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西方指南抄/上末

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真宗高田派で伝時されてきた、親鸞聖人筆(国宝)の法語集。親鸞聖人が師匠である法然聖人の法語・消息・行状記などを、収集した書物。奥書より康元元(1256)年~康元二(1257)年頃(84~85歳)書写されたものと思われる。テキストは、ネット上の「大藏經テキストデータベース」を利用し、『真宗聖教全書』に依ってページ番号を付した。これによってページ単位でもリンクも可能である。
読む利便を考えカタカナをひらがなに、旧字体を新字体に変換した。また、適宜改行を付した。各サブタイトルは『昭和新修 法然聖人全集』などを参考に適宜、私に於いて付した。
なお、いかなる場合においても、本データベースの利用、及び掲載文章等を原因とすることによって生じたトラブルについて、当サイトは一切その責を負いません。

西方指南抄 上末

法然聖人御説法事

大経

次に『双巻無量寿経』・浄土三部経の中には、この経を根本とするなり
其故は、一切の諸善は願を根本とす[1]、而に此経には弥陀如来の因位の願をときていはく、 乃往過去久遠無量無央数劫に仏ましましき、世自在王仏とまふしき。そのとき一人の国王ありき。仏の説法をききて、無上道心をおこして、国をすて王をすてて、家をいでて沙門となれり、なづけて法蔵比丘といふ。
すなはち世自在王仏の所に詣て、右にめぐること三匝して、頂(長)跪合掌して仏をほめたてまつりてまうしてまうさく、われ浄土をまうけて、衆生を度せむとおもふ、ねがわくはわがために、経法をときたまへと。
そのとき世自在王仏、法蔵比丘のために、二百一十億諸仏の浄土の、人天の善悪・国土の麁妙をとき、また現じてこれをあたへたまふ。 法蔵比丘、仏の所説をきき、また厳浄の国土をことごとくみおはりてのち、五劫のあひだ思惟し取捨して、二百一十億の浄土の中より、えらびとりて、四十八の誓願をまうけたり。
この二百一十億の諸仏のくにの中より、善悪の中には、悪をすてて善をとり、麁妙の中には、麁をすてて妙をとる、 かくのごとく取捨し選択して、この四十八願をおこせるがゆへに、この経の同本異訳の『大阿弥陀経』には、この願を選択の願[2]ととかれたり、その選択のやう、おろおろまふしひらき候はむ。

まづはじめの無三悪趣の願は、かの諸仏の国土の中に、三悪道あるおばゑらびすてて、三悪道なきおばゑらびとりて、わか願とせり。
次に不更悪趣の願は、かの諸仏のくにの中に、たとひ三悪道なしといへども、かの国の衆生また他方の三悪道におつることあるくにおばゑらびすて、すべて三悪道にかへらざるくにをゑらびとりて、わが願とせるなり。
次に悉皆金色の願、次に無有好醜の願、一一の願みなかくのごとしとしるべし。
第十八の念仏往生の願は、かの二百一十億の諸仏の国土の中に、あるいは布施をもて往生の行とするくにあり、あるいは持戒および禅定・智恵等、乃至 発菩提心、持経・持呪等、孝養父母・奉事師長等、かくのごときの種種の行をもて、おのおの往生の行とするくにあり。あるいはまた、もはらそのくにの教主の名号を称念するをもて、往生の行とするくにもあり。
しかるにかの法蔵比丘、余行をもて往生の行とする国おばえらびすてて、ただ名号を称念して往生の行とする国をえらびとりて、わか国土の往生の行ひ、かくのごとくならむと、たてたまへるなり。
次に来迎引接の願、次に係念定生の願、みなかくのごとくえらびとりて、願じたまへり。凡そはじめ無三悪趣の願より、おはり得三法忍の願にいたるまで、思惟し選択するあひだ、五劫おばおくりたるなり。
かくのごとく選択し摂取してのちに、仏のみもとに詣して、一一にこれをとく。その四十八願ときおはりてのち、また偈をもてまふさく、

我建超世願、必至無上道、
斯願不満足、誓不成正覚[3]

乃至

斯願若剋果、大千応感動、
虚空諸天人、当雨珍妙華[4]

と、
かの比丘この偈をときおはるに、ときに応じて、あまねく地六種に震動し、天より妙華そのうえに散じて、自然の音楽空の中にきこへ、また空の中にほめていはく、決定してかならず無上正覚なるべしと。
しかればかの法蔵比丘の四十八願は、一一に成就して決定して仏になるべしといふことは、そのはじめ発願のとき、世自在王仏の御まへにして、諸魔・竜神八部・一切大衆の中にして、かねてあらわれたることなり。しかればかの世自在王仏の法の中には、法蔵菩薩の四十八願経とて、受持読誦しき。
いま釈迦の法の中なりといふとも、かの仏の願力をあおぎて、かのくににむまれむとねがふは、この法蔵菩薩四十八願の法門にいるなり。
すなはち道綽禅師・善導和尚等も、この法蔵菩薩の四十八願法門にいりたまへるなり。
かの華厳宗の人は『華厳経』をたもち、あるいは三論宗の人は『般若経』等をたもち、あるひは 法相宗の人は『瑜伽』『唯識』をたもち、あるひは天台宗の人は『法華』をたもち、あるひは善無畏は『大日経』をたもち、金剛智は『金剛頂経』をたもつ。かくのごとく、おのおの宗にしたがふて、依経依論をたもつなり。

いま浄土宗を宗とせむ人は、この経によて四十八願法門をたもつべきなり。この経をたもつといふは、すなはち弥陀の本願をたもつなり、弥陀の本願といふは法蔵菩薩の四十八願法門なり。
その四十八願の中に、第十八の念仏往生の願を本体とするなり。かるがゆへに善導のたまはく、「弘誓多門四十八、偏標念仏最爲親」[5]といへり。念仏往生といふことは、みなもとこの本願よりおこれり。しかれば『観経』・『弥陀経』にとくところの念仏往生のむねも、乃至 余の経の中にとくところも、みなこの経にとけるところの本願を根本とするなり。

なにをもてかこれをしるとならば、『観経』にとくるところの光明摂取を、善導釈したまふに、「唯有念仏蒙光摂 当知本願最爲強」[6]といへり。この釈のこころ、本願なるがゆへに光明も摂取すときこえたり。
またおなじ経に、下品上生に聞経と称仏とをならべてとくといえども、化仏きたりてほめたまふには、ただ称仏の功をのみほめて、聞経おばほめたまはずといへり。善導釈していはく、「望仏本願意者 唯勧正念称名 往生義疾 不同雑散之業」[7]といへり。
これまた本願なるがゆへに、称 仏おばほめたまふときこへたる。またおなし経の付属の文を釈したまふにも、「望仏本願 意在衆生 一向専称弥陀仏名」[8]といへり。
これまた弥陀の本願なるがゆへに、釈尊も付属し流通せしめたまふときこへたり。また『阿弥陀経』にとくるところの一日七日の念仏を、善導ほめたまふに、「直爲弥陀 弘誓重 致使凡夫 念即生」[9]といへり。これまた一日七日の念仏も、弥陀の本願なるかゆへに往生すときこえたり。乃至 双巻経の中にも、三輩已下の諸文はみなかみの本願によるなり、凡そこの三部経にかぎらす、一切諸経の中にあかすところの念仏往生は、みなこの経の本願をのぞまむとて、とくるなりとしるべし、

抑(そもそも)法蔵菩薩、いかなれば余行をすてて、ただ称名念仏の一行をもて、本願にたてたまへるぞといふに、これに二の義あり。一には念仏は殊勝の功徳なるがゆへに、二は念仏は行じやすきによて、諸機にあまねきかゆへに。
はしめに殊勝の功徳なるがゆへにといふは、かの仏の因果総別の一切の万徳、みなことごとく名号にあらわるるかゆへに、一たびも南無阿弥陀仏ととなふるに、大善根をうるなり。ここをもて、『西方要決』にいはく、「諸仏願行成此果名、但能念号具包衆徳、故成大善不廃往生」[10]といへり。またこの経に、すなはち一念をさして無上功徳とほめたり。しかれば殊勝の大善根 なるかゆへに、えらびて本願としたまへるなり。
二には修しやすきがゆへにといふは、南無阿弥陀仏とまふすことは、いかなる愚痴のものも、おさなきも、老たるも、やすくまふさるるがゆえに、平等の慈悲の御こころをもて、その行をたてたまへり。もし布施をもて本願とせは、貧窮困乏のともがら、さだめて往生ののぞみをたたむ。もし持戒をもて本願とせば、破戒・無戒のたぐひ、また往生ののぞみをたつへし。もし禅定をもて本願とせば、散乱麁動のともがら、往生すべからす。もし智恵をもて本願とせば、愚鈍下智のもの、往生すべからず。自余の諸行も、これになすらへてしるへし。

しかるに布施・持戒等の諸行にたえたるものは、きわめてすくなく、貧窮・破戒・散乱・愚痴のともがらは、はなはだおほし。しかれは、かみの諸行をもて本願としたまひたらましかば、往生をうるものはすくなく、往生せぬものはおほからまし。
これによて法蔵菩薩、平等の慈悲にもよおされて、あまねく一切を摂せむがために、かの諸行をもては往生の本願とせず、ただ称名念仏の一行をもて、その本願としたまへるなり。かるかゆへに法照禅師のいはく、

於未来世悪衆生、称念西方弥陀号、
依仏本願出生死、以直心故生極楽。[11]

又云

彼仏因中立弘誓 聞名念我総迎来
不簡貧窮将富貴 不簡下智与高才
不簡多聞持浄戒 不簡破戒罪根深
但使回心多念仏 能令瓦礫変成金{五会法事讃巻本}[12]

かくのごとく誓願をたてたりとも、その願成就せずは、まさにたのむべきにあらず。しかるに、かの法蔵菩薩の願は、一一に成就して、すでに仏になりたまへり。その中に、この念仏往生の願成就の文にいはく、「諸有衆生、聞其名号信心歓喜、乃至一念、至心迴向願生彼国、即得往生在不退転」[13]と云。

次に三輩の往生は、みな一向専念無量寿仏といへり。この中に菩提心等の諸善ありといゑども、かみの本願をのぞむには、一向にもはら、かの仏の名号を念するなり。例せは、かの観経の疏に釈せるがごとし、かみよりこのかた、定散両門の益をとくといゑとも、仏の本願をのぞむには、こころ、衆生をして一向にもはら、弥陀仏のみなを称するにありといへり。
望仏本願といふは、この三輩の中の一向専念をさすなり。次に流通にいたて、「其有得聞彼坲名号、歓喜踊躍、乃至一念、当知此人爲得大利、即是具足無上功徳」[14]といへり。善導の御こころは、「上尽一形下至一念 無上功徳」[15]なりと。
余師のこころによらば、たた少をあげて、多をあらはすなりといへり。
次に「当来之世経道滅尽、我以慈悲哀愍特留此経止住百歳、其有衆生値此経者、随意所願皆可得度」[16]といへり。
この末法万年ののち、三宝滅尽のときの往生をおもふに、一向専念の往生の義をあかすなり。そ のゆへは、菩提心をときたる諸経みな滅しなば、なにによてか菩提心の行相おもしらむ、大小の戒経みなうせなは、なにによてか二百五十戒おも、五十八戒おもたもたむ。仏像あるまじければ、造像起塔の善根もあるべからす。乃至持経・呪等も、またかくのごとし。そのときに、なほ一念するに往生すといへり。
すなはち善導いはく、「爾時聞一念 皆当得生彼」[17]{礼讃}といへり。かれをもていまをおもふに、念仏の行者は、さらに余の善根におひて一塵も具せずとも、決定して往生すべきなり。
しかれば、菩題心をおこさずは、いかてか往生すべき、戒をたもたずしては、いかが往生すべき、智慧なくては、いかがすへき、妄念をしづめずしては、いかが往生すべきなむと。
かくのごとくまふす人人候は、この経をこころえぬにて候なり。懐感禅師この文を釈せるに、「説戒受戒もみな成ずへからず、甚深の大乗もしるべからず、さきだちて隠没しぬれば、ただ念仏のみさとりやすくして、浅識の凡愚、なほよく修習して、利益をうべし」{群疑論巻三}といへり。
まことに戒法滅しなば、持戒あるべからす、大乗みな滅しなば、発菩提心・読誦大乗もあるべからずといふこと、あきらかなり。
浅識凡愚といへり、しるべし、智慧にあらずといふことを。かくのごときのともがらの、ただ称名念仏の一行を修して、一声まて往生すべしといへるなり。これすなはち弥陀の本願なるが ゆへなり。すなはちかの大悲本願の、とおく一切を摂する義なり。

小経

次に『阿弥陀経』は、「不可以少善根福徳因縁 得生彼国。舎利弗、若有善男子善女人、聞説阿弥陀仏、執名号若一日乃至七日」[18]といへり。善導和尚釈にいはく、「随縁雑善恐難生、故使如来選要法」[19]といへり。
ここにしりぬ、雑善をもては少善根となづけ、念仏をもて多善根といふことを。
この経はすなはち、少善根なる雑善をすてて、もはら多善根の念仏をとけるなり。ちかごろ唐よりわたりたる『龍舒浄土文』とまふす文候、それに『阿弥陀経』の脱文とまふして、二十一字ある文をいたせり。一心不乱の下に、「専持名号、以称名故、諸罪消滅、即是多善根福徳因縁」[20]といへり。
すなはちかの文にこの文をいたしていはく、いまのよにつたわるところの本に、この二十一字を脱せりといへり。この脱文なしといふとも、ただ義をもておもふに、多少の義ありといへども、まさしく念仏をさして多善根といへる文、まことに大切なり。

次に六方如来の証誠をとけり、かの六方諸仏の証誠、ただこの経にのみかぎりて証誠したまふににたれども、実をもて論ずれは、この経のみにかぎらす、すべて念仏往生を証誠するなり。しかれとも、もし『双巻経』について証誠せば、かの経に念仏往生の本願をとくといへども、三輩の中に菩提心等の行あるがゆへに、念仏の一行証誠するむねあらわるべからす。
又『観経』について証誠せば、かの経にえらむて念仏を付属すといゑとも、まづは定散の諸門をとくがゆへに、また念仏の一行にかぎるとみゆべからず。ここをもて、ただ一向にもはら念仏をときたる、この経を証誠したまふなり。ただ証誠のみことは、この経にありといへども、証誠の義は、かの『双巻観経』にも通ずべし、『双巻観経』のみにあらず、もし念仏往生にむねをとかむ経おば、ことごとく六方如来の証誠あるべしと、こころうべきなり。

かるがゆへに、天台の『十疑論』にいはく、「『阿弥陀経』・『大無量寿経』・『鼓音声陀羅尼経』等にいはく、釈迦仏経をときたまふときに、「有十方世界各恒河沙諸仏、舒其舌相遍覆三千世界、証誠一切衆生念阿弥陀仏、本願大悲願力故、決定得生極楽世界」[21]」といへり 乃至

{漢文なし}

浄土五祖

次に往生浄土の祖師の五の影像を図絵したまふに、おほくこころあり。まづ恩徳を報ぜむかため、次には賢をみては、ひとしからむことをおもふゆへなり。天台宗を学せん人は、南岳・天台を見たてまつりて、ひとしからはやとおもひ、真言をならはむ人は、不空・善無畏をみては、ひとしからむとおもひ、華厳宗の人は、香象・恵遠のことくならむとおもひ、法相宗の人は、玄奘・慈恩のことくならむとおもひ、三論と学者は、浄影大師をもうらやみ、持律の行者は、道宣律師おもとおからすおもふへきなり。

しかれは、いま浄土をねがはむ人、その宗の祖師をまなぶべきなり、しかるに、浄土宗の師資相承に二の説あり。『安楽集』のごときは、菩提流支・恵寵法師・道場法師・曇鸞法師・斉朝の法上法師等の六祖をいだせり。今また五祖といふは、曇鸞法師・道綽禅師・善導禅師・懐感禅師・小康法師等なり。

曇鸞法師は、梁・魏両国の無双の学生也。
はじめ寿長して仏道を行せむかために、陶隠居にあふて仙経をならふて、その仙方によて修行せんとしき。のちに菩提流支三蔵にあひたてまつりて、仏法の中に、長生不死の法の、この土の仙経にすぐれたるや候と、とひたてまつりたまひければ、三歳唾を吐てこたえたまふやう、とえることばをもて、いひならふべきにあらず、この土いづれのところにか、長生の方あらむ。命ながくして、しばらくしなぬやうなれども、ついにかへりて三有に輪迴す。ただこの経によて修行すべし、すなはち長生不死の所にいたるべしといふて、『観経』を授たまへり。
そのとき、たちまちに改悔のこころをおこして、仙経を焼て、自行化他、一向に往生浄土の法をもはらにしき。『往生論の注』、また『略論安楽土義』等の文造れる也。并州の玄忠寺に三百余人門徒あり。臨終のとき、その門徒三百余人あつまりて、自は香呂をとりて、西に向て、弟子ともに声を等して、高声念仏して命終しぬ。そのとき道俗、おほく空中に音楽を聞といへり。

道綽禅師は、本は涅槃の学生なり。并州の玄忠寺にして、曇鸞の碑文をみて、発心して云、「かの曇鸞法師、智徳高遠なり、なほ講説をすてて、浄土の業を修して、すてに往生せり。いはむやわが所解所知、おほしとするにたらむや」と云て、すなはち涅槃の講説をすてて、一向にもはら念仏を修して、相続してひまなし。つねに『観経』を講して人を勧たり。并州の晋陽・大原・汶水の三県の道俗、七歳已上は、悉く念仏をさとり、往生をとけたり。又人を勧て、涕唾便利西方に向はず、行住坐臥西方を背かす。又『安楽集』二巻、これを造れり。凡そ往生浄土の教法弘通、道綽の御力なり。『往生伝』等を見るにも、多く道綽の勧を受て往生をとげたり、善導も、この道綽の弟子也。しかれば終南山の道宣の伝に云、「西方の道教の弘ることは、これより起る」{続高僧伝巻二〇意}と云。又曇鸞法師、七宝の船に乗て、空中に来れるをみる。又化仏菩薩空に住する事七日、そのとき天華雨て、来り集る人人、袖にこれをうく。かくのごとく、不可思議の霊瑞多し、終のとき、白雲西方より来て、三道の白光と成て房中を照す、五色の光空中に現す。又墓の上に紫雲三度現する事あり。

善導和尚いまだ『観経』をえざるさきに、三昧をえたまひたりけると覚候。そのゆへは、導綽禅師にあふて『観経』をゑてのち、この経の所説、わが所見におなじとのたまへり。導和尚の念仏したまふには、口より仏出たまふ。『曇省の讃』に云、「善導念仏仏従口出」{善導大師別伝纂註末尾所載}といへり。同念仏をまふすとも、かまえて善導のごとく、口より仏出たまふばかり、まふすべきなり。「欲如善導妙在純熟」{曇省の讃曇省の讃}とまふして、誰なりとも、念仏をたにもまことに申て、その功熟しなは、口より仏は出たまふへき也。
道綽禅師は師なれども、いまだ三昧を発得せす。善導は弟子なれども、三昧をえたまひたりしかば、道綽わが往生は一定か不定かと、仏にとひたてまつりたまへと、のたまひければ、善導禅師、命をうけて、すなはち定に入て、阿弥陀仏にとひたてまつりしに、仏言、道綽に三の罪あり、すみやかに懺悔すへし。その罪懺悔して、定て往生すへし。一には仏像・経巻おは、ひさしに安て、わか身は房中に居す、二には出家の人をつかふ、三には造作のあひだ虫の命を殺す、十方の仏前にして第一の罪を懺悔すべし、諸僧の前にして第二の罪を懺悔すべし、一切衆生の前にして第三の罪を懺悔すべしと。
善導すなはち定より出て、このむねを道綽につげたまふに、道綽云、しづかにむかしのとがをおもふに、これみな空からずと云て、こころを至て懺悔すと云。しかれは師に勝たる也、善導は、ことに火急の小声念仏を勧て、数をさためたまへり、一万二万三万五万乃至十万と云。

懐感禅師は、法相宗の学生也。広く経典をさとりて、念仏おば信せず。善導に問云、念仏して仏を見たてまつりてむやと。導和尚答云、仏の誠言なんぞうたがはむや。懐感この事について、忽に解をひらき信を起て、道場に入て高声に念仏して、見たてまつらむと願するに、三七日まてに、その霊瑞をみず。そのとき感禅師、自罪障の深して、仏をみたてまつらさることを恨て、食を断じて死せんとす。善導制してゆるさす、のちに『群疑論』七巻を造ると云。感師はことに高声念仏を勧たまへり、

小康法師は、本は持経者也。十五歳にして、『法華』・『華厳』等の経五部を読み覚へたり。これによて、『高僧伝』には、読誦篇に入れたれども、ただ持経者のみにあらず、瑜伽・唯識の学生也。のちに白馬寺に詣て、堂内をみれば、光りはなちたる物あり。これを探取て見れば、善導の西方化導の文也。小康これをみて、こころ忽に歓喜して、願を発て云、われもし浄土に縁あらば、この文再び光を放てと。かくのことく誓了りて見れば、重て光を放つ、その光の中に化仏菩薩まします。歓喜やめがたくして、つゐに又長安の善導和尚の影堂に詣して、善導の真像を見れば、化して仏身となりて、小康にのたまはく、
汝わが教によて、衆生を利益し、同く浄土に生ずべしと。これを聞て、小康所証あるがごとし。後に人を勧めむとするに、人その教化にしたがはず。しかるあひだ、銭をまうけて、まづ小童等を勧て、念仏一返に銭一文をあたふ。のちに十遍に一文、かくのごとくするあひだ、小康の行に、小童等ついてをのをの念仏す。又小童のみにあらず、老少男女をきらはず、みなことごとく念仏す。かくのごとくしてのち、浄土堂を造て、昼夜に行道して念仏す。所化にしたがふて道場に来り集る輩、三千余人也。又小康高声に念仏するを見れば、口より仏出たまふこと、善導のごとし。このゆへに時人、後善導となづけたり。浄土堂とは、唐のならひ、阿弥陀仏をすえたてまつりたる堂をば、みな浄土堂となづけたる也、
五祖の御徳、要をとるにかくのごとし。

念仏往生

又『無量寿経』は、如来の教をまうけたまふこと、みな済度衆生のためなり。かるがゆへに、衆生の機根まちまちなるがゆへに、仏の経教も又無量なり。

しかるに今の経は、往生浄土のために、衆生往生の法を説たまふ也。阿弥陀仏修因感果の次第、極楽浄土の二報荘厳のありやうを、くはしく説たまへるも、衆生の信心を勧て、欣求のこころをおこさせむがため也。しかるにこの経の詮には、われら衆生の往生すべきむねを説たまへる也。ただしこの経を釈するに、諸師のこころ不同也。今しばらく善導和尚の御こころをもてこころえ候に、この経は、ひとへに専修念仏のむねを、説を、衆生往生の業としたまゑるなり。
なにをもてこれをしるといふに、まづかの仏の因位の本願を説く中に、「設我得仏 十方衆生 至心信楽 欲生我国 乃至十念 若不生者 不取正覚」[22]と云。かの仏の因位、法蔵比丘のむかし、世自在王仏のみもとにして、二百一十億の諸仏妙土の中よりえらびて、四十八の誓願を起て、浄土をまふけて仏になりて、衆生をしてわがくにに生れさすべき行業をえらびて、願じたまひしに、またく行おばたてずして、ただ念仏の一行をたてたまへる也。かるがゆへに『大阿弥陀経』には、すべてかの仏の願おば選択して、たてたまふゆへなり。『大阿弥陀経』、この経は同本異訳の経也。

しかるに往生の行は、われらがさかしく、いまはじめてはからふべきことにあらず、みなさだめおけることなり。法蔵比丘もし悪をえらびてたてたまはば、世自在王仏なほさでおはしますべきかは、かの願どもとかせてのち、決定無上正覚なるべしと授記したまはむ。
法蔵菩薩かの願たてたまひて、兆載永劫のあひだ、難行苦行積功累徳して、すでに仏になりたまひたれば、むかしの誓願一一にうたがふべからず。しかるに、善導和尚この本願文を引てのたまはく、「若我成仏十方衆生、称我名号下至十声、若不生者不取正覚、彼仏今現在成仏、当知本誓重願不虚、衆生称念必得往生」[23]{礼讃}と云。
まことにわれら衆生、自力ばかりにて往生をもとむるにとりてこそ、この行業は、仏の御こころにかなひやすらむ、またなにとも不審にもおぼへ、往生も不定には候べき。念仏を申て往生を願はむ人は、自力にて往生すべきにはあらず、ただ他力の往生也。
本より仏のさだめおきて、わが名号をとなふるものは、乃至十声一声までも、むまれしめたまひたれば、十声一声念仏にて、一定往生すべければこそ、その願成就して、成仏したまふと云ふ道理の候へば、唯一向に仏の願力をあをぎて、往生おば決定すへきなり。わが自力の強弱をさだめて、不定におもふへからず。かの願成就の文、この経の下巻にあり、その文に云く、「諸有衆生 聞其名号 信心歓喜 乃至一念、至心迴向願生彼国、即得往生住不退転」[24]と云。

凡そ四十八願浄土を荘厳せり、華池宝閣願力にあらずと云ことなし。その中に、ひとり念仏往生の願のみ、うたがふへからず。極楽浄土もし浄土ならば、念仏往生も決定往生也。

次に往生の業因は念仏の一行定と云とも、行者の根性にしたがつて上・中・下あり。かるがゆへに三輩の往生を説。すなわち上輩の文云く、「其上輩者 捨家棄欲而作沙門、発菩提心一向専念無量寿仏」[25]と云。中輩の文云、「雖不能行作沙門大修功徳、当発無上菩提心、一向専意乃至十念、念無量寿仏」[26]と云り。
当座の道師、私に一の釈をつくり候。この三輩の文の中に、菩提心等の余行ありといへども、上の仏の本願を望には、こころ、衆生をしてもはら無量寿仏を念せしむるにあり。
かるがゆへに一向と云。又『観念法門』に善導釈して云、又此経下巻初云、「仏説一切衆生根性不同有上中下、随其根性皆勧専念無量寿仏名、其人命欲終時、仏与聖衆自来迎接尽得往生」[27]と云。

この釈のこころ、三輩ともに念仏往生也。まことに一向の言は、余をすつる言なり、例せは、かの五天竺の三寺のことし、一には一向大乗寺、二には一向小乗寺、三には大小兼行寺、かの一向大乗寺中には、小乗の学することなし、一向小乗寺には、大乗を学するものなし。大小兼行寺の中には、大乗小乗ともに兼学するなり。大小の両寺は、ともに一向の言をおく、二を兼たる寺には、一向の言をおかす。
これをもてこころえ候に、今の経の中に一向の言もまたしかなり。もし念仏の外に余行をならぶれば、すなわち一向にあらす。
かの寺になずらへば、兼行と云べし、すでに一向と云、しるべし、余行をすつといふ事を。ただこの三輩の文の中に、余行を説について、三の意あり、一には諸行をすてて念仏に帰せしめむがために、ならべて、余行を説て、念仏におひて一向の言をおく。二には念仏の人をたすけむがために、諸善を説。三には念仏と諸行とをならべて、ともに三品の差別をしめさむがために、諸行を説。この三の義の中には、ただはじめの義を正とす、のちの二は傍義也。

次にこの経の流通分の中に説て云。 「仏語弥勒、其有得聞彼仏名号、歓喜誦躍乃至一念、当知此人爲得大利、則是具足無上功徳」[28]と云。上の三輩の文の中に、念仏のほかにもろもろの功徳を説といへども、余善おばほめず、たた念仏の一善をあげて、無上の功徳と讃嘆して、未来に流通せり。念仏の功徳は、余の功徳に勝たること、あきらかなり。大利と云は、小利に対する言なり。
無上と云は、この功徳の上する功徳なしと云義也。すでに一念を指て大利と云、又無上と云、いはむや二念・三念乃至十念おや。いかにいはむや百念・千念乃至万念おや。これ則少を上て多を決する也。この文をもて、余行と念仏と相対してこころうるに、念仏すなわち大利也。余善はすなわち小利也。念仏は無上也、余行は又有上也。すべては往生を願ぜむ人、なんぞ無上大利の念仏をすてて、有上小利の余善を執せむや。

次にこの経下巻の奥に云、「当来之世経道滅尽、我以慈悲哀愍、特留此経止住百歳、其有衆生値此経者、随意所願皆可得度」[29]と云。
善導此文を釈して云、「万年三宝滅、此経住百年、爾時聞一念、皆当得生彼」{礼讃}[30]といへり。
釈尊の遺法に三時の差別あり、正法・像法・末法也。その正法一千年のあひだ、教・行・証の三ともに具足せり。教のごとく行するに、したがふて証えたり。像法一千年のあひだは、教行はあれども証なし。教にしたがふて行すといゑども、悉地をうることなし。末法万年のあひだは、教のみあて行証なし。わづかに教門はのこりたれども、教のごとく行するものなし。行ずれともまた証をうるものなし。その末法万年のみちなむのちは、如来の遺教みなうせて、住持の三宝ことことく滅して、おほよそ仏像経典もなく、頭を剃り衣を染る僧もなし。
仏法と云こと、名字をだにもきくへからす。しかるにそのときまで、ただこの『双巻無量寿経』一部二巻ばかり、のこりとどまりて、百年まて住して、衆生を済度したまふこと、まことにあはれにおほえ候。『華厳経』も『般若経』も、『法華経』も『涅槃経』も、おほよそ大小権実の一切諸経、乃至『大日』・『金剛頂』等の真言秘密の諸経も、みなことごとく滅したらむとき、ただこの経ばかりとどまりたまふことは、なに事にかとおぼえ候。釈尊の慈悲をもてとどめたまふこと、さだめてふかきこころ候らむ。仏智まことにはかりがたし、ただし阿弥陀仏の機縁、この界の衆生にふかくましますゆへに、釈迦大師も、かの仏の本願をととめたまふなるべし。この文について按し候に、四のこころあり、
一には聖道門の得脱は機縁あさく、浄土門の往生のみ機縁ふかし。かるがゆへに、三乗一乗の得脱をとける諸経は、さきだちて滅して、ただ一念十念の往生をとげるこの経ばかり、ひとりとどまるべし。
二には往生につきて、十方浄土は機縁あさく、西方浄土は機縁ふかし。かるかゆへに、十方浄土を勧たる諸経は、ことごとく、滅して、ただ西方の往生勧たるこの経、ひとりとどまるへし。
三には兜率の上生は機縁あさく、極楽の往生は機縁ふかし。ゆへに『上生』『心地』等の兜率を勧たる諸経は、みな滅して、極楽を勧たるこの経、ひとりとどまるべし。
四には諸行の往生は機縁あさく、念仏の往生は機縁ふかきゆへに、諸行を説く諸経は、みな滅して、念仏を説けるこの経のみ、ひとりとどまりたまふべし。この四の義の中に、真実には、第四の念仏往生のみとどまるべしと云義、正義にて候也。
特留此経止住百歳ととかれたれば、この二軸の経典、ひとりのこるべきかと、きこへ候へども、まことには、経巻はうせたまひたれども、ただ念仏の一門ばかりとどまりて、百年あるべきにやと、おぼえ候。かの秦始皇が、書を焼き儒を埋こしとき、『毛詩』と申す文ばかりは、のこりたりと申すこと候。それも文はやかれたれども、詩はとどまりて口にありと申して、詩おば人そらにおぼへたりけるゆへに、『毛詩』ばかりはのこりたりと、申すこと候をもて、こころえ候に、この経とどまりて百年あるべしと云も、経巻はみな隠滅したりとも、南無阿弥陀仏とまふすことは、人の口にとどまりて、百年までも、ききつたへむずる事と、おぼへ候。経といふは、また説ところの法を申すことなれば、この経は、ひとへに念仏の一法を説けり。
されは「爾時聞一念 皆当得生彼」{礼讃}とは、善導も釈したまへる也。これ秘蔵の義也。たやすく申すべからす。

すべてこの『双巻無量寿経』に、念仏往生の文七所あり。
一には本願の文、二には願成就の文、三には上輩の中に一向専念の文、四には中輩の中の一向専念の文、五には下輩の中の一向専意の文、六には無上功徳の文、七には特留此経の文也。
この七所の文を、また合して三とす。
一には本願、これを二つを摂す、はじめの発願成就也。二には三輩、これに三を摂す、上輩・中輩・下輩なり。この下輩について二類あり、三には流通、これに二を摂す、無上功徳・特留此経なり。本願は弥陀にあり、三輩已下は釈迦の自説也。それも弥陀の本願にしたがふて説たまへる也。
三輩の文の中に、おのおの一向専念と勧たまへるも、流通の中に、無上功徳と讃嘆したまへるも、特留此経ととどめたまへるも、みなもと弥陀の本願に随順したまへるゆへなり。しかれは念仏往生とまふすことは、本願を根本とする也。
詮ずるところこの経は、はじめよりおはりまで、弥陀の本願を説とこころうへき也。
双巻経の大意、略してかくのごとし。


観経

次に『観無量寿経』は、この大意をこころえむとおもはば、かならづ教相を知べき事也。教相を沙汰せねば、法門の浅深差別あきらかならざる也。
しかるに諸宗にみな立教開示あり、法相宗には、三時教をたてて一代の諸教を摂す。
三論宗には、二蔵教をたてて大小の諸教を摂す。華厳宗には五教をたて、天台宗には四教をたつ。
いまわが浄土宗には、道綽禅師『安楽集』に、聖道・浄土の二教をたてたり。
一代聖教五千余軸、この二門おばいでず。
はじめに聖道門は、三乗一乗の得道也。すなわちこの娑婆世界にして、断惑開悟する道なり、すべて分て二あり、謂く大乗の聖道小乗の聖道也。別して論ずれば、四乗の聖道あり、謂く声聞乗・縁覚乗・菩薩乗・仏乗也。浄土者、まづこの娑婆穢悪のさかひをいで、かの安楽不退のくににむまれて、自然に増進して、仏道を証得せむと、もとむる道也。
この二門をたつる事は、道綽一師のみにあらず、曇鸞法師も、龍樹菩薩の『十住毘婆沙論』を引て、難行・易行の二道をたてたまへり。「難行道は、陸路より歩行するがごとし。易行道は、水路を船に乗するがごとし」{論註巻上}とたとへたり。この二道を立る事、曇鸞一師にかぎらず、天台の『十疑論』にも、おなじく引て釈したまへり。また迦才の浄土論にも、おなじく引り。かの難行道者すなわち聖道門也。易行道者すなはち浄土門なり。
しかのみならず、また慈恩大師云、「親逢聖化 道悟三乗 福薄因疎勧帰浄土」[31]と云。この中に三乗者すなはち聖道門也、浄土者すなはち浄土門也、難行・易行、三乗・浄土、聖道・浄土、その言ことなりといゑども、そのこころみなおなじ。凡そ一代の諸教、この二門をいでず。経論のみこの二門に摂するにあらず、乃至諸宗の章疏、みなこの二門おばいでさる也、
天台宗には、正は仏乗の聖道をあかす、傍には往生浄土をあかす、「即往生安楽」[32]といへり。華厳宗にも、また天台宗のごとし、聖道を修してえがたくば、浄土に生すべしと云。

「願我臨欲命終時、尽除一切諸障礙、面見彼仏阿弥陀、即得往生安楽国」[33]と云。 しかるに今この経は、往生浄土の教也。即身頓悟のむねをもあかさず、歴劫迂回の行おもとかず、娑婆のほかに極楽あり、わか身のほかに阿弥陀仏ましますと説て、この界をいとひて、かのくにに生じて、無生忍おもえむと、願ずべきむねを明す也。
善導の釈云、「定散等回向 速証無生身」[34]といへり。

凡そこの経には、あまねく往生の行業を説り、すなはち、はじめには定散の二善を説て、総じて一切の諸機にあたへ、次には念仏の一行を選て、別して未来の群生に流通せり。
かるがゆへに経云、仏告阿難汝好持是語等云、善導これを釈云、「従仏告阿難汝好持是語已下、正明付属弥陀名号 流通於遐代等」[35]と云。しかれば、この経のこころによりて、今聖道をすてて、浄土の一門に入也。
その往生浄土につきて、又その行これおほし。これによて善導和尚、専・雑二修を立て、諸行の勝劣得失を判じたまへり。すなはちこの経疏に云く、行につきて立信者就行有二種、一正行二雑行と云。もはらかの正行を修するを、専修の行者と云、正行おば修せずして雑行を修するを、雑修の者と申也。その専雑二種の得失について、今私に料簡するに、五の義あり、一には親疎対、二には近遠対、三には有間無間対、四には回向不回向対、五には純雑対也。はじめに親疎対者、正行を修するは、阿弥陀仏に親、雑行を修すれは、かの仏に疎なり。すなはち疏に云く、「衆生起行、口常称仏、仏即聞之、身常礼敬仏、仏即見之、心常念仏、仏即知之、衆生憶念仏者、仏亦憶念衆生、彼此三業不相捨離、故名親縁」[36]と云。
その雑行の者、口に仏を称せざれば、仏すなはち聞きたまはず、身に仏を礼せざれば、仏すなはち見たまはず、心に仏を念ぜされは、仏しろしめさず、仏を憶念せざれば、仏又憶念したまはず、彼此三業常捨離す、かるがゆへに疎となづくる也。
次に近遠対者、正行はかの仏に近、雑行はかの仏に遠なり。疏又云、「衆生欲見仏、仏即応念現在目前、故名近縁」[37]と云。雑行者、仏を見たてまつらむとねがはざれば、仏すなはち念に応したまはず、目の前にも現じたまはず、かるがゆへに遠となづくる也。
ただ常の義には、親近と申しつれば、一事のやうにこそは聞とも、善導和尚は、親と近とのごとしと、別しては釈したまへり。これによて、今又親近を分て二とするなり。
次に有間無間対者。無間者、正行を修するに、かの仏において憶念無間なるがゆへに、文に憶念不断名爲無間と云これ也。有間者、雑行のものは、阿弥陀仏にこころをかくる事、間おほし。かるがゆへに、文に心常間断と云これ也。
次に回向不回向対者、正行は、回向をもちゐざれとも、自然に往生の業となる。すなはち疏の第一に云く、
「今観経中、十声称仏、即有十願十行具足、云何具足、言南無者即是帰命、亦是発願回向之義也、言阿弥陀仏者即是其行、以斯義故必得往生」[38]。不回向といふ。[39] 雑行は、かならす回向をもちゐるとき、往生の業となる、もし回向せされは、往生の業とならず。かるがゆへに文に、「雖可回向得生」[40]と云これ也。
次に純雑対者、正行は純に極楽の行也。余の人天および三乗等の業に通ぜず、又十方浄土の業因ともならず。かるがゆへに純となづく。

雑行は純極楽の行にはあらず、人天の業因にも通じ、三乗の得果にも通じ、又十方浄土の往生の業因ともなるがゆへに、雑と云也。しかれば、この五の相対をもて二行を判ずるに、西方の往生をねがはむ人は、雑行をすてて正行を修すべき也。又善導和尚往生礼讃の序に、この専雑の得失を判したまへり、専修の者は、十即十生、百即百生、雑修の者は、百に一二、千に五三と云。なにをもてのゆへに、専修の者は雑縁なし、正念をえたるがゆへに、又弥陀の本願に相応するがゆへに、又釈迦の教にたがはざるがゆへに、仏語に随順せるがゆへにと云り。雑修の者は雑縁乱動す、正念を失するがゆへに、又仏の本願と相応せざるがゆへに、また仏語にしたがはざるがゆへに、釈迦の教に違するがゆへに、又係念相続せざるがゆへに、回願慇重真実ならざるがゆへに、乃至名利と相応するがゆへに、又自の往生を障るのみにあらず、他の往生の正行を障るがゆへにと云。
しかのみならず、やがてその文のつづきに、余このごろ諸方の風俗を見聞するに、解行不同にして、専雑異あり、しかるに、専修の者は、十は十なから生し、雑修の者は、千中一もなしとのたまへり。さきの義をもて判じ候に、千中五三とゆるしたまへりといゑども、今正見には一もなしとのたまへる也。そのときの行者だにも、雑行にて往生する者、なかりけるにこそ候なれ。ましていよいよ時も機もくだりたる当世の行者、雑行往生と云事は、おもひすつべき事也。たとひまた往生すべきにても、百中一二、千中五三の内にてこそ候はむすれ、きわめて不定の事也。百人に九十九人は往生して、今一人すまじときかむたにも、もしその一人にあたる身にてもやあるらむと、不審に不定におほえぬへし。いかにいはむや百か一二の内に一定入べしとおもはむ事、かたくぞ候はむずる。
しかれば百即百生の専修をすてて、千中無一の雑行を執すべからず、唯一向に念仏を修して、雑行をすつへきなり。これすなはち、この経の大意也。望仏本願、意在衆生一向専称弥陀仏名と云。返返も本願をあをぎて、念仏を修すべき也と。

公胤夢告

親鸞聖人は、高僧和讃で、「源空勢至と示現し あるいは弥陀と顕現す 上皇・群臣尊敬し 京夷庶民欽仰す」と、法然聖人を勢至菩薩あるいは阿弥陀如来の応現であると思われていた。なお「恵信尼消息」で、恵信尼公は法然聖人を勢至菩薩であるとの夢を見られたことが記述されている。法然聖人滅後はやい時期にこのような伝承が語られていたのであろう。

建保四年四月二十六日。薗城寺長吏、公胤僧正之夢に空中に告云。

源空本地身、大勢至菩薩、衆生教化故、来此界度度と。

  かの僧正の弟子大進の公実名をしらず 記之。

  康元元年 丙辰 十月十三日書之
  愚禿親鸞 八十四歳 書之


末註

  1. 法然聖人は『選択集』の末で「三経ともに念仏を選びてもつて宗致となすのみ。」と三部経全体が選択本願念仏を明かすとみられているが、ここでは『無量寿経』を根本とみておられることがわかる。
  2. 『選択本願念仏集』で「選択とはすなはちこれ取捨の義なり」とある。『無量寿経の』摂取の語では、選び捨てるの意味が出ないため『大阿弥陀経』の選択の語に依られた。
  3. われ超世の願を建つ、かならず無上道に至らん。この願満足せずは、誓ひて正覚を成らじ。『大経』重誓偈
  4. この願もし剋果せば、大千まさに感動すべし。虚空の諸天人、まさに珍妙の華を雨らすべし。『大経』重誓偈
  5. 弘誓多門にして四十八なれども、ひとへに念仏を標してもつとも親となす。『法事讃』
  6. ただ念仏するもののみありて光摂を蒙る。まさに知るべし、本願もつとも強しとなす。『往生礼讃 』
  7. 仏の願意に望むれば、ただ勧めて正念に名を称せしむ。 往生の義、疾きこと雑散の業に同じからず。「散善義」
  8. 仏の本願に望むるに、意、衆生をして一向にもつぱら弥陀仏の名を称せしむるにあり。「散善義」
  9. ただに弥陀の弘誓重きがために、凡夫をして念ずればす なはち生ぜしむることを致す。『法事讃』
  10. 諸仏の願行、この果の名を成ず。ただよく号を念ずれば、つぶさにもろもろの徳を包ぬ。ゆえに大善を成じて往生を廃さず。
  11. 未来世の悪衆生、西方弥陀の号(みな)を称念すれば、仏の本願によって生死を出ん、直心をもってのゆえに極楽に生ず。
  12. かの仏の因中に弘誓を立てたまへり。名を聞きてわれを念ぜばすべて迎へ来らしめん。貧窮と富貴とを簡ばず、下智と高才とを簡ばず、多聞と浄戒を持てるとを簡ばず、破戒と罪根の深きとを簡ばず。ただ回心して多く念仏せしむれば、よく瓦礫をして変じて金(こがね)と成さんがごとくせしむ。(行巻訓)
  13. あらゆる衆生、その名号を聞きて、信心歓喜し、ないし一念せん。至心に回向して、かの国に生まれんと願わば、すなわち往生することを得て、不退転に住す。(当面読みを採用)
  14. それかの仏の名号を聞くことを得て、歓喜踊躍して乃至一念せんことあらん。まさに知るべし、この人は大利を得とす。すなはちこれ無上の功徳を具足するなりと。『無量寿経』流通分
  15. 上一形を尽し、下一念に至るまで無上の功徳。
  16. 当来の世に経道滅尽せんに、われ慈悲をもつて哀愍して、特にこの経を留めて止住すること百歳せん。それ衆生ありてこの経に値ふものは、意の所願に随ひてみな得度すべし『無量寿経』流通分
  17. その時聞きて一念せんに、みなまさにかしこに生ずることを得べし。
  18. 少善根福徳の因縁をもつてかの国に生ずることを得べからず。舎利弗、もし善男子・善女人ありて、阿弥陀仏を説くを聞きて、名号を執持すること、もしは一日
  19. 随縁の雑善おそらくは生じがたし。ゆゑに如来(釈尊)要法を選びて
  20. もっぱら名号をたもつ。称名をもつてのゆえに、諸罪消滅す。すなはちこれ多功徳・多善根・多福徳因縁なり。
  21. 十方世界のおのおの恒河沙の諸仏ありて、その舌相をのべて遍く三千世界を覆いて一切衆生が阿弥陀仏を念ずるを証誠したまう。本願の大悲願力のゆえに、決定して極楽世界に生ずることを得ん。
  22. たとひわれ仏を得たらんに、十方の衆生、至心信楽して、わが国に生ぜんと欲ひて、乃至十念せん。もし生ぜずは、正覚を取らじ。ただ五逆と誹謗正法とをば除く。
  23. 「もしわれ成仏せんに、十方の衆生、わが名号を称すること下十声に至るまで、もし生ぜずは、正覚を取らじ」(第十八願)と。かの仏いま現にましまして成仏したまへり。まさに知るべし、本誓重願虚しからず、衆生称念すればかならず往生を得。
  24. あらゆる衆生、その名号を聞きて、信心歓喜せんこと乃至一念せん。至心に回向したまへり。かの国に生れんと願ずれば、すなはち往生を得、不退転に住せん。
  25. それ上輩といふは、家を捨て欲を棄てて沙門となり、菩提心を発して一向にもつぱら無量寿仏を念ず。
  26. 行じて沙門となりて大きに功徳を修することあたはずといへども、まさに無上菩提の心を発して一向にもつぱら乃至十念無量寿仏を念ず。
  27. 仏説きたまはく、〈一切衆生の根性不同にして上・中・下あり。その根性に随ひて、仏(釈尊)、 みな勧めてもつぱら無量寿仏の名を念ぜしめたまふ。その人、命終らんと欲す る時、仏(阿弥陀仏)、聖衆とみづから来りて迎接して、ことごとく往生を得 しむ〉。
  28. 仏、弥勒に語りたまはく、「それかの仏の名号を聞くことを得て、歓喜踊躍して乃至一念せんことあらん。まさに知るべし、この人は大利を得とす。すなはちこれ無上の功徳を具足するなり」
  29. 当来の世に経道滅尽せんに、われ慈悲をもつて哀愍して、特にこの経を留めて止住すること百歳せん。それ衆生ありてこの経に値ふものは、意の所願に随ひてみな得度すべし。
  30. 万年にして三宝滅せんに、この『経』(大経)住すること百年せん。その時聞きて一念せんに、みなまさにかしこに生ずることを得べし。『礼讃』
  31. 親しく聖化に逢ひて、道、三乗を悟りき。福薄く、因疎かなるものを勧めて浄土に帰せしめたまふ
  32. 『妙法蓮華経」の即往安楽世界 阿弥陀仏 大菩薩衆 囲繞住処。生蓮華中宝座之上。の文か?
  33. 願はくは、われ臨終の時に臨まば、ことごとく一切の障礙を除いて阿弥陀如来を見たてまつりて、すなはち安楽国へ往生する事をえさせしめ給へ。『大方廣佛華嚴經』の「願我臨欲命終時 盡除一切諸障礙 面見彼佛阿彌陀 即得往生安樂刹」の文。
  34. 定散等しく回向して、すみやかに無生の身を証せん。
  35. 仏告阿難汝好持是語より以下は、まさしく弥陀の名号を付属して、遐代に流通せしめたまふことを明かす。
  36. 衆生行を起して口につねに仏を称すれば、仏すなはちこれを聞きたまふ。 身につねに仏を礼敬すれば、仏すなはちこれを見たまふ。 心につねに仏を念ずれば、仏すなはちこれを知りたまふ。 衆生仏を憶念すれば、仏もまた衆生を憶念したまふ。 彼此の三業あひ捨離せず。 ゆゑに親縁と名づく。「定善義」真身観
  37. 衆生仏を見たてまつらんと願ずれば、仏すなはち念に応じて現じて目の前にまします。 ゆゑに近縁と名づく。
  38. いまこの『観経』のなかの十声の称仏は、すなはち十願十行ありて具足す。 いかんが具足する。 「南無」といふはすなはちこれ帰命なり、またこれ発願回向の義なり。 「阿弥陀仏」といふはすなはちこれその行なり。 この義をもつてのゆゑにかならず往生を得。
  39. 本願の念仏は阿弥陀仏が往生行として選定されたもの(順彼仏願故)であるから、行者が回向する必要はない。また「亦是発願回向之義」として、南無阿弥陀仏には回向の義があるので不回向であるとされた。親鸞聖人はこの意をうけて、それは本願力回向の行であるとされた。
  40. 回向して生ずることを得べしといへども