しい教えをひろめること)、高森親鸞会への献金(財施)等を宿善となるべきものとしてすすめている。

 既にみたように、宗祖や蓮如上人において、聴聞(聞法)をすすめはするものの、宿善が自分の努力によるものとする宿善自力を主張するのではなく、あくまでも他力になさしめられるところとするのである。そして破邪顕正(正しい教えをひろめること)や献金等(財施)を宿善とする傾向は全くみられない。

 先ず破邪顕正に関してであるが、宗祖や蓮如上人においては、他者に教えを説きひろめる伝道教化活動は自らも実践し他者にもすすめたところである。宗祖は『教行信証』総序に

爰に愚禿釈の親鸞慶ばしい哉、西蕃月支の聖典、東夏日域の師釈に遇い難くして今遇うことを得たり、聞き難くして已に聞くことを得たり、真宗の教行証を敬信して、特に如来の恩徳深きことを知んぬ。斯を以て聞く所を慶び、獲る所を嘆ずるなり。(真聖全二の一)

とあるように、宗祖自身が浄土真宗の教法を聞信し、救いを体得しえた慶びと感謝の念を語り述べようとしているのであり、他者に真実の教法を伝えようとする宗祖の姿勢をまずここにみることが出来よう。そして「後序」には

慶ばしい哉、心を弘誓の仏地に樹て、念を難思の法海に流す、深く如来の衿哀を知りて良に師教の恩厚を仰ぐ。慶喜弥々至り至孝弥々重し、茲に因って真宗の詮を鈔し、浄土の要を摭う。唯仏恩の深きことを念じて、人倫の嘲を恥じず。若し斯の書を見聞せん者の、信順を因となし疑謗を縁として信楽を願力に彰し、妙果を安養に彰さんと。(真聖全二の二〇三)

とあるように、根本聖典であるこの『教行信証』を見聞する人が、信楽を願力に彰し妙果を安養に彰わすことを願いとしているのが宗祖なのであるから、他者に教えを説きひろめることは宗祖の基本的な姿勢なのである。
しかしながら、この他者に教えを説きひろめることは、あくまでも信後の報恩の行としてのものであり、信前における獲信のためのものではないのである。従って他者に教えを説きひろめることを宿善になるものとしては断じて扱ってはいないのである。 即ち「総序」における「斯を以て聞く所を慶び、獲る所を嘆ずるなり」とあるのは「真宗の教行証を敬信して」とあるが前提となっており、「後序」の「若し斯の書を見聞せん者(中略)信楽を願力に彰し妙果を安養に彰さんと」とあるのには「深く如来の衿哀を知りて」が前提となっているように、それぞれ信がその前提となっているのである。又『浄土和讃』には

仏慧功徳をほめしめて十方の有縁に聞かしめん 信心すでに得んひとは つねに仏恩報ずべし、(真聖全二の四九一)

とあるように、信後報恩の行として、十方の有縁に教えを説き聞かしめるべきことをすすめており、 又『御消息集』には

わが身の往生一定とおぼしめさんひとは、仏の御恩をおぼしめさんに、御報恩のために御念仏をこゝろにいれまふして、世のなか安穏なれ、仏法ひろまれとおぼしめすべしとぞおぼえさふらふ。(真聖全二の六九七)

とあるように「仏法ひろまれとおぼしめすべし」ということを信後の報恩行として扱っており、又「信巻」には善導の『往生礼讃』の文を引用して

自ら信じ人を教へて信ぜしむること、難が中に転たまた難し、大悲弘く普く化する、真に仏恩を報ずるになると。(真聖全二の七七)

とあるように「大悲弘く普く化する」とある他者に教えを伝えひろめることはあくまでも信後報恩の行とされているのであり、獲信のためのものとはされていないのである。

 このように宗祖においては他者に教えを説きひろめる行為は大切なこととされ、宗祖自身が自ら実践し、人にも奨励し化ものと考えられるが、それはあくまでも信後の報恩行としてなされたものであり、高森親鸞会の主張するような自らの獲信のための宿善としたものでは断じてないのである。

 又、蓮如上人は『蓮如上人御一代記聞書』に

信もなくして人に「信をとられよとられよ」と申すは我は物を持たずして人に物をとらすべきといふ心なり、人承引あるべからず」と前住上人申さると順誓に仰せられ候ひき。
「自信教人信と候ふ時は、まづ我が信心決定して人にも敢えて仏恩になる」との事に候。「自身の安心決定して教ふるはすなはち大悲伝普化の道理になる」由同じく仰せられ候(九三、真聖全三の五五五)

とあるように、我がみ自身が信心決定してから、人にも教えることが出来るのであると述べているように、あくまでも他に教えを説くことは信後の行とされているのであり、それが獲信のための宿善となるなどという見解は全くなされていないのである。

 次に高森親鸞会に対する献金等の財施が宿善になるという点についてであるが、宗祖は他者から財施をうけたことに対して『末灯鈔』に

銭貳捨貫文燧に給侯、穴賢、穴賢、(真聖全二の六八三)

とあり、又『御消息集』には

銭二百文御こゝろざしのものたまはりてさふらふ。(真聖全二の六九八)

とあり、又

御こころざしの銭伍貫文、十一月九日にたまはりてさふらふ。(御消息集、真聖全二の七〇五)

等と財施に対して御礼を述べ、謝念の意を表してはいるが、それが宿善になるという見解は全くみられない。
しかも『歎異抄』第十八章に

仏法のかたに、施人物の多少にしたがひて大小仏になるべしということ、この条、不可説なりゝゝ。比興のことなり。(中略)いかにたからものを仏前にもなげ、師匠にもほどこすとも、信心かけなばその詮なし。
一紙半銭も仏法のかたにいずれとも、他力にこゝろをなげて、信心ふかくば、それこそ願の本意にてさふらはめ。(真聖全二の七九〇)

とあるように、施人物の大小を云々することは誤りであり、たからものを仏前になげたり師匠にものを施したりすることによってすくいがきまるものではないということが述べられている。このことから宗祖においては献金等の財施が宿善になるという見解は全くなかったものといいえよう。

 又、蓮如上人も『御文章』に

ちかごろはこの方の念仏者坊主達、仏法の次第もてのほか相違す。そのゆへは、門徒のかたよりものをとるをよき弟子といい、これを信心のひとゝいへり。これおほきなるあやまりなり。また弟子は坊主にものをだにおほくまいらせば、わがちからかなはずとも、坊主のちからにてたすかるべきやうにおもへり。これもあやまりなり。かくのごとく坊主と門徒のあひだにをひて、さらに当流の信心のこころえの分はひとつもなし、まことにあさましや、(一の一一、真聖全三の四一八)

とあるように、蓮如上人も財施によってたすかるのではないことを強調し、そのような考えを非難しているのである。このように蓮如上人においても財施が宿善となるというような見解は全くみられない。

 以上のように高森親鸞会では獲信のための宿善を自力によるものとするのであるが、宗祖や蓮如上人は宿善は自力によるところではなく、すべて他力によるものとするのである。そして宿善になるものとして高森親鸞会では聴聞(聞法)、破邪顕正(正しい教えをひろめること)、高森親鸞会への献金等(財施)が挙げられているのである。聴聞(聞法)については、宗祖や蓮如上人(他力)と高森親鸞会(自力)との見解の相違はあれ、宗祖や蓮如上人もすすめるところであるが、他人に教えを説きひろめることや献金等の財施が宿善となるというようなことは、非難こそすれ全く語るところではないのである。

 このように高森親鸞会の宿善論は宗祖や蓮如上人とは多分に相異している全く誤った宿善論であるといわねばならないのである。

五 真宗先哲の宿善論

 真宗宗学における宿善論として、普賢大円氏の説によれば、宿善自力説・宿善他力説・当相自力体他力説があげられている。このように過去において、宿善自力説を主張した学者もいたのではあるが、これは高森親鸞会の主張する宿善自力説とはかなり異なるものであったと考えられる。即ち道隠師は『御文明灯鈔通関』に

今私に自力諸善を宿善とするものを案ずるに、自力を他力の因とするといふに非ず、唯これ機を調熟するのみ、謂く多劫に自力諸善を修して其の機をととのへ、以て可信の機既に成熟するときは自力諸善の法を捨て、能く他力の法を信ずるに堪えたり。(真宗叢書十の三八五)

とあるように、自力諸善を宿善とするのはその功徳によって宿善が開発するという意味ではなく、自力諸善を捨てて他力を信ずるように機をととのえるためというのであり、又鮮妙師は『宗要論題決択編』に

宿善の当体は自力の善なり、中に於て諸行あり、念仏あり、皆機を成熟す。(中略)然れば宿善の体は自力なり、自力善を以て自力かなはぬことを知らしむ、例えば酒を止めさするに酒を呑ませて懲らしめて却って酒を止めさすが如く、密意より云へば他力大悲なれども当意は自力なり、酒を勧むるは酒を止めさするため、今自力の善を捨てしめん為に自力の善を与ふるは自力を励ますに非ずして劫って他力を勧むるにあり、之を宿善という。(巻九の三一)

とあるように、宿善の体は自力であるとしながらも、これは自力の善を捨てさせるために自力の善を与えるのであると述べているのであり、決して自力の善の功徳によって宿善が開発するというのではないのである。
次に宿善他力説とは、我々の獲信の因縁となるものは全て他力によるとする説である。曽無一善の煩悩熾盛の衆生にとっては、その宿善は全て他力によって生起されたものと考えるべきことは至極当然のことなのであるが、この説で問題になる点は、もし宿善が全て如来の他力によるとするならば、すべての衆生に平等の宿善が与えられ、一切衆生は平等に救われるべき筈である。しかしながら経典には已今当の往生が説かれており、衆生の往生に時間的遅速があることが示されている。このことは経典の上においても、又現前の事実においても動かすことの出来ないことである。
それでこの点を補うような形のものが、行照師の提唱といわれる当相自力体他力説である。即ち宿善の当相は自力であるが、その体といえば他力によるというのである。しかしながらこの当相自力体他力を説く場合でも真宗の立場はあくまでも絶対他力であるから、衆生が自ら修する善根も実はすべてが如来他力の御はからいによってなさしめられたものと受け取るのである。

 このように真宗先哲の学説においても、若干の相違はあるが、宿善はあくまでも他力によることを据りとするものであり、自己の善根によって宿善を開発させるというような見解は全くみられない。高森親鸞会の宿善論が如何に誤った見解であるかを、この点からも窺うことが出来よう。

む す び

 以上によって明らかなように、高森親鸞会の主張する宿善を自力とし、しかも聴聞(聞法)だけでなしに、破邪顕正(正しい教えをひろめること)や高森親鸞に対する献金等(財施)も獲信のための宿善になるとする宿善論は、宗祖や蓮如上人、それから真宗先哲の見解にもおよそみられない全くの謬見であり、異義であるといわねばならないものである。 先に示したように 『顕正新聞』一八四(昭和52・9・20)に

「後生の一大事の助かるか助からないかは宿善まかせであると蓮如上人は仰言っておられる。宿善は善が宿るとも読めるのだから少しでも善根功徳を積むように心がけることが大切である(中略)時あたかも岐阜会館建設に着工している。(中略)名利のためにひげをなでるよりもすぐ投げ出す千金があれば岐阜会館はたちまちのうちに建ってしまうのである。名利のためにしか金を使い切れないものに、次々と阿弥陀仏は宿善の勝縁を与えて下さっている」

と述べているのであるが、ここにある「後生の一大事の助かるか助からないかは宿善まかせであると蓮如上人は仰言っておられる」とあるが、これはねそらく『御文章』の

あはれく存命のうちにみなく信心決定あれかしと朝夕おもひはんべり。まことに宿善まかせとはいひながら、述懐のこゝろしばらくもやりことなし。(四の一五、真聖全三の四九九)

とある文を指すものと思われる。この文は、高森氏が自分で講演するときに讃題として使用しているものであり、いわば氏の愛用の文である。然るに蓮如上人がここに「まことに宿善まかせ」といっている宿善とは「光明の縁にもよほされて宿善の機ありて……」 (御文章二の十三)とあるように、あくまでも宿善を他力によるとするものであり、又「門徒のかたよりものをとるをよき弟子といい、これを信心のひとゝいへり。これねほきなるあやまりなり」(御文章一の一一)ともあるように財施を宿善とする見解は全くないのである。
にもかかわらず、蓮如上人が宿善まかせといっておられるからといって、自力の宿善を強調し、財施も宿善になると称して献金を募るなどということは全く遺憾なことである。

 以上のように、高森類鸞会の主張する宿善論は、宗祖や蓮如上人の意とは甚しく異なるものであり、全くの謬見といわねばならないであろう。

第二章 二種深信についての問題

 浄土真宗の信心が二種深信であることは周知のとおりであるが、古来これに関連した異義が縷々生じている。現代も教団の内外に異義と断ぜざるを得ないような主張が種々なされているように思われる。以下、高森親鸞会の主張における二種深信に関する問題を取り挙げ、検討することにする。

一 高森親鸞会の問題点

 二種深信に関する異義として従来挙げられているものは、相互に重なる而も有するが地獄秘事(信機秘事)、機歎き安心、信機募り安心、信機正因、信機自力、二心前後起、二心並起、信後に信機の相なし等の義がある。

 高森氏は『顕正新聞』 (親鸞会発行)に

弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためであったの大歓喜は、地獄の釜底でなければ体験できない。(第22号、昭和39・4・15)

と述べ、又『こんなことが知りたい①』 (高森顕徹著)には

 地獄一定と堕ち切ったものでなければ、本当に助かった信心(体験)は獲得出来る筈がないのです。(三一頁)

とあり、以下に

 どうしたら自力が廃るのか。これは説明を聞いて判るものでもなければ、自ら捨てようと思って廃るものでもありません、先ず自ら善知識を求めて真剣に聞法しなければなりません。そして払っても払っても、後から後から現われて、奪えるだけ奪っても、なお心の底に、こびりつく自力の心に悲泣悶絶、求道聞法の絶壁に行きづまり、礦劫流転の逆誇の屍を如来の前に投げ出す体験を通らなければ廃りません。(一一○頁)

とあり、又『こんなことが知りたい②』には

 昔から死ぬ程苦しいことはない、と言われますように、信心決定する前念には本当に死ぬ苦悶を一度は体験させられます、聞法求道に精も根も尽きはてて悲泣悶死した体験を、善導大師は三定死と名づけられ「ゆくも死、かえるも死、とどまるも死、一種として死をまぬがれず」と絶体絶命、地団太ぶんだ体験を述べておられます、親鸞聖人の「いづれの行もおよびがたければとても地獄は一定すみかぞかし」の悲痛のさけびも、この魂の臨終の体験を告白されたものです。大死一番如来の願力によって、この関門を突破された時にはじめて「即得往生後念即生」と身も心も南无阿弥陀仏の絶対の幸福を獲得して生まれかわるのです。(一○○頁)。

とあり、又『絶対の幸福』(親鸞会会員、谷口春子著)には

 地獄より他に行く処のなき我身であったと地獄へ堕ち切った処まで行かなくては助けられた味わいは判りません。(一九頁)

とあり、又  阿弥陀様の光明のお育てにより、素地のままが照し出された時に、逆膀の屍がいが春枝であったと堕ち切ら せて頂くのです。(七七頁) }} とあり、又

 第一我が身は如何なる器であるかを知らなくては、御浄土へは生まれさせて頂けません。お話は良く判っていながらヽ堕ちるぞよの何たる難しき事、一大事です。堕ちるまで聞き抜いて下さいね。二八二頁)。

とあり又、

 本堂で阿弥陀仏のお姿をチラ。と見た時「アア、自分のような者は絶対に助がらん」と、もうこれ以上堕ちるところがないというところまで堕ちてゆきました。その地獄の底で生きた阿弥陀仏とおあいすることができるのです。(二〇三頁)

等とある。以上の文から窺えるように、高森親鸞会の主張は、罪悪深重・地獄一定の自覚を持つべきことを強調し、そこまで堕ち切らないことには信心は得られないと主張するのである。

 この主張と同じように、罪悪深重・地獄一定の自覚を強調して異義とされたものが、地獄秘事(信機秘事)、機歎き安心、信機募り安心等である。

ニ 江州光常寺の主張との比較

 この種の異義で、地獄秘事(信機秘事)の代表的なものとされているが、寛政年間における東本願寺末寺の江州光常寺の主張であり、この内容は『続真宗大系』(真宗典籍刊行会編)第十八巻及び『仏教大辞彙』(龍太絹)によると
(一)二種深心は信機と信法の二種なれば同時に非ずして前後なり。即ち信機は前にして信法は後なり、されば機を先づ信ぜざるべからず。御文にも我が身はわろきいたづら者なりと思ひつめてとあるによって、吾が機を地獄一定と落ち切らざるべからず。かく落ち切れば助くる法は弥陀の手元に存するを以て瞰むるに及ばず、然るに若し誤って法を瞰めんとすれば、これ本願に手をかくるものにして自力なり。瞰めざるは是れ実に深く法を信じたるなりと、地獄一定と知るのみを以て信心となせり。
(二)南無院阿陀仏は機法の二なり。若し其れ阿弥陀仏のみを信ずる時は遂に南無の二字は信ぜざるなり。然るに若し南無の機を深く信ずる時は自ら法に本づくなりと二字と四字と分割して機のみを信ずる義を助成せんとしたものである。

(三)目御文は一往の御教化、月を指すの指なれば深く拘泥すべからずと。
(四)決定心は行者に求むべからず。然るに今時、「決定せし」「頼みし」「信ぜし」と思うなどは悉く是れ自力にして本願に手を掛けたるものなり。
(五)絵像・木像は虚仮にして実の仏体は名号なりとして仏体を軽しめたり。
等と主張したことが述べられている。この中(三)の蓮如上人を軽視する傾向は高森親鸞会にはみられないことであり、(五)の本尊論で名号を重視する点は高森親鸞会と類似する点で興味深いのではあるが、ここでは二種深信の問題について論ずることが目的であるので(三)(五)の点にはこれ以上ふれないことにする。

 (一)(二)(四)より窺えるように江州光常寺の主張は、二種深信の二種は信機が前で信法が後の二心前後起であり、吾が機が地獄一定と落ち切ることが肝要であり、法をながめては自力になるのであり、地獄一定を知るのみをもて信心とするのであり、機法の二つではあるが要は機を信ずることである。そして決定心は行者に求をべきものではないのであり「決定せし、頼みし、信ぜし」ということは、自力であるというのである。

 以上のことから窺えるように、高森親鸞会の主張と光常寺の主張は、双方共に「罪悪深重、地獄一定の自覚を強調する点や信機が前で信法が後であるという二心前後起的傾向は同じであるが、光常寺の主張にみられる「法をながめるのを自力として、地獄一定と知るのみをもって信心とする」信機正因の主張や、「行者の決定心を自力として否定する」不決定心の主張は高森親鸞と相異なるようである。
この点のことは、上に挙げたように『こんなことが知りたい②』には
「いづれの行もおよびがたければとても地獄は一定すゐかぞかしの悲痛のさけびもこの魂の臨終の体験を告白されたものです。大死一番如来の願力によって、この関門を突破された時にはじめて「即得往生、後念即生」と身も心も南元阿弥陀仏の絶対の幸福を獲得して生まれかわるのです」とあり、
『絶対の幸福』には「もうこれ以上堕ちるところがないというところまで堕ちてゆきました。その地獄の底で生きた阿弥陀仏とおあいすることができたのです。」とあるところから、高森親鸞会の主張が光常寺の主張のように、地獄一定を知るのみをもて信心とする信機正因を主張するのではなく、地獄一定の自覚を強調するのではあるが、それによって法の救い即ち本願の救いあえることを主張するのであり、信機のみをいうのではないことが明らかであろう、又「決定心」についてであるが、これについては『顕正』(高森顕徴著)に

 現今の浄土真宗の道俗の中には、此の世で凡夫の我々が救われた、助けられた、大満足出来た、大安心に晴れた、ツユチリ程も疑いない日本晴の境地になった、獲信した、往生一定になった、信心決定した、ということになれるものではないし、又言うべきものではない。信を獲ておるか、いないか吾々凡夫に判るものではない、というような全くアキレタことを思い込み、他人にまで教えて共に迷わせている人が多いので、仏果は浄土に至らねば得られないが、信仰が徹底したかしないか自分にハッキリせんでどうするか、助かったか、助からんか我が身に判らんような信仰があるか、と強調せずにおれないのだ。(七二頁)

とあるように高森親鸞会では「決定心」の存すべきことが強調されるのである。このことには「一念覚知」の問題も関わり複雑であるが、ここでは「不決定心」を主張する光常寺と明白に相違していることを述べることにとどめておくことにする。

 尚、信機秘事(地獄秘事)の代表とされている光常寺の主張の他に信機自力説で有名な頓成の説との対比も必要なことと思われるが、『能登頓成御教誠』(続真宗大系十八所収)によると、頓成は二種深信の名目を否定し、信心とは弥陀法をたのむ他力の一心のみでありとし、信機は自力であり、漸教回心の機が蒙むることであり、一乗円満の機には煩悩具足と信知する必要はないと主張するものであるから、高森親鸞会の主張とは相当に異なると思われるのでここでは詳論しない。

 以上のように高森親鸞会の主張は光常寺の主張とは明確に異なる点もあるが、罪悪深重・地獄一定の自覚を強調する点や二心前後起的傾向は共通であり、二種深信の上で多分に検討を要するものといわねばならないであろう。

三 後生の一大事についての問題

 以上述べて来たように、高森親鸞会は罪悪深重・地獄一定の自覚を強請するのであるが後生の一大事の自覚もまた強調するのである。即ち『顕正新聞』には

 後生の一大事とは何か、人間は必ず一度は死なねばならない、では人間は死んだらどうなるか。釈尊は必堕無間と四十五年間呼びつづけられた。「一切の人は死んだら必ず無間地獄におち八万劫年の間大苦悩をうけねばならない」これを後生の一大事という。(205号、昭和54・6・20)

とあり、又『白道もゆ』(高森顕著)には

 仏法を聞く目的は後生の一大事の解決に極まる……一大事というのは取り返しのつかないことを言ふが、それは無間地獄へ堕在するということである。曽無一善、一生造悪が我々の実相であるから、因果の道理に順じて、必ず無間地獄へ堕ちる。これを経典には必堕無間と説かれている。(一三七頁)

とあり、又『こんなことが知りたい①』には

 親鸞聖人や蓮如上人が不惜身命の覚悟で教示された生死の一大事とはどんなことかとい一ますと、これは後生の一大事といもいわれていますように、総ての人間はやがて死んでゆきますが、一息切れると同時に無間地獄へ堕ちて八万劫年苦しみ続けねばならぬという大事件をいうのです(六頁)

等とあり、又『顕正新聞』に(会員松栄三喜男氏談)

 その時、初めて私も死んだら無間地獄しか行き場がないという後生の一大事を知らされ驚いたのです。……そしてその時会長先生は、この大宇宙が火の海原になっても聞き求め解決しなくてはならないのが後生の一大事であり、後生の一大事の解決唯一つが、仏教を聞く目的であり、一生の目的であるとハッキリ断言して下さいました。(第181号、昭和52・6・20)

ともあるように、後生の一大事の自覚を強調し、「必ず無間地獄に堕ちる」ということを後生の一大事というのである。

 宗祖の言葉には「後生」も「一大事」も見当らないようであるが、蓮如上人の『御文章』には

人間はただゆめまぼろしのあひだのことなり、後生こそまことに永生の楽果なりとおもひとりて、後生こそ一大事なりとおもひて……(一の一〇、真聖全三の四一七)

とあり、又

されば人間のはかなき事は老少年不定のさかひなれば、誰の人もはやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏を深くたのみまいらせて念仏申すべきものなり。(五の一六、真聖全五の五一三)

等とある。蓮如上人が「後生」の依り所とした語句は恐らく『大経』下巻の

雖一世勤苦須臾之間、後生無量寿仏国快楽無極。(真聖全一の三五)

とある「後生」や『往生礼讃』前序の

前念命終後念即生彼国、長時永劫常受無為法楽。(真聖全一の六五二)

とある。「後念即生」とあるのに依ったものと思われる。従って、後生とは元来は「往生浄土(極楽)」の意で使われていると考えられる。しかれば宗祖自身の言葉の上で窺えば、善鸞義絶の消息にみえる

いかにいはむや、往生極楽の大事をいひまどわして……(真聖全二の七二八)

とある「往生極楽の大事」ということが、後生の一大事という意になると考えることが出来よう。尚、蓮如上人の『帖外御文章』には

世間は一且の浮生、後生は永生の楽果なれば、今生はひさしくあるべき事にもあらず候。後生といふ事は、ながき世まで地獄にをつる事なれば、いかにもいそぎ後生の一大事を思ひとりて、弥陀の本願をたのみ、他力の信心を決定すべし。(蓮如上人遺文、稲葉昌丸編、五〇三頁)

とあり、後生を単に今生に対する意に用い「ながき世まで地獄におつる事」とあるところは、高森親鸞会の主張の根拠になるとも思はれるが、ここにも「後生は永生の楽果」とあるのであり、いずれにせよ主意とするところは「往生浄土(極楽)の大事」ということであろうと考えられる。

 以上のことから考察して宗祖および蓮如上人の言葉の上から窺える「後生の一大事」ということは「往生浄土(極楽)の一大事」あるいはせいぜい「往生浄土(極楽)できるかどうかの一大事」という程の意味であり、高森親鸞会の主張するような「必ず無間地獄に堕ちる」ということを後生の一大事といっているのではないことは明らかであり、このことからも高森親鸞会は、地獄一定の自覚を強要する地獄秘事(信機秘事)の傾向の存するものとの非難はまぬがれないであろう。

む す び

 以上、高森親鸞会の主張の二種深信に関しての問題点を述べてきたが、抑も二種深信とは善導の『散善義』に

深信と言うは、即ち是れ深信の心也。亦二種有り。一に者決定して深く自身は現に是れ罪悪生死の凡夫、曠劫より已来、常に没し常に流転して、出離の縁有ること無しと信ず。二に者決定して深く彼の阿弥陀仏の四十八願は衆生を摂取して疑い無く慮り無く、彼の願力に乗じて定んで往生を得と信ず。(真聖全一の五三 四)

とあるものである。宗祖は『愚禿鈔』にこの二種深信の文を引き、その後に

今斯の深信は、他力至極の金剛心、一乗元上の真実信海也。(真聖全二の四六七)

と述べているように、一者、二者とある二種の深信がそのまま他力至極の金剛心であると示し、二種の深信は他力金剛心(信心)の相を分けたものとしているのである。このことから従来、信機・信法は一具であり、二種は別々でもなければ前後でもない、二種一員の信といわれるのである

 然るに上に述べて来たように、高森親鸞会の主張は、地獄秘事(信機秘事)の代表とされている江州光常寺の主張と同一ではないが、地獄一定と自覚したところで初めて法の救い(本願の救い)にあえると主張して、自己の罪悪性・地獄一定の自覚を強調するのであるから、二種深信は信機が前で信法が後という二心前後起的な主張であり、又、後生の一大事についても、宗祖や蓮如上人の意とは異なる「必ず無間地獄に堕ちる」ことがそれであると主張して地獄一定の自覚をすすめるのであるから、やはり、地獄秘事(信機秘事)、機敷き安心、信機募り安心、二心前後起等の異義に類するものといわねばならないであろう。