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親鸞浄土教における救済の現実的意義

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親鸞浄土教における救済の現実的意義

紅楳英顕 相愛大学名誉教授

(印仏研究第五十一の一、平成十四年十二月刊所収)

はじめに

 浄土教において救済の問題は大変大事なことである。この救済について親鸞以前の浄土教では大体において来世のこととして語られたのであるが、親鸞は現世からの救いを強調したのである。現実の社会に生きている人々に意味をなすものは、来世の救済の世界ではなく現世における救済の世界であると考える。以下この点について考察したいと思う。

一、信一念における救済の主張

親鸞は『大経』下巻の初めにある本願成就文を独自の訓点により

諸有衆生、其の名号を聞きて、信心歓喜せんこと、乃至一念せむ、至心に回向せしめたまへり。彼の国に生ぜんと願ずれば、即ち往生え不退転に住せん。(『教行信証』「信巻」、真聖全二の四九)

と読んでいる。この本願成就文の一念を信の一念とし、その時不退の位に住するとしたのである。法然は『選択集』五、利益章において(真聖全一の九五二)、この一念を念仏(行)とみているのであり、また親鸞書写の『選択集』(親鸞聖人全集一〇の六八)においても同様である。従って本願成就文の一念を信の一念と釈し、現生に不退(正定聚)の位に住するということは、法然にもみられない親鸞独自の釈顕であり、しかも親鸞自身もよくそのことを承知していたものである。また親鸞は自身の著述に引用する『往生礼讃』はすべて『集諸経礼懺儀』によっていると思われる[1]。『教行信証』の「行巻」(真聖全二の三四)と「信巻」(真聖全二の五八)に『集諸経礼懺儀』所収の『往生礼讃』深心釈が引用されて

深心は即ち是れ真実の信心なり。自身は是れ煩悩を具足せる凡夫、善根薄少にして三界を流転して、火宅を出でずと信知す。今彌陀の本弘誓願は、名号を称すること下至十声聞等に及ぶまで、定んで往生を得しむと、一念に至るに及ぶまで、疑心あることなし、故に深心と名づく。

とある。『集諸経礼懺儀』所収の『往生礼讃』深心釈の特徴は法の深信の部分の「名号を称すること下至十声聞等に及ぶまで」とある所である。真宗聖教全書所収本『往生礼讃』(真聖全一の六四九)、親鸞聖人加点本『往生礼讃』(親鸞聖人全集一七の一五六)、親鸞聖人書写本『選択集』引用の『往生礼讃』深心釈の文(親鸞聖人全集一〇の一〇九)はすべて「名号を称すること下至十声一声等」となっているのである。「下至十声一声等」ならば往生のために少なくとも一声の念仏は必要と言うことになる。「下至十声聞等」ならば一声の念仏も必要ではない。聞即信であるので、信一念の往生決定を主張する親鸞にはここが大変重要であったのである。従って親鸞は法然の引用したものとは異なることを承知の上で自身の著述の引用に『集諸経礼懺儀』所収の『往生礼讃』を用いたのであろう。このように現世における信の一念に救いを得ること強調し、往生決定の身になり、現生正定聚に住することを主張したのが親鸞であった。

二、臨終来迎否定の問題

 親鸞は現世からの救いを強調し、信心決定による現生正定聚、如来とひとし、彌勒におなじ等の主張があるが、現世の救済を顕す親鸞浄土教の一番の圧巻は臨終来迎否定であると思う。
 幸西は『玄義分抄』別時門[2]に「現生不退の益」・「入正定聚というは一念を指す」等と述べて現生不退(正定聚)を主張し、現世からの救済を述べている。証空は『定善義他筆抄』(西山全書五の四六)に「此世とは、即便往生を云ひ、後生とは、当得往生を云う也」と現世の往生である即便往生を述べて現世の往生を述べている。また一遍は『一遍上人語録』[3]に「十劫に正覚す衆生界、一念に往生す彌陀の国、十と一とは不二にして無生を証し、国と界とは平等にして大会に座す」と述べ、現世の往生成仏を述べているのである。このように幸西、証空、一遍においては現世の救いが強く述べられているのであるが、臨終の来迎の否定はない。即ち幸西は『略料簡』に

命終わらんと欲する時に、仏来現す。心に従っては生ぜず。彼の願に依れ。(『浄土法門源流章』所引、淨全十五の五九四)。

と述べ、証空においては臨終来迎の所説は代表的著述である『観経疏観門要義抄』の諸処にあるが、簡潔な言葉として『女院御書』に

他力本願をたのみて、過去の罪をも、今生の罪をも懺悔して、仏かならず迎給へと思ひて念仏せば、かならず本願にも相叶ひて臨終には仏の来迎にもあづかるべきものなり。(『西山上人短編鈔物集』 二三四頁)。

と述べ、一遍は『一遍上人語録』に

ただ不思議の名号をきき得たるをよろこびとして、南無阿弥陀仏をとなへて息たえ命おはらん時、必ず聖聚の来迎に預かりて、無生忍にかなふべきなり。これを念仏往生といふなり。(『法然一遍』岩波思想大系、三〇四)。

と述べ、現世からの救済を主張しながら、臨終来迎は語るのである。これに対して親鸞は『末灯鈔』一に

来迎は諸行往生にあり、自力の行者なるがゆへに、臨終ということは諸行往生のひとにいふべし。いまだ真実の信心をえざるがゆへなり。(中略)真実信心の行人は、摂取不捨のゆへに正定聚のくらいに住す。このゆへに臨終まつことなし、来迎たのむことなし、信心のさだまるとき往生またさだまるなり。(真聖全二の六五六)

と臨終来迎をはっきりと否定しているのである。また『末灯鈔』六には

まづ善信が身には、臨終の善悪をばまふさず、信心決定のひとは、うたがひなければ正定聚に住することにて候なり。(真聖全二の六六四)。

と述べて、臨終の善悪を申さずと信心決定こそが大事な問題であることを強調しているのである。このことは親鸞の独自の臨終来迎否定の考えからでたものと考えられるが、親鸞がこの臨終来迎否定・臨終善悪不問の考えに如何に徹していたかが、『恵信尼消息』にも窺えるのである。
『恵信尼消息』五の初めに

去歳の十二月一日の御文、同二十日あまりに確に見候ぬ。なによりも殿の御往生中々はじめて申に及ばず候。(真聖全五の一〇四)。

とあり、次下に

されば、御臨終は如何にもわたらせ給へ、疑ひ思まいらせぬうへ、同じ事ながら、益方も御臨終にあいまいらせて候ける、親子の契りと申しながら、深くこそ覚え候へば、嬉しく候々。(真聖全五の一〇六)。

とある。末娘覚信尼が父親鸞の死とその臨終の様子を母(親鸞の妻)恵信尼に知らせた手紙への返事である。覚信尼の手紙は残っていないが、親鸞の臨終の様子を述べ、親鸞の往生について、恵信尼に尋ねていたとも思われるが、恵信尼は上引のように「なによりも殿の御往生中々はじめて申に及ばず候」、「御臨終は如何にもわたらせ給へ、疑ひ思まいらせぬ」とあるように、臨終の様子がどうであったとしても殿(親鸞)の往生は間違いはないと断言しているのである。これは恵信尼が生前の親鸞より臨終来迎否定・臨終善悪不問の考えをよく聞き、深く理解していたからであり、親鸞の臨終来迎否定・臨終善悪不問の考えの徹底さを物語るものである。
 上述のように現世からの救済を得く幸西、証空、一遍においても臨終来迎否定の思想はない。臨終来迎否定の思想がなければ、臨終善悪不問の思想はででこないであろうし、どうしても臨終が問題となり、極めて少々であるとしても、不安が残ることになるのではなかろうか[4]

三、真仮・隠顕による発揮

 念仏一行専修を主張する法然浄土教に対する非難に対応して、法然の意を明らかにするために生まれたものと考えられるのが、親鸞の願海真仮の釈であり、三経隠顕の釈である[5]。第十九願を諸行往生、要門の方便(仮)の願とし、第二十願を自力念仏往生、真門の方便(仮)の願とし、第十八願を他力念仏往生、弘願の真実の願とする。そして『観経』の顕説を第十九願意の方便(仮)、『阿弥陀経』の顕説を第二十願意の方便(仮)とするのである。この親鸞の独自の釈顕がまた臨終来迎否定・臨終善悪不問の独自の見解の本になったと考えられる。上引の『末灯鈔』一に「来迎は諸行往生にあり、自力の行者なるがゆへに、臨終ということは諸行往生のひとにいふべし。いまだ真実の信心をえざるがゆへなり」等とあるところにそれが窺われる。
 また親鸞は『末灯鈔』一八には

御同行の、臨終を期してとおほせられさふらふらんは、ちからおよばぬことなり。信心まことにならせたまひてさふらふひとは、誓願の利益にてさふらふうへに、摂取してすてずとさふらへば、来迎臨終を期せさせたまふべからずとこそおぼへさふらへ。未だ信心さだまらざらんひとは、臨終をも期し来迎をもまたせたまふべし。(真聖全二の六八四)と述べ、『尊号真像銘文』には
ひごろかの心光に摂護せられまいらせたるゆへに、金剛心をえたる人は正定聚に住する故に臨終のときにあらず、かねて尋常のときよりつねに摂護してすてたまはざれば摂得往生とまっふす也。このゆへに摂生増上縁となづくる也。またまことに尋常のときより信なからむ人はひごろの称念の功によりて、最後臨終のときはじめて善知識のすすめにあふて信心をえむとき、願力摂して往生をうるものもあるべしと也。臨終の来迎をまつものは、いまだ信心をえぬものなれば、臨終にこころをかけてなげくなり。(真聖全二の五九〇)

等と述べているように上引の『末灯鈔』一と同様に、真実信心(信心まこと、金剛心)を得ることによる現世からの救済の強調によって、臨終来迎を否定し、しかも臨終来迎をこころをかけるものは、いまだ信心を得ていないものと述べているのである。『唯信鈔文意』では法照の『五会法事讃』を引用して「観音勢至自来迎」とある「自来迎」について

「自来迎」といふは、自はみづからといふなり。彌陀无数の化仏、无数の化観音、化大勢至等の无量无数の聖聚、みづからつねにときをきらはず、ところをへだてず、真実信心をえたるひとにそひたまひて、まもりたまふゆへにみづからとまふすなり。(真聖全二の六四一)

と『五会法事讃』の当分は臨終来迎が述べられているところを真実信心のひとの現世の利益としているのである。 このように四十八中の第十九願に誓われ、『観経』、『阿弥陀経』の当面に説かれており、浄土教において大変重要な課題とされていた臨終来迎を否定したのが親鸞である。

四、現世における救済の確信

 上に論じたように、臨終来迎否定は従来の浄土教の常識を打ち破るものであった。これは法然の意を正しく継承せんがための教義形成より生じた願海真仮、三経隠顕の釈顕により、臨終来迎を方便(仮)と釈したからではあるが、それ以上に親鸞をして従来の常識を打破る臨終来迎否定の釈をなさしめたのは、自分自身の信心決定による現世における強い救済の実感と慶び、いまさら臨終は一切関係ないというすでに救済を体得した絶対的確信と安堵、にあったものと考えられるのである。このことが、上に引用した臨終来迎をまつものは真実信心の人でないという批判の言葉になっているのである。  『高僧和讃』の曇鸞讃の三不信の中の不淳心の「若存若亡」の左訓に

あるときにはわうしょうしてむすとおもひあるときにはわうしょうはえせしとおもふをにゃくそんにゃくまうといふなり (親鸞聖人全2の一〇〇)

と述べている。即ち、ある時は往生できると思い、ある時は往生はできないと思うことを「若存若亡」する不如実(不真実)の信心であると述べているのである。近年親鸞の信心に誤った解釈がなされ、本願を疑う心がなくなることはなかったとか、往生に確信をもつことはなかったとかいう意見があるが、それはとんでもない間違いである。現世で救済に確信がなければ臨終来迎をたのむ真実信心のなきひとということになろう。真仮の釈顕により、弘願(第十八願、真実)と真門(第二十願、方便)厳しく分別するのが、親鸞であるが、真実信心の慶びを「信巻」に

遇またま淨信を得ば、是の心?倒せず、是の心虚偽ならず。是を以て極悪深重の衆生、大慶喜心を得、諸の聖尊の重愛を獲る也。(真聖全二の四八)。

と弘願の信心(真実信心)の慶びを大慶喜心と述べているのである。これに対して真門の信心については、「化土巻」真門釈下に

真に知んぬ。専修にして雑心なる者は大  慶喜心を獲ず。(真聖全二の一六五)。と大慶喜心をえることはできないと述べている。このように第十八願の真実信心による慶びを強調し、現世の救済をかたっているのである。また晩年の親鸞の著述である『正像末和讃』誡疑讃(真聖全二の五二三以下)で厳しく自力真門念仏をいましめている[6]。弘願の他力念仏とは『正像末和讃』に
真実信心の称名は 彌陀回向の法なれば 不回向となづけてぞ 自力の称念きらはるる(真聖全二の五二〇)

とあるように、真実信心の称名(念仏)であり、彌陀回向(他力回向)の念仏なのである。称える念仏のすべてが彌陀回向(他力回向)の念仏というのではない。真実信心の称名(念仏)が彌陀回向(他力回向)の念仏なのであり、自力真門の念仏はそうではないのである[7]。『正像末和讃』誡疑讃に

不了仏智のしるしには 如来の諸智を疑惑して  罪福信じ善本を たのめば辺地にとまるなり
仏智の不思議をうたがひて  自力の称念このむゆへ  辺地懈慢にとどまりて 仏恩報ずるこころなし (真聖全二の五二三)

等(以下二十一首)[8]、と述べ、仏智疑惑、信罪福の真門の自力念仏のひとは、真実報土に生まれることはできず、辺地・懈慢の方便化土に生まれると戒めているのである。このように死後方便化土に生まれることを厳しく戒めているのであるが、実はこのいましめは死後のみのことではなく、現世に関わったことなのである。親鸞はむしろ現世において真実信心決定の人となり、臨終来迎不要の現生正定聚のひと、大慶喜心のひととなることを願っていたのであろうと思う。
 このように現世においてはっきり救済をえるのが親鸞の宗教体験であり、親鸞浄土教の特色といえるであろう。

五、世をいとうしるし

『末灯鈔』二〇に

仏を信ぜんとおもふこころふかくなりぬるには、まことにこの身をもいとひ流転せんことをもかなしみて、ふかくちかひをも信じ阿弥陀仏をもこのみなんどするひとは、もともこころのままにて悪事をもふるまひなんどせじとおぼしめしあはせたまはばこそ、世をいとふしるしにてもさふらはめ。(真聖全二の六九一)

とある。ここにある「世をいとうしるし」という言葉は親鸞の消息の諸処にみられる。これは信心決定のひとがいかなる行動をするのであるか、救済の現実性、を考察する上で大変重要なものである。一部の意見にこれを反体制的社会実践とするものがあるが、そうではなかろう。『教行信証』「信巻」冒頭に信心の徳を嘆ずる十二嘆名の第二に

欣淨厭穢の妙術(真聖全二の四八)

と、浄土を欣い、穢土を厭う心をおこさせる妙術とあるように、「世をいとう」ということは穢土そのものを厭うということであり、社会の体制状況を指すものではない。このことは「信巻」別序に

淨邦を忻ふ徒衆、穢域を厭ふ庶類、取捨を加ふと雖も、毀謗を生ずること莫れ。(真聖全二の四七)

とあり、また「信巻」三一問答法義釈下に「序分義」を引用して

真心徹到して、苦の娑婆を厭ひ、楽の无為を忻ひて、永く常楽に帰すべし。(真聖全二の六八)

ともあることで明らかである。このように親鸞のいう「世をいとうしるし」とは、煩悩濁世の穢土(苦の娑婆)をいとい涅槃清淨の浄土(楽の无為)をねがうということであり、それが他力回向の真実信心にもようされて生ずるとされるのである。

むすび

 以上のように信一念による往生決定を述べ、現世の救済を強調したのが親鸞であった。それが従来の浄土教の常識を打破した臨終来迎否定・臨終善悪否定の教義の形成となり、また信不具足の真門念仏を厳しく簡別したのも、未来の化土往生の戒めというより、未だ他力信心獲得に至らない真門念仏者の現世における「若存若亡」の不決定心、大慶喜心の欠落に対する痛みにあったと思われるのである。『歎異抄』の後序に唯円が

かなしきかなや、さいはいに念仏しながら、直ちに報土にむまれずして辺地にやどらんこと。(真聖全二の七九三)

とあるのも真門念仏を峻別した親鸞の意が窺えると思う。 『浄土和讃』に

仏慧功徳をほめしめて  十方の有縁にきかしめん 信心すでにえんひとは つねに仏恩ほうずべし(真聖全二の四九一)。

とあるが、ここに「信心すでにえんひとは」とあるように現世において信心決定の大慶喜心のひととなり、欣淨厭穢の信心のもようしによる報謝・伝道活動(自信教人信)の実践こそが親鸞浄土教の救済の現実的意義の根本になるものと考えるのである。

  1. 拙稿「教行信証における往生礼讃引用文  について」(印度学仏教学研究第四七巻  第二号、平成十一年三月)。 『教行信証』以外の親鸞の著『浄土文類聚鈔』、『愚禿鈔』、『唯信鈔文意』、  『一念多念文意』に『往生礼讃』の引文が若干あるが、いずれも『大正大蔵経』四七所収の『集諸経礼懺儀』(四六六頁以下)にある文である。
  2. 梯実円著『玄義分抄講述』四六二頁。
  3. 日本思想大系『法然一遍』三一〇頁。
  4. 法然にも臨終来迎否定の思想はない。
  5. 拙著『浄土三経往生文類(広本)講讃』 三頁以下。
  6. 善鸞の主張に自力念仏があったと考えられる。 拙稿「親鸞における真門念仏と弘願念仏についての一試論」(相愛女子短期大学  研究論集第四〇巻、平成五年三月)
  7. 称える念仏がすべて他力回向の念仏だと主張するひとは、実際には救済の世界を知らない真実信心のないひとといえよう。
  8. 誡疑讃は『真宗聖教全書』(文明本)では二三首、『親鸞聖人全集』(高田本)では二二首となっている。