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真宗伝道の留意点

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真宗伝道の留意点

 紅楳英顕 相愛女子短期大学名誉教授、浄土真宗本願寺派司教(平成22年10月現在)

《宗教四月号(教育新潮社、平成十四年四月刊)所収》

はじめに

 蓮如上人は『御一代記聞書』九三に

信もなくて、人に信をとられよとられよと申すは、われはものをもたずしてひとにものをとらすべきというの心なり 、人承引あるべからずと、前住上人申さると順誓に仰せられ候き。「自信教人信」と候時は、まづ我が信心決定して人にも教えて仏恩になるとのことに候。自身の安心決定して教えるは、すなはち「大悲伝普化」の道理なる由、同く仰られ候。   (真聖全三の五五五)

と述べられている。ここに「自信教人信」とあるように、まず我が身が信心決定のひととなる。これが一番肝要なことである。また蓮如上人は『御一代記聞書』一四に

教化するひとまづ信心をよく決定して、そのうへにて聖教をよみかたらば、きくひとも信をとるべし。(真聖全三の五三五)

とも述べられている。信心決定が伝道活動の必須条件となるのである。

一、信心決定とは

 では信心が決定するとはどうなることなのか。実はこれは、殆どが世襲制僧侶の伝統教団において大変大事な、そして難しい問題なのである。  親鸞聖人は『一念多念文意』に本願成就文の「信心歓喜」の「信心」を釈して信心は如来の御ちかひをききて、うたがふこゝのなきなり。(真聖全二の六〇五)と簡潔に述べられている。他力信心の体は名号であるが、信相は「如来の御ちかひをききて、うたがふこゝろのない」心(無疑心)なのである。近年この点の理解が混乱し、信心を反体制的行動実践をすることとしたり、単に倫理の範疇で考えたり、凡夫には一生うたがいの心が残るものだと主張する意見や、往生一定の決定心は存在しないというような意見も出てきているが、これはとんでもないことである。このような意見は当人が信心未決定なるが故に生じているといえるであろう[1]。 鈴木大拙氏は宗教なるものは、それに対する意識の換気せられざる限り、なんだかわからぬものなのである。これは何事についても、しか(このように)言われ得るとおもわれるが、一般意識上の事象なら、なんとかいくらかの推測か想像か同情かが許されよう。ただ宗教についてはどうしても霊性とでも言うべきはたらきがでてこないといけないのである。すなわち霊性に目覚めることによって初めて宗教がわかる。(鈴木大拙全集八の二二) と述べている。ここに、霊性とでも言うべはたらきがでてこないといけない、霊性に目覚めることによって初めて宗教がわかる、とあるが、「霊性に目覚める」ということは回心(信心決定)することであり、それによって、初めて宗教がわかるというのであろう。 親鸞聖人は『教行信証』総序には

爰に愚禿釈の親鸞、慶ばしい哉、西蕃月支の聖典、東夏日域の師釈に遇い難くして今遇うことを得たり、聞き難くして已に聞くことを得たり。真宗の教・行・証を敬信して、特に如来の恩徳深きことを知んぬ。斯を以て聞く所を慶び獲る所を嘆ずるなり(真聖全二の一)

と述べられ、また『教行信証』「化土巻」三願転入の文には

爰に久しく願海に入りて、深く仏恩を知れり。(真聖全二の一六六)。

と、自身の信心決定を述べている。蓮如上人も『帖外御文章』四九に

あらありがたの他力本願や、あらありがたの彌陀のご恩やと、おもふばかりなり。このゆへに願力によせてかやうにつゞけゝり。
六十あまりおくりし年のつもりにや、彌陀の御法にあふぞうれしき。
あけくれは信心ひとつになぐさみて、ほとけの恩をふかくおもへば。(真聖全五の三七五)

と同様に自身の信心決定を述べられているのである。このように親鸞聖人も蓮如上人も、ともに信心決定したうえで、鈴木大拙氏の言葉によれば「霊性に目覚めた」うえで、伝道活動をされたのである[2]

二、難信の信

 『浄土和讃』に

一代諸教の信よりも 弘願の信楽なをかたし  難中之難とときたまひ 无過此難  とのべたまふ(真聖全二の四九四)

とあるように、信心獲得することは大変難しいことだといわれている。しかし難しいといわれているのは不可能といわれているのではないのである。難信ということについて親鸞聖人は『教行信証』「信巻」に元照律師の『小経義疏』を引用して

念仏法門は愚痴豪賤を簡ばず。久近善悪  を論ぜず。唯決誓猛信を取れば、臨終悪相なれども十念に往生す。これすなわち具縛の凡愚、屠沽の下類、刹那に超越する成仏之法なり。世間甚難信と謂うべき也。(真聖全二の七〇)

と述べられ、さら次下に元照律師の弟子戒度の『小経義疏』の釈『聞持記』を引用して

屠は謂はく殺を宰さどる、沽は即ち?売  此の如しの悪人ただ十念に由って、即ち超往を得、豈に難信に非ずや。(同右)とあるように、如何なる悪人も刹那に救いとる法である故に難信というと法の尊高の意味を述べられている。 また『唯信鈔文意』には
この信心のえがたきことを『経』には「極難信法」とのたまへり。しかれば『大経』には「若聞斯経、信楽受持、難中之難、无過之難」とおしえたまへり。  この文のこゝろはもしこの経をきゝて信ずることかたきがなかにかたし、これにすぎてかたきことなしとのたまへる御のりなり。(中略)釈迦は慈父、彌陀は悲母なり。われらがちゝはゝ種種の方便をして无上の信心をひらきおこしたまへるなりとしるべしとなり。(真聖全二の六五〇)

とあるように、この難信の信は釈迦・彌陀の方便(他力)によって恵まれるものであると述べられている。蓮如上人は『御一代記聞書』一五二に

凡夫の身にて後生たすかることは、たゞ 易きとばかり思へり。「難中之難」とあれば堅くおこし難き信なれども、仏智より得易く成就したまふことなり。(真聖全三の五六八))

とあるように、難信の信ではあるが仏智(他力)により、得易いものに成就されていると述べられている。即ち『唯信鈔文意』および『御一代記聞書』の意は自力を戒めているものである。 このように親鸞聖人が信心を「難中之難、无過此」(『正信偈』)といわれるのは、信心決定が凡夫に不可能とわれているのではないのであり、法(教え)の尊高を示すことと、自力を戒めることである。もしも「難中之難」といわれることが、信心獲得が凡夫に不可能という意味であるならば、彌陀の本願は「罪悪深重、煩悩熾盛の衆生をたすけんがための願」(『歎異抄』)のはずであるのに、実際には凡夫は一人も救われないということになってしまうであろう。

三、自信教人信ということ

 前述のように蓮如上人は『御一代記聞書』九三・一四等に、伝道教化においては、まず自分自身が信心決定の身にならねばならないことを述べられている。「信もなくて、人に信をとられよとられよと申すは、われはものをもたずしてひとにものをとらすべきというの心なり、人承引あるべからず」(聞書一九三)とあるように、信心未決定のひとがいくら伝道活動に励んだとしても、それは「われはものをもたずしてひとにものをとらすべきというの心なり」であり、人に伝わるものではないといわれている。これは一代で大本願寺教団を形成された蓮如上人のお言葉であるから、誰も異論をとなえる資格はないであろう。信心未決定のままでは、いくら時代即応の伝道方法の確立とか、攻めの伝道とかいってみても駄目であるし、また現代人に通ずる近代教学・現代教学を樹立するといって躍起になってみても、全くナンセンスなことである。例えていうなら、水に浸かったこともない全く泳げもしない者が、人に泳法の指導をするようなものである。何の成果がないばかりか、溺死者を出すのが関の山というような、かえって悪い結果を生むことにしかならないであろう。そして「自身の安心決定して教えるは、すなはち大悲伝普化の道理なる由(聞書一九三)」とあるが、これがまた大事なことである。『教行信証』「信巻」に信心獲得した者の現生十種の益が挙げられ、その中の第九常行大悲の益が大悲伝普化の伝道教化の活動を示すものであるが、信心未決定者には自分自身に救われた慶びがないのであるから、本当の意味での伝道教化の情熱は生まれないであろう。例え伝道教化活動に頑張っていても、あるいは近代教学・現代教学樹立のために精を出しているとしても、救われた慶びを他者にも分かち合いたいというところから生まれたものではないのであるから、言葉は不適切かも知れないが、自分の生活や名利のためになりがちであり、所詮は自己保身のための頑張りに過ぎないことにはならないであろうか。

四、二十一世紀の課題

 二十一世紀は「こころの時代」といわれ、宗教、特に無我・縁起・涅槃等の平和主義、寛容主義を説く仏教に世界の期待が寄せられることであろう。浄土真宗を親鸞聖人は「大乗のなかの至極なり」(『末灯鈔』、真聖全二の六五八)と述べられ、また「他力のなかの他力」(同六五六)とも述べられているが、恐らく世界の宗教のなかで最も他力の徹底した教えであろうと思う。他力の徹底は救済の徹底を示すものであり、如何なる悪人も救われるという極限までの徹底である。きっと二十一世紀の多くの人々の救いとなることであろう。   このように大いに期待される浄土真宗であるが、期待が実現するためには伝道教化するひとが信心決定のひとでなければならないのである。『浄土和讃』に

仏慧功徳をほめしめて 十方の有縁にき  かしめん 信心すでにえんひとは つね  に仏恩報ずべし。(真聖全二の四九一)とあるように、信心決定することにより教化伝道の情熱も生まれるのである。そしてその「大悲伝普化」の精神によっておのずと生まれるのが、本当の時代即応の伝道方法であり、教学の樹立なのである。蓮如上人が『御文章』による伝道、寄合・談合による伝道という新しい伝道方法を採られたが、これも信心決定のうえでなされたことである

蓮如上人の『御文章』一の一に

坊主もしかしかと信心の一理をも聴聞せず、また弟子をばかようにあひささへ候ふあひだ、われも信心決定せず、弟子も 信心決定せずして、一生はむなしくすぎゆくやうに候ふこと、まことに自損損他のとが、のがれがたく候ふ。(真聖全三の四〇三)

と述べられているように、教化者である僧侶(坊主)の信心決定が一番大事な問題である。近年真宗教団は三業惑乱等の影響で僧侶の異安心の問題には神経が使われたこともあったが、昨今は信心正因・称名報恩批判説や安心不要論者が恰も現代に通ずる伝道・教学考案者であるかのように幅を効かせ、異安心を問題視する者は時代錯誤者にされかねないような状況である。これは教団体質の無信心化によるものであろう。上述のように、近年教団は僧侶の異安心は問題にしたが、僧侶の無信心・未決定の問題は取り上げることはなかったように思う。異安心が問題にされるような、まだ安心が重視されていたときなら、あるいは必要がなかったかも知れないが、もうこれ以上僧侶の無信心・不決定の問題が、何の考慮もされることなく放置され続けてはならないと思う。今のままでは教団は無信心化は益々進み、衰微の一途をたどるのみとなろう。このことは二十一世紀の教団の浮沈にかかる極めて重要な課題であると思う。

むすび

 親鸞聖人は『高僧和讃』に

真の知識にあふことは  かたきがなかに  なをかたし  流転輪廻のきはなきは 疑情のさはりに しくぞなき(真聖全二の五一四)。

と述べられ、蓮如上人は『御文章』に

その名号をきくというは、たゞおほやうにきくにあらず、善知識にあひて、南无阿弥陀仏の六字のいわれをよくきゝひらきぬれば、報土に往生すべき他力信心の道理なりとこゝろえられたり。
(真聖全三の四六〇)

と、善知識の重要性を述べられているが、善知識(この場合は教化するひと)は信心決定のひとでなければならないのである。教団の僧侶全てが、そうでないにしても、少なくとも教団の伝道教化の指導者は信心決定のひと(霊性に目覚めたひと)であるべきである。

  1. 拙稿「仏教をいかに学ぶかー真宗学の場合ー」(日本仏教学会年報第六十六号〈平成十三年八月刊〉)   http://homepage2.nifty.com/kobai/butu.htm
  2. 蓮如上人には回心(信心決定)がなかったという意見があるが、これは間違いである。註①および拙著『続・浄土真宗がわかる本』(一九九七年十一月刊、教育新潮社)第一章、一二頁以下。参照。