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西方指南抄/上本

提供: 本願力

2018年11月11日 (日) 14:17時点における林遊 (トーク | 投稿記録)による版

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真宗高田派で伝時されてきた、親鸞聖人筆(国宝)の法語集。親鸞聖人が師匠である法然聖人の法語・消息・行状記などを、収集した書物。奥書より康元元(1256)年~康元二(1257)年頃(84~85歳)書写されたものと思われる。テキストは、ネット上の「大藏經テキストデータベース」を利用し、『真宗聖教全書』に依ってページ番号を付した。これによってページ単位でもリンクも可能である。
読む利便を考えカタカナをひらがなに、旧字体を新字体に変換した。また、適宜改行を付した。各サブタイトルは『昭和新修 法然聖人全集』などを参考に適宜、私に於いて付した。
なお、いかなる場合においても、本データベースの利用、及び掲載文章等を原因とすることによって生じたトラブルについて、当サイトは一切その責を負いません。

西方指南抄本 上本

法然聖人御説法事


承元の法難(1207)によって斬首された安楽房遵西の父である中原師秀 外記禅門の請により行われた説法。師秀が仏像を安置(1194?)し逆修説法を行ったときに法然聖人が説法されたものといわれる。『漢語灯録』所収の『逆修説法』はその異本。『師秀説草」という異本もある。この書は、浄土三部経を中心に相承論や選択本願念仏論がのべられている。文治六年(1190年)に東大寺で講説したときの『三部経釈』から『逆修説法』を経て、『選択集』(1198)へと法然聖人の思想が展開した経緯を示す法語ともされる。なお、「法然聖人御説法事」とあるように、法然聖人を「聖人」と表現されているのは親鸞聖人の特徴である。江戸時代以降、浄土真宗では、浄土宗(鎮西義)と対抗するために上人号で法然聖人を呼んでいるが、如何なものかと愚昧な一門徒は思う。

第十七日 三尺立像阿弥陀『双巻経』・『阿弥陀経』

仏身

経証の中に、仏の功徳をとけるに、無量の身あり、あるいは総じて一身をとき、あるいは二身をとき、あるいは半三身[1]をとき、乃至『華厳経』には、十身[2]の功徳をとけり。

いま且(しばらく)真身・化身の二身をもて、弥陀如来の功徳を讃嘆したてまつらむ。
この真化二身をわかつこと、『双巻経』の三輩の文の中にみえたり。[3]
まづ真身といふは、真実の身なり、弥陀如来の因位のとき、世自在王仏のみもとにして、四十八願をおこして、のち兆載永劫のあひだ、布施・持戒・忍辱・精進等の六度万行を修して、あらはしたまえるところは、修因感果[4]の身なり。

『観経』にときていはく、「その身量六十万億那由他恒河沙由旬なり。 眉間の白毫右にめぐりて、五須弥山のごとしと。一須弥山のたかさ、出海・入海おのおの八万四千那由多なり。また青蓮慈悲の御まなこは、四大海水のごとくして清白分明なり、身のもろもろの毛孔より、光明をはなちたまふこと、須弥山のごとし。うなじにめぐれる円光は、百億の三千大千世界のごとし。 かくのごとくして、八万四千の相まします、一一の相に、おのおの八万四千の好あり、一一の好に、また八万四千の光明まします。その一一の光明、あまねく十方世界の念仏の衆生を摂取してすてたまはず。 御身のいろは、夜摩天の閻浮檀金のいろのごとし」(*)といへり。

これ弥陀一仏にかぎらす、一切諸仏は、みな黄金のいろなり、もろもろのいろの中には、白色をもて本とすとまふせば、仏の御いろも、白色なるべしといゑども、そのいろなほ損するいろなり。[5]
ただ黄金のみあて不変のいろなり、このゆへに、十方三世の一切の諸仏、みな常住不変の相をあらわさむがために、黄金のいろを現したまへるなり、これ『観仏三昧経』のこころなり。
ただし、真言宗の中に五種の法あり[6]、その本尊の身色、法にしたがふて各別なり、しかれども、暫時方便の化身なり、仏の本色にはあらず。このゆへに、仏像をつくるにも、白檀綵色(さい:彩色)なんども、功徳をえざるにあらずといへども、金色につくりつれば、すなわち決定往生の業因なり。
即生の功徳、略を存するにかくのごとし、「即生乃至三生に必得往生」[7]といへり。これ弥陀如来真身の功徳、略を存ずるにかくのごとし。

次に化身といふは、無而欻有(むにこつう:無而忽有)を化といふ、すなわち機にしたがふときに応じて身量を現ずること、大小不同なり、『経』{観経}に、「あるいは大身を現して虚空にみつ、あるいは小身を現して丈六八尺」といへり。 化身につきて多種あり。
まづ円光の化仏(者)、『経』{観経}にいはく、「円光のなかにおいて、百万億那由他恒河沙の化仏まします、一一の化仏に、衆多無数の化菩薩をもて侍者とせり」といへり。
つぎに摂取不捨の化仏、「光明遍照十方世界 念仏衆生摂取不捨」[8]{観経}といふは、この真仏の摂取なり、このほかに化仏の摂取あり。三十六万億の化仏おのおの、真仏とともに、十方世界の念仏衆生を摂取したまふといへり。
次に来迎引接の化仏、九品の来迎に、おのおの化仏まします、品にしたがふて多少あり。上品上生の来迎には、真仏のほかに、無数の化仏まします。上品中生には、千の化仏まします、上品下生には、五百の化仏まします。乃至かくのごとく次第におとりて、下品上生には、真仏は来迎したまはず、ただ化仏と化観音勢至とをつかはす。その化仏の身量、あるいは丈六、あるいは八尺なり。化菩薩の身量も、それにしたがふて、下品中生は、「天華の上に化仏菩薩ましまして、来迎したまふと」{観経}いへり。下品下生は、「命終してのち、金蓮華をみる、猶如日輪住其人前」{観経}といへり。文のごとくは、化仏の来迎もなきやうにみえたれども、善導の御心は、『観経の疏』{散善義}の十一門の義によらば、第九門に、「命終のとき、聖衆の迎接したまふ不同、去時の遅疾をあかす」といへり。
また、「いまこの十一門の義は、九品の文に約対せり。一一の品のなかに、みなこの十一あり」といへり。しかれば、下品下生にも来迎あるべきなり、しかるを、五逆の罪人そのつみおもきによりて、まさしく化仏菩薩をみることあたはず、ただわが座すへきところの金蓮華ばかりをみるなり、あるいはまた、文に隠顕[9]あるなり。

次にまた十方の行者の本尊のために、小身を現したまへる化仏あり、天竺の鶏頭摩寺(けいずまじ)の五通[10]の菩薩、神足通をして極楽世界にまうでて、仏にまふしてまうさく、娑婆世界の衆生、往生の行を修せむとするに、その本尊なし、仏ねがわくは、ために身相を現じたまへと、仏すなわち菩薩の請におもむきて、樹の上に化仏五十体を現じたまへり。
菩薩すなわちこれをうつして、よにひろめたり、鶏題摩寺の五通の菩薩の曼陀羅といへる、すなわちこれなり。
また智光の曼陀羅[11]とて、世問に流布したる本尊あり、その因縁は、人つねにしりたる事なり、つぶさにまふすべからす、『日本往生伝』をみるべし。また新生の菩薩を教化し説法せむがために、化して小身を現じたまへることまします。これはこれ弥陀如来の化身の功徳、また略してかくのごとし。

いまこの造立せられたまへる仏は[12]、祇薗精舎の()[13]をつたへて、三尺の立像をうつし、最後終焉のゆふべを期して、来迎引接につくれり。おほよそ仏像を造画するに、種種の相あり。あるいは説法講堂の像あり、あるいは池水沐浴の像あり、あるいは菩提樹下成等正覚の像あり、あるいは光明遍照摂取不捨の像あり。かくのごときの形像を、もしはつくりもしは画したてまつる、みな往生の業なれども、来迎引接の形像は、なほその便宜をえたるなり。
かの尽虚空界の荘厳をみ、転妙法輪の音声をきき、七宝講堂のみぎりにのぞみ、八功徳池のはまにあそび、おほよそかくのごとく、種種微妙の依正二報[14]をまのあたり視聴せむことは、まづ終焉のゆふべに、聖衆の来迎にあづかりて、決定してかのくにに往生してのうえのことに候也。しかれはふかく往生極楽のこころざしあらむ人は、来迎引接の形像をつくりたてまつりて、すなわち来迎引接の誓願をあおぐべきものなり。

来迎

その来迎引接の願といふは、すなわちこの四十八願の中の第十九の願なり。
人師これを釈するに、おほくの義あり、まづ臨終正念のために来迎したまへり、おもはく[15]、病苦みをせめてまさしく死せむとするときには、かならず境界・自体・当生の三種の愛心[16]をおこすなり。しかるに阿弥陀如来、大光明をはなちて行者のまへに現じたまふとき、未曾有の事なるがゆへに、帰敬の心のほかに他念なくして、三種の愛心をほろぼして、さらにおこることなし。

かつはまた仏、行者にちかづきたまひて、加持[17]護念したまふがゆへなり。『称讃浄土経』に、「慈悲加祐してこころをしてみだらざらしむ、すてに命をすておはりて、すなわち往生をえ、不退転に住す」といへり。
『阿弥陀経』に、「阿弥陀仏もろもろの聖衆とそのまへに現ぜむ、この人おわらむとき、心顛倒せずして、すなわち阿弥陀仏国土に往生をえむ」ととけり。令心不乱(心をして乱らざらしむ)と心不顛倒(心顛倒せずして)とは、すなわち正念に住せしむる義なり。
しかれば臨終正念なるがゆへに来迎したまふにはあらず、来迎したまふがゆへに臨終正念なりといふ義、あきらかなり。在生のあひだ往生の行成就せむひとは、臨終にかならず聖衆来迎をうべし。来迎をうるとき、たちまちに正念に住すべしといふこころなり。[18]
しかるにいまのときの行者、おほくこのむねをわきまえずして、ひとへに尋常の行においては怯弱生して、はるかに臨終のときを期して、正念をいのる、もとも僻韻[19]なり。

しかればよくよくこのむねをこころえて、尋常の行業において怯弱のこころをおこさずして、臨終正念において決定のおもひをなすべきなり、これはこれ至要の義なり、きかむ人こころをとどむへし。この臨終正念のために来迎すといふ義は、静慮院の静照法橋の釈なり。[20]

次に道の先達のために来迎したまふといへり、あるいは『往生伝』に、沙門志法か遺書にいはく
 我在生死海 幸値聖船筏
 我所顕真聖 来迎卑穢質
 若忻求浄土 必造画形像
 臨終現其前 示道路摂心
 念念罪漸尽 随業生九品
 其所顕聖衆 先讃新生輩
 仏道楽増進[21] 云云
これすなわち、この界にして造画するところの形像、先達となりて浄土におくりたまふ証拠なり。
また『薬師経』をみるに、浄土をねがふともがら、行業いまださたまらずして、往生のみちにまどふことあり。
すなわち文{玄奘訳}にいはく、「よく受持すること八分斎戒をあらむ、あるいは一年をへ、あるいはまた三月受持せむ。まなぶところこの善根をもて、西方極楽世界無量寿仏のみもとにむまれむと願して、正法を聴聞すれども、いまださだまらざるもの、もし世尊薬師琉璃光如来の名号をきかむ。命終のときにのぞみて、八菩薩あて神通に乗してきたりて、その道路をしめさむ、すなわちかの界にして、種種の雑色衆宝華の中に、自然に化生す」[22]といへり。
もしかの八菩薩その道路をしめさずは、ひとり往生することえがたきにや。これをもておもふにも、弥陀如来もろもろの聖衆とともに、行者のまへに現じて、きたりて迎接したまふも、みちびきて道路をしめしたまはむがためなりといふ義、まことにいはれたることなり。
娑婆世界のならひも、みちをゆくには、かならず先達といふものを具する事なり、これによて、御廟の僧正[23]は、かの来迎の願をば、現前導生の願となづけたまへり。

次に対治魔事のために来迎すとふ義あり、道さかりなれば魔さかりなりとまふして、仏道修行するには、かならず魔の障難のあひそふなり。
真言宗の中には、誓心決定すれは魔宮振動すといへり、天台止観の中には、四種三昧を修行するに、十種の境界おこる中に、魔事境来といへり。また菩薩三祇百劫の行すでになりて、正覚をとなふるときも、第六天の魔王きたりて、種種に障礙せり。
いかにいはむや凡夫具縛の行者、たとひ往生の行業を修すといふとも、魔の障難を対治せすば、往生の素懐をとげむことかたし。しかるに阿弥陀如来、無数の化仏菩薩聖衆に囲繞せられて、光明赫奕として行者のまへに現じたまふときには、魔王もここにちかずきこれを障礙することあたはず。
しかればすなわち、来迎引接は魔障を対治せむがためなり、来迎の義、略を存するにかくのごとし。これらの義につきておもひ候にも、おなじく仏像をつくらむには、来迎の像をつくるべきとおぼえ候なり、仏の功徳大概かくのごとし。

浄土三部経

次に三部経は、いま三部経となづくることは、はじめてまふすにあらず、その証これおほし。いはく、大日の三部経は、『大日経』・『金剛頂経』・『蘇悉地経』等これなり。弥勒の三部経、『上生経』・『下生経』・『成仏経』等これなり。鎮護国家の三部経は、『法華経』・『仁王経』・『金光明経』等これなり。法華の三部経、『無量義経』・『法華経』・『普賢経』等これなり。
これすなわち三部経となづくる証拠なり。いまこの弥陀の三部経は、ある人師{智顗十疑論}のいはく、「浄土の教に三部あり、いはく、『双巻無量寿経』・『観無量寿経』・『阿弥陀経』等これなり。」
これによて、いま浄土の三部経となづくるなり、あるいはまた弥陀の三部経ともなづく、またある師{窺基(きき)小経疏}のいはく、「かの三部経に『鼓音声経』をくわえて、四部となつく」といへり。
おほよそ諸経の中に、あるいは往生浄土の法をとくあり、あるいはとかぬ経あり、『華厳経』にはこれをとけり、すなわち『四十華厳』の中の普賢の十願これなり、『大般若経』の中にすべてこれをとかず。
『法華経』の中にこれをとけり、すなわち薬王品の「即往安楽世界」の文これなり、『涅槃経』にはこれをとかず、また真言宗の中には、『大日経』・『金剛頂経』に、蓮華部にこれとくいゑども、大日の分身なり、別(わき)てとけるにはあらず。
もろもろの小乗経には、すべて浄土をとかず。しかるに往生浄土をとくことは、この三部経にはしかず、かるかゆへに浄土の一宗には、この三部経をもてその所縁とせり。

浄土宗名

またこの浄土の法門において宗の名をたつること、はじめてまふすにあらず、その証拠これおほし。少少これをいださは、元暁の『遊心安楽道』に、「浄土宗の意ろ本爲凡夫兼爲聖人也」といへる、その証なり。かの元暁は華厳宗の祖師なり。
慈恩の『西方要決』に、「依此一宗」といえるなり。またその証なり。
かの慈恩は法相宗の祖師なり、迦才の『浄土論』には、「此一宗窃要路たり」といへる、またその証なり。善導『観経の疏』に「真宗叵遇」といへる、またその証なり。かの迦才・善導は、ともにこの浄土一宗をもはらに信ずる人なり。

自宗・他宗の釈すでにかくのごとし、しかのみならず、宗の名をたつることは、天台・法相等の諸宗みな師資相承による、しかるに浄土宗に師資相承血脈次第あり。
いはく菩提流支三蔵・恵寵法師・道場法師・曇鸞法師・法上法師・道綽禅師・善導禅師・懐感禅師・小康法師等なり、菩提流支より法上にいたるまでは、道綽の『安楽集』にいだせり、自他宗の人師すでに浄土一宗となづけたり。浄土宗の祖師また次第に相承せり。
これによて、いま相伝して浄土宗となづくるものなり、しかるを、このむねをしらざるともがらは、むかしよりいまだ八宗のほかに浄土宗といふことをきかずと、難破することも候へば、いささかまふしひらき候なり。

おほよそ諸宗の法門、浅深あり広狭あり。すなわち真言・天台等の諸大乗宗は、ひろくしてふかし、倶舎・成実等の小乗宗は、ひろくしてあさし。この浄土宗は、せばくしてあさし。
しかれば、かの諸宗は、いまのときにおいて機と教と相応せず。教はふかし機はあさし、教はひろくして機はせばきがゆへなり。たとへ韻たかくしては和することすくなきがごとし。
またちゐさき器に大なるものをいるるかごとし。ただこの浄土の一宗のみ機と教と相応せる法門なり。かるがゆへに、これを修せばかならす成就すべきなり。しかればすなわち、かの不相応の教においては、いたはしく身心をついやすことなかれ。ただこの相応の法に帰して、すみやかに生死をいづへきなり。今日講讃せられたまへるところは、この三部の中の『双巻無量寿経』と『阿弥陀経』となり。

大経

まづ『無量寿経』には、はじめに弥陀如来の因位の本願をとく、次にはかの仏の果位の二報荘厳をとけり。しかればこの経には、阿弥陀仏の修因感果の功徳をとくなり 乃至 一一の本誓悲願、一一の願成就の文にあきらかなり。つぶさに釈するにいとまあらす。

その中に衆生往生の因果をとくといふは、すなわち念仏往生の願成就の「諸有衆生聞其名号」の文、および三輩の文これなり。もし善導の御こころによらば、この三輩の業因について、正・雑の二行をたてたまへり。正行についてまた二あり。正定・助業なり。三輩ともに一向専念といへる、すなわち正定業なり、かの仏の本願に順するかゆへに。またそのほかに助業あり雑行あり 乃至 おほよそこの三輩の中に、おのおの菩提心等の余善をとくといゑども、上の本願をのぞむには、もはら弥陀の名号を称念せしむるにあり。
かるがゆへに一向専念といへり。上の本願といふは、四十八願の中の第十八の念仏往生の願をさすなり。一向のことば、二三向に対する義なり、もし念仏のほかに、ならべて余善を修せば、一向の義にそむくべきなり。往生をもとめむ人は、もはらこの経によて、かならずこのむねをこころうべきなり。

小経

次に『阿弥陀経』は、はじめには極楽世界の依・正二報をとく。
次には一日・七日の念仏を修して往生することをとけり。のちには六方諸仏、念仏の一行において証誠護念したまふむねをとけり。すなわちこの経には余行をとかずして、えらびて念仏の一行をとけり 乃至 おほよそ念仏往生は、これ弥陀如来の本願の行なり。教主釈尊選要の法なり、六方諸仏証誠の説なり。余行はしからず、そのむね経の文およひ諸師の釈つぶさなり。 乃至

第二七日 弥陀『観経』『同疏』一部。{略}

観経

また経を釈するに仏の功徳もあらはれ、仏を讃ずれは経の功徳もあらわるるなり。
また疏は経のこころを釈したるものなれば、疏を釈せむに経のこころあらはるべし。みなこれおなじものなり、まちまちに釈するにあたはず。 乃至

いまこの『観無量寿経』に二のこころあり。はじめには定・散二善を修して往生することをあかし、つぎには名号を称して往生することをあかす。 乃至

『清浄覚経』の信不信の因縁の文をひけり。この文のこころは、「浄土の法門をとくをききて、信向してみのけいよだつものは、過去にもこの法門をききて、いまかさねてきく人なり、いま信するかゆへに、決定して浄土に往生すべし。
またきけどもきかざるがことくにて、すべて信ぜぬものは、はじめて三悪道よりきたりて、罪障いまだつきずして、こころに信向なきなり。いま信ぜぬがゆへに、また生死をいづることあるべからず」{安楽集巻上所引平等覚経意}といへるなり、詮ずるところは、往生人のこの法おば信じ候なり。 乃至
天台等のこころは、十三観の上に九品の三輩観をくわへて、十六想観となづく。この定・散二善をわかちて、十三観を定善となづけ、三福九品を散善となづくること、善導一師の御こころなり。 乃至
抑、近来の僧尼を、破戒の僧・破戒尼といふべからず。持戒の人破戒を制することは、正法・像法のときなり、末法には無戒名字の比丘なり。伝教大師『末法灯明記』に云。
「末法の中に持戒の者ありといはば、これ怪異なり、市に虎あらむがごとし、だれかこれを信ずべき」といへり。また{末法灯明記}いはく、「末法の中には、ただ言教のみあて行証なし、もし戒法あらば、破戒あるべし。すてに戒法なし、いつれの戒おか破せむによて破戒あらむ。破戒なほなし、いかにいはむや持戒おや」といへり。
まことに受戒の作法は、中国には持戒の僧十人を請して戒師とす。
辺地には五人を請して戒師として戒おばうくるなり、しかるにこのこころは、持戒の僧一人もとめいださむに、えがたきなり。しかればうけての上にこそ破戒とことばもあれば、末代の近来は破戒なほなし、たた無戒の比丘なりとまふすなり。この経に破戒をとくことは、正・像に約してときたまへるなり。
乃至

念仏往生

次に名号を称して往生することをあかすといふは、「仏阿難につげたまはく、なんぢよくこの語をたもて、この語をたもてといふは、すなわちこれ無量寿仏のみなをたもてとなり」{観経}とのたまへり。善導これを釈していはく。
「仏告阿難汝好持是語といふより已下は、まさしく弥陀の名号を付属して、遐代に流通することをあかす。かみよりこのかた、定散・両門の益をとくといゑども、仏の本願をのぞむには、こころ衆生をして一向にもはら弥陀仏のみなを称するにあり」{散善義}とのたまへり。
おほよそこの経の中には、定散の諸行をとくといゑども、その定散をもては付属したまはず、たた念仏の一行をもて阿難に付属して、未来に流通するなり。遐代に流通すといふは、はるかに法滅の百歳まてをさす。すなわち末法万年ののち、仏法みなて滅して、三宝の名字もきかざらむとき、ただこの念仏の一行のみとどまりて、百歳ましますへしとなり。
しかれは聖道門の法文もみな滅し、十方浄土の往生もまた滅し、上生都(兜)率もまたうせ、諸行往生もみなうせたらむとき、ただこの念仏往生の一門のみとどまりて、そのときも一念にかならず往生すべしといへり。
かるかゆへに、これをさして、とおき世とはいふなり。これすなわち、遠をあげて近を摂するなり。仏の本願をのぞむといふは、弥陀如来の四十八願の中の第十八の願をおしふるなり。
いま教主釈尊、定散二善の諸行をすてて、念仏の一行を付属したまふことも、弥陀の本願の行なるがゆへなり。
一向専念といふは、『双巻経』にとくところの三輩のもんの中の、一向専念をおしふるなり、一向のことば、余をすつることばなり。この経には、はじめにひろく定散をとくといゑども、のちには一向に念仏をゑらびて、付属し流通したまへるなり。
しかれは、とおくは弥陀の本願にしたがひ、ちかくは釈尊の付属をうけむとおもはば、一向に念仏の一行を修して往生をもとむへきなり。

おほよそ念仏往生は諸行往生にすぐれたることおほくの義あり。

一には因位の本願なり、いはく、弥陀如来の因位法蔵菩薩のとき、四十八の誓願をおこして、浄土をまふけて、仏にならむと願したまひしとき、衆生往生の行をたてて、えらびさためたまひしに、余行をはえらびすてて、ただ念仏の一行を選定して、往生の行にたてたまへり。これを選択の願といふことは、『大阿弥陀経』の説なり。

二には光明摂取なり。これは阿弥陀仏、因位の本願を称念して、相好の光明をもて、念仏の衆生を摂取してすてたまはずして、往生せさせたまふなり、余の行者おば摂取したまはす。

三には弥陀みづからのたまはく、「これはこれ跋陀和菩薩、極楽世界にまうでて、いづれの行を修してかこのくにに往生し候べきと、阿弥陀仏にとひたてまつりしかば、仏こたへてのたまはく、わがくにに生ぜむとおもはば、わが名を念して休息することなかれ、すなわち往生することをえてむ」{一巻本般舟三昧経意}とのたまへり。余行おばすすめたまはず。

四には釈迦の付属にいはく、いまこの経に、念仏を付属流通したまへり。
余行おば付属せす。

五には諸仏証誠、これは『阿弥陀経』にときたまへるところなり、釈迦仏えらびて念仏往生のむねをときたまへば、六方の諸仏おのおのおなじくほめ、おなじくすすめて、広長のみしたをのべて、あまねく三千大千世界におほふて証誠したまへり。
これすなわち一切衆生をして、念仏して往生することは決定してうたがふへからずと、信ぜしめむ料なり。余行おばかくのことく証誠したまはず。

六には法滅の往生、いはく、「万年三宝滅、斯経住百年、爾時聞一念、皆当得生彼」[24]{礼讃}といふて、末法万年ののち、ただ念仏の一行のみとどまりて、往生すべしといへることなり。余行はしからず。
しかのみならず、下品下生の十悪の罪人、臨終のとき、聞経と称仏と二善をならべたりといゑども、化仏来迎してほめたまふに、「汝称仏名故 諸罪消滅、我来迎汝」[25] {観経}とほめて、いまだ聞経の事おばほめたまはず。
また『双巻経』に三輩往生に業をとく中に、菩提および起立塔像等の余の行おもとくといゑども、流通のところにいたりて、「其有得聞 彼仏名号 歓喜踊躍 乃至一念、当知此人 爲得大利、則是具足 無上功徳」[26]とほめて、余行をさして無上功徳とはほめたまはず。念仏往生の旨要をとるに、これにありと。

第三日 阿弥陀仏『双巻経』・『阿弥陀経』

光明功徳

又云、仏の功徳は、百千万劫のあひだ、昼夜にとくとも、きわめつくすべからず。これによて教主釈尊、かの阿弥陀仏の功徳を称揚したまふにも、要の中の要をとりて、略してこの三部妙典をときたまへり。仏すでに略したまへり、当座の愚僧いかがくはしくするにたえむ。ただ善根成就のために、かくのごとく讃嘆したてまつるべし。

阿弥陀如来の内証・外用の功徳、無量なりといゑども、要をとるに、名号の功徳にはしかず。このゆへにかの阿弥陀仏も、ことにわが名号をして衆生を済度し、また釈迦大師も、おほくかのほとけの名号をほめて、未来に流通したまへり。
しかれば、いまその名号について讃嘆したてまつらば、阿弥陀といふは、これ天竺の梵語なり、ここには翻訳して無量寿仏といふ。また無量光といへり。または無辺光仏・無礙光仏・無対光仏・炎王光仏・清浄光仏・歓喜光仏・智慧光仏・不断光仏・難思光仏・無称光仏・超日月光仏といへり。
ここにしりぬ、名号の中に光明と寿命との二の義をそなえたりといふことを。かの仏の功徳の中には、寿命を本とし、光明をすぐれたりとするゆへなり、しかればまた光明・寿命の二の功徳をほめたてまつるべし。

まづ光明の功徳をあかさば、はじめに無量光は、『経』{観経}にのたまはく、「無量寿仏に八万四千の相あり、一一の相のおのおの八万四千の随形好あり。一一の好にまた八万四千の光明あり。一一の光明あまねく十方世界をてらす、念仏の衆生を摂取してすてたまはず」といへり。
恵心これをかむがへていはく、「一一の相の中に、おのおの七百五倶胝六百万の光明を具せり、熾然赫奕たり」{往生要集巻中本}といへり。
一相よりいづるところの光明かくのごとし、いはむや八万四千の相おや。
まことに算数のおよぶところにあらづ、かるがゆへに無量光といふ。
つぎに無辺光といふは、かの仏の光明そのかずかくのごとし、無量のみにあらず、てらすところもまた辺際あることなきがゆへに、無辺光といふ。
つぎに無礙光は、この界の日月灯燭等のごときは、ひとへなりといゑとも、ものをへだつれば、そのひかりとほることなし。もしかの仏の光明ものにさえらるれば、この界の衆生たとひ念仏すといふとも、その光摂をかぶることをうべからす。そのゆへは、かの極楽世界とこの娑婆世界とのあひだ、十万億の三千大千世界をへだてたり。その一一の三千大千世界に、おのおの四重の鉄囲山あり。いはゆる、まず一四天下をめぐれる鉄囲山あり、たかさ須弥山とひとし。つぎに少千界をめぐれる鉄囲山あり、たかさ第六天にいたる。つぎに中千界をめぐれる鉄囲山あり、たかさ色界の初禅にいたる。次に大千界をめぐれる鉄囲山あり、たかさ第二禅にいたれり。しかればすなわち、もし無礙光にあたらずば、一世界をすらなほとほるべからす、いかにいはむや十万億の世界おや。しかるにかの仏の光明、かれこれそこばくの大小諸山をとほりてらして、この界の念仏衆生を摂取したまふに、障礙あることなし。
余の十方世界を照摂したまふことも、またかくのごとし、かるかゆへに無礙光といふ。
次に清浄光は、人師{述文讃巻中意}釈していはく、「無貪の善根より生ずるところのひかりなり」。貪に二あり、婬貪・財貪なり。清浄といふは、ただ汚穢不浄を除却するにはあらず、その二の貪を断除するなり。貪を不浄となづくるゆへなり。もし戒に約せは、不婬戒と不慳貪戒とにあたれり。しかれは法蔵比丘、むかし不婬・不慳貪所生の光といふ、この光にふるるものは、かならず貪欲のつみを滅す、もし人あて、貪欲さかりにして、不婬・不慳貪の戒をたたもつことえざれとも、こころをいたしてもはらこの阿弥陀仏の名号を称念すれば、すなわちかの仏無貪清浄の光をはなちて、照触摂取したまふゆへに、婬貪・財貪の不浄のぞこる。無戒・破戒の罪愆滅して、無貪善根の身となりて、持戒清浄の人とひとしきなり。

次に歓喜光は、これはこれ無瞋善根所生の光、ひさしく不瞋恚戒をたもちて、この光をえたまへり。かるがゆへに無瞋所生の光といふ、この光にふるるものは、瞋恚のつみを滅す。
しかれば憎盛の人なりといふとも、もはら念仏を修すれば、かの歓喜光をもて摂取したまふゆへに、瞋恚のつみ滅して、忍辱のひととおなじ。これまたさきの清浄光の、貪欲のつみ滅するかごとし。

次に智慧光は、これはこれ無痴の善根所生の光なり。ひさしく一切智慧をまなうて(まなんで、修して)、愚痴の煩悩をたちつくして、この光をえたまへるがゆへに、無痴所生の光といふ。この光はまた愚痴のつみを滅す。しかれば無智の念仏者なりといふとも、かの智慧の光をしててらし摂(おさめ)たまふがゆへに、すなわち愚痴の愆を滅して、智慧は勝劣あることなし。またこの光のごとくしりぬべし。
かくのごとくして、十二光の名ましますといふとも、要をとるにこれにあり。

凡(おほよそ)そかの仏の光明功徳の中には、かくのごときの義をそなえたり、くはしくあかさば多種あるべし。おほきにわかちて二あり。
一には常光、二には神通光なり、はじめに常光といふは、諸仏の常光おのおの意楽にしたがふて遠近・長短あり。あるいは常光おもておのおの一尋相といへり、釈迦仏の常光のごときこれなり。あるいは七尺をてらし、あるいは一里をてらし、あるいは一由旬をてらし、あるいは二・三・四・五乃至百千由旬をてらし、あるいは一四天下をてらし、あるいは一仏世界をてらし、あるいは二仏・三仏乃至百千仏の世界をてらせり。

この阿弥陀仏の常光は、八方上下無央数の諸仏の国土におひて、てらさずといふところなし。八方上下は極楽について方角をおしふるなり。この常光について異説あり。すなわち『平等覚経』には、別して頭光をおしえたり。『観経』には、すへて身光といへり。かくのごとき異説あり。『往生要集』に堪(かむがへ)たり、みるべし。

常光といふは、長時不断にてらす光なり。次に神通光といふは、ことに別時にてらす光なり。釈迦如来の『法華経』をとかむとしたまひしとき、東方万八千の土をてらしたまひしがこときは、すなわち神通光なり。阿弥陀仏の神通光は、摂取不捨の光明なり。念仏衆生あるときはてらし、念仏の衆生なきときはてらすことなきがゆへなり。善導和尚『観経の疏』に、この摂取の光明を釈したまへるしたに、「光照の遠近をあかす」{定善義}といへり。この念仏衆生の居所の遠近について、摂取の光明も遠近あるべしといふ義なり。たとひ一ついゑのうちに住したりとも、東によりてゐたらむ人の念仏まふさむには、摂取の光明とおくてらし、西によりてゐたらむ人の念仏まふさむには、光明ちかくてらすべし。
これをもてこころうれば、一つ城のうち、一国のうち、一閻浮提のうち、三千世界の内、乃至他方各別の世界まで、かくのごとしとしるべし。しかれは念仏衆生について光照の遠近ありと釈したまへる、まことにいわれたることとこそおぼえ候へ。これすなわち阿弥陀仏の神通光なり、諸仏の功徳は、いづれの功徳もみな法界に遍すといえども、余の功徳は、その相あらわるることなし。
ただ光明のみまさしく法界に遍する相をあらわせる功徳なり、かるがゆへに、もろもろの功徳の中には、光明をもて最勝なりと釈したるなり。また諸仏の光明の中には、弥陀如来の光明なほまたすぐれたまへり、このゆへに教主釈尊ほめてのたまはく、「無量寿仏 威神光明 最尊第一、諸仏光明 所不能及」{大経}とのたまへり。

またいはく、「我説無量寿仏光明 威神巍巍殊妙、昼夜一劫尚未能尽」[27]{大経}とのたまへり。
これはこれ、かの仏の光明と余の仏の光明とを相対して、その勝劣を校量せむに、弥陀仏におよばさる仏をかずえむに、よるひる一劫すとも、そのかづをしりつくすべからすとのたまへるなり。
かくのごとく殊勝の光をえたまふことは、すなわち願行にこたへたり、いはく、かの仏法蔵比丘のむかし、世自在王仏のみもとにして、二百一十億の諸仏の光明をみたてまつりて、選択思惟して、願じていはく、「設我得仏、光明有能限量、下至不照 百千億那由他 諸仏国者 不取正覚」[28]{大経第十二願}とのたまへり。
この願をおこして、のち兆載永劫のあひだ、積功累徳して、願行ともにあらわして、この光をえたまへり。

仏在世に、灯指比丘といふ人ありき。生れしとき、指より光をはなちて、十里をてらすことありき。のちに仏の御弟子となりて、出家して、羅漢果をえたり。指より光をはなつ因縁によりて、なづけて灯指比丘といへり。過去九十一劫のむかし、毘婆尸仏のときに、ふるき仏像の指の損したまひたるを、修理したてまつりたりし功徳によりて、すなわち指より光をはなつ報をうけたるなり。

また梵摩比丘といふ人ありき、身より光をはなちて、一由旬をてらせり、これ過去に、仏に灯明をたてまつりたりしがゆへなり。
また仏の御弟子阿那律は、仏の説法の座に睡眠したることありき。仏これを種種に弾呵したまふ。阿那律すなわち懺悔のこころをおこして睡眠断づ。七日をへてのち、その目開ながらそのまなこみずなりぬ。これを医師にとふに、医師こたえていはく、人は食をもて命とす、眼はねぶりをもて食とす、もし人七日食せすらむに、命あにつきざらむや、しかれはすなわち、医療のおよぶところにあらず、命つきぬる人に、医療よしなきかごとしといへり。
そのとき仏これをあわれみて、天眼の法をおしえたまふ、すなわちこれを修して、かへりて天眼通をえたり。すなわち天眼第一阿那律といへるこれなり、過去に仏のものをぬすまむとおもふて、塔の中にいたるに、灯明すてにきえなむとするをみて、弓のはすをもてこれをかきあく。
そのときに忽然として改悟のこころをおこして、あまさへ無上道心をおこしたりき。それよりこのかた、生生世世に無量の福をえたり、いま釈迦出世のとき、ついに得脱して、またかくのことく天眼通をえたり、これすなわち、かの灯明をかかけたりし功徳によてなり。 乃至

寿命功徳

次に寿命の功徳といふは、諸仏寿命、意楽にしたかふて長短あり、これによて、恵心僧都四句{小経略記意}をつくれり、

「あるいは能化の仏は命なかく、所化の衆生は命みしかきあり、華光如来のごとし、仏の命は十二小劫、衆生の命は八小劫なり。
あるいは能化の仏は命みしかく、所化の衆生は命なかきあり、月面如来のごとし。仏の命一日一夜、衆生の命は五十歳なり。
あるいは能化・所化ともに命みしかきあり、釈迦如来のことし、仏も衆生もともに八十歳なり。
あるいは能化・所化ともに命なかきあり阿弥陀如来のごとし、仏も衆生もともに無量歳なり、かるかゆへに経にのたまはく、
仏告阿難、無量寿仏寿命長久、不可勝計、汝寧知乎、仮使十方世界無量衆、皆得人身 悉令成就声聞縁覚、都共推算計、禅思一心、竭其智力。於百千万劫、悉共推算計 其寿命長遠之数。不能窮尽 知其限極、声聞菩薩天人之衆寿命長短、亦復如是、非算数譬喩 所能知也[29]
とのたまへり、たたもし神通の大菩薩等のかすへたまはむには、一大恒沙劫なり」と、

『大論』のこころをもて、恵心勘(かむがへ)たり、この数二乗凡夫のかずへてしるべきかずにあらず、かるがゆへに無量とはいへるなり。
すへて仏の功徳を論するに、能持・所持の二義あり、寿命をもて能持といひ、自余のもろもろの功徳をは、ことことく所持といふなり、寿命はよくもろもろの功徳をたもつ、一切の万徳みなことことく寿命にたもたるるかゆへなり。
これは当座の道師が、わたくしの義なり。すなわちかの仏の相好・光明・説法・利生等の一切功徳、およひ国土の一切荘厳等の、もろもろの快楽のことら、たたかの仏の命のながくましますがゆへの事なり。
もし命なくは、かれらの功徳荘厳等、なにによりてかととまるへき。しかれは四十八願の中にも、寿命無量の願に、自余の諸願をはおさめたるなり、たとひ第十八の念仏往生の願、ひろく諸機を摂して済度するににたりといゑとも、仏の御命もしみじかくば、その願なほひろまらじ。そのゆへは、もし百歳・千歳、もしは一劫・二劫にてもましまさましかは、いまのときの衆生は、ことことくその願にもれなまし。かの仏成仏してのち、十劫をすきたるかゆへなり。

これをもてこれをおもはは、済度利生の方便は、寿命の長遠なるにすぎたるはなく、大慈大悲の誓願も、寿命の無量なるにあらはるるものなり。これ娑婆世界の人も、命をもて第一のたからとす、七珍万宝をくらの内にみてたれとも、綾羅綿繍をはこのそこにたくわへたるも、命のいきたるほとこそ、わか宝にてもある、 まなこ閉ぬるのちは、みな人のものなり。しかれは 乃至 弥陀如来の寿命無量の願をおこしたまひけむも、御身のため長寿の果報をもとめたまふにはあらず、済度利生のひさしかるへきために、また衆生をして忻求のこころをおこさしめんためなり。一切衆生はみな命ながからむことをねがふかゆへなり。
凡そかの仏の功徳の中には、寿命無量の徳をそなへたまふに、すぎたることは候はぬなり。このゆへに、『双巻経』の題にも、「無量寿経」といへとも、「無量光経」とはいはず、隋朝よりさきの旧訳には、みな経の中に宗とあることをえらひて、詮をぬき略を存して、その題目とするなり。
すなはちこの経の詮には、阿弥陀如来の功徳をとくるなり、その功徳の中には、光明無量・寿命無量の二の義をそなへたり。その中には、また寿命なを最勝なるゆへに、「無量寿経」となづくるなり。また釈迦如来の功徳の中にも、久遠実成の宗をあらわせるをもて、殊勝甚深のこととせり。
すなはち『法華経』に、寿量品とてとかれたり、二十八品の中には、この品をもてすくれたりとす。まさにしるへし、諸仏の功徳にも、寿命をもて第一の功徳とし、衆生のたからにも、命をもて第一のたからとすといふことを。
その命なかき果報をうることは、衆生に飲食をあたへ、またものの命をころささるを業因とするなり、因と果と相応することなれは、食はすなはち命をつぐがゆへに、食をあたふるはすなはち命をあたふるなり。不殺生戒をたもつも、また衆生の命をたすくるなり。かるかゆへに、飲食をもて衆生に施与し、慈悲に住して不殺生戒をたもてば、かならす長命の果報をえたり。
しかるにかの阿弥陀如来は、すなはち願行あひたすけて、この寿命無量の徳おば成就したまへるなり。願といふは、四十八願の中の第十三の願にいはく、「設我得仏、寿命有能限量、下至百億那由他劫者 不取正覚」[30]とのたまへり。

行といふは、かの願をたてたまふてのち、無央数劫のあひた、また不殺生戒をたもてり。また一切の凡聖におひて、飲食・医薬を供養し施与したまへるなり。これは阿弥陀如来の寿命の功徳なり。 乃至

弥陀入滅

かの仏かくのことく寿命無量なりといえとも、また涅槃隠没の期まします。これについて、あわれなることこそ候へ、道綽禅師、念仏の衆生におひて、始終両益ありと釈したまへる。その終益をあかすに、すなはち『観音授記経』をひきていはく、「阿弥陀仏、住世の命兆載永劫ののち滅度したまひて、ただ観音・勢至、衆生を接引したまふことあるへし。そのときに、一向にもはら念仏して往生したる衆生のみ、つねに仏をみたてまつる、滅したまはぬかごとし、余行往生の衆生は、みたてまつることあらす」{安楽集巻下引所}といへり。往生をえてむ上に、そのときまてのことはあまりごとぞ。
とてもかくても、ありなむとおぼえぬべく候へとも、そのときにのぞみては、かなしかるべきことにてこそ候へ。かの釈迦入滅のありさまにても、おしはかられ候なり。
証果の羅漢・深位の大士も、非滅・現滅[31]のことはりをしりなから、当時別離のかなしみにたえす、天にあおき地にふし、哀哭し悲泣しき。いはんや未証の衆生をや、浅識の凡愚をや、乃至竜神八部も五十二類も、凡そ涅槃の一会、悲歎のなみたをなかさすといふことなし。
しかのみならす、娑羅林のこすえ、抜提河の水、すへて山川・渓谷・草木・樹林も、みな哀傷のいろをあらはしき。しかれは過去をききて未来をおもひ、穢土になすらへて浄土をしるに、かの阿弥陀仏の、衆宝荘厳の国土をかくれ、涅槃寂滅の道場にいりたまひてのち、八万四千の相好ふたたひ現することなく、無量無辺の光明はなかくてらすことなくば、かの会の聖衆人天等、悲哀のおもひ、恋慕のこころざし、いかばかりかは候べき。
七宝自然のはやしなりとも、八功如意の水なりとも、名華軟草のいろも、鳬鴈・鴛鴦のこえも、いかかそのときをしらさらむや、浄穢は土ことなりといへとも、世尊の滅度すてにことなることなし。
迷悟はこころかわるといえとも、所化の悲恋なんそかはることあらむや。この娑婆世界の凡夫、具縛の人の心事相応せす。
意楽各別にてつねに違背し、たかひに厭悪をするだにも、あるいは夫妻のちきりをもむすひ、あるいは朋友のことばをもなして、しはらくもなづさひ(昵)、また馴ぬれば、遠近のさかひをへだて、前後の生をあらため、かくのことく生をも死をも、わかれをつくるときには、なごりをおしむこころたちまちにもよおし、かなしみにたえす、なみたをさへかたきことにてこそは候へ。
いかにいはむやかの仏、内には慈悲哀愍のこころをのみたくはへてましませば、なれたてまつるにしたかふて、いよいよむつまじく、外には見者無厭[32]の徳をそなへてましませは、みまいらすることに、いやめづら[33]なるをや。まことに無量永劫かあひた、あさゆふに万徳円満のみかほをおがみたてまつり、昼夜に四弁無窮[34]の御音になれたてまつりて、恭敬瞻仰し随遂給仕して、すてたらむここちに、ながくみたてまつらざらむことになりたらむばかり、かなしかるべきことや候へき。

無有衆苦のさかひ、離諸妄想のところなりといふとも、このこと一事は、さこそおぼへ候らめとそおぼえ候。それに、もとのごとくみたてまつりて、あらたまることなからむことは、まことにあはれに、ありがたきこととこそおぼへ候へ。これすなはち念仏一行、かの仏の本願なるがゆへなり。おなじく往生をねがはむ人は、専修念仏の一門よりいるべきなり。

  康元二丁巳正月二日書之

愚禿親鸞 八十五歳


末註

  1. 半三身。◇半は分けるの意で、法身・報身と応身(化身)に分けるので半三身という。
  2. 華厳経に説く、仏・菩薩(ぼさつ)の得る十種の仏身。衆生身・国土身・業報身・声聞身・縁覚身・菩薩身・如来身・智身・法身・虚空身を解境の十仏、正覚仏・願仏・業報仏・住持仏・化仏・法界仏・心仏・三昧仏・性仏・如意仏を行境の十仏という。
  3. 中輩の「其人臨終無量寿仏化現其身 光明・相好、具如真仏(その人、終りに臨みて、無量寿仏はその身を化現したまふ。光明・相好はつぶさに真仏のごとし)」p.42の文から、化現する化仏と真仏ということがわかる
  4. 修因感果(しゅいんかんか) ◇因を修して果を感ず。善の因を修し、その各々の業力の作用により応ずべき果を感得すること。ここでは法蔵菩薩の修因感果を指す
  5. 白は色の基本だが、汚れやすい色であるということ。
  6. 五種の法。◇五停心観によって感得される仏か。
  7. 即ち生じ乃至三生に必ず生ず。◇『漢語灯録』には「造佛功德即決定往生業因次生及三生必得往生也(造仏の功徳は即ち決定往生の業因なり、次生及び三生には必ず往生を得る也)」とある。
  8. 光明は、あまねく十方世界を照らし、念仏の衆生を摂取して捨てたまはず。
  9. 隠顕。◇文章の表面に顕れたものと裏に隠れたものということ。「散善義」文前料簡で「 隠顕ありといへども、もしその道理によらばことごとくみなあるべし。」の語に依られた。 ここでの隠顕は、親鸞聖人が 「化身土文類」 でいわれるような真・仮 (真実・方便) を分別する意味ではない。
  10. 五通。◇五神通のこと。
  11. 智光の曼陀羅。◇奈良の元興寺に伝わる智光が感得したという曼荼羅の図像に基づいて作られた浄土曼荼羅の総称。
  12. 師秀が自らの逆修の為に造った仏像を前にしての御説法であるからこのようにいう。
  13. 風(ふ)。◇おもむき、様子。
  14. 依正二報。◇依報と正報の二種の果報のこと。正報とは過去の業(行為)の報いとして得た心身をいい、依報とはその心身のよりどころとなる国土・環境をいう。
  15. おもはく。◇思うことには。思ふのク用法。
  16. 三種の愛心。◇人の臨終の際に起こす三つの執着の心のこと。家族や財産などへの愛着である境界愛、自分自身の存在そのものに対する執着である自体愛、自身は死後どのようになるのかと憂える当生愛をいう。
  17. 加持。◇加持とは、サンスクリット語のadhisthana(アディシュターナ)の訳語で、もとは寄りそって立つこと。菩薩や仏が衆生にかかわりあうことである。
  18. ◇自らのなした行為の結果によって正念に住するから来迎があのではなく、仏の来迎があるから正念に住するのである、と、法然聖人は来迎の意味を反転されておられる。つまり当時流布していた正念来迎説を否定しておられた。 この正念を究極的に推し進めれば、念仏衆生摂取不捨と信知することは正念であり、親鸞聖人による「しかれば名を称するに、よく衆生の一切の無明を破し、よく衆生の一切の志願を満てたまふ。称名はすなはちこれ最勝真妙の正業なり。正業はすなはちこれ念仏なり。念仏はすなはちこれ南無阿弥陀仏なり。南無阿弥陀仏はすなはちこれ正念なりと、知るべしと」(*)という正念であり、如来を主体とした他力回向、つまり本願力回向論の正念になるのは当然であろう。ここで注意すべきは、御開山は弥陀の来迎そのものを完全否定しているのではないということである。もしそうであるならば、この『西方指南抄』を書き残される筈がない。往生決定は信の一念にあるという本願の思し召しに立たれて、臨終来迎を願い求めることを否定されたのである。
    御消息(1)の、「来迎は諸行往生にあり、自力の行者なるがゆゑに。臨終といふことは、諸行往生のひとにいふべし、いまだ真実の信心をえざるがゆゑなり。」の文は、来迎(を自力で願い求めて本願力を疑う者)は諸行往生にあり、と読むべきであろう。出来上がった教学の上で論ずるより、法然・親鸞両聖人の上で、このご法義を味わうべきであろう。文責:林遊@なんまんだぶ。
  19. 僻韻(へきいん)。◇僻案と同意か。かたよった考え。誤った言い方。◇現在ただいまの尋常の可聞可称の〈なんまんだぶ〉を肯わずに、臨終を期すことを誤った考え方であるとされる。
  20. ◇静照(~1003)の『四十八願釈』に「雖聞称名 皆得往生。然命終時 心多顛倒。弘誓大悲 不得晏然 故与大衆 現其人前。」(称名を聞きて皆な往生すといえども、しかるに命終の時、心おおく顛倒す。弘誓の大悲、晏然(あんぜん:安らかで落ち着いた様子)たるを得ざるが故に、大衆とともに其の人の前に現ず。)とあるそうである。「未見」
  21. 我れ生死海にありて幸いに聖船の筏にもうあえり。我が顕ずるところの真聖、卑穢の質を来迎したまう。もし浄土を欣求するに必ず形像造画せよ。臨終に其の前に現じて、摂心して道路を示すなり。念念に漸く罪を尽し、業に随いて九品に生ず。其の顕るところの聖衆は、まず新生の輩を讃じ、仏道の楽を増進せん。
  22. 『薬師琉璃光如来本願功徳経』に「復次に曼殊室利よ、若し四衆の苾芻(びっしゅ:比丘)・苾芻尼(びっしゅに:比丘尼)・鄔波索迦(うばそか:優婆塞)・鄔波斯迦(うばしか:優婆夷)、及び余の浄信の善男子・善女人等有りて、能く八分斎戒を受持すること、或は一年を経、或は復三月、学処を受持すること有らん。
    此の善根を以て、西方極楽世界 無量寿仏の所に生れて、正法を聴聞せんことを願い未だ定まらざる者、若し世尊、薬師瑠璃光如来の名号を聞かば、命終の時に臨んで八大菩薩有り、其の名を文殊師利菩薩・観世音菩薩・得大勢菩薩・無尽意菩薩・宝檀華菩薩・薬王菩薩・薬上菩薩・弥勒菩薩と曰う。 八大菩薩は空に乗じて来りて其の道路を示し、即ち彼の界、種種の雑色の衆の寳華の中に於て、自然に化生せん。 [1] とある。
  23. 御廟の僧正。◇源信僧都の師、慈恵大師良源。良源僧正は第十九願をもって浄土往生の願とされた。参考:「良源僧正は、第十八願は五逆と誹謗を犯していない凡夫の往生を誓った願であるが、その往生業は深妙ではないから臨終の来迎が誓われていない。それに引き替え第十九願に臨終来迎が誓われているのは、菩提心を発し、諸の功徳を修した勝れた行者であるからであって、当然第十八顧より第十九願の方が深妙な往生業が誓われている。」という。(梯實圓和上『顕浄土方便化身土文類講讃』より)三生果遂
  24. 万年にして三宝滅せんに、この経(大経)住すること百年せん。その時聞きて一念せんに、みなまさにかしこに生ずることを得べし。
  25. なんぢ仏名を称するがゆゑにもろもろの罪消滅す。われ来りてなんぢを迎ふ。
  26. それかの仏の名号を聞くことを得て、歓喜踊躍して乃至一念せんことあらん。まさに知るべし、この人は大利を得とす。すなはちこれ無上の功徳を具足するなりと。
  27. われ、無量寿仏の光明の威神、巍々殊妙なるを説かんに、昼夜一劫すとも、なほいまだ尽すことあたはじ」
  28. たとひわれ仏を得たらんに、光明よく限量ありて、下、百千億那由他の諸仏の国を照らさざるに至らば、正覚を取らじ。
  29. 仏、阿難に語りたまはく、「無量寿仏は寿命長久にして称計すべからず。なんぢむしろ知れりや。たとひ十方世界の無量の衆生、みな人身を得て、ことごとく声聞・縁覚を成就せしめて、すべてともに集会し、禅思一心にその智力を竭して、百千万劫においてことごとくともに推算してその寿命の長遠の数を計らんに、窮尽してその限極を知ることあたはじ。声聞・菩薩・天・人の衆の寿命の長短も、またまたかくのごとし。算数譬喩のよく知るところにあらざるなり。
  30. たとひわれ仏を得たらんに、寿命よく限量ありて、下、百千億那由他劫に至らば、正覚を取らじ。
  31. 非滅・現滅。滅にして現に滅に非ず。
  32. 左訓:ミタテマツルモノイトフコトナシ。
  33. いや目づら。◇悲しそうな顔のこと。
  34. 四弁無窮。◇仏・菩薩のもつ4種の自由自在な理解能力と表現能力を智慧の面から示した言葉。教えに精通している法無礙智、教えの表す意味内容に精通している義無礙智、いろいろの言語に精通している辞無礙智、以上の3種をもって自在に説く楽説無礙智。理解力の面から四無礙解、表現力の面から四無礙弁ともいう。ここではこのような四弁無窮なる名号を称えながら、その徳に慣れてしまっている事を指すか。