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とりあえず、文章を18に分割した。「聞見会」の会員有志の方でちょとだけネットで後に続く人の為に貢献したいと思われた方の協力で、「[http://www.archive.org/stream/kokuyakudaizky08tokyuoft#page/511/mode/2up ここ]」にある国訳から漢文に読下しが附加される/されました。
 
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『涅槃経』にある「諸行無常偈」。釈尊の前世に雪山で修行しておられた時に聞かれた「諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅爲樂」という四句の偈を示す一段であり「雪山偈」ともいう。釈尊は過去世に、この偈によって、仏教とは如何なる教えであるかを体得したとされる一段である。この句はまた、日本の「いろは歌」のモチーフであったともいわれる。(イントロ部分をはしょってしまったので自己責任で読下してみた、とほほ)
 
『涅槃経』にある「諸行無常偈」。釈尊の前世に雪山で修行しておられた時に聞かれた「諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅爲樂」という四句の偈を示す一段であり「雪山偈」ともいう。釈尊は過去世に、この偈によって、仏教とは如何なる教えであるかを体得したとされる一段である。この句はまた、日本の「いろは歌」のモチーフであったともいわれる。(イントロ部分をはしょってしまったので自己責任で読下してみた、とほほ)
 
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爾時佛 讃迦葉菩薩。善哉善哉。汝甚愛樂大乘經典。貪大乘經受大乘經味大乘經。信敬尊重供養大乘。 善男子。汝今以此善心因縁。當得超越無量無邊恒河沙等 諸大菩薩在前 得成阿耨多羅三藐三菩提。<br>
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汝亦不久 復當如我廣爲大衆 演説如是 大般涅槃如來佛性諸佛所説祕密之藏。
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:その時に仏、迦葉菩薩を讃じたまわく、善い<kana>哉(かな)</kana>善い<kana>哉(かな)</kana>、汝、はなはだ大乗経典を愛楽す。大乗経を貪ぼり、大乗経を受し、大乗経を味わい、大乗を信敬し尊重し供養す。 善男子、汝、今この善心の因縁を以つて、まさに無量無辺恒河沙等の、諸々の大菩薩の前に在ることを得て、超越して阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得べし。
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:汝もまた久しからずして、またまさに我が如く、広く大衆の為に、かくの如きの大般涅槃如来仏性諸仏所説の秘密の蔵を演説すべし。
  
 
善男子。過去之世佛日未出。我於爾時作婆羅門修菩薩行。悉能通達一切外道所有經論。修寂滅行具足威儀。其心清淨。不爲外來能生欲想之所破壞。滅瞋恚火。受持常樂我淨之法。周遍求索大乘經典。乃至不聞方等名字。
 
善男子。過去之世佛日未出。我於爾時作婆羅門修菩薩行。悉能通達一切外道所有經論。修寂滅行具足威儀。其心清淨。不爲外來能生欲想之所破壞。滅瞋恚火。受持常樂我淨之法。周遍求索大乘經典。乃至不聞方等名字。
:善男子、過去の世に仏日いまだ出でず。我、その時において婆羅門となりて菩薩の行を修し、<kana>悉(ことごと)</kana>くよく一切外道のあらゆる経論に通達し、寂滅行を修して威儀を具足す。その心、清浄にして、外より来たりてよく欲想の所を生ぜしむるも破壊せられず。瞋恚の火を滅して、常楽我浄の法を受持す。周遍して大乗経典を求索するに、乃至、方等<ref>方等(ほうどう)。方正にして平等の意。大乗経典を方等経という。ここではまだ大乗の本意が解らなかったという意。</ref>の名字を聞かず。
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:善男子、過去の世に[[chu:仏日|仏日]]いまだ出でず。我、その時において[[chu:婆羅門|婆羅門]]となりて菩薩の行を修し、<kana>悉(ことごと)</kana>くよく一切外道のあらゆる経論に通達し、寂滅行を修して威儀を具足す。その心、清浄にして、外より来たりてよく欲想の所を生ぜしむるも破壊せられず。瞋恚の火を滅して、常楽我浄の法を受持す。周遍して大乗経典を求索するに、乃至、方等<ref>方等(ほうどう)。方正にして平等の意。大乗経典を方等経という。ここではまだ大乗の本意が解らなかったという意。</ref>の名字を聞かず。
  
 
我於爾時住於雪山。其山清淨流泉浴池。樹林藥木充滿其地。處處石間有清流水。多諸香花周遍嚴飾。衆鳥禽獸不可稱計。甘果滋繁種別難計。<br>
 
我於爾時住於雪山。其山清淨流泉浴池。樹林藥木充滿其地。處處石間有清流水。多諸香花周遍嚴飾。衆鳥禽獸不可稱計。甘果滋繁種別難計。<br>
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善男子。我修如是苦難行時。釋提桓因等諸天人。心大驚怪即共集會。各各相謂而説偈言 各共相指示 清淨雪山中。
 
善男子。我修如是苦難行時。釋提桓因等諸天人。心大驚怪即共集會。各各相謂而説偈言 各共相指示 清淨雪山中。
:善男子。我れ、かくの如きの苦難行を修するの時、[[chu:釈提桓因|釈提桓因]]等、諸天人、心、大いに驚怪してすなわち共に集会し。おのおの相ひ謂つて偈を説きて言さく、
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:善男子。我、かくの如きの苦難行を修するの時、[[chu:釈提桓因|釈提桓因]]等、諸天人、心、大いに驚怪してすなわち共に集会し。おのおの相ひ謂つて偈を説きて言さく、
 
:'''各共相指示 清浄雪山中'''
 
:'''各共相指示 清浄雪山中'''
 
::おのおのあひ指示す、清浄雪山中、
 
::おのおのあひ指示す、清浄雪山中、
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::寂静離欲の主、功徳荘厳王、
 
::寂静離欲の主、功徳荘厳王、
 
:'''以離貪瞋慢 永斷諸愚癡'''
 
:'''以離貪瞋慢 永斷諸愚癡'''
::貪・瞋・慢を離れるをもって 永く諸々の愚痴 断ず。
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::貪・瞋・慢を離れるをもって 永く諸々の愚痴を断ず。
 
: '''口初未曾説 麁惡等語言'''
 
: '''口初未曾説 麁惡等語言'''
 
::口、<kana>初(すべ)</kana>て未だ<kana>曾(か)</kana>つて 麁悪等の語言を説かず。
 
::口、<kana>初(すべ)</kana>て未だ<kana>曾(か)</kana>つて 麁悪等の語言を説かず。
 
爾時衆中有一天子 名曰歡喜。復説偈言
 
爾時衆中有一天子 名曰歡喜。復説偈言
:その時に、衆中に一の天子あり。名を歓喜といふ。また偈を説きて<kana>言(もう)</kana>さく、
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:その時に、衆中に<kana>一(ひとり)</kana>の天子あり。名を歓喜といふ。また偈を説きて<kana>言(もう)</kana>さく、
 
:'''如是離欲人 清淨勤精進'''
 
:'''如是離欲人 清淨勤精進'''
 
::かくの如き離欲の人、清浄に勤めて精進す。
 
::かくの如き離欲の人、清浄に勤めて精進す。
  
 
:'''將不求帝釋 及以諸天耶'''
 
:'''將不求帝釋 及以諸天耶'''
::まさに帝釈および以つて諸天を求めずや
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::まさに帝釈および以つて諸天を求めずや、
 
:'''若是求道者 修行諸苦行'''
 
:'''若是求道者 修行諸苦行'''
 
::もしこれ求道者ならば、諸々の苦行を修行せん。
 
::もしこれ求道者ならば、諸々の苦行を修行せん。
 
:'''是人多欲求 帝釋所坐處'''
 
:'''是人多欲求 帝釋所坐處'''
::この人、多くは帝釈の所坐の処を求めんと欲す
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::この人、多くは帝釈の所坐の処を求めんと欲す。<ref>このように修行する者は、帝釈天の地位を得ようとしているのであろうという意。</ref>
  
 
爾時復有一仙天子。即爲帝釋而説偈言
 
爾時復有一仙天子。即爲帝釋而説偈言
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:かくの如きの人、生死中の諸々の過咎を見るが故に、たとひ珍宝のこの大地、諸山、大海に満つるを見るとも、貪著を生ぜず、涕唾を<kana>視(み)</kana>るが如し。
 
:かくの如きの人、生死中の諸々の過咎を見るが故に、たとひ珍宝のこの大地、諸山、大海に満つるを見るとも、貪著を生ぜず、涕唾を<kana>視(み)</kana>るが如し。
  
如是大士 棄捨財寶所 愛妻子頭目髓腦手足支節所居舍宅象馬車乘奴婢僮僕。亦不願求生於天上。
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如是大士 棄捨財寶所 愛妻子頭目髓腦手足支節 所居舍宅象馬車乘奴婢僮僕。亦不願求生於天上。
:かくの如きの大士、財寶、所愛の妻子、頭目髓腦、手足支節、所居の舍宅、象馬車乘、奴婢僮僕を棄捨し、また天上に生ずることを願求せず。
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:かくの如きの大士、財宝、所愛の妻子、頭目髄脳、手足支節、所居の舎宅、象馬車乗、奴婢僮僕を棄捨し、また天上に生ずることを願求せず。
  
 
唯求欲令一切衆生 得受快樂。如我所解。如是大士清淨無染衆結永盡。唯欲求於阿耨多羅三藐三菩提。
 
唯求欲令一切衆生 得受快樂。如我所解。如是大士清淨無染衆結永盡。唯欲求於阿耨多羅三藐三菩提。
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釋提桓因 復作是言。如汝言者 是人則爲攝取一切世間衆生。
 
釋提桓因 復作是言。如汝言者 是人則爲攝取一切世間衆生。
:釈提桓因、またこの言を作さく、汝が言の如きは、この人、則ち一切世間の衆生を摂取せんが為なり。
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:[[chu:釈提桓因|釈提桓因]]、またこの言を作さく、汝が<kana>言(ことば)</kana>の如きは、この人、則ち一切世間の衆生を摂取せんが為なり。
  
 
大仙。若此世間有佛樹者。能除一切諸天世人及阿修羅煩惱毒蛇。
 
大仙。若此世間有佛樹者。能除一切諸天世人及阿修羅煩惱毒蛇。
:大仙、もしこの世間に仏樹あらば、よく一切の諸天、世人および阿修羅の煩悩の毒蛇を除く。
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:大仙<ref>大仙(だいせん)。帝釈天(釈提桓因ともいう、憍尸迦は、帝釈天の元の姓)に呼びかけた二人目の仙天子を指す。</ref>、もしこの世間に仏樹あらば、よく一切の諸天、世人および阿修羅の煩悩の毒蛇を除く。
  
 
是諸衆生 住是佛樹陰涼中者。煩惱諸毒悉得消滅。
 
是諸衆生 住是佛樹陰涼中者。煩惱諸毒悉得消滅。
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如水中月水動則動。猶如畫像難成易壞。菩提之心。亦復如是 難發易壞。
 
如水中月水動則動。猶如畫像難成易壞。菩提之心。亦復如是 難發易壞。
:水中の月の、水動ずれば則ち動ずるが如し。なおし書像の成じ難く<kana>壊(え)</kana>し<kana>易(やす)</kana>きが如し。菩提の心も、またまた、かくの如く、発し難く壊<kana>易(やす)</kana>きが如し。
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:水中の月の、水動ずれば則ち動ずるが如し。なおし書像の成じ難く<kana>壊(え)</kana>し<kana>易(やす)</kana>きが如し。菩提の心も、またまた、かくの如く、発し難く壊し<kana>易(やす)</kana>きが如し。
  
 
大仙。如有多人 以諸鎧仗牢自莊嚴欲前討賊。臨陣恐怖則便退散。
 
大仙。如有多人 以諸鎧仗牢自莊嚴欲前討賊。臨陣恐怖則便退散。
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我今要當自往試之知其實能堪任荷負阿耨多羅三藐三菩提大重擔不。大仙。猶如車有二輪則能載用。鳥有二翼堪任飛行。是苦行者亦復如是。我雖見其堅持禁戒。未知其人有深智不。若有深智當知則能堪任荷負阿耨多羅三藐三菩提之重擔也。<br>
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我今 要當自往試之 知其實能堪任荷負 阿耨多羅三藐三菩提 大重擔不。大仙。猶如車有二輪 則能載用。鳥有二翼 堪任飛行。是苦行者 亦復如是。我雖見其堅持禁戒。未知其人有深智不。若有深智 當知則能堪任荷負 阿耨多羅三藐三菩提之重擔也。<br>
 
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:我、今、かならず、まさに自ら往いてこれを試みて、この実によく阿耨多羅三藐三菩提の大重担を荷負するに堪任するやいなやを知るべし。
:我れ今、要(かな)らず當(まさ)に自ら往いてこれを試みて、其(こ)の實に能く阿耨多羅三藐三菩提の大重擔を荷負するに堪任するや不(いな)やを知るべし。<br>大仙、猶(なお)し車、二輪有(あ)らば則ち能(よ)く載用し、鳥、二翼有らば飛行に堪任するが如(ごと)し。是の苦行者も亦復是の如し。<br>我其の禁戒を堅持するを見ると雖も、未だ其の人に深智有りや不やを知らず。<br>若し深智有らば當に知るべし、則ち能く阿耨多羅三藐三菩提の重擔を荷負するに堪任せん。
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:大仙、なおし車、二輪あらば則ち、よく載用し、鳥、二翼あらば飛行に堪任するが如し。この苦行者もまたかくの如し。
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:我、その禁戒を堅持するを見ると雖も、いまだ、その人に深智有りやいなを知らず。もし深智あらばまさに知るべし、則ちよく阿耨多羅三藐三菩提の重担を荷負するに堪任せん。
  
 
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大仙。譬如魚母多有胎子成就者少。如菴羅樹花多果少。衆生發心。乃有無量。及其成就少不足言。大仙。我當與汝倶往試之。大仙。譬如眞金三種試已乃知其眞。謂燒打磨。試彼苦行者亦當如是」
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大仙。譬如魚母多有胎子成就者少。如菴羅樹花多果少。衆生發心。乃有無量。及其成就少不足言。大仙。我當與汝倶往試之。大仙。譬如眞金三種試已乃知其眞。謂燒打磨。試彼苦行者亦當如是
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:大仙、譬えば魚母の多く胎子あれど、成就するものは少きが如く、菴羅樹の花多く、<kana>果(このみ)</kana>少なきが如し。衆生心を発すは、すなわち無量あれども、その成就に及びては少くして言ふに足らず。大仙、我、まさに汝と<kana>倶(とも)</kana>に<kana>往(ゆ)</kana>いて、これを<kana>試(こころ)</kana>むべし。大仙、譬えば真金の三種試み已りて、すなわちその真を知るが如し。焼・打・磨を<kana>謂(い)</kana>ふ。彼の苦行者を試むるも、またまさに、かくの如くなるべし。
  
 
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爾時釋提桓因。自變其身作羅刹像形甚可畏。下至雪山去 其不遠而便立住。是時羅刹心無所畏勇健難當。辯才次第其聲清雅。宣過去佛所説半偈
 
爾時釋提桓因。自變其身作羅刹像形甚可畏。下至雪山去 其不遠而便立住。是時羅刹心無所畏勇健難當。辯才次第其聲清雅。宣過去佛所説半偈
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:その時、釈提桓因、自からその身を変じて羅刹の像と<kana>作(な)</kana>る。形、はなはだ畏るべし。雪山に下り至り、その去ること遠からずして、便(すなわ)ち立住す。この時に羅刹、心に畏るる所なく、勇健あたり難し。弁才次第その声、清雅なり。過去仏の所説の半偈を<kana>宣(の)</kana>ぶ。
  
:諸行無常 是生滅法
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:'''諸行無常 是生滅法'''
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:::<kana>諸行(しょぎょう)</kana>は<kana>無常(むじょう)</kana>なり、これ生滅の法なり。
  
 
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説是半偈已 便住其前。所現形貌甚可怖畏。顧眄遍視觀於四方。是苦行者。聞是半偈心生歡喜。譬如估客於險難處夜行失伴。恐怖推索還遇同侶。心生歡喜踊躍無量。亦如久病未遇良醫瞻病好藥後卒得之。如人沒海卒遇船舫。如渇乏人遇清冷水。如爲怨逐忽然得脱。如久繋人卒聞得出。 亦如農夫炎旱値雨。亦如行人還得歸家人見已生大歡喜。
 
説是半偈已 便住其前。所現形貌甚可怖畏。顧眄遍視觀於四方。是苦行者。聞是半偈心生歡喜。譬如估客於險難處夜行失伴。恐怖推索還遇同侶。心生歡喜踊躍無量。亦如久病未遇良醫瞻病好藥後卒得之。如人沒海卒遇船舫。如渇乏人遇清冷水。如爲怨逐忽然得脱。如久繋人卒聞得出。 亦如農夫炎旱値雨。亦如行人還得歸家人見已生大歡喜。
 
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:この半偈を説き已りて、すなわちその前に住す。所現の形貌はなはだ怖畏すべし。顧眄して遍く視て四方を観る。<br>
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:この苦行者、この半偈を聞きて心に歓喜を生ず。譬へば估客の険難の処に於いて夜行して伴を失ひ、恐怖推索して<kana>還(ふた)</kana>たび同侶に遇ふ、心に歓喜を生じて踊躍はかり無きが如し。また、久病の未だ良医、瞻病、好薬に遇はず、後に卒(たちまち)にこれを得るが如し。<br>
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:人の海に没して卒に船舫に遇ふが如く、渇乏人の清冷なる水に遇ふが如く、怨の為に逐われ、忽然として脱することを得るが如く、久しく繋れた人、卒に出づずることを得るを聞くが如し。また農夫の炎旱に雨に値(あ)ふが如く、また行人の還(ふた)たび帰り得て家人、見已りて大歓喜を生ずるが如し。
 
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善男子。我於爾時聞是半偈。心中歡喜亦復如是。即從座起以手擧髮。四向顧視而説是言。向所聞偈誰之所説。爾時亦更不見餘人。唯見羅刹即説是言。誰開如是解脱之門。誰能雷震諸佛音聲。誰於生死睡眠之中而獨覺寤。唱如是言。誰能於此示道生死饑饉衆生無上道味。無量衆生沈生死海。 誰能於中作大船師。是諸衆生常爲煩惱重病所纒。誰能於中爲作良醫。説是半偈啓悟我心。猶如半月漸開蓮花。
 
善男子。我於爾時聞是半偈。心中歡喜亦復如是。即從座起以手擧髮。四向顧視而説是言。向所聞偈誰之所説。爾時亦更不見餘人。唯見羅刹即説是言。誰開如是解脱之門。誰能雷震諸佛音聲。誰於生死睡眠之中而獨覺寤。唱如是言。誰能於此示道生死饑饉衆生無上道味。無量衆生沈生死海。 誰能於中作大船師。是諸衆生常爲煩惱重病所纒。誰能於中爲作良醫。説是半偈啓悟我心。猶如半月漸開蓮花。
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:善男子、我、その時に於いて、この半偈を聞き、心中に歓喜することも、またまたかくの如し。即ち座より起(た)ち手を以つて髪を挙げ、四向を顧視してこの言を説く。向(さき)に聞く所の偈、誰の説く所ぞ。<br>
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:その時に、更に余人を見ず、ただ羅刹を見る。即ちこの言を説かく。誰かかくの如きの解脱の門を開き、誰かよく諸仏の音声を雷震す。誰か生死睡眠の中に於いて、独り覚寤して、かくの如きの言を唱ふ。誰かよくここに於いて生死饑饉(けきん)の衆生に無上の道味を示道す。無量の衆生、生死の海に沈む、 誰かよく中に於いて大船師と作(な)る。この諸の衆生、常に煩悩の為に重病に纒はる所なり。誰か能く中に於いて為に良医と作る。この半偈を説き我が心を啓悟す。なおし半月のようやく蓮花を開くが如し。
  
 
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善男子。我得如是無量功徳。皆由供養如來正法。善男子。汝今亦爾。發於阿耨多羅三藐三菩提心。則已超過無量無邊恒河沙等諸菩薩上。善男子。是名菩薩住於大乘大般涅槃修於聖行
 
善男子。我得如是無量功徳。皆由供養如來正法。善男子。汝今亦爾。發於阿耨多羅三藐三菩提心。則已超過無量無邊恒河沙等諸菩薩上。善男子。是名菩薩住於大乘大般涅槃修於聖行
  
 
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2014年2月6日 (木) 22:47時点における最新版

とりあえず、文章を18に分割した。「聞見会」の会員有志の方でちょとだけネットで後に続く人の為に貢献したいと思われた方の協力で、「ここ」にある国訳から漢文に読下しが附加される/されました。

『涅槃経』にある「諸行無常偈」。釈尊の前世に雪山で修行しておられた時に聞かれた「諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅爲樂」という四句の偈を示す一段であり「雪山偈」ともいう。釈尊は過去世に、この偈によって、仏教とは如何なる教えであるかを体得したとされる一段である。この句はまた、日本の「いろは歌」のモチーフであったともいわれる。(イントロ部分をはしょってしまったので自己責任で読下してみた、とほほ)


爾時佛 讃迦葉菩薩。善哉善哉。汝甚愛樂大乘經典。貪大乘經受大乘經味大乘經。信敬尊重供養大乘。 善男子。汝今以此善心因縁。當得超越無量無邊恒河沙等 諸大菩薩在前 得成阿耨多羅三藐三菩提。
汝亦不久 復當如我廣爲大衆 演説如是 大般涅槃如來佛性諸佛所説祕密之藏。

その時に仏、迦葉菩薩を讃じたまわく、善い(かな)善い(かな)、汝、はなはだ大乗経典を愛楽す。大乗経を貪ぼり、大乗経を受し、大乗経を味わい、大乗を信敬し尊重し供養す。 善男子、汝、今この善心の因縁を以つて、まさに無量無辺恒河沙等の、諸々の大菩薩の前に在ることを得て、超越して阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得べし。
汝もまた久しからずして、またまさに我が如く、広く大衆の為に、かくの如きの大般涅槃如来仏性諸仏所説の秘密の蔵を演説すべし。

善男子。過去之世佛日未出。我於爾時作婆羅門修菩薩行。悉能通達一切外道所有經論。修寂滅行具足威儀。其心清淨。不爲外來能生欲想之所破壞。滅瞋恚火。受持常樂我淨之法。周遍求索大乘經典。乃至不聞方等名字。

善男子、過去の世に仏日いまだ出でず。我、その時において婆羅門となりて菩薩の行を修し、(ことごと)くよく一切外道のあらゆる経論に通達し、寂滅行を修して威儀を具足す。その心、清浄にして、外より来たりてよく欲想の所を生ぜしむるも破壊せられず。瞋恚の火を滅して、常楽我浄の法を受持す。周遍して大乗経典を求索するに、乃至、方等[1]の名字を聞かず。

我於爾時住於雪山。其山清淨流泉浴池。樹林藥木充滿其地。處處石間有清流水。多諸香花周遍嚴飾。衆鳥禽獸不可稱計。甘果滋繁種別難計。
復有無量藕根甘根青木香根。我於爾時獨處其中唯食諸果。食已繋心思惟坐禪。經無量歳。亦不聞有如來出世大乘經名。

我、そのときに於いて雪山に住す[2]。その山清浄にして流泉、浴池、樹林、薬木その地に充満す。処処の石間に清流水あり、もろもろも香花多くして、周遍厳飾す。衆鳥、禽獣、称計すべからず。甘果滋繁にして種別計りがたし。
また無量の藕根、甘根、青木、香根あり。我、その時において、独りその中に処し、ただ諸果を食す。食しおわりて心を繋けて思惟坐禅す。無量歳を()るに、また如来の出世大乗経の名あるを聞かず。

善男子。我修如是苦難行時。釋提桓因等諸天人。心大驚怪即共集會。各各相謂而説偈言 各共相指示 清淨雪山中。

善男子。我、かくの如きの苦難行を修するの時、釈提桓因等、諸天人、心、大いに驚怪してすなわち共に集会し。おのおの相ひ謂つて偈を説きて言さく、
各共相指示 清浄雪山中
おのおのあひ指示す、清浄雪山中、
寂靜離欲主 功徳莊嚴王
寂静離欲の主、功徳荘厳王、
以離貪瞋慢 永斷諸愚癡
貪・瞋・慢を離れるをもって 永く諸々の愚痴を断ず。
口初未曾説 麁惡等語言
口、(すべ)て未だ()つて 麁悪等の語言を説かず。

爾時衆中有一天子 名曰歡喜。復説偈言

その時に、衆中に(ひとり)の天子あり。名を歓喜といふ。また偈を説きて(もう)さく、
如是離欲人 清淨勤精進
かくの如き離欲の人、清浄に勤めて精進す。
將不求帝釋 及以諸天耶
まさに帝釈および以つて諸天を求めずや、
若是求道者 修行諸苦行
もしこれ求道者ならば、諸々の苦行を修行せん。
是人多欲求 帝釋所坐處
この人、多くは帝釈の所坐の処を求めんと欲す。[3]

爾時復有一仙天子。即爲帝釋而説偈言

その時に、また一の仙天子あり。すなわち帝釈の為に偈を説きて言さく、
天主憍尸迦 不應生此慮
天主憍尸迦、 この(おもんぱか)り生ずべからず、
外道修苦行 何必求帝處
外道苦行を修す、何ぞ必ず帝処を求めん。

説是偈已復作是言。憍尸迦。世有大士。爲衆生故不貪己身。爲欲利益諸衆生故。 而修種種無量苦行。

この偈を説きおわりてまた是の言を()さく、憍尸迦(きょうしか)、世に大士あり。衆生の為の故に己の身を貪らず。諸々の衆生を利益せんと欲するが為の故に、 種種無量の苦行を修す。

如是之人見生死中諸過咎故。設見珍寶滿此大地諸山大海。不生貪著如視涕唾。

かくの如きの人、生死中の諸々の過咎を見るが故に、たとひ珍宝のこの大地、諸山、大海に満つるを見るとも、貪著を生ぜず、涕唾を()るが如し。

如是大士 棄捨財寶所 愛妻子頭目髓腦手足支節 所居舍宅象馬車乘奴婢僮僕。亦不願求生於天上。

かくの如きの大士、財宝、所愛の妻子、頭目髄脳、手足支節、所居の舎宅、象馬車乗、奴婢僮僕を棄捨し、また天上に生ずることを願求せず。

唯求欲令一切衆生 得受快樂。如我所解。如是大士清淨無染衆結永盡。唯欲求於阿耨多羅三藐三菩提。

ただ一切衆生をしてして、快楽を受くるを得せしめんことを求めんと欲す。我が解する所の如きは、かくの如きの大士、清浄にして染なく衆結永く尽く。ただ阿耨多羅三藐三菩提を求めんと欲するならん。

釋提桓因 復作是言。如汝言者 是人則爲攝取一切世間衆生。

釈提桓因、またこの言を作さく、汝が(ことば)の如きは、この人、則ち一切世間の衆生を摂取せんが為なり。

大仙。若此世間有佛樹者。能除一切諸天世人及阿修羅煩惱毒蛇。

大仙[4]、もしこの世間に仏樹あらば、よく一切の諸天、世人および阿修羅の煩悩の毒蛇を除く。

是諸衆生 住是佛樹陰涼中者。煩惱諸毒悉得消滅。

この諸々の衆生、この仏樹の陰涼の中に住すれば、煩悩の諸毒ことごとく消滅することを得。

大仙。是人若當未來世中作善逝者。我等悉當得滅無 量熾然煩惱。如是之事實爲難信。

大仙、この人、もしまさに未来世の中、善逝()らば、我ら、ことごとくまさに無量熾然の煩悩を滅することを得べし。かくの如きの事、実に信じ難きとなす。

何以故。無量百千諸衆生等。發於阿耨多羅三藐三菩提心。見少微縁於阿耨多羅三藐三菩提即便動轉。

何をもっての故に。無量百千の諸々の衆生等、阿耨多羅三藐三菩提心を発せども、少微縁を見れば阿耨多羅三藐三菩提に於いて即便(すなわち)動転す。

如水中月水動則動。猶如畫像難成易壞。菩提之心。亦復如是 難發易壞。

水中の月の、水動ずれば則ち動ずるが如し。なおし書像の成じ難く()(やす)きが如し。菩提の心も、またまた、かくの如く、発し難く壊し(やす)きが如し。

大仙。如有多人 以諸鎧仗牢自莊嚴欲前討賊。臨陣恐怖則便退散。

大仙、多人ありて諸々の鎧仗を以つて(かた)く自から荘厳し、すすんで賊を討たんと欲するに、陣に臨みて恐怖すれば、則便(すなわち)退散するが如し。

無量衆生亦復如是。發菩提心牢自莊嚴。見生死過心生恐怖即便退散。

無量の衆生も、またまたかくの如し。菩提心を(おこ)して(かた)く自から荘厳すれども、生死の過を見て心に恐怖を生じ、即便 退散す。

大仙。我見如是 無量衆生 發心之後 皆生動轉。是故我今 雖見是人修於苦行 無惱無熱住於險道其行清淨。未能信也。

大仙、我、かくの如く無量の衆生発心の後、みな動転を生ずるを見る、この故に我れ今、この人苦行を修して悩無く熱無く険道に住して、その行清浄なるを見ると雖も、いまだ信じること(あた)はざるなり。

1)
我今 要當自往試之 知其實能堪任荷負 阿耨多羅三藐三菩提 大重擔不。大仙。猶如車有二輪 則能載用。鳥有二翼 堪任飛行。是苦行者 亦復如是。我雖見其堅持禁戒。未知其人有深智不。若有深智 當知則能堪任荷負 阿耨多羅三藐三菩提之重擔也。

我、今、かならず、まさに自ら往いてこれを試みて、この実によく阿耨多羅三藐三菩提の大重担を荷負するに堪任するやいなやを知るべし。
大仙、なおし車、二輪あらば則ち、よく載用し、鳥、二翼あらば飛行に堪任するが如し。この苦行者もまたかくの如し。
我、その禁戒を堅持するを見ると雖も、いまだ、その人に深智有りやいなを知らず。もし深智あらばまさに知るべし、則ちよく阿耨多羅三藐三菩提の重担を荷負するに堪任せん。

2)
大仙。譬如魚母多有胎子成就者少。如菴羅樹花多果少。衆生發心。乃有無量。及其成就少不足言。大仙。我當與汝倶往試之。大仙。譬如眞金三種試已乃知其眞。謂燒打磨。試彼苦行者亦當如是

大仙、譬えば魚母の多く胎子あれど、成就するものは少きが如く、菴羅樹の花多く、(このみ)少なきが如し。衆生心を発すは、すなわち無量あれども、その成就に及びては少くして言ふに足らず。大仙、我、まさに汝と(とも)()いて、これを(こころ)むべし。大仙、譬えば真金の三種試み已りて、すなわちその真を知るが如し。焼・打・磨を()ふ。彼の苦行者を試むるも、またまさに、かくの如くなるべし。

3)
爾時釋提桓因。自變其身作羅刹像形甚可畏。下至雪山去 其不遠而便立住。是時羅刹心無所畏勇健難當。辯才次第其聲清雅。宣過去佛所説半偈

その時、釈提桓因、自からその身を変じて羅刹の像と()る。形、はなはだ畏るべし。雪山に下り至り、その去ること遠からずして、便(すなわ)ち立住す。この時に羅刹、心に畏るる所なく、勇健あたり難し。弁才次第その声、清雅なり。過去仏の所説の半偈を()ぶ。
諸行無常 是生滅法
諸行(しょぎょう)無常(むじょう)なり、これ生滅の法なり。

4)
説是半偈已 便住其前。所現形貌甚可怖畏。顧眄遍視觀於四方。是苦行者。聞是半偈心生歡喜。譬如估客於險難處夜行失伴。恐怖推索還遇同侶。心生歡喜踊躍無量。亦如久病未遇良醫瞻病好藥後卒得之。如人沒海卒遇船舫。如渇乏人遇清冷水。如爲怨逐忽然得脱。如久繋人卒聞得出。 亦如農夫炎旱値雨。亦如行人還得歸家人見已生大歡喜。

この半偈を説き已りて、すなわちその前に住す。所現の形貌はなはだ怖畏すべし。顧眄して遍く視て四方を観る。
この苦行者、この半偈を聞きて心に歓喜を生ず。譬へば估客の険難の処に於いて夜行して伴を失ひ、恐怖推索して(ふた)たび同侶に遇ふ、心に歓喜を生じて踊躍はかり無きが如し。また、久病の未だ良医、瞻病、好薬に遇はず、後に卒(たちまち)にこれを得るが如し。
人の海に没して卒に船舫に遇ふが如く、渇乏人の清冷なる水に遇ふが如く、怨の為に逐われ、忽然として脱することを得るが如く、久しく繋れた人、卒に出づずることを得るを聞くが如し。また農夫の炎旱に雨に値(あ)ふが如く、また行人の還(ふた)たび帰り得て家人、見已りて大歓喜を生ずるが如し。

5)
善男子。我於爾時聞是半偈。心中歡喜亦復如是。即從座起以手擧髮。四向顧視而説是言。向所聞偈誰之所説。爾時亦更不見餘人。唯見羅刹即説是言。誰開如是解脱之門。誰能雷震諸佛音聲。誰於生死睡眠之中而獨覺寤。唱如是言。誰能於此示道生死饑饉衆生無上道味。無量衆生沈生死海。 誰能於中作大船師。是諸衆生常爲煩惱重病所纒。誰能於中爲作良醫。説是半偈啓悟我心。猶如半月漸開蓮花。

善男子、我、その時に於いて、この半偈を聞き、心中に歓喜することも、またまたかくの如し。即ち座より起(た)ち手を以つて髪を挙げ、四向を顧視してこの言を説く。向(さき)に聞く所の偈、誰の説く所ぞ。
その時に、更に余人を見ず、ただ羅刹を見る。即ちこの言を説かく。誰かかくの如きの解脱の門を開き、誰かよく諸仏の音声を雷震す。誰か生死睡眠の中に於いて、独り覚寤して、かくの如きの言を唱ふ。誰かよくここに於いて生死饑饉(けきん)の衆生に無上の道味を示道す。無量の衆生、生死の海に沈む、 誰かよく中に於いて大船師と作(な)る。この諸の衆生、常に煩悩の為に重病に纒はる所なり。誰か能く中に於いて為に良医と作る。この半偈を説き我が心を啓悟す。なおし半月のようやく蓮花を開くが如し。

6)
善男子。我於爾時更無所見。唯見羅刹。復作是念。將是羅刹説是偈耶。覆生疑惑。非其説耶。何以故。是人形容甚可怖畏。若有得聞是偈句者。一切恐怖醜陋即除。何有此人形貌如是能説此偈。不應火中出於蓮花。非日光中出生冷水。

7)
善男子。我於爾時復作是念。我今無智。而此羅刹或能得見過去諸佛。從諸佛所聞是半偈。我今當問。即便前至是羅刹所。作如是言。善哉大士。汝於何處得是過去離怖畏者所説半偈。大士。復於何處而得如是半如意珠。大士。是半偈義乃是過去未來現在諸佛世尊之正道也。一切世間無量衆生。常爲諸見羅網所覆。終身於此外道法中。初不得聞如是出世十力世雄所説空義。

8)
善男子。我聞是已。即答我言。大婆羅門汝今不應問我是義。何以故。我不食來已經多日。處處求索了不能得。飢渇苦惱心亂謬語。非我本心之所知也。我今力能飛行虚空。至欝單越乃至天上。處處求食亦不能得。以是義故我説是語。

9)
善男子。我時即復語羅刹言。大士。若能爲我説是偈竟。我當終身爲汝弟子。大士。汝所説者名字不終義亦不盡。以何因縁不欲説耶。夫財施者則有竭盡。法施因縁不可盡也。法施無盡多所利益。我今聞此半偈法已。心生驚疑。汝今幸可爲我除斷。説此偈竟我當終身爲汝弟子。羅刹答言。汝智太過但自憂身。都不見念今我定爲飢苦所逼實不能説。

10)
我即問言。汝所食者爲是何物。羅刹答言。汝不足問。我若説者令多人怖。我復問言。此中獨處更無有人。我不畏汝何故不説。

11)
羅刹答言。我所食者唯人暖肉。其所飮者唯人熱血。自我薄福唯食此食。周遍求索困不能得。世雖多人皆有福徳。兼爲諸天之所守護。而我無力不能得殺。善男子。我復語言。汝但具足説是半偈。 我聞偈已當以此身奉施供養。大士。我設命終如此之身無所復用。當爲虎狼鵄梟鵰鷲之所噉食。然復不得一毫之福。我今爲求阿耨多羅三藐三菩提。捨不堅身以易堅身。羅刹答言。誰當信汝如是之言。爲八字故棄所愛身。

12)
善男子。我即答言。汝眞無智。譬如有人施他瓦器得七寶器。我亦如是捨不堅身得金剛身。汝言誰當信者。我今有證。大梵天王釋提桓因及四天王能證是事。復有天眼諸菩薩等爲欲利益無量衆生修行大乘具六度者。亦能證知。復有十方諸佛世尊利衆生者。亦能證我爲八字故捨於身命。 羅刹復言。汝若如是 能捨身者。諦聽諦聽。當爲汝説其餘半偈。

13)
善男子。我於爾時聞是事已心中歡喜即解己身所著鹿皮。爲此羅刹敷置法座。白言。和上。願坐此座。我即於前叉手長跪而作是言。唯願和上。善爲我説其餘半偈令得具足。羅刹即説

生滅滅已 寂滅爲樂

14)
爾時羅刹説是偈已。復作是言。菩薩摩訶薩 汝今已聞具足偈義。汝之所願爲悉滿足。若必欲利諸衆生者。時施我身。善男子。我於爾時深思此義。然後處處若石若壁若樹若道書寫此偈。即便更繋所著衣裳。恐其死後身體露現。即上高樹。爾時樹神復問我言。善哉仁者欲作何事。善男子。我時答言。我欲捨身以報偈價。樹神問言。如是偈者何所利益。

15)
我時答言。如是偈句乃是過去未來現在諸佛所説開空法道。我爲此法棄捨身命。不爲利養名聞財寶轉輪聖王四大天王釋提桓因大梵天王人天中樂。爲欲利益一切衆生故捨此身。善男子。我捨身時復作是言。願令一切慳惜之人悉來見我捨離此身。若有少施起貢高者。亦令得 見我爲一偈捨此身命如棄草木。我於爾時説是語已。尋即放身自投樹下。下未至地時。虚空之中出種種聲。其聲乃至阿迦尼吒。爾時羅刹還復釋身。即於空中接取我身安置平地。

16)
爾時釋提桓因及諸天人大梵天王。稽首頂禮於我足下。讃言善哉善哉。眞是菩薩。能大利益無量衆生。欲於無明黒闇之中然大法炬。由我愛惜如來大法故相嬈惱。唯願聽我懺悔罪咎。汝於未來必定成就阿耨多羅三藐三菩提。願見濟度。

17)
爾時釋提桓因及諸天衆頂禮我足。於是辭去忽然不現。善男子。如我往昔爲半偈故捨棄此身。以是因縁便得超越足十二劫。在彌勒前成阿耨多羅三藐三菩提。

18)
善男子。我得如是無量功徳。皆由供養如來正法。善男子。汝今亦爾。發於阿耨多羅三藐三菩提心。則已超過無量無邊恒河沙等諸菩薩上。善男子。是名菩薩住於大乘大般涅槃修於聖行

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  1. 方等(ほうどう)。方正にして平等の意。大乗経典を方等経という。ここではまだ大乗の本意が解らなかったという意。
  2. 雪山において、以下で示される「諸行無常偈」を得たので「雪山偈」とも呼ばれる。
  3. このように修行する者は、帝釈天の地位を得ようとしているのであろうという意。
  4. 大仙(だいせん)。帝釈天(釈提桓因ともいう、憍尸迦は、帝釈天の元の姓)に呼びかけた二人目の仙天子を指す。