どうして生じた?領解文問題
提供: 本願力
- 松月 博宣
- 浄土真宗本願寺派僧侶
- 龍谷大学文学部仏教学科卒業。本願寺派布教使。
- 福岡県海徳寺前住職。
- https://www.kaitokuji.info/
目次
- 1 どうして生じた?領解文問題 vol.1
- 1.1 ①宗門法規
- 1.2 ②宗制・教義
- 1.3 ③勧学寮の役割
- 1.4 ④勧学寮の重大な判断ミス
- 1.5 ⑤権威付け
- 1.6 ⑥現代版「領解文」制定方法検討委員会
- 1.7 ⑦「制定方法検討委員会」答申書
- 1.8 ⑧答申書のその後
- 1.9 ⑨もしもの話
- 1.10 ⑩怒涛のラストスパート
- 1.11 補遺(1)進退伺い
- 1.12 補遺(2)経緯
- 1.13 補遺(3)唱和3点セット
- 1.14 補遺(4)強引な推進
- 1.15 補遺(5)制定過程の不誠実さ
- 1.16 補遺(6)現代版「領解文」制定方法検討委員会設置規程
- 1.17 補遺(7)制定方法を検討する場
- 1.18 補遺(8)巧妙なトリック
- 1.19 補遺(9)門主制
- 1.20 補遺(10)過去の問題
どうして生じた?領解文問題 vol.1
①宗門法規
この度のご消息発布に疑義があるという意見が多数あります。それはどこがどうして疑義を生んだのか?ということを整理しておく必要があります。それにはまず、私たちの浄土真宗本願寺派は何によって運営されているのか?から知っておく必要があると思うのです。
それは「宗門法規」に全ての根拠を置いて運営されています。これに沿わないものは認められない形になっています。根本は「宗制」です。これは国で言えば「憲法」のようなものです。そこには本尊・聖教・教義・歴史・宗範などが定められていて、これは宗派の運営に法義と逸脱することを阻止するためのものと言っていいでしょう。それと「宗法」は宗制に則り組織を構成する全ての分野の決まり事のことです。そこには本山・門主・寺院・僧侶寺族門徒及び信徒・事業・宗務(総局・宗会・勧学寮・監正局など)・財務・宗門投票・賞罰など各部門の職務内容が詳しく規定されているものです。
②宗制・教義
次に私たちの浄土真宗本願寺派が全ての拠り所とする「宗制」で「教義」はどのように定められているのかを確認しておきたいと思います。この宗制制定にあたっては当時教学研究所所長であられた梯實円和上が相当練り上げられたものと聞き及んでいます。
第3章 教義 浄土真宗の教義の大綱は『顕浄土真実教行証文類』に顕示された本願力による往相・還相の二種の回向と、その往相の因果である教・行・信・証の四法である。 教とは『仏説無量寿経』、行とは南無阿弥陀仏、信とは無疑の信心、証とは滅度である。真実の教である『仏説無量寿経』に説き示された南無阿弥陀仏の名号を疑いなく聞く信心によって、現生には正定聚に住し、当来には阿弥陀如来のさとりそのものの世界である浄土に往生して滅度の仏果を証する。 信心は、阿弥陀如来の大智大悲の徳を具えた名号をいただくことであるから、往生の正因となる。信心決定の上は、報恩感謝の思いから、仏徳を讃嘆する称名念仏を相続する。これを信心正因、称名報恩というのである。 教・行・信・証の四法は、衆生が浄土に往生する相であるから、これを往相という。浄土に往生して仏果を得れば、おのずから大悲を起こし、生死の世界に還り来って自在に衆生を済度するのであり、これを還相という。往相も還相も、ともに本願力回向の利益である。これが自力心を否定した他力の救いであり、すべての衆生が、無上涅槃を証ることのできる誓願一仏乗の大道である。
③勧学寮の役割
さて、「宗制」に明示されている「教義」は私たちがこれまで学んできた浄土真宗の教えそのものです。これを基軸として全ての宗務はなされています。これはご門主とて例外ではありません。ご門主を宗法ではどのように規定されてるかを見てみましょう。宗法第3章第4条に
門主は、法灯を伝承して、この宗門を統一し、宗務を統理する
とされています。つまり親鸞聖人からの教え(法義)を伝承するものであり、法義によって宗門を一つにまとめ治める存在であると言うことです。私はご門徒さんには「ご門主はそれぞれの時代に親鸞聖人の役割を担ってくださる方」と伝えることがあります。「だからお敬い申し上げるのだ」と。なぜそれが言えるかと申せばご門主には(宗意安心の裁断)という門主権があるからです。同じく第3章第8条に
門主は、宗意安心の成否を裁断する
と規定され、それをする時は
門主は、前項に規定する裁断を行う場合には、勧学寮に諮問する
とされています。ここで今回話題に出る「勧学寮」の役割が示されています。これを読むと「ご門主の宗意安心を守る役が勧学寮にある」ことが理解できますね。いわば勧学寮はご門主のご信心を守る立場にあるということです。ひいて言うならば「ご門主を守るということは、浄土真宗のご信心を守ること」と同じ事になるのです。
今回の混乱の第一の原因に「勧学寮の判断ミス」があると考えられます。どのような判断ミスかと言いますと、ご門主より「新しい「領解文」についての消息」の内容について諮問を受けた勧学寮は、先ずは驚いたはずです。なぜなら制定方法策定委員会の答申には「領解文」という言葉は混乱を招くから使用しないように、としていたにも関わらず「新しい領解文」とあったからです。そして、その内容はそれまでに「ご親教」にて示された「浄土真宗のみ教え」に師徳段4行を付け加えただけのものであったからです。内容的には勧学としてはとても承服出来るものではない、しかしこれを「不同意」としたなら、今までご門主がご親教で語られたことを否定する事になる。
「勧学寮はご法義を守る役割があるが一方でご門主を守る役割もある」と判断したところに大きなミスがあり今回の混乱を生み出した根源があると見ています。わかりやすく言えば 「今までのご親教を否定する形になってはご門主に恥をかかせることになる」 だから、とても宗義には合わなものではあるが、ご門主を守るためには、新しい「領解文」を無理くりでもいいから会通させる事ができるか?もし出来るならそれを「解説文」として出してご門徒方に読んでもらう事で誤解のないように出来るなら「同意しても」いいのではないか?と判断された所に大きなミスであると指摘しておきます。「ご門主を守るのは法義を守るという一点しかない」ということを忘れてしまったかのような判断が先ずは問われて然るべきでしょう。
④勧学寮の重大な判断ミス
勧学寮の重大な判断ミスについて、それは「ご法義を守るためにご門主を守る」ではなく「ご門主に恥をかかせない事がご門主を守ること」と考え違いしたところにあると指摘しました。
それは遡ること今から2年前の2021年4月15日立教開宗記念法要(春の法要)時になされたご門主法話(ご親教)「浄土真宗のみ教え」に起因します。その中で「次の世代の方々にご法義がわかりやすく伝わるよう、ここにその肝要を「浄土真宗のみ教え」として味わいたいと思います」とされ示されたのが、あの「浄土真宗のみ教え」でした。ここで、「これを共に唱和し、共につとめ、み教えが広く伝わるようお念仏申す人生を歩まさせていただきましょう」とご法話されております。これが(浄土真宗のみ教え)語られたのち直ちに総局はこれを唱和するよう各関係部門に指示を出し、内容が腑に落ちないままに現場では「唱和させられる」状況が起こりました。
これが出された当時、学識者からも私たち布教使からも内容が腑に落ちない。特に「私の煩悩と仏の悟りは、本来ひとつゆえ」の部分についてが問題視されていました。私も布教使の末尾にいる者としても「これはご開山が一番警戒されていた本覚法門そのものではないか?確かに悟りの側(仏)から見れば煩悩生活している者も悟りの世界を本来的に生きている、と見て下さってはいるが、私の側から言うことではない。これでは煩悩生活をしその中で苦悩そのものを生きている私を悟りに至らそうと五劫思惟くださり兆載永劫のご修行の果て南無阿弥陀仏となってくださった法蔵菩薩のご苦労を無視することになりはしないか?いわゆる「機の深信」が欠けてしまった表現ではないか?」という思いが、布教先で「浄土真宗のみ教え」の間違いを指摘するような法話をしていました。内心は「ご門主の語られたことを真っ向批判することに、ご門徒さんはどのように感じておられるか?おそらく不信感と違和感、嫌悪感を感じてらっしゃるのではないか?」と思いつつも、そう法話せずにはおれませんでした。おそらく他の布教使方も同じ思いでおられたことと思います。
しかし私自身「たかを括ってた」面があったことは反省しています。それは「ご親教」だったからです。ご親教とはご門主がなさる法話を指すもので、ある意味そんなに重きを置いていなかったのです。なぜならご親教は勧学寮の同意無しで行われるものとの思いがありましたので、「これはやがて消えてしまうもの」と考えていたからです。しかし総局は違ったようです。この勧学寮という法義の番人の目を盗むかの如く「浄土真宗のみ教え」の権威付けに躍起になっていました。その代表的なものが2021年10月1日発行の冊子です。そこには「ご親教『浄土真宗のみ教え』をいただく」のテーマのもと勧学寮寮頭・龍大学長・勧学・総合研究所所長と副所長(勧学)の5人に一文を寄稿させて頒布したのです。これは権威付けの行為に他なりませんでした。
⑤権威付け
先に権威付けのために「浄土真宗のみ教え」をいただく、と題した小冊子を頒布したと記しました。その内容について。当時勧学寮寮頭であった徳永一道和上は恐らく内容に承服出来なかったのでありましょう「その骨子は、浄土真宗の教えの根幹が南無阿弥陀仏の名号にあり、この名号が「生老病死」という四苦のただ中にある私どもの人生の最終的な拠りどころとなるということであった」とし、「ご門主がわれわれに伝えようとされた親鸞聖人の教えの根幹は、南無阿弥陀仏の六字の名号にあり、さらにはそのはたらきは聖人が明らかにされた法義のエッセンスである「自然法爾」の四文字につくされているということである」となんとも苦しいものです。
龍大学長の入澤崇氏は社会貢献的な面を評価「新型コロナウイルス感染の蔓延が止まらない状況下でのかのお示しは特別な意義を有します」と。しかし内容を評価する文面は見当たりません。勧学の深川宣暢和上は「この度のご親教をいただいて、その源を伺ってみましょう。親鸞聖人が開かれた「浄土真宗のみ教え(ご法義)」は、その主著『教行信証』(根本聖典=本典)に述べられています。」と、このご親教を全く無視して、教えはご開山の教行信証に拠ることを明確に表現し、お救いは如来さまのお仕事とされ「要するにお救いとは、まったくもって如来さまのお仕事であり、私たちの行いや思いが入り込む余地は一切ないのです」と私たちのすることはご報謝であることを「そのご恩を知りそれに報いるという念仏生活を送ることができる身を恵まれます。(知恩報徳の益)。その報恩とは私たちからする努力です」と私たちが生きるということはお救いくださる如来への報謝であり、それは一人一人の努力であることを記されていて内容への論究は見当たりません。
総合研究所副所長の満井勧学和上と所長の丘山願海氏は連名で「浄土真宗のみ教え」を味わうとご親教の言葉を文節ごとに区切り説明をされています。
「このたびの「浄土真宗のみ教え」は、自らがつねに口にかけながら味わうことを意識されてか、七五調に整えられています。そのことによって、リズミカルで聞きやすく耳に入ってきますが内容が凝縮されているため、逆に少し理解しにくい部分もあるかもしれません。短い文章の中に深い内容が込められていますので、ご門主のご配慮に感謝しつつ、ご親教のお心を味わってみたい」
と、ご門主がご親教でわざわざ「分かりやすく伝わるように」とお示しになられたものを「理解しにくい部分もあるから」と何とも苦しい味わいではあるな、と読ませてもらいました。これでは権威付け(=正統性を主張)は、はっきり言って失敗していると思われます。が、こういう冊子を出すことで権威あるものとの印象付けは出来たと総局総長はお考えになられたことは想像にかたくないと思います。
迷惑な仕事を押し付けられた各先生方がお気の毒としか私には思えませんし、特に「子ども・若者ご縁づくり推進室」に関わっていた関係で私とも親しくしてくださった丘山氏が昨年急逝されたことは「上職の命とはいえ、心外な仕事をさせられた心労が重なったのかな」と私的には感じたことでありました。
つづく
⑥現代版「領解文」制定方法検討委員会
さて勧学寮がご消息に同意した経緯に話を戻しましょう。 ここで少し、その前段階をお話しした方がわかりやすくなると思います。現代版「領解文」制定方法検討委員会なる訳のわからない委員会(注/寮頭発言)が設置されたのは2022年4月1日付け宗則によってです。これは2022年3月25日、宗派の議決機関である常務委員会で法規事案「現代版『領解文』制定方法検討委員会設置規程宗則案」として提案され、その提案理由として
第1期計画当初から懸案事項であり、制定方法を含め更に慎重に検討を進めたい。 制定が遅れていることに対して各方面からお叱りを受けている。
と説明があり、結果として賛成多数により議決されたものです(宗会ではありません)。現在はこの常務委員会が全ての決議をし宗務の執行の後ろ盾となっています(宗本区分されてから以降、宗会による行政チェック機能は失われつつあるのが現状です)。この議決によって「制定方法検討委員会」は2022年8月9日に委員6名が指名され発足しています。
- 委員長に徳永一道勧学寮頭
- 委員には
- 浅田恵真勧学寮員
- 太田利生勧学寮員
- 北塔勧学和上
- 入澤 崇龍大学長
- 満井秀城総合研究所副所長・勧学
と、まさに権威付けに相応しい顔ぶれでした。この委員会に勧学寮員と勧学さまを加えている総長の人事の妙が見えます(流石です)。
同年9月5日から11月8日の間に5回の委員会が開催され答申書を総長に出しています。その答申書内容は、
現領解文の精神を受け継ぎつつ、現代において「念仏者として領解すべきことを、正しく、分かりやすい文言を用い、口に出して唱和することで、他者に浄土真宗の肝要(安心)が伝わるもの」を制定するのであれば、法灯を伝承されたご門主様にご制定いただくほかはない
とご門主が制定するものと誘導しています。もっとも答申案の文案は委員の意見を参考にしながら、宗門総合振興計画での「現代版領解文の制定」事業を担当する「総合研究所」と「統合企画室」が文書にしたものですから、総局の意向が入っていることは否めないことは分かりますよね。
答申は続いて法規上の裏付けを2つ挙げています。
- 1、門主は総局の申達によって、教義の弘通のため、又は特定の事項について意思を宣述するため、消息を発布する
/2、前項の消息の発布は、あらかじめ勧学寮の同意を経なければならない。
これは宗法第3章門主の項の第11条消息で規定されていますので、この度の消息発布の法規的根拠(私に言わせればアリバイ工作)を書き込んでいます。
⑦「制定方法検討委員会」答申書
「制定方法検討委員という権威ある方々が決めた上で発布されたのですよ!」との法規的裏付け(アリバイ工作)がなされたのですが、ご消息つまり、新しい「領解文」はこの方々によって認められたものでありますよと言わんばかりの答申書の使い方でした。
もう一つ答申書には委員から出た意見も書き込まれています。
- 1、現代版「領解文」という表現は、従来の『領解文』との混乱を招く表現であるので、新たな名称を検討すべきである。
- 2、主観的な信仰告白と客観的な真宗教義の要約は相いれない面がある。
- 3~6は割愛し
- 7、僧侶・門徒の規範となるようなものであり、しかも聞いた者が真宗の教えに近づける性格の両面を持ち合わすこと、つまり「真宗ご法義の受けとめと表出」ということになる。
「1」は、新しく制定するものには「領解文」という名称は使うな。「7」は、領解とは自らのご信心を出言するもの。と従来の領解文の精神を欠かしてはならないという意見です。しかし、これらは全て見事に無視されていたことが、のちに勧学寮へ諮問された消息で分かったものだから、勧学寮員方が「口が開いて塞がらない、驚天動地するもの」状態だったのです。
また答申書にはさらに「付帯意見・提言」が添えられていました。それは
- 1、今後制定される現代版領解文は従前の『領解文』とは別に位置付けられるものである。
- 2、現代版領解文は、僧侶・門信徒を対象として「安心・報酬(謝)」に焦点を当てたものと捉えて「信心正因」「称名報恩」を表現することとし、また、他者にも伝わるという観点から、簡潔で現代的な唱えやすい文言とすべきである。
- 3、(前文略)師徳や法度は、歴代宗主の法灯伝承の背景と定めを全て認識することとなり、それらを簡潔に表すことは非常に困難ではないか。
- 4、『領解文』(筆者注、これは今まで出言していた領解文のこと)については、現代の人々にも分かりやすく伝わるよう解説本を作成し、さらに普及につとめなければならないのではないか。
- 5、本委員会の設置目的にある「権威あるもの」とは、強制し服従させるとの意味に受け取められかねないため、その文言に固執することなく門信徒に広く用いられるものにすべきである。
(今まさに権威付けし唱和推進の根拠としているのではないでしょうか?)
- 6、現代版「領解文」を改悔批判で用いるのか否かについては、十分検討すべきてあり、本委員会の協議において、御正忌報恩講における「改悔批判」では、現場の『領解文』を用いるべきとの強い意見があったことを付記する。
これらに、今までの領解文とは別に位置付けすべきとか、今までの領解文の解説本を出すべきとか、師徳は表現は困難とか、権威あるものとは不適切だとか、改悔批判には今までの領解文を使うべきとか、総長(総局)の勢いを何とか止めようとする姿勢は垣間見ることが出来ます。で、この答申書を諮問した総長に出したのが、2022年11月8日のことでした。そうです、つい5ヶ月前のことなのです。
⑧答申書のその後
2022年11月8日に答申書を提出した「現代版領解文制定方法検討委員会」の設置趣旨は、現代版領解文の内容検討ではなく、それを制定するための方法を審議するという何とも不思議な会議でした。当然委員の先生がたは熱心に審議されたことでしょう。その結果、先にも書きましたように「領解文という用語を使用しない事を条件として門主に制定いただく」という方向性の答申がなされたのです。おそらく勧学和上方は、その「ご消息発布の申達をするための内容を事前に審議する委員会」が早々に開かれるものと予想されていたと思います。それは至極当然の段取りというものです。制定方法が決まったのですから次はその内容について審議するのは。
しかし待てど暮らせど審議の声はかかりません。しかし答申を出した約1ヶ月後の12月の中旬、突然にご門主より消息に関する諮問がおりてきたのです。勧学寮との事前審議もなくです。で、その表題が「新しい「領解文」についての消息」となっていたものですから寮員の勧学寮員方は驚くとともに唖然とされたのです。
一つには答申が生かされていないことにです。領解文という用語が堂々と付いていました。 二つには2021年4月のご親教のままで、真ん中に師徳段4行を付け加えただけのものでしたから、先にも書いたように寮員和上方が驚かれたのです。
◆ここでご門主のお仕事の仕方について理解をしていないと、この度の混乱の顛末と重大さが理解しにくいと思います。
ご門主の宗務の執行について規定しているのが宗法第3章第9条で、そこには「門主は、宗務機関の申達によって宗務を行う」そして「宗務については、申達した宗務機関が、その責任を負う」と定められています。これが『門主無答責の原則』と言うものです。つまり分かりやすく言うと「ご門主の宗務執行の責任は全て総長と総局が負う」という事で、ご門主に責任を及ばせないという我が宗門のシステム。
喩えが適切ではないと思いますが
憲法第3条に「天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ」と規定していますが、これに準じたものであると言えばお分かりになると思います。
ですからご門主がなさる「ご親教」(ご法話)や「消息発布」全ては宗務機関、つまり総長・総局の申達によりなされ、その結果責任は全て総長と総局が負うことになっているのです。という事はご親教にしてもご消息にしても総局が申達(消息案をお示しする)する事ではじめて行うことができる仕組みなのです。ここはきちんと理解しておく必要があるところです。
⑨もしもの話
ご門主のお仕事の仕方について概略ご理解いただけだと思います。再び勧学寮に話を戻します。
ご消息について諮問が来たのですが回答期間は2日間だったそうです。時間がありません。しかも答申した内容が生かされてないどころか、2021年4月15日のご親教「浄土真宗のみ教え」にわずか師徳段4行が追加されたに過ぎないものだったので、あの「何とか委員会」は何だったのかという虚しさを感じての中ですから。しかし諮問受けた以上、慎重に審議しなければなりません。ですが意見がまとまらず時は過ぎていくのです。なぜなら幾つかの問題点があるからです。一つは「領解文」とされている点があったと思われますが、一番問題になったのはおそらく「私の煩悩と仏のさとりは本来ひとつゆえ」の箇所だった事は容易に想像できます。この言葉は受け止め方によっては異安心とも解釈することが可能だからです。
勧学和上は宗門最高位の学階位の方です。その深い学識の持ち主ですすから私どもは足元にも及ばないほどの聖教量で読まれるのです。法義とは違うことを直ちに見破られることは必然なことです。ここのところの寮員会議録は2月の宗会で「領解文問題」に関わる資料として提出を求めたのですが「議事録と同意書はあるが開示できない」との勧学寮部長からの答弁で明らかにする事は出来ませんでした。
「もし」は歴史を見る時は役に立ちませんが、もしあの時宗会に議事録を提出しことの事実を公にして総長の宗務執行に誤りがあった事と勧学寮が同意した落ち度を謝罪し、ご消息の取り下げまではいかなくとも、取り扱いについて慎重になったはずですし、これほどの混乱は起こらなかった事でしょう。また親鸞聖人ご誕生850年・立教開宗800年の慶讃法要も真にお祝い出来るご法要となったでしょうに誠に残念としか言いようがありません。
⑩怒涛のラストスパート
歴史に「もし」は通用しないことを申しました。しかしもう一度「もし」を問うてみるならば、③と④で触れたように勧学寮が「これは宗意安心とは整合性がつかないゆえ、同意出来ない」と、もし為されていたなら今回の混乱は起きなかったに違いありません。しかし、そうではなく最悪の道を歩むことになってしまったのです。
徳永一道勧学寮頭と言えば、宗乗(真宗学)ではなく余乗(仏教学)の勧学和上さまですが、長く本願寺派「聖典翻訳事業」の第一人者であることは誰もが認めるところで、寮頭にご就任になられ11年が経過しています。その寮頭をして
すでにご門主がご親教で公にしておられる内容、これを認めないとなるとご門主の以前のご親教を否定することになる(訂正しなければならないことになる)。それはご門主に傷を付けることになりかねない。
と、その優しさからか判断されたのだと思います。また「勧学寮の一面にはご門主を護らねばならない立場にある」とお考えになられたようです。しかし「新しい『領解文』」は一読するだけでも浄土真宗の教義に反する解釈が可能なもので同意するには無理がありすぎる。これは寮頭お一人ではなく寮員皆さん同じ考えであったようです。おそらく寮員会議は揺れに揺れたはずです。揺れない訳がない。ここで「何とか門主を傷付けず諮問に対して同意せねばならない」と判断されたところに大きな瑕疵(ミス)があったと言わざるを得ません。
ご門主を護るために同意という方向に向かうのですが、いかんせん宗意安心とはかけ離れ過ぎている。それなのに新しい「領解文」を真宗教義でもって会通(えつう)する解説文が書けるなら、それをもって理解してもらうことで「新しい領解文」に同意するということにしてしまったのです。
総局からは早く回答せよの猛烈な催促がある中で、このことについて寮員勧学さま方は審議され、寮員のある和上が「何とか書いてみよう」と申された時点で、諮問に対し「同意」の印を押されたのです。どうも総局というか総長のシナリオには慶讃法要で僧俗全てに唱和させるにはタイムスケジュール的に御正忌報恩講ご満座での発布がタイムリミットとの判断があったのではないかと思われます。ですから相当急がせた形跡が先程書いたようなことに見ることが出来ます。
『新しい「領解文」』と『解説文』はある意味セットです。ですから発布後速やかに解説文を発表しなければなりません。その発表は本願寺新報2月1日号なのです。解説文を仕上げる時間は20日あまりの猶予しか無い。その間は年末年始そして御正忌報恩講と落ち着かない日々、その中で起草から校正が為されていくのです。寮員和上方が修正に修正を重ねられていくのです。それは相当大変な作業であったことは想像に固くないもの。それはそうです無理やり真宗教義に適合させなければいけないのですから。例えていうなら「黒いカラスを白いです」と言い切らなければならない作業ですから。その時、少しばかりでも寮員和上の心に「痛み」があったと思いたいものです。 徳永寮頭和上は齢80を超えてらっしゃるからか、その作業には加わられなかったと漏れ聞いております。身体的にも精神的にも堪えられたのではないかと思います。
そして御正忌報恩講が始まり3日目、2023年1月11日、総局から御正忌報恩講ご満座後に『ご消息発布式』が執り行わられることが宗務所でアナウンスされ、同時に本願寺公式ホームページに告知が出るのです。
補遺(1)進退伺い
ご消息発布までの経緯を私なりに記してきました。
こうした事を公にすることに正直、少し躊躇いがありましたが、この度のことが単なる噂話として広がると事が余計ややこしくなってしまう。ここら辺りで正確な情報を知ってくださった上で、この度の混乱の問題点を一緒に考えてくださればと「新しい領解文を考える会」福岡・北豊LINEグループ上(現在288人参加)に投稿をし続けています。
徳永一道勧学寮頭は本願寺新報2月1日号紙面に「解説文」の掲載を確認されたあと、2月3日付けでご門主に寮頭を辞任する旨の辞表を提出されました。
法規的には「辞表」ではなく「進退伺い」です。しかし総局はこれを預かったまま棚上げし宗会に臨みました。これは寮頭が辞めなければならない程の問題点がある「ご消息」である事を隠す意図が読み取れます。
結果的にはつい先日の年度末2023年3月31日付けで進退伺いを受理した形にもっていったのです。これはご消息にまつわる引責辞任である印象を避けるためであったのでしょう。実際はこの進退伺いは「引責辞任」と見るのが妥当なものなのです。なぜなら法規の中の「法規通則」というものの第3章に「消息、宗告、布告及び告示の発布」というものがあり、その第9条は消息に関する法規通則ですが、ここにその全文を載せておきます。
第9条 消息は、教義の弘通のため、又は或る事項について、門主の意思を宣述するものであって、門主の署名並びに総長及び勧学寮頭の副署をもって発布する。
とあります。 このことは、あまり知られてないことなのですが門主の消息の発布は
総局の申達(消息案文をお示しすることもある) ↓ 門主のお手入れ ↓ 勧学寮に諮問 ↓ 勧学寮の同意 ↓ 門主から総局へ ↓ 門主の署名 総長の副署 勧学寮頭の副署 ↓ 発 布
の流れで行われるものなのです。つまり三者の署名(副署)が無ければ発布出来ない仕組みなのです。勧学寮頭は自分が副署したが故に宗門内の混乱を起こしてしまった責任を取るという引責辞任なのです。ならば当然同じく副署をした総長も混乱を起こした一人として引責辞任して然るべきなのです。
が、総長は頑として「発布手続きに間違いは無い」と突っ張り通し自分の引責辞任を阻止するために、寮頭の進退伺いを棚上げにしていたと考えるのが理路としては筋が通ります。このことはまだまだお知らせすべき点が残っています。
補遺(2)経緯
そもそも新しい「領解文」がなぜ制定に至ったのか?
決して突然降って湧いた話ではないのです。
【不二川総長時代】
(カラー布袍導入・キッズサンガ始動・拝読 浄土真宗の教え発刊準備)
2005(平成17)年 親鸞聖人750回大遠忌「宗門長期振興計画」が策定され、推進事項として「時代に即応する教学の総合研究」の事業内容「浄土真宗の教義と信心(現代版領解文の制定)として掲げられ、研究・検討が重ねられ始められ、2007年には「暗唱法文『浄土真宗救いのよろこび』として完成されています。
【橘 正信総長時代】
(大遠忌法要厳修)
2009年
「拝読 浄土真宗のみ教え」が橘総長名で発刊された。
2011年 (平成23年)
3.11東日本大震災
3月末より翌年1月16日まで
大遠忌法要厳修
【園城義孝総長時代】
(子ども・若者ご縁づくり推進室設置)
2012年(平成24年)
徳永一道勧学寮頭就任
6月1日 法灯継承式
10月体調不良により退任
【石上智康総長時代】
(唱和もの3点セット導入)
2015年 (平成26)
宗門総合振興計画
事業内容「現代版領解文を制定し、拝読する」と書き込まれる。それは、「権威あるもの、かつ正しく、わかりやすく伝わるものとなるよう制定方法も含め、慎重に検討して進める」との文言が見える。
2016(平成28)年
伝灯奉告法要厳修
10月1日?翌年5月31日
初日ご親教「念仏者の生き方」
2018(平成30)年
11月23日ご親教「私たちのちかい」
2019(令和元)年
「拝読 浄土真宗のみ教え」が改版され「救いのよろこび」が削除され「私たちのちかい」に差し替えられる。
2021(令和3)年
春の法要でのご親教で
「浄土真宗のみ教え」が示される。
2022(令和4)年
4月 宗則「現代版領解文制定方法検討委員会設置規定」される。
8月9日 委員会を組織
(5回の審議)
11月8日 答申書提出
12月中旬 消息諮問
2日後に同意と回答
2023年(令和5年)
1月11日 ご消息発布告知
1月16日 御正忌報恩講ご満座で発布
2月1日 本願寺新報に解説文掲載
2月3日 徳永勧学寮寮頭「進退伺い」提出
2月5日 法義示談で相馬勧学寮員が新しい「領解文」について内幕を暴露
補遺(3)唱和3点セット
「現代版領解文」制定は既に2005年から懸案事項として取り上げられており、2009年に「拝読 浄土真宗の教え」の中に「救いのよろこび」が一応、領解文の精神を受け継いだ法文として掲載されていました。
領解文のよき伝統とその精神を受け継いだ『浄土真宗の救いのよろこび』ならびに御文章のよき伝統とその精神を受け継いだ『親鸞聖人の言葉』
と記されています。
石上総長が就任した2015年に「宗門総合振興計画」の中で再び現代版の領解文制定が事業にあがります。4年後には「拝読 浄土真宗の教え」から突如として「救いのよろこひ」が削除され、前年に修復法要後に行われた、ご親教「私たちのちかい」が掲載されはじめたのです。理由は「出拠が明らかでない」と当時の総合研究所所長は語っています。
どうも、あのご親教「浄土真宗のみ教え」を現代版領解文とする事を既定路線として進めてきたようです。それは2021年11月22日に開かれた「宗門総合振興計画」の事業精査の中、今後の課題としての部分で明らかです。
現代版領解文の制定については、2021年4月の立教開宗記念法要におけるご親教「浄土真宗のみ教え」のお示しにより、実質的になされたという認識である。
という文言がある事で確認できます。
宗務は各議事録の積み重ねで瑕疵を防ぎながら進めていくものです。それをするのが宗務員であり宗務官僚です。当然それらは総長の指示により動いています。
総長は一連の「念仏者の生き方」「私たちのちかい」そして「浄土真宗のみ教え」の唱和3点セットは「真宗の教義の肝要を簡潔にわかりやすく示したご文章であり、これらの学びを深めることにより、浄土真宗の基本的な教えと念仏者としての生き方がしっかりと身につけられ、心豊かに生きることのできる社会の実現に貢献することが見込まれる」と考えていたようです。これは2021年11月22日の事業精査の「見込まれる成果」の部分で記述されているのです。
補遺(4)強引な推進
現代版領解文の制定については、2021年4月の立教開宗記念法要におけるご親教「浄土真宗のみ教え」のお示しにより、実質的になされたとの認識である。
と言う宗門総合振興計画推進会議常任委員会の報告書の「今後の課題」のところで議事録に記録されていることは前回書いた通りです。
議事録の中には常任委員会委員の宗会議員方も「NO!」と、相当厳しい意見を出しておられるのですが、石上総長の意向通りに事を進めようとする宗務官僚達によって意見は掻き消され、なし崩し的に「浄土真宗のみ教え」を現代版領解文とするという方向で事は進められていたのです。その手法は「強引」の一言で表されるものです。宗務官僚も僧侶なのですが自らの信心を問う事なく政治的な動きに巻き込まれ、ご法義に依る事を捨て去ったかのようです。
宗務員はたとえ人事権を持った総長であろうと、あくまでもご法義に依り宗務を執行すると言う信念を持ってもらいたいと思うのです。何故なら生活の糧として給与をもらっているのですが、その原資はご門徒方からの懇志に依っているのですから。たとえ相手が総長であろうと法義に反する事をしていると思ったなら正面切って「それは違います」と言って欲しいものです。ご開山に仕える事を見失い、総長に仕える存在になってしまったならご開山に申し訳ないことではあります。
宗務所職員方を「ご縁づくり推進室」などに関わっている関係でよく存じ上げていますが皆さん実に仕事が良く出来る優秀な方でありますし、挨拶をしてもきちんとされる方ばかりです。その職員さんをして、このような混乱を起こすことに巻き込んでいる総長の責任は問われると思うのです。逆に言えば総長は宗務員の弱み(生活基盤)を利用して事を進めるという、おおよそ宗教家らしからぬ手法で宗務執行をしてはならないと思います。
「浄土真宗のみ教え」を現代版領解文と見据えてるならば、総長は堂々とその事を門末に告知すればいいものを、「正当な事務手順を踏んで制定されたもの」とするために「現代版領解文制定方法検討委員会」を設置し徳永勧学寮頭をはじめ宗門の錚々たる学者に「アリバイ工作」の片棒を担がせたと言えます。
「人を馬鹿にするのもいい加減にしなさい」と言いたい事態です。総長から指名された5名の検討委員がたは、ただ利用されただけということになります。だからでしょう制定方法検討委員会で「内容を審議してもらうのではなく、制定方法を審議していただくのがこの委員会の役割ですので、そこを踏み外さない論議を」と勧学を相手に堂々と意見する宗務官僚の発言が記録されています。
補遺(5)制定過程の不誠実さ
「現代版「領解文」制定方法検討委員会」という意味のよくわからない委員会を、常務委員会という議決機関を使って設置させ施行させたのが、2022年4月1日付で、その委員構成はvol 2の⑥で記載しております。この委員会が総長に向けて答申した内容概要を「宗報2月号」に
ご消息発布を受けて
ー新しい「領解文」(浄土真宗のみ教え)制定の経緯ー
と「統合企画室」文責として掲載しています。実に用意周到です。普通宗報からの原稿依頼に対して印刷に回す関係で原稿提出は2.3ヶ月前と求められるものです。しかしご消息発布されたのが1月16日、宗報が届いたのが2月!
「普段と違う、何しろご消息なのだから!」と言われればそうですが「制定の経緯」です。今まで多くのご消息が発布されてきましたが、その「経緯」を宗報で知らせた事は一度もありません。これは「制定経緯に疑義を持たれてはならない」という配慮があり、宗派の公式機関誌に素早く掲載する事で「その正当性を担保する」意図は透けて見えるのです。
また掲載された「制定経緯」の内容には何故か隠蔽がされている部分があるのです。それは13頁から14頁の「現代版領解文制定方法検討委員会」の答申書の内容についての部分です。答申書には先にも書いているように
現代版領解文という表現は、従来の『領解文』との混乱を招く表現であるので、新たな名称を検討すべきである
とあるにも関わらず「統合企画室」の書いた経緯には、すっぽりとその部分は抜かして掲載されているのです。これはご都合主義の極まりであり私たち宗門人に対する重大な背任行為であると指摘しておきます。
この事一つとっても制定過程の不誠実さが見えるのですが、どうも経緯説明に饒舌過ぎるくらい過去の事から長々と説明しています。この事は第321回定期宗会での「総長執務方針演説」にも言える事です。本来ならば「ご門主さまより先の御正忌報恩講ご満座においてご消息を発布いただきましたので、これを元に宗務の基本方針といたしたく思います」くらいでいいものを、「2005年(平成17)年8月1日を始動とする云々」と長々とご消息が発布されるに至った経緯を述べています。
私はこれを聴きながら「まるで火曜サスペンスドラマの容疑者が、崖のそばで長々とアリバイを主張するのに似ているなぁ」と。やましさがあると弁解めいた言葉を多く発するものです。
「誕生」の「誕」は言葉を延ばすということから「偽り」という意味がある事を思い出します。私たちは「誕生」つまり偽りの世界に生まれてきた。その私たちの境涯に「降誕」したもうた(偽りの世界に真実の世界から降りてきてくださった)仏が言葉になってくださった法蔵菩薩の物語を思うのです。
つづく
補遺(6)現代版「領解文」制定方法検討委員会設置規程
まるで火曜サスペンスドラマの容疑者がアリバイ工作した上での弁明との印象を受けたと前回申しましたが、それを裏付けることが「現代版領解文制定方法検討委員会」であっていたようです。
まず設置規則を全文あげておきます。
現代版「領解文」制定方法検討委員会設置規程
令和4年3月30日
宗則第10号
(設置)
第1条 宗門総合振興計画基本規程(平成27年宗則第8号)第2条の規定に基づく推進事項の事業計画に掲げる「現代版「領解文」の制定」について、権威あるもの、かつ正しく、わかりやすく伝わるものとなるよう、その制定方法を検討するため、現代版「領解文」制定方法検討委員会(以下「委員会」という。)を設置する。
(組織)
第2条 委員会は、委員若干人で組織する。
2 委員は、教学に関する有識者のうちから、総長が委嘱する。
(委員長)
第3条 委員会に、委員長1人を置き、委員の互選した者をもって充てる。
2 委員長は、議事を主宰し、会務を統理する。
(招集)
第4条 委員会は、総長が招集する。
(意見の聴取)
第5条 委員会は、必要に応じて、宗務関係者を招致し、意見を聴取することができる。
(答申書の提出)
第6条 委員長は、委員会の協議の結果について、総長に答申するものとする。
(事務所管)
第7条 委員会の事務は、統合企画室及び浄土真宗本願寺派総合研究所の共管とする。
(宗達への委任)
第8条 この宗則の施行について必要な事項は、宗達で定める。
附 則
この宗則は、令和4年4月1日から施行し、令和6年3月31日をもって廃止する。
現代版「領解文」制定方法検討委員会設置規程
補遺(7)制定方法を検討する場
(6)でご覧になった設置規程で発足した委員会ですがその冒頭に「現代版「領解文」制定方法検討委員会の位置付けと役割」が以下のように明示されています。
委員会の役割は設置規程第1条により、次のように明定されている。「現代版領解文の制定について、権威あるもの、かつ正しく、わかりやすく伝わるものとするよう、その制定方法を検討する
従って、ここで定められている「権威があり、正しく、わかりやすい」という条件を満たした現代版「領解文」を制定するためには、どのような制定方法が妥当であるかを検討いただくのが委員会の役割であります。現代版『領解文』の内容について、ご検討、ご議論をいただく委員会ではございませんので、ご承知おきください。と、本願寺派を代表するような勧学寮頭、勧学、学長を相手に「あなた達の役割は方法だけ検討すればいいのですよ。内容に口出しはしなくてもいいんですよ。(もう決まってるんですから)」とわかりやすく言えば上から目線で明示した上で、委員会が始まっているのです。
これだけのメンバーが揃ってるのだから「内容を考えてください。それをご門主に申達致しますので」というべきなのにです。ここだけ読まれても、如何に横着な思考をしているのかお分かりになられると思います。それでも勧学さま方は「領解文」の本来的役割を朴訥なまでに訴えられるのですが、元より既定路線で突っ走しることしか念頭にない総務筆頭やこの委員会を統括する統合企画室ならびに総合研究所は聞く耳持たずでそういった発言がある度に「ここは内容審議の委員会ではない、制定方法を検討する場である」と釘を刺していきながら、自分たちが決めているように仕向けようと躍起になっています。それでも「この委員会自体を初めから仕切り直す必要がある」と抵抗した勧学さんもあります。
補遺(8)巧妙なトリック
「ご門主が書かれたものだから」という言説が流布し、この度のご消息に反論はしてはならないのだという雰囲気があります。ご門主は先にも記しましたように「ご門主はご開山親鸞聖人のお役割を、それぞれの時代に担ってくださるお方とお敬い」しております。だからこそご門主のご発言は細心の注意を要するのです。特にご消息となると門末への重要なメッセージとなりますので慎重を期するのです。
先にも書いている通りご門主は勝手に公式でのご発言は出来ないことになっています。全て総局の申達によってご発言が求められるのです。「ご親教」(ご法話)も「こ消息」もです。ご法話に関しては総局か「これこれこういうご法要を勤めますので、ご親教を賜りますよう」と申達されるのです。このご親教(ご門主の法話)については「教義的可否」は検討されません。つまり勧学寮は関与出来ないのです。しかし総局の関与は出来るのです。「こういう内容で如何でしょうか」と。
2021年4月15日立教開宗記念法要時におけるご親教「浄土真宗のみ教え」は正にこれなのです。前に書きましたように、その時点で「これを現代版領解文にする」という総長の固い意志のもとでのものでした。「浄土真宗のみ教え」については勧学寮は全く関与できない状況下で発せられたものなのです。もし、「浄土真宗のみ教え」を勧学寮が関与出来ていたなら、当然書き直しなり手直し必要と答えられたに違いありません。しかし総長は、そうと知った上でご門主にあの内容でご親教をさせたのです。勧学など数人に「ご親教・浄土真宗のみ教えをいただく」なる冊子に寄稿させ、総長の好きな言葉「権威あるもの」と仕立て上げていったのが真相です。そしてこの度のご消息発布に繋げていったのです。
ご承知のように「ご消息」特に宗意安心に関わる消息は勧学寮員全員の同意が必要とされていますので「現代版領解文はご門主に制定してもらうほかはない」と制定方法検討委員会に答申させた上で、この度の「ご消息発布の申達」をご門主にしたのです。当然ご消息の中身は既定路線(浄土真宗のみ教え)そのものなのでした。
既にご門主が「ご親教」で語られたものがそのまま「ご消息」となってることから、勧学寮は表立って「不同意」は出来ないように仕組まれていたのです。わかりやすく言えば、勧学寮は総長が長い時間をかけて仕組んだ巧妙な「トリック」にかかってしまっていたという事です。
補遺(9)門主制
その「トリック」は勧学寮にだけ掛けられていたわけではありません。私ども僧俗ともに掛けられていたといっても言い過ぎではないと思うのです。今回の混乱の原因は「ご門主に責任」があるという言葉を聞きます。ご門主がしっかりとしていればこんな事は起こらないと。この混乱に乗じて「門主制見直し」をするべきだとの声が宗会議員をはじめ一部にあることを知っています。その方のお名前も耳に入っています。「門主制はおおよそ民主的でない、だから僕はぶっ壊さなきゃいけないと思ってる」と。
果たして門主制を見直したところで今回のような混乱が起きない保証があるのか?冷静に考えねばなりません。まず申しておきたいのは私どもはご門主を「善知識」としてお敬いしています。ご門主の仰せを「仰せの通り」とお聞かせいただくことで本願寺派のご法義を成り立たせているのです。そうでないと教団の法義に狂いが生じるからです。
このシステムはご法義が間違いなく伝燈されていくための担保システムなのです。その為の門主制だと思います。だから「ご門主が出されたものだから文句を言ってはならない」との意見は間違ってはいないと見るべきでしょう。ご門主の宗教的権威という立ち位置を無意識ながら合意の上ではじめて成り立つ教団なのですから。
ただし、それにはご門主への申達をはじめとした「正常に宗務を運営されることが大前提」であることだけは申しておきたいと思うのです。今回のことで、ご門主は「総局が推進する事項について私が関与することはとても困難です」と、ひょっとするとどこかで吐露しておられるかも知れませんね。
補遺(10)過去の問題
「門主制」は宗意安心の正当を守る機関(システム)、それを勧学寮まで巻き込んで「自見の迷語」をもって悪用したのが今回の混乱の原因である(某宗会議員さんの述懐)。言い得て妙な指摘です。しかし今回はそうであるだろうけど過去にはこういったことは無かったのか?という疑問も湧いてきます。
確かに歴代総長の時代にもいろいろな問題や事件があり宗門を混乱に陥れた事案があります。近年では「北山別院墓地」問題が記憶に新しいです。現総長では「ビハーラ病院理事長背任行為」問題が現存しています。いずれも金銭にまつわる事案で、特に今回の「ビハーラ問題」は総長の任命責任が問われているのですが、本人は宗会での追求に対して『背任行為がなされることを予見することは不可能であるので任命責任は問われない』と「顧問弁護士が言っていることから任命責任を私が問われる筋合いのものではない」
何とも理屈に合わない詭弁論法で追求をかわしています。それ以上追求が出来なかった議員さんは勉強不足の謗りは免れないと思います。「何故そこで顧問弁護士などの言葉を言い逃れの材料とするのか?総長の任命権はそれほど軽いものなのか?それとも任命したけど、事を起こしたのは自分ではない、あいつが悪いのだと、お考えになっているのか?もしそうならば宗門のリーダーとしては不適格であると思われるが、総長あなたはその点どのようにお考えになられるのかお聞きしたい」ともっと攻め込んでもいいと思うのですが、、、、。
私は素人ですからこれ以上申しませんが。これをみても金銭がらみの俗より俗的な問題は起こっています。しかし宗意安心に関わることは「菩薩戒経問題」以外ありません。これは今回とは少し趣きが違いますので取り上げません。今回はズバリ宗意安心に関わることで、それに今までには無かったといえます。 それは何故か?
つづく