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顕浄土方便化身土文類講讃(抜書き)

提供: 本願力

『顕浄土方便化身土文類講讃』梯實圓和上著からの抜書き。注釈は私に於いて付した。


顕浄土方便化身土文類講讃

第四章 隠顕の義理を釈す

一、三経の真仮

[本文]

しかるに、いま『大本』(大経)によるに、真実方便の願を超発す。また『観経』には、方便・真実の教を顕彰す。『小本』(小経)には、ただ真門を開きて方便の善なし。ここをもつて三経の真実は、選択本願を宗とするなり。また三経の方便は、すなはちこれもろもろの善根を修するを要とするなり。(p.392)

[講讃]

(一)『大経』の真仮

 上に善導大師の釈文を中心に、『観経』に隠顕があることを証明してきたが、その隠顕の法義を詳しく明かすに先立って、まず浄土三部経全体の上で真仮の法義の在りようを総説していかれるのがこの一段である。

 「いま『大本』によるに、真実・方便の願を超発す」といわれている。それは『大経』は第十八願(弘願)を開顕した真実教である。四十八願には真実も方便も説かれているが、真実を主とし、方便は真実の従として顕わされており、方便が真実を覆い隠すことはない。それゆえ「真実・方便の願」と真実を主とする表現をとられたのである。たとえば胎生化生の教説がなされていても、化生は明信仏智の勝果として、胎生は疑惑仏智の報いとして「大利を失う」と批判されているように、廃立が分明に示され、帰趣[1]に迷うことのない説き方がなされている。それゆえ第十九願、第二十願が説かれていてもそれは第十八願の持つ調機誘引[2]の方便として位置づけられているような顕わし方がなされている。このように方便も第十八願の真実に統摂されているから、真実・方便ともに諸仏に超え勝れた無上殊勝の願[3]であるとして「超発」といわれたのである。

(二)『観経』の真仮

 つぎに「また『観経』には、方便・真実の教を顕彰す」といわれている。『観経』は釈尊が第十九願を開説された方便教であり、要門定散の法義を顕とし、弘願真実を隠とするような説き方がなされている。すなわち方便が真実を覆い隠し、真実は方便の裏に隠れた形で説かれた経であるから、「方便・真実の教」といわれたのである。「顕彰」とは、釈尊の教説についていわれた言葉であるが、方便と真実に掛けていえば方便は『観経』の顕の義[4]であり、真実は彰の義であるから顕彰といわれたと言えよう。

(三)『小経』の真仮

 つぎに「『小本』には、ただ真門を開きて方便の善なし」といわれたのは、『阿弥陀経』は、定散諸行を少善根福徳因縁[5]として嫌貶し、ただ念仏一行を多善根の行として開示されていることをいわれたものである。第二十願を開説された「小経』の法門は、所修の行体からいえば選択本願の行である念仏を、定散諸行と同じように称えて功徳を積植する自力の行に取り誤ったことによって成立した「教頓機(根)漸」[6]の法門であった。したがって行体からいえば「方便の善」である諸行はないが、能修の意許[7]によって自力念仏往生の法門になってしまっていることを顕わすために「真門」といわれたのである。すなわち教頓の故に「真」というが、機漸の故に「真実」とはいわない法門であることを「真門」[8]という名目[9]であらわされたのである。

 「ここをもつて三経の真実は、選択本願を宗とするなり。また三経の方便は、すなはちこれもろもろの善根を修するを要とするなり」といわれたのは、三部経に説かれている真実の法義は『大経』と同じく選択本願宗致としている。また三経に説かれている方便の法義は、諸の功徳を修して浄土を求める自力修善を要行とするような教えをいうというのである。なお『大経』に説かれている方便の法門は、決して真実を覆い隠すことなく、所廃の法として説かれているから、方便が説かれながら真実教であり、『観経』『阿弥陀経』は、方便が真実を覆い隠すような形で説かれているから説相に隠顕があるわけである。なお『阿弥陀経』には「方便の善なし」といわれているにもかかわらず、「三経の方便は、すなはちこれもろもろの善根を修するを要とする」といわれたのは、真門念仏はたとい一行専修であっても、能修者の信念は定散自力心であって、定散諸行をなすのと同じく、称えて積んだ善根功徳を回向して救われようと願っているからである。

二、『観経』の法義

[本文]

 これによりて方便の願(第十九願)を案ずるに、仮あり真あり、また行あり信あり。願とはすなはちこれ臨終現前の願なり。行とはすなはちこれ修諸功徳の善なり。信とはすなはちこれ至心・発願・欲生の心なり。この願の行信によりて、浄土の要門、方便権仮を顕開す。この要門より正・助・雑の三行を出せり。この正助のなかについて、専修あり雑修あり。機について二種あり。一つには定機、二つには散機なり。また二種の三心あり。
また二種の往生あり。二種の三心とは、一つには定の三心、二つには散の三心なり。定散の心はすなはち自利各別の心なり。二種の往生とは、一つには即往生、二つには便往生なり。便往生とはすなはちこれ胎生辺地、双樹林下の往生なり。即往生とはすなはちこれ報土化生なり。
またこの『経』(観経)に真実あり。これすなはち金剛の真心を開きて、摂取不捨を顕さんと欲す。しかれば濁世能化の釈迦善逝、至心信楽の願心を宣説したまふ。報土の真因は信楽を正とするがゆゑなり。ここをもつて『大経』には「信楽」とのたまへり、如来の誓願、疑蓋雑はることなきがゆゑに信とのたまへるなり。『観経』には「深心」と説けり、諸機の浅信に対せるがゆゑに深とのたまへるなり。『小本』(小経)には「一心」とのたまへり、二行雑はることなきがゆゑに一とのたまへるなり。また一心について深あり浅あり。深とは利他真実の心これなり、浅とは定散自利の心これなり。(p.392)


[講讃]

(一)第十九願と『観経』

 さきに三経に真仮のあることを述べたので、以下は『観経』の隠顕すなわち真仮にわたる法義を詳細に考察される。その初めに『観経』の根源である第十九願の真仮の在りようと、方便の行信が明かされる。それが本になって『観経』の教説が展開されるからである。すなわち「方便の願を案ずるに、仮あり真あり」等といわれた文がそれである。方便の願とはここでは第十九願を指していたから、「願とはすなはちこれ臨終現前の願なり」といわれたのである。そして第十九願には「仮あり、真あり」といわれている。後に第二十願について真仮を語るときは「真あり、仮あり」と順序が逆になっている。それは第十九願は諸行往生が誓われていて、願相には真実が全く現れておらず、従真垂仮[10]して未熟の機を調育誘引[11]し、真実に入れしめようとする大悲の願心は願底に潜んでいたから、仮を先にして、真を後にされたのである。それに引き替え第二十願は、「我が名号を聞きて念を我が国に係け」と誓われているように、既に本願の名号という真実が願相にも現れている。しかし自力のはからいを以て、真実を覆い隠すという在り方をしているのが「教頓機漸」の真門念仏であった。そのような自力念仏の構造を知らせるために、第十九願と違って第二十願の真仮の在り方は、「真あり仮あり」と真を先にして仮を後にするような在り方であると知らされたものである。

 「また行あり信あり」とは、真実の行信に対して方便の行信を顕わされるわけであるが、ここではその中の第十九願要門の行信を指定されるのである。それが「行とはすなはちこれ修諸功徳の善なり、信とはすなはちこれ至心・発願・欲生の心なり」といわれたものである。その修諸功徳の行を開けば、『観経』の定散二善となり、善導大師の就行立信釈[12]や『往生礼讃』の前序に釈顕された正雑二行、正助二業、専雑二修となるし、その信を開けば『観経』の至誠心、深心、回向発願心となるのである。

 それゆえ次に「この願の行信によりて、浄土の要門、方便権仮を顕開す」等といわれたのである。「大経和讃」 に 、

臨終現前の願により
 釈迦は諸善をことごとく
 『観経』一部にあらはして
 定散諸機をすすめけり (五六七頁)

といわれたものと全く同意である。

 要門について鮮妙師は『宗要論題決択編』六(三五丁)に、「一に要とは定散両門は浄土に通入するの門なるが故に要即門の持業釈なり。二に要<弘願念仏>に入るの門<定散二善>の依主釈なり。三に弘願を要門とす」の三義を挙げ、第三義は、「今の要弘相対の要門に非ず」として第三義は省いている。そして前二義の中、「持業釈の義を主とす」といわれている。 私もこの説に順う。『一念多念文意』に、

おほよそ八万四千の法門は、みなこれ浄土の方便の善なり。これを要門といふ。これを仮門となづけたり。この要門・仮門といふは、すなはち『無量寿仏観経』一部に説きたまへる定善・散善これなり。定善は十三観なり、散善は三福九品の諸善なり。これみな浄土方便の要門なり、これを仮門ともいふ。(六九〇頁)

といわれているように、行体は聖道門と同じ八万四千の法門であるが、それを『観経』では定散二善という浄土の行として説かれていた。それをさして「浄土方便の要門なり、これを仮門ともいう」といわれているのであるから、定散二善の法門を指して要門といわれていることがわかる。それは聖道門から浄土門に通入するための肝要なる法門であったからである。

(二)要門の行体

 こうして第十九願の行信[13]が『観経』に開説されて要門の法義となって展開されるが、その行信の相を善導大師に従って、「この要門より正・助・雑の三行を出せり」といわれている。これはまず要門の行体を挙げられたものである。しかしこの文の意味について、僧鎔師は、『一渧録』(『真宗叢書』八・三三三頁)に、正は五専、助は助業、雑は雑行をいうとしている。そしてこの五専と助業との正助二業の中に専修と雑修がある。専修は五専であり、雑修は助正兼行するものであるから、正助の中より出る。それゆえ「この正助のなかについて、専修あり雑修あり」といわれたとしている。したがって正・助・雑という言葉自体がすでに自力方便の行であることを顕わしていると見るのである。
それに対して僧叡師は『述聞』六下(九丁)に、「この要門より正・助・雑の三行を出す」というのは、行体を挙げたもので、「合すればすなわち正雑の二行なり。今はすなわち開につきて正を標するが故に三行という」といい、就行立信釈によって正行と助業と雑行という行体を挙げたもので、真仮を分判する以前の釈であるというのである。しかし「この要門より」出された行業であるという意味では、要門の行体を挙げたというべきであろう。

 次に「この正助のなかについて、専修あり雑修あり」とは、その修相を示したものである。正助についての専修・雑修とは、専修は五専[14]を意味し、雑修は助正間雑の修相をいわれたものである。つぎに「機について二種あり。一つには定機、二つには散機なり」といわれたものは能修の機類に、定善の機と、散善の機のあることを挙げたものである。
また次に「二種の三心あり」とはその機類にしたがって、信心にも定善と組み合っている定の三心と、散善と組み合っている散の三心のあることを明かされたのである。次に「また二種の往生あり」といわれたのは、『観経』に「発三種心即便往生」といわれた即便往生を即往生と便往生に分け、他力の三心によって真実報土に往生する即往生と、定散自力の三心によって方便化土に往生する便往生のあることを知らされたものである。それは真実の信証[15]と、方便の信証を簡潔に分釈し、『観経』に真実の法義が隠に説かれていることを示して、後の「またこの『経』に真実あり」という真実釈を引き起こす伏線とされたと考えられる。

 次に、二種の三心とは、一つには定の三心、二つには散の三心なり。定散の心はすなはち自利各別の心なり。二種の往生とは、一つには即往生、二つには便往生なり。便往生とはすなはちこれ胎生辺地、双樹林下の往生なり。即往生とはすなはちこれ報土化生なり」といわれたのは、上に挙げた二種の三心と二種の往生についての略釈である。

(三)正・助・雑の名目

 ここで挙げられている行と信についての名目を簡単に解説しておく。まずこの要門より出された正・助・雑の三行とは、下(三九四頁)に「正とは五種の正行なり。助とは名号を除きて以外の五種これなり。雑行とは、正助を除きて以外をことごとく雑行と名づく」といわれているから、五種の正行、すなわち読誦、観察、礼拝、称名、讃嘆供養と、名号を除きて以外の五種の助業と、正助以外の一切の往生行である雑行というふうに分類されたものであることがわかる。その五種の助業については後に解説する。

 さて正行とは、まず第一に雑行に対する言葉であった。「散善義」には「往生経によりて行ずるものは、これを正行と名づく」といわれていたように、浄土三部経に、もともと浄土願生の行として説かれていた阿弥陀仏とその浄土を所対として行ずる五種の行を指していた。それを正行というのは、正とは「正直」「正当」ということで、阿弥陀仏の浄土という目標に向かって真っ直ぐに正対している、その意味で往生行として道理にかなった行であったからである。しかしこの場合「正直」の反対は「邪曲」であり、正当な行の反対は往生行としては不当な行を意味していた。それを雑行といわれたのである。すなわち正行の反対である雑行とは、本来は此土入聖の行であったり、他方浄土を願生する行であったり、世俗の道徳であったりする行を、阿弥陀仏の浄土に往生する行にしようと願って、回向(方向転換)して往生行にしたものをいう。このように非往生行を往生行にしたものであるから邪曲であり不当の行といわねばならない。従ってこのときは雑行とは邪雑の行という意味になる。下(三九五頁)に雑行を釈して「もとより往生の因種にあらず、回心回向の善なり。ゆゑに浄土の雑行といふなり」といわれたものがそれである。なお雑行については後に詳述する。

 この正行の中で正定業と助業が分けられる。正定業の正とは正当のことで、定は必定、確定の意味であり、業は行業、業因のことで、正しく往生が決定する行業であり、業因であるという意味である。すなわち称名は本願の行であるから、この一行によって正しく往生が決定する行業であるというのである。しかし前三後一の「助業」に対して「正定業」もしくは「正業」という場合の「正」は「助」に対するから「主たるもの」「君」「長」の意味があるといわれている。そして「助」という言葉は、もともと「資助」[16]とか「扶助」とか「補佐」という意味を持っていて、主なるものに力を加えて資助し、補佐し、扶助して事業を完成させるものを「助」といっていた。もっとも助には、主なる者に随伴する者という意味もあるといわれているが、恐らく義からたてた義訓で、元来は「扶助」であろう。五正行の中で、第四の称名を正定業、正業とし、前三後一の四行を助業というとき、その正と助の在り方が大きな問題となるのは、正と助という言葉が持つ意味に問題があったからである。

 さて雑行という言葉は、善導大師や法然聖人の上では、正行に対する言葉として用いられていた。雑には、既に述べたように「邪雑」の意味の外に、雑多、雑遝、雑通、間雑というような意味があった。「雑多」とは、雑行という言葉で表される行体が極めて多いことをいう。『安楽集』下(「七祖篇」二五〇頁)には「万行」といわれていたし、『選択集』二行章(「七祖篇」一一九四頁)には「雑行無量なり、つぶさに述ぶるに遑あらず」といわれていた。すなわち雑多な行という意味で雑行といわれたのである。「雑遝」は雑踏と同じく、多くのものが雑じり混み合うという意味であり、「間雑」とは「まじる」「まじえる」「まざる」という意味で、下(三九五頁)に「雑の言は、人・天・菩薩等の解行、雑せるがゆゑに雑といへり」といわれているように、人・天乗や、菩薩乗などの行が雑ざっているから雑行というといわれていた。また「雑通」というのは、同じく『選択集』二行章(「七祖篇」一一九八頁)に、「次に雑といふは、これもつばら極楽の行にあらず。人天および三乗に通ず、また十方浄土に通ず。ゆゑに雑といふ」といわれているように、純一な往生行ではなくて、人天三乗に通じ、十方の浄土にも通ずるような行であるから雑行というといわれているのがそれである。

 このように正行・助業・雑行の名目を見ていくと、相互に必ずしも対目にはなっていないことがわかる。正の反対は邪であり、雑の反対が純であるならば、純行、邪行ということもできる。しかしそういわずに正行、雑行といわれたところに善導大師の行業論の複雑さと豊さがあったともいえるのである。また正定業と助業の場合も、上述のように正定業が正決定の行業・業因という意味で、その一行によって往生が決定するというならば、資助とか補佐を意味する助業という言葉はふさわしくないし、助業に語義通りの意味があるならば正定業という言葉も主なるものではあるが資助を要する行業ということになるであろう。[17]親鸞聖人が弘願の行信の相を一行一心とされた所以である。こうした問題を整理するためにも要門や真門の精密な行業論が展開されるのである。

(四)専修と雑修について

 なお専修とは雑修に対する言葉である。専修の専とは「専一無雑」の意味であり、修とは「修める」、「習う」ことで、余行を雑えることなく一行を専ら習い修めることをいう。雑修の雑とは、「いりまじる」ということで、純粋でないことをいう。従って雑修とは、多くの行をまじえて修行していることを意味していた。善導大師や法然聖人の場合は、専修とは正行を専ら修することをいい、雑修とは雑行を修することを意味しており、正行と雑行は行体をいい、専修と雑修は修相を表す言葉であった。たとえば『選択集』二行章(「七祖篇」一二〇一頁)に、専雑得失を判定された『往生礼讃』前序の結文を引いて、「わたくしにいはく、この文を見るに、いよいよすべからく雑を捨てて専を修すべし。あに百即百生の専修正行を捨てて、堅く千中無一の雑修雑行を執せんや」といわれているように、正定業である念仏を中心にして正行を修することを専修といい、雑行を修することを雑修といわれていたのである。しかし親鸞聖人は雑行を雑修するだけではなく、正行(助正)を修する修相にも専修と雑修があるといわれている。それが「この正助のなかについて、専修あり雑修あり」といわれたものである。この場合の専修とは後にいわれる自力心を以て五正行の一行を修する五専のことであり、雑修とは五正行を助正間雑して修する者を指していた。そればかりか『高僧和讃』には、専修念仏者であっても現世を祈る者は雑修であると批判されていた。

仏号むねと修すれども
 現世をいのる行者をば
 これも雑修となづけてぞ
 千中無一ときらはるる (p.590)

といわれたものがそれである。この場合は行の目的が、浄土ではなくて現世の福利を求めるというように邪曲(ねじ曲がっている)であり、間雑(本来の目的と違うものがまじっている)しているから雑修といわれたのである。こうした自力の専修の外に他力真実の専修を見ていかれるのであった。

(五)『観経』の真実

 「またこの『経』に真実あり」といわれたのは、第十九願に「仮あり真あり」といわれたのを承けて、そのような第十九願を開かれた『観経』であるから、この経には方便仮門だけではなくて真実の法義が含まれていることを表した釈である。この経が彰す真実とは、「これすなはち金剛の真心を開きて、摂取不捨を顕さんと欲す」と略釈されているように、如来より回向された仏智すなわち金剛心であるような信心のいわれを開示して、信の一念に摂取不捨の利益にあずかり、真実報土に往生し成仏すべき身に定まることを顕わされていることである。[18]その内容を詳細に示されたのが次の文である。すなわち、

しかれば濁世能化の釈迦善逝、至心信楽の願心を宣説したまふ。報土の真因は信楽を正とするがゆゑなり。ここをもつて『大経』には「信楽」とのたまへり、如来の誓願、疑蓋雑はることなきがゆゑに信とのたまへるなり。『観経』には「深心」と説けり、諸機の浅信に対せるがゆゑに深とのたまへるなり。『小本』(小経)には「一心」とのたまへり、二行雑はることなきがゆゑに一とのたまへるなり。また一心について深あり浅あり。深とは利他真実の心これなり、浅とは定散自利の心これなり。 [3]

といわれている。濁世の凡愚を教化するために出現された釈尊は、わが真実なる誓願を信楽せよと願われた阿弥陀仏の大悲の願心を広く説き述べられた。真実報土に往生する真因は本願を疑いなく聞き受ける信楽を正当とするからである。それを「大経』には、「信楽」とおおせられた。如来の誓願には、衆生を救済することについて、少しの疑いも雑じっていない(如来の信楽)。その仏心が与えられた無疑心であるから「信」と仰せられたのである。『観経』には真実の信心を「深心」と説かれている。開けば二種深信として表されるような決定の深信である。それは自力によって打ち立てた、各人各様の浅薄な信心とは違っているから、「深」く信じる心といわれたのである。『小経』にはそれを一心と説かれている。選択本願の行である念仏を正定業と信ずる心は、所信の行が一行であるから、能信もまた二心が雑わる余地のない一心である。なお『小経』の一心については、何者にも破られたい深厚な一心と、すぐに破れる浅薄な一心とがある。深厚な一心とは、如来より回向された他力真実の信心であり、浅薄な一心とは、定散自力の信心である。こうして『観経』に説かれた真実の信心は、深心という言葉で表されているが、それは『大経』の信楽のことであり、『小経』の利他真実の一心と同じものである。

三、一代仏教から『観経』を見る

[本文]

宗師(善導)の意によるに、「心によりて勝行を起せり。門八万四千に余れり。漸・頓すなはちおのおの所宜に称へり。縁に随ふものすなはちみな解脱を蒙る」(玄義分 三〇〇)といへり。しかるに常没の凡愚、定心修しがたし、息慮凝心のゆゑに。散心行じがたし、廃悪修善のゆゑに。ここをもつて立相住心なほ成じがたきがゆゑに、「たとひ千年の寿を尽すとも、法眼いまだかつて開けず」(定善義)といへり。いかにいはんや無相離念まことに獲がたし。ゆゑに、「如来はるかに末代罪濁の凡夫を知ろしめして、相を立て心を住すとも、なほ得ることあたはじと。いかにいはんや、相を離れて事を求めば、術通なき人の空に居て舎を立てんがごときなり」(同)といへり。「門余」といふは、「門」はすなはち八万四千の仮門なり、「余」はすなはち本願一乗海なり。 [4]

[講讃]

(一)聖道から浄土へ

『観経』に隠顕を見、方便の教意を窺っていくについて、一方では阿弥陀仏の本願の中にその根拠を見ると同時に、釈尊一代の説法の体系の中で、『観経』の教説の必然性を見ていかなければならない。それに就いて既に善導大師は「玄義分」序題門で『観経』開説の仏意を明らかにされていた。すなわち五濁の世に出現された釈尊は、迷える衆生をさとりに導くために、機縁に応じて小乗、大乗、権教、実教とさまざまた教えを説かれ、その法門は「八万四千に余る」ほどであった。それによって利根の者は菩提心を発して修行し、解脱の益を蒙る者もいた。それを「心によりて勝行を起せり。門八万四千に余れり。漸頓すなはちおのおの所宜に称へり。縁に随ふものすなはちみな解脱を蒙る」[5]といわれたのである。しかし解脱を得るほどの利根の者は甚だ少なく、空しく漏れて流転していく鈍根無知の者は甚だ多かった。そこで章提希夫人の致請を機縁として愚鈍の衆生に生死を超える道を開いていかれたのが『観経』であり、その法門が要門と弘願であった。

 次いでその要門の難成を明かして「定心修しがたし、息慮凝心のゆゑに。散心行じがたし、廃悪修善のゆゑに」といわれている。これは序題門の要門釈に要門の行法である定善と散善を定義して、「定はすなはち慮りを息めてもつて心を凝らす。散はすなはち悪を廃してもつて善を修す」といわれた文によって、かえって定散二善が「常没の凡愚」にとって堪えられない難行であることを指摘されたものである。「息慮凝心」といわれる定心を成就することは、些細な縁に触れても鋭敏に反応し、絶え間なく揺れ動く心を持つ凡夫には不可能であった。その心を一点に集中して動かさず、心水を鏡のように平静にして、如来浄土を映し出すということは、到底成就できない難行だったからである。また「廃悪修善」の実践も、愛憎の煩悩を抱えて日夜に罪業を重ねていく凡夫には実現不可能なことであった。善導大師も「たとひ清心を発せども、なほ水に画くがごとし」(「七祖篇」三四〇頁)といわれていた。そこに八万四千の法門からはみ出している凡夫の悲しい現実があったのである。

 その定善の成就しがたい有様を「ここをもつて立相住心なほ成じがたきがゆゑに、<たとひ千年の寿を尽すとも、法眼いまだかつて開けず>といへり」といわれたのである。それは「定善義」華座観釈(「七祖篇」四二七頁)に、定善を行うには、万事を捨て、身命を如来にささげ、至心に懺悔して、西に向かって結跏趺坐し、感覚器官をすべて閉ざして、一月、一年、二、三年等、日夜を間わず、ひたすら如来の相好を念じつづける修行をしなければならない。もしそうしなければ、「たとい千年の寿を尽すとも、法眼は開けない」といわれていた。それによって定善観法の成就しがたいことを証明されたのである。

 ところで『観経』に説かれている要門の観法は、経典に説かれているとおりに如来の相好、浄土の形相を心眼をもってはっきりと観想していく有相(形を見る)の観念である。それを「立相住心(相を立て、心を住する)」の観といい、定善観の中でも、比較的易しい観法とされている。それでも凡人には至難の業であった。まして聖道門でいわれるような、念ずるものと念じられるものが一つに溶け合って、一切は空であるとさとる無相離念の観を完成して、自他の隔てを超え、怨親平等、生死一如とさとることなど到底実現できるものではないと聖道門の難成を表されたのが、「いかにいはんや、無相離念まことに獲がたし」という言葉であった。

 そしてまた「ゆゑに、<如来はるかに末代罪濁の凡夫を知ろしめして、相を立て心を住すとも、なほ得ることあたはじと。いかにいはんや、相を離れて事を求めぼ、術通なき人の空に居て舎を立てんがごときたり>といへり」といわれた文の心でもあった。この文は、「定善義」像観の法界身釈(「七祖篇」四三二頁)の中で聖道門の諸師が『観経』に説かれた「法界身」を「唯識法身の観」と見たり、「自性清浄仏性の観」と見たりして、無相離念の観によってさとる真如法性のことといっていたのを善導大師が批判された言葉だった。すなわち凡夫に真如観をさせるということは、空中に家を建てさせようとするような不可能な要求であって、如来がそんなことを要求されるはずがないといい、法界身観は立相住心の観であることを証明された文であった。しかし今はそれを転用して、立相住心の観さえも出来ない凡夫に、聖道門の修行は全く不可能であることを明らかにされた文章である。

(二)門余の釈

 こうして聖道門では生死を離れることの出来ない者のために要門を説いて浄土門へと誘引されたわけであるが、その要門さえも如実に修行することのできない愚悪の衆生のために阿弥陀仏は弘願一乗の法を説かれたというのが序題門の心であった。親鸞聖人はそのような仏意を、序題門に説かれていた「門余八万四千(門八万四千に余れり)」という言葉の中に読み取り、聖道門を要門に誘引し、要門から弘願の宗義に帰結されていく釈尊一代の教法の権実の体系を示されるのであった。それは機の堪不堪[19]から、教法の権実へと展開される釈であった。すなわち、

「門余」といふは、「門」はすなはち八万四千の仮門なり、「余」はすなはち本願一乗海なり。

といわれたのがそれで、これを「門余の釈」といい慣わしている。

 序題門では、法門が無量であることを表すために「門八万四千に余れり」といわれたわけであるから、「余」とは「有余」(ありあまる)という意味であった。それを親鸞聖人は、八万四千の法門の外に別の法門があることを表す言葉であると解釈し、「余」を「外余」(外に余っている)の意味に転用されたわけである。そして聖道門八万四千の権教[20]の外に、阿弥陀仏の本願力回向によって善悪、賢愚の隔てなく、一切の衆生が救われていく本願一乗の真実の法門があることを表していると領解されたのであった。

 しかしこのような門余の釈は、既に先例があった。それは成覚房幸西大徳の『玄義分抄』の序題門釈であって、そこに、

「門余八万四千」といは一乗を加て余とす。法華経の宝塔品、此の経の下品上生等の文に依るなるべし。(拙著『玄義分抄講述』一五五頁参照。同書付録『玄義分抄』・四三八頁)

といわれているものがそれである。ここに「門余八万四千といは一乗を加て余とす」というのは、門余と八万四千とを分け、八万四千を聖道門および要門定散の法門とし、余を弘願の法門、すなわち凡頓一乗[21]とするのである。これは『法華経』見宝塔品第十一(『大正蔵』九・三四頁)の、

若し八万四千の法蔵、十二部経を持ちて人の為に演説し、諸の聴者をして六神通を得しめん。よくかくの如くすと難もまた未だ難と為さず。我が減後に於て此の経を聴受し、その義趣を間はばこれ則ち難とす。

という文を釈例としていたようである。ここで八万四千の法蔵、十二部経の法門と、『法華経』とを対照し、前者よりも後者の方が難であるということをもって、爾前三乗の法門に対して、法華一乗の法門が尊高であることを顕していたからである。また『観経』下品上生の文というのは、下上品の機がはじめに大乗十二部経の首題名字を聞いたが、千劫の罪しか除くことができなかったのを、善知識が教えを転じて阿弥陀仏の名を称せしめたとき、五十億劫の生死の罪を除いて往生を得ることができた。そして来迎の化仏は聞経の事を讃ぜず、ただ称仏の功のみを讃嘆されたことをさしていた。[6] このように聞経の善と本願の行である称名とを対比して、称名の超勝性を釈顕されている。この下上品の経意を「見宝塔品」と対照すれば、十二部経とは八万四千の法門のことであり、称名とは凡頓一乗の法門ということになるというのである。

 こうして幸西大徳は、諸経に説かれた八万四千の法門は調機誘引の方便の法門であり、その行体は要門定散であるとし、『大経』に説かれた別意弘願の法門だけが究竟の真門[22]であって、それを門余の一乗とよび、凡頓一乗とするというのである。これは明らかに「化身土文類」の「門余の釈」と同じ発想であったといわねぱならない。隠顕釈[23]といい、門余の釈といい、幸西大徳の教学が親鸞聖人に与えた影響は見逃し得ないものがあったといわねばならない。


  1. 帰趣(き-しゅ)。趣き帰する。行き着くところ。物事が最終的に落ち着くこと。
  2. 調機誘引(じょうきゆういん)。機根を調えて真実に近づかせるように誘い導いていくこと。衆生を育て調えて真実に誘い引くこと。ただちに本願の念仏を受け容れられない者の為に、阿弥陀如来の悲心をもって、行者の自力の機執を強ちに否定せずに真実へと調育していくことをいう。ただし仏智を領納した時にはこのような自力は廃される。真実へ誘引するために暫く用いられるが真実を知った時に廃されるから暫用還廃(暫く用いて還って廃する)ものである。「調を(じょう)と読むのは呉音」
  3. 無上殊勝の願。『大経』p.16 に「超発無上殊勝之願」(無上殊勝の願を超発せり)とある。この文を御開山は『正信念仏偈』で、「建立無上殊勝願 超発希有大弘誓」(無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり)、と讃詠されておられる。
  4. 顕の義(けんのぎ)。経の文面上に顕(あきらか)にみえる義のこと。これに対し、文の上では見えないが仏願の願底を窺い仏意に従って解釈していくのを「彰の義」という。『大智度論」を引用し「応依義不依語」(義に依りて語に依らざるべし)と、言葉の表面上の意味を超えて信心の智慧によって経論釈の義を窺うべきだとされておられる、そのような視点から、顕も彰もあらわすという意味であるが、御開山は顕(依語)と彰(依義)という漢字を使い分けておられるのである。義とはわけ、意義の意味。
  5. 少善根福徳因縁(しょうぜんこん-ふくとくいんねん)。『阿弥陀経』の「舎利弗、不可以少善根福徳因縁得生彼国。(舎利弗、少善根福徳の因縁をもつてかの国に生ずることを得べからず。)の文。『観経』の定善・散善で説かれる少善根の諸行ではなくで、多善根福徳因縁の名号を執持することを勧める。
  6. 教頓機漸(きょうとん-きぜん)。教法は頓であるが機が自己の功力としてなんまんだぶを称え回向するから漸になってしまう。なんまんだぶは非定・非散の選択本願の行であり、如来が回向したもう行であるから衆生の側から回向ということはありえない。これをとりあやまって自己の修する行業とするから機漸といわれるのである。
  7. 意許(いきょ)。心持ち、心のありよう、ありさま。
  8. 真門(しん-もん)。真門という用語は『法事讃』、『般舟讃』にある語を転用された。なお、弘願と要門という言葉は「玄義分」から採られた。『大経』の三願に真仮をみられ、それぞれ弘願、要門、真門に配当されたのは御開山が初めである。参照→「六三法門」。
  9. 名目(みょう-もく)。名称。呼称のこと。名指して注目する(させる)意から。
  10. 従真垂仮(じゅっしんすいけ)。真より仮を垂れる。真実から権仮なる方便を垂れるということ。そして仮に留まるのではなく従仮入真(仮より真に入る)させようという意味の宗学用語。
  11. 調育誘引(じょういく-ゆういん)。調機誘引(じょうき-ゆういん)に同じ。
  12. 就行立信釈(しゅぎょう-りっしんしゃく)。『観経疏』散善義p.463の、行に就いて信を立てる釈のこと。
  13. 行信(ぎょう-しん)。ここでは、いわゆる第十八願に於ける大行としてのなんまんだぶと、阿弥陀如来より回向される大信ではなく、第十九願の意である『観経』における定善・散善の修業とそれに対する信をいう。
  14. 五専(ご-せん)。五正行の中のどれか一つを自力によって専らに修すことをいう。
  15. 信証(しんしょう)。信心とその証果。
  16. 資助(しじょ)。資も助もたすけるという意味。
  17. 法然聖人は『和語灯録』「諸人伝説の詞」で、「又いはく、本願の念仏には、ひとりたちをせさせて助をささぬ也。助さす程の人は、極楽の辺地にむまる。」といわれておられる。
  18. 『大経』には信心の相(すがた)が説かれていないが、『観経』には救済の目当てとなっている機の真実のありさまを顕し示し、金剛の信と摂取不捨が説かれている。善導大師は「金剛といふはすなはちこれ無漏の体なり。」とされている。覚如上人が『口伝鈔』に、「『大無量寿経』は、法の真実なるところを説きあらはして対機はみな権機なり。『観無量寿経』は、機の真実なるところをあらはせり、これすなはち実機なり。いはゆる五障の女人韋提をもつて対機として、とほく末世の女人・悪人にひとしむるなり。」[1]といわれた所以である。
  19. 堪不堪(たん-ふたん)。衆生が修業に堪えられるか堪えられないかということ。易行であるか難行であるかの修行の難易論を超え、修したそれぞれの因の行業に応じそれぞれの果を与えるという公平の原則から、我が名を称えた者をあまねくすべて摂取するという平等の視点が阿弥陀如来の救済の原理であること。
  20. 権教(ごん-きょう)。権とは仮の意で真実に引き入れる仮の教えということ。
  21. 凡頓一乗(ぼんとん-いちじょう)。凡夫が本願の一乗に乗じて頓に仏果に至る一乗法のこと。幸西大徳は、仏教を凡頓一乗と聖頓一乗に分けられ聖頓一乗は教のみあって修する人の無い有教無人とし、真実の仏教は浄土教の凡頓一乗しかあり得ないとされた。このため聖道門の人たちから強く非難攻撃された。幸西大徳は一念義の派組といわれ、ともすれば多念義の輩からの批判対象になるのだが、その廃立に徹した教学は御開山に非常に近いものがあり、全仏教を浄土門に統一しようというラジカルな発想は御開山と同じ思想傾向であるといえよう。『八宗綱要』を著された凝然大徳が晩年に書かれた『淨土法門源流章』[2]で、法然聖人の法脈の最初に幸西大徳を挙げられているも宜なるかなである。
  22. 真門。ここでの真門の意味は幸西大徳が『玄義分抄』で使われる用語であり真実の法門の意味であって、御開山がいわれる『小経』の法義を真門という意味ではない。
  23. 隠顕釈(おんけん-しゃく)。『観経』に隠顕を見られたのは幸西大徳が初めである。