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第五節 三心の要義

一、三心即一の深心

 法然は「御消息」の三心釈を結んで、

詮じては、たゞま事の心ありて、ふかく仏のちかひをたのみて、往生をねがはんずるにて候ぞかし、さればあさくふかくのかわりめこそ候へども、さほどの心はなにかおこさざらんとこそはおぼへ候へ、……たゞしこの三心は、その名をだにもしらぬ人も、[1]「隠/顕」
そらに具して往生し、又こまかにならひ沙汰する人も、返りて闕(かけ)る事も候也

といわれている。これによって、第一には三心はふかく本願をたのむ深心におさまること、第二には三心は知解によって具するものではないから、三心の教義を知っていても欠けているものもあり、教義的理解はなくても本願を信じ念仏している人には具していること、第三には三心の心相には、人によって浅深のかわりめがあると考えられていたことがわかる。

 先ず第一に、三心は要をとっていえば深心におさまるといわれる。すでにのべたように至誠心とは、外に後世者ぶった名利の虚飾をあらわさず、内に真実に信心(深心)をそなえていることであり、深心とは、疑いなく本願を信ずる心であるが、その内容をいえば、自身を無有出縁の機と深信して、自力のはからいをはなれ、念仏往生の本願を信じて他力に帰している二種深信の心相である。廻向発願心とは、本願を深信して決定得生の想いをなすことであった。従って至誠心も廻向発願心も深心のほかにないということになり、三心は要をとっていえば第二の深心に摂まるといわねばならない。『三部経大意』に、

三心はまちくにわかれたりといゑども、要をとり、詮をゑらびてこれをいへば深心ひとつにおさまれり[2]

といわれた所以である。「十八条法語」によれば、もともと善導の三心釈は、深心に摂まるものであって、至誠心釈も、廻向発願心釈も、要は深心の義理を釈せんが為であったとして次のようにいわれる。

又云 導和尚深心を釈せむがために、余の二心を釈したまふ也。経の文の三心をみるに一切行なし、深心の釈にいたりて、はじめて念仏の行をあかす所也[3]

 たしかに『観経』の三心には行が説かれていない。また『疏』の三心釈をみても、至誠心釈では、三業所修の解行は真実心をもってなせといい、廻向発願心釈では、所修の行を廻向して浄土を願えといわれているが、その所修の行の何たるかは説かれていない。所修の行を明確に簡択していかれるのは深心釈であった。弥陀の本願に順ずれば、信受奉行すべきものは正定業たる称名一行であって、雑行、助業は所信所就の行とすべきではないと釈顕されたものがそれである。この本願念仏を正定業と疑いなく深信し、表裏相応してこの行を専修していることを至誠心といい、この信行をもって浄土に往生せんとおもうことを廻向発願心というのであるから、三心といってもその安心の極要は、念仏往生の本願をうたがいなく信ずる深心の一つに帰することがわかる。「念仏往生義」に、

念仏往生と申す事は、弥陀の本願に、わが名号をとなへんもの、わがくにゝむまれずといはば、正覚をとらじ、とちかひて、すでに正覚をなり給へるがゆへに、この名号をとなふるものは、かならず往生する事をう。このちかひをふかく信じて、乃至一念もうたがはざるものは、十人は十人ながらむまれ、百人は百人ながらむまる。念仏を修すといへども、うたがふ心あるものはむまれざるなり[4]

といい、機受を無疑の信心(深心)一つに収約して、信疑決判されるものは、三心が深心に即一することを何よりも明らかにされているといわねばならない。

 ところで法然は「示或女房法語」の中で、

三心と申候も、ふさねて申ときは、たゞ一の願心にて候なり、そのねがふ心のいつはらずかざらぬかたおば至誠心と申候。このこゝろまことにて、念仏すれば、臨終にらいかうすといふことを一念もうたがはぬかたを深心とは申候、このうへわが身もかの土へむまれむとおもひ、行業おも往生のためとむぐるを廻向心とは申候なり。このゆへにねがふ心いつはらずして、げに往生せんとおもひ候へば、おのづから三心はぐそくすることにて候なり[5]

といい、三心を一の願心に収約されている。これは恐らく二河譬において白道を「能生清浄願往生心」といわれたものによられていると考えられる。二河譬では、二尊の意に信順した信心のことを願往生心といわれているのだから、今の願心も、「願生の信心」のことで、三心を即した深心と同意語であったとみるべきであろう。浄土教の信心は、浄土願生の信であるところに特色があるから、その義意をあらわす為に信心(深心)を願心と表現されたものであろう。

 このようにして三心は、深心に帰一するとすれば、自ずから三心即一の道理を法然もみられていたとしなければならない。事実「要義問答」に三心を釈したあとに『観経』の三心と第十八願の三心と『小経』の一心不乱とを会合して「ひとたび三心を具足してのち、みだれやぶれざる事金剛のごときにて、いのちのおはるを期とするをなづけて一心といふ」といい、「不乱」というのは、散乱心がなくなることではなくて、外邪異見に動乱破壊せられず「いのちおはるを期としてみだれぬものを一心とは申すなり」といわれている[6]。すなわち『小経』の一心とは、信心が乱れ破れないことをいうとされているから、疑心が雑わらないことを意味していたといえよう。

 ところで「三心料簡事」によれば、『阿弥陀経』の一心不乱について、次のような釈が施されている。

:一心者、何事心一するぞと云、一向念仏申阿弥陀仏心我心一成也。如天台十疑論云、如世間慕人能受慕者、機念相投必成其事、慕人者阿弥陀仏也、恋者我等也。既心発一向阿弥陀仏、早仏心一成也。故云一心不乱、上少善根福徳因縁念うつさぬ也云云[7]

 これによれば、法然は、一心とは、我を念じたまう阿弥陀仏の心と、阿弥陀仏を念ずる我が心とが一つに成ったことであるとされている。そして「一心にして乱れず」とは、「不可以少善根福徳因縁得生彼国」と嫌貶された諸行に心をうつさぬことをいうというのである。要するに「一心」とは、仏心と相応し一体となった信心が、余行に心をかけて乱れることのない状態を意味していた。法然が三心即一心と釈顕された文章はみられないが、その意を展開すれば、親鸞が『文類聚鈔』に第十八願の三心と、『観経』の三心と、『小経』の一心とを、その真実義において会合して、「一心之中摂在至誠廻向之二心……三経大網雖有隠顕、一心為能入」[8] といわれたものに同致していくといえよう。

二、智具の三心と行具の三心

 三心は知解によって具するものではなく、釈迦、弥陀二尊の発遺招喚に信順して、念仏往生の本願を信ずるとこに自然に具するものであった。「七箇条の起請文」に、

阿弥陀ほとけの法蔵菩薩のむかし、五劫のあひだよるひる心をくだきて案じたてて成就せさせ給ひたる本願の三心なれば、あだくしくいふべき事にあらず。いかに無智ならん物もこれを具し、三心の名をしらぬ物までも、かならずそらに具せんずる様につくらせ給ひたる三心なれば、阿弥陀をたのみたてまつりて、すこしもうたがふ心なくして、この名号をとなふれば、あみだほとけかならずわれをむかへて、極楽にゆかせ給ふときゝて、これをふかく信じて、すこしもうたがふ心なく、むかへさせ給へとおもひて念仏すれば、この心がすなはち三心具足の心にてあれば、たゞひらに信じてだにも念仏すれば、すずろに三心はあるなり[9]

といわれている。三心は、どんな無智な、三心の名さえ知らないものも、「たゞひらに信じて念仏す」るところに「かならず、そらに具せんずるように」法蔵菩薩が成就された「本願の三心」であるといわれていることは注目すべきであって、親鸞の願力廻向の三心論の原型をみる思いがする。

 いかなる無智なものにも自然に具するように成就された三心であるということを、ここでは「そらに」とか「ひらに」とか「すずろに」という修飾語を用いてあらわされている。「そらに」とは「自然に」ということであり、「ひらに」とは「いちずに」「ひたすらに」ということであり、「すずろに」とは「意識をはなれて、物事や心が進み、あるいは存在するさま」をあらわしているから、人間の分別解知を超えて自然にそなわるということをあらわしている。すなわち三心は、その名目を解知したからといって具するものではなく、たゞひたすらに本願を信じ、念仏しているところに「信ずる」内容として自然と具するように成就されているのである。だから法然は「自然に三心は具足するなり」といわれるのである。「諸人伝説の詞」に法然のつねのおおせとして次のような法語が記録されている。

又人目をかざらずして往生の業を相続すれば自然に三心は具足する也。たとへば葦のしげきいけに十五夜の月のやどりたるは、よそにては月やどりたりとも見へねども、よくくたちよりて見れば、あしまをわけてやどる也。妄念のあしはしげゝれども、三心の月はやどる也[10]

まことに美しい法語である。この三心を水月とたとえられたところに如来よりたまわりたる三心というこころをあらわされているように思われる。『歎異鈔』に、親鸞(善信房)の法語として、勢観房源智、念仏房念阿などとの間で交された信心一異の諍論が記されている。親鸞は、法然と師弟一味の信心であることを主張し、勢観房、念仏房などは反対したというのである。それに対する法然の決択のことばは「源空が信心も如来よりたまはりたる信心なり、善信房の信心も如来よりたまはらせたまひたる信心なり、さればたゞひとつなり」というのであったと伝えられている[11]。もしこの言葉の通りであったとすれば、「如来よりたまわりたる信心」という表現は、恐らくこのときはじめて法然が用いられたのであろう。あしまをわけて月が宿る如く、妄念の心の中に摂取決定の本願のみことばの宿っていることを信心といい、三心というのであって、そのことわりを「如来よりたまわりたる信心」といい、やがて親鸞によって本願力廻向の大信心として展開されていく信心の奥義であった。

 このように念仏するところに自然に具足する三心を法然は「行具の三心」とよばれることがあった。「東大寺十問答」に、三心について智具の三心と行具の三心を分別して、

三心に智具の三心あり、行具の三心あり。智具の三心といふは、諸宗修学の人、本宗の智をもて信をとりがたきを、経論の明文を出し、解釈のおもむきを談じて、念仏の信をとらしめんとてとき給へる也。行具の三心といふは、一向に帰すれば至誠心也。疑心なきは深心也。往生せんとおもふは廻向心也。かるがゆへに一向念仏して、うたがふおもひなく往生せんとおもふは行具の三心也[12]

といわれている。智具の三心とは、聖道諸宗の学僧は、聖道門的な思想信仰に執われて浄土教の信を得がたいので、経論の明文を示され、三心のいわれを詳細に解釈してもらうことによって、本宗の智見をはなれて、念仏の信を具するにいたる。これを智具の三心というのである。『観経疏』の三心釈の如きはその典型である。行具の三心とは、一向に本願を信じて、往生せんとおもうて念仏しているところに自然と具している三心をいう。智具の三心といっても、教理の理解に止まっているようなものではなく、智解を縁として、自力のはからいを捨て、念仏もうさんと思いたつところに自然に具する三心をいうのであるから、結局は行具の三心に帰するともいえよう。法然は諸所に広く三心を釈されるが、その最後は必ず「まめやかに往生せんとおもひて念仏申さむ人は、自然に具足しぬべきこゝろに候」[13] というふうに結ばれているのはその故であろう。

 「諸人伝説の詞」によれば、ある人が、善導の本願取意の文に、三心の安心を略して称名のみをあげられた理由をたずねたとき法然は「衆生称念必得往生としりぬれば、自然に三心を具足するゆへに、このことはりをあらわさんがために略し給へる也」と答えられている[14]。三心といっても、衆生称念必得往生と、本願のことわりを領解しているほかにないのである。その心を開けば三心になるから有名な『一枚起請文』には「たゝし三心四修なんと申す事の候は、みな決定して南無阿弥陀仏にて往生するそとおもふうちにこもり候なり」[15]といわれるのであって、これがまさしく行具の三心である。

 法然が「念仏行者、必可具足三心」といわれたものは、「衆生称念必得往生」と本願を深信して念仏するのでなければならぬといわれたものであるが、またそのような念仏は、本願をたのむ信心が口にあらわれているのだから、念仏は信心の相であるともいえる。隆寛は、『後世物語聞書』に行具の三心を釈したあとに、「三心すなはち称名のこえにあらはれぬるのちには、三心の義をこゝろのそこにもとむべからず」[16] といわれたのはこのこころをあらわすものである。法然が「称名必得生、依仏本願故」といわれた念仏は、本願への絶対の信順を口にあらわしている信相としての念仏であった。それゆえ念仏のほかに信心を見ないのであって、『選択集』はこれを「往生之業、念仏為本」というのである。また法然が信疑決判を行い、「涅槃之城、以信為能入」といって、信心を涅槃の因といわれたからといって、称名を非因であるとみられたと考えてはならない。「称名必得生」と誓われた本願を、はからいなく信受したとき、三心具足の如実の念仏者となり、涅槃の浄土に迎えられるべき「必得往生」の身たらしめられたということをあらわしていたのである。念仏往生の本願を信じて如実の念仏者となり、念仏を相続することにおいてその信が実践され、本願がわが身の上に具体化していくのである。親鸞が、

弥陀の本願とまふすは、名号をとなへんものをば、極楽へむかへんとちかはせたまひたるを、ふかく信じてとなふるがめでたきことにて候なり。信心ありとも名号をとなへざらんは詮なく候、また一向名号をとなふとも信心あさくば往生しがたくさふらふ。されば念仏往生とふかく信じて、しかも名号をとなへんずるは、うたがひなき報土の往生にてあるべくさふらふなり[17]

といわれたものは、法然の念仏往生の信行の道理を美事に相承されたものであるといえよう。信なき念仏は不如実修行であって、不安の叫びでしかなく、行なき信は、空虚な観念にすぎないのである。法然がしばしば「心と行と相応すべし」と勧誡される所以である[18]

三、三心の浅深と九品の階位

 第三に法然は三心(信心)に浅深、強弱を分けられたことの意味について窺ってみよう。「往生大要抄」に、至誠心を熾盛心と誤まってはならないと批判されたとき、しかし熾盛心勇猛心がすべていけないというのではなくて、至誠心のない、外相ばかりをかざる見せかけの熾盛心が悪いのだといって、

真実の至誠心を地にして熾盛なるはすぐれ、熾盛ならぬはおとるにてある也。これにつきて九品の差別までもこころうべき也。……三心すでに九品に通ずべしと心えてのうゑには、その差別のあるやうをこゝろうるに、三心の浅深強弱によるべき也[19]

といわれている。すなわち至誠心を具したうえで、熾盛勇猛なる心をもって行業(称名を中心とした起行)をはげむものと、そうでないものとのちがいによって、九品の浅深差別があるといわれるのである。このように法然は三心のなかでも、特に至誠心の強弱浅深によって三心の浅深強弱があり、それに応じて九品の差別が成立すると考えられていたことがわかる。もっとも浅深の差はあっても、三心具足のものは往生を得ることに疑いはないとされている。

 ところで三心に浅深を分けるといわれるところに問題が残る。すでにのべたように、三心は究極的には深心に摂まるが、深心とは「深く信ずる心」であり、「往生大要抄」によれば「所詮は深信といは、かのほとけの本願は、いかなる罪人をもすてず、たゞ名号を称ふる事、一声までに、決定して往生すと、ふかくたのみてすこしのうたがひもなきを申す也」[20]といわれるように、決定往生とふかく本願をたのみて、すこしのうたがいもないことを深信(深心)というのだから、信心は一様に深心であって、決して浅心ではない筈である。深信の深とは決定心であり、それに対すれば浅心とは、不決定心であるといわねばならない。とすれば、三心を深心に摂めて信心というときは、信心に浅深の別をたてることはできないといわねばならない。従って法然が三心に浅深の別があるといわれたのは、安心門(業因門)の所談ではなくて、起行門(相続門)の所談であったとみるべきである。

 法然は上述のように三心の浅深によって九品の差別があるといわれたが、これにも問題がある。というのは、法然の法語には九品の差を肯定的にみられる場合と、否定的に見られる場合とがあるからである。上述の「往生大要抄」のほかに、たとえば『三部経大意』には、

又善導和尚、三万已上は上品の業とのたまへり、数返によりて上品にむまるべし。又三心につきて九品あり、信心によりても上品に生ずべきか。上品をねがふこと、わがみのためにあらず、かのくににむまれおはりて、とく衆生を化せむがためなり。これ仏の御心にかなはざらんや[21]

といわれたものなどは、日課念仏の数の多少と、信心の浅深強弱によって九品の差を生ずるとみられていたことは明らかである。なおここに九品のなかでも上品往生を願うのは、すみやかに衆生教化(いわゆる還相摂化)をするためであるといわれているが、このような考えかたは法語の随所にみうけられる。たとえば「大胡の太郎実秀に答ふる書」に「ただ御身ひとつに、まづよくよく往生をもねがひ、念仏おもはげませたまひて、くらゐたかく往生して、いそぎかへりきたりて、人おもみちびかむとおぼしめすべく候」[22] といわれたものなどがそれである。

 これに対して「十一箇条問答」には、

極楽の九品は弥陀の本願にあらず。四十八願の中にこれなし。これは釈尊の巧言なり。善人悪人一処にむまるといはば、悪業のものども慢心をおこすべきがゆへに品位差別をあらせて、善人は上品にすゝみ、悪人は下品にくだるなりとときたまふなり。いそぎまいりてみるべし[23]

といわれたものは、明らかに浄土における九品の階位を否定されている。四十八願のなかには浄土に九品をもうけると誓われていないから、本願成就の報土には九品の差別はない。『観経』の九品段の教説は、善人と悪人が平等に一処に生まれるといえば、悪業のものどもが慢心を生じ、向上心を失うおそれがあるから、そうした邪見による悪平等を防ぐために品位差別を説いて、悪をつつしみ、善に向かわせようとされた釈尊の巧みな方便説であるというのである。これによれば法然は、浄土そのものに、九品の差別があるとは考えられていなかったことがわかると同時に、九品の差は、安心門よりも、むしろ起行門の立場で、念仏者の倫理性を強調する為の教説であったことがわかる。

 さきに三心を深心に摂めて語るときは、三心に浅深の別を立てることができないといったが、念仏についても、たとえば「念仏往生要義抄」などによれば、浅深高下の別をみることをきっばりと否定されている[24]。すなわち念仏に自力と他力とを分け「他力の念仏」においては「聖人の念仏と世間者の念仏と、功徳ひとしくしてまたくかはりめあるべからず」といい、浄心の念仏も妄心の念仏も、一声も十声も、最後(臨終)の念仏も平生の念仏も、智者の念仏も愚者の念仏も「ほとけの本願にとづかば、すこしの差別もなし」といい、本願他力の念仏は機によって、又数量の多少によって、その価値に高下の別はないと強張されている。『選択集』「利益章」でも念仏は無上功徳であるとあらわされていたが[25]、一念一念が無上功徳であるような念仏を業因とするかぎり、九品の階位は立ちえないことになる。従って念仏の数量によって九品の差を談ずるのは、安心門ではなく起行門の所談であったとせねばならない。

 ところで法然は「大経釈」において『大経』の三輩段を但念仏、助念仏、但諸行の三義をもって解釈された[26]。但念仏往生の立場からみれば、三輩段に説かれた諸行は所廃の行を明かしたもので、所立の行法は、三輩を通じて一向専念の念仏のみということになる。この場合三輩の別は、一つには念仏往生の機類の差別を示すもので、要するに善悪平等に念仏往生することを明かしたものということになる。二つには上述のように念仏相続のうえでの日課念仏の数の多少によって九品の差別が立つとみられたのである。助念仏の立場でいえば、諸行は念仏を助成する行業として説かれたことになり、三輩の差は、助業の強弱によって立つわけである。この助念仏についても、起行門(相続門)における「五門相続助三因」という場合と、安心門(業因門)において、「念仏に助をさす」と嫌貶される助念仏とがあることは周知の如くである。また諸行往生を明かす三輩とみれば、諸行の優劣によって上中下三輩の別が立つことはいうまでもない。法然は『大経』の三輩と『観経』の九品とを開合の異とみられていたから、三輩の差別と行業の関係は、そのまま九品にもあてはめてみることができる[27]

 かくて念仏往生(但念仏)の立場に立って九品の教説をみるとき、安心門、すなわち廃立門でいえば九品は平等であって、差別はないことになる。従って三心(信心)の浅深を語り、行業の強弱を談じ、それに応じて九品の階位を説かれるのは、相続起行を勧励し、念仏者の倫理性を強調するための教説であったといえよう。それに対して安心門において念仏を資助するような行業を勧めたり、諸行によって上品往生を得るかのように説かれている場合は、助念仏往生、諸行往生といわれる自力門の所説であるというべきである。法然は三輩段や九品段には、このような他力の法門たる但念仏往生と、助念仏往生、諸行往生という自力の法門とが説かれているとみられていたというべきであろう。親鸞が「信文類」において「大願清浄報土、不云品位階次、一念須臾頃、速疾超証无上正真道、故曰横超也」といわれたのは[28]、他力念仏による九品平等の証果をあらわされたものであり、「化身土文類」において三輩段や九品段を第十九願成就の教説とみなされたのは、自力の諸行(助念仏)往生の果を説くものとみられたものである。そのいずれもが、法然の三輩九品観を継承し展開されたものであるといわねばならない。

 上述のように但念仏往生の安心門という絶対的な立場にあっては「たゞ心のよきわろきをも返り見ず、罪のかろきおもきをも沙汰」しない善悪平等の救いを語るが、起行門という相対的な立場においては、悪を慎しみ、善行をつとめるようにしなければならない。この起行相続門に立って、念仏者の宗教儀礼や日常的な倫理を問題とするときは、その行為の善悪は峻別されねばならないし、行業や心況の強弱、浅深が問題になるのは当然であって、そこに自ずから九品の差異もみられるわけである。その場合真実と虚仮、善と悪の判断の基準となるのは、異類の助業としての戒律の規範であり、信仰的には至誠心釈に示されたように法蔵菩薩の真実なる二利行である。この法蔵菩薩の二利行の真実に返照されて自身の虚仮不実を信知するところに機の深信が成立するということはすでにのべた。この信機における深い罪障の自覚と、慚愧によって、消極的には、悪への拒否性と、積極的には二利行への指向性がよびさまされ、起行門における実践がうながされていくのである。至誠心釈においても一言したように、念仏者は、自身の煩悩の現実を悲しみ痛み、浄土を欣求するものであるがゆえに、その厭欣の思いが生活の場に反映して、名利をつつしみ、少欲知足、敬上慈下の思いに住し、譏嫌戒をまもって、生活を向上させようと努めねばならない。それが煩悩を客とし、念仏を主として生きる念仏者の生活態度である。上品往生をめざして努力せよという勧誡もそこから生まれてくるのである。

 さきに九品の教説は、九品平等を強張しすぎると、悪人が慚愧心を失って邪見におちいる危険性があるから、あえて九品の階位を説いていましめられたといわれていたが、法然もまた釈尊の九品の巧説に準じて念仏者の行儀と生活倫理を強調し、同類の助業のみならず、異類の助業までも勧励されていったのである。

四、悪人往生と倫理性の問題

 念仏往生の信心を安立する安心門においては廃立をすわりとして、善悪をかえりみず、本願念仏について決定の信心を建立する。このことを「三心料簡事」には、

念仏申者、只生付まゝにて申へし、善人乍善人、悪人乍悪人、本まゝにて申すへし。此入念仏之故、始持戒破戒なにくれと云べからす。只本体ありのまゝにて申へしと云云[29]

といい、善人は善人のまま、悪人は悪人のまま、本体ありのままにて念仏し救われていくという、機の善悪を超絶した絶対平等の救済のありさまを顕わされている。

 ところで『選択集』「本願章」によれば、こうした不簡善悪という絶対的な救済をあらしめているのは、阿弥陀仏の「平等の慈悲」という選択の願心であった[30]。十方一切の衆生を、一機も漏れなく救わんと思しめす平等の慈悲にもよおされて、勝易具足の称名一行を選択されたというのである。しかも法然が平等の慈悲の具体相を釈顕されるときは、常に愚悪の下機を救うことに焦点をあわせて語られていたことは「本願章」のうえに明らかである[31]。これは、すでに善導が『玄義分』において「諸仏大悲於苦者」といい[32]、岸上の人よりも、今現に溺れつつあるものに急いで偏へに救いの手をさしのべるところに大悲の特性である急救性があるといわれたものを的確に伝承されたからである。善導が「定為凡夫、不為聖人」といわれたのや元暁が浄土宗の特質を「本為凡夫、兼為聖人」といわれたのも、この大悲の急救性(急救の大悲)に立脚した教説であった[33]

 法然は「三心料簡事」に、

悪機一人置此機往生、謂道理なりけりと知程習たるを、浄土宗善学云也。此宗悪人為手本、善人摂也。聖道門善人為手本悪人摂也云云[34]

といい、「本為凡夫、兼為聖人」をさらに一歩すすめて「悪人為手本、善人摂」といい切られたのであった。この考え方を究極までつきつめるならば、いわゆる悪人正機説となっていくのであって、「三心料簡事」には、

一、善人尚以往生、況悪人乎事【口伝有之】[35]

と言い切られている。『歎異抄』第三条に、

一、善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや。しかるを世のひとつねにいはく、悪人なを往生す、いかにいはんや善人をや。この条一旦そのいはれあるににたれども本願他力の意趣にそむけり。そのゆえは自力作善のひとは、ひとへに他力をたのむこころかけたるあひだ、弥陀の本願にあらず、しかれども自力のこゝろをひるがへして、他力をたのみたてまつれば、真実報土の往生をとぐるなり。煩悩具足のわれらは、いづれの行にても生死をはなるゝことあるべからざるをあはれみたまひて、願をおこしたまふ本意、悪人成仏のためなれば、他力をたのみたてまつる悪人、もとも往生の正因なり。よて善人だにこそ往生すれ、まして悪人は、と仰せさふらひき[36]

といわれたものは、正しく法然の悪人正機の口伝を伝承されたものであることがわかる。「三心料簡」には、前掲の「善人尚以往生、況悪人乎事」という法然の口伝をあげたあとに「私云」として、解説が施されている。「三心料簡事」のなかで「私云」といわれたのはこの節だけであって、恐らく勢観房源智の解説ではないかと推測するが、次のような文である。

私云、弥陀本願、以自力可離生死有方便善人為をこし給。哀極重悪人無他方便輩をこし給へり。然菩薩賢聖付之求往生、凡夫善人帰此願得往生。況罪悪凡夫、尤可憑此他力云也。悪領解不可住邪見、譬如云本為凡夫兼為聖人。

 これによれば、悪人正機説が、「本為凡夫兼為聖人」説を究極まで展開せしめたものであることがわかる。又前掲の「悪人為手本善人摂」る浄土門と、「善人為手本悪人摂」る聖道門との法門の成立基盤の違いを知れといわれた法語と対照しながら『歎異抄』第三条をみれば、『歎異抄』は全くこれを伝承したものであることがわかる。親鸞の浄土教は、法然浄土教の最奥の部分を実に正確に伝承しているのである。

 ところで法然は、一見これと反対にみえる教説もしばしばのべられている。たとえば「黒田の聖に遺す書」に「罪は十悪五逆のものむまると信じて、少罪おもおかさじとおもふべし、罪人なほむまる、いはむや善人おや」といい、また「念仏往生要義抄」に「念仏のちからにあらずば、善人なをむまれがたし、いはんや悪人をや」[37] といわれたものがそれである。これらはいずれも「悪人なを往生す、いかにいわんや善人をや」[38] ということになり、少なくとも言葉のうえでは『歎異抄』に「しかるを世の人つねにいはく、悪人なを往生す、いかにいはんや善人をや、この条一旦そのいはれあるににたれども、本願他力の意趣にそむけり」といわれたものと同じであるといわねばならない。同じ法然の教説のなかに「善人なをもて往生す、いわんや悪人をや」という口伝と、「悪人なを往生す、いわんや善人をや」という教説とがあったということは、どう領解すべきであろうか。

 結論的にいうならば、「善人なをもて往生す、いわんや悪人をや」というのは、阿弥陀仏の大悲の急救性を極めてラディカルに表現されたものであって、法然の本願領解の真髄をあらわしていたといえよう。しかしこの教語は、極めて誤解を受けやすく、後述するように造悪無碍の異端者の口実になる可能性が高かった。そのために法然は口伝として、真意を理解してくれるほどの弟子にだけ口授されたのであろう。「三心料簡事」に「口伝有之」と細註された所以である。親鸞の場合でも、『教行証文類』をはじめ、多くの自撰の書に悪人正機の意をのべられたとみなされる文はあるにもかかわらず、明言されておらず[39]、わずかに「善人なをもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」ということばは『歎異抄』に著者(恐らく唯円房)の聞き書としてのみ伝わっており、覚如の『口伝抄』[40] に、これも口伝として伝承されているばかりであることがその辺の事情をあらわしていると考えられる。

 これに対して「悪人なを往生す、いわんや善人をや」という教語は、一般性があり、少くとも造悪無碍的な誤解を生ずる恐れがなかったことと、起行相続を勧励し、念仏者の倫理を説くときには最も適切であった。まず悪人正機的な教説が、誤解されて人倫を無視する邪見が生まれてきたことは、「往生大要抄」の深心釈下に、十悪五逆の罪人も一念十念に往生すということをのべて、

たゞしかやうのことはりを申つれば、つみをもすて給はねば心にまかせてつみをつくらんもくるしかるまじ、又一念にも一定往生すなれば、念仏はおほく申さずともありなんと、あしく心うる人のいできて、つみをばゆるし、念仏をば制するやうに申しなすが返々もあさましく候也。悪をすゝめ、善をとゞむる仏法は、いかゞあるべき。……たゞこれは大悲本願の一切を摂する、なを十悪五逆をももらさず、称名念仏の余行にすぐれたる、すでに一念十念にあらはれたるむねを信ぜよと申すにてこそあれ。かやうの事はあしく心うれば、いづかたもひが事になる也。つよく信ずるかたをすゝむれば、邪見をおこし、邪見をおこさせじとこしらふれば、信心つよからずなるが術なき事にて侍る也[41]

となげかれたところによくあらわれている。信を強調する一念義系のひとが、悪人正機を特に強く主張し、その系統から造悪無碍の邪見におちいる者が多くでてきたもようがこの法語のなかに窺われる。おなじことが「十二箇条問答」第十一問答にもみられる。

ほとけは悪人をすて給はねども、このみて悪をつくる事、これ仏の弟子にはあらず、一切の仏法に悪を制せずといふ事なし。悪を制するに、かならずしもこれをとゞめえざるものは、念仏してその罪を滅せよとすゝめたる也。……たとへば人のおやの、一切の子をかなしむに、そのなかによき子もあり、あしき子もあり。ともに慈悲をなすとはいへども、悪を行ずる子をば、目をいからし、杖をさゝげて、いましむるがごとし。仏の慈悲のあまねき事をきゝては、つみをつくれとおぼしめすといふさとりをなさば、仏の慈悲にももれぬべし。悪人までもすて給はぬ本願としらんにつけても、いよくほとけの知見をばはづべし、かなしむべし。父母の慈悲あればとて、父母のまへにて悪を行ぜんにその父母よろこぶべしや。なげきながらすてず、あはれみながらにくむ也。ほとけも又もてかくのごとし[42]

 悪を制止しない仏法はない。自他を苦悩せしめる因だからである。しかし、いかに悪を禁制せられても、とゞめえない煩悩具足の凡夫の為に、念仏を与え、願力をもって悪を消して浄土へ生まれしめようと願われたのが本願の大悲である。かかる悪人を捨てたまわぬ本願と信知すれば、仏の知見をはじ、煩悩悪性の身を悲しみ痛むべきである。善人も悪人も平等に大悲したまうと聞いて、思うさまに罪をつくれといわれていると考えるならば、如来の慈悲に背反し、救いにもれていくといわねばならない。親は善き子も、悪き子も、平等に慈悲をたれるが、悪を行ずる子を「なげきながらすてず」、その罪を「あわれみながらにくむ」ものである。ちょうどそのように、仏は一切衆生を平等に慈愛し、悲憐したまうが、特に悪人を「なげきながら」も「捨てず」して摂取したまい、悪を行ずる人を「あわれみ」ながらも、その罪を「にくみ」除却しようとされているのである。このように悪人救済の仏意を領解するならば、信者は必然的に倫理的たらざるをえないのである。「十二箇条問答」の第十二問答に、

悪をもすて給はぬ本願ときかんにも、まして善人をば、いかばかりかよろこび給はんと思ふべき也。一念十念をもむかへ給ふときかば、いはんや百念千念をやとおもひて、心のおよび、身のはげまれん程ははげむべし。さればとてわが身の器量のかなわざらんをばしらず、仏の引接をばうたがふべからず[43]

といわれる所以である。すなわち悪人を捨てたまわぬ大悲に感動するがゆえに、仏の冥見をはじつつ善につとめることこそ仏意にかなう道であり、わずか一念に往生を決定せしめたまう念仏なるがゆえに、身心をはげまして念仏を相続すべきである。かくいえばとてわが身の器量には限界があることを知って、たとえ及ばずといえども、仏の救いを疑ってはならないといわれるのである。ここに悪を救いたまう大悲に感動して、善をはげもうとつとめ、一念に往生決定すると信じて、多念相続を勧励する、安心門と起行門とのあり方がわかるであろう。さきにあげた「罪人なほむまる、いはむや善人おや」というのも「罪人なほむまる」は安心門の所談であり「いはむや善人おや」は起行門の所談であったとみることもできるのである。すなわち前掲の「黒田の聖へ遺はす書」は次のような文脈で記されているのである。

末代の衆生を往生極楽の機にあてゝみるに、行すくなしとてうたがふべからず、一念十念たりぬべし。罪人なりとてうたがふべからず、罪根ふかきおもきらわずといへり……罪は十悪五逆のものむまると信じて、少罪おもおかさじとおもふべし、罪人なほむまる、いはむや善人おや、行は一念十念むなしからずと信じて、无間に修すべし、一念なほむまる、いかにいはむや多念おや[44]

 これによって信は十悪五逆の罪人も一念に往生すると立て、しかも多念を行じて少しでも善人になるようにつとめよと、一念と多念、救悪と廃悪とを安心門と起行門にかけて明かされていることがわかるのである。『往生礼讃』の安心門においては煩悩具足の凡夫が十声一声の称名で往生すと信知せよといい、起行門においては、その信の上で四修の法によって五念門を実修せよと勧められていた。法然はこの意をうけて、悪人のままに念仏往生せしめられるという信心と、浄土願生者としてふさわしい行儀と倫理を勧誡しようとして「悪人なを往生す、いはんや善人をや」といわれたのであろう。それに対して『歎異抄』第三条に「悪人なを往生す、いかにいはんや善人をや」といはれたのは、法然が「三心料簡事」において「聖道門善人為手本、悪人摂也」といわれた、聖道門的な善悪観をあげたものであると考えられる。それゆえ『歎異抄』は「この条一旦そのいはれあるににたれども、本願他力の意趣にそむけり、そのゆへは自力作善のひとは、ひとへに他力をたのむこゝろかけたるあひだ弥陀の本願にあらず」といい、それは聖道門的見解であると解説されているのである。

 もっとも法然には、「悪人なを往生す、いはんや善人をや」という論法を、善悪平等の救いを論証する為に用いられる場合がある。たとえば「往生大要抄」に、

かのくにゝむまるゝ事は、すべて行者の善悪をゑらばず、たゞほとけのちかひを信じ信ぜさるによる……ひろく通ずといは、五逆の罪人をあげてなを往生の機におさむ、いはんや余の軽罪をや、いかにいはんや善人をやと心えつれば、往生のうつはものにきらはるゝものなし。かるがゆえにひろく通ずといふ也。とをく通ずといは、末法万年ののち法滅百歳まで、この教とゞまりて、その時にきゝて一念する、みな往生すといへり。いはんや末法のなかをや、いかにいはんや正法像法をやと心えつれば、往生の時もるゝ世なし。かるがゆへにとをく通ずといふなり[45]

といわれたものがそれである。すなわち善悪をえらばず、正像末の三時をえらばず、誰でもが、いつでも救われるという念仏往生の法門の摂機の広さと、教法の時間的な永遠性をあらわす為に、下をあげて上を摂し、末をあげて本を摂するという常識的な論法を用いられたものである。

 法然はこのような常識的な論法をもって安心を勧められる場合もあった。たとえば「正如房へ遺す書」に、

返々もなほなほ往生をうたがふ御こころ候まじきなり。五逆十悪のおもきつみつくりたる悪人なを十声一声の念仏によりて往生をし候はむに、ましてつみつくらせおはします御事は、なにごとにかは候べき、たとひ候べきにても、いくほどのことかは候べき。この経にとかれて候罪人には、いひくらぶべくやは候。それにまづこゝろをおこし出家とげさせおはしまして、めでたきみのりにも縁をむすび、ときにしたがひ日にそえて善根のみこそはつもらせおはします事にて候はめ。そのうへふかく決定往生の法門を信じて、一向専修の念仏にいりて、ひとすじに弥陀の本願をたのみて、ひさしくならせおはしまして候。なに事にかは、ひとことも往生をうたがひおぼしめし候べき……こゝろよはくは、ゆめくおぼしめすまじく候[46]

といわれたものがそれである。正如房という女性が病床にあって、心細さのあまり法然に救いを求めてきたのに対する返信である。死を目前にして、不安にかられ、法然に臨終の善知識になってほしいと哀願してきたものであった。そうした「心弱き」女性の信者に対して法然は、五逆十悪をつくった極重悪人でさえ十声一声の念仏で往生したのだから、ましてそなたのような罪も少く、善人の念仏者の救われないことがあろうか。「ひとすじに弥陀の本願を信じて」決定往生の思いをなして、心安らかに臨終を迎えよと、深い慈愛をこめて勧められている。ここで正如房を善人といわれたものは、まさに経に「善男子善女人」といわれたものと等しい意味をもっていたといえよう。それは発心し出家までして念仏の道に生きてきた正如房の人生そのものを評価し、真の仏弟子として意味づけていくようなことばでもあったのである。ともあれこのような状況のもとで使われる「悪人なを往生す、いはんや善人をや」という教語は、いい意味で常識的であるがゆえに領解しやすく、死の前に立って心細く不安におののいているという切迫した状況の人には極めて効果的な教説であったといわねばならない。


脚註:

  1. 「御消息」第一(『拾遺語灯』下・真聖全四・七五八頁)、なお「浄土宗略抄」(『和語灯』二・真聖全四・六二〇頁)にもほぼ同様のことばで三心釈を結ばれている。
  2. 『三部経大意』(専修寺本・真聖全四・七八六頁)
  3. 「十八条法語」(『指南抄』中本・真聖全四・一三二頁)
  4. 「念仏往生義」(『拾遺語灯』下・真聖全四・七三八頁)
  5. 「示或女房法語」(『拾遺語灯』中・真聖全四・七三六頁)
  6. 「要義問答」(『指南抄』下末・真聖全四・二四八頁)
  7. 醍醐本『法然上人伝記』三心料簡事(法然伝全・七八五頁)
  8. 『浄土文類聚鈔』(真聖全二・四五三頁)
  9. 「七箇条の起請文」(『和語灯』二・真聖全四・六〇五頁)
  10. 「諸人伝説の詞」(『和語灯』五・真聖全四・六七三頁)
  11. 『歎異抄』(真聖全二・七九〇頁)、同じことが覚如の『親鸞伝絵』上(真聖全三・六四五頁)にもでているが、『歎異抄』の方がより原型をのこしていると思われる。
  12. 「東大寺十問答」(『拾遺語灯』下・真聖全四・七四四頁)
  13. 「大胡太郎実秀への御返事」(『指南抄』下本・真聖全四・一八八頁)、その他「十一箇条問答」(『指南抄』下本・真聖全四・二一八頁)、「念仏往生義」(『拾遺語灯』下・真聖全四・七四二頁)、「御消息」第一(『拾遺語灯』下・真聖全四・七五八頁)等にも同意のことばで三心釈を結ばれている。
  14. 「諸人伝説の詞」(『和語灯』五・真聖全四・六七六頁)
  15. 『一枚起請文』(法然全・四一六頁)
  16. 『後世物語聞書』(真聖全二・七六五頁)
  17. 『末灯鈔』第十二通(真聖全二・六七二頁)
  18. 「浄土宗略抄」(『和語灯』二・真聖全四・六一二頁)、「御消息」第一(『拾遺語灯』下・真聖全四・七五〇頁)、「往生大要抄」(『和語灯』一・真聖全四・五六九頁)
  19. 「往生大要抄」(『和語灯』一・真聖全四・五七一頁)
  20. 「同右」(同右・五八〇頁)
  21. 『三部経大意』(専修寺本・真聖全四・七九八頁)、「金沢文庫本」(真宗学報第一七号・七二頁)、『和語灯』所収の「三部経釈」(真聖全四・五六三頁)も同じである。
  22. 「大胡太郎実秀に答ふる書」(『指南抄』下本・真聖全四・一九九頁)、同文が「浄土宗略抄」(『和語灯』二・真聖全四・六二四頁)にもある。
  23. 「十一箇条問答」(『指南抄』下本・真聖全四・二一四頁)
  24. 「念仏往生要義抄」(『和語灯』二・真聖全四・五九二頁)
  25. 『選択集』「利益章」(真聖全二・九五三頁)
  26. 「大経釈」(『漢語灯』一・真聖全四・二九八頁)、尚「大経釈」には、「廃立、助正、と念仏諸行各立三品」の三義をあげ、『選択集』「三輩章」には、廃立、助正、傍正の三義があげられている。この両者の同異については、第一篇第五章第二節(九三頁)參照。
  27. 『選択集』「三輩章」(真聖全一・九五一頁)
  28. 『教行証文類』「信文類」(真聖全二・七三頁)
  29. 醍醐本『法然上人伝記』三心料簡事(法然伝全・七八四頁)
  30. 『選択集』「本願章」(真聖全一・九四四頁)
  31. 『本論』第二篇第二章第六節參照。
  32. 『玄義分』(真聖全一・四五〇頁)に「然諸仏大悲於苦者、心偏愍念常没衆生、是以勧帰浄土、亦如溺水之人、急須偏救、岸上之者、何用済為」とい・われている。
  33. 善導『玄義分』(真聖全一・四四八頁)、元暁『遊心安楽道』(浄全六・六二五頁)參照。
  34. )醍醐本『法然上人伝記』三心料簡事(法然伝全・七八四頁)
  35. 『同右』(同・七八七頁)
  36. 『歎異抄』第三条(真聖全二・七七五頁)
  37. 「黒田の聖に遺す書」(『指南抄』下未・真聖全四・二二一頁)
  38. 「念仏往生要義抄」(『和語灯』二・真聖全四・五九七頁)
  39. 『教行証文類』総序(真聖全一・一頁)に「権化仁、斉救済苦悩群萌、世雄悲正欲恵逆謗闡提」といい、「信文類」の三心釈にいわゆる機無、円成、廻施の釈を施し(同・六〇頁)、又難化の三機、難治の三病(五逆、謗法、闡提)を広釈(同、八一頁)されたものはたしかに悪人正機の意を顕わされている。しかし悪人正機の語は見出せない。また『愚禿鈔』上(真聖全二・四六〇頁)に善悪の機を詳説し、善機について傍機と正機を分判し三乗を傍機、人天を正機といわれている。しかし、善悪対望して傍正を明言されてはいない。
  40. 『口伝抄』下(真聖全三・三二頁)に「本願寺の聖人、黒谷の先徳より御相承とて、如信上人おほせられていはく」として「善人なをもて往生す、いかにいはんや悪人をや」という法語をあげられている。
  41. 「往生大要抄」(『和語灯』一・真聖全四・五八一頁)
  42. 「十二箇条法語」(『和語灯』四・真聖全四・六四一頁)
  43. 「同右」(同右・六四三頁)
  44. 「黒田の聖へ遺す書」(『指南抄』下末・真聖全四・二二〇頁)
  45. 「往生大要抄」(『和語灯』一・真聖全四・五六八頁)、
  46. 「正如房へ遺す書」(『指南抄』下本・二〇六頁)