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「ブッダの教え」で生きるということ

提供: 本願力

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「ブッダの教え」で生きるということ

2011年11月3日 15周年記念講演
仏教は心の病院
花園大学文学部国際禅学科教授
佐々木 閑 先生

寺の長男に生まれましたが、小さい時から寺は継がないと決めました

  佐々木でございます。どうぞよろしくお願いします(拍手)。南淵さんとは不思議なご縁でございます。簡単に私の略歴を言います。先ほど親鸞上人の話が出ましたが、私の生まれた家は浄土真宗の寺であります。福井県のほうにあります。そこの長男に生まれました。長男に生まれたということはそこを継がなくちゃいけないということです。小さい子供にとって仏教というのはあまりにもかけ離れた、しかも重荷になる世界であります。
 小さいときから「君は人が死ぬことの世話をしろ」と、そんなことを言われると子供としてはとてもそんなのはできません。ましてや日本のお寺さんというのは檀家制度がありますので、小さいときからその檀家の面倒を見る人間として育たなくちゃいけないということで、私としてはそれが大変重荷でありました。それで小さいときから寺は絶対継がないと決めたのです。罰当たりなことです。それで中学、高校と、私は普通の子供のように、例えば科学者になるとか、宇宙飛行士になるとかそういう夢を持って育ちました。
 そしてそのまま、先ほどご紹介にありましたように、京都大学の工学部に入りまして工業化学ということをやったんです。そうしましたら、私の周りにいた人はみんな天才ばかりだったんです。何でみんな私の周りはこんな頭のいい人ばかりなんだろうと思いました。後になって考えたらその理由がよくわかりました。私が研究をして実験をしていた、その実験台を、その前に使っていた人は野依(のより)さんという人だったんです。
 私がその実験をするときに、私の直属の上司で助手の方ですが、「佐々木君これやりたまえ、あれしたまえ」といろいろと指図をして教えてくれる人は檜山さんという人だったんです。ものすごく厳しい人だったんですが、この方はもう少しでノーベル賞という人です。鈴木さんと根岸さんが有機合成化学の反応でノーベル化学賞をお取りになりましたが、3番目の候補が檜山さんだったんです。たまたま入ったところがとんでもないところに入っていたわけです。そのときはなにも知りませんでした。そのとき、この人がノーベル賞をもらうというんだったら僕はサインをもらっていたんだけれども、そんなことは知らない。(笑)

挫折感や劣等感で苦しい思いをした時、仏教が少し分かるようになってきた

 先ほどのご紹介で「京都大学の工学部と文学部の二つも出てます」とおっしゃいましたが、そうじゃなくて私は一つ目で挫折したんです。到底私のおつむでは思いつかない、届かないような世界があるということで、全くの劣等感と挫折感で1年間非常に苦しい思いをしました。そのときにようやくそのころから初めて仏教というものの意味が少しわかるようになってきたわけです。それはつまり何かというと、どんなに頑張って立派に生きようと思っても、必ず人にはそれを邪魔をする、あるいはそういうものを押さえつけるような心の苦しみというのが必ずついて回るんだと。
 実を言いますと恥ずかしいけれども、それまでは中学、高校で私は田舎育ちでとてもエリートだったんです。クラスでも一番できたんです。それがだんだん上へ行きますと一番できない人間になっちゃったんです、野依さんの研究室なんかに行きますと。そうするとつまりどんなに自分が立派だ、頑張っていると思っていても、どうしてもその気持ちだけでは生きていけないような支えというものが絶対に必要だということがだんだんわかるんです。
 そのころから少しずつ仏教に惹かれるようになって、生まれとは全く関係のないところで仏教で生きているということを実感するようになって、そして卒業してから変わりました。卒業するまでは頑張ったんです。途中でやめようかなと思ったんだけれども。卒業すると同じ大学の3年生に入れてくれるんです、文学部は。だからそこまでは頑張って頑張って卒業しました。
 論文も書いたんです。私が生まれて最初に発表した1本目の論文というのは「有機合成化学のアルミニウム反応について」というやつです(笑)。2番目に書いたのは「お釈迦様の悟りについて」と(笑)。そういうふうで同じ大学の文学部の仏教学というところに変わりました。これで伸び伸びと仏教のことが勉強できると思ったんですが、とんでもないですね。入ってみたら、今度は周りにいるのは語学の天才ばかりです。文学部だから。3カ国語、4カ国語をしゃべるのは当たり前というような人たちが周りにいて、これまた劣等感の塊になってしまった。
 それを私がどうやって克服したかという話ですが、全然克服してないんです。そのままです。だから今でも自分の能力が及ばないことについて非常につらい思いをするという人の気持ちはすごくわかるつもりでおります。そうやってやってきました。

仏教という大もとをたどっていくとお釈迦様に行き着く

 生まれは浄土真宗ですが、結局仏教のどこへ行ったかというと、一番もとへ行った。もとへとさかのぼっていって、私はとうとう釈迦という人物に行き当たりました。いろんな偉い方はおられます。親鸞上人も、法然上人も、道元さんもおられるし、日蓮さんもいろんな偉い方はおられますけれども、やはりそのすべての方々の大もとをたどっていけば、お釈迦様という一人の人物に行き着くわけなので、どうしてもこの方のことが知りたいと思うようになって、私は自分の人生の道をお釈迦様というものにささげるというのは大げさですが、お釈迦様と一緒に生きていこうと決めたわけです。
 お釈迦様はご存じのとおりインドの方ですからインド語をしゃべったんです。したがってお釈迦様の古い古い昔の大もとの言葉はみんなインド語で書かれているので、インド語を勉強しなくちゃいけないのです。何をするのでも何かやらなくちゃいけないことがあって、なかなか決めたとおりにはいきません。しかし、そうやって30年ほど仏教学というものを続けてまいりました。その結果、今どう思っているかというと本当によかったと思っています。
 何がよかったのか。まず工学部へ行ってよかったなと思っています。そのときには人生最悪の選択だと思って、こんなところへ来なきゃよかったと。最初から文学部へ行けばよかったとばかり思っていましたが、30年たってみて工学部へ行ってよかったなと思います。いわゆる理科系の物の見方というものは、これは訓練をしないと身につかないものですが、それを若いときから7、8年ですけれども訓練を積んできた。それが何より私の今の一番の大もとの土台になっていると思います。
 そしてその道だけではなくて、それに加えてお釈迦様という人がどうやって生きていくのか、そしてどうやって死んでいくのかという、その話について深く触れることができて、私は両方にたまたま立ったものですからとても幸せだったと思っています。そしてなぜ私はこんなに自分にとって幸せな場所にいるのかというと、それは何かがそうさせてくれているのだろうと思います。私はキリスト教の神だの、イスラム教の神は信じません。それから、何とか神とか、何とかのみこととか、そういうものがいて世の中を動かしているなんていうことも全然信じません。
 しかし、私一人が独りの力だけでやっているのではないということは、これは感覚として感じるのです。それが私の宗教といえば宗教、信念といえば信念、だけどもそんな立派なものじゃないので、ただ普通に毎日そんなふうな暮らし方をしております。

釈迦という人間の実際の姿についてお話しします

 今日はせっかく呼んでいただきましたので、南淵さんのご厚意にできればこたえられる…、本当は後でアルパ聞くのも楽しみなんですけども。アルパカなんか知りませんが…皆さまに少しでも私が自分の信条としている釈迦という人についてのお話ができたらと思って、それでやってまいりました。少し歴史的なことや、あるいは釈迦という人物の実際の姿についてお話をしようと思っております。
 まず、先ほど南淵さんも言われましたが、なぜ我々には宗教が必要なのか。皆さんは宗教が必要ですか。若い人には全然必要じゃないみたいで、花園大学で学生さんに聞いても宗教で生きているようには思わないのです。しかし、例えば私の授業で仏教哲学を毎週やっております。そうすると学生さんは10人ぐらいクラスにいますが、それに対して皆さま方とほぼ同年輩のいわゆる聴講で来ている学生さんが今25人いるんです。そうすると35人のクラスのうち、過半数が私より年上です。
 学生さんには「君たちは単位をあげるから寝てなさい」と言って寝させといて、うるさくしゃべるよりは寝てるほうがいいからと、いびきさえかかなければ何も文句を言わないから寝てなさいと。ちゃんと素直に寝てます(笑)。そして大人の人たちと一緒に仏教をやる。これが私の楽しみです。結局、仏教にしろ、宗教にしろ、人が年をとって次第次第に成熟していくに従って宗教はどうしても必要になってくるのだろうと思います。

人間は年をとって死に近づくと宗教が必要になってくる

 それはその人が立派になっていくという言い方もありますが、一番の理由は死が近づいてくるからです。死に近づいていくからです。体が衰えるからです。ということを考えると、やはり宗教はどうしても人間に必要な、それは死に近づくということを自覚する人にとっては絶対に必要なものであろうと思います。
 「イヌとかサルには宗教があるんですか」と僕は知り合いの生物学者によく聞くんです。イヌは宗教がありますかとか、チンパンジーは宗教があるんですかと聞くんですが、あまりないと。ボノボとかだいぶ人間に近い、チンパンジーでもよくならされたチンパンジーは宗教みたいなものを感じている。それは死んだ自分の仲間の死体の前でじいっと何か物思いにふけっている様子があるというんです。しかし、例えばシマウマだのハイエナだのというのは、多分仲間が死んでライオンに食われてたって、手は合わせませんよね。まあそもそも、手は合わせられませんけど。でも、シマウマが黙祷してるなんていうのはあまり考えられないですね。
 それを思うと、宗教というのはやはり人間という生命にとって特有の活動じゃないかと思うのです。それはなぜかというと理由は簡単です。脳が発達しているからです。立派な脳を皆さんはお持ちなので、何ができるのかというと予測ができるのです。寿命が来たら亡くなるということは皆さんご存じですね。私も知っている。しかし今は生きてます、こうやって私ね。私は今生きているのに、なぜ私は死ぬというふうに皆さんはお考えになるんですか。今は生きてるもんね。
 考えてみると、例えば私の父も亡くなりました。祖父も祖母もみんな亡くなっていく。つまり血のつながった人間は皆、同じぐらいの年になると亡くなっていきます。もし人が死なないのならば、恐らく今は寿命200歳とか300歳の人がこの世に必ずいるはずなのに一人もいない。そういう現象を全部集めて、そこから類推して推測すると、必ず私は死ぬということが絶対的な真理として見えてくるわけです。これは私たちが立派なおつむを使って考えていることです。
 そう考えますと、私たちは人間というとても立派な生き物として生まれさせてもらいました。それで人間としての素晴らしい人生を送っております。その一方で人間であるがゆえに自分の死というものをあらかじめ考えなければならない。そしてこれからはその死に向かって一日一日寿命が縮んでいくのであるということを自覚せざるを得ない生き物なんでしょうね。ネコちゃんとかワンちゃんは多分考えてないと思うんです。私ももう寿命だとか、もう8年9カ月も生きたし、イヌの寿命は大体平均すると12、13年だから私もあと3年かなとか思わないですね、イヌは絶対。人間は思います。

死を支える一番便利な機能は「忘れる」ということ

 それは我々にとっては大変な重荷です。自分の死を見ながら生きるなんて、こんな生き物はほかにいないですよ。そのときにそれを支えるものが絶対必要です。支えなしには生きられない。一番それを支えるのに便利な機能は何かというと、忘れるということです。普段忘れます。若い人にいくら「あなたは死にます」と言っても、誰も本気で思わない。忘れてしまいます。
 例えばそういうことを「なるほど、なるほど」と言いながらも、その後でテレビゲームを始めると、もうそれで忘れているわけです、私たちもそうです。今日も私、切符を買ってここまでやってまいりました。切符の自動販売機で切符を買っているときに、おれもいずれ死ぬ人間だななんて思ってませんよ(笑)。鶴間まで幾らかなと思ってお金を入れてまいります。
 こうやって私たちは日々の毎日の生活の中で、目の前のちょっとした事柄で日々を送るようにできている。これは私たちの恐らく防衛本能、自衛的な形だと思います。自分が死ぬということを、いつもは心の底のほうに置いておいて、そして毎日はそれより上のところの日々のいろんな事柄で考えながら、言ってみれば忘れながら生きている。これはとてもありがたいことです。私たちの脳にそういう機能があるおかげで私たちは毎日健やかに生きていけます。
 しかし、問題はどんなにそれを続けていても、必ず死というものは人生の上に浮かび上がってくる、次第に浮かび上がってくるということです。若いときには下のほうにあって、何もそんなもの考えない、毎日の夢や希望でその上をずっと覆って、そして明るく暮らしていけますが、年をとって体が弱ってそして寿命が縮んでいくと、その下から少しずつ死というものが思いの中に浮かび上がってくるのです。そうなったときにそれをもう一度健やかな人生に戻すためには、その死というものをもう忘れることはできませんから、何かで支えていかなければならない。自分自身を支えるものが必要になります。そういうときに必要なものは宗教です。

宗教は一言で言うと「死にゆく私を支えるもの」

 この宗教というものを一言で言ってもしようがないのですが、無理して一言で言うならば「死にゆく私を支えるもの」です。どんな形で支えるのかはその人の環境や思いや信条によってみんな違います。例えば昔々の古代のキリスト教の信者の方たちというのは、恐らく本当にキリスト教で自分を支えて生きていくことができました。なぜならば絶対的な存在として神というものを信じていたからです。
 天国というものは絶対にある。それは例えばリンゴを落とせば下に落ちるのと同じぐらいの当たり前のこととして天国がある。そしてその神が必ず私の今のこの生き方を評価してくださって、死んだ後に私たちを天国へ上げてくださるんだと、この思いが当たり前のことのように信じられた人たちというのは本当に幸せだと思います。皮肉な意味ではありません。本当の意味で幸せです。
 私も、もしその時代に生きていたらその幸せで生きていきたいんだけど、ただ残念なことに今の現代の私たちにとってはそういう生き方がなかなか難しいのです。学校へ行けば科学を習ってしまうわけです。そして世の中はいろんな法則で動いております。その奥に神様がいますなんて理科の時間にだれも教えてくれないです。言ってみればビッグバンから宇宙が始まってという話になるのですが、私たちは神様がいるとか、あるいは私たちを絶対に救ってくださるものがいるということを完全に信じ切って生きるような時代ではないんです。たまたま私たちはそこに生まれついてきました。そんな私たちがそれでも死を見つめながら生きていくための支えというのは一体どこにあるんだ、つまりそういう宗教があるのかということです。
 私は、ですから宗教というのはいろんな種類があってすべて正しいと思っております。キリスト教の考え方が完全に正しいと、それを信じ切って生きていける人がいるならば、それはその人の人生を支えるものですから、その人にとってはそれが正しいのです。
 麻原彰晃という人がいて、この人が私の人生を支えてくれるんだ、一生私の人生を保証してくれるんだといって、その人について信じていくのならばそれは正しい宗教です。そんなことを言う佐々木先生って一体どんな人なんだと思いませんか。今のお話をもうちょっと詳しく言わないと、そのまま誤解されて帰っちゃうと困りますので、オウムの話からちょっと入ります。
 オウム真理教という宗教があります。それが人生のこの世の中で居場所がなくなって、いろんなストレスを抱えて生きていたあの若い人たちの、いわゆる出家した人たちの人生を支えたものであることは間違いない事実です。そういう意味ではオウム真理教はあの人たちにとって確実に宗教として正しい働きをしました。それはいいのです。
 じゃあオウム真理教はどこが間違っているのかというと、そういう人たちを最終的に裏切るような組織だった。そうでしょ。みんな死刑囚ですよ。人生の最高の幸せを求めてそこに入っていった人たちが、気がついてみたら人殺しになって死刑囚になっている。それは教えの内容ではなくて、それを運営している組織の問題です、実は。よろしゅうございますか。今のは前置きね。そして仏教の話を簡単にお話しして、最後にまたオウムの話に戻ろうかと思います。

インドでは梵天様が人間の価値を決めた。それがカースト制度

 まず、お釈迦様という人についてお話をしたいと思います。時代は今から2500年前。これは日本だったらどうでしょう、弥生時代ぐらいかな。こんなシカとかクマとか捕って農耕があるぐらいのものですが、もうすでにそのころのインドでは非常に優れた人間文化が発達しておりました。その2500年前のインドで釈迦という人が生まれ、不平等な社会を是正しなければならない理由があったので仏教をつくりました。それは何かというと、仏教よりも前にすでにインドには別の形の宗教がありました。これは普通、バラモン教と呼ばれますが、お聞きになったことがあるかもしれません。バラモン教という宗教がありました。この宗教の基本は何かというと、この世にはたくさんの神様がいっぱいいる。どれぐらいかというと、日本のやおよろずの神のようにたくさんいるんです。その神々がこの世界を動かしている。
 その神々の中で一番偉い神様の名前は皆さん、ご存じですよ。梵天というんです。インド語ではブラフマーと言います。梵天さんという神様がいて、この人が世界をつかさどる神様である。そしてその神様の下で私たち人間の人生がいろいろと決められているのだと、こう考える世界です。それだけなら別に問題はないのですが、その神様、梵天さんが何を決めたのかというと人間の価値を決めたというんです。どんな価値か。高い価値の人間と低い価値の人間がいて、それは全部ランキングで決まっていますということを梵天さんが決めたということです。
 これはご存じですか。人間の価値を最初から決めているという、そういう考え方。カースト制度と言います。一番上がバラモンという階級です。次がクシャトリヤ、ヴァイシャ、シュードラの四つがカースト制度です。その下にもう一つ、カーストに入れてやらないという身分もあります。アウトカーストというのです。すごいですね。これは人間以下です。人間に入れられません。そういう人間を幾つかに分けていたのです。
 その身分はどこが違うのかというと、汚れが違うというのです。生まれついて持っている汚れが違う。一番上の人は真っ白け、きれいなんです、バラモンは。下に行くほど汚れていって、アウトカーストになると汚れだけでできていると。これは生まれで決まります。どこの家系に生まれたかで必ずそれが決まりまして、死ぬまで何をやったってどんな努力をやったって、このカースト制度を変更することはできません。頑張って総理大臣になっても……。例えばシュードラというのは奴隷階級ですが、シュードラに生まれて頑張って総理大臣になったとしても総理大臣だけどシュードラです。だから汚れた総理大臣という形になります。今でもあるんですよ、インドにはこのカースト制度が。
 この汚れは伝染性があります。どういう伝染方法があるか。空気感染と経口感染するんです。それから視覚感染というのもあります。これは医学じゃないけど、視るとうつるんです。視るとうつる。いるとうつる。触るとうつる。下の人が触ったものを口に入れるとうつる。何やったってうつると。その汚れがうつりますとどうなるか。汚れがたくさんたまっていくと、次に死んで生まれ変わったときにとんでもなく悪いところへ生まれてくるというのです。だから非常に怖いのでカースト制度の違う人同士は絶対に触れ合うことができません。したがって結婚ができない。こうやって血が守られていくわけです。すごい話でしょう。カースト制度の話をすると、また1時間たっちゃうから言いませんけれども、そういうのがある。

人間は本質的に苦しみの生き物だが誰もそれを救ってくれない

 お釈迦様のお生まれになった2500年前のインドにはもうそういうものがありました。お釈迦様はそこに生まれてどう考えたかというと、これは不合理であると。人は人だと。みんな一緒じゃないの。汚れがあるとかないとか言うけれども、そんなものは目にも見えないし、どこにも汚れなんていうものは実質ないじゃないかと。人は全部生まれたときに平等だというのならば、カースト制度は絶対に間違っているはずだと考えた。
 ところが、間違っているということをいくら言っても駄目なんです。なぜならばカースト制度はだれが決めたのかというと、人間が決めたんじゃないんです。さっき言いました梵天さんが決めたんです。梵天という神様がカースト制度を決めたのであるから、そのカースト制度は、人間が「そんなもの間違っている。社会的にそれは悪だ」といくら言っても、そんなものは消せないんだと。この世の真理だから、人に汚れの上下があるのは宇宙の真理だから、そんなものを変えようなんてことはとんでもない話だということで、バラモン教というのはお釈迦様の考え方と真っ向から対立するわけです。
 そこでお釈迦様はどう考えたか。もしカースト制度がバラモン教の梵天さんに基づいてできているというのならば何が間違っているかというと、梵天の存在が間違っていると。この世の中に我々をそんなコントロールして差別を設けるような、そんな神様がいるはずがない。だから梵天、梵天と言うけれども、そういう梵天の権威なんか認められないんだといって全く新しい世界を考えついた。そしてお釈迦様が考えたのはこうです。
 この世の中に、私たちの存在を決めてしまうような、そんなものはどこにもいません。この世の中は原因と結果の関係によって、我々がだれかの思惑で動くんじゃない、自然にそう動いていくものだという、こういう世界です。そこで次に問題になってくるのは、じゃあその世界の中で私たちは暮らしていますけれども、その私たちの暮らしというのは幸せですか不幸ですかというのが釈迦が考えた問題なんです。
 答えはもうすでに先ほど私が申し上げました。人は生き物として生まれた以上は、一番下に死というものがあって、その死を土台として毎日を暮らしています。いつも忘れています。ですから死というものは特別なときにしか顔を出さないものだと思っていても、しかし年をとれば、あるいは病気になれば、その死というものが次第に目前に迫ってきて、人は生きれば生きるほど、その苦しみを深く感じるようになる。これは本質的に生きることが苦であるということの表れです。
 そうすると、お釈迦様の今の考え方を二つまとめてみましょう。人はすべて生まれたときに平等で、そして神様にコントロールされているわけではなくて、この世の中の原因と結果の中にぽんと放り出された形で生きています。それが幸せな生活ならばいいんだけれども、それはいつも死というものの上に乗って流れていくものなので本質的に苦しみです。ということは、人間は苦しみの生き物だということになる。そしてだれが救ってくれるのかと言うと、だれも救ってくれません。つらいですね。だからお釈迦様が考えた生活というのは、人間というのは大変な苦しみなんですよというところから始まる。

苦しみを取り除きたいなら、自分の心を変えるしかない

 じゃあどうしたらいいのか。苦しみの原因は何だということを考えるわけです。苦しみの原因を考えたら、例えば年をとることが苦しみの原因であると。それはそのとおり、全くそのとおりです。死ぬことも苦しみの原因です。ですからもしその原因が取り除かれるならば何も言うことはありません。今日から人間は死ななくなりますという時代になったならば、もう宗教は要りません。その段階で私たちは死の恐怖からは逃れます。ほかの苦しみがまた来るかもしれませんけどね。この人と永遠に一緒にいなくちゃいけないなと思ったら、またそれも苦しみなのかもしれないけれども、それは今は置いておきましょう。またそれはそのときに考えたらいいからね(笑)。
 いつまでも永遠に命があって、今のまんまで続いていくなら問題ないけれども、それは望んでもできないことです。病気もそうです。病気になりたくないと思っても、それはだれかれ構わず無作為に人は病気になっていきます。ですから苦しみの原因が病気であるということは間違いない、苦しみの原因が死であることは間違いないのでそれは正解なのですが、その正解には意味がない。なぜならばその正解である苦しみを取り除くことが不可能だから。
 ではどうするのか。それでも苦しみを取り除きたい、どうしても苦しみを取り除きたいと思うならば、それは自分の心を変えるしかない。自分の心を変えるための努力を続けるしかないということになります。ここに初めて釈迦という人の、お釈迦様の教えの本質が出てきました。私たちは自分で何とかして自分の心を変えて、死とか、病気とか、我々に襲いかかってくるさまざまな苦しみの原因を、消すことはできないけれども、それを受け入れて苦しみに変換しないような自分をつくろうということになるわけです。
 「それはどれぐらい大変な仕事なんですか」と言うと、お釈迦様は「それは大変だよ」とおっしゃいます。「毎日毎日、毎日毎日、自分を変えるためのトレーニングをしなさい」と言います。お釈迦様はそのトレーニングをして、そして悟りを開かれました。

お釈迦様は自分自身の苦しみを消すことで必死だった

 お釈迦様は実は悟りを開くまでは、自分がやったことをほかの人に教えようなんて思ってなかったのです。これ、あんまり皆さんご存じないと思いますが、仏教は慈悲の宗教でみんなのために温かい心で人を受け入れる宗教だと思っておられるかもしれませんが、お釈迦様が最初に仏教をおつくりになったときにはそんなことはこれっぽっちも考えていなかったのです。お釈迦様は自分自身の苦しみを消すことで必死だったんです。ほかの人まで構っている余裕がない。自分の苦しみを消すためにすべてを投げ打って修行をなさいました。だからもしもお釈迦様がそのまんまで人生を終わっていたら、この世に仏教なんていうものは現れなかったはずです。私はこのことはとてもとても素晴らしいことだと思うのです。
 他人事でちょちょっとつくったような宗教というのはあります。もっと悪く言うと、つくりものの教えでお金をもうけようなんていう宗教もあります。そういう宗教は最初から「皆さんのことを考えているんですよ、皆さんのためにあるんですよ」ということを大いにアピールします。しかし、お釈迦様は自分のことで必死だった。つまり自分の本当の悩みを消すために仏教をつくって、そしてこれができたと、この道だということがわかったんですから、それは正真正銘の道だということです。おわかりですか。最初から商売ものとしてつくったものじゃありませんということです。
 本来ならばそのままお釈迦様は死んでしまおうと思っていたのです。死ぬというのは寿命が来るまで幸せなのだから、もう苦しみを消すことができ、自分の心を変えることができたんだから、もうそのまま寿命が来るまで待って死んでいればそれで私の人生は完結すると思っていたのですが、伝説によると、そこへ梵天さんが天の上からおりてきたというのです。
 そして梵天さんがお釈迦様の前に手を合わせて、「お釈迦様、お釈迦様、あなたが今お悟りになったこの悟りの道を、そのまま抱えてお亡くなりになるのはあまりにももったいない。どうぞこれをほかの人たちにも教えて皆さんを引っ張っていってください」とお願いをしたというのです。
 お釈迦様は最初嫌がって、「嫌だ。私の話を聞いて世界中の人間が全部私の言ったとおりに修行をしてくれるというのならば話の甲斐もあるけれども、多分私の話を聞いてもほとんどの人はそっぽを向いて、一部の人しか私のところへやってこないだろう。そういう、甲斐のない事はやりたくない」とおっしゃった。随分ぜいたくな話ですよね。
 そうすると梵天さんが「そうではございません。確かにあなたのおっしゃるとおりで、あなたの話を聞いて全員が救われるなんてそんなものは夢物語です。しかしながら、何人か知りません、何百人か知りませんが、あなたの話を聞いてついてくる人が必ずいます。あなたが何も言わなければその人たちはやはり死の恐怖のままで生きていかなければならないのに、あなたがお話をなされば少なくともその人たちを救うことができます。その人たちを救うことができれば、その人たちがまた次の世代を救うことができます。そうやって次第にそれは広まっていくのですから、どうぞそんなことをおっしゃらずに話を始めてください」と、これがお釈迦様が立ち上がった最初の話で、このときに初めて仏教という宗教ができるのです。

仏教は本質的に慈悲の宗教ではない、自分で自分を救う宗教

 だから仏教は本質的に慈悲の宗教ではありません。本質的には自分で自分を救う宗教です。しかし、それがほかの人の役に立つということで釈迦が自分の気持ちでそれを人に教えるようになったんです。ですからお釈迦様は完全な利己主義者から、途中で完全な慈悲の人に変わるのです。これが仏教という宗教の本当の慈悲の意味です。35歳から80歳までの45年間、釈迦はとにかく人々のためだけに活動をします。
 インドをてくてくと歩きながら、乗り物には乗りませんから、歩きながらいろんな人に話をして救って、その人たちがまた広がって、また広がって、代々、次から次へと世代を通じて広がっていったのが今の仏教です。
 ですから、仏教というのは最初から勢力を広げて、何か大きな集団で世界を全部仏教にしてしまおうなんていうことは全然考えてない宗教です。そうではなくて、もし私の話を聞いて、そしてやってきてくれる人がいるのならば一生懸命その人たちは救います。しかし、ほかの人まで、余計な人にまで話をして引っ張り込むというようなそういう宗教ではないというのがこのときの形で始まるのです。
 僕はたまたまこの間、その話をNHKでして、「だから仏教は心の病院なんです」と言ったら、相手の堀尾さんというキャスターの人がすごく喜んでくださって、すっかりそれで仏教は心の病院だと、何かキャッチフレーズみたいになっちゃって、いろんなところで使われるようになったんですが、それは僕はよかったなと思います。そのとおりです。仏教というのは心の病院です。だから今日の南淵さんのこういう場所でそのお話ができるのはとてもうれしいことです。
 病院というのは、先ほどのお話もありましたが、自分の方からやってきて、そして私を治療してくださいという考えできちんと来る人に対してはちゃんとそれと向き合うんだけれども、「こんな病院要りません。私は自分で勝手にやります」という人にまで手を伸ばすことはできないのです。先ほどありましたよね、もう来なくなる人とか。その人の家まで押しかけていって、「いやいや、そんなことはありません。どうぞこっちへ来てください」と言ってベッドに縛りつけるようなそんな病院はないわけで、仏教というのはまさにそういう意味では本当に生きることが苦しいと感じている人に対して、「あなたにはこういう道もありますよ」と言って別の道を提供するのが仏教の姿です。それが杖です。人の人生を支える支えということです。

ご飯は1日1回、後は修行、そして自分の心を変える

 お釈迦様の話を続けます。お釈迦様がそういうふうな自分がやった道をほかの人にも教えて一緒に進んでいきましょうという宗教をつくったので、お弟子さんとして入ってきた人は、みんな釈迦と同じ格好をして同じ修行をすることになりました。これがお坊さんです。そのお坊さんが集まるでしょう。集まって、そしてお釈迦様はこうおっしゃるのです。
 「修行をしなくちゃいけないんだよ。毎日、朝から晩まで修行をしてくださいよ」と。「じゃあ、お釈迦様、私たちは朝から晩まで修行して座るのはいいんですけれども、どうやって私たちはご飯を食べていったらいいんですか。仕事もしなくちゃいけないでしょ」と言ったら、お釈迦様は「仕事なんかしている余裕はないんだ。なぜならばあなたたちは今、死ぬか生きるかの境目にいるんだから。死というものに襲われて、そしてもがき苦しんでいるあなたたちが仕事の片手間で修行しましょうなんて、そんなことを言ってる場合じゃないでしょう。仕事なんか全部やめて、そしてただひたすら修行しなさい」ときついことをおっしゃいます。
 でも、お弟子さんは「そんなこと言ったって、お釈迦様。ご飯食べないと死んじゃいますよ。座っているだけだったらミイラになっちゃいますよ」と。そうするとお釈迦様が「ご飯を食べる方法を教えてやろう。人からもらえ」と言うんです。それだけ言うとすごい、虫がよさそう。「家々を回って、村とか町を回って、もらって歩け」と言うんです。
 「どんなものをもらうんですか」「残りものや腐ったものをもらえ」と。「どうやってもらったらいいですか」「何も持たずに手ぶらで行って、はい下さいなんて、そんな失礼なことをしてはいけない。入れ物がないので何かタッパーに入れてくださいと、そんな失礼なことを言ってはいけない。物をもらうんだから物をもらう人の礼儀というものがあるだろう。ちゃんと入れ物を持っていきなさい」と。これが鉢です。
 「履物を履いていくのは失礼だから必ずはだしで行きなさい。衣だって立派なきれいなぴかぴかの衣を着ていくなんてそんな失礼なことはないんだから、着ていく衣は最低の衣を着ていけ」と。「最低の衣って何ですか」「それはそこら辺の道端に落ちているぞうきんの切れ端みたいなやつをいっぱい集めてこい。それを自分で結び合わせて布にしなさい」と。これを布と言うのかどうかしれませんけれども、ミノムシみたいなもの。それを体に巻いて、鉢持って、それから「髪の毛は全部そりなさい。なぜならば髪の毛を伸ばしているというのは一般の人ですという印だ。髪の毛をそるというのは言ってみれば非常に格好悪くなることだから、これは一般の人は決してしない。一般人ではございませんという、いわゆるみすぼらしさの象徴として髪の毛をそりなさい。そうやって家から家、村から村を回って残ったものや腐ったものをもらって、それを1日1回だけ食べなさい」と。
 今でもそうです。お坊さんは1日1回しかご飯を食べません。午前中に食べるのです。日本の坊さんじゃないですよ、僕が言っているのは。スリランカとかタイの修行しているお坊さんの話です。「あとはどうするんですか」「1日中修行をしなさい。それがあなたたちが自分の心を変えて、自分で自分の心を変えることによって死の苦しみから逃れる道です」と、こうおっしゃいます。そうやってつくられたのが仏教という宗教の集団です。本来はそうやって暮らしていくものです。

「オウム真理教」と「仏教」はどこが違うか

 オウムの話に戻ります。オウムと仏教とはどこか違うのかというと、教えそのものは一緒です。同じことを言うんです。修行して心の中の悪い煩悩を消し去って、それによって死の苦しみから逃れましょうと、同じことを言うんです。だから若い人はみんな入っていくのは当たり前。僕はオウム真理教に入った若い人たちは何も悪いと思っていません。あの人たちが惹かれていった教えは、お釈迦様が昔説いた教えとほとんど変わらない。一つ違うのは超能力で空飛べるっていうこと、これだけは違います。(笑)
 だけども、違うのは何かというと、食べていくための方法です。そのために仏教はどう言ったか。「みんなに頭を下げて一軒一軒もらって、腐ったものをもらって、最低限の生活を我慢しながら、それと引き換えに修行の自由を手に入れなさい」と言いました。
 オウム真理教は違います。入ってくるものは、金は何でもむしり取ってどんどんお金を集めていって、それで教団を大きくしていく。ここが問題です。大きくして、勢力を広げ、やがてオウムの世界をつくりましょう、日本をオウムだらけにしようというふうなことを考えたわけです。
 そしてお金をもうける方法として一番簡単な方法を見つけたのです。ご存じですか、オウム真理教がどうやってお金をもうけたか。入ってきたいと願う人、出家したいと願う信者さんから、もし出家したいならば、あなたの全財産をオウム真理教に寄付しなさいと言ったんです。つまり一人、入ってくるごとに、その人の全財産ががぼがぼ入ってくるわけだから、これ一〇〇〇人、二〇〇〇人というふうに出家させると、たちまち何十億円というお金がもうかってくるわけです。
 仏教と違うでしょう。仏教は腐ったもので我慢しなさいと。もらえなかったら、もらわないまんまで我慢せよという、ここに実は運営の違いがあるのです。恐らくオウム真理教と同じような宗教はもう二度と出てきませんが、似た宗教はこれから山ほど出てくるはずです。同じ姿は絶対とりません。何でかというと、みんな学習してますからわかる。しかし、同じやり方ではないけれども、それとはちょっとやり方を変えて、それに見えないような形でお金を集める宗教というのはこれから盛んに出てくるはずですから、これは若い人たちに対してはすごく警告しておかなくてはいけないことです。

仏教は苦しみから逃れていくために自分を変えていくこと

 このように仏教というものは自分で自分の心を変えていくために一生懸命頑張るという宗教になりました。したがって仏教の基本は何かというと、それまでの私とは違う生きがいを見つけていくという道です。それまでの私というのは何かというと、世俗の普通の物事をありがたい大事なものだと思って考えていく生活です。
 簡単に言えば庭つき一戸建てで、4人家族で、幸せマイホームというやつです。悪くないですよ。悪くはないけれども、そういう幸せというものは、死という非常に恐ろしい我々に襲いかかってくる根底的な不幸の前においては必ずそれよりも弱いのです。なぜなら崩れていくから。必ず崩れるから。庭つき一戸建て、マイホーム、4人家族が幸せであるという人はもちろんそれでちっとも構わないし、それでいいんです。
 しかし、年をとれば、あるいは病気になっていけば、私たちはそれだけを支えにして生きていけないということに次第に気がついてくる。もっともっと強い支えがなければ死というものと向かい合うことができなくなってくる。そのときに初めて別の生き方、別の生きがいというもの、つまり崩れない支えというものを見つけていかなければならない。その崩れない支えを見つけるために、お釈迦様は苦しみから逃れるために自分を変えていくという道を私たちに教えてくださいました。
 それはすごく時間もかかるし、出家しなくちゃいけないんですかとよく聞かれます。出家するということ自体に意味があるわけではなくて、出家をすればたくさんの時間とたくさんのエネルギーをまとめて手に入れることができるんです。私たちは多分出家できない。ここにいる皆さんも出家できない。私は名目上出家しているけれど偽出家です、私の場合は。
 こんな私たちでも釈迦の道はたどれますかということに対しては、毎日すごく修行をしているお坊さんのようにはできないかもしれないけれども、毎日一歩一歩上がっていくことはできます。これが大事なのです。お釈迦様の教えの修行というのは、毎日一歩一歩頑張ればその分だけ上がりますよという考え方です。
 例えば自分の心の中にいつも悪い思いが起こってくるんだと。あの人が憎い、この人がうらやましい、そんな思いがいつも起こってくるときに、その思いを少しでも消していくこと自体が私にとってのゆくゆくは幸せにつながっていくんだということがわかっていれば、その思いを起こさないでおこうと思うわけです。そして起こしていく、この私の姿が実は愚かなのであって、それを起こさないということはとても素晴らしいことで釈迦の教えであるというふうに思いながら暮らしていけるならば、出家はできなくても毎日毎日が昇っていく人生になるんです。そうでないと下がっていく人生なんですよ。死に向かって下がる一方です。
 しかし、そうではなくて、死というものと向かい合って、しかしそれでも毎日一歩ずつ何かが向上していくものが私の心の中にあるんだという、その思い自体がすごく強い支えになります。ですから出家というものはとてもすごいことなのですが、我々は現代において出家はできないにしても、出家に近い生き方は十分できます。

自分の心の中につくったものだけが自分の支えになる

 私が尊敬していた先生が一人おられます。私は以前『朝日新聞』の夕刊に、コラムを書いていたことがあるんです。1週間に1本です。そのコラムを読んでいろいろとお手紙もいただきました。その中で一人、素晴らしい方とお会いできました。戸塚洋二先生という方で日本の素粒子物理学の権威です。皆さんご存じのノーベル賞の小柴先生の直弟子です。一番弟子の方です。この方はノーベル賞は絶対確実と言われておりました。本当は小柴先生が取るか、戸塚先生が取るか、どっちだろうという話だったのです。
 小柴先生が取られたので数年後には必ず戸塚先生と言われていたのです。「私は神も仏も信じません。完全な無神論です」とおっしゃっていた方ですが、この方が癌になられました。大腸癌から転移して肺と肝臓とそれから脳に転移しました。その方が私のコラムを読んでくださって一度会いたいということで、名誉なことですが、東京まで行きまして、そして戸塚先生とお会いしました。2時間しか話ができなかったけれどもね。もう体が弱っていらして。物理学者なのに私に「佐々木先生、仏教について教えてください。仏教では死ぬということをどう考えるんですか。死んだらどうなるんですか」ということを一生懸命お聞きになるのです。そのとき、私は仏教の側からいろんなことをお話しして2時間で終わりました。
 その後、戸塚先生はずっと自分のコンピューターでブログを書き、亡くなる直前まで書き続けました。それは本になって出ています。立花隆さんが編集して本にしたもので、そのブログを読むと、私たちが出会ったのは2時間だけなのですが、その前後で戸塚さんが自分の死を見つめて何をしていたかということが毎日克明に書いてあるわけです。
 世界一の物理学者ですよ。その方が自分の死を見つめて何をしているかというと、自分の心を何とか制御して、自分の心を何とか抑えて、そしてその死の恐怖から自分の心を守るために自分を変えよう変えようとなさっている様子が見えるのです。もうそれは壮絶なやり方です。例えば毎日花を見るんだ、木を見るんだと。私が死んでも木は生きてるんだということを毎日思い続けるのだと。あるいは本を読むときにゆっくり読むんだと。ゆっくり読むと、その時間が私にとって大切な時間になる。早く読んでしまうと、その人生の大切な時間が早く終わってしまうから、本はゆっくり読むんだというように、目の前の一つ一つの細かいことから、ずっと自分の一日を構築していかれるのです。
 最後まで物理学者としての誇りと、それから気概を保って亡くなりました。私はもう一度会うという約束をしてアポイントをとりつけて、日にちの設定までしてたんですけれども、結局お会いできなくて、それで亡くなってしまいました。
 私はこの戸塚先生の姿を見て、これは現代の僧侶であるというふうに思いました。現代の修行者であると思いました。決して仏教の衣を着て、鉢を持っているわけではないけれども、普段の日常の生活の中で仏教的に生きるというのはこういうことであると。自分の心の中に自分の生きがいというものを見つけていくのであり、外に求めたってしようがありません。外のものは必ず壊れます。持っているものはみんななくなる。所有しているものはみんな消えていきます。自分の心の中につくったものだけが自分の支えになるんだという気持ちで生きる。これが本来的な仏教のお坊様の生き方というものです。

仏教は病院のように出入り自由、本来そういう宗教です

 私は時々タイへ行きます。タイのお寺に行くと、そこに日本人の方で出家したお坊さんが何人もおられるのです。今でも次々に日本からタイへ渡って修行をなさっている方がおられます。大抵皆さん、こちらで暮らしているうちにとんでもないさまざまな不幸な目や、つらい思いに遭って、どこにも行き場がなくなってタイで新しい人生をもう一度つくり直している方がおられます。
 この間も行ってきました。30歳まではヤマハのオートレースチームのエースレーサーで、鈴鹿サーキットでびゅんびゅん走ってたという格好いい方です。それが30歳でバイクでひっくり返って、頭を打って半身不随で言語障害になった。それから10年の間、毎日毎日、少しずつ自分の力で自分を変えるということをやりました。例えばヨガをやるとか、少しずつリハビリをやるというふうに自分の力で自分を少しずつ強くしていって、そして40歳になるまでの10年の間に今度はヨガ教室の先生になっちゃった。すごいですね。日本の何カ所かに自分のヨガ教室を持って先生として活躍しました。
 ところが、40歳になってそうやって生きていくこと自体が私にとっては我慢できない。つまり何かをやってお金をもうけるという世俗的な生活じゃなくて、本当の出家の修行がしたいということで、とうとうタイへ渡り、ヨガ教室をたたみました。そして40でこの間、お坊さんになって出家なさったという方がおられます。
 「どうですか」と聞いたら、「どうもこうもありませんが、とにかく私は自分の幸せを追求して生きてきて、今が一番幸せです」とおっしゃっていました。「これからは毎日毎日、自分が自分をよりよい方向に向上させていく、そのことが自由にできると思うだけでもうれしくてしようがない」というふうにおっしゃっていました。
 ところがね、おもしろいです。後日談があります。その後、この間、タイから連絡が来て、「あのオートレーサーの方はお坊さんをおやめになりました」と。「えっ、どうしたの」と言ったら、「日本に残してきたヨガ教室が金銭関係がもめてて、その後始末をしなくちゃいけないので、お坊さんをやめてまた日本に帰られました」と。
 まだ先があるんです。その人は今まだきっと日本へ帰っていると思うんです。世俗の事後処理をやっていると思うんですが、その後どうなるか。タイのお寺では幾らでも、またもう一度お坊さんになれるんです。お坊さんをやめてもなっても繰り返しは自由なんです。病院みたいでしょう。おわかりですか(笑)。一度入院したらもう出さないとか、そんな病院はこの世にはないので、病気になったらいらっしゃい、治ったと思ったらまた戻りなさいと、幾らでも出入りは自由なんです。仏教というのはそういう宗教です。本来はそうです。

自分の健康を大切にすることが仏教のあるべき姿です

 最後に仏教と医学を一言だけ申します。お坊様は自分の健康に対して大変気を使っておられました。仏教のお寺には、お釈迦様時代に専属のお医者様がおられました。ジーヴァカという名前のお医者様がおられて、このお医者様がすべてのお坊さんの病気の治療に当たったそうです。仏教は医療というものをとても大切に思いました。なぜなら自分の心をよりよくしていくという仕事をするためには大変な時間と労力がかかる。そのためにはできるだけ健康で、できるだけ長生きをする、これは大切なことです。
 だから死というものを迎えるために仏教はありますけれども、それを迎えるためには、できるだけ自分の健康というものを大切にするというのも仏教のあるべき姿です。ですから決して仏教と医療というのは反発するものでもなんでもない。これは同じ世界の同じ事柄です。「仏教は心の病院である」。これから流行るといいなと思っているんです。これで終わります。ありがとうございました。(拍手)