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『柴門玄話』について

提供: 本願力

 ただ石泉師はこういうふうに言っておられるのです。(柴門玄話、真宗叢書 附巻 行信論集 56上)「宗昭師(覚如上人のこと)のごとき、多く前後を言ひ給ひて、その表裏の説漸(ようや)くに罕(まれ)なり」と言いまして、法相の表裏は段々と影を薄くして稟受(りんじゅ)の前後という形が多くなってきたと。「信證院(蓮如上人)いよいよ傚ひて、遂に専ら前後を用ひて、もて教道を清規(しんぎ)し給ふ、蓋しその表裏の義、ときに快會するものあれども多くは誤つて自力の大澤に陥る」この「表裏の義」というのはいわゆる念仏往生なのです。念仏往生というものを誤解する人が沢山出てきた。「かの三百八十餘人の中、信座に着くものは少(わず)かに三四人にして、その餘はみな行座の人なるが如し、即ちその念佛、動(やや)もすれば己が口業を執じて稱念の功を負(たの)む、他力の義解し難きが為なり、故にたまたま表裏の文を引かれても、故(ことさ)らに前後のこゝろを示し給へり」というように覚如上人以後は法相の表裏よりも稟受の前後で信因称報説というものを述べられた。

それは念仏往生を誤解する人達が居たからだと言われている訳です。信因称報説というものが出てきたのは、この信因称報説は親鸞聖人にももちろんあるのです。ない訳ではないので、有る事は有るのですけれども、それを一本槍にしていかれるのは一つは親鸞聖人の教えというものを信因称報説という形で、いわゆる他力義というものを極成していく。そして平生業成説というものをギリギリまで突き詰めていきますと信因称報説になるのです。いつ往生が定まるかと言うと信の一念に往生定まるのだと言うでしょう。信の一念に往生が定まるという、これを平生業成説というのです。その説を突き詰めますと、では信の一念に往生が定まった、その後の称名はどうするのか。業因なのか、それとも業因で無いのか。業因で無いとしたら称名は何の意味で説かれたのだというような事で称名報恩説というのが強く出てくるようになるのです。それが一つです。

 もう一つは覚如上人の時代は次第に鎮西浄土宗が力を持ちだすのです。この鎮西浄土宗が非常に力を持ち始めた、その知恩院のすぐ下にありましたから。本願寺は知恩院さんと目と鼻の先なのです。その知恩院が強烈に教線を拡張して教団的には本願寺が圧迫されつつある訳です。そんな状況の中で、この信因称報説が実は法然聖人の正統なのだという事を言うのです。これ三代伝持の法統と言いまして法然・親鸞・如信と続いたこの三代伝持の法統を私は承けているのだ。これは法然の正統だという事を主張するのです。それが覚如上人の『口伝鈔』だとか『改邪鈔』というのは真宗内の異流を批判する方が強いですけれども。まあ両方兼ねて信因称報説というものの非常に違いがハッキリしているのです。鎮西派の教学ともうハッキリと分かれていきます。平生業成説というものも非常に正確に出てきますので。そういう意味で違いを明確にする。そしていわゆる自力の称名、称名を自力的に取りなしていく事を完全に遮断をする。そのためには信因称報説というのは一番良いのです。そういう説なのです。そういう意味で内部的にも外部的にも信因称報説というのは非常に分かりやすい。絶対他力義というものを知らせるのに一番分かりやすい説なのです。そういう意味で信因称報説を非常に強調されるようになります。